はてなキーワード: パタパタとは
🍣前置き
週末になると無性に寿司が食べたくなって、大体はスーパーの安売り、たまに有名回転寿司のテイクアウトを買って食べていた。
正直、安売りでもコスパが悪くて、貯金はたまらない一方で体重ばっかり増えてきていつか辞めなきゃいけない習慣ベスト5に入っていた。
あっさりさっぱりで、シャリがなくても代わりに入れた野菜で満足感も高い。
さらにレシピを少しずつ変えるだけで、バリエーションがめちゃくちゃ多くて飽きが来ない。
これはもう🍣には戻れないなと思って、自分なりのマリネチャートを作ってみることにした。
・まずは刺し身をA~C郡から選ぶ
・オイルを選ぶ
・スパイスを選ぶ
・塩味を選ぶ
・混ぜる
以下、それぞれの説明。
・A郡(あっさり)
あじ、しめ鯖(光り物)
甘エビ
・B郡(存在感)
ぶり、はまち、かんぱち(脂乗りの悪い硬そうなのはA郡としてもOK)
・C郡(食感)
これらをスーパーで安売りされているもので組み立てるのがベター。
🙅♀不向き
個人的には、カワハギもキモ付きならそのまま食べることをおすすめしたい。なければA郡。
・A郡(うまみ)
・B郡(食感)
新玉ねぎ
・C郡(薬味)
万能ねぎ
カイワレ
生姜千切り
刻み海苔
🍣オイルを選ぶ
・ごま油
・サラダ油
🍣スパイスを選ぶ
・酢
・黒胡椒
🍣塩味を選ぶ
・塩
・しょうゆ
・ポン酢
ここでいう塩味は、そのまま塩の味という意味ではなくて、料理に対する塩分の調整のこと。
料理をする人なら気づいたかもしれないけど、実はここまで味付けという意味での塩分は加えられてない。
調理工程は基本的に適当に混ぜるだけ。慣れてくれば15分くらい。
ただ、一つだけやっておいたほうがいいのが刺し身の水抜き。
水分が抜けることで、食感が良くなるのと臭みも抜いてくれる。
キッチンペーパーを広げて、その上に刺し身を並べて全体にできるだけまんべんなく塩をふる。
その上からキッチンペーパーを載せて軽く押し付けて10分まつ。
塩の量は目分量だけど、高い位置からふりかけるのが全体にかかりやすくてよい。
あとはトライアンドエラー。少なめから始めてちょうどいい量を見極めて下さい。
強いて言えば、刺し身全体量の2~4%くらい。(刺し身100gなら塩2~4g)
ただし、水分がペーパーに逃げるので、かけた塩の大体半分はペーパーの水分に逃げます。
葉物野菜も、塩を振ってから手で絞って水分を出しておくと、あとでベチャッとしなくていい。もちろんしなくてもいい。
・刺し身切ってペーパーに乗せる。
・調味料用意。
ウマー(゚д゚)
🍣その他のコツ
・刺し身と野菜はA~C郡でそれぞれ役割が違うので、各グループ一種類ずつは必ず入れることを意識する。
ないときは仕方ない。きっぱり諦める。
刺し身は柵でも切り身でも。柵なら薄めに切る。それよりも安さが正義。
薬味はできるだけ細かく。
・レモン汁はアホみたいにかけてもいい
酢の酸味と違ってとにかくさっぱりするする感じの酸っぱさがクセになる。
初回はこれだとかけ過ぎだなって思う倍いっていい。
生搾りだと苦味があるかも。(試してない)
厳密にどうかなんて知らん。他の料理との食べ合わせを考えた時に選べば良い。
健康気にしている人は少なめ。
外食風のガツンとした料理が食べたければ、思ってる量の倍入れる。
もちろん健康には悪い。オリーブオイルは飲んでも太らないなんて嘘。
🍣塩分気になる人
人間の体内の塩分濃度は0.9%と言われているので、食べ物全体に対して1%の塩分を意識すると良いです。(全体で300gなら塩1g)
当然ご飯の分の塩味が必要になるので、塩味グループから少し足す。
できればお酢も足したほうがいい。
その分水分が増えるので、ご飯に刻み海苔をかけてからマリネを乗せるがおすすめ。
焼海苔を手でパタパタ畳んで、折り目でちぎりながら最後はハサミで細切りにするとめちゃくちゃ簡単に刻みのりが作れる。
刺し身を選ぶときも、品質はそれほど気にせず値段だけで行ける。
さらに安いとき買っておけば冷凍もできる。解凍は自然解凍、もしくは前日から冷蔵庫解凍。
刺し身なのにそのまま食べないということが何より大正義。
🍣はこれでもう買わないでOK。
🍣を食べたいときはお店。
ポジティブシンキング! 行動は変えれないけど気持ちは変えれるから
バタフライエフェクト的なすぐには行動は変えれない
てかやはり不幸幸福ってのはバカにしてたけどうつ病になるから重要
ご主人 フラグを踏み その沼にはまっていく はまっていったら抜け出せない
布団パタパタ それはやるんだ ご主人
どうせ死ぬし じゃあ失敗の人生ってあるのかって言われるとない
質問の仕方によって答えが変わってくる
まあアレルギーないほうがいいよねとりあえず そういう人生のほがいいよね
いい思いをしたいか べつになくてもいいか って質問だと べつになくてもいいってなる
だけど どちらも選べるならどっちがいいかみたいな聞き方だとそりゃいい思いしたい
カビ カビ うおあああおおああ
なんで生きてるのかとか考えなくなった
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40万くらいするはずなのよ!だから困るわ……💦💦」
困るって、そういう問題ではないだろう。祖母がそういうちょっとお高めのものを好む人物ということは知っていたが、具体的な値段とかは初めて聞いた。というか、なぜ旅行にそんなに値の張るものを持ってきているの?そんで、なんでそんなのを無くす?
「どうしようかしら!どこかで盗られたのかも……」
探しているところを見ていたが、ギチギチのスーツケースを撫でるように探すだけで「無いわ…」と言っているがまずその布しか入ってないスーツケースを全てひっくり返す方が先だろう。
でもこれは今の私だから言えることであって、当時その場にいた私はそれなりに焦っていた。ちょうど母方の祖父がインドで30万円をすられた話を聞いていたから、もしかしたら…の気持ちがぬぐえなかったのだ。
うちの親戚たちはなぜ旅行に行くのに数十万を迂闊に持ち運ぶのだろう。成金なの?それともマヌケ?まぁ、もうじいさんは死んでるから知りようもないが。かなしいかな、私たちはしっかり両方の間抜けの血を引いている。せめて他人に余計な迷惑をかけずに生きましょう。
とりあえず添乗員さんに知らせるとすごい必死で前日止まった宿に連絡してくれた。申し訳ない。
そんでもってその伝え方がまぁ"繁子(祖母)節"だったから聞いてもらおう。
「添乗員さん、あのね、全部で40万のアクセサリーの入った袋が無いのよ…」
「えぇ!」
「もしかしたら昨日の宿に置いてきちゃったのかもしれないから連絡してくれない?40万くらいのアクセサリーが入った黒い袋ね、盗られたのかもしれないわ…」
「わ…かりました。すぐに連絡致します。」
これを早口でまくし立てる。ポイントなのが、「40万」という金額を連呼すること。その単語いる?
可哀想な添乗員さんはすぐに宿を始めとする各所に連絡してくれた。
その間祖母は迷惑をかけたなんてさらさら思っておらず、わりと旅行を楽しんでいた。さらには昼食の席で一緒になったご婦人方に「40万くらいのアクセサリー類が無くなったのよ〜」と話していた。ご婦人方は心配してくれたが、傍から聞くと困りに見せかけた金持ち自慢にしか聞こえない。
さらに添乗員は休憩時間に入った時に「すみません、もうクリーニングが入っていて、そういった届けは無いようです…」と報告してくれた。ぜんっぜん悪くないのに「申し訳ございません」と述べる添乗員さんが哀れで祖母が迷惑をかけていたたまれなかった。
当の本人は「あら…。じゃあどうしようかしら…」と不安げな表情を浮かべたが、盗られた(仮定)ことには微塵の疑いもなく、金のイヤリングだのバカでかいカメオだの、アクセサリー類がどんなものだったかを説明していた。それを聞いてさらに添乗員さんの顔がますます曇る。そりゃ、自分が引率した客がすられたなんて良い話じゃないだろう。しかも祖母いわくかなりの高額商品。あるのかは知らないが保険とかそういう手続きだってある。添乗員さんの皮膚の見える頭頂部はこの心労で抜け毛が増えるんじゃなかろうか。
なんだってそんな高いもんを持ってきたんだ。見栄です。って、理由があまりにもしょうもないでしょ。
結局見つかりそうもないままホテルへ。荷解きをしている時祖母が声を上げた
「あ!あったわ!」
例のアクセサリーが見つかった。スーツケースのポケット部分に入っていたらしい。真っ先に探すべきところでは?そして、
「なんだ、こんなとこにあったのね。」
と一言。こういう時、普通の人ならば「よかった…」とか、「心配かけちゃったわね…」とかの反応をすると思うが、そこは祖母。他人に迷惑をかけたという発想がない。一日がかりで何人も余計な心配をかけたことに対する謝意とか、そういったことはこの人の頭には存在しないのだ。それに気づいて力が抜ける。
添乗員さんと昼のご婦人方はに無事見つかったことを伝えたが、その時も"繁子節"は圧倒的だった。以下はご婦人方に知らせた時の祖母だ。
「ほら、見てぇ〜!見つかったのよ〜!」
と言いながら早速見つかったブローチを胸元に付けたのを見せつけに行った。昼間に散々「盗まれたかも」とか言って心配してもらってた相手にできることじゃない。呆れを通り越して面の皮の厚さに天晴れだわ。その精神力があれば怖いものなんかないだろう。
こうして、40万アクセサリー紛失事件は添乗員さんに余計な苦労をかけただけで幕を閉じた。
余談だが、この話はリアルタイムでLINEで共有していたのだが、帰国してから父が「ほら見てぇ〜!」と言いながら胸元を指さすモノマネをしばしばやるようになった。こうしてネタにしてはいるが、もし、当時同行していたのが父だったら海外で最悪の親子喧嘩をして帰ってきていたと思う。
閑話・ボッティチェリに敬意を示して。
さて、前回無くしたアクセサリーが無事見つかったが、次の日はフィレンツェにあるウフィツィ美術館に向かう。ボッティチェリの「春」「ヴィーナス誕生」等某ゼリヤ店内で必ずと言っていいほど飾られている有名すぎる絵が見どころだ。
正直ヨーロッパのツアーだと1週間とかでいくつもの美術館を巡るから作品ひとつひとつの貴重さとかよりも人でごった返す中、はぐれないよう頑張ってついて行きーの作品チラ見して説明聞きーの写真撮りーのの繰り返しで鑑賞する風情もへったくれもあるもんじゃなかったけど、そんなもんなのか。
ツアー自体の目玉でもあるこの日、祖母は特にオシャレをして臨んだ。あのギッチギチのスーツケースからこの日に着る服を決めていたのだと思われる。毎日服を変えていた祖母のファッションショーを写真で残しておけばよかった。当時はそんな余裕もなかったが。
その日のコーデの主役は胸元に付けられたバカデカカメオ。5~6cm程のブローチにしてはかなり大きなそれは真偽は知らないが祖母曰くかなり高級なものらしい。そう、前日無くしたと騒ぎを起こしたあれだ。
同じツアーの客にブローチ素敵ねと声をかけられ祖母の鼻は高々。
「えぇ、ボッティチェリに敬意を示してね。ほら、プリマヴェーラの柄なのよ」
添乗員さんにまで聞かれてもないこだわりを披露する祖母。ああもう、添乗員もちょっと引いてるじゃないか。他人のフリをさせてくれ
この話、何がすごいって、祖母は別に美術に特段関心がある人でもないということ。美術が好きでボッティチェリの実物を見れるのが嬉しい!という人ならばまぁ、「ボッティチェリに敬意を示して」なんて言っても許されるが祖母は絵画の前を結構素通りするような人だから、余計に「んなこと言う!?」という気持ちが大きい。普通に生きててそんなの言う様な人は叶姉妹くらいしか思いつかないのだけど、祖母は普通の一般人じゃん、ハイソぶってるん?恥じゃん、そんで身内じゃん。勘弁してくれ。
しかしボッティチェリの実物を間近見てもまぁサイゼで見たのも同じだなぁという感想になった自分ももしかしたら祖母と似たような感性を持っているのかもしれない。血の繋がりに震える。しょぼい感想しか言えなくて情けなくなるが、貴重なものを鑑賞したこと自体は間違いなく良い経験になったと思いたい。小学2年生並の感想ではあるけど。
5章 ナポリと靴
青の洞窟に行く日、ついに私は限界を迎え、その日の観光を全てブッチして一日ホテルに留まる権利を獲得した。そして、ここまでで祖母の性格をなんとなく知っているならばこの権利を得るまでにも戦いがあったことも想像に難くないだろう。
この作戦はまず第一に私とおばあちゃんとの別行動が肝だ。というか、そのためだけに私はわざわざ観光の目玉ともいえる青の洞窟をキャンセルしたのだ。
朝食の時間から勝負は始まった。朝食会場に着くと同時に添乗員に駆け込み
「スミマセン、チョットタイチョウガワルイノデ今日の観光はホテルデヤスマセテイタダキタイデス」
間髪入れず飛んできた祖母(謎自信杖無し)の攻撃に、勘弁してくれ!!!と叫びたくなる。若干叫びが漏れてたかもしれない。
「大丈夫です!なのでおばあちゃんはぜひ行ってきてください!!!!!貴重な体験ですし!!!!!!」
ビックリマークの数は必死さの証。ここで折れたら全部ムダ。白刃戦の火花が散った。
「でも…」
押し問答を何回か繰り返し、半ば無理矢理一人の休暇を勝ち取った。勝ちました。人生は強引さが必要な時もあって、それは今だった。朝から何をやっているんだろう。
部屋でのことは特に書くともないけど、FGOの夏イベをやっていたことと、わりと階数の高い部屋で窓がやたら汚かったことぐらい。
私が一人時間を無為なソシャゲに費やしている間に事件は起こった。祖母は、ウン年前、下手したら二桁年前に買った慣れない靴を引っ張り出してきていたのだった。ツアーについていけなくなったあたりから「靴が悪いのよね!前の奴だから!」と旅行初日から怪しい声を聞いていたその靴が遂にぶっ壊れたという。
身体能力をごまかすような靴への悪態を聞くたびに普通に靴は古いし本人の体力も身体能力も落ちてますよ、の言葉を喉元で押しとどめていた。あたりまえ体操過ぎる。
帰ってきた祖母の第一声は「この靴ナポリで買ったの!」だった。足元にはメタリックな輝きを放つパープルの靴が光る。まずなんで洞窟を見に行った人の足元が新しくなって帰ってきてんの?
肝心の洞窟はと言うと「ああ、綺麗だったわよ、うん。」とホントに行った???と思うようなうっすい反応。
その後ろを添乗員さんが「すごかったですよおばあ様。店内でたくさん試し履きをされていて」と伝えてくれた。
すごい、見てないのに光景が目に浮かぶ。添乗員さんにお世話を丸投げしたようなもんだ。心なしかげっそりして見えて申し訳なさが募る。ごめん、でも限界だったんだ。
当の本人はケロッとしておニューの靴にご満悦なようだ。きっと気に入るものが出てくるまで沢山試着したのだろうと想像して頭が痛くなる。添乗員さんの様子を見るに多分現地の店員さんにも日本語で「もっと𓏸𓏸なのはないの!?」とかなんとか言ってたんだろうなあと思う。言葉の通じない異国の地で謎に自信に満ち溢れてる(そのくせ心配性な)のはなぜなんだ。
こうして、ぶっ壊れたウン10年前の靴はろくに使われずに外国のホテルに捨てられて行き、おばあちゃんの足元は新しく"ナポリで買った靴"で飾られ、その後の旅路を共にすることとなった。
今回の教訓:靴は履きなれたもの履いて行こう。
間違っても大事にしまい込んだ靴を久々に出すもんじゃないよ、旅先でぶっ壊れるからね。
クレーム:クレーム (クレイム、英語: customer complaint, consumer complaint)は、サービスに対する苦情や改善要求、契約あるいは法律上の権利請求を指す和製英語。ーWikipediaより
クレームを入れたことはあるだろうか。私はない。大体の人もそこまでのことがなければクレームを入れることは無いと思う。サービス側が悪いこともあるが、客側がかなり無茶苦茶をいうことがある。無茶苦茶なクレームを入れる人のことをクレーマーと呼び、さらにサービスだけでなく個人的な怒りも乗せてくるような輩は一段昇格して「モンスタークレーマー」と呼ばれる。こうなってくると、もうヒューマンじゃありません。ホモ・サピエンスから新しい生き物への変身だ。
コールセンターのアルバイトで実際にクレームを受けたことがあるが、その時は相手の「だいたいお宅はさあ!」との発言に(本当にこんなことを言う人がいるんだ!)と感動したものだ。今まで私が見てきた創作内のクレーマーが言ってたことそのまんまの言葉を受け取って、おお!と今までの答え合わせができた気分だった。まぁ、バイトの内容的に相手の氏名住所生年月日職業家族構成家族の情報も全部知っているという圧倒的に有利な立場だったから慌てなかったというのもある。
さて、クレーマーの対処には同じ気持ちになって怒ると有効というのがある。自分より起こってる人を見て逆にクレーマー側が冷静になるとか、自分の怒りが認められたと思うことによって満足するらしい。
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
NON-EDIT TALK : MY LITTLE LOVER featuring AKKO*華原朋美
華原:
こんばんは、華原朋美です。今日は7月り2日です。うーん? そろそろ夏ですかね。7月って言えば……、そうですね、夏ですかね、やっぱり、これから先は。今日の私の格好を見ても夏っていう感じなんですけども、みなさんはいかがですか? 今日のゲストは、私、すっごいドキドキしてます。MY LITTLE LOVERのAKKOさんです。よろしくお願いします。
AKKO:
華原:
いやぁ。
AKKO:
華原:
AKKO:
いや、なんか夏にはぴったりかなって。
華原:
AKKO:
朋ちゃんも真似したんですか?
華原:
AKKO:
好きですか?
華原:
AKKO:
いい感じ?
華原:
いい感じです。
AKKO:
華原:
ああ、やっぱり女性ですね。なんか、女ですね。
AKKO:
そうですか? いやいや、朋ちゃんもね。
華原:
いちおう、女を装って。あの、今日は、いろいろ聞きたいことがたくさんあるんだけど、歌を歌うのにつながる今までの人生ってあるじゃないですか。
AKKO:
うんうん、うん。
華原:
でも、いろいろなスタッフの人から話を聞くと、情報を集めたんですよ。昔は音大に通ったり。
AKKO:
華原:
これは私もそう思ったんですけど、バレエを。
AKKO:
うん。ちょこっとね、バレエは。
華原:
そうですか。
AKKO:
朋ちゃんはやってたんですか?
華原:
やってたんですけどね。
AKKO:
私ね、新体操やってたんですよ。
華原:
新体操って、これ?
AKKO:
そうそう、リボンとかボールとかなんだけど。だから、新体操の基礎ってバレエだから、それでちょっとね、やってました。
華原:
リボンやりながら歌いました?
AKKO:
歌わないよ。
華原:
AKKO:
あ、本当に。
華原:
うん。あの、平均台、10cmぐらいしかないんですけど、そこの上で転回やったりとかしてたんですけど。
AKKO:
危ないですよね。
華原:
危ないですよ。
AKKO:
怖いですよね。
華原:
落ちちゃった時とか、もうどうしょうもないほど痛かったんですけど。
AKKO:
なんかね、歌ったり踊ったりがとにかく好きで、ずっと。ちっちゃい頃から。だから新体操、まあ踊り、とにかく一回ハマって。まあ、それを終えて、「今度は歌か」と思って。音楽大学行って、声楽とか勉強して今に至るんですけどね。
華原:
やっぱり、音楽っていうものに関しては、自分は生まれつきすごく「それしかない!」って思ってたところってありますか?
AKKO:
いや、「それしかない!」っつうよりも、本当にただただ好き。好きでたまらない、楽しくてたまらないものが、本当に踊りと音楽だったんですよ。でも、ちっちゃい頃からね、「みんなの歌」とかなかった? ああいうの片っ端から歌ってみたりとかね、一人で勝手に部屋で歌ったりとかね。本当、それだけでもすごい楽しくって。
華原:
あの、私も「みんなの歌」みて歌ってても、私は一人で歌ったりとか出来なかったんですよ。みんなで合唱とかやった時、一回だけ自分が一生懸命歌えるっていう感じで、あの、その本を見た時、いちばん初めの印象ですけど、本を見た時に、恥ずかしいなって思っちゃったんですよ。そういうのってないですか?
AKKO:
わかるわかる。
華原:
なんか、「これ、私が自分で歌うんだ」って思った瞬間、すごい恥ずかしくなって。
AKKO:
でも、だって、隠れて歌っちゃえばいいじゃん。そういうのは思わなかったの?
華原:
AKKO:
私、逆にね、合唱とかのほうが恥ずかしかったかな。なんか、となりの人の声と聞こえたりするじゃない。で、自分の声とかも聞こえちっゃたりするのが。それだっら、なんか一人で歌ってたほうが、なんか好きだったかもしれない。うん、そうだなうん。
華原:
それはすごいプロですよね。なんか、私はそう思うんですけど。あの、合唱コンールの時に………、ごめんなさい、私の話で。
AKKO:
ううん。
華原:
合唱コンクールの時に、あの、ソプラノのパートを歌ったんですよ、私。で、ソラノのパートを歌える人がそんなにいなくて、私ともう一人ぐらいしかいなかったんすよ。
AKKO:
あら。
華原:
それじゃあもう声が、今から考えるとね、声が届かなくてしょうがなかったのになんでソプラノとかを歌えたのかな? って。恥ずかしいと思いながら声を出すってうのは、すごく見てる人が楽しむところなのかなって、今は思うんですけど。
AKKO:
なんか、見てる人も歌ってるほうも楽しいよね、歌とかってね。
華原:
踊り踊るのと歌を歌うのって、とにかく好きだし。私も踊るのも好きだし、歌うも好きなんですけど、でも、それを一緒にするのはなかなか難しくて。で、いつもフンの人から手紙とかもらって、そこに書いてある文章を読んだりすると、「左手、右が、どうしてこんなに動くんですか?」って。私はあの、「それは振りですか?」ってかれるんですけども、「振りじゃなくて勝手に動いちゃう」っていうふうに言うんでけど。で、ビデオ見たんですよ。
AKKO:
何の?
華原:
全部。
AKKO:
華原:
はい、全部見ました。
AKKO:
華原:
AKKO:
いやぁ、私はもうぜんぜん。
華原:
いいなぁとか思ったんだけど。
AKKO:
いやいや、私もやっぱり、まだやってみたことはないけど、踊りと歌を合わせるって、まだ自信ないなぁ。やってみたいけど。ジャズダンスとかも、多少習ったりとしたことあるけど、難しいよね。
華原:
難しいですよね。あの、アルバムの中で、アルバムの中じゃないけど、♪いつかHEY! HEY! HEY! ~って、あるじゃないですか。
AKKO:
デビュー曲なの。
華原:
あれ、私、すっごい好きなんですよ。
AKKO:
あ、本当に。
華原:
私、あれ聴いて、「いつかはHEY! HEY! HEY! に出て上いってやろう」とかってました。
AKKO:
あれ? その頃ってまだデビューしてないんでしたっけ?
華原:
いや、いろいろしてる時期だったんですけど。
AKKO:
あ、そうか、そうか。でも、いい歌詞ですよね、なんか。意外と前向きだしね。HEY! HEY! HEY! ~とかいって投げやりな感じだけど、じつはね、かわしてる感じでもんね。
華原:
あの歌はすごいいいですね。あと、「Hellow again」もうメチャクチャ好きです。
AKKO:
あ、本当に。いやぁ、嬉しい。
華原:
プロモーションビデオ見たんですけど、半袖でマフラーをしてるじゃないですかAKKO うん。
華原:
それは、やっぱりあのマフラーには何かあるんですか?
AKKO:
いや、私が考えついたことじゃないんですけど、その時のアートディレクターの藤さんていう方がいて、その方がなんか発想して。そういうふうにTシャツにバーバーのマフラー。すごい可愛いですよね。
華原:
可愛いなって思いましたね。
AKKO:
私もびっくりしちゃったんですけど、でも、それはその人の。
華原:
なんかあれですよね、「Hellow again」っていうのは、昔からある場所。昔かにる場所っていうのは、AKKOさんの中でどういうところですか? 昔からある場所。
AKKO:
昔からある場所? どういうところなんだろうな? けっこう冒険が好きなんで、んまり留まってないんですよ、私。だからね、ちょっと。ごめん。
華原:
ううん。あの、私は自分であの曲を聴いて、自分が、朋ちゃんが昔からある場所ていうのはどこなんだろう? っていうふうに探しちゃったんですけど。
AKKO:
どこでした?
華原:
わかんないですけど。昔からある場所って実家かな? とか思ったんですけど。
AKKO:
それはでも、私も思った、一瞬。実家かな? って思ったけど。結局なんか、自ベースの気持ちだったりするのかな、とか思ったけどね。わりと私は、なんか楽しくきようっていうのがベースにあるんですよ。
華原:
いいですね。
AKKO:
笑って生きようとか。一度しかないし、人生。だからなんか、そういうのが私のレイスというか、場所なのかなって、今ちょっと思ったけど。
華原:
いいですよね、なんか。転調の部分とかも、すごい綺麗ですよね、「Hellow agan」とかね。
AKKO:
華原:
AKKO:
いきなり変わりますよね。
華原:
すいません、ごめんなさい。私、気性が荒い人だから。
AKKO:
大丈夫です。気性なんですか?
華原:
気性? あの、何を話すのか忘れちゃった。
AKKO:
ごめん。邪魔しちゃったね。
華原:
AKKO:
そうなの。
華原:
AKKO:
華原:
憧れですよね。
AKKO:
本当?
華原:
女の人として、憧れの場所ですよね。
AKKO:
本当?
華原:
私はそうなんですけど。AKKOさんってお呼びしても?
AKKO:
もう「AKKO」で。
華原:
「AKKO」で? 言えないっスよ、そんな。AKKOさんは、あの、あれですよ、歌をて、それで売れて。それから女の人として、私が勝手に言うことですけど、女の人とて結婚して、子供を産んで、それで生活をして。それでも歌を歌い続けるっていうの、すごくいいスタイルですか?
AKKO:
いや、もうメチャメチャいいですね。
華原:
AKKO:
いや、1mmも描いてないですよ。
華原:
1mmも?
AKKO:
そんなの想像できないでしょ? 普通。ちっちゃい頃なんてそんなこと。ある意ゃ、すごい派手なことだし。でも、まあ、普通の営みだと思っちゃうんですけど、私。たまたま。
華原:
お姉さんですね。
AKKO:
え? いやいや。将来、本当に愛する人と結婚して、その愛する人との子供が産いっていう夢はずっとあったけど、それがこういう状況で起こるとはぜんぜん思ってかった。
華原:
AKKO:
華原:
すいません、なんか。
AKKO:
華原:
今日、本当に忙しい中を来ていただいて、すごく嬉しいです。
AKKO:
いやいや。本当に私も今日は楽しみだったんで。
華原:
あの、あれですよね。子供を産んで歌を歌うじゃないですか。声、変わりました
AKKO:
声? 声っていうよりも、なんか表現の仕方がすごい変わったような気はする、の中で。もうちょっと振り幅が持てたような気はしてますけどね。産んだ後レコーデングしてみて。
華原:
私は、そういう経験はしたことないんですけど、初めての人ですよね? なんと。あの、曲を書いてくれる人と結婚して、それで子供を産んで、幸せな家庭を築きなら、温かい歌をみんなに伝えるっていうのは、すごく初めてな。
AKKO:
今までそういう人、いなかったんですかね? どうだろう?
華原:
私はそういう、こういうふうになった人を目の前にして話しをするのは初めてなですけど。
AKKO:
でもね、そんなすごく見えるけど、ぜんぜん本当にただ普通のことをやっているけで。まあ、そういうことの影響が全部歌に出たりとかね、普通するし。もちろんすい前向きに楽しく生きようっていうパワーは多分出てるんだと思うんだけど。でも、から本当、私は普通なんだよ。
華原:
AKKO:
そうかなぁ?
華原:
すごくその、こういうさっきのが、私から見ると温かいふうに見えて仕方がないす。
AKKO:
そっか。
華原:
それをそのまま、べつに隠す必要もないし、それを一番として先頭に立ってる人もないし。そこがなんか、AKKOさんのいいところで。
AKKO:
そうかな。でも、そう言われるとすごい嬉しいです。
華原:
すいません、自分で喋ってて、なに言ってるのかって思っちゃって。
AKKO:
いやいや、でも、すごい嬉しい。そっか。
華原:
そうですね。なんか「ANIMAL LIFE」っていうCD聴きました。
AKKO:
ありがとう。どうでした?
華原:
それを聴いてても、すごくいいですよね。
AKKO:
いいですか?
華原:
はい。私はあの、AKKOさんの声っていうの、すごく気持ちがいいんですよ。
AKKO:
あ、本当に? すごい嬉しい。
華原:
聴いててすごく気持ちがいいし。で、私が一番気持ちがいいなって思うところと緒です。あの、私がいちばん気持ちいいと思うところは、安心して休めて眠れるってうところが一番すごく気持ちがいいとこなんですけど。そういう時にAKKOさんの声をくと、さらに。
AKKO:
子守歌のように? いい感じ?
華原:
すごくそういう声を持ってるなって思ったんですけど。
AKKO:
ああ、嬉しいです、そんな。
華原:
どこから出てるんですか?
AKKO:
いやいや、そんな。こっちが聞きたいよ、朋ちゃんの高い声とか。すごいパワーる声とか。
華原:
パワーは、AKKOさんのほうがすごく優れてると思う。
AKKO:
いやぁ。でも、正反対な感じですよね、私たちの声ってね。今、思ったけど。
華原:
そうですよね。裏返したらとか、表にしたらとか。べつのところにあるし。
AKKO:
なんかね。
華原:
だから、私にはない声だし、私がすごく欲しいなって思っても、ぜったいに手のかないところにあるし。それは間違いないですよね。
AKKO:
いや、私もだって、ぜんぜん届かないところにいるのと同じだもんね。なんか武さんとかは、声、いろんな声質を持ってるっていつも言ってくれるんだけど。変化球投げれるとかね。でも、ノーコンだって言われちゃうんでけど。だけどまあ、それが分、私のいいところで。朋ちゃんはでも、やっぱりすごい高い音域とか、すごい音域出て。で、もう本当にすごいパワフルだと思うんですよ。
華原:
じゃあ、お互いそういうふうに思ってるところってあるのかな。
AKKO:
うん。やっぱりね、持ってないものとかね。
華原:
持ってないものって欲しいよね。
AKKO:
欲しくなりますよね。
華原:
何でもそうだよね。洋服で、すごく可愛い服が店頭に飾ってあって。で、それ欲いなって思っても、お金がなかったりして買えなくて。で、本当は届きそうなところのに届かなかったりとかって思いませんか? なんか。
AKKO:
え? 届きそうなところに届かないと言うのは?
華原:
AKKO:
最近ぜんぜん行ってないよね。
華原:
カラオケとかで、私、「Hellow again」とか歌うんですけど、あれもすごいですね。男の子、女の子がいても、絶対に自分はウマく聞かせなきゃいけないっていうとろに、気持ちが届くんですよ。だけど、AKKOさんの声には絶対届かない。届きそうでかないみたいな。
AKKO:
ああ、そういうことか。
華原:
だから、MY LITTLE LOVERのAKKOはいいっていうふうに思うんですよ。
AKKO:
やっぱでも、人にはその、全部万能な人なんていないからね。なんだろう? 自ね、出来る範囲を広げつつも、その中でベストを尽くすのがいちばん素敵だよね。なんつって。
華原:
素敵。
AKKO:
いつもそう思ってるんだけど。
華原:
素敵な人ですね。一番はじめにAKKOさんていう存在を知った時、私は「あ、絶対バレエとかやってる人だな」って思いました。
AKKO:
あ、本当に。
華原:
まだ、声とかは聞いたことがなかった時で、MY LITTLE LOVER。
AKKO:
今日ね、たまたまね、本当たまたまなんだけど、昔の取材の時の切り抜きとか事所とかに置いてあったりするじゃない。それをなんかちょっと必要があって調べてたね。そしたら、デビュー当時の写真とか載ってるわけじゃない、その雑誌の切り抜きから。それ見たら、もうすごいポッチャポチャで。私、びっくりしちゃったんだけど「うわぁ、やめて!! 捨てたい」とか思ったんだけど。いや、でも、あの頃はやっぱ、かなり丸くて。もう慌ててトレーニングとかして。
華原:
トレーニングをしたの!?
AKKO:
うん。ちょっとダイエットじゃないけど、スポーツクラブとか通ってね。だいぶの頃よりはスマートになったと思ってるんだけど。
華原:
カッコいい女性になりましたね。
AKKO:
そうですか? あら。
華原:
そういう感じがする。
AKKO:
ああ、そうか。前なんかキャピキャピっていう感じでしたもんね、けっこう。そいうんじゃなくて?
華原:
全体的に、なんか楽しい感じの人だなっていうふうには思った。で、今、会ってそれは本当だった。
AKKO:
面白く生きなきゃね。
華原:
AKKOさん、そういうふうに思ってるじゃないですか。で、私はそういうふうに思てるところもあるんですけど、時々くじける時がある。「こうじゃダメなのかな?」てなっちゃう時ってない?
AKKO:
いや、あるよ、もちろん。あるけど、うーん? あるけどなんかね、そういう時向きなことを考える。
華原:
前向きなこと。
AKKO:
うん。
華原:
AKKO:
そう。最近ね、ちょっとあんまり家を空けることとかやっぱり多いじゃないです。海外に撮影とか行ったりとか。だからね、あんまりしてないんだけど、前はよく育てた。
華原:
なんか、ロサンジェルスに住んでたり、日本に住んでたりっていうのがすごく多って聞いたんですけど。
AKKO:
華原:
多かった時期ありましたね。ロスにずっといた時期とかありましたけど。
AKKO:
そうか、そうか。ロス多いんだけど、寂しいんですよ。友達とかね、あんまりいいじゃないですか、やっぱり。
華原:
AKKO:
喋れないです。
華原:
私もぜんぜん喋れないです。
AKKO:
でも、日常いちおう困らない? 困らないよね、スーパーとか簡単だもんね。そうのは大丈夫なんですよね。そうですよね、ロスとかでね、一緒とかになれたらと、ふと思ったんだけど。
華原:
思うよね。私もすごい思う。
AKKO:
けっこうね、そうだね。アメリカ人の友達とか出来にくいもんね。
華原:
外人て、なに言ってるかわかんない。
AKKO:
私もさ、すごい愛想いいっていうかさ、やっぱりアメリカ人と喋って、自分で勉しようと思うじゃない。だから、アメリカ人の人と一生懸命喋るのよ。で、前にニュヨークにいたんだけどね、その時は。まあ、妊娠中だったにも関わらず、そこのドアーイいるじゃない、コンドミニアムとかだと。そのドアボーイが、しきりに「今日、事に行こう」とかね、すごいもういっぱい誘ってきて。私、妊婦なんだけど、「I'm regnant」とかって言ってるのに、ぜんぜん通じてなくって、すごい困ってたことかせった。困っちゃうよね。
華原:
困りますよね。
AKKO:
華原:
AKKO:
本当?
華原:
誰か一緒にいなきゃって思いますけど。
AKKO:
一人でわりとね、フラフラ遊んでたんじゅゃなくてね。
華原:
AKKO:
その時はね、武史さんがちょうどMr.ChildrenとYEN TOWN BANDのレコーディング行ってて。で、私は妻ですからついてって。その間、多少撮影があったりとかしててあとは英会話学校とかちょっと行ってたりしたんですよ。
華原:
AKKO:
うん、ちょっとね。そう。だから、わりと一人で雪道とか。冬だったんでね、吹の中あるいて。
華原:
吹雪?
AKKO:
いや、すごいんだって。ニューヨークのね、去年30年振りの大寒波とかいって、雪で。もうそんな中ね、歩いて行ってたよ、ダウン着て。防寒して。一回だけね、セトラルパークの横でね、氷に滑ってね、尻もちついて。妊婦ってね、尻もちついちゃけないのね、絶対ね。で、もう、すごいびっくりしてね、泣いちゃったことあったけね。
華原:
AKKO:
歌った。レコーディングした。
華原:
AKKO:
「Yes」とか。
華原:
♪Yes~ってやつですよね?
AKKO:
華原:
雑誌で、「子供にどんな音楽を聞かせましたか?」って、妊娠中に。それで「妊にアルバムの曲を聞かせるといいですよ」って書いてあったんですよ。
AKKO:
華原:
そうなんですか?
AKKO:
アルバムの曲っていうか、何でもいいんだけど。自分が気に入った曲を、胎教にさそうな曲を、たまたま私が聞かせたのが「Evergreen」っていう。「Evergreen」のの一番最後の曲で。それを毎日毎日聞かせてたら、産まれてからね、その子がどんな機嫌が悪くても、どんなに泣きじゃくっても、それを聞くと機嫌が直るんだよっていのをね、聞いてたんですよ。だから「Evergreen」聞かせてて。で、産まれてからもっぱり聞かせるとすごいご機嫌になる。びっくりしちゃったんですけど。
華原:
あの、「アリス」っていう曲あるじゃないですか。呪文かけてますよね。あれ、いですよね。
AKKO:
あれ、なんかコンピューターのね、「ディギディギディギ」とかってなるじゃな。私もよくわかんないんだけど。あれをとったものなんですけどね。
華原:
あ、そうなんですか。私はなんか。
AKKO:
呪文っぽく思った?
華原:
呪文かけてるのかなって。
AKKO:
華原:
ああいうのって、なんて歌えばいいのかなって。
AKKO:
わかんないよね、最初ね。けっこう質問された、最初。でも、なんか、コンピュターなんですって、もとは。私もね、機械弱いんでね。
華原:
私も弱いです。
AKKO:
難しいですよね。
華原:
AKKO:
華原:
あ、すごい。
AKKO:
一時期ちゃんと向かったことがあるんですけど、ちょっとプロモーション忙しくって、中断しちゃった。
華原:
私も今、中断してますね。
AKKO:
あ、でもやってたんだ。
華原:
あの、ファンの人からメールがきたりとかして、それを見て、返せる人には返しっていうふうにやってたんですけど。難しいですよね。
AKKO:
ね、難しいよね。でも、けっこう面白いんだよね、ああいうのを見ると、 Permalink | 記事への反応(2) | 03:08
・ジャスミンが刺さるらしい
もともとお香系は好きだった、お香そのものも好きだし香水でもお香っぽいやつ好き
煙たさに芳醇な甘さ、という感じの香水(セルジュルタンス のラクシュデュディアーブル)に大ハマりしたので、タバコと酒とか絶対美味しいはず気にいるはず、と思っていたのに
ゲランのタバコハニーはなんかクサイ、しかも甘くない、なにこれ という印象だった 扇状のテスターを2度試したけど感想変わらず
どれも嫌いじゃない、でも別にこれじゃなくていい、そこまでではない、だった
セルジュルタンス のエクランドゥフュメも試した、これもタバコと酒がテーマだ、けどテスターから嗅いで特に感動もなかった
ルタンスは好きでこの新作も待ち侘びたのに、肩透かし ほんのり煙たい中にココアとヴェティヴェールオリエンタルのウッド系、という感じ
そもそも自分はタバコを一切吸わないので、タバコの美味しさも知らない お香の煙とタバコの煙は煙であっても別ジャンルなのか、なんてことを今更思った
今回、一番に刺さったのが、キリアンのグッドガールゴーンバッドのエクストリーム
ジャスミン入ってる、これまで苦手に感じてた白くて肉厚な感じの花の甘さが心地よい
けど、ゴーンバッドということはガラッと変わるのかなと、少々の不安
また、キリアンの値段は予習済み
ディスカバリーセットであっても気軽に購入には踏み切れないまま終了
ゲランもあのゲランだし、こんなに気軽に試せる機会はないと店頭で扇を片っ端からパタパタ
バニラが欲しかったのに、片っ端から嗅いでもそれらしいものがなかった
代わりに、おっこれは好きかも?と思ってラベルを確認したらジャスミンだった
これも好きかも?と見たらジャスミンとあった 同じ品なのか別の品なのかは分からない
けどパンチとしてはキリアンのGGGBエクストリームが一番甘く強く蕩けるような濃ゆい白い花感で、今回のマイベストとなった
けど1.5mlで1900円とかスゴイ…
GGGBでも思ったが、3ヶ月ほど前にやっぱり伊勢丹でルタンスをあれこれ試した時に、これ系の花の香りがいいと思ったんだった テュベルーズクリミナルか
ガーデニアとチュベローズは別物かどうかは知らないけど今の自分の知識だと同グループ
ガーデニアって昔、リネンコロンか何か買った時にちょっときついなと1回使ってもう使わなくなって、それ以降自分は好きじゃないものと括ってた
承前 https://anond.hatelabo.jp/20230615032338
「くも膜下出血ですが」
「この時間に手術するのは人も足りなくて危険だと思うので、血圧を下げる点滴をして様子を見ましょう。昼間に脳外科の先生に診断をしてもらってからですね」
深夜にやるのは無理だから、朝になるまで待つことになった。
あちらこちらにいた搬送された人たちや付き添いは、車椅子で帰ったり、病棟へストレッチャーで運ばれたりで、気がつくと私ひとりになっていた。
雨も止んで、外は明るくなってきた。
朝か。
ぼんやりとその明るさを見ていた。
「出血してる」
と言う声がして、しばらくするとストレッチャーが出てきた。
思わず立ち上がって、のぞいたら、夫ではなかった。
目をつぶった老人が運ばれていった。
いつだって、誰かが、死の淵をのぞいている。
わかってはいるが。
開けっぱなしになった救命救急室の扉から中をおそるおそるのぞいた。
「ここからICUに移動となるので、もうしばらく待っててください」
服は脱がされて、身体中にパッチが貼られて、モニターにつながれている。目はタオルに覆われていて表情がわからない。声をかけるのもためらわれて、ストレッチャーの後ろから見守るしかなかった。
入院手続きの書類を何枚も書いた。看護師に渡すときに、いつぐらいなら脳外科医と話せるかを聞いた。
「先生が出勤したら確認をして電話をします。手術前の説明と同意書への記入が必要ですから」
そうか、帰れないよな。
と思ったら、
「手術になるとしても午後になると思うので、入院に必要なものを取りに自宅へ帰っても大丈夫ですよ」
ありがたい。
「緊急にやる時もすぐ駆け付けますので、この番号に連絡をください。よろしくお願いいたします」
と頭を下げて、病院を出た。
もう始発電車が動き出している時刻だった。
僕は地元駅弁大学を卒業し高校にて教鞭を取るアラサー教員です。
先週の週末うちの学校の事務所にいる県職員さんと食事に行きました。今まで帰り際に駐車場で挨拶したり話したりすることはあったのですが、勇気を出して食事に誘ったらOKだったのです。
彼女はとても大人しい印象でした。しかし食事中はとても明るく、それでいて上品さを失わない素晴らしい女性でした。学生時代の話や好きなドラマ、趣味など色々なことを話しました。2軒目のバーを出るとお互いほろ酔いで自然に腕を組んで歩きました。彼女を自宅の近くに送ってその日は解散したのですが、別れ際にハグをしました。性欲よりも圧倒的な幸福感を感じました。
昨日の放課後、来賓の方をお客様用昇降口までお見送りしたのですが、教室に戻る途中に職員用事務所を見るとちょうど窓際に座っていた彼女が頭を下げながら周りに見えないように手を振ってくれました。嬉しかったです。高校生の時、部活でグラウンドを走っていたら当時付き合っていた吹奏楽部の彼女が窓から手を振ってくれたのですが、この歳になってからその気持ちを思い出しました。
帰宅時、車に乗ろうとすると丁度彼女が事務所からパタパタと出てきて成り行きで僕の部屋で食事をすることにしました。僕が作った回鍋肉と味噌汁を彼女は美味しそうに食べてくれました。その夜彼女は帰宅せず、僕らは同衾(男女の共寝)しました。
今朝、夜明け前に目を覚ましタバコを吸っていると彼女も起きて来て、僕らは再び目合いました。気がつくと朝食を食べる時間も無くなっており、慌てて準備し別々の車で出勤しました。車から降りた彼女はニコニコしたまま控えめに手を振ってくれ、そのまま事務所に走って行きました。
教員用職員室に入ると、高校時代に僕を教えてくれたこともあるベテラン男性教員から「お前何ニヤニヤしてんだよ!気持ち悪いなぁオイ!」と言われ、妙に勘の鋭い先輩教員達からも色々追及されました。しかし絶妙なタイミングで若手の女性教員が教師とは思えないカーダシアン家の一員のような服装で「Good morning. What’s going on??」(彼女は純日本人です)というお決まりの挨拶と共に数十回目の遅刻をして来たため、先輩達は彼女への説教に移り事なきを得ました。明日も良い日になりそうです。
隣の仏間から複数の足音がする。ちょうど裸足で畳の上をパタパタと走るような音だ。最初は外の音だと思って無視していたが、ずっと聞こえるので見に行ってみた。しかし当然ながら誰もいない。
それで戻ってテレビを見ていると、またもや同じ足音がする。もう一度確認しに行ったが誰もいない。
しかし、戻ろうとすると今度はすぐ側で足音が聞こえるようになった。なんだか怖いような面白い様な気分だったので、仏間に留まって耳を立てていると、今度は遠くからこどもの笑い声が聞こえてきた。それはひとりではなかった。だんだん人数が増えてきて、丁度自分を中心にぐるぐる回り始める様に聞こえてきた。なんだか不思議な感覚だったが、純真だった私は面白いという気持ちが上回って一緒に笑っていたのだった。
そんな経験が何度かあり,たまに家族がいる間でも足音や階段を登るギシギシという音が聞こえてきた。家族にあの音は何か?と聞いても、風の音だよなどと全く取り合ってくれなかった。まあたしかにそうかな、とも思い始めた。また、近所に子どもがいるか聞いてみたが、近くにはいないよ、知ってるでしょう。と祖母が教えてくれた。
それから数年が過ぎ、回数も少なくなって忘れかけていた。しかし、中学生になったある日、同じ様に1人で留守番していると、あの足音が突然聞こえてきた。シチュエーションも全く同じだったが、心も体も成長していたわたしは、異界なものである事を感覚的に感じ取った。その時あったのは恐怖だけだった。ひたすら無視していたが、今回の音は違った。次第に仏間を出始めたのだ。仏間はフローリングの廊下に続き、2階に上がる階段に続いているが、今回も裸足で、複数の子どもがひたひたと歩くような小さな足音が聞こえた。その音は次に大勢で階段をぎしぎしと登り降りを始め、2階に上ったあとパタパタという音にかわった。スリッパに履き替えた様だった。この一連の動作が手に取るようにわかり、私は戦慄していたが、あまりのリアルな人の気配に実は本当に人がいるのでは?泥棒か空き巣か?と思い始めた。と、言うより人であってほしいと思い込みたかった。私の恐怖は怒りに変わりはじめた。
私は意を決して階段へ向かい、一階から、だれかいるの!?と大声を張り上げた。その瞬間スリッパで歩く音は瞬く間に消えた。
私はその事を今でも後悔している。
なぜならそれから数年後、インターネットが普及し、様々なまとめサイトなどの書き込みでかれらの正体がわかったからだ。
かれらは座敷わらしだったのだと思う。
思えばその頃から成績は伸び悩み、目的を失い、輝かしい人生を辿ることは出来なかった。今でも財産は失われつづけ、徐々に苦しい状況に陥っている。
それ以来その音は聞いていない。