はてなキーワード: とうらぶとは
銀魂リボーンのころは腐ってばっかりだったけど、とうらぶで夢いけるようになったのも一緒。
男性向けエロに関してはわたしも痴漢とか夜這いとか「意に反する」系が大好き。
1.BLに関してはエロより恋愛模様のほうを重点的に消費していたから恋愛自体に興味というか憧れが強かった。
2.わたしは恋のしかたも異性の愛し方もわかんないうちからオナニーが大好きになって、どうしても誰か乳首を舐めたり膣にペニスを入れたりしてほしいという思いが強くなった。セックス要員がほしくて、コクられたら好きでもないのに付き合ったりしてた。
という点か。
自分が性的な当事者になるのが恥ずかしくなくなったのは、27で初恋してからだな。
それまではセックスはただ快楽を得るためだけの刺激。マッサージ屋のようなものだった。最中に名前を呼ばれたりキスされたり顔をジロジロ見られるのは苦痛で仕方なかった。気持ちよくなかったら絶対しないのに!と思いながらしてた。
恋人と抱き合うようになってからは、今までのセックスはなんだったのだ。というくらい別物になった。
痴漢でも夜這いでもレイプでもないフツーのセックスしてるけど、心から満たされるしとてつもなく気持ちがいい。
つまり、いろんなことに理性的になるまで先送りにしていたせいで、ちょっといろんなことにハードルを感じるかもしれないが、やってみれば案外なんとかなることが多く、やってみないとなんともわからんことも多いので、深く考えずに飛び込んでしまえば良いと思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/shonenjumpplus.com/episode/4856001361117458435
オサムの最新刊とうたプリの騒動見て少々エピソードを思い出したのでここに記す。
うたプリが完全に炎上するちょいと前、うたプリ(しかゲームをやっていない)単推ししかやってない我友は割りと消耗していた。
その気持は吾輩には分からぬ。なにせツイステもFGOもとうらぶも動きがあるからである
正確に言えば、全部合わせれば推しが止まることはほぼないと言っていい
・映画の帰り道に、FGOに関連する映画やアニメを紹介して、興味を引く工作。
・TDLの待ち時間で、キャラクターの因果関係や、寮での立ち振る舞いについて、延々と語る。
・友達が何か悩んでいるときに、とうらぶのキャラの口調で理解を示しました。
・友達がスマホを借りたときに、堂々と公式アカウントをフォローしました。
そして、私は姑息な工作を繰り返し、半年後あたりにようやく友達がFGOにハマってくれました。
きっかけは、偶然見たFate/Zeroのアニメで、推しはウェイバーちゃんでした。
彼女が新しいコンテンツにハマったことで、私たちは一緒にプレイすることができるようになりました。
ツイステはダメそうです。とうらぶは味がうすいそうです。それはまあ、そうなんですが
以下ChatGPTにこの文章を読みやすくしてと頼んだら出てきたエピソード。
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それまでは、彼女が興味を持っているコンテンツに私たちも一緒に参加していたので、一緒に楽しめるものが少なかったのです
彼女が新しいコンテンツにハマることで、私たちの関係もより深まりました。
私たちは共通の趣味を持つことで、より親密な関係を築くことができたのです。
今では、彼女はFGOの大ファンで、新しいキャラクターやストーリーについて常に私たちと語り合っています。
私たちは、彼女がFGOにハマってくれたことにとても感謝しています。
私は、友達が新しいコンテンツにハマることを通じて、彼女に自分の好きなものを押し付けたわけではありません。
むしろ、彼女が自分で新しいコンテンツを発見し、それに興味を持つことを促しただけです。友達に新しいコンテンツを紹介することは、
自分の好きなものを共有することで、友達との関係をより深めることができる方法の1つです。
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君の名はからこっち出すもの出すものすごい話題になるしすごい人気だからちょっと気になるなー、と思ったんだけど、君の名はもおおよそ劇場には行けないなと思ってたまたま覗いたネタバレ(自分で視聴するのが決まっているもののネタバレ踏むのは嫌だけど、それは自分で見に行った)で、あ、これ行かない方がいいやつだってなった。
人によると思うんだけど、増田はなんかいつからか時間修復モノがすごいダメになっちゃったんだよね。
ある悲劇が起きて、その悲劇を起こさないために時間を遡って悲劇を回避するって、いいじゃんよかったじゃんって思うんだけど、その悲劇の延長にあったはずの人の人生ってどうなっちゃうんだろって思っちゃう。
とうらぶは、それがどれだけ残酷な結果でも、現在の歴史を正として、変えようとする敵を討つというコンセプトらしく、増田にとってはその方がなんとなくしっくり来る。ファンタジーなんだからそこの悲劇が取り除かれたね、みーんな幸せみんなハッピーだね、でいいじゃんって思うんだけどダメなのよ。
そんで、今回の「すずめの戸締り」も、まあ観に行かないしなと思って色々観てみたら、どうも東日本大震災と神話的要素が絡めてあるようなことを知って、またしてもちょっとゲンナリしてしまった。
人の祈り大地への感謝で待ちます人も災害から守れるなら、それはそういう完全ファンタジーとした方が良かったんじゃないのかなと思う。
科学のことが何も分からない世の中なら、そうやって考えられていたんだと思うよ。現代は違っていて、それでも地震のメカニズムなんか分からんことだらけでしょ。そんで、東日本大震災は、たとえば生まれた街に帰れなくなった人も、結果家族と会えないきりになってしまった人もいまだにいるわけでしょ。どうして現実に起きた災害と混ぜちゃったんだろう。増田の感覚では他所でやってくれ感がすごい。でも結構好評だよね、考えすぎなんかなぁ。
どういう意図があるのかわからないけど傾向として中国産のゲーム多め? 単に世界展開してるタイトルかどうかだけかもしれない
例:
#閃乱カグラ(崩壊シリーズのタグと一緒になぜか投稿されてる)
https://twitter.com/search?q=%23%E9%96%83%E4%B9%B1%E3%82%AB%E3%82%B0%E3%83%A9&f=live
#崩壊学園
#パニグレ
#NIJISANJI_EN
#GBVS
#とうらぶ
#フードファンタジー
#fanart
#プリコネ
https://twitter.com/search?q=%23%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%8D&f=live
#FGO
#グラブル
例:
ن بلهفة الطريق
##
たび
@mesotabi
こんな引用RTを頂いたので「へ~、有馬温泉そうなんだ」と思いRTしつつ調べたら全部大嘘だった。あの手の方々の「自分の気に食わないものに対して、嘘を使ってでも少しでも営業を妨害してやろう!」って意識はもはや異常だよ。普段訴えてるの差別だ被害だもどこまで本当なのか信用できなくなっちゃうよ
https://pbs.twimg.com/media/FEscysUaUAIjqt3.jpg
https://pbs.twimg.com/media/FEsc_ymaUAIGBt_.jpg
https://pbs.twimg.com/media/FEsdOjraMAAlpdM.jpg
温泉むすめデマばらまいてる人、アカウント見に行ったらとうらぶには肯定的だった
@milk_____purin
https://twitter.com/milk_____purin/status/1461924244778995712
「人格を持った多様な姿」じゃないと駄目ってどういうこと?
『宇崎ちゃんは遊びたい!』の主人公である宇崎花も、『ラブライブ!サンシャイン』の主人公である高海千歌も、どっちも人格があるように描かれてたじゃん! 作品中で豊かな感情表現しまくってたじゃん!
キズナアイとか戸定梨香とか、VTuberなんだからめっちゃ人格あるじゃん! 「中の人」の自己表現そのものじゃん!
『ストライクウィッチーズ』の宮藤芳佳も、『ハイスクール・フリート』の岬明乃と知名もえかも、めちゃめちゃ人格あるように描かれてただろ! スト魔女劇場版の「だから何なの!?」は彼女がただの従属的な客体なんかじゃないことを示した名シーンだし、はいふり劇場版ではもかちゃんが武装組織の上層部を手玉に取る能動的な主体として描かれてただろ!
ジェンダーの多様性がどうこう言うなら、イケメンを描いた「公的」ポスターもいっぱいあるだろ! Mマスとかとうらぶとか!(anond:20210929114403; anond:20210927203725)
なんでこういうひとたちって、「広告というのは何種類もある」という当たり前のことが理解できないんだろう。
Ayrtonism 「場所を選べ」が「理不尽な攻撃」かあ。そこは「みんなの場所」なんだから、誰も「自分のもの」にしちゃいけない。「理不尽」という表現はその点が分かってないことを示してはいないか?
例に挙がってる宇崎ちゃんの献血コラボの例で言えば、日赤は過去に『刀剣乱舞』とコラボしたこともあるし、献血ルームに行けばAKBや羽生結弦みたいな三次元の美男美女の啓発ポスターが普通に貼られてるよね。警察のコラボで言えば、暴力的な映画とがんがんコラボしまくっている(anond:20210924121153)。
色んな種類の広告やコラボがあって、そのうちの1つとして男性オタクが好むようなものもあった、という話なのに、まるで男性オタクの好む表象だけが公的な場を独占してるかのように書くのは普通に認知の歪みでしょ。
なに? それとも次からは羽生結弦やとうらぶのコラボポスター見かけたら「イケメンばかりをポスターに採用するのはルッキズムだ」とか「男性は逞しくあれというジェンダーステレオタイプの押し付けだ」とか「男性ばかりをアイキャッチとして採用するのはジェンダー平等に反している」みたいに喚き散らせばいいの?
広告は、たとえそれが公共のものであっても、必ずしも万人に刺さるものじゃなくていい。万人受けする無難なものよりも、特定の集団に強く愛されるものの方がよっぽど集客力を持つことだってある。そのうえで、いろんなターゲットに向けた広告をいくつも打てばいい。男性向けのコラボと女性向けのコラボを交互にやれば男女平等だろう。広告にはイケメンがいていいし美少女もいていい。
公共の場は「みんなの場」である、というのは、つまり、いろんなひとがいていい場ということだ。公共の場は、自分には理解できない価値観を持つひとたちが行き交う場で、本質的に猥雑で多様なものだ。そこには当然、オタクの場所もあっていいはずだろう。
私は最初期のジエンドが出たあたりからやっている、まぁおそらく「そこそこ長い間やっていたプレイヤー」で、名称指定系が大半を占め得ていた時代からレギオンあたりまで中断してまた再開した人間でした。
今回のオーバードレスが始まるに関してスタン落ちをしてまた1から始まるので、「まぁちょっと様子見てやろうかなー」と思っていたのですが、
刀剣乱舞のカード効果を見てヴァンガードはもうダメかもしれない。
(先にここ宣言しておきますが、刀剣乱舞のコンテンツが悪い。と言うわけでは全くございません。)
と思いました。
先の()内でも記載しましたが、これに関しては刀剣乱舞が悪い、ということでは全くなく「ヴァンガード運営のカード制定が本当にやる気がない」という部分がタイトルにつながります。
だらだらと記載しても仕方がないし、プレイヤー以外の方は見たりはしないと思うので、ルール等の説明などは無しにささっと理由だけ。
刀剣乱舞のメインカードの効果の強さのバランス取る気ないでしょ?コラボブースターでこれって本当に管理者OKしたのか?
通常ブースターならハズレトップレアなど入っている場合でもそれを使用しなければ他の選択肢が出てくるというのがあるので、まぁ許せるかもしれない。(箱を買った時にそれが出た時は許せないけど)
それに比べ、コラボブースターなんて下手したら1回出したら二度と強化されない。されても年に一回あるかないか、という更新の低さ。更新の低さ自体は権利関係で頻繁にできないなど色々あると思うので仕方がないのですが、初期刀での能力での差が大きすぎて私も某刀で友人とファイトしたのですが、前の弾で弱いとされていたデッキに何もできない上に、手札も悪くない。という状態でボコボコにされ友人に「え、そのデッキ何するデッキだったの?」と言われる始末。
このご時世面と向かって遊ぶことも難しい(できないことはないけどハードルは少し高い)、だけど新シリーズなので売り上げをあげたい。それならとうらぶユーザーのコレクション目的としての売り上げも見込めるからさっさと売っちゃおう。
考えはわかるけれど、それをステ差つけて実装されるファンの身になれよ。どうせファンはコレクションとしてしか買わないから大丈夫ってか?
もう少し仔細な話をすると、2chというか、オタクな界隈で「擬人化=モノや概念の美少女化」というふうに通じる時期があった。今はもっと多様と言っていいだろう。
当時流行っていたのは、覚えている限りだと、下妻市のシモンちゃん、びんちょうたん、当時ネコミミ新幹線として話題を呼んだファステックたんなど…
書いてて思い出したが、当時はやたら「たん」付けが流行っていた。
そうした後、擬人化たん白書なる書籍が販売されたりと、擬人化界隈は小さな広がりを見せていた。
商業化という面では、エロゲの題材のほかに、鉄道むすめなどある程度成功しているものもあるが、明確に大規模なマーチャンダイズが行われたのはおそらく、ヘタリアが契機のように思う。
AKB48やアイドルマスターがおよそ2005年、ヘタリアはおよそ2006年。この辺りで、通信デバイスの進化と趣味の個立化によって「キャラがいればいるほど、一人以上の推しがつく」時代に入る。
擬人化においてヘタリアがもたらしたもう一つの意義は「語らざる背景」にある。
これはこの後の擬人化のビッグマーケットである「艦これ」、「とうらぶ」などに通ずるが、単なるモノの擬人化に対して、「国」「艦艇」「刀剣」には、その名の由来となる歴史(背景)が付随することとなった。
これにより「最初のキャラ造形とその後の保守さえ矛盾なく頑張れば、残りのキャラの(膨大な)コンテクストは各自で拾ってくる」という、実に効率的かつ大胆大規模な商品が生まれることとなった。
上手いやり方なのだ。例えばネットで流行ったMeたんのキャラなどは、どこまで行ってもスーパーフリーズ現象ぐらいなものだ。他は同人で膨らませるしかない。
だが、のちに「ナマモノ」とも言われるこれらは、取扱注意がある反面、物語は湧いて出てくる。
しかも種類が多い。莫大な数だ。四十七士や48人どころではない。
かくして大量消費社会にあって物語を湯水のように消費するマーケットができた。
かつてあった擬人化たん白書を今作るなら、野球名鑑やタレント名鑑の厚さを超えてしまうだろう。そんな歴史をひたすら消費してきた。
そこにまた新たなナマモノ消費がやってきた。
ウマ娘だ。
やっとウマ娘の話だ。
それを、おそらくは初っ端から、しくじっていた。
もちろん実際にどういうやりとりがあったかは想像するしか無いが、企画先行で、根回しが足りていなかった(ないし認識が甘かった)可能性はある。
それはそれとして、プロジェクトとしては続行となり、擬人化が好きな筆者としては、新たな商品にワクワクした。
ギリギリオグリキャップはしらず、マキバオーを読んでこなかった筆者は、それでもディープインパクトとハルウララ、そして何故かテイエムプリキュアは知っていた(確かエリ女で二着だった年で、知人が名前買いしていた)
せっかくの競馬擬人化ながら、当世最強の名高いディープインパクトが、噂ではトラブルで出せなさそうという話は、ちょっと残念ではあったが、
その後jraの2011-2013の激アツcmを見てからは全く気にならないどころか、その辺りはドンピシャで出てくる娘が多く、期待は高まった。
その後この期待は乱高下することになる。延期の発表、アイマスの有名Pの参加、その脱退、コンテンツ広報であるぱかチューブの勃興と黄昏、カンリニンチャンの失踪…
それでもウマ娘を待ったのは、擬人化コンテンツが好きで、一期のアニメが良かったからに他ならない。
この頃には、ウマ娘を契機として今の競馬を追うようになっていた。
まさか2018JCを目の前で見る日が来ようとは思わなかったが。
この時点では、擬人化コンテンツとしてのウマ娘を待ち続けていた。
だから、ゲーム内容はそんなに気にしてなかったのだ。多少面白ければよい。第一「クオリティアップのための延期」はあまり良い予兆では無い。まず安全にリリースをして欲しい。擬人化コンテンツの消費がしたい。
そういう思いだった。
2020年度。
コロナ禍吹き荒れる競馬界でいくつかの奇跡が起きた。キセキはあまりいい成績ではなかったが。
ディープインパクト以来の無敗の三冠馬・英雄の子コントレイル、史上初の傷なきトリプルティアラ・神威の子デアリングタクト、そして全ての記録を過去にせん勢いで疾る灼熱の少女・平成最後のアイドルホース、アーモンドアイ。
この三帝が一堂に会するJCは、今後100年は見ないだろう。
障害戦線では、老いて尚壮健な黄金の血統・オジュウチョウサンが記録を打ち立てていた。
カンリニンチャンが帰ってきたのだ。
この時点でも、ウマ娘は、擬人化コンテンツとアイドル要素の融合ぐらいに思っていた。
それは、最初の開発からは感じられなかった点でもあり、しかし競馬そのものを擬人化の範としたときに不可欠な要素だった。
そしてそれは、二期のアニメを経て、GIRLS'LEGEND Uで高らかに掲示された。
顔のいい女の子たちが、頑張るぞーってなしかめつらで、とっとこターフを走る光景は、ついに裏切られた。
相手を食い殺さんばかりの気迫、道々宿敵をねめあげる眼差し、食いしばられる歯、揺れる大地、高速で過ぎゆく背景。
それでも、レースを通して、シナリオを通して、曲を通して、「勝つことの意義」に魂を宿そうという意図が受け取れる。
そして、それを説得させるだけのゲーム映像技術を持ってきたのには舌を巻いた。
そうして、競馬そのものを追体験するようなゲームの熱が、今日このように広がって行くようなことは、全く予想しなかった。
ウマ娘で言えば、前評判のいいサイゲ屋のパンケーキを注文したら、ちょっと作り直すと言われたのだ。
焦がしたのかな?トラブったような音も聞こえた。まぁ食えるのが出ればいいや。変なものは出るまい。
そうして出てきたものが、行列ができるレベルの至高のパンケーキだったのだ。
魂消る。そりゃ魂消るさ。
ウマ娘がリリースされてまだ一ヶ月も過ぎていないが、自分の中では、このような擬人化史が去来していった。
ウマ娘を通しての競走馬の育成シミュレーションとしては、おおよそパワプロのようなシステムなので、こういうシステムが苦にならない人には向いている。あれもアスリート育成だしな。
その上で、シナリオ内で、史実の競走馬についてくる物語がなかなかどうして、熱い。
歴史を超えるリベンジなどというのは艦これに引けを取らない熱さである。
艦これとの比較として、お祈りゲーであることは同じであるが、大艦隊のうち6艦艇を率いるため育成が平らであるのに対して、ウマ娘は一アスリートを根から育てることとなり、まさに密である。一頭との濃密な関係が、レース本線を熱くする。
かつ、この娘たちが今「生きて」いて夢を「夢のまま終わ」らせないチャンスがある。
「強い女メーカー」の作者(女性)が「アイコンをツイフェミに使われまくったせいでイメージが悪化したので利用自体を停止します」と言ったとき「悪いのはフェミニストじゃなくてアイコンを使ってる奴=ツイフェミとレッテル貼りしたネットの男じゃね?」と言っている人がいてここまでハッキリ「ツイフェミのせい」と言われても「男が悪い」なのか…そうやって悪いことを全て男あるいは名誉男性といった「男性ジェンダー」に仮託して自分は責任を取らないのはさぞ生きやすいだろうなあ…と思ってたいたので実際に増田のような理由でフェミニズムに傾倒する人がいるのは納得感ある。
Twitterのクラスタってフェミニストなり愚痴垢なり腐女子なり特定のコンテンツに興味のある仲間でいいねRTしあって承認欲求を満たしあうのが楽しいのであって案外そのコンテンツ自体はなんでもいいのでは?と思うことがある。
とうらぶが大量の画像盗用で燃えたとき運営とそれを庇う信者を糾弾するために大量発生した愚痴垢がパクリ検証もあらかた出尽くして運営も謝罪して叩くものがなくなったあと女性差別問題をRTすることが多くなったんだよね。もちろん社会問題に目を向けるのは大事だけど元々とうらぶを叩くために作ったアカウントがフェミニズムに移行したのが興味深くて、つまり「怒る」という行為に依存しているだけでその対象はゲームでも社会でもなんでもいいということか?そりゃ社会問題なら永遠に話題が尽きることがないだろうからなあ…となった。
こうなると「悪いことがあって怒る」じゃなくて「自分が怒りたいから悪いことを探す」と因果関係が逆転しちゃうので気を付けたい。
もちろん現実に女性差別とか許せない性犯罪はあるけどただtwitterで仲間と感情を共有したいだけなら推しのいいところを語ったり二次創作する方が建設的だなあ…と思いました。
私は刀剣乱舞というゲームを通して刀が好きになった。美術館博物館に足繁く通い、刀を見ていた。
その名を五月雨郷という。
五月雨郷、あるいは五月雨江とされる刀はさまざまな家を渡り歩き最終的に尾張徳川家、徳川美術館所蔵となった刀である。郷義弘が作刀、江派の打刀だ。
チラ見せの段階で江だと分かり、雫型の耳飾りだとかで五月雨江では?と囁かれるのに推しの実装が怖くて怖くてずっと拒否していた。推しが来るなんて耐えられない、と。
でも実装されたら、すていじあくとに加えてもらって、何を愛するんだろう。晴れを切望なんてちょっとありきたりだろうか?村雲江とペア枠になるとか?回想で後藤くんとか亀甲とかの会話があるだろうか?何が来るんだろう!本当に楽しみだった。ただただ怖くて、ただただ楽しみだった。
『越中国の刀工、郷義弘作の打刀。景色を名に宿した名刀は華々しき来歴を辿るが、その言葉には同じ時代を生き、名を詠んでくれた俳人への思いが表れる。
行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨』
https://twitter.com/tkrb_ht/status/1333334963043790850?s=21
北へ向かったこともない。初めて見初められたのは福岡である。黒田長政が購入し、徳川将軍家に献上したところから彼の歴史は花開く。一番北は加賀か江戸かである。
私は俳句に明るくない。必死に松尾芭蕉を調べた。もしかしたら尾張徳川家とただならぬ仲があったのかもしれない。調べて分かったのは「五月雨」と詠んだ句が結構あることくらいであった。
中学国語程度の知識しかない人間でも知っている「五月雨や集めてはやし最上川」に始まり、10以上残しているらしい。私が適当に地元の図書館で借りてきた句集にはそれくらい載っていた。
忍どっから出てきた?
犬耳なんだ?
『行雲や犬のかけ尿(ばり)村時雨』
五月雨を使った句は素人が適当に図書館行くだけで10以上見つけられる。
集めて早しがダメなのは艦これにいるからまあわかるとして、何でいくらでもあった中で五月雨も関係なく、ぱっと意味の分からない犬のおしっこなの?
※この俳句の意味は犬がおしっこしていくみたいな速さで雲が流れては戻ってきてという天気の移ろいを歌った少し面白い歌らしい。(http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/sigre0.htm)
ゲームをしていない人、入手できなかった人、何よりやっていても第一印象が犬のおしっこである。
この場合の村時雨は降ったり止んだりの雨なので五月雨と意味はほぼ同じとはいえるが何で犬のおしっこなの?汚いでしょ。
そして顕現セリフもまたひどい。
『郷義弘が作刀、名物、五月雨江。え? これですか。これは前の主に対しての義理のようなもの。
それよりは、同じ時代に生きたあの方への思いの方が強いのです。そう、私の名前を詠んでくれた、あの方への……』
これが指すものがはっきりとしないが、他のセリフと合わせるに多分犬関係の部分である。
犬といえば生類憐みの令。犬を大切にした彼への義理である、と。
だが悲しいかな、ネット上では「犬公方」が元だという考えが散見される。はっきり言いたい。
義理というか直接的にdisってる。生類憐みの令が元だと言ってくれ審神者。全然義理とか思ってない、前の主を嘲笑うクズ男士になってしまうから。
また、刀帳説明において『五月雨江です。五月雨の季節に打たれたことからこの名がついたとも言われております。』と発言しているが、現在この記述が確認できるものはない。由来は
・五月雨の頃の極められた
・五月雨のように美しい刃文
創作というか嘘をつくな。
もう一つ言いたいが忍どっから来た。松尾芭蕉からならひどいトンチキ説を採用したな……と呆れるし、柳生新陰流とするなら遠過ぎてびっくりするぞ。というか五月雨郷が尾張徳川家にやってきた段階では柳生家はもう剣術の指南を中心にしてて忍者だった頃じゃないぞ。あと忍者だった頃っていう概念で行くなら奈良と伊賀の間辺りなので本当に五月雨郷関係ないぞ。
さて、ここまで前置きというか許せない部分の羅列である。
松尾芭蕉の刀だと思うだろうか?元の主に忍がいると思うだろうか?俳句に関係する何かがあると思うだろうか?
刀剣乱舞のログイン画面には「この作品は創作であり、史実等とは異なる場合がございます」とある。
だから史実と異なるキャラだとて仕方がない、それでも史実を叫ぶ人間は史実厨と呼ばれ嫌われる。
史実と異なる創作(本来は死んでいる人間を生かしている、史実では否定されている戦況などを使用するなど)を批判する人間に対する蔑称である。
行き過ぎた史実に対する想いは時に創作の幅を狭めるだろう。どんなに史実を愛しても司馬○太郎がある限り史実のみの創作なぞあり得ない気がするけれど。
閑話休題。
五月雨郷とキャラクターの五月雨江とではあまりに史実からかけ離れている。
その上史実を語る場=回想が一個もない。江なのにすていじあくとさえない。
もっと苦しいのがその直後に実装された真田の二振りにも監査官さんにも大量の回想があることだ。というか回想なし実装は2018年末の袮々切丸以来である。二年ぶりの回想なし男士だ。
何故犬で忍者で松尾芭蕉ファンで元の主の話をしてくれないのか一切分からない。何も語ってくれない。
五月雨郷という刀は犬のおしっこも関係なけりゃ元の主を犬公方とバカにもしない。
男士としての彼は何も言ってないとわかっていても審神者特有の深読みで変な謗りを受けるのは刀剣男士の五月雨江で、刀剣の五月雨郷だ。
全部が全部、今までかの刀が作り上げてきた全てをぶち壊して新しいものを勝手に創作する割に名前だけは堂々と名乗るのだから質が悪い。
いっそ関係のない刀だと明言しろ。徳川美術館にある五月雨郷と一切の関係がないと言ってくれ。そしたら私は自分の推しが汚いものとして凌辱されたと泣かずに済む。
私は刀剣乱舞が好きだった。だから六年もずっと私の本丸を稼働していたし、金だって大量とは言えないけど課金したしグッズ買ったし推しを愛したしリアイベ行ったしてんごだってデビューしたし円盤だって買ったし私なりに推してきた。
人生で初めて同人誌も出すほど好きだったしいつか来る五月雨江という刀剣男士を待ち望んでいた。
私が求めているのは、五月雨郷という実在の刀剣の名前を騙って創作という免罪符を振りかざすな。それだけである。
何度も言われた。刀剣乱舞は創作なんだから。刀剣乱舞は史実とは違うから。私自身も何度も何度も創作だから仕方ない、創作と史実は違うのだからと必死に自分に言い聞かせた。
でも、やっぱり、許せないのだ。
刀剣乱舞は、国と共同で日本博に出るなどここ最近は文化の担い手として伝統を伝える試みを多くしている。それを行うところが五月雨郷という一振りの刀を適当なキャラメイクでキワモノ実装した。創作という免罪符を元にして。
今この世にある刀に汚いもの、元の主の蔑称を体現するものとして認識させるのどうかと思う。
創作であるという免罪符を、文化の守り手を自称する企業が振りかざさないでくれ。
私のことを史実厨だと謗ってくれていい。それで五月雨郷という本当に美しい刀が不当に扱われないのであれば何度だって声をあげる。五月雨郷という刀は本当に美しい。私が愛した刀は、何物にも変えられないくらい美しい。私が一番好きで、何度でも見ていたい刀である。
キワモノだからと、犬耳だからと、どんな刀か知られずに松尾芭蕉のことしか語らない刀であると認識しないでほしい。犬も基本関係ないし、歴史がないわけでもない。
五月雨郷が歩んできた歴史全てを蔑ろにして松尾芭蕉という誰もが知っている要素を組み込んで出来上がったキャラクターは可愛いか?
信長も秀吉も家康も持っていない、有名な武将の手に渡っていないそんな刀の創作は、誰も知らないから好きにしていいのか?
もう一度言う。
五月雨郷の美しさを知ってくれ。
五月雨郷は本当に美しい。
でも、間違った意識というのはあまりにも容易く色々なものを壊すこともある。創作は免罪符ではない。
Twitterを見た。
様々な意見が噴出している。私が見た範囲が全てとは思わないがいくつか言うべきかなと思って追記だけつける。
1.他の刀剣もだろ。
A.私の推しじゃないので史実確認できるほど詳しくないです。各々当該刀剣が推しの人が叫べばいいと思うのに五月雨郷だけ叫ぶなっておかしくない?
生類憐みの令が元だって審神者全員が言ってくれたらそれは構わないよ。犬公方っていう言葉と五月雨江をつなげるツイートをいくつか見たからこその意見だよ。
3.犬の尿は汚くない
汚いよ。俳句としては汚くない意味でも、今の時代にそれを検索なりなんなりして意味を調べる人間がどれだけいる?
第一印象で俳句の意味など全て知らずに犬の尿だけを覚える人間って多分思ってるよりずっと多い。だから嫌だと言ったし、俳句自体が汚いとは言ってない。
知ってるよ。でも今出した意見は松尾芭蕉=忍者説と柳生新陰流における忍者の話だけだよ。
柳生家と関係があるのは尾張徳川家にいたときだけで、五月雨郷が尾張徳川家にいた時点で柳生家は剣術指南の家だったという話。なお柳生家が忍者じゃない云々に関しての議論は別なのと尾張といえば忍者は伊賀の町おこし壊すからやめてくれ。
五月雨郷を実際に見に行って松尾芭蕉は?ってなるより悪い印象って何?キャラが好きになった人が五月雨郷を見にくることをやめろとは一切思わないけど自分が見に行ったときに松尾芭蕉の話を五月雨郷の前でしている人がいたらげんなりはすると思う。
私は最初から史実厨と言われていいから元となるものを貶してまで創作をするなと言ってるのであって、史実厨という言葉をいい意味で使ったことないよ。創作を認めるなって言っているのに近いと思う。
6.とうらぶやめろ
やめるよ。今回の監査官さんが原因で余計病んで五月雨郷をこうしたのに創作で出来上がった自分を考える監査官さんがいることが嫌になったからこれを書いたんだから。