はてなキーワード: 金髪とは
んだけど、その理由がこの前わかった。
社内政治劇やら歴史物など、ある程度の知識がいるものではなく、ただただ爆発!!アクション!!爽快!!みたいな映画ですら
「え?今なんでこうなってるの?」
「この人前と言ってること違くないか?」
と思うことがあって、何回か見ないと理解ができなかった
アニメや漫画、小説ではこんなことはならない。ある程度理解できる。
小4の算数で躓いた人生だったので、頭悪すぎて理解できないんだろうなと思ってた。
でも映画が好きなので色々と見続けてはいた。何回も何回も繰り返し観ながら。
そしてこの前、誰が何を言ってるかを確認するために2回目映画を観ながらふと思った。
と。
思い返すと、同じような外見(例えば金髪白人)が何人かいたらもう誰が何をしているのかがわからなくなっていたことが多いのだ
印象的な特徴(1人だけ帽子を被ってる・金髪だがロン毛など)があれば、別人として認識ができるのだが、その認知がうまく働いていなかった
そのときに見ていた映画も、同じような見た目の人が複数いた。黒髪のイケメンヤンキー、バイクに乗ってる……みたいな
だから、たとえ単純なアクション映画だったとしても、誰が何を言って何をしているかが全く理解できなかったのだ
思い返せば人生、人の顔を覚えるときも何か特徴的な部分を真っ先に覚えていたわということに気づいた
しかも、何回も人の顔間違えてることもあった
ウワー!スッキリした!と本気で思った
けどなんとなく心が軽くなった気がする
まあ頭悪いのは事実なんだけど、色んな人に「そんなこともわからないの?」と言われたので
なんかそういう特性なんだなと思えば生きていける気がした
性自認に科学的根拠はない。宗教・文化・経験や感情などを背景とした自己選択、
ただし、経験や感情も背景にしているので、時にメンタルの病気の場合もあるので、
性転換には注意が必要、社会の子どもたちへの性のフォローの仕方を変える必要があるまでは大丈夫っぽい気がするんだけど、
増田が『神が男女を作った』の信仰に生きる人ではない前提で書くけど、
性別ってのは単なる社会ロールで、宗教的・文化的・政治的理由で人間が勝手に決めたものでしかないの
性分化疾患(DSD)ほかそのどちらでもない性別の人たちが存在するように、
だけど宗教の人はこれをどうしても認められないのよ。信条的に困るからね
中世までのキリスト教では、メスでもちんぽを持つハイエナを"神を受け入れたかはっきりしない曖昧な人間の象徴"として扱ってたりするくらいだしね
あと、性自認以前にそもそも現在の科学レベルでは 『自我や自由意志は気のせい』が誠実な答えなのは、疑念をはさむ余地がないのね
自我・心とやらは脳に物理的に存在しないし、すべては単なる反応で、身体や環境的文脈から完全に独立した脳機能は皆無
でも、みんな経験から "自我という事象" があることを認識・共有しているし、増田も自我があるように振るまうでしょ
科学的事実・客観的事実・根拠がなくても、自分のことは自分で定義付けていいのよ
それが<自己決定に基づいて自分自身のアイデンティティを形成する権利>ね
性別にはあらゆる根拠がないので個人の自己決定に基づいて選択していただくのは、全然問題ない
・・・でもさぁ、だからといって物理や社会制度を完全に無視して、
『今日から僕は女でーーーす』『男でーーーす』とか言われても社会は困っちゃうのよね
現時点(2023年)では、社会的に認めて欲しければ、ちゃんと必要な手続きをとりましょう、
あるいは、無意味に自分の身体を傷付ける・負担をかける手術をする人たちを無くすために、
男女なる不合理な枠を少しづつ無くしていきましょうってなるよね
(神が男女を作ったという人たちは絶対にジェンダーフリー・レスを許さないだろうけどね。
というか、そもそもトランス自体がジェンダーフリー・レスに反対的な立場を割と取ったりする)
このあたり前の話をガン無視するならば、トランスレイシャル(transracial)だって認めなきゃいけない
白人・黒人のルーツがなくたって明日から白人・黒人になれる世界
あるいはアメリカ人のルーツがなくても明日からアメリカ人になれる世界
つか、性別がスパッとできず曖昧なように、人種の特徴とされる外見も非常に曖昧で、
祖先に白人を持たない夫・妻ともに黒人のカップルにアルビノではない、
3 African couples gave birth to a white child
https://afroculture.net/3-african-couples-gave-birth-to-a-white-child/
病院の診察室に置いてあった。表紙が気になってたから手に取った。読んだ。
完全にみくのしんのメロス状態になってしまった。序章を読むのにめっちゃくちゃ時間かかった。本読むのって難しいね…。
まず地図と人物紹介が載ってる。サラッと描かれてる単語、全然ピンとこない。不安になる。とりあえず読む。
まず冒頭に出てきた風邪が治った人。
人物紹介に載ってなかったから、あんま重要な人じゃないのかも。
砲撃の音で風邪治ったんだなって思うみたいな言い回しがおしゃれだった。
主人公母はムキムキになった。父は死んでるのかもしれない。
主人公と母は鹿を狩りに行こうとした。
26歳、女、研修医。
3月某日、私は自宅マンション14階の屋上にいた。危険防止のフェンスを乗り越え、飛び降りようとしていたところを目撃した通行人により警察に通報・保護され、そのまま精神科の閉鎖病棟に入院になった。入院生活であったことや思ったことを忘れたくないから書いておこうと思う。
なんで死のうと思ったのか、なにがきっかけになったのか。色々な先生に訊かれたがうまく答えられない。研修医をやっていて、でもうつ病になり休職していたら初期研修が2年で終わらなくて、それを開き直ったつもりだったのに全く自分の中では消化しきれていなかったのかもしれない。普通のレールから外れたことがつらかったのかもしれない。その数日前に、大切にしていたミモザのドライフラワーを母に目の前で「死んだものを飾るな!」と捨てられたことで、なんとか今まで保ってきた心が崩れたのかもしれない。理由はわからない。ただ、死にたかった。それだけだった。
入院生活は制限だらけで苦しかった。携帯電話をはじめ、私物はまず許可されない。一日が長かった。入院して3日目くらいまではずっと寝ていた。毎日悪夢を見た。
部屋を移動してすこし自由がふえたとき、話しかけてきた青年がいた。彼は金髪で紫色のスウェットがよく似合う背の高い子で、年齢はまだ19だった。
「俺金髪だし怖いよね」と言われたが、私も金髪だったときがあったので「怖くないよ」と答えた。そのあと年齢の話になり、彼は全病棟のなかで一番若いんだって、と笑いながら言った。
それからすこしずつ世間話をするようになった。好きなこと、漫画やアニメの話、今までの出来事。
彼は病棟内のムードメーカー的存在で、いつも笑っていた。どうしてここにいるんだろうと疑問に思ったほどだ。
あるとき、二人で話している時に彼が言った。
「ひとのキャパをコップに水を注いでる状況に喩える人がいるけど、それで言えば俺はコップの底がもう泥水みたいになって固まって水が溢れてずっとキャパオーバーしてる」
その瞬間やっとわかった。彼はとても苦しみながら生きていることが。自分のキャパシティを知りながら、どうしようもなく、もうすでに溢れているコップにずっと水を注ぎ続けられているのだと。
「人に優しく自分に厳しく、を15年続けてたらメンタルがぶっ壊れたんだよね。リスカして11針縫ったときも笑ってたし。せめて人のためになればいいなと思って今はドナーとかになりたい」
「自分のために生きられない?」私は訊いた。
「だめだなー、俺もう自分の感情とかよくわかんねーし。周りの人が幸せならそれでいっか、って感じ。兄弟にも好きなことをしろよ、兄ちゃんみたいになるなよって言ってる」
やるせなかった。こんな若くて未来のある子に、死にたいと思わせる病気が、環境が、社会が、全部が。やるせなくて、悲しくて、部屋に戻ってから静かに泣いた。
ほかにも彼は言った。
「安楽死制度があったら俺なにがなんでも利用する、楽になりたいって思うけどそれだと死ぬことにいきつくもん」
「死ぬのってどうやっても苦しいんだろうなー」
死にたいと思う人に簡単に「死ぬな」なんて言えない。楽になることが楽に生きることではなくて死ぬことと繋がっている人に、今後人生いいこともきっとありますよなんて無責任なことは言えない。ただ、生きていてほしいと思う。それくらいなら許してほしい。
生きることは苦しみの連続でしかない。でも、生きていてほしい、死にたい人に対して、私は勝手に願っている。死への恐怖を克服しないでほしい、そんなに強くならなくていい。
実際に問題は起きた。
黒人の活動家で黒人研究の大学講師でもあり、全米黒人地位向上協会(NAACP)の支部⾧をも務めたレイチェル・ドレザルが、実は黒人ではなく白人であることが地元のテレビ局によって暴露された。
両親は白人で黒人の祖先が一人もいないドレザルが本当の自分は黒人であると主張し、⾧年、黒人として生活していた。
地毛が金髪で肌の白いドレザルは肌を褐色にし、黒人のヘアスタイルを真似、「黒人」に変身していた。
秘密が暴露された後、ドレザルはメディアの取材に対し自分のことを black (黒人)、biracial (混血)や transracialと呼称し、幼い時から自分が黒人であると思い、自画像を描く際、自分の顔色に「brown」(茶色)のクレヨンを塗っていたと述べている 。
つまり、彼女は自分の「本当の姿」、自分の精神というか魂が黒人であり、自分が認識する人種と自分の身体的な人種あるいは社会から割り当てられた人種が一致していないと感じ、自分はいわゆる「トランスレイシャル」の人間であると主張した。
https://www.huffingtonpost.jp/2015/06/14/rachel-dolezal-naacp_n_7582132.html
なんかTwitter見てたらおすすめ欄に出てきて、色々追ってたらモヤモヤしてきたので吐き出し口というかなんというか。
とある絵師が描いた女の子のイラストを投稿し、絵師本人としてはギャルとして描いたものだそう。
それを「ギャル見たことないの?」と引用RTしたツイートが、自分のおすすめ欄に出てきたのが元。
リプとかいっぱいついてたのでつい見てみたら、「絵に何言ってんだ」っていう引用RT主を批判するムーブだったり、逆に「オタクってギャルの理解浅すぎ」と絵師やオタクを批判するムーブだったりが見えた。
「ギャル」で検索かけるとなんか明らかに当人置き去りで周りだけが対立してる感じがあって、『ど、どっちもめんどくせー・・・』となった。
めんどくせーとなるものの、なんでどっちもこんな必死に怒ってんだか分かんなくて不思議だったので考えてみることにした。
で、考え始めるとどうにも言えないもどかしさが湧いてきて整理がてら増田にきた。こんなもん自分のTwitterでやろうものなら、絶対へんなの来るのが想像に易いので匿名で。
なにがもどかしかったりモヤモヤしたかって、この件ってお互いに怒ってるポイント違うだろうに怒りの根本じゃなくて「イラストのギャル」について延々言い合ってるからなんかすれ違ってる感があるというか不毛な言い争い感が凄まじいというか。
ただ、この「怒ってるポイント」って血気盛んなツイートやリプをしている人の内容をサーッと見て、勝手に思っただけのものだから実際の思考や意図とは違うかもしれない。もしくはわざわざ考えなくても見りゃわかるだろ、って思ってもそっとしておいてください。
で、本題なんですけど。
その絵師さんが好きな方とかそのイラストが好きな方とかが怒ってるのはたぶん、『(ギャルを描いたと言う人に対して)ギャル見たことないの?』という「ネガティブな言葉をわざわざ引用RTという作者本人に見える形で向けたこと」、つまり作者本人への攻撃とも捉えることができる行為に対してじゃないかって。
作者にネガティブなコメントついたらそりゃ勿論ファンはいい気しないのはよくわかる。色んな感じ方があるからネガティブなことを思う人が居ること自体はしょうがない、でもそれをわざわざ本人に言うか!?言わなくていいじゃん、個人のツイートで言えば良いじゃん!なんで本人を傷つけに行くの!?それに言うにしても言い方ってもんがあるだろ!って思う。
だから、温度のない言い方に対してそれ見た作者のひとが傷つくだろうから謝ってあげて欲しい・ないしは発言を撤回して欲しいという感情が先走って、『お前の発言は間違っている』という落としどころに導くために、「絵に何言ってんの」とか「お前のギャル観は間違ってる」とか「作者の人は間違ってない」という方向性に進んで行くんだろうなぁという見解。
自分はオタクなので推しに置き換えて考えた時にそういうことがあったらやっぱりいい気はしないので、自分としての思考はこっちに寄ってしまうけど過剰にファンが騒ぎ立てるのは逆に本人に迷惑かけるので触れないことがそもそも上策だと思う。
そして、その絵師への擁護への反論やギャルに関して諸々の指摘される方は、「リアルと、そのイラストの『ギャル』の違い」を声高に仰る方が多かった印象。
『ギャル』っていう実在する一種のスタイルというかジャンルに対して愛着がある人から見たら、『オタクに優しいギャル』という『オタクが考えたギャル』という概念は、その愛着があるものを勝手に違う型にはめられたような、侵食されるような、違うもので上塗りされるような嫌悪感があるが故の住み分けをして欲しさという解釈。
何かに置き換えてその感情を想像できないかと思うけどいい例が思いつかない。その俳優の人となりが好きなのに、一度演じた役柄の話しかしてこなくてあまつさえその役柄と違うことを素の俳優がやったら文句言ってきたり、素の俳優が嫌いでその役柄に当て嵌めさせようとするばかりか、「(想像上の何か)の○○さん」という概念を作り上げようとする俳優ファンに出会うようなもんなのかもしれない。いやそれめっちゃ嫌だな・・・。勝手な個人の感想だけど「全部愛せよ」ってなる。
もちろんフィクションはフィクションであって、「オタクに優しいギャル」というリアルとは切り離した創作上の概念ではあるけど、「ギャル」ってリアルにも存在する呼称を使うから、リアルと違えば違う程、またしっかりとしたイメージを抱いているほど嫌悪感出るのも分かる気がする。そういうリアルと創作を切り分けて楽しむっていうのかなんというか、誰にも言われずとも「そういうもの」って古のオタクは閉じたコンテンツの中での暗黙のルールとしてやってきた印象はあるけど、昨今の増えていく注意書きや地雷配慮などを見ていると今はそういう時代というか、開かれたSNSってそういうことなんだろうなぁと思ったりもする。
たぶん同じ理由で「オタクに優しい『ヤンキー』」とかでも同じようなこと起こるかもしれない。もしくは起きてるのかもしれない。
そういう観点で見たら「オタクに優しい『ギャル』」じゃなくて「オタクに優しい(自分の見解の)つえーヤツ」とか「オタクに優しい(自分が思う)ヒエラルキー上位層のヤツ」とかなんかもうちょっとふわっとしてたらこうはなってないんだろうな・・・。自分はヒエラルキー下位の人間だったので、創作の中でぐらい夢みたい気持ちは十分にある。
あとは普通にオタクが嫌いだから『イラスト』などのコンテンツに拒否反応がある人もいるだろうけど。それはどうにもできない。嫌いとか嫌だと思うのもそれは人間の感情なので、思うこと自体を否定することは出来ない。
でもだからと言って、好きでも嫌いでも何を言ってもいい訳ではないので・・・。
そんで、「リアルのギャルのこと分かってない」って指摘から「リアルのギャルっつーんならこれもギャルだろ!」って極端な例を持って来て反論して、そんで作者の性別やらセンスがどうこうみたいな話になっていって、なんでどっちもこんな不毛な話をいつまでも冷静にならずに熱心にするのか分からん。熱くなりすぎてどんどん話が訳わからんことになってるし、明確な絵師叩きまでいったらなんか違くないかって思う。
・・・というところまで考えて、ままならんというか、どっちもめんどくせーってなった。絵師本人も自分が見た引用RTの元の人も、既に終わらせた話として話題にすらしねぇのにいつまでやってんだ。
自分の周りにギャルはいなかったので、リアルのギャルは知りません。
でもテレビのインタビューやバラエティとか見たのは、メイクばしばしでまつ毛くるくるで、髪色は明るい茶色とか金髪っぽい髪色してて、ネイルも長くて装飾がすごい感じでとりあえず派手で盛ってて、服装も身体を隠さない(露出狂という意味でなく)ちょっと露出ある服着てて自分に自信があって、という感じの女子だったのでそんなイメージです。
だからそのイメージで言うなら、絵師さんのイラストの女の子は自分のギャルイメージとは少し違うんですけどべつにそれがどうかするわけじゃないので、絵綺麗だな、というふわっとした感想しかなかったのですごい盛り上がってる人たちがいて慄いてしまった。
ある日、テキサス州の田舎に住む老夫婦が川で洗濯をしていました。川は清らかで冷たくて、そこには魚やカエルやカモなどが泳いでいました。老夫婦は仲良く手をつないで歩いていました。彼らは子供がいなかったので、お互いが唯一の家族でした。
すると、川に大きな桃が流れてきました。桃は真っ赤でふっくらとしており、甘い香りがしました。老夫婦は驚いて、桃を拾い上げました。「こんな大きな桃は見たことがないわ」と老婆は言いました。「今晩はこれを食べよう」と老公は言いました。
家に帰って、桃を切ろうとしたとき、中から元気な男の子が飛び出してきました。「こんにちは!僕はジョニーだよ」と男の子は言いました。彼は金髪に青眼で小さくて可愛らしい姿をしており、笑顔が素敵でした。老夫婦はさらに驚きましたが、喜んでジョニーを自分の子供として育てることにしました。
時がたち、ジョニーはすくすくと育ちました。彼は強くて勇敢で賢くて優しい少年になりました。彼は老夫婦の手伝いをしたり、友達と遊んだりして楽しく暮らしていました。彼は学校で成績も良くてスポーツも得意で、みんなに慕われていました。彼は特にサッカーが好きで、チームのキャプテンを務めていました。
ある日、ニュースで悪い鬼たちがワシントンD.C.を襲って大騒ぎになっていることを知りました。鬼たちは人々や動物や財産を奪って暴れまわっていました。彼らは白宮や国会議事堂やリンカーン記念堂などの有名な建物を占拠しており、大統領や議員や裁判官などの要人を人質にしていました。彼らは世界征服すると宣言しており、他の国からも脅迫していました。
ジョニーはこれを見て怒りました。「これは許せない!僕が行って鬼たちをやっつけてやる!」と言って、老夫婦に別れを告げて旅立ちました。
途中で、ジョニーは犬と猿とキジと出会いました。彼らも鬼退治に協力することにしました。彼らは仲良くなって一緒に旅を続けました。
ジョニーと仲間たちはワシントンD.C.に到着しました。そこは鬼たちによって荒らされており、煙や火や悲鳴があちこちから聞こえてきました。ジョニーと仲間たちは勇気を出して鬼たちに立ち向かいました。ジョニーはライフルを持って戦いました。犬と猿とキジは牙や爪やくちばしで戦いました。
ジョニーと仲間たちは鬼たちと激しく戦いました。ジョニーは鬼の頭目に挑みました。鬼の頭目は大きくて強くて恐ろしい姿をしており、巨大な斧を持っていました。
鬼の頭目はジョニーに向かって大声で叫びました。「お前なんかに負けるものか!俺は世界征服するんだ!」と言って、巨大な斧を振り下ろしました。
ジョニーは素早く斧を避けて、自分の持っていたライフルを鬼の頭目に向けて撃ちました。しかし、鬼の頭目は弾丸を跳ね返してしまいました。「ふん!そんなものじゃ俺には効かないぞ!」と言って、再び斧でジョニーを襲いました。
ジョニーは危うく斧から逃れることができましたが、バランスを崩して倒れてしまいました。鬼の頭目はこれを見て笑いました。「これで終わりだ!さようなら!」と言って、最後の一撃を与えようとしました。ジョニーは必死になってライフルを持ち上げて、鬼の頭目の心臓に向かって引き金を引きました。
ジョニーの撃った弾丸は鬼の頭目の心臓に命中しました。鬼の頭目は大きく倒れて動かなくなりました。彼は死んでしまいました。
ジョニーと仲間たちは鬼の頭目を倒したことに喜びました。「やったぞ!鬼の頭目をやっつけたぞ!」と言って、ハイタッチしました。
そのとき、他の鬼たちが騒ぎ声に気づいてやってきました。彼らは自分たちのボスが倒れているのを見て驚きました。「ええええ!?ボスが死んだ!?どういうことだ!?」と言って、パニックに陥りました。
ジョニーは彼らに向かって叫びました。「聞け!お前たちはもう負けたんだ!お前たちはもう悪さをすることができないんだ!お前たちはもう世界征服することができないんだ!」と言って、ライフルを構えました。
犬と猿とキジも彼に続いて叫びました。「そうだ!お前たちはもう負けたんだ!お前たちはもう悪さをすることができないんだ!お前たちはもう世界征服することができないんだ!」と言って、牙や爪やくちばしを見せつけました。
鬼たちはこれに怯えて逃げ出しました。彼らは白宮や国会議事堂やリンカーン記念堂から出て行きました。彼らは人々や動物や財産を返して謝りました。彼らは二度と戻ってこないことを誓いました。
ジョニーと仲間たちは鬼たちを追い払ったことに喜びました。「やったぞ!鬼退治に成功したぞ!」と言って、抱き合いました。
そのとき、人質にされていた大統領や議員や裁判官などの要人が現れました。彼らはジョニーと仲間たちに感謝しました。「ありがとう!君たちは我々の英雄だ!君たちは我々の救世主だ!」と言って、拍手しました。
ジョニーは彼らに微笑みました。「どういたしまして。僕はただ正義の味方をしたかっただけです」と言いました。彼は犬と猿とキジを紹介しました。「これが僕の仲間です。彼らも一緒に戦ってくれました」と言いました。
要人たちは彼らにも感謝しました。「ありがとう!君たちも素晴らしい仲間だ!君たちも我々の英雄だ!君たちも我々の救世主だ!」と言って、拍手しました。
そして、ジョニーと仲間たちはワシントンD.C.で大歓迎されました。彼らはパレードやパーティーや表彰式などで祝われました。彼らは名誉や賞品や贈り物などを受け取りました。彼らは幸せで満足で充実していました。
そして、ジョニーは老夫婦の元に帰りました。老夫婦はジョニーが無事であることに安心しました。「おかえりなさい!お疲れ様でした!」と言って、抱きしめました。ジョニーは老夫婦に感謝しました。「ありがとう!あなた方が僕を育ててくれたからこそ、僕は今日のことができたんです」と言いました。