はてなキーワード: 短期バイトとは
短期の仕分けバイトやった程度しか知らんけど、例えばヤマトや佐川が配送料金3倍くらいにしたとしてもすぐに解決するのは無理なんじゃないかって思う。
多分、物を置いておく場所が足りてない。
短期バイトって当たり前だけど繁忙期に雇われる訳だけど、そういう時期のヤマトや佐川、ついでに郵便の何が大変って物を置いとく場所がなくなることだと思うんよ。
置いとく場所がないから、カゴ車(ロールボックスパレット)へ雑でもいいから積み込んで送っとけ! ってなる。
で、雑な積み込みしてるもんだから送った先での仕分けが遅れて、仕分けが遅れるもんだから荷物溜まって、そっちから送り出すカゴ車もぐっちゃぐちゃになって連鎖的に作業が遅れていくんよ。
俺が働いてたのは結構前だから、今はそこまでぐっちゃぐちゃではないのかもしれないけど仕分けが遅れはするだろう。
仕分けが遅れたら当然配達にも影響がでるし、その上で荷物の量自体も多いのだから配達員はもっと大変になる。
しかも俺もそうだったけど、短期バイトなんて仕事覚えた頃にはいなくなってるような連中な訳じゃん。
年末などの繁忙期は仕事量的にも作業する人間の質的にも作業効率が落ちる時期で、その状態で急に荷受量が増えたらそりゃ対応できなくなるよね。
年末商戦やお歳暮の時期なら冬休みの学生とかがバイトに来るだろうけど、ブラックフライデーは時期的に少し前の時期だから短期バイトの集まりも悪そうだし。
こんなふうに俺は考えているので配送料金上げたとしても、劇的に状況が変わるとは思えない。
○○○○円以上なら送料無料! みたいなところが増えて、セールでまとめ買いする人が増えて荷受量がますます繁忙期に偏るだけなんじゃね? って気もするし。
短期バイトちょろっとやっただけやで
多分元増田より少し下の21世紀初頭社会デビュー世代なんだけど(もっと辛い氷河期、とか言い出すと角が立つからやめよう。)
この世代の人の就活のハガキが届いた企業で、合否を分けるバイトを大学の部活の先輩がやってた。
大学名と学部で指定が出ていて、それ以外はゴミ箱に入れるらしい。
東大・早慶と指定の国立、Marchや関関同立の一部で学部は理系はOK、文系は文学部や芸術学部いくつかはNG。性別では分けてなかった。
ハガキに名前と住所と学部大学と資料請求の言葉が書いてあって、対象なら合格の箱に。
観光学部の人がすごい小さな字で熱意原稿用紙5枚分くらいある内容をハガキに書いて送ってきたらしい。が、対象外なので苦しいながらもゴミ箱側に入れたと言っていた。
高校時点で、自分の頃には就活がもうダメかもしれない、と言われていたので、どっちにも行けるようにしていたが理転して工学部行った。東工大は落ちた。
最初は楽しかったものの、途中から好きな勉強じゃなかった。本当に辛かった。固体の上を電子がどう動こうと知らん。なぜもっと得意な化学か楽しそうなバイオにしなかったのか。後悔した。途中で辞めてフリーターになろうとして親と殴り合いの喧嘩した。一留。
アルバイトは家庭教師と、短期バイトの事務所に登録して20種類くらいやった。そんなに稼ぎは良くなかった。
就活、いくつ受けたが覚えてない。リクナビとマイナビを駆使して、予定表をYahoo!カレンダーにいれて、ドコモのP158のアドレスに届くように設定して手帳に書き込んで管理してた。
自己PR欄でキャッチーな言葉と文章を書けば目に止まるのは当時日記猿人でも読者がついてたことからわかってた。(ついでに何人かの友達のも書いた)
大手はダメだったが、大手子会社や聞いたこともない会社には刺さったらしい。
面接に呼ばれて、SPIは何も予習してなかったが高得点をマークしてたらしい。(面接で言われた)
二つくらい内定出た。
会社入れた。同期は早稲田、慶應、上智、MARCH、首都圏の国立大学、慶應行ってる弟が出身校リストを見てお前だけ一人おかしくないか?と笑ってた。確かにこの並びならなぜ入れたのかわからない。高校の同級生が撃沈しているのを見て、就職するには好きを学びに行っては行けないと思った。自分の5年も大概無駄だったとは思うが。
入った会社はしばらく採用はなかったが、合併で経営母体の大手から別の大手に変わり新卒枠ができたらしい。
会社のすぐ上はいなくてその上は専門学校卒。少し上に院卒。そのバブル世代が、ハガキなんか出さなくても勝手に入社案内が来たと笑ってた。
仕事は入社前に聞いてた話と職務内容も違い、勤務地も23区勤務と聞いたのに関東の僻地に飛ばされ、頗るつまらなかった。
昭和時代にできたものの保守。効率の悪いオペレーション。倫理観や躾の悪い敬うに値しないおっさんたち。残業は平均70時間。うんざりした。
何の役にも立たないグループ会社の健康保険医の面談。うんざりした。
地獄だった。
知っているか。睡眠不足が続いてくるとだんだん味が濃いものが欲しくなる、変な動悸がする。生理の血液が7日過ぎても10日過ぎても止まらなくなる。
一度目が覚めたら腕も足も切り落とされて月を見上げている夢も見た。やたら綺麗な月だった。
まだ20代だったけど、大規模地震かSARSか、ただただ苦しくて、天変地異が起きるか隕石直撃で殺して欲しいと思ってた。
ああ、正直に書くけど27過ぎたあたりから、グループ会社の結婚サークルに入らないのかと言われた。女性の会員が少ないから入れと。
つまるところ自社グループはおっさんが多いから、あてがう女が必要で女性社員を多く入れてたんだなと。ちょーメイクセンス。
だから同期だけ女、しかも見た目が読モみたいな女が多いのな。あてがうためか。ずっと男社会にいたから衝撃的だった。
当時付き合っている彼氏はいた(非正規社員)のもあるが、給料は少ないが、自分の事が自分でオーガナイズ出来るし会話も成り立つ。
この会社の自分のいるレイヤーのおっさん達は自炊も自分の服の身だしなみの管理も仕事の工程も機器の発注も何も管理できず英語も話せず
キャバクラパチンコがメインでしかできない癖に人の外見にはケチをつけるし会話が成り立たない知性を感じないクズどもだった。
こんな奴らと私生活まで一緒とか殺す気か。
同期は鬱で会社を辞めた。
先輩は職場で倒れた。救急車が来た。そのうち救急車が来ることにも慣れた。他にも倒れる人がいたからだ。
俺らより更に働かされてた隣の部署のチームリーダーがある朝起きたら冷たくなってた。葬式に会社の人はこないでくれというのが遺族からの伝言だった。
リーマンショックの後、大規模リストラがあって、職場でワイヤーで首吊りが発生した。
そりゃそうだろ。ずっと会社以外のことを考えられないような生活を強いられて、全てを犠牲にして、給与も据え置きで
(親会社から合併して降りてきた人たちへの調整金という名目で額面より1万円毎月勝手に俺らの給与から引き抜かれてたが逆らえる人などいなかった)
ずっと発狂しそうな寸前を首を抑えられながらスキルにもなりもしない仕事をメンタルヘルスがボロボロになりながら働かされてた。
俺たちはまだ別に移る余裕があったけど、もう転職するにも40手前で厳しい年齢の人だった。当時は。
心じゃなくて寿命が折れることもあるだろう。
そこまでしたのにニュースはすぐにかき消された。
同級生も野郎ばっかりだったが似たようなこき使われ方だった。自分の周りはもうほとんど連絡元っていないけど、誰も新卒の会社でそのまま働いている人がいない。
氷河期の頃の20代、フリーターや非正規の友人がスーパーが開いている時間に家に帰り、必要なものを店で吟味して買うことができ(当時は通販事情が違う)趣味に時間を持てて楽しそうだった。
週末も有給休暇も体調不良で消費していた自分の選択が間違ったように感じた。そこまで自分を切り売ったのに手取りは同世代のの中でも大してよくなかった。
職歴は持てたかもしれないが、あんな思いまでしないと得られないものでは本来ないはずだ。
この会社を辞めた後、午後5時の新宿駅で家路に向かう人の背中を見て、20時より前に帰る自由がある人がいる同じ時間軸でサビ残盛って奴隷のように無駄に働かされれ、20代を棒に降った生き方を強制されたことの怒りに気づいて叫び出しそうだった。
その後も、途中無職になったり、死にかけたり、入った会社の倒産や合併やリストラや色々煽りを喰らい転職を重ね
今は誰も知らないような外資に入って、つつましい仕事やってる。専門は専攻と全然関係ない情報系機器。肩書はengineerだがコンサルに近い。給与も高くはないが悪くない。やっと今人として必要なものを全部払って息が出来る状態。
月間残業時間もしなくてもいいくらいだが10時間くらいやっている。金があると少しいいものが買える。嬉しい。
会社でのキャリアは上げようとは思わないけどレイオフの対象にならない程度には維持しつつ、同僚も多国籍で物知りで礼儀正しい。差別発言とか出るはずもなく、すごく呼吸がしやすい。
ここまでに生じた持病の通院の時間もちゃんと平日内に調整できる。本当素晴らしい。
いつまでこの状態でいられるか分からないけど、やっと生きている実感がある。
もう年齢的にはここから伴侶を見つけようとか思えなかった。けど、同い年でやはり時代に殴られまくったズボラ料理が上手な人と一緒にいられいている。
この歳になると結婚にメリットも大してないから特に法的な手続きは考えていないけれど、向かい合う人がいるだけでどれだけ救いになっているか分からない。
そして今オフの時間は通信制の大学に入学して、何年かかるかわからないけどやりたかった経済学の勉強をやってる。
他の学部の法律関係授業とったりしている。そのうち余裕があれば心理学も勉強したい。
この後の望みは健康。20代の何も結実しない無理は確実に体を蝕んで、色々できないことが増えた。
とはいえまだ検診の数値はいいけど、ほんとこれ。死守していきたい。
ーー
就職できたからと言って労基法が全然今と違ったので地獄でしたという話。
事件のあたりは探せば出てくるよ。嘘松だと思いたいだろうけど。
本社の屋上は飛び越えられないように数メートルの柵があるって話だったよ。
就活の時、コネがあるから言えと親に言われていたが、それが嫌で絶対就活で得た仕事に就こうと思ってた。
それがこんな酷いところ。しかも上の人はコネで入った奴らだった。
最初の会社を抜けれてやっと眠れるようになったのに、何度も職場に連れ戻される夢を見て叫びながら起きた。
あんなに苦労して入った会社だったのに、PTSDがあるんだと思う。
36協定派当時からあったけど徹底が促されるのはその後のこと。
就職前に聞いた話と給与面・職務面・勤務地などが異なったら会社を訴える権利が出てきたのもその後のこと。
転職が少しずつし易いものになったも、ベンチャーが増えてきたのもの氷河期の後だったように感じた。
少なくとも第二新卒のときは転職先もなく第二新卒転職フェアに行っても主業で売るものがパッとしなくて、転職しても別の地獄があるようにしか見えなかった。
仕事していて嫌なことがや理不尽を感じたら、地域のハロワと同じところか近所にある労働基準監督署には相談できる人がいるから困ったらすぐに行くんだぞ。
近所すぎて噂になったらどうしようと思ったら、少し越境しても資格は一緒だから大丈夫。一人で悩まず相談しよう。お姉さんおばさんとの約束だ。
氷河期世代で新卒で就活して見事に失敗した男なんだけど、失敗した時点で既に何十社と回っては屈辱的な扱いを受けてお祈りされてるので心がポッキリ折れてるんだよね。
就活の面接で失敗したり糞みたいな扱いされたのは今でもトラウマだし夢に見てうなされる事もある。
そして既卒のまま不安定な精神状態で社会に放り出され、それでも何とか生きていかなきゃいけないからバイトしつつ就活もするんだけど、これがまた辛かった。
バイトですら少しでも条件の良さそうな(深夜バイトとか)所にいけば10人ぐらい候補者がいて、当然経験者やコミュ能力・容姿に恵まれている人間が優先なので落とされる。
飲食や短期の辛い3Kバイトで何とか食いつなぐ絶望、今の若い子達には分からないと思う。
20代前半の発達障害でも無い健康的な男ですらそんな状態だったからね。今じゃ絶対考えられない。
就活でも同じで、ボーナスも無い様な聞いた事無い零細企業ですら書類を送っても返事すら無い事もしばしばで、やっと面接に漕ぎ着けても二次面接・三次面接まで行っても落とされる。
受かった後に実は契約社員でしばらくバイト扱いだと言われた事もあった。
焦った自分は介護にも行ったけど、自分でもまさか介護の面接にまで落ちるとは思わなかった。底辺職にすら選り好みされて振り落とされた経験は非常に辛く苦しかった。
そうなると、事務・接客・介護など、決して恵まれているとは言い難いがとりあえず働けて正社員の立場が得られる女性向けの職がある側の性が非常に羨ましく思えたんだよね。
後、当時の支援制度なんか見てると若者・女性が対象の支援制度はあったが、「若い男」に向けた支援制度が充実していたとは言えなかった。
セーフティーネットの網はガバガバで、自分の様な弱者の男性は漏れまくっていた。
よく女性がほざく「ガラスの天井」があるとするならば、男性は「ガラスの地下室」に押し込めらている状態だ。いやガラスでは無く実際は鉄の扉で閉められ明かりもなく暗かった。
こっちは惨めに卑屈に生きていかなければいけないのに、嫌な短期バイトでも何とかありついて食いつないでいかなければいけなかった側の性からすれば、地下室に押し込められる前に救われる手段がいくらでもある(それこそ男と付き合って救って貰うとか)
女性がとっても羨ましく、憎らしいまであった。
自分は運良く何とか地下室から脱出出来たけど、脱出出来ないまま朽ちていった同世代や、少し上の世代の男達を見てきたから、今でも決して他人事とは思えない。
何かあれば地下室で死んでいくんじゃないかという恐怖は今でも消えない。
で、そんな不遇の時代を生きてきた男達がどうなるかというと、薄っすらミソジニーになる。
具体的には「女は楽で良いよなー」「女に生まれてればここまで苦しまなかったのでは?」という考えがどっかに生まれる。
とは言えこれだけだと上手く隠せるし表面化される事は無い。
自分らよりは恵まれてるとは言え、同じ様な苦労をしている同世代の女性もまた、いっぱい見てきているから。
しかし、一般的な社会人として抑えていたミソジニーのタガが外れた瞬間があった。
フェミニストを自称する女性達と、彼女らにおもねり共に男達を罵倒する同性達の言い分は、自殺も何度も考えたぐらいの苦痛の日々を送ってきた自分達には、たまらなく身勝手に聞こえた。
しかも苦労してきた様な女性達では無く、高学歴・実家が恵まれている・一流企業出身・陽キャDQN…そんな「恵まれた」女性達が、「自分達こそが被害者であり、男達は強者であり自分達を迫害してきた加害者である!」などと
やってもいない迫害をしてきた側の性として、俺達を強者呼ばわりしてヘイトスピーチを叫んできた。
この余りにも酷く辛辣で理不尽な侮辱と差別と性加害に、怒らずにいられる人間は少ないのでは無いかと思う。少なくとも自分は抑えてきたミソジニーのタガが外れた。
自覚があっても止められない。
現在は、とりあえず平均程度の収入はあって、結婚しており、一般的にはそれなりに恵まれている自分ですら「女は楽に生きられる癖に被害者面しやがって」というミソジニーが溢れるのを止められない。
現在進行形で、鉄ガラスの地下室から抜け出せず腐っている様な同年代の人間なら、尚更だろう。
自分達より圧倒的に恵まれている側の性が、全力で被害者面しつつ、男は強者だから救いなど取り上げろと叫び回り発狂しているのだから。
体を壊して以来、なんとか短期バイトで食いつないできたのだが、年齢的にそろそろ限界だ。
首や腰に痛みが走る事が増えて、肉体労働系の仕事を満足にこなせなくなってきたのが辛い。
介護など人手不足の業界ならまだ仕事があるかもしれないが、かつての祖母の介護を思うと腰が悪い人間に務まる仕事とはちょっと思えない。
実家暮らしではあるものの、両親はもう高齢でこれから年金も減っていくであろう事を考えるとこれ以上頼る訳にはいかない。
今までも自殺を考えなかった訳じゃないが、どうにも踏ん切りがつかなかった。
死にたくて死のうとしている訳じゃないからだと思うのだが、どうしても躊躇してしまうし、躊躇する為の理由を探してしまう。
我ながら情けない事だと思う。
発達障害持ちでやる気が出ずズルズルニートしてたけど、ある日突然やる気が湧いてきて将来の為の勉強 & バイト探しを始めたよ!
有り難いことに短期バイトしかやったことないニートの自分も雇ってもらえたよ!
最初は結構苦労したけど少しずつ慣れてきたよ!自信がなかったんである程度短時間にしてたけど、時間伸ばさないか頼まれるくらいにはなれました!
それはいいんだけど、バイトを始めたら今度は勉強をする気力がなくなっちゃった!
社会人の人達の気持ちがわかったよ!自分の労働時間は彼らより短いけどね!
とりあえずその時のノリで時間伸ばすのOKしちゃったけど、後でやっぱり短めにしといて残った気力を勉強に当てた方がいいかなと思ったよ!
今のバイトはぶっちゃけお金以外に得られるものがないので、労働時間を伸ばすなら将来の夢につながるとこで働きたいんだけど、都会の方にしかなくて、ここから片道1時間半くらいかかるので行こうかどうか行くならいつ行くか悩んでいるよ!本音を言うならその通勤時間に耐えられるか自信がないのもあるね!
まあそもそも受かるかどうかもわかんないけどね!
ぶっちゃけ自分はまだ若いけど、雇う側からしたら若ければ若いほどいいだろうしもう数年したらあまり若くない年齢だしで色々心に焦りもある!
でも焦っても身体が動かない!どうしようね!
まあなんとか頑張るよ!それではみなさんお元気で!
実家は居心地が悪いので家を出たいためフルタイムでの障害者枠を探していました。なかなかないんですねフルタイムは。
短期バイトを繰り返しながら2年、やっと見つけた会社。一人暮らしも賞与でギリギリやっていける給料です。
就職して2年がたとうとしていましたが今だに仕事になれず毎日心が折れそうです。1日1日を生きて行くのが大変。
そんな中、発達障害者同士で話のできる茶会?のようなイベントがあるということで参加しました。
このイベント、仕方がないのですが古参の人が楽しそうに喋っています。
その中で生活保護をもらっている方が魚をさばいて食でいるですとか服が多く置いておく場所がないという話を明るく話していました。
私は服なんここ数年てスーツかYシャツを数枚買うくらい。私服なんて買えません。食事もできるだけ安く自炊するため肉、魚は月1回食べられればいい方です。
私自身も生活保護は申請して落ちました。仕送りももらっていません。
もしかしたら苦しいことも沢山あるのかもしれないのですが、楽しそうに喋るその方の話を聞いてるとなんだか泣きそうになりました。
世の中に大勢私より苦しい人もいると思いますしわかっているのですが、生活保護を受けて楽しそうにしているその人を見てとても悔しいです。
そんな話。
友達に会えなくなるのはガチ(今何してるの?って言われるのが怖い)
自分は一年ぐらいで「退職してちょっと休んでる」で許されるだろうというギリギリラインを越えてきたなと思ったので再就職した。
ニートして半年ぐらい経つと夜寝れなくなって、朝日を見ながら寝る生活が続いていた。
自分でもよくわからないんだけど、みんなが働いている時間帯に何もしてないのが辛いので、寝て逃げていたっていう感じだと思う。
単純に昼夜逆転してたとかではなく、明らかに朝日を見てやっと寝れるという感じになっていた。
実家暮らしでニートしていたから、甘えられる親はともかく(親は早く働きなさいとかは一言も言わなかった。むしろコロナだししばらくゆっくりしなよといってくれた)同じ実家暮らしの姉の目が怖くて家を出たくなった。就職して家出た。
転職活動はなんだかんだ3か月くらいかかって精神がすり減った。
後半は早く仕事しなきゃ、でも妥協しすぎたらダメだって板挟みでニートを楽しめてたのはせいぜい半年なので、ニートするなら半年ぐらいがいい。
短期バイトならともかくアルバイトを始めると仕事してる気になって絶対フリーターに転向してしまうなと思ったのでなんもしてなかった。