はてなキーワード: けいおんとは
https://anond.hatelabo.jp/20210528052915
女子かくあるべしという一面がヘイトを生んだというの、一理ある。というか、それがまさに問題点だと思うんだよね。
3つの話が混ざってるにも関わらず、「創作での違法行為ヘイト」のみに絞って揶揄する声がTwitterなんかで作家から上がってるの見ると危うい感じがする。
元増田が言う通り、アウトローでかつフツーの女性ってのもアリだと思うけど、ハイコンテクスト(文脈及び暗黙の前提が必要)なんだよね。
映画詐欺予告と違って、アニメ版のスーパーカブの告知動画と実際の作品のビジュアルは、近い。
ありていに言えば「新海誠風」だよね。
より正確に言うと「秒速5センチメートル」のビジュアルで、ゆるきゃんよりも「けいおん」ふうのキャラクターで、「スーパーカブ」に焦点を当てたアニメーション。
このビジュアルと音楽のガワで、作中の小熊というキャラクターをアウトローにするのは、かなりの難物になる。
何故かというと、ビジュアルのちからって、アニメーションのわりと根源的なポイントだから。
西岸良平の「夕焼けの歌」や、青木雄二の「カバチタレ!」のビジュアルで、2ケツしたくらいじゃこうはならない。
これは、男女差別ではなくて、そのビジュアルは、どういった印象を相手にあたえるか、というところがポイントになるから。
ここでは各流派については踏み込まないけど、創作物の違法行為が問題視されるのは概ね3つ
漫画やアニメーションには、現実の人間に影響を与える力があると信じるものからすると、どれもまあ批判としては妥当かと思う。
受け入れるかどうかは別として、「アニメは良い影響を与えうる」と「アニメが悪い影響を与えうる」というのは、どちらも正しいと個人的には思っている。
1番のマネする奴がでるってのは、一番創作者にとって受け入れがたい指摘だとは思う。
悪い奴が悪いことをする、もしくは、悪いとわかっていてやることに意味があることを描いていても、指摘されるから。
2番の違法行為が肯定的にってのは、程度問題ではある。文化圏によるものもあるし、時代背景もあるしね。
ざっくり少年漫画少女漫画問わず、現在でも例えば「これ普通に暴行傷害だよな」とか「女性がやっててもこれ普通にセクハラ・パワハラだよな」みたいなのは散見される。
3番がちょっとメタっぽい話になるけど、2ケツって別に大したことないってアニメーションが増えると、そういう認識が広がる、という考え方のこと。
(主張する人たちが概ね3流派に分かれてるよねってことぐらいで、ここは特に踏み込まない)
アニメ版のスーパーカブでは、(ビジュアルと音楽とを取り払ってしまえば)リアリティラインは概ね一定に保たれていると思う。
個人的には、あの地域の高校二年生が、自己矛盾なく一貫した姿勢で物事に向き合ってたら気持ち悪いし、変だと思う。
ないないづくしの天涯孤独の女子高校生が、他人に厳しく自分に甘く、2ケツで気分爽快とか、まあ良いんじゃないの?という。
ココは元増田の話とは違うと思うんだけど、「小熊は2ケツなんかしない!」って話とは、若干違うと思うんだよね。
さっきのリアリティラインの話、純真無垢な箱入り娘のお嬢様じゃねえんだから法律違反ぐらいするだろ、みたいな話は
アニメーションのビジュアルが訴えかけてくるものに反するから、ヘイトを生んでるんだと思うんだよね。
「口では2ケツは法律違反だって言ってるけど、つまるところあのビジュアルでマイルドヤンキーみたいなの受け入れがたいってだけじゃね?」ってこと。
そしてそれは、「受け入れがたいというのは、ある程度しょうがないのでは?」という話。
要は、アニメーション全体で生み出そうとしてるリアリティラインに齟齬が生じてる。
ゆるキャン△でさ、嫌な店主だからっつって万引きしてみんな笑顔で「やっちゃったねふふふ」とかやってたら受け入れがたかろう。
「今日日の女子高生は別にグループ万引きとか普通にするしむしろ知らないのは世間知らず」とか反論はしなかろう。
あのキャラクター造形で、丁寧に遵法精神に欠けるところがあるって演出してても炎上すると思うな。
アニメーションのビジュアルが訴えかけてくる「この主人公はこんな感じです」っていうのと言動が一致してないんでヘイト生んでるんじゃねえのかな。
「このアニメーションは、スーパーカブという原付の良い面を広げる啓蒙アニメーションっぽいんすよ」みたいなのとか
「このアニメを通じて交通安全に思いを馳せて欲しいっすね」みたいなのとかが見え隠れすると、そりゃ反発もされんじゃねえかな。
例えば「ここは退屈迎えに来て」の中でまったくおんなじエピソードが語られたとして話題になるかっていうと、そんなとこ注目もされねえんじゃねえかな。
新海誠監督の時の「天気の子」で出てた法律違反の話と今回の件とは、語られ方がちょっと違うと思うんだよね。
ともあれ、個人的には「フィクションの違法行為にいちいち難癖付けてて乙乙」みたいな茶化し、良くないと思うなあ。
少なくともその層は切り捨てて良い層なのか確認してから揶揄すべきだと思う。
ドウェイン・ジョンソンがワイルドスピードで無茶苦茶するのに笑ってる同じ人間が、今回の件で嫌悪感を示すの別にダブルスタンダードでも何でもないと思うのよ。
俺は、ワールドトリガーのアニメ版で迅さんが原作とは異なる描かれ方をしているのを見てポリコレに屈しやがってとは思わない。客あっての商売よ。
(とはいえ、スーパーカブは切るところ残すところの取捨選択がちゃんとなされてると思うので、まあこれぐらいは織り込み済みなのでは)
あずまんがに始まり、ハルヒ、らきすた、けいおん、東方、ガルパン艦これウマ娘、、、
なんというか、オタクカルチャーっていうのは、愛とか恋とかが絡むようなお話って、クソ喰らえだった気がするんだ。
オタクたちはそうやって、自分に縁のないものを、自分の庭の外に投げ捨てて、マイワールドを楽しんでいたはずだ。
まるで修行僧のように。
少なくとも俺はそうだったし、今もそう。
それがなんか、どうした?
なんでシンエヴァの、あの無駄に生々しい、現実じみた終わり方に感動できるんだ?
進撃の巨人もうすぐ終わるけど、あのミカサのチューに生々しく盛り上がっちゃってるよな?
あとさ、なんだかよく分かんないけど、「バチェロレッテ」見ただろ?杉ちゃんにちょっとだけ自分重ねただろ??
なんなら、「花束みたいな恋をした」見ちゃってるだろ??泣いちゃってるだろ???
オタクたち、いつの間に愛を楽しめるようになってしまったんだ?
俺には分からない。
思えばゼロ年代くらいが一番インターネットが男オタクコンテンツに優しい時代だったな。
初音ミクハルヒらきすたけいおんあたりの正統派萌えキャラクターが主流で、リアル女はスイーツ(笑)とバカにされ、女オタク向けコンテンツは腐女子キメェと叩かれ、女オタク側もタグ付け等ゾーイングして必死で自重しながら活動してた
女オタクもリアル女をバカにし、私はこんなゆるふわ女共とは違う!という主張が主だった
インスタの流行で一般層がネットに入り浸るようになり、Metoo活動が起きたあたりからネット上の女の扱いがガラリと変わった気がする
まぁ過剰な男向けコンテンツ叩きはやりすぎだと思うが(アダルトグッズショップにあるロリ向けラブドールにわざわざ嫌悪感示したり)
ごちうさの3期が終わり、『ゆるキャン』と『のんのんびより』へと続く。これから少なくとも3ヶ月先は移住先を探すこともない安泰な日々が続く。
しかし、ここから先はどうなるのか。さらに先に『まちカドまぞく』の2期があるが、1期より作風が変わると聞く。ひょっとすれば、『NEW GAME!』のようにいざこざの多い作品に変わっていくかもしれない。日常系アニメの新作がないかと不安になっている人がいるはずだ。
そういえば、アニメ化が発表されたきらら原作漫画は『球詠』だったよな。この作品を最後にアニメ化の発表がされた作品が現れなくなって1年半も経つ。
しかしながら、これからアニメ化の発表がされるきらら原作漫画が増えていくだろう。だが、それと同時にきらら原作アニメに対して「自分が期待していたものと違う!」という批判が急増していくと思う。
なぜなら、まんがタイムきららからきらら系と呼べるような日常系が減ってきているからだ。
私は日常系アニメが大好きできららの雑誌を読んでいる身だ。未来の日常系アニメが出てくることを楽しみにしていた。
しかし、私は、2018年ぐらいから、きららの編集部は日常系を冷遇するようになったと感じた。
そして、きらら編集長のインタビューを読んで、まんがタイムきららから日常系がなくなるのは確実だと確信した。
ただ、最初に『ひだまりスケッチ』がアニメ化し、『けいおん!』、『GA 芸術科アートデザインクラス』と続いていって、きららといえば女子高生4・5人の学園ものという印象が我々の想像以上に強くなってしまった。もっと4コマに多様性を見出そうと思って企画したきららが、いつの間にか多様性のなさの象徴みたいになってしまっていたんですね。どこかで一度その固定観念を壊して、新しいきららの形を作らなければいけないと思い、2011年に「まんがタイムきららミラク」を創刊しました。
芳文社創立70周年を迎えて。「まんがタイムきらら」編集長が考える“これからの日常系”の形
やはり、「きららといえば日常系」という風潮に対して、きらら編集部は好ましくないと思っていたようだ。
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では、まんがタイムきららについて振り返ってみよう。
2011年に『あっちこっち』、2012年に『夢喰いメリー』のアニメが放送された。「まんがタイムきららは日常系だけではない」とアピールする機会になり得たが、いずれも成功したとはお世辞にも言い難かった。特に『夢喰いメリー』は原作ファンから酷評をされている。
2013年に『ゆゆ式』のアニメが放送し、『きんいろモザイク』『ご注文はうさぎですか?』へと続いた。この頃に「まんがタイムきららといえば日常系」というブランドイメージが確立された印象だ。
きららに対するイメージが確立された後も、日常系ではないきらら原作漫画がアニメ化して放送されたが、そういったアニメが日常系アニメに比べたらヒットしているとは言い難い。
一方、編集部から大きな期待が寄せられたまんがタイムきららミラクだが、けいおんやゆゆ式のような大ヒット作が現れず、2017年12月号を最後に休刊してしまった。
そして、ミラクの末期の頃から、既存のきらら系列雑誌の作風が変わっていった。
まず、2018年から2019年前半ぐらいかけて、まんがタイムきららMAX連載の未アニメ化作品が、2~3巻分の短期で、次々に連載終了していった。特に『どうして私が美術科に!?』の連載終了はきららの読者に大きな衝撃を与えた。元々、きららMAXは、前衛的な作風やマニアックなネタを扱う作品が多かったが、ミラク創刊の影響で、きららMAXは萌え要素が多い作品が増えた。ミラク休刊を期に、尖った作品が増えてきた。
さらに、『ななどなどなど』のような和気あいあいとは言い難い作品や、『RPG不動産』のようなファンタジー系の作品が増え、『奥さまは新妻ちゃん』『一畳間まんきつ暮らし!』『メイドさんの下着は特別です』のような男性読者に媚びたお色気要素が強い作品も出てきた。
そんな中で編集部からプッシュされていた印象が強いのは、きらら本誌で連載していた『甘えたい日にはそばにいて。』である。この作品は『幸腹グラフィティ』の作者、川井マコトが送る小説家の少年とアンドロイドの少女の恋愛を描いたシリアスな作品だ。
きらら作家としてそこそこ知名度があるとはいえ、アニメ化されていない作品としては破格の待遇で編集から猛プッシュされていた。3回連続でセンターカラー連載したし、1巻発売当時、アニメが放送していた『スロウスタート』との合同フェアを行った。
しかし、鳴り物入りで連載されていたにも関わらず、アニメ化されることなく3巻で終わってしまった。
そんな長期に渡る試行錯誤だったが、きらら編集部の期待に応える傑作がようやく現れた。それは『ぼっち・ざ・ろっく』である。
『ぼっち・ざ・ろっく』は、これからのまんがタイムきららを語る上で絶対に外せない作品である。
この漫画は、タイトルが示す通り、陰キャな主人公がバンドに加入してロックスターを目指す王道のロック漫画である。間違えても『けいおん!』と同じようなものを期待して見るものではない。むしろ、『けいおん!』が嫌いだった人が見るものだ。個人的には、この作品が売りにしている主人公の顔芸と陰キャネタが生理的に受け付けない嫌いな作品だ。
『ぼっち・ざ・ろっく』はとにかくすごい。単行本1巻発売日直後に重版がかかり、LINEスタンプが発売された。そして、「次にくるマンガ大賞 2019」で8位にランクインした。
おかげで、きららでは陰キャ主人公モノブームが巻き起こっている。そのブームは、荒井チェリーというきららの創刊期から連載作品を持つベテラン作家ですら巻き込んでいる。列挙すればこんな感じだ。
そんな『ぼっち・ざ・ろっく』にアニメ化の話が来てもおかしくない状況だと言える。では、肝心の出来はどうなるのか。制作会社ガチャと呼ばれる風潮が強いが、それに関しては心配する必要はないだろう。
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ここからは、個人的な妄想。内情を知らないので、今後どうなっていくかは、まだ分からないことだということに留意してもらいたい。
テレビアニメ『ぼっち・ざ・ろっく』は、アニプレックスが間違いなく神アニメにしてくれるはずだ。きららの切り札である以上、粗末に扱われることは絶対にないだろう。作画に関してはしっかりした制作会社を選ぶし、脚本だって原作ファンからの高評価であふれかえっているので十分保証できるだろう。
それで、なぜ『ぼっち・ざ・ろっく』の話にアニプレックスを出すのか?
その大きな理由はソーシャルゲーム『きららファンタジア』にある。このゲームはアニプレックスがパブリッシャー(配信元)でドリコムがディベロッパー(開発元)である。
『ぼっち・ざ・ろっく』の連載が始まる頃は、きららファンタジアの販促に力を入れていた時期だった。それを象徴するアニメは、2017年秋季に放送された『ブレンド・S』と、2018年冬季に放送された『スロウスタート』である。この2作品は、アニプレックスとドリコム、そして芳文社が製作委員会に名を連ねている。
この頃のきらら編集部はアニプレックスを強く意識していたんじゃないのかな。特に『ぼっち・ざ・ろっく』の場合、その傾向が強く表れていると感じる。主要人物の名前は、ASIAN KANG-FU GENERATION(アジカン)のメンバーが由来だ。アジカンは、アニプレックスの親会社、ソニー・ミュージックエンタテインメント所属である。ここから、作者と編集は、構想の段階でアニプレックスを意識していたのだろうと推測している。
『タイムパラドクスゴーストライター』というジャンプの打ち切り漫画には、「実は(アニメ化の)オファーだけなら、早い作品だと1話目の次点で、もう来るんだよ」というネタ画像がある。ひょっとすれば、『ぼっち・ざ・ろっく』は、比較的早い段階でアニプレックスからオファーが来ているのかも知れない。逆に、芳文社からアニプレックスにアプローチしていたのかも知れない。それだけ芳文社とアニプレックスの距離感が近いはずだ。『きららファンタジア』が配信されたばかりの頃は特に。
そういえば、こんなTwitterアカウントがあるけど、遅くてもこのアカウントが作られる前からアニメ化が決まっていたんじゃいないのかね。主人公が演奏動画の投稿をきっかけにSNSを始めるエピソードだけど、このアカウントの初ツイートが2019年8月16日、このエピソードが掲載されているきららMAX発売日は2019年08月19日である。早すぎないか。
ファンがやるにしても、フラゲでもできないだろう。最新のツイートあたりに、音楽が流れる一枚絵があるけど、この絵は作者が描いたものじゃないよね。ひょっとしたら、アニメの作画担当が描いたものかも知れない。ちなみに、Twitterは、YouTubeやニコニコ動画とは違って、JASRACと許諾契約をしてないから気をつけてね。
『きららファンタジア』は、リリース開始期に多くのトラブルに見舞われて短命で終わるとささやかれていた。しかし、そんな悲観的な予測を超えて、2020年の12月にリリース3周年を迎えた。それを記念してメインクエスト第2部がリリースされた。これから、またアニプレックスのきらら原作アニメが増えていくのだろう。そのトップバッターは『ぼっち・ざ・ろっく』になるに違いない。
ビジネスは出だしが肝心だ。アニプレックスと芳文社は『ぼっち・ざ・ろっく』にまんがタイムきららときららファンタジアの命運を賭けるつもりでいるに違いない。それ故に、アニメスタッフは錚々たる顔ぶれがそろうし、宣伝にもかなり力を入れるはずだ。
具体的には、『鬼滅の刃』のプロデューサーを担当した高橋祐馬、『紅蓮華』を作曲した草野華余子、「チカっとチカ千花っ」で大きな反響を読んだ中山直哉が名を連ねることになるだろう。ロック界の重鎮たちも出てくるんだろうね。アニメーション制作はufotableが最有力になると考えている。次点は、A-1 PicturesとCloverWorksだ。
ぶっちゃけ、このアニメに鬼滅の刃のスタッフが集うことすらあり得ると思う。宣伝映像の冒頭に「鬼滅の刃のスタッフが送る」というナレーションを添えるだけで、誰もが飛びつくに違いない。まさに鬼に金棒。
テレビアニメ『ぼっち・ざ・ろっく』はアニメファンはおろか一般人ですら唸らせる出来になり、アニプレックスと芳文社が望んだ通り大ヒットするに違いない。そして、「きららといえば中身のない日常系」というネガティブイメージを抜本的に改善していくだろう。
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これがどれくらい当たるのか。答え合わせは2021年1月19日から始まるだろう。まんがタイムきららMAXの発売日だ。その次の月の2月25日は『ぼっち・ざ・ろっく』の単行本3巻が発売される。その間に、重大なニュースがやって来るはずだ。
いずれにせよ、きらら編集部にとって『ぼっち・ざ・ろっく』はまんがタイムきららを変える大きな存在だということには間違いない。
実際、ごちうさ3期に放送されたきららMAXのCMで紹介された作品は、ごちうさときんモザとこの作品だけだった。新型コロナウイルスのせいかもしれないが、はっきり言って、きららMAXの未アニメ化作品は「『ぼっち・ざ・ろっく』以外は雑魚」という扱いなんだなと感じた。それだけ、『ぼっち・ざ・ろっく』の注目を集めるのに必死なのだろう。
私はきららの雑誌を読んでいて、日常系が減ってきていると感じていた。
きらら編集長のインタビューを読んで、きららから日常系が消えていくのは確実だと痛感した。
きらら編集部は『ひだまりスケッチ』や『けいおん!』がヒットしたときから、「きららといえば日常系」のイメージに危機感を持っていたのだ。
きららの編集長はインタビューで「多様性」という言葉を使っていたが、我々が持つきららに対するイメージに対して、作者も編集もプライドが許さないのも大きな理由の一つなのだろう。そりゃそうだよな。自分たちで一生懸命作って世に出した作品を、きららというだけで、萌え日常系と言うだけで「中身が無い」とか「低俗だ」とかと酷評されたら誰だって傷つく。そんなイメージを払拭したくなるのは当然の話だよね。
10年以上前から受けてきた屈辱を晴らそうと、長期に渡る試行錯誤の結果、『ぼっち・ざ・ろっく』という今後のきららにふさわしい作品が表れた。あとは、大ヒットを目指してアニメや宣伝に力を入れていけばいい。そして、『ぼっち・ざ・ろっく』に続く「中身のある作品」を出していけばいい。そうすれば、まんがタイムきららから「中身のない日常系」は駆逐されていくだろう。
だから、私は言いたい。
最近、1クールとか2クールで終わるやつばっか見てるから4クール以上の長編が久しぶりに見たい
最近は昔と違ってアニメも深夜アニメの乱発で短いヤツばかりじゃん
1期、2期とか分割しないでぶっ通しでやって欲しい
CLANNAD、ガンダムW、ガンダムSEED&SEED DESTINY、コードギアス、カードキャプターさくら、ゼロの使い魔、とある科学の超電磁砲、今日からマ王、彩雲国物語、ツバサクロニクル、カスミン、ボーボボ、銀河英雄伝説(古いほうね)、弱虫ペダル、けいおん、SAO、コナン、金田一少年の事件簿R、とっとこハム太郎、犬夜叉、きらりんレボリューション、メルヘヴン、銀魂、プリキュア(1作目、2作目)、ミルモでポン、ハヤテのごとく、魔入りました!入間くん (もうすぐ2期やるから入れとく)、鋼の錬金術師、鋼の錬金術師FA、リゼロ(4クールやるし)、みなみけ、3月のライオン、ひぐらし、絶対可憐チルドレン
NHKが割と多いな
「ラブライブ自体は好きだけどラブライバーが嫌いなのでラブライブも好きじゃない」というような事だ
当時の自分がまだ若く
いわゆる「厄介」の流れを少し汲んだ恐ろしいほど周りの人間がいるから自分の行いは正しいと信じて止まない
そういう人間だった
「オタクは虐げられている」
むしろ自分がラブライブを好きにならない奴らに迷惑なほどに布教し虐げていたような
今振り返ると「あ、俺が嫌われてもしゃーなしやな」ってわかる
けいおんで知り合った仲間を罵った
人が去ってラブライブからも人がさって4000のフォロワーの誰からもいいねされなくなってようやく気がついた
だが遅すぎた
家族に謝った
けいおんで知り合った仲間に泣きながら謝った
晴れて俺はラブライブというコンテンツに張り付きながらも生きる事を許された
2年ぐらい前ならFGOか 一年前ぐらいならVtuberだろう 今なら皆さん言わなくてもわかるだろう キメハラなんて言葉もつくられてしまって
もちろんそのコンテンツのファン全員がそんな厄介なわけではない
事実そのFGOやVtuberに自分みたいな人間はいなくなり もしかしたらキメハラしてるのかもしれない
自分はラブライブ一筋ってずっといってるのにアニメがやっちまったもんだからまぁマウントとられるわとられるわ 売上とかどうでもいいじゃん(なお昔の自分は他のものに売上でめっちゃマウントとってたもよう)
キメなんとかのヤイバなんて見たこともないけど一瞬で嫌いになった
でもわかるよ
もし本当にそれに呪縛されるぐらいハマって周りの人間が他のコンテンツに行った時
自分みたいにならんことを祈る
でもならんやろうね
7~10年もあればやっぱ変わる