2013-04-02

教育カリキュラム設計に、「捨てる」技術必要

日本教育関係者って、若者全員を

グローバル社会に伍して行けるマルチ人間に仕立てなきゃならない」という強迫観念があるのでは? 

から政府自民党内の議論で「大学生全員にTOEIC義務付け」とか、「文系大学生にも数学入試義務付け」とか、

「いや、理系学生にも、国際社会に出ても恥ずかしくないよう、日本史古典を学ばせるべきだ」

と、とかく科目の積上げに議論が流れてしまう。

自分が知っている某東大理系関係者

文系大学生が、原子崩壊方程式(って言うのですか?)を知らないのはオカシイ、義務付けるべきだ」と

吼えていたそうだが、文系自分は、その意味がわかりません、ええスミません。

まあ曽野綾子は「文系方程式教育するのは不要」と語ったそうだが。

このように、とかく専門教育関係者

自分の専門分野は、全学生全日本人が知っておくべきだ」と視野狭窄に陥りがち。

こんな専門家意見を真に受けて、学習科目を積上げていけば、日本小学生中学生高校生

1日24時間勉強しても、まだ足らない。

教育カリキュラム設計というのは、

「どのレベル学習が、義務教育には必須か?」

「どのレベル学習が、高校生には必須か?」

「どのレベル学習が、文系大学生には必須か?」

「どのレベル学習が、理系大学生には必須か?」という「積上げ方式」で設計すると、必ずパンクする。

無理やり詰め込みすぎると、消化不良を起こして、後々の躓きになる。

こういうのは、積上げ以上に「捨てる技術」「仕分け技術」が欠かせないと思う。

事業仕分け、部屋を片付ける技術と一緒。

「ここまでのレベル学習は、義務教育には不要では?」

「ここまでのレベル学習は、高校生には不要では?」

「ここまでのレベル学習が、文系大学生には不要では?」

「ここまでのレベル学習が、理系大学生には不要では?」という引き算も定期的に行って、

教科のスクラップビルドを行うのが肝要。

あと、日経朝刊に

大学を出たが就職できない日韓と比べ、ドイツ大学を目指さない若者専門学校に進み、

 それがドイツグローバルニッチ中小企業に入って、ドイツ技術レベルアップを支えている」という記事があった。

言われて見れば、ドイツには「オックスフォードケンブリッジ」「ソルボンヌ」

ハーバードスタンフォード」のようなビッグネーム大学は乏しい。

しかし、超名門大学は乏しいのに、ドイツ技術水準は高く維持されている。

日本競争力を保つためには、東大京大慶応などのトップ校を、世界最高レベルに引き上げなければならない」と

口酸っぱく言われるが、ドイツを見ていると、その常識も疑ったほうがいいのかも。

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