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はてなキーワード: キリストとは

2017-04-28

俺、宗教ってよくわかんねーんっすけど、異宗教ってやっぱ敵対するんっすかね?

ほら、イスラムって過激でそれをキリストは巨大な軍事力で対抗みたいな感じでなんか怖いっしょ。

それみたいに、創価学会幸福の科学敵対してるとかってあんのかなって。

どうなんすかね?

2017-04-26

http://anond.hatelabo.jp/20170425210458

わかる

この世に宗教キリストイスラムだけあればいいと思う

仏教なんて俗世に塗れたゴミものB級宗教しかない

崇高さがない

2017-04-22

しまじろう!トリッピーのおじいちゃんが生活保護だということをTwitter拡散したらだめじゃないの!トリッピーのお父さん不信任案うけてるわよ!今日はご飯抜きです!

「はーいごめんなさい」

最近アニマル高校での成績が振るわないしまじろう

ANIMALと称される中堅大学の判定がすべて軒並みE判定だった一方

父親市長であるリッピーはアニマル医学部A判定で予備校から奨学金ももらえていて、なんだかしまじろうはトリッピーに殺意が湧いたよ。

一度お弁当にとり肉を入れてこれみよがしに食べて挑発して喧嘩になったけど空手部長のトリッピーに戦いを挑むなんてただの馬鹿であったということを思い知らされるのみであったよ。

しまじろうは日に日に彼への憎しみを募らせ彼を社会から抹殺したいという願望を抱いている自分に気づいたよ。

しまじろうはなけなしのお小遣いを叩いて探偵にトリッピー家の弱みを探る依頼をしてみたよ。

そして掴んだ情報がおじいちゃんの生活保護受給というもので、

それを知ったしまじろうは一日中キリスト感謝の祈りを捧げていたよ。

今トリッぴーのお父さんはマスコミからバッシングを受け、不信任案が可決、トリッピーは自主退学手続きを終えたよ。

2017-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20170416234055

なんか分かるような

キリスト教って仏教より人にフォーカスしすぎてる気がしてる

人類信者)の罪の引き算をしてくれるのがキリストって発想ははじめて知ったわ

メンヘラには子供の頃キリスト教教育を受けていた人が多い

というTweetを読んで確かにと感じた。

自分の周囲を見回してもこの傾向はある。

で、理由を考えたのだけれど、おそらく「原罪」の概念の受容の仕方に問題があるように思う。

原罪というのは人がみな等しく抱えている罪であり、キリスト人類の代わりに罪を背負って死ぬことで我々は神から赦された、というのがキリスト教教義なのだが、

このキリストの死による人類の救済というストーリィの御伽話っぽさに比べて、原罪という概念リアルである

我々はいろいろな欲望を抱えて生きている。

中には人に言えないようなものもある。

欲にまみれた人間であるところの自分が、完全に正しくあれるということはありえない。

我々は罪人であるということを強調するキリスト教教育の中で、この認識ますます強まっていく。

だがこの流れに対して我々日本人キリストによる救済というもう一つの側面をいまいち信じることが出来ない。

それは歴史的文化的にそういう社会の中で育っているのだから仕方のないことなのだが、

この原罪リアリティと救済のアンリアリティによって、日本人はただ罪の意識のみを内面化する。

それがある種の人たちの自罰的な傾向を生んでいるのではないか、というのがわたしの考えだ。

キリストによる救済を信じることの出来ない彼らは、自らが十字架にかけられて死ぬことによってしか己を赦すことが出来ないのである

2017-04-06

前提に乗った方が楽っつって結局こどもがいようが孫がいようが死ぬのには変わりないんだけどな

それ悟ってたかキリスト仏陀子ども作っても意味ないよって言ってたんだし

2017-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20170328145139

それならキリストよりも性交者を世に送り出してるナンパ師の話の方が100倍有りがたいんだが

あと実際教えを広めてるのがヤリチンですらなくて童貞たちだろ

ヤリチンの方は本にすんなっつったのに童貞たちは守らなかったしヤリチンの教えそのもの形骸化してる

もはや経験ですらない

一連の流れでキリスト人差し指を天にかかげてリングインする姿しか思い浮かばんかったわ

http://anond.hatelabo.jp/20170328144103

キリストが最強だとしてもキリストと同じ経験できないなら改宗する意味ないんだが

教祖ヤリチンだとしても俺がセックスできないなら意味ねーだろ

http://anond.hatelabo.jp/20170328143916

実際に死んで復活したキリストは最強ということだな

2017-03-27

http://anond.hatelabo.jp/20170327070448

西洋文学キリスト教が多出すんのは常識的な話で、それと全く関係のないけもフレを持ち出して、

「ほらね、いくらでも恣意的解釈できますよ」という手法は悪意しか感じない。

文脈とは恣意的解釈だ、というツッコミを以前から入れたがってる増田が一人いたけど、

仮に君がそうだとして君自身がそれを再演することで君の無理解がはっきり分かっちゃっただけだと思う。

恣意性を完全に廃止すれば必ずしも隠喩元ネタイコールにならないものばかりになってしまうのだけどね。

これはその増田がいってた主張を元に反論してるんだけどさ。

要するに件の増田は以前から砂糖水の効果についていぶかしがっているわけだ。

じゃあ完全に整合性のある論理世界に生きたらいいんじゃない、という感想しか思い浮かばない。

だいたい件の聖書の話にしたって、話中にいばらの冠とかそのまんま出てきたら関連性に言及すんのは当たり前でして。

論理的に考えるなら茨の冠が出たからと言ってキリストを示しているとはいえない、となるわけでしょ。こんなもんただの暴論ですよ。

まあ別人だったらどう思ってんのかしらんけど。

けものフレンズ聖書かばんはイエスキリスト

かばんはイエス・キリスト

けものフレンズという物語は、キリスト言行録たる福音書である

ジャパリパーク女性フレンズしかいないのは、キリスト処女懐胎を暗示している

フレンドにとってのヒトとは、人類にとっての神。

ヒトに似せて作られたフレンズとは、神に似せて作られた人間

ミライは神そのもので、かばんはその神の子

かばんと、ミライ、および精霊たるサンドスターとは三位一体

サンドスターがなぜかばんと一体なのかというのは、もとのキリスト教三位一体説もかかえる矛盾

かばんが現れるなりセルリアンに襲われるのは、ヘロデ王が赤子を皆殺しにしようとしたことに相当する

そこでかばんを助けるサーバルは、イエスを救うためにエジプトに逃げた聖母マリア

サーバルは同時に、イエス最後を見とるもう一人のマリア、すなわちマグダラのマリアでもある

かばんを導くラッキービースト洗礼者ヨハネ。不幸な最後が予想される

かばんを泥棒扱いするが後に改心するアライグマは、改宗パウロおよびサウロ

かばんが各地で行う数々の偉業は、イエスの行った奇跡

ジャパリパークに広がるサンドスターローとは、サンドスターにより知恵を得たフレンズが同時に得た原罪

サンドスターローにより力を得るセルリアンは、蛇であり、悪魔であり、同時にイエスに害をなすヘロデとその一党

原罪サンドスターローにより力を得たセルリアン)を背負って倒れたかばんは、神性をあらわしミライとして蘇り、フレンズがいつか神の国(彼の世界人間世界)へ召されること、またミライがいつかふたたびジャパリパークに現れることを告げて去っていくだろう

このようにけものフレンズとは、動物物語にみせたキリスト宣教受難、そして復活の物語にほかならない

そしてまた本稿は、人間というものは全く関係のない事柄の間にいくらでも共通点を見いだせるものであるということの証左である

2017-03-26

http://anond.hatelabo.jp/20170326083635

クリスマスハロウィンは、沿革をたどればキリスト教関係の薄い行事だし、オカルト色も抑えめだったからまだ受け容れられた。

けど復活祭はどうかなぁ。ガチガチキリスト教お祭りだし、「キリストが復活した日」と言われても「はぁ?オカルト?」って感じじゃない?

※追記

今ぐぐったらどうも復活祭も元は異教徒お祭りだったみたいだな。

2017-03-25

幼女戦記リーマン時代のターニャが、宗教弱者がすがるために生まれたと言ってたけど、

それは非常に現代的、社会機能的な物の見方であって、信仰に至った畏怖とかが抜け落ちてる。

キリスト以前の一神教であれ神は理不尽で、それをお諌めするために人柱が立ったりした。

後半こういう暴力的な神という原始的宗教に対する発想も出てくんのだろうか。

展開上キャラに言わせてんのか作者が言いたいのか。

2017-03-24

http://anond.hatelabo.jp/20170323213235

ロンギヌスはキリストを挿した人な。

まりロンギヌスさんはホモ

2017-03-09

何故、今回の茂木の主張はおかしいのか?

茂木健一郎Twitterが盛り上がっている。(一番盛り上がっているのは茂木自身だ)

なにやらTVに出ているコメディアン国際的水準に満たない陳腐な笑いに辟易してるらしい。(笑い話では無いようだ。)

しかし、なにやら今回の主張は違和感がある。なぜ、コメディアン国際的水準に合わせないと日本芸人オワコンになるのだろう。ネトウヨがこの論理を使えば国際的に見たとき日本憲法国際的水準を満たしていないかオワコンだ、となりそうなものである。(実際にあったよね。)

冷静に見て、明らかに今回の茂木の主張はその国固有の文化に対する感性が発揮されていない。

本来茂木日本マスメディア殊にテレビ報道に対する姿勢が、今回の主張のような論理であったはずだ。この先茂木は、政治報道お笑い映画音楽小説コラム......と続いてついには日本人精神構造欧米人に達していない、キリストを崇拝すべきだ、とも言いかねない感じもある。(あるいはない。)

兎に角、なぜお笑い固執するのか訳がわからない。

私の診断はこうだ。マスメディアに対する積年の恨みを書いていたら突然テレビ日本お笑い怪獣東大生と仲良く馬鹿をやっていた。茂木東大生劣化を憂いつつトランプ代表されるような、各国のナショナリズムの高まり、および人種差別運動の拡がりが駆け巡り、アカデミー賞での気の利いたユーモア(少なくともアメリカでは気の利いたという事になる)と、こんな日本不安に苛まれている時に実に緊張感(ここで言う緊張感とはお笑い芸人の芸に関するものではなく、政治に関する鋭い批評の事である)のない笑いに、、、キレたのである

日本お笑いの真っ当な批評別にあるはずだ、と思わせるくらいに茂木の主張が陳腐なのはこのような理由からだろうとしか思えない。(陳腐というのは日本コメディアンと一括りにする乱暴さと、先述の固有の文化に対する感性の薄さである。)

お笑い芸人達が鎬(しのぎ)を削って作り上げた真っ当な日本の笑いが今後も、例え憲法改正され日本が何処かの国と戦争しても、ヘイトますます勢いを持っても、茶の間にあり続ける事を願うものである

2017-03-01

大川隆法守護霊シリーズって

どうもー!エルカンターレです!

イエエエエエエェェェェ!

宗教を愛し!宗教に愛された男!

キリスト釈迦ムハンマド

すーーーーべての教祖の生みの親!

ひとよんでー!エー!ルー!カー!バゴーン!ンターレエエエエエエエエ!

オケー!イェェェェエエエエエエエエ!

みんな!究極のモノマネって、イタコだよね?!

オッケー!北枕カモーーン!

バゴーーン!

どうもー!守護霊のー!

  

こんな感じかな。

2017-02-26

[]

さびさに中島敦山月記』を読んだら、だいぶ読み方が変わって驚いた。

以前は、強烈な自尊心ゆえに友人や先生に教えを請えないエリートが没落した様を描くことで、「つまらないプライドは捨てて生きていかないとロクなことにならないよ」という教訓を言う話だと思っていた。

が、この読みはどうも浅薄というか、人生の敗北者にとっては厳しすぎるのである。というか結論だけ抜き出せばそこらの自己啓発本と変わらないような気がしてきて、作品価値矮小化しているような気さえしてくる。

そこで、もう少し人生の慰めになるような読み方はないか。と考えていたら、これは「理不尽な世の中に自分を合わせられない不器用な男が、苛烈自己責任論で自分を裁いてしまい、自分を受け入れてくれる神も持たなかった結果、精神的な苦境に陥る話」じゃないか、と思い始めた。

中学生の頃に読んだときは、李徴は周囲に教えを請いたりできないプライドの高い男だな、と思ったが、(浅い)人生経験を積んだ今、改めて読むとそうでもない。

李徴が詩人を志したのは、(功名心もあっただろうが)第一には心を揺さぶる先人の詩があったからだろう。そうなると、そうした詩を書く者が周囲にいれば、これに師事したり教えを請いたりしたはずである

それにもかかわらずそうしなかったのは、自分の追い求める詩人像に値する者が周囲に居なかったからだろう。

自分の追い求める理想像と、②世で「名を成す」者とがズレることは、現実社会でもしばしばあることである

李徴は、このズレに気付かないまま自分理想像を追い求めていったことで、世で「名を成す」ことができなかったばかりか、周囲の人間と折り合いがつかなくなり、「努めて人との交を避けた」結果、「一匹の猛虎」となった。

他方、周囲にいた「己よりも遥かに乏しい才能であ」る者は、世で「名を成す」道を「専一に磨いたがために」、「堂々たる詩家」となった。

李徴は理不尽な世の中に自分を合わせられず、ひたすらに理想を追い求めた結果、社会的に失敗してしまったのである

これはカフカ『変身』で、社会の求める市民像──(ⅰ)家庭の善良な息子、(ⅱ)有能なセールスマン──を演じていたグレーゴルが、自己本来性の自覚を持ってしまった瞬間、褐色の虫に変身してしまったのと似ている。

現代社会ルールでは、人間自己自身本来性を保持することを許さないのである

そして、李徴が不幸であったのは、上述した社会ルールに、他ならぬ李徴自身支配されていた点にある。

李徴としては、徹底的に社会を突き放し、自分理想像を追求するという途もあった。

しかし、「元来詩人として名を成す積りでいた」李徴は、世で「名を成す」努力をできなかった自分を徹底的に断罪するのである

事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ

李徴の詩を聴いた袁の評価によれば、李徴の詩は「長短凡およそ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりであるとある

第一流の作品となるのには、何処どこか(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがある」とは言え、この自己評価は言い過ぎである

それに、はっきり言って実社会でこんな話は”よくある”ことなである

ここで想起されるのは聖書の『ヨブ記である

神の手により不幸のどん底に落とされる義人ヨブを、自己責任論に基づいて徹底的にこき下ろす友人エリファズの話だが、どうも李徴の中にはヨブとエリファズが同居しているように思える。

さらに、上記のヨブ記ラストにおいて、ヨブは「仲保者」(=キリスト?)の存在確信することで救われるが、李徴にこのような仲保者は現れない。

ただ、「向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。」というだけである

また、カミュ異邦人』も想起される。

これも社会ルールに合わせられないムルソーという男の不幸を描いた作品である

ムルソー物語ラストで、このような自分排除せず「優しい無関心」を示す自然存在に気が付き、幸福を得る。

他方、李徴は「獣どもは己の声を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮っているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。」というだけである

ここに来て、山月記という作品は「理不尽な世の中に自分を合わせられない不器用な男が、苛烈自己責任論で自分を裁いてしまい、自分を受け入れてくれる神も持たなかった結果、精神的な苦境に陥る話」じゃないかと思うのである

2017-02-19

http://anond.hatelabo.jp/20170219120016

なんか誰も書いてないから書くけど。

キリスト教神様が教えてくれた道徳を守れば幸せになれる

は違う。聖書に書かれた道徳は守れないことが前提になってる。たとえば「街歩いてるエロい女見てもスケベなことを考えるな」とか無理っしょ。神様もそこは分かってくれてる。

肝心なのは、その道徳を守れないこと、すなわち罪をきちんと自覚しましょうということ。これらの罪を俺たちの代わりに贖ってくれたイエス・キリスト信仰しましょう、そうすれば罪も許されて天国に行けますよ、という教え。

なので冒頭の文章を言い換えるなら、

キリスト教道徳を守れないことを自覚し、キリスト信仰することで幸せになれる

ってとこだな。

ちなみに、え!じゃあ信仰さえしていれば何してもいいんですか!?みたいな疑問が生じるかもしれないが、カトリックプロテスタントを分かつ大議論に発展してしまうので、この辺りは自分で調べてくれい。

2017-02-14

お寺の娘が考える宗教の話

私は室町時代に開山した真言宗豊山派の寺に生まれた。

そんな私は宗教とは、地球が丸いということや、万有引力存在することと同じような、この世界法則の一つだと思っている。

世界中で多発的に宗教が勃興し、今もなおそれを信じる人がいるということは、不思議なことであるとは思わないだろうか?流石にキリストが本当に復活したとは考えづらいとおもうが、「言霊」や「イメージ」が願望にもたらす影響は看過できないものがあると考える。

宗教を信じていない日本人でも、イチロー毎日イメージトレーニングをして夢を叶えたことはご存知の方も多いだろう。「100%疑うことなく何かを信じて願えば、願望は叶う」というシステム存在すると思う。元来、宗教はそれを統合して一つの系体化したものであったのだと思う。それをお金儲けや政治に利用することで、完全に信じるということが出来ない人が生じ、その結果宗教信頼性が低下したのだ。

宗派はもはや関係ない。願望実現能力は皆持っているはず。

大川隆法の経歴笑っちゃうよね

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E9%9A%86%E6%B3%95

来歴

生い立ち

1956年6月徳島県麻植郡川島町(現在吉野川市)に、畜産コンサルタントであった[4]父・善川三朗[2](本名中川忠義)と母・君子次男として生まれる[4]。出生名は「隆」。吉野川市立川中学校徳島県立城南高等学校卒業。幼少期の頃は、GLA高橋信次生長の家に感銘を受けて日本共産党活動家から転向した父[9][10]に「聖書」や「無門関」について教えられる[4]。10歳の頃、将来の夢は学者外交官だったという[4]。一浪の後1976年東京大学文科一類入学し[4]政治コースに進む[2]。ハンナ・アーレント研究論文作成した時には、教授からマチューアー(成熟している)」という評価をもらったという[4]。その後、司法試験国家公務員上級試験受験したがいずれも不合格となり、また学者の道に進むこともなかった[4]。大川は、司法試験について論文問題学者的な視点過去判例批判する答案を提出したために合格できなかったとし、大学に残らなかったのは自分師事すべき教官がいなかったと悟ったためと自らを振り返っている[4]。1981年法学部卒業し、総合商社トーメン(現豊田通商)に入社[4]。翌年1982年8月ニューヨーク本社研修生として派遣され、その間にベルリッツ語学学校ニューヨーク校を卒業[4]、ニューヨーク市立大学大学院センターで国際金融論を学んだ[8]。

大学卒業して商社マンとして勤める一方、この時期に宗教家としての「霊的覚醒」が始まったとされる[8]

東大法学部出て,ビジネスマンやって,法的に問題ない金儲け思いついただけじゃねーか

せめて,キリストブッダアッラーばりの逸話作れや

2017-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20170206224731

日本場合キリスト教信者ってだいたいマッチョ弱者馴れ合いかで極端じゃない?

はてなの某さんもそうだけど、

選択重要ダメなやつはちゃんとした選択をしてこなかった自己責任死ねくらいの勢いで発言するやん

キリストを信じてないかダメみたいなマウント取るマンが愛を語ってもね。

自分たち欠点があるから白眼視されてるだけ、という。

2017-02-06

平等な不幸は素敵ですねとしか言いようがない

痛み分け総キリスト症状、いいね!

映画沈黙 サイレンス」に便乗してキリスト教入門を語ってみる

映画沈黙サイレンス‐」がそこそこ流行っているみたいなので、便乗して「映画を見に行きたいけどキリスト教については何にも知らねーよ」という人に向けた「キリスト教とは」みたいな文章を書いてみたいと思う。

私自身は某プロテスタントの家庭に育った人間なので、どうしてもその宗派に寄った解釈というかバイアスは避けられないと思うけど、今回は可能な限りキリスト教最大公約数を目指して当たり障りのない範囲解説をしていきたい。

ちなみにタイトルは半ば釣り。「沈黙」はカトリックベースの話なので、どこまで私の話が参考になるかは分からない。

私自身、原作は読んだことがあるけれど、まだ映画館には足を運べていないので、その点は事前に了承しておいてもらいたい。

 

ポイント1 神様世界をすべて作った

キリスト教神様は全知全能。ミスも犯さないし、世界のすべてを知っているし、できないことも何もない。で、そんな神様が「光あれ!」と言って、世界ができた。「天地を創造された」ってことになってるけど、まあ、宇宙を作ったって解釈問題ないと思う。

 

ポイント2 神様人間自由意志を与えた

神様世界を作った後で、エデンの園って場所地球上のどこか)に最初人間を作った。アダムとイブ宗派によってエバ・エヴァとも)ってやつ。神様人間絶対服従のロボットみたいにすることもできたけど、あえて自由意志を与えた。自分意志神様を敬うようになって欲しかったって解釈でいいと思う。

で、「お前ら基本的に好きに生活していいけど、園の真ん中にある木の実(「善悪知識の実」とか、翻訳によって色々)だけは食べちゃダメよ」って人間約束した。

 

ポイント3 罪の支払う報酬は死

案の定アダムとイブ約束を破って木の実を食べちゃった。

元々、神様人間を「不老不死」で「罪」も犯さな存在として作っていたんだけど、この約束違反をキッカケに人間は罪を犯すようになってしまった。

「罪」の解釈は難しいテーマなのでサラリと流すけど、とりあえずキリスト教的には、人間ってのは普通に生きていれば呼吸をするようなレベルで罪を犯す存在。それくらい厳格な基準で罪と判別されることになっている。要するにキリスト教的には人類100%罪人ってこと。

そして「罪を犯した人間」はワンミスでも即「永遠の命」の権利を失う。理由については宗派によって解釈が違うかも知れないので触れない。ここでは、とにかくそういうルールだと思って貰えばいいと思う。

 

※余談だけど「神様は全知全能なんだからアダムとイブ約束を破るの初めから分かってたんじゃねーの」というツッコミは当然ある。長くなるし議論にもなるところなので端折るけど、この手の分かりやすツッコミどころ(いっぱいある)に関しては、基本、前人たちの手によって何かしらのエクスキューズっていうか言い訳が用意されているので、興味がある人はまずは調べてみるといいと思う。

 

ポイント4 イエス・キリスト人間の代わりに死んでくれた

人間は罪を犯す存在になり、そのために永遠の命を失ってしまったんだけど、神様人間を見捨てなかった。「罪の支払う報酬は死」っていうのがルールなら「罪を犯してないヤツ」が代わりに死ねば、罪を犯した人間の「死」はノーカンになるよね、って理屈で身代わりを送り込んでくれた。それがイエス・キリスト

このイエス・キリストっていうのは、神様本人でありながら神様の息子でもあるという複雑怪奇存在しかも、神様でありながら人間としてこの世に生まれてきた。もう訳が分からんと思うけど、この辺も宗派によって超議論になるところなので、今回はそういうもんだとしてスルーする

とにかくイエス・キリストは、人間として生まれ大人になったけれど、その間、一切罪を犯さなかった。そして、そのまま人間たちの手によって十字架にかけられて殺された。「罪を犯さなければ死ななくてもいい」っていうルールだったのにキリストはあえて死を選んだ、という解釈が正しいかどうかは怪しいけど、まあそう考えると理解やすいだろうか。

 

ポイント5 信じるものは救われる

そんなこんなで、人間の罪はキリストによって帳消しになった。ただし、神様あくまでも自由意志にこだわるので、これを受け入れるかどうかは依然として人間次第。だから人間が罪を帳消しにしてもらって「永遠の命」を取り戻すためには「サンキュー神様、身代わりありがとね」と神様宣言する必要がある。

何をもって宣言したとするかについては宗派によって色々だけど、まあ「洗礼バプテスマとも)」と呼ばれる儀式を受けるのが一般的。「心で受け入れればそれでOK」なんて解釈もある。逆に、あれこれ義務的な内容が追加される宗派もあるけれど、ベースに「身代わり理論」があることは変わらないはず。

 

ポイント6 「永遠の命」「死後」「最後の審判」の解釈は様々

人間個人の罪は身代わりによって帳消しになったけど、依然として人間が罪を犯す世の中は続いている。だから神様はどこかの段階でこの世界を一旦終わらせて、もう一度、罪のない世界を取り戻す(最後の審判)。そのとき、罪を帳消しにしてもらった人間は「永遠の命」が与えられる。とまあ、実のところ、この辺りまでが大体どの宗派でも共通しているだろうっていえるギリギリの線。

じゃあ具体的に「最後の審判のあとどうなるの?」とか「最後の審判の前に死んだ人間はどうなるの?」とか「『永遠の命』を貰えなかった人間はどうなるの?」とか、細かい話は本当に宗派によって色々なので、もうここでは一切触れない。

まあ、「永遠の命」を与えられた人間が、最終的には「天国(あるいは天国的なところ)」で幸せ暮らします、っていうのは多分共通だと考えてもらっていいと思う。あと「永遠の命」を貰えなかった人間は少なくとも幸せな結果を迎えられないってところも、多分共通

 

おわりに

とまあ、後半は特に曖昧表現が多くなったけど、キリスト教最大公約数的な説明をするなら、多分こんな感じになると思う。

本当は、これを踏まえて「一般的日本人クリスチャン意識や考え方が噛み合わない理由」みたいな話もしたかったけど、長文になったので、それはまた次の機会にしたいと思う。

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