はてなキーワード: 教養とは
「高校で文学の勉強をせずに、もっぱら実用文に重きを置いた教育をすることになった」という記事だ。
「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育 | 教育現場は困ってる | ダイヤモンド・オンライン
あまりにも間違いが多いので、どこかでデマとして中和されるだろうと思っていたが、一向に中和されず、インフルエンサーまでツイートしはじめる始末なので、無駄かもしれないが、間違いを指摘しておきたい(一部については、心ある人の指摘によって途中で記事が修正されている。ありがとうありがとう。)
デマに対処するのは面倒だが、整理しつつ述べていきたい。なお、この文章は今回の改訂の方針に賛成・反対という立場を採らずに書く。
「2021年から「大学入学共通テスト」が実施され、それに合わせて高校の国語の改革も行われることになった。」と書いてある。これはその通り。そして、モデル問題として、「国語に関しては、生徒会の規約、自治体の広報、駐車場の契約書が問題文として出題された」と書いてある。これもその通り。
しかし、既存の「小説(詩)」や「評論」が出題されなくなるわけではない。このことを書いていないことが悪質だ。モデル問題は、記述式がなくなったため、参考になりにくくなっているが、ちゃんとモデル問題そのものを見てほしい。思ったものと違うはずだ。
「実用文」は確かに出題されるようになる。だが、それだけを出題するわけではない。古文も漢文も出る。
ここからが少しややこしい。高校の国語には「必修科目」と「選択科目」がある。
必修科目は主に1年生で学ぶことになる科目だ。これには、「現代の国語(評論文や実用文)」「言語文化(小説や古典)」の2つがある。これはどちらも学ぶわけだ。科目を2つに割ることはどうなのか、という議論はあるが、「小説」が消えるわけじゃない。
記事の中で書かれているのは、2年生以降で学ぶことになる選択科目だ。これには4科目ある。
「論理国語」:実用文や評論文 論理的に書いたり話したり聞いたりすることも学ぶ
「文学国語」:小説や詩 小説や詩を読んだり書いたりすることを学ぶ 創作楽しみだ
「国語表現」:主にコミュニケーション中心の科目。レポートを書いたり、スピーチをしたり、ディスカッションしたりを学ぶ
「古典探究」:古典 古典を読んだり、古典について探究的な学習を行ったりする。古典と現代の言葉を比較して変遷を調べたりもする
中身は大ざっぱに書いている。くわしくは学習指導要領を読んでくれ。
で、この4科目から、おそらく「2科目」(多いところは「3科目」)選ばれるだろう、というのが今の目算だ。
いわゆる進学校だと、入試を考えると外しにくいのが「論理国語」。これは記事にも書いてある通り。もうひとつは「古典探究」が確かに有力だろう。だが、「文学国語」が選ばれる可能性もそれなりにはある。
そもそも元になっている記事は「古典」にまったく触れていない。「古典」にはかなりの部分文学が含まれるのだから、「文学の勉強をしない」は嘘っぱちだ(古典文学よりも近代や現代文学が大事だ、という主張ならばできる)。
さて、肝心の「論理国語」だが、記事ではあたかも「実用文」の科目であり、「駐車場の契約書、レポート、統計グラフ、取扱説明書」を学ぶかのように読めるが、これだけではない。
対象になっているのは、「論理的な文章(論説文や解説文,社会生活に関する意見文や批評文等)」と「実用的な文章(法令文・記録文・報告文,宣伝文等)」だ。記事では前者についてほとんど言及していない。そして、このどちらも単純に理解できるようにするんじゃなくて、散々言われてきたように「批判的に」読めるようにすることをねらっているものだ。
記事に書いてある「実用文しか読まない非教養人」を育てることになる、という指摘はミスリードだ。そして、こういう記事にミスリードされない人間を育てようとしているのが、今回の改訂だと言ってもいい。とはいえ、専門外の文章を批判的に読むことが難しいことは、今回のことでもよくわかっただろう。
今回の改訂には問題も色々ある。だが、不確かな情報で議論したところで得るものは少ない。
とりあえず、ダイヤモンドオンラインの書くことを真に受けて、「これでは日本が崩壊する!」とか叫ぶのはやめてほしい。「本当かな?」と思って調べる一歩を大切にしよう。
ブックマーク数15は超えて安心したが、デマに対するワクチンにはなりそうになくて残念だ。
とにかく、教育に関する議論は「自分が受けた教育」をベースに話す人が多いが、それには注意しよう。今のコンピューターのことを話すときに、WindowsXPの経験をもとに話されても困るだろう(これは比喩)。教育も同じことで、少なくとも10年単位で教育はかなり変わる。教科書も変わる。確かに、高校は変化がにぶい。だが、小学校や中学校は大きく変わっている。もちろん、「変わる」ことがいいことだとは限らない。
現状に問題がないわけでは全然ないが、自分が「いつの問題」のことを話しているかを意識して話さないと、互いの話は食い違い続ける。
こういうご指摘をはてなブックマークでいただいた。ありがとう。
myogab
反論の組み方が藁人形論法ぽくて、元記事の筆者もそんな極論だけを吹聴する気はないだろうよ…って感想。誤解が広まってるなら訂正は要るだろうが、論点逸らしをしてるなら逆効果だろな。
藁人形論法のつもりはなかったのだけど、冗長になると思ってあまり引用しなかったせいかもしれない。できれば元の記事を読んでみてほしい。論点は色々あるが、この記事では論点を示すことが目的ではなかったので触れなかった。触れた方が盛り上がるのかもしれないけど。
で、誤解なのだが、わりと広がりつつあって頭が痛い。Twitterでは、「#国語教科書の小説廃止に抗議します」というハッシュタグがある。だから廃止しないんだって。
今日は町山智浩さんが「国は国語教育から文学より実用文を重視する方針ということですが、それでいったい誰が国語教師になるというのでしょう?」と元の記事を引用してツイートしてた。読書猿の人も(おそらく好意的に)次のツイートをリツイートしてる。
hhasegawa
文学中心ではない国語教育を、というのは実はわからぬでもないものの、そこで持ち出される「実用文」が「生徒会の規約、自治体の広報、駐車場の契約書」なのがいかがわしい。文学以外の文章といえばそれしかないの?
小説や文芸評論ではないテクストがすなわち規約や広報や契約書ではないわけで、例えば論説記事でも歴史叙述でも新書のような学術的概説でもそれに該当し、どれも相応に「実用的」なのである。要するに、「論理国語」で真に排除されかかっているのは文学ではなく、「テーゼのある文章」一般ではないか。
「論理的な文章」に「論説文」が入ってるんだから、「テーゼのある文章」が排除されるわけがない。これも、元の記事があたかも「実用文」だけを学ぶ科目であるかのように書いたことが原因だろう。このツイートをした人は、数日後に次のようにツイートしてる。
一応、「論理国語」教材に「新書や新聞の社説などで取り上げられる様々な分野の学術的な学習の基礎的な課題に対して、論点が明確になるようなもの」も挙げられてはいた。が、ここまで「実用」志向だと、この「論理的な文章」の内実もどうなることやら。
その心配はたぶんないよ、と言いたい。これまでの傾向から完全に変える冒険を教科書会社はできない。これは良くも悪くも歴史が証明している(いや、悪いのだが)。冒険をする教科書は売れない。
このあたりの人は、いわゆる「一般の人」よりはリテラシーがあると思う。が、それでも不確かな記事をもとに不確かなことを言ってしまう。これはまあそういうもんだよな、と思うんだけど、燃え広がりつつあると真顔で「それはちがうよ」と言うしかない。
日本人の特性ってステレオタイプで考えるのが苦手、考えるより先に結論を出す、そんな人たちで溢れているのは周知の事実。
そして、自民党ってだけで支持する層は非常に多い。自民党に入党する議員もみんなそれがわかっている。
でもさあ、王政のもと、バカが王になるならわからないでもない。超不毛だがな。
民主主義で安倍を党首にするような党を選ぶか???無条件自民信者が多すぎて民主主義、まったく機能してないよね。
ネトウヨも自殺願望あるなら、勝手に自殺してくれよ。愛国心があって、子供がいる人たちの未来まで巻き添えにしないでくれ。
世界でも安倍が国家のTOPとしては異例なまでに無教養なことは有名で、北朝鮮からもバカにされてるんだぜ??
ネトウヨぐらいだぞ、無条件に盲信しているのは。安倍だから実現できた成果を一つでも挙げてみてくれ。無条件信者言われて言い返したいならな。
サヨクとかウヨクとか今のこの状況ですらまだ対立するのはもはや地獄。
今のウヨクはアホの安倍がテストで0点とっているのに、支持しているようなもの。マイナスにならないだけマシだろって擁護しているのと同じ。
テストで90点とって、その先に理系に進学するか文系に進学するか揉めているのとは全く違う。
中国のキンペーはまじ独裁者であれをマシとは言わんが、今の日本じゃ国民がカルト過ぎて、キンペーみたいなやつが自民党に出現したら日本も同じ道を歩むことになる。たとえ民主主義国家でもだ。
かわいいというのは見た目のこと。
見た目さえ並以上であれば、中身は並以下でも構わない。
見た目がかわいくて連れて歩くことを誇らしく思えるような人がいい。
今までに付き合った人が何人かいるが、最終的に別れた唯一にして最大の理由が、決して言えやしないが"見た目"の問題だった。
見た目"以外"は何も言うことなし、申し分なし、むしろ私なんぞにはもったいないくらいおしとやかで知性と教養があり、気遣いのできる人ばかりだった。
そんな素晴らしい方々がどういうわけか私なんぞを好きになってくれて、しばらくの間それはそれは落ち着いた関係を続けることができた。
しかし、どうしても「連れて歩くことを誇らしく」思えなかった。
私は原因を考えた。
"見た目"の問題だった。
はじめのうちはいいが、時間の経過とともに、大変失礼ながら「飽きて」くる。
そして「こんなにも素晴らしい人なのに、見た目さえもっとよかったら…」としか考えることができなかった。
とにかく私は自分好みの見た目がかわいくて連れて歩くことを誇らしく思えるような人と付き合いたいのだ。
ほんの短期間でもいい、そのような自分史上最高にかわいい彼女と「付き合ったことがある/付き合うことができた」という甘美な思い出と成功体験を胸に秘めて死んでゆきたいのだ。
大学時代からの知人男性の中に、ここ数年恋人を欲し続けている人物がいる。彼は今まで女性とは凡そかけ離れた環境に身を置いており、ここ15年くらいは「男子校生活」と言って差し支えないだろう。そんな状態では仕方ないかもしれないが、所謂「彼女いない歴=年齢」の一人だ。
彼の学歴は世間一般から見ると申し分なく(歯切れが悪いのは彼と私は同じ大学出身だからだ)、収入も良く、職種的に将来性も高い。敢えて言うなら外見が垢抜けず、人間関係に奥手であるのが恋愛市場的には短所と言える。とはいえ性格に難があるわけでもなく、友人の立場から見るとそう悪い物件とは思えない。本人もアプリなどで恋活に励んでいるようだ。
しかしどうしてかな、彼には一向に彼女が出来る様子が見えなかった。お互いもうアラサー。出会いを求めても上手くいかず、次第に元気をなくしていく彼を見るのが心苦しくなり、異性からのアドバイスがせめてもの参考になればと話を聞いてみることにした。
そこでわかったのが、多少意地の悪い言い方になるが、彼が「周りに異性がいないあまり、自分の『身の程』をはかりかねている」ということだった。
彼の理想の相手。それは「可愛くて、優しくて、教養があって価値観が合う、努力を惜しまなない人」だという。この場合の「可愛さ」の定義について、てっきり私は「自分を好きになってくれる」とか「愛嬌がある」とかそういう話だと思っていた。しかし聞いてみると、「顔が自分の好きなコスプレイヤーと同じタイプで、肌や髪の手入れが行き届いていて、おしゃれ」というのが、彼の「可愛い」の詳細らしい。ここ数年ミュートしていた彼のTwitterアカウントを覗くと、女性アイドルやコスプレイヤーのポートレートや自撮りのRTで埋め尽くされていた。
さて、彼のスペックについて、先程「外見は垢抜けない」と書いた。清潔感が全くないという訳では無いが、簡単に言ってしまえば「量産型のオタク」といった風貌だ。身体は全く鍛えておらず、何より姿勢が悪い。服装についても、最後に服を買ったのは3年前だそうだ(品質が高いから物持ちがいい、という訳でもなさそうだ)。彼はいつ見ても白の長袖シャツに黒いパンツを履いている。どこに行くにも、仕事用のバックパックを背負っている。聞いてみると、アプリを使って出会う時も同じ格好だそうだ。
こんな言い方をしてしまうと身も蓋もないのだが、同じ社会階層の「彼の思う可愛い子」に、相手にされるような人物ではないのだ。可能性はゼロではないが、限りなくゼロに近いだろう。
しかし彼はそれに気がついていない。可愛い子には振られ、自分のお眼鏡にかなわなかった女性とは距離を置いてきたようだ。そこまで理想が高いなら確かに、彼女が出来る気配がないのにも頷ける。しかし彼は「自分の理想が高い」ということにすら自覚がなく、何故上手くいかないのかと心を病んでいた。
彼が今こうなっている理由の最たるものは、恐らく「ほぼ男子しかいない環境」にあったのではないかと私は分析している。周りに数組カップルが出来るほど男女が入り交じった生活を送っていれば、「こういう男子とこういう女子がくっつく」という肌感が身についてくる。勿論本音を言ってしまえば、美少女と交際したくない男子はいないし、イケメンと交際したくない女子もまず居ないだろう。しかしそんな「突き詰めて言えば」を実行する人間は少ない。現実が見えているからだ。とても嫌味な言い方だが、「自分が交際するならこれくらいのレベル」という「身の程」は、バリエーションがある複数の異性と交流のあるコミュニティに属さないと気が付かないものなのかもしれない。そこに「自分に近いレベルの学歴」というフィルターがかかるならなおさらだ。
一方彼は、そもそも「女子のバリエーション」を知らない。普段の彼の目に入る女子は、SNSを通じて目に入ってくる「可愛い子」とアニメキャラだけだ。だからその基準に達していない女子は、一般的には普通のレベルであっても、彼目線からすれば「普通未満」になってしまう。どんな男性が恋愛強者なのかもイメージがつかないから、「可愛い」が高望みであることにも気がつけない。異性に対する幻想は凝り固まっていき、アラサーになっても彼は「色白黒髪フリルの可愛い若い女性」が好きなのだ。
おそらく彼がその感覚を身につけるには、荒療治ではあるが、多様な女子がいる環境に放り込むのがてっとり早いのだろうが、忙しい社会人のオタク(主なジャンルは男性向けアニメ)に適したそんなコミュニティを私は知らない。上から目線だとは承知の上、他に方法はないかぼんやり考え込んでしまう。
【追記】
ブクマコメでは結婚相談所を勧める声が多いし、確かに私も「彼の需要が高い」のは恋活事情より婚活市場だと思う。
彼は彼で、年齢的にも真面目な性格的にも結婚を意識はしている。しかしあくまでしたいのは「恋愛」だそうだ。勉強や就活で失った(と本人が思っている)青春を取り戻したいのだと思う。
そうは言っても個人的には彼の言う「可愛くて若い子」ほど交際相手を総合評価(外見、女性経験なども含め)で見ていると思っており、やはり彼に勝算はないと思ってしまう。実際に「高収入非モテと低収入イケメン、どっちと付き合いたいか」が逆転するのは30代というアンケートも見かけた。彼を好きになる女性と彼が好きになる女性が、悲しくなるほど噛み合っていない。
現状に満足するように(彼女がいなくても満ち足りるように)促すのが吉なのかもしれない。もしその「諦め」がついた男性がいたら、そのコツなどもお聞きしたいところだ。
一部分への言及になるけどさ。
新人女性と距離を詰めたい増田の件だってさ、「おっさんが恋愛対象になるわけないだろキモい」ってそうじゃないだろーーーーーーそういうこと言うからお気持ちとか女は感情的とかイケメン無罪とか変な流れになるんだろーーーーーあれ完全にパワハラの文脈で読むべき問題やろーーーーー
これ、ぶっちゃけ世間様のセクハラ(というか人権)への理解が低すぎるのが原因だと思うよー。
ちょっと前にさ、企業のセクハラ研修で最初に鏡を配って「鏡を見てください。部下の女性があなたに優しいのはあなたが上司だからです」ってやっているという話がバズってて、多くが好意的な反応だったんだよね。フェミっぽいこと言ってる人の間でも。
こんなルッキズム丸出しの差別的な研修(もうこの研修それ自体がハラスメントでしょ)が好意的に拡散されてる時点で「こいつら差別やハラスメントについて何もわかってねえな」って思ったし、そんな社会で周囲の流行に流されてフェミやってる人が差別とは何かハラスメントとは何かってのを論理的に考える能力持ってなくても仕方ないよ。
たぶん「世の中を男チームと女チームに分けて女チームに有利なことを主張するのがフェミニスト」みたいな理解でフェミやってる人が一定数混じってるでしょ。ていうかぶっちゃけ多数派でしょ。
一昔前、ネット上でネトウヨが流行してたときに粗製乱造されたネトウヨがロクに日本の歴史知らなかったり右翼としての基礎教養持ってなかったのと同じよ。今のネットでの流行はフェミだからね。一昔前ならネトウヨになってた人がネトフェミやってるってだけの話で、そらフェミとしての質も落ちますわな。
ネトフェミ=質が悪いアホばっかという共通認識ができることは悪いことじゃないんじゃない? 反ネトウヨの左派系人士でも、「沖縄の米軍に対して抗議しているこの人は主義主張を持った真の右翼だ。ネトウヨなんかとは違う」みたいな議論をする人はいるし、アンチフェミ勢の間でも「この人はそこいらのネトフェミとは違うまともなフェミニストだ」という言及はあったりするからね。多くの人はどこかに「まともな右翼」や「まともなフェミニスト」がいるって思ってはいるんだよ。目の前のネトウヨやネトフェミが気に食わんだけで。
社会人歴10年なんだが仕事上の会話で一人称に「俺」を使う人がたまにいる。
かなり違和感があるんだが一般的な感覚では特に変ではないんだろうか…
私は普通に「私」を使うし周囲も大多数がそう。
「俺」使用者は私の観測範囲では年齢は関係ない。新卒入社数年の人から40歳くらいの人まで使う人は使ってる。
あくまで個人的な感想でしかないが「俺」というのは少し乱暴で無礼な印象があるので業務外やプライベートの場はともかく業務中に使うのは良くないと思っている。
発達障害はサボり癖なのかそれともサボり癖のある人間は皆どこかしら発達障害の気があるのか
増田は俺より大分優秀だけどちょっとエピソードが自分にも被る所があるのが辛いのと共感出来る
いっその事何をしても罪悪感なんか感じないサイコパスでありたかったのに発達障害なりに他人に迷惑をかけると罪悪感を覚えちゃうんだよな
聞いていた筈の話を聞いておらずとんでもないミスをやらかしちゃうって事が我が身に覚えがありすぎて辛くなった…
とこんな風に感想を書く余裕がある俺は無能で無教養で無収入なオタクをやっているキモくて金のないおっさんの無職実家寄生虫です
そもそも何で数多の職業の中からわざわざ風俗嬢を選んでやってたのかといえば、セックス類似行為をしていれば頭がパーでもちょっと我儘でもそこそこ許されるというお手軽さが良くてしていた(但し有能な風俗嬢は教養はあるし礼儀正しいし気遣いは出来るしでハイスペである)。公私混同不可避な付き合いとかしたくなかった。
だから、お客さんから食事に誘われたらラーメンだろうが高級フレンチだろうが一例を除いて全てスパッとお断りした。断った相手は一人を除いて全員が「そうだよね……」と大人しく引き下がった。
ラーメンとか焼き鳥とかに誘ってくる人にお断りすると、こっちが悪いことをしちゃったような気がした。「しくじった」という反省の色と劣等感がこちらにビンビンと伝わってきたからだ。いや安っぽいなと思って断る訳じゃないからそんなに落ち込まないでって思ったけど、人の誘いを無下に断る残酷行為をしたんだから私は悪者に徹しなきゃいけないとか思った。
高級フレンチに誘ってきた人にも断ったら、ストイックだねーと感心されてしまったが、そうじゃなくて私そういういい所には行き付けない野生児だもんで、恥かかせてしまうから行きたくないんだよぉ、などという惨めなことはさすがに言えなかった。
一例だけ、断る前に少し考え込んでしまったせいで押せばいけると思われたのか食い下がられてしまった。やっぱり断ったけど。
そのお客さんはとある業界では有名人で効率が服着てるような性格の人だった。風俗嬢と助平なことをするのですら最適最短ルートを辿りたがるような筋金入り。
そんな人が何故か食事に誘ってくる時は熱海までドライブしようとかオーシャンビューのレストランでご飯食べようとかだいぶ遠回りなことを言う。
オーシャンビューのレストランでご飯食べた後に熱海の良さげな宿に泊まってセックス? なんだからしくないな……。てか、私は小学生みたいな見た目が売りの若い女。お客さんは自称40歳(某業界での有名人なのでちょっと調べると簡単に自称のプロフィールが本物だと知れた。ひょっとするとはてなーにも直に会ったことある人がいるかもね)だが正直もっと歳上に見えるおじさんofおじさん……。そんな私達が熱海とかオーシャンビューとかしてたら不倫どころか犯罪に見えてしまうが。いつもの効率はどこへ行ってしまったのか? どこか高速道路の降り口辺りにある車で入れるラブホでセックスとかの方がよくない? などと要らぬことを考えて三十秒くらい唸ってしまった私だった。