はてなキーワード: きな子とは
○ご飯
朝:目玉焼き。小松菜とベーコンの炒め物。昼:焼きそば。キャベツの炒め物。焼き鳥。ビール。夜:ホットナポリタンサンド(たんにナポリタンを焼いたパンで挟んだだけなんですが、なんかめっちゃ美味しかった、定番にしたいけどこれ食べると野菜が食べれないなナポの具になにかを炒めるか)
○調子
昨日の反省で家でじっとしてた。
ってのはまあ別に良くて、それより倉庫を整理してたら思いの外サラーサの斧が出てきて、あと一箱掘るだけでサラーサの最終ができることがわかった。
45箱目以降は苦行が過ぎるのでやる気なかったんだけど、これは流石にやるか!
TAイベント苦手だわ…… CとDを行ったり来たりで多分結果はD。
上位層の編成はコピれるのに腕前が追いついかないの悲しい悲しいなのだった。
○ウマ娘
流石にほぼほぼノーガチャで勝てるほどチャンピオンミーティングは甘くないなあ。全敗ばっかりです。
とはいえ、アグネスデジタル以外に好きな子がいないし、好き以外をモチベに出来ない派なので悩ましい。
アグロヴァンプクッソ楽しい。最大で9連勝も出来てデッキとのシンクロ率にも高まりを感じる。
もう3年以上の前の事だけど、もしかしたら今でもお前は俺を恨んでるかもしれない。
お前は秘密主義だった。けど一緒に居るのが楽しくてさ、何度一緒にオールして朝マックしたっけな。
高嶺のなんちゃらって曲のPVに出てた子にそっくりな、色白な子だった。ダンスが上手かった。
お前がSに惚れてたことを知ったのは、俺があの子を抱いてからだった。
別に抱こうとしてた訳じゃない。たまたま飲んで、たまたま終電逃して、たまたま泊めたら抱くことになった。それだけなんだ。
別に好きでもなんでもなくてさ、イビキが煩くて口の臭いただの女子大生だったよ。
お前にとっての理想の子は、俺にとってはどうでもいい女の一人だった。
せめてちゃんと付き合って「俺はこの子と真剣に交際してる」と言えたら良かったんだろうけど、それも言えなかった。
だってただのセフレだったかから。どうしても好きになれなかった。
勿論お前は気付いちゃって、俺とは絶交してさ、Sとも疎遠になってさ、みんな一人になっちまった。ままならねぇな。
お前の方がずっと人として素晴らしいのにさ、なんであの子は俺じゃなきゃダメで、俺はあの子じゃダメだったんだろう。
俺はお前じゃないとダメだったのにさ。
「誕生日、何がいい?」
母親に聞かれて、わたしは喉から出かかった言葉をつぐんだ。別に欲しいものがないわけじゃない。むしろ、ネットショッピングは好きなの方なので、「これいいな」と思うものは結構ある。
けれど、この時ばかりは、何も答えられなかった。
頭が真っ白になって、欲しいものが思い浮かばなくなって、23歳になる、もう結構な大人なのに、思春期みたいに「どうせ言っても意味ない」とばかり考えてしまって、悲しくなる。
どうしようもなく、涙が出てくる。
たった一言なのに、なぜこんなにも涙が出るのだろう。
そう考えて、ぶわりと、過去の思い出が連想されて、蒸し返してしまったからだと気付いた。
わたしは絵をかくのが好きな子供だったので、ペンタブレットに結構なあこがれがあったのだけど、それを母に見せて誕生日にねだったら「何それ笑」と一蹴された。
鼻で笑われてしまって、当時、かなりショックだったことを覚えている。
結局、誕生日プレゼントは古着の服だったけ。それはそれで普通にありがたく着てました。
思えば、それ以前にも、母親はわたしを軽んじている節があったので、よく馬鹿にしていた(いや、まぁ普通に馬鹿な子供だったから普通に馬鹿にしてただけかもしれない)。
だから、中学生の頃は、結構勇気を出してほしいものを口に出した。まぁ、相変わらず鼻で笑われてしまったけれど笑笑。
高校生のときは、ナチュラルに誕生日を忘れられてたっけ。あのときも普通にショックだった笑。
まあそんな母親だけど、ケーキは買ってきてくれていた、ような気がする。
気がする、というのはわたしの記憶にあまり残ってないから。毎年祝われていた感覚がうすい。
なんでうすいんだろう。と考えて、思った。
ずっと母親に嫌われていると思っていたから(実際に嫌われていたのかもしれない)、ありがたみとか、感謝とか、感じてなかった訳じゃないけど、怯えと遠慮が勝って印象にあまり残っていないのだ。
愛されていた感覚がうすい。家事を手伝ったって、「お前にされても嬉しくない」とバッサリ言われるのだから、わたしは常に母親の顔色を窺って生きていた。
だから、子供の頃から、あまりうれしくないプレゼントをもらっても、もらえなくても「祝ってくれるだけでうれしいよ」と模範解答が言えた(実際にその答えは一般的に美徳でもある)。
けれど、大人になって、いい子ちゃんを演じる必要がなくなったときに、抑圧されてきたわたしの中の子供が泣いているのだ。
今更わがままを言ったって大人なんだからしょうがないけれど、わたしの中には確かに、未だ愛されたい子供がいる。
10年余りの時を経て、当時にくらべて随分性格が丸くなった母親に「誕生日、何がいい?」と聞かれ、「ねこちゃん」、とか「イグアナ」とか、まぁ欲しいけど本命じゃないプレゼントを適当に言う。
けれど本心では「どうせ本当のことを言ったって応えてくれない」という思いがある。
子供の頃から親を信じて、期待してきたのに、男を家に連れこんであんなことあこんなことを見せつけられて、裏切られ続けてきた結果、信頼できなくなってしまった。
愚痴のサンドバックにはもうならないように回避できるし、適当に話を合わせられるけど、心から信頼することはもう、できないんだな。
それがとても、かなしい。
たとえプレゼントをもらったって、祝ってもらったって、本心から喜べない自分がいやだ。
もう卒業しなきゃいけないのに、自分の中に子供がいる。どうすればいいんだろう。
つらいな。死にたいな。
「あんたにプレゼントをもらっても嬉しくない」といえたら、どんなにスッキリするだろう。
けれどスッキリするのはわたしだけで、母親はきっと泣いちゃうから。大人として、その言動はどうなのって思うし。
もらえるだけでありがたい、本心でそう思えるような人間だったなら、どんなに良かっただろう。
誕生日に死のう死のうって思っても死ねないアホだもんね、仕方ないね。
こんな、世間一般で見ればくだらないことでもやもや悩むのはもうやめにしよう、と考えて、未だに辞められない日々を過ごしながら、自分と向き合って少しづつ改善できたらいいな。
こうして文章にして吐き出したら、整理できたし、すこしスッキリできたので、今日は泣かずに寝れそう。
おやすみなさい。
好きだと気づいたのはクラス替えの後だった。
小学5年生でクラス替えをした時、アヤトくんとクラスが離れ離れになってひどく落ち込んだ。
特にかかわりのないまま夏を迎え、校外学習に行く準備が始まった。もう10年以上も前のことなので記憶が曖昧だが、なぜかご飯の時間に私の班だけがアヤトくんのクラスと合同でグループを組むことになって、たまたまアヤトくんと同じグループになれた。
一緒にカレーを作ってる写真が卒アルに載っているので卒業後もたまに見返したりしてた。
放課後に通っていた書道教室が一緒だったので、たまに書道教室で会うことが密かな楽しみだった。
5年生の時はそれくらいしか思い出はなく、ひっそりと思いを抱えたまま6年生になった。
6年生になると、またアヤトくんと同じクラスになれた。毎日楽しくて、勉強なんか身に入らずアヤトくんだけをみていたし、2日間会えなくなるから金曜日が大嫌いだった。
そもそも、付き合うことの意味も分かっていなかったわたしは、気持ちをどこに向ければいいのかもよく分かっていなかった。
それでもアヤトくんの優しさに触れる度に好きでどうしようもなくなっていた。
私は漢字ドリルや計算ドリルを進めるのが好きだったのでみんなより早く1周して、勝手に2周目を進めていた。そんな時、アヤトくんも同じく2周目に進んでいることが分かって、なんとなく、どっちが先に2周目終わるか勝負ね!なんて言って幼いながらも接点を増やしていった。
ほとんど同じくらいのペースで2周目がおわって、私たちはドリル3周目を迎えた。もはやドリルへの執着ではなくアヤトくんへの執着だった。
3周目がおわるころに、担任が私とアヤトくんの異常なスピードに気づいて、クラスメイトの前で褒めてくれた。どっちが先に3週目終わるかな?と先生が言ってくれて、先に終わったら金ピカのシールをくれると言った。金ピカのシールなんて別に興味がなかったけど私とアヤトくんだけの特別な勝負が公になって嬉し恥ずかしの気分だった。
もうすぐ3周目がおわるころ、アヤトくんはなぜかスピードを落としてしまった。そして私は先に3周目を終えて金ピカのシールをもらった。
何も言ってなかったけどアヤトくんはわざと負けてくれたんだと思う。その優しさでまた心がぎゅっとなった。
アヤトくんはこんなに優しいから、結構人気な男の子だった。クラスメイトの中には他にもアヤトくんのことを好きな子がいた。
その子は、3年生の時に理科でアヤトくんが作ったモーターカーを間違えて踏んで壊してしまったらしい。小学生にとって、自分の作品を壊されたら阿鼻叫喚してもおかしくないが、彼は笑って許してくれたらしい。それで好きになってしまったと話を聞いた時、私もまた好きが大きくなってしまった。
そうこうして卒業の時期を迎えた。中学も同じなので特別寂しさはなかったが、アヤトくんと1番近くで話せたのはこの時期が最後だった。
帰る準備をしてる頃、視界が揺れた。
花瓶も、窓ガラスもわれ、ガタガタと物音が落ちる音とみんなの叫び声が響いてこわくてこわくて仕方なかった。
揺れが落ち着いてグラウンドに避難する時、怖くて立ち上がれなかった私に、アヤトくんは手を差し伸べてくれて一緒に歩いてくれた。
この日がアヤトくんの一番近くに居れた日だった。
サッカー少年だったアヤトくんはなぜか帰宅部になっていた。帰宅部の怖そうな友達とつるむようになったアヤトくんをみてなぜか寂しくなった。
ほんとはアヤトくんめちゃくちゃサッカー上手いのに、なんでってずっと思ってたけど聞く勇気はなかった。
クラスも遠くて接点もなかった。しばらくして放課後にアヤトくんのクラスに用があって行ったら、アヤトくんは髪を伸ばしてチャラくなっていた。そしてリュックにはピンクのよく分からないキャラクターのキーホルダーを着けていた。その隣に全く同じキーホルダーを着けている女の子がいて心臓がばくばくした。
一瞬で彼女だと悟った。
中学から一緒になった、出会ってそんなに時間もたってない子にいとも簡単に取られてしまうことを初めて学んだ。思いの長さは強さじゃないんだと知ってどん底に落ちた。
この彼女は私とアヤトくんがドリル競争を繰り広げてたことなんてなんも知らないのに、もう彼女になれてるんだ、ってよく分からない嫉妬をした。
結局アヤトくんへの気持ちを諦められないまま中2になった。アヤトくんは彼女と別れたらしい。
ずっと好きだと思いながら何も言えず、冬になった。
バレンタインを渡そうとして渡せなくてゴミ箱に捨てたのも確か中2の冬だった気がする。
同じ頃、修学旅行で隣の部屋で恋バナしてるからおいでと言われてるんるんで向かうと、ギャルの女の子がベッドの上で楽しそうに話をしていた。
「それでー、ちゅープリ撮ったの!」
そう言ってギャルは顔を赤くしていた。
キスなんてしたことない私は、ギャルが大人に見えて仕方なかった。その後まもなくしてちゅープリを見せてもらうとアヤトくんが映っていた。
その後の記憶はほぼない。帰りのバスは心が虚無だった。もうあの頃のアヤトくんはいないんだとわかって、それなのに自分はあの頃で止まっているのが悲しかった。
中3になると塾が忙しくなって、次第にアヤトくんのことを考える時間はほぼ無くなっていった。
アヤトくんの志望校すらも知らなかった。
でも、6年生の時にあれだけドリルを一生懸命やってたんだから、勉強は嫌いじゃないだろうしそれなりの高校に行くんだろうなあと思っていた。
卒業間近に、アヤトくんが市内のバカ高に進むと知って、ああそうか、と思った。
もう何もかも変わってしまったんだと思った。
高校に入って、私は別の人を好きになった。
アヤトくんのことはもう頭の片隅にもなかった。
時は経って、
18歳になるころ、アヤトくんはデキ婚した。
アヤトくんがパパか。そう思ったものの羨ましいの感情も特になかった。
私は都内の大学に通い、それなりに自分の生活を楽しんでいた。成人式でアヤトくんに再会すると「俺の事覚えてないよね〜?」と声をかけられた。いや、覚えてるよ!と話して、今私は大学に行ってるよ、と話したら別の世界にいる人を見るような目で「すげ〜な!しっかりしてるんだな」と言われた。
それからまた時が経った。
アヤトくんは離婚したらしい。
ふーんくらいにしか思っていなかったが、意外なところでまた再開する。
出会いがなくマッチングアプリをインストールして適当にスワイプしていると、アヤトくんがいた。
同い年なはずなのにすっかりおじさんになったアヤトくんの姿があった。
途中まではかなり楽しく見れた、そう、途中までは。
ベルの歌唱シーンは映像もきれいで歌も聞いていて鳥肌が立つほど良かった。
ただ、終盤に虐待を受けてる兄弟のところに向かう展開は意味不明だった。
あれで全てが台無しになった。
我が子のようにかわいがってきた子が、自分がずっと好意を抱いてる子が、
どう考えても返り討ちにあって酷い目にあうかもしれない危険な場所に
一人で向かおうとするのを止めないの?なんで、周りの誰もついていかないで
一人で現場に向かわせてるの?
それでいて、東京についてからも兄弟の家を足で探すという非効率、
移動してる間に地元の連中は現場を特定しとけよ。もっと警察に通報しろよ。
なんで女子高生が虐待親父の前に立ちはだかってにらみつけるだけで、
醜いあざを全身にまとった竜のアバターがどうなったかもわからない。
終盤でUの世界が全く出てこなくなるのは、鈴も兄弟も仮想世界ではなくて
現実世界で自分自身が本来持っている強みを発揮して生きていくことを
描いていたのだろうけれど、終盤の展開は酷いことこのうえなく、
話をまとめる気もなく面倒になって投げっぱなしになっているとしか言えない。
pixivで好きなシチュが描かれてる漫画を見つけた。説明文にはその漫画の続きが置いてあるfantiaとfanzaへの誘導リンクがあった。
両サイトには全く同じデータが置かれているという思い込みがそもそもの誤算だった…。
その漫画は投稿されてから既に月日が経っているため、今からfantiaで閲覧するにはバックナンバーとしての購入しなければならず1000円かかってしまう。
それがfanzaでは200円弱で売っている。賢明な消費者なら800円を浮かせない手はない。
それで買ってみたのだが、モザイクがかかっている…。
事前にfantiaで無料プランで一部を閲覧していたのだが、こちらではfanzaのデータでかかっていた箇所にかかってなかった。
モザイクの有ることによってシコリティが半減しているのでぶっちゃけ詐欺られた気分になった。
安物買いの銭失いと言われればそれまでだし、何十万とかの詐欺で泣き寝入りしてる人もいるのに千円単位で云々愚痴るのはみっともないと自覚してる。
俺と同じことにならないように、みんなは気をつけよう!
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その絵は頭まですっぽり覆うタイプの全身タイツを着込むと男体化して、それで女と交わるという精神的レズといった感じのシチュだった。
説明文にはタイツを着ると一体化すると書いてあった。その通りまず第一段階としてタイツを着込むと胸がなくなって肩幅がっしりしてといった風に、局部以外は男性の体に変化したコマが描写されていた。
次のコマから局部にズープアップされ局部が形成されていくのだが、あくまで布越しに陰茎が反り上がっているような描き方だった。
皮膚と一体化すると書いてあったけど、局部の範囲の癒着は未完全なんだなと、というところからこちらの妄想もたくましくなってくる。
fantiaの無料プランで見れるのはここまでで、fanzaのデータで閲覧した次のコマはモザイクがかかっていてよくわかない。
モザイク越しには亀頭が描かれているように見えるので、そのコマで一連の肉体変化が完了することが示唆されているのだろう。
しかしタイツとの一体化具合まではモザイク越しでは判然としない。
タイツと一体化してないということは、そこに元の身体の形跡があると解釈でき、完全に男体化してしまっているシチュよりも、精神は女の子ということが強く実感でき、個人的には興奮するのだ。
それがモザイクのせいではっきりしないのである。なんとももやもやしてほとんど興ざめというものである。
「モザイクで隠されてる部分を自分の都合よく脳内補完すればいいのでは?」という人がいるかもしれない。
しかし視覚的情報という説得力のある刺激があるのとないのとでは大違いなのだ。
たとえるなら、好きな子の見たこともない裸を想像してオナペットとするよりも、その裸の写真が出回っているならそれを見ながらオナニーする方が興奮できる、というのと同じだ。
俺は脳生理学者でもないので理由は知らないが、とにかく脳裏にイメージを思い描くよりも物理的に固着されたイメージを視界に入れる方が効果が高いのである。
結局庵野秀明って「大きな子供」じゃなくて「子供だけど大きかった」ってのが正解だと思うんだよな
大学も自分で選んで、優秀な成果を在学中に上げて、中退してトップレベルのアニメーターと共に仕事して会社立ち上げて
結局「優秀な人」が「子供の目線に立って」作ったのが真相だと思うんだよね
結局はさ、人付き合い苦手な親父が子供と日曜キャッチボールして
「明日から勉強頑張りなよ」ってのが「エヴァンゲリオン」って作品だったと思うんだよ。子供目線から見るとさ、親父は手加減してくれてるから
「親父しょぼいなぁ」なんて思っちゃったりするけど。庵野は子供だなぁ、大人になりなよって言っちゃったりするけど
偉大な人間はさ、努力してない訳よ。努力じゃなくて夢に向かって走ってただけで
何もない人間がもがいてもがいて、結局手にするはした金の重み何て優秀な人にはわかるわけないのよ
深夜の半分寝ているようなぼやけた頭でなんとなく書いているから、おかしなところがあっても読み流してください。
10年くらい前、当時通っていたバンドの活動休止とほぼ同時にバンギャを上がった。
そのバンドが大好きでインストやツアーを全通したり、ライブにフラスタ出したり、推しのブログやイベントでのトークで出たものをプレゼントしたり……とにかく全力でそのバンドを追っかけてた。何年も。
それなりに金を落とすしファン歴もまあまあ長い古参に分類されるような位置にいたバンギャだったから、メンバーはもちろんスタッフにも覚えられていたし、良くしてもらっていたと思う。
でも、同じファンからは面白くない存在だし、実際掲示板で叩かれたこともある。ご丁寧に個スレまで立てて散々ぶっ叩かれた。
それでも当時の私は「そんなに悔しいなら金落とせば?金を落とした私が優遇されるのは当然でしょ?」としか思っていなかったし、それを煽るようにさらにお金を落とすようになっていたから若いって怖い。
メンバーが不仲だとかなんとか……よくある話。
それでも活動休止前最後のライブは全力で楽しんで、私もバンギャ活動を一旦休止した。
メンバーはそれぞれやりたいことをやっていたから推しの活動を追ってはいたし、時折推しのイベントやライブに行くこともあったけれど、バンドを追っかけていた時ほどの熱量はなくて、次第に足が遠退いて行った。
活動休止した後すぐに病気をして、その症状が進行していたせいで余裕がなかったのも足が遠退いていった原因の一つだったと思う。
学校を卒業したり就職したり、病気が再発したり、その後遺症に悩んだり……時折彼らの曲を聴いて支えにしながら月日は流れていった。
そして一昨年、彼らは活動を再開。
一桁台の番号のチケットを持って馴染みのあるライブ会場へと向かう。
当時とは違って仕事を終えてから向かったから、開場時間はとっくに過ぎていた。
最前確実なそのチケットを手にしたら、活動休止前の私なら何が何でもライブを優先して、最高の場所を陣取って、全力で楽しんでいたと思う。
でも今は違う。
懐かしいライブハウスまで続く道を歩く間、期待でわくわくそわそわしていたけれど、開場時間を過ぎていることへの焦りはなかったし、最前を取れなかったことへの悔しさもない。
そして当時と違って足元はパンプス。
仕事終わりのオフィスカジュアルな格好で会場に入り、邪魔にならないように最後列の隅っこの方でステージを見つめた。
会場が暗くなって歓声が上がって、流れたイントロは活動休止ライブの時と同じもの。
周りのバンギャ達が黄色い声を上げてメンバーの名前を呼ぶのを遠くに聞きながら、私はずっと泣いていた。
私が本当に好きだったバンドが目の前にあって、推しはあの時と変わらずステージに立っていて、あの時好きだった曲をまたこの大好きな空間で聴けていることが、何よりも嬉しくて。
セットリストはほぼ全て活動休止前の曲で構成されていて、私はそれぞれの曲のイントロが掛かると同時に泣いていた。
まさかまたこうして生で聴けるとは思っていなかったからいろんな想いが込み上げてしまったのだけれど、それにしてもアホみたいに泣いた。人間歳を取ると涙脆くなっていけない。
散々泣いてアンコールでも泣いて、楽しそうな表情を浮かべるバンギャとは正反対の泣き腫らした酷い顔で、帰ろうとするバンギャ達に流されるようにして私は会場を出た。
駅へと向かいながらふと思い出す。
あの時はライブに行けば誰かしらバンギャ友達や友達ではないけれどよく見知った顔を見かけたものだけれど、その日は誰一人会わなかった。
当たり前だ。もうあの最後の日から10年近く経っているのだから。
そしてもう二度と彼らのライブに行くことはないなと漠然と思ったのだ。
別に嫌いになったわけではないし、活動休止後も彼らのことは変わらず大好きで、曲だって聞いていた。
でも、活動再開後の曲はどうしても好きになれなかった。
彼ららしさはきちんと残っているけれど、何かが違う。
ライブが終わった後に感じたことは、私はもう彼らと共に歩むことができないということだった。
昔の方が良かったなんてことは言いたくないし、言うつもりもない。
彼らが変化して、私もまた変化した結果、私は彼らを受け入れることができなかった。彼らの"客"では無くなっただけ。
それを認められず彼らに自分のお気持ちを押し付けて彼らの邪魔をするのは絶対にあってはいけないことだから。
私は10年前のあの日に歩みを止めてしまったのだからまた進み始めた彼らに無理に着いて行く必要はなくて、再び歩き出した彼らとあの時の私のように彼らが大好きな子達の背中を見送ることが、私に出来ること。
未練も後悔もない。
あるのは「あの時は本当に楽しかった」という気持ちだけど、それも今と比べてではなく、純粋に当時を懐かしんでいるだけ。
「歳取ったなぁ」と思うことはあるけれど、それは当然のことだし。
ただただ穏やかに好きなものとお別れしたものだから、なんだか不思議でこうしてダラダラと書き殴ってしまった次第。
本当に長くなってしまった……。
今でも彼らの活動休止前の曲を聞くことがあるのだけれど、歌詞はもちろんフリまで覚えてるんだから、ちょっとびっくりする。
もしこれを読んでくれた人の中に今の彼らを追いかけているバンギャちゃんがいたら、昔も今も最高な彼らをよろしくお願いします!
あるAV女優の「わかってなさ」みたいなのが見ていて辛い。
AV女優のスキルは「魅せ方」であり、僕達の日常と地続きだ。僕達は学校で好きな子ができたり、中二病を拗らせたり、親に反抗したりして、自分の魅せ方と多少なりとも向き合ってきた。だからこそわかってしまう。彼女はそれが苦手だ。単調な演技からもTwitterでの振る舞いからも、それが見えてしまう。
ある作品ではスタッフさんに「どうすれば男を誘惑できると思いますか?」と訊かれて「おっぱいをだす…?」と答えてきょとんとしていた(うろ覚え)。きっと彼女は、エロにはシンプルな正解があると思っているんだろう。料理人は決められたとおりに具材に火を通し、画家はセオリー通りに絵の具を乗せ、AV女優はきれいな顔でおっぱいを出せば良いと、そういうふうに考えているんだろう。趣味のひとつでもあれば、何かを突き詰めることの難しさに気づけるはずなのに。「スキル」に対する解像度が粗い。
スキルもなければその自覚もないとすると、あまりに空っぽだ。せめて天然なキャラクターを演じてくれれば納得がいくのに、そういうわけでもない。見ていられない、と思ってしまう。
思い出と強固に結びついた曲があるんですよ
大学一年の梅雨ごろの、小雨が降ってる夜に、好きな子と出かけた(というほどのもんではない)ときの記憶とメチャクチャ結びついている
当時入ってたサークルは、基本的には陰キャの集まりで、キャンパスの隅でジメジメしてる感じだったんだが、6〜7月にかけてだけ、他の大学のサークルと合同でコンサートをやるっていう謎のイベントがあった
それに向けての練習がちょくちょくあったんだけど、その練習に参加する気概があったのが、新入生だと俺と彼女だけだったんだよな
あんまり知らん先輩に連れられて、電車に乗り、全然知らん街の全然知らん大学のキャンパスまでいき、小雨が降っているので傘を差し、街灯に照らされた好きな女の子の後ろ姿を眺めていた
そういう思い出がすげーある
暖かめの夜に小雨が降ってるとき特有の湿っぽい匂い 明かりが濡れたアスファルトに反射している感じ その辺の感覚をよく覚えていて、実際彼女となに話したかは全然覚えてない
そういう思い出がある曲です
昔から要領は良くて、勉強はできた。部活は好きだったし、それなりに成績も残せたから、ずっと頑張ってきた。
そのうち、勉強と部活の両方で結果を残すことが自分の特別性、アイデンティティなんだと感じるようになってしまった。
実際、勉強と部活の両立は分かりやすい「凄さ」だと思う。大抵の人間は勉強をしたことがある。勉強で結果を残すのは楽じゃないことも知っている。部活に入ったことのある人間も、それよりは少ないにせよ多数派であることは間違いないだろう。
私にとって「勉強と部活」は、手っ取り早く周りとの差別化ができるツールであった。
気づけば社会に出るような歳になっていた。
就職活動では、もちろん勉強と部活の両立について話す。それが一番の差別化要素だから。
しかし、働き始めたら、部活をしていたことは何の差別化にもならないんだろう。それどころか勉強すらも差別化になるのか怪しい。とにかく自分の仕事の出来で評価される世界だ。
もしかしたら、仕事の出来が新たな特別性を与えてくれるかもしれないけれど、そんな保証はどこにもない。
大抵の人間は、もっと小さい頃から、自分は特別な存在でないことを知っているのだろう。そうやって身の丈を知って、大人になっていくのだろう。
勉強や部活を通じて、それはそれで多くのことを学べたし、後悔しているわけではない。
すきな子がいる。
趣味を通じて知り合って、毎日通話をしながらだらだら話して、遊びに行ってお酒を飲んだりもして、お互いに今は一番多くやり取りをしている。
仲がいいのだと思う。外から見ても多分そうで、私はその子の特別で、その子も私が特別だと言う。
私は彼女が好きだと思う。私は特筆するような何かがない、空っぽでつまらない人間で、家族とも不仲で、ようは寂しいから。
でも彼女は私のことが好きではない。好きだけど、そういう好きではない。付き合ったりは出来ないよ、と返されている。
そんな彼女には昔すごく好きだった人がいて、告白してフラれているけれど今でもとても慕っている、仲良くしている、という話を、知り合った当初から聞いていた。
その人からもらったアクセサリーが手放せないし、気に入っているからいつもつけている、とも言っていた。
そっか、と素直に聞いていたけど、その人に嫉妬する自分がいて、「彼女はその人が一番なんだろうなあ」とはなんとなく思っていた。
その人も大事だけど家族みたいなものだよ、増田のほうが大事だよ、という言葉を、そっかあと話半分に聞いていた。
先日話しているなかで、彼女が副業としていまの本業とは分野の異なる仕事を始めるのだと聞いた。
どうして?と思って聞いてみたら、「友人のAを手伝いたいから、友人Aの頼みだから」と返されて、そんなに仲のいいひとなんだなあ。いいことじゃん。と他人事のように思っていた。
よくよく聞いたら友人Aは彼女が昔すごく好きだった人だった。
Aは既婚者だから。って言ってたけど、家族だからって言ってたけど、それでも好きなんだよね。そういう好きではないのだとしても、本当に大好きなんだろうな。
そのポジション、当たり前だけど私ではだめなんだな。そうにはなれないんだな。
全部納得がいって、なんだかもうどうでもよくなってしまった。心がぎゅっとして、それからさっと冷める感覚だった。
これからどういう顔して会えばいいんだろう。
一番になれなかったから彼女のことをもう好きだと思いたくないのか、彼女のことが分からないのか、どれが原因でこういう気持ちなのか分からないけれど、みっともない嫉妬は疲れるし、報われないのに思い続けることも出来ないし、もういいかなと投げ出したい。諦めたい。
すきな子がいた、といいたい。
でもまだすきな子がいる。