はてなキーワード: 繁殖とは
朝、電線にオナガがとまっているのを見た。今年二度目の目撃。ここいらで見るしっぽの長い鳥といえば、もっぱらシジュウカラだったのだが、久しぶりにオナガが戻ってきた。
30年くらい前から、全国的にオナガの棲息域が山の方へ撤退しているらしく、今は市街地でオナガを見るのは珍しいとかなんとか。そういえば確かに、私が小学生の頃は電線にオナガがとまっている風景はごく当たり前だったけど、いつの間にか見られないものになっていた。というのは、単に私があまり外の風景を見なくなってしまったせいかなと思っていたけど、違ったのか。
市街地から姿を消し、山へ移住したオナガがその後どうなったのかというと、初夏の一時だけ棲息域のかぶる渡り鳥、カッコウの托卵のターゲットとなり、ずいぶんひどい目に遭わされた模様。
鳥というのは知能よりも本能優先で生きてるので、カッコウにタゲられるなどイレギュラーな事態になかなか対応できず、しばらく一方的にやられっぱなしになる。ところが、やがては托卵されていることに気づく時がきて、托卵対策を取るようになる。そして托卵するものとされるものの激しい攻防戦が始まる。
そうやって、托卵するものとされるものとが闘いながら互いに進化していくのだけど、その闘いの始まりが観測されたということは世界でも珍しいことであるらしく、日本のカッコウVSオナガは世界中の専門家から注目されているのだそうな。
などというバトルが私の知らない所で起きていたということを、最近まで知らずに、そういえばオナガいねぇなあ、とたまに思うだけで暮らしてきた。知った今となっては、電線とまっているオナガを見て、もしかしたらカッコウに巣を乗っ取られるのに嫌気がさして、平地に戻ってきたのではないかなあ? と私は思うのだけれども、真相やいかに。
でも、ここら辺は平地の住宅街だけど、実は近くの河原にカッコウが来てるはずなんだけれども。といっても、河原のそばからより街なかに引っ越して以来、カッコウの鳴き声を聴くことがなくなってしまったので、今もまだカッコウが渡って来ているかわからないけど。
カッコウは南の方からほんの短い期間だけ、日本に渡ってくる鳥で、現在は目撃例が減少傾向とか。日本でカッコウの好む森林と湿地の境界という環境が減少しているのと、カッコウの主な住み処である南の国の環境破壊が原因っぽい。
カッコウが減って、オナガが増えた、かもしれない? というのも、街にオナガが戻って来た一因だったりするのか? あるいは、私の住む市街地がややゴーストタウン化してきており、ひと気の無いことがオナガには住み易いのかもなんて考えた。
ところで、もう半月から一ヶ月くらい前に、やや時期外れのホトトギスの声を聴いたような気がした。鳥の声かと思ってよく聴いてみたら、近くの工場で旋盤の回転する音だった、なんてこともあったので、聞き間違いの可能性もなくはないけど。だがほんとうにホトトギスならば珍しいように思う。ホトトギスはカッコウに近い仲間で、確かウグイスに托卵する。ウグイスが繁殖するのは春先なのに、なんで今? と思わなくもなかった。
ウグイスはこの辺に時々出没するので、ホトトギスもこの辺に現れるというのも変ではないように思える。ウグイスがいて、ホトトギスがいる。ならばオナガがいてカッコウもいる、ということに、いずれなるのでは? という気もする。
カッコウが托卵するには立地条件がだいじで、低い所にカッコウよりも小さい鳥が営巣していて、その近くに小鳥の巣を日がな一日見張れるような、高い木がなくてはならない。
オナガがこの街のどこかに巣を作っているとしたら、カッコウにとってオナガの巣を見張れる場所は街の至る所にあるように思えるが。いずれ、街なかにいてカッコウの声が聴かれるようになったりするのだろうか?
今朝はオナガだけでなくツバメも見た。最近あまり多く見なかったので、もう南に帰っちゃったのかなぁ、寂しいなぁと思っていたが、まだいた。
何故だか、今日見たツバメは空をついーっと滑空してはおらず、コウモリのような動作で低空を羽ばたいていた。虫を捕って食いながら飛んでいたのか、それとも単に飛ぶのが下手なのか謎。
そういえば、私は小学校中学年以前は、このくらいの時期に家族で海に行ったものだけど、ある年、行きの車内ですごく沢山のツバメを見た。山あいにあった町の商店街を通過した時だ。
当時、その街は今のように寂れてはいなくて、休日となれば沢山の人々でごったがえしたものだった。人の多い場所の建物の軒下をツバメは好むから、沢山のツバメが住んでいるのは当然のことだった。だが、それが一斉に、まるで冬のスズメみたいに電線にびっしりとまり、その上空をやはり沢山のツバメが飛び交っていたのは、いよいよ繁殖を終えて南の国に渡ろうとしているまさにその時に出くわしたのではないかと思う。
あ、今回も鳩いなくてめんご!
初めて猫飼ってみたけど猫ってかわいそうだな。
天敵もいなくて、清潔な環境で、毎日栄養満点の餌を食べて、仲間とじゃれあって、キャットタワー登って。
悪くないんだろうけど、退屈そうだなと思う。
私の家(賃貸)は決して狭いほうでもない。数部屋ある。
けど、猫たちの一生、ここ以外世界が無いんだって思うと改めてかわいそう。
猫はナワバリの外に出ない~なんていう意見もあるが空間の可動範囲は家と外じゃ全然比べようもない。
退屈を感じるほどには猫には知性があるけど、何の新しい発見も刺激もない空間でやたらと健康にされて長生きさせられる。
猫にハーネスつけて散歩させる人もいるけど、あれって猫の意思で能動的に行動できないよね。
性器を取り除かれ繁殖もできず、人間に気まぐれに愛玩されてるだけで狭い家の中に一生閉じ込められる。
飼い猫は野良猫よりは幸せだろう。毎日命の危険がないというだけで絶対にそれだけは言える。
そうなんだろうけどそれでも猫の幸せってこれぐらいがピークなんだな。
現代の中流レベルの人間が動物に提供できる幸せってこんなもんなんだ、って飼ってみて思った。
未来だと、もっと豊かなペットの飼い方が展開されてたりするんだろうか。
今の飼い方も昔の人の野蛮で残酷な飼い方とされるのかもしれない。
表皮ブドウ球菌性の皮膚炎だね。
要は、皮膚の上に繁殖している常在菌のバランスが崩れて、皮膚炎をおこしちゃうやつ。
短期的には、殺菌剤+ステロイド剤で治し、長期的には相性のよい石鹸を選んだうえで洗い過ぎないようにする。
最近、農道のど真ん中のトンビポイント(なぜかよくトンビがトコトコ歩いているポイント)にトンビがいない。最近の田んぼ周り、なんならスズメもいない。
私の車が通ると、慌てて飛び立つのはムクドリばかり。ムクドリがいっぱい。あっちもこっちもムクドリ。そして、最近めっきり見ないスズメとシジュウカラ。
先日、ちょう久しぶりにオナガを見た。なぜか知らんけど、今、全国的にオナガの生息域が山の方へ撤退していて、市街地にはオナガってあまりいないんだって。そう言われてみれば、私の子供時代はオナガが電線に停まってる姿は、日常の風景だったなあ。ここいらでオナガを見ないのは、私の出身地とは違う県だからかなと思っていたけど違うみたいだ。
6月末に麦刈りが終わってすぐ、田植えが行われた。この地方は二毛作が普通なせいか、春の田んぼの空き日数がものっすごく短い。
どちらかといえば河川の上流に近い地域(私の故郷に比べれば)なせいか、ここら辺は田植えの時期が遅い。元から遅いんだけど、温暖化や毎年9月頃の台風や水害対策もあるようで、田植え時期が年々遅くなってとうとう6月末にまで先延ばされるようになった。20年くらい前はGW前後だったと思ったけれども。
そんな訳で、田植えの時期がズレたせいで、田んぼ周りの生き物のライフサイクルもだいぶ変わったんじゃないかなと思う。ヒバリは麦畑に巣を作るので、田植え時期のズレと共に麦刈り時期も遅れたことにより、昔よりもゆっくり繁殖できるのかなあ? 今年は五月半ばくらいまで、ヒバリがピヨピヨしていたはず。
一方、田んぼに中々水が入らないせいで残念なことになっていそうなのは、カエルとツバメだ。タガメみたいな水生昆虫もかな。
春、カエルが冬眠から目覚める頃、田んぼにはまだ水がない。五月にカエルのタマゴやお玉じゃくしは見られなくなった。
GW前頃にツバメが渡ってくるが、田んぼに水がないと虫があまり捕れない。そのせいか、ツバメが多く飛来する時期も昔よりも遅くなってる感じがする。
最近、すっかり梅雨なので、カエルとツバメはめちゃめちゃ元気だ。しかし、ツバメが元の住み処に戻るまであと一ヶ月くらいしかない。ツバメのライフサイクルを調べたことがないからわからないけど、確かオオヨシキリは春の繁殖期(3月~7月くらい?)に時間の許す限り産卵と育児を繰り返す。ツバメもそうだとしたら、もしかすると1サイクルぶんくらい、繁殖回数が減っているかもしれない。もし巣が敵に襲われたりなどして雛が全滅した場合、巣を作り直しタマゴを産み直す暇がないのでは? 知らんけど。
我が家にはツバメが巣を作ってくれないので残念。最近のツバメ、民家に巣を作っても壊されるだけだって学習していないか? それか、昼間の住宅街に人間の気配がしないので、ここに巣を作っても天敵から守られることはないと思っていそう。うちだけじゃなく、軒下にツバメの巣があるお家が、近所には全然ない。
そのかわり、幼稚園、病院、老人ホーム、小学校の高い所の軒下にツバメが営巣しているのは見た。近所のスーパーには十年前はよくツバメが巣を作っていたけれど、店の人によって徹底的に壊されてしまうせいか、今ではすっかりツバメが寄り付かない。
ゴーストタウンには住まない鳥といえば、スズメもそうなのだ。人口とスズメの数は比例する。私の住んでる地区は空き家も多いし昼間誰もいない家が多い。見かけるスズメの数も年々減っている。人間の気配が少ないうえ、カラスとハクビシンとヘビが多く住み着いているので、スズメが住むには向いていなさそう。
数年前、大雨でうちの屋根にあったスズメの巣がベランダに落ちてきたことがあった。当時は私だけでなく、小さかった子供たちも家にいてにぎやかだったから、スズメ的にはうちの屋根の上は安らげる場所だったかもしれない。
ところが、ハクビシンが近所に住み着いた。うちの屋根の上もハクビシンの通り道になっていて、西の雨樋と東の雨樋の両方にハクビシンの足跡がついてる。時々、ベランダにハクビシンのウンコが落ちている。
ハクビシン通路に営巣は無理なのだろう。去年も今年も雨が降ってもスズメの巣は落ちて来ないし、あっちこっちがムクドリだらけになった最近は、スズメの姿をあまり見かけなくなったし、ベランダの物干し竿にスズメのウンコがついていることもなくなった。
田植えが終わって数日しか経たないうちに、田んぼの水面がぶわーっと水草の芽みたいなものに覆われた。そしたら、沢山カモがきた。水深が浅いせいで、せっせとばた足に励んでいるお尻がよく見えて可愛い。けれども、親ガモが仔ガモの行列を連れているのは、いまだ見たことがない。
毎年、田んぼに水が入るとアオサギが沢山飛来してくる。この地方あんまりシラサギは見かけないんだよなと思っていたが、この二、三年ばかりはけっこうシラサギも見かける。面白いもんで、アオサギとシラサギって田んぼの同じ区画に一緒に居ることはあまり多くないようだ。農道を挟んであっちの田んぼにはアオサギ軍団、こっちの田んぼにはシラサギ軍団、と別れて固まりがち。
今年はアオサギもシラサギも飛来が遅いな、と思っていた先日、変わった鳥を見た。すごく脚が長くて、翼の前半分が白く後ろ半分が黒と、色がパッキリ別れているので、アオサギでもシラサギでもないと思う。ツル的な何か? でも、ここいら辺でそんなツルっぽいものを見るのは、初めてだと思う。
ところで、今年は1羽もキジを見ていない。キジ! 居るんですよ。田舎とはいえそんなに大自然豊富な所じゃないのに。だけど、今年はまだ見ていない。
以前、この町の中だけどもっと南の方に住んでいたとき、庭によくキジがくるお宅が当時の私の住み処のすぐそばにあった。そこんちの庭が私の家の窓からよく見えたので、キジがくると飛んでくまで眺めていたなあ。
うちから数キロ先に、かなりでかい河があり河原の人間用にカスタマイズされていない部分にはかなりのワイルドネイチャーが広がっている。どのくらいワイルドかというと、数年前まではよく鹿や猪が出た。ここ数年はめっきり猪注意報が発令されないけど、たぶん朝っぱらから堤防付近を人間がやたら走ったり自転車こいでたり犬の散歩しまくってるからじゃないかなあ?
河原に行ったらハイタカが見れるかなあ。ハイタカ一度も見たことないから見てみたいよなぁ、と思うんだけど、河原に降りる階段の手前に大きな住宅街があって、そんな所を歩いていると知り合いに「あんた何してんのこんな所で!?」と言われまくりそうなので、近づけないでいる。
河と鳥で思い出したけど、この町に移り住んでから一度もカワセミを見ていない。故郷にはカワセミがいて、大してきれいでもないむしろ汚いドブ川にかかる橋の欄干によく停まっていて、魚獲ってた。
この国では綺麗になりたいと仕事に出て金を稼ぐも、ルッキズムによる支配が格段に強く
外見での差別が酷い為、化粧程度で女性の価値を認めてもらえないという現実がある。
金を稼ぎ終えた頃には精神肉体共に疲労、美のみを追求し車内で化粧を施す女はバカ女と蔑視されて周囲から指をさされる。当然、車内では書籍など読まない。無料の漫画をスマホで読むのだ。
何なら学歴すら重視されない。
バカみてえなこの国はそうやって女性の自立心を廃除し衰退の一途を辿る。
モテない男はマッチョイズムに則り、肉体の鍛錬を行うのだ。スポーツとかいう祭典で汗水垂らしながらコロナに罹る。そして若い繁殖能力のある女に面倒を見てもらい膝枕の上で眠る。
いずれは枕営業される事を夢見ながら
松ってそんなに良いものかね。たしかに植木なり盆栽なり手間をかけたならば他の木にはない魅力が生まれる。でも、枝ぶりを矯正し続けてはじめて得られるゆがんだ美は、そんな称えられるようなものだろうか?
普通に植わっている松を見て、ああこれは松の木だな、なんてまず思わない。下に落ちている松ぼっくりから類推して松の木であろうと思うだけ。食べられる部位も松の実くらい。身近にある松は安価なパイン材。松はせいぜいこんなものだろう。
それならば、手間をかけずとも真っ直ぐ天を目指して伸びる竹のほうがよろしいと俺は思う。繁殖性の高さは玉に傷だが、手頃な刃物があれば誰でも加工できるし、青竹の香りの清々しさときたらこたえられない。筍もうまい。
というか、松竹梅で梅が一番下なのはあり得なくないか。花の可憐な美しさは誰もが理解できるし、漬け物として特別な地位をもつ実がある。普通に考えてこれが一番上ではないのか。皆も本心ではそう思ってはいないか。「松竹梅」がランクをあらわすと知ったとき、梅が一番上だろうと皆思ったのではないか? 松が一番上なのはおかしいと最初は思ったのではないか? 世間に慣れていくうちに松が最上だなんて刷り込みが完了してしまっただけではないのか。
酔ってパウチパックを開けるのは危険なので気をつけないとな、と思っていたのに最後の最後に切り取り部分を切り離す時にシンクにぶちまけ、いや、排水口がにおうのは繁殖した細菌の活動によるものだから問題ない、と、洗ったモッツァレラチーズを半泣きで食べている。
これに比べれば「白カビはセーフ」はかなり攻めている割に現実的なルールだ。
青カビのチーズを、科学というものが存在しないうちから食べ、統計さえ待たず食文化にしたのマジですごい。しかも比類無きうまさ。
きのこの挑戦とは違う方向にすごい。きのこはワンチャンあるし見た目の違いが分かりにくい。でもカビはさ…黒がダメなんだから青は無理でしょ…
しかもその先に人類の生存における至上命題の解決的存在、抗生物質が発見されるなんて、出来過ぎでしょ。転生者いたでしょ
余談が長くなってすまなかった。人類史のオーパーツのうち、転生者いたでしょってくらい発見が信じられないやつ、なんかないかな
昔……おそらく2006年くらいの自分は、家庭を持つ事に憧れていたし母親になりたいと思っていたと思うんだけど。
いつの頃からか、小さい子供を持つ「母親」というものは世間で無条件に持て囃され、何ら責任を負わずに済むようという風潮になってしまった。こんな世の中では世の「母親」というものに対して反発と敵対心しか持てず。母親は子供を虐待死させようが無条件で庇われ、肯定されるという世の中。とにかくそれが嫌で嫌でしょうがない。
ネット言論はどこを見ても、母親に多くを求めるな、三歳児「神話」なんてない、子育ては保育園に丸投げしていい、母性信仰の押し付けやめろ、といったものばかり。育休や子供の急な発熱による遅刻早退欠勤仕事で独身の同僚に皺寄せがいっている事を愚痴られても会社や経営者が悪いで済ませ、彼女達自身が会社を改善するために自発的に動く事などはない。独身者女性の声と違って聞き入れてもらいやすいにも関わらず。あなたたちの娘だって将来独身の成人女性になる可能性はあるのに。それに比べると父親に関しては虐待や育児放棄は叩かれ、多少はまともに親の責任を果たす事が求められている。とにかく小さい子供を持つ「母親」は全面的に肯定され、何ら責任を果たさずに済むようになっているもよう。
子育てに対する金銭的・精神的な支援も昔に比べれば格段に増えたのに、もっともっとと際限なく求める。日本の経済状況が悪化する中で、こと子育てに関してはじゃぶじゃぶお金を使えるんだから、その税負担が独身や子無しにいっている事はちょっと考えれば分かる筈なのに、感謝するどころか日本は子持ちに優しくない!と被害者面するばかり。
映画の『トゥモロー・ワールド』が2006年か。あの映画は好きだったけど、繁殖力が衰えて少子化が進んだ未来社会で妊婦と赤ん坊に希望を見出すというテーマ、正直今だと全く受け付けないような気がする。あの頃も「少子化」が叫ばれてはいたんだろうけれど、少なくとも今よりはまだ気にならなかった記憶なんだよな…。
東日本大震災での原発事故後の「子供を守れ」の大合唱や、その後の「保育園落ちたぞ日本死ね」辺りが契機だったように記憶している。
ただ2011年3月の時点では既に少子化悪玉論にうんざりしていたような記憶はあるな…その辺どうも曖昧。
自分の記憶だと2006年頃は、「貧困」「格差社会」「プレカリアート」が標語とされ、年齢を問わずに非正規労働や貧困の問題が語られていたような記憶。少子化は話題にされてはいても、その原因として貧困故に結婚できない若者の存在はちゃんと話題にされていたし、少子化対策として今のように「子育て支援」一辺倒ではなかったような記憶だ。それが今では「貧困」は「子供の貧困」になり、子供のいない成人の貧困は置き去りにされるようになってしまった。給与についても「若者の給料は低い」とのみ語られ、現在の中高年(かつての若者)だって給料は低いし上がる見込みもない事は無視される。
2000年代後半から震災前後にかけて、だんだんと年齢や子供の有無による選別が進み、生産性のない人間を露骨に虐げてよいという風潮になったのか…?と思っているけれど、どうだろう。
フィクションだと『TIGER&BUNNY』の主人公が、娘を郷里の母に預けていた事で育児放棄と叩かれていたのが印象的だった。これ、もし主人公が父親じゃなくて母親だったならこんなふうに叩かれたんだろうか?って思った。いやそもそも女性だったら主人公にならなかったのかもしれないが。
現実と同様にフィクション作品においても父親は叩かれるが母親は全面的に擁護されるという傾向、いつの頃からかあからさまになったなーって思う。
あと気持ち悪かったのが『おおかみこどもの雨と雪』に対するネットでの反応。母親に完璧を求めるな母性信仰を押し付けるなと、あくまで一人の女性を描いたフィクションであるにも関わらずそれを現実の全ての母親に対しても求めているかのような意見が異様に多くて怖かった。まああの作品は娘の視点から見て、息子と娘で差をつけすぎという感想も結構あってそれには納得したけれど。
昔の自分は漫画の『フルーツバスケット』のようにシングルマザーの子育てを描いた作品が好きで、自分もそんな母親になりたいという気持ちがあったんだけど。今は何かもう未成年の子供を持つ「母親」という存在自体が地雷で、見るに堪えない(明確に古い時代を舞台にした話ならばかろうじて大丈夫かもしれない)。好きだったんだけどなー。母親が愛情を持って子供を育てる話。今の母親はどこまでも自分が自分がで子供の事なんかアクセサリー程度にしか思っていないようなのばかりだし、フィクションでもその手のコミックエッセイが異常に増えて、もううんざりだ。
今だと『破壊神マグちゃん』とかも、これは一見母親が子供のために頑張って稼いでいるように見えても実際には税金で十分な支援を受け子無しから搾取してるんだろうなと思うと嫌な気持ちになる。
作品や作者に罪はないんだけどもう昔のような純粋な目では見れない。
何がしんどいって今生きてる子供達は皆、そういう我が儘で傲慢な母親から産まれてきたって事だよなー。だから子供を助けるような仕事をするのもそういう母親を助ける事に直結してしまうので嫌な気分になるというか。
子供のため、じゃなくてその子供達が大人になった時の、大人の人権を守ろうという発想ならまだ少しはマシかもしれないけれど。それでも今の「母親」世代を利するのかと思うとうんざりではある。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1737926
毎日シャンプーすると、しっかり洗うと禿げると思ってる情弱(死語かな)もいる。
洗え。
毎日洗え。
肝心なのはちゃんと汚れが落ちているか、しっかり濯いでシャンプーやリンス、コンディショナー、トリートメントを適切に落としきっているか。雑な洗浄と濯ぎで毛穴が詰まる、爪で引っ掻くなどの強すぎる刺激が禿げに繋がるだけだ。
そして乾かせ。
乾かさないと菌が水分と体温とで繁殖、水分でまた埃と菌を余計に集めて更に旺盛に繁殖し、臭くなる。ちょっとでも臭いがあるなら本当に臭くなる。
洗え、そして必ず乾かせ。
櫛を使ってるなら、シャンプーするときにシャンプーしてる髪をとかすかシャンプー等で洗い清潔を保つこと。
枕カバーの上にゴムで着脱簡単な枕パッドを三枚買い、毎日洗い替えるで全然違う。
枕から頭が落ちる奴は薄手で構わないので頭が触れる部分をタオルで被い、毎日洗う。掛け布団の顔や頭が触れやすい部分も被うとvery goodだ。シーツより小さくて済むから毎日洗濯しやすい。
洗濯は襟肩脇の下背中上部て背骨の上に当たる背中のたて真ん中を食器用洗剤、メイク落とし洗浄剤なども駆使して洗うと効果が高い。
大好きな大好きな推しがパンティーを被ってることは初めて推しを知った日から知ってたし、ツルツルでいかにもブランドものっぽい高そうなパンティーだってことも知ってた。
それに関してのもやもやよりも推しの顔とかスタイルとかダンスも好きだったから、パンティーに罪はないし目を瞑ってた。
推しはまだ若いし、実家にもパンティーがありそうだから頭にパンティーを被せることなんて何にも考えたことないだろうし自然なことだったと思う。
でもそこがやっぱり無理だった!
差し入れならセーフか?と思ったけど推しが被ってるいかにも写真映えして「高そうなパンティー」だから差し入れでもらったとは到底思えないし、蚕の頃から飼っているという情報もわりとちゃんとした出所で存在するし。
シルクのパンティー自体反対寄りな気持ちだけど、パンティー被りは大反対。
推しがパンティーに向ける視線が愛情こもってればこもってるほど、この人はなーんにも考えたことない頭パンティーの人なんだなって思ってがっかりする。
イスラエルの食品技術企業・Future Meat Technologiesが、首都テルアビブから南に約20kmのところにある都市レホヴォトに、世界初の産業用培養肉生産施設を開設したことを発表しました。上記写真はイメージではなく、Future Meat Technologiesが公開した施設の写真です。
Future Meat Technologies Launches World's First Industrial Cultured Meat Production Facility
Future Meat Technologiesは、動物を飼育・繁殖させることなく、また遺伝子組み換え作物を使うこともなく、動物細胞から肉を直接生産するための流通プラットフォームを開発している食品技術会社です。
発表によると、施設は1日にハンバーガー5000個分に相当する500kgの培養肉を生産できる能力を備えています。すでに鶏肉、豚肉、ラム肉は生産可能な状態で、牛肉もまもなく生産できるようになるとのこと。これは従来の畜産の約20倍という高速な生産サイクルだそうです。
創業者で最高科学責任者でもあるヤコブ・ナミアス教授は「培養肉のコスト・パリティ(従来品のコストと同等かそれ以下になる)への到達が市場の予想より早くなると実証したあと、この生産施設は真のゲームチェンジャーとなります」「この施設は当社が独自に開発した培地再生技術を実証するもので、業界標準の10倍の生産密度を実現しています。我々の目標は、誰もが手頃な価格で培養肉を手に入れられるようにするとともに、健康的で持続可能なおいしい食品を生産し、次世代の未来を守ることです」と述べています。
Future Meat Technologiesの生産プロセスは、従来の食肉生産と比べて、温室効果ガス排出量を80%削減、土地の使用量を99%削減、淡水の使用量を96%削減できる見込みだとのこと。
Future Meat Technologiesでは2022年にアメリカで培養肉を販売することを目指しているとのことです。
生きてる内に「たまには本物の肉も食べてえなぁ…」をやれる日が来るのか?
風雲たぬき城(@G3H23) - 26分前
いっつも思うけどここまでやるんだったら豚とか牛とかにこだわらずいろんなDNAを掛け合わせて培養ならではの超うまい肉細胞をつくればいいのに
(╬´◓ω◔`╬)折羽ル子(@orichallcom) - 7分前
その通りで、今は疑似肉という形になってるけど、いずれは「本物の肉より数十倍うまい・・・もうこれでええやん」となると思ってる。たぶん10年後くらい。
大好きな大好きな推しがペットを飼ってることは初めて推しを知った日から知ってたし、フカフカでいかにも血統書つきっぽい高そうな犬だってことも知ってた。
それに関してのもやもやよりも推しの顔とかスタイルとかダンスも好きだったから、犬に罪はないし目を瞑ってた。
推しはまだ若いし、実家にもお金がありそうだからペットショップで犬を買うことなんて何にも考えたことないだろうし自然なことだったと思う。
でもそこがやっぱり無理だった!
里親ならセーフか?と思ったけど推しが飼ってるいかにも写真映えして「高そうな犬」だから里親でもらったとは到底思えないし、子犬の頃から飼っているという情報もわりとちゃんとした出所で存在するし。
推しが犬に向ける視線が愛情こもってればこもってるほど、この人はなーんにも考えたことない頭空っぽの人なんだなって思ってがっかりする。