はてなキーワード: 性的指向とは
「#単身女性に公営住宅を」という主張自体には大賛成。私自身もフェミニストを自認しているし、単身女性で今でこそ賃貸を借りて何とかなっているけれど今後はどうなるか分からないし。
だけどどうしてそれに「女はみんな結婚したがる生き物っていう思考回路だったんだろうな」なる、異性愛ヘイト、ヘテロ女性蔑視をくっつけるのかな。
単身女性って別に「結婚したがらない女」ばかりじゃないでしょう。
「女はみんな結婚したがる生き物っていう思考回路だったんだろうな」とか言ってる人こそ、「結婚したがる」という事と「結婚出来る」「結婚生活を生涯にわたって維持出来る」という事を当然に結びつけているという点で
ヘテロ女性に対して偏見を持ちすぎだと思う。「結婚したがる」女の中に男に選ばれないブスや、途中で離婚や死別に至る不幸な女性は一人も存在しないと思ってるんだ?
世の中には結婚手前で交際が破局した女性や神田沙也加さんのように子供がいない状態で離婚し生涯再婚しなかった女性、赤木雅子さんのように子供のいない状態で夫と死別した女性だっているだろう
渋谷区でホームレス状態になって撲殺された女性だって結婚歴があるらしいよ?
https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote15/
「シンママだけじゃなくて子供のいない単身女性の貧困にも目を向けろ」という主張をするために、「結婚したがる」女をわざわざ見下す必要がないだろう。
異性愛ヘイトの反出生フェミってこれだから支持を得られないと思うんだよなー
「いつか単身になる」可能性のある女性は既婚女性だって多くがそうなんだから、性的指向や男との交際の有無に関わらず単に女性が単身であるという「状態」を語ればいいものを
なんでああも結婚したくない男と番いたくないという主張を全面に押し出すかね
そうする事で結婚「出来ない」ヘテロ女性や、将来離婚や死別の可能性のある既婚女性といった多数派の女性からはNot for meと思われるんじゃないのかなあ
男や子供とセットではない女単体の権利を保障しろという話において
結婚「しない」だろうが、「出来ない」だろうが、かつて結婚していて今は単身だろうが、そこをいちいち分ける必要ある?
あの辺の反出生フェミの人達が「結婚したくない」「子供を産みたくない」を前面に押し出すのを見る度に、あーこの人達はわざわざ宣言しないと男がどんどん寄ってきて何もしなくともプロポーズされるようなモテる強者女性ばかりで
自分のようなブスはお呼びじゃないんだなって思う
男の場合、異性と結婚したいけれど出来ない弱者男性って是非はともかくとにかく頻繁に取り沙汰されるのに
女の場合、異性と結婚したいけれど出来ない弱者女性の存在は単身女性の権利を語る場ですら存在しない事にされるのか…ととても絶望的な気分になる。
あと、世間での単身女性のイメージってどちらかというと「バリキャリ」「男を選り好みしてる」というハイスペイメージが強いと思うんだよね。あるいはレズビアンとか。
反出生フェミの「結婚(しようと思えば出来るけれど)したくない」を声高に主張すればする程、
「単身女性はハイスペック」、だからわざわざ助ける必要などない、という方向に世論が傾きそうだし
単身女性の権利獲得という点で見たら彼女達の主張はやっぱり逆効果だとしか思えない。
あの人達は結婚して夫の愚痴を言う女性に対しては男は99%クズだから自己責任だと言うけれど
でもその理屈で言うならあの人達みたいに確固たる意思を持って男と番わないと最初から決めていた女性だって
一生一人で自立して生きるという堅実なライフプランを決めてその通りに生きなかった事だって自己責任になるんじゃないの?
自分の知り合いの女性には三十代後半で一生独身の覚悟をしてアパートだかマンションだかを買った人もいるから
というか日常生活において同性愛者なりセクシャルマイノリティと
認識している人以外は、まぁ異性愛者だろうなと思っているので、
世の中の大半の人を十把一絡げで生理的に気持ち悪いなんて思って
いたら生きるの大変だよね。
だからと言って、それを気持ち悪いなんて表明するのは馬鹿げてると思うし、
異性愛者やタイプではないゲイ、その人達自身を気持ち悪いとも思う事もない。
ところで、
って事だけど、同性愛者だと自己申告している人を見るとって事だよね?
まぁ、さすがに前者という前提で話を進めるけど、
それって、
こいつ同性愛者なのか
男同士でxxxやったり、xxxやったりするのか
気持ちわりぃ~
っていう事なんじゃないだろうか?
逆に聞きたいんだけど、
って言われたら、どう思う?
それ以上に他人のセックスを想像しているヤツの方が気持ち悪くない?
もちろん思ってしまう事は仕方のない事だと思う。
ただ、どんなに心の中で思っていようと表明していい事と、
表明してはいけない事の違いは確実にあるよね。
それは匿名の場においても同じだと思う。
だいぶ鈍感にはなってるけど、正直、気持ち悪いって言葉を目にしたら、
世の中には認められるいじめもあるって思うの?
あなた同様「同性愛者は気持ち悪い」って平気で言える社会で育ったから、
中学生のいわゆる性の目覚めの頃、自分が同性愛者だって分かって
愕然としたよね。なんとか異性愛者になれないか何度も何度も真剣に悩んだ。
どんなに頑張ろうとも無理だったけど。
多分同じ常識の中で生きてきたから、そう思ってしまう事は想像できるだろ?
逆に、あなたが同性愛者になろうとする努力がどんなものか想像してみて欲しい。
同性愛について否定的な人は、同性愛を選択したって思ってないだろうか?
当事者としては先天的ないし、それに近い状態としか言いようがないし、
確立された知見に至ったということができる
とされている。これ、ごく一部のトンデモ系学者だけが言ってるような事じゃなくて、
「同性愛者は気持ち悪い」って平気で言える雰囲気は確かにあったし、
いまでも少なからずあると思うから、そう思ってしまうのは仕方ない事だと思う。
以上、すごい長文になっちゃった、ゴメン。
同じ思いを抱かない社会になる事を本当に本当に望んでいるよ。
「男同士でケアしてろと言われた弱者男性は団結して女叩きをすることによってケアの代わりをなしているのではないか」というツイートだ。
同じ所属の者たちで団結して論調を強めるというのは女性によくみられる傾向がある。
この場合だと同じ所属(弱者)で集まった男性たちで女性という一つの敵を作りだし叩くということだ。そこに反論の意味は無い。彼らはそうすることで傷を舐めあうのだ。
何故このようなことが起きるのか考えた結果、弱者として認定された男性は女性化するのではないかと感じた。
ここで言う女性化とは性的指向の転換ではない。行動パターンが女性に見られる、あるいは女性がやりがちと考えられているものに変化するということだ。
SNSや匿名掲示板を見ているとしばしばメンヘラのような発言をしている男性を見かける。彼らは決して満たされない承認欲求を少しでも満たそうとそのような言動を行う。
そこに男らしさなど微塵も存在しない。彼らは互いの顔も名前も見えないネットの中でのみ自己の不満や嘆きをぶつけることができるのだ。
そんな彼らも実生活においてそのような発言をすることはない。それがいかに歪で気味の悪いことか理解しているからだ。
社会が求める男らしさから逃げた、あるいは満たせなかった男性への社会の視線は冷たい。
そんな彼らに出来ることはネットの片隅で女々しいことを愚痴るだけだ。
執拗な女叩きをしておきながら彼ら自身は自分たちが一番嫌っているはずの女性の言動をしてしまっているのがなんとも皮肉なものである。
そうした弱者男性の自己矛盾の根底にあるのは女性への羨望であると思う。
明確に弱者として扱われ優先的にケアしてもらえる彼女たちへの嫉妬。
就活時の適性検査って優劣じゃない名目の奴でも実質的な足切りラインみたいなのが設けられているところは結構あって、
IT系とかの場合、実績とかはそこそこある人間でもこの辺りで足切りされてそもそもアピールする場所にすら立てないみたいなことが結構あって、
自分は学生時代で開発系のコンテストで結果残したり作ったアプリがニュースサイトに取り上げられたりそこそこの規模のWebサービス運営してたりってまあまあ強みはあったと思うんだけど、
就活時この辺りですっっっげーーーー苦労した。
MVCやオブジェクト指向の意味がわからないどころかプログラミングすらやったことない同期が次々内定取る中で俺だけが最後まで取り残されてった。
この手の企業が「弊社は多様性が尊重します」「どんな人種、ジェンダー、性的指向の人でも働きやすい環境を!」とか偉そうなお題目を並べてるとつい白い目で見ちゃう。
「ああ、この人達の言う多様性という言葉の中に俺みたいな人間はどこにも含まれてないんだろうな」
「ちゃんと(今話題になっているポリコレ属性リストに書かれている範囲内の)多様性を尊重しますって書いとけよ」
そんなことをつい考えてしまう。
書いている人は20代。
昨日のAbemaTVの亀井静香を見て、頭の固い老害たちには新しい価値観は理解できてなさそう、人の話も理解する気がなさそうかなと思えて絶望した。
多分アーカイブあるから見てほしい。ゲイの出演者を「男女」と呼んだり、皇族に人権がないのも役割を全うせよと話聞く気がない様子が見えてしんどくなる。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9d42598697bfa0f30344958ff0fc6157af2fddfb
んで20代の周りの人間が抱えている問題で大きいのは、婚姻でしか他人との関係性を担保できないところだなあと個人的に思っていて、このままだと老害が死ぬまで変わらなそうかつその時までに解決していないとても困る問題なので提案がある。
現在の婚姻制度は残しつつ、人間関係の公的な担保をするためのパートナーシップ制度を作れないだろうか
現在の婚姻届で結婚をしたい人はそちらを使って、パートナーシップ制度を使いたい人は使えるようにする。
そうすれば
本気で婚姻とは別口のパートナーシップ制度を作ることで不利益被ることがなくなると思うんだけど、皆さんどう思いますか?
意見を聞きたい
ええと、まずべつに性同一性(性自認)と性的指向だけが性的マイノリティの基準になるわけじゃないよ。LGBTはそれらに関するマイノリティですよってだけ。Tは広義には性別表現に関するマイノリティも含まれたりするが。
異性愛/同性愛というのは、自身の性同一性に対して好きになる性別(性的指向)が異性か同性かという話で、この「好きになる性別」というのはべつに身体的性別に限定されてはいない。
実際のところ相手の身体的性別が重要である者は多いだろうが、しかし性同一性・性別表現の性別も重要である者も少なくないし、身体的性別に関わらず性同一性・性別表現の性別で好きになる者もいたりする。まあ色んな人がいるのでざっくりと「好きになる“性別”」とだけしておくのが包括的だろう。
いや、トランスジェンダーを同性愛コミュニティからの排除したいが為に自身や相手の性同一性・性別表現は関係なく身体的性別で定義したがる者もいるけどね。カテゴライズは多様な性に対して後から便宜的に行われるものであり、絶対的な定義があるわけではないけれども。
相手がトランスジェンダーである場合に限らず、相手にとって不本意であろうとも、相手の性同一性と異なる“性別”を感じ取って、相手を好きになったり好きになることができなかったりすることはまあある。それは仕方ないことだし、感じ取って好みを刺激している“性別”が性的指向の基準になると思う。それによって無闇に相手のアイデンティティを毀損するのはよくないけどね。
誰かを傷つけたり叩いたりするつもりはないけど
あとマイノリティに優しくしたいとかではなくて、誰かを好きになるってどういうことなの??という、なんというか倫理学?美学?みたいなことを知りたいので、増田でやることにしました。
ちなみに倫理や美学に詳しいわけでもない。学のない俺に教えてくれ。
性的マイノリティって性自認と性指向の2つの考え方があると思うんだけど(wikipediaにもそう書いてあった)、性自認は自分のアイデンティティであって、必ずしも身体的な性別と一致しないよね。
その一方で性指向は相手の身体的な性別を主な問題にしているように感じるんだけど、この2つの要素は性的マイノリティという概念を考えるに当たって適切なのか?
まず性自認が女性の男性が別の男性を好きになるとして、その人はヘテロなの?ゲイなの?
誰かを好きになるというのが身体性な行為ではあれば性自認に関わらず同性愛者だし、精神性な行為ものであればヘテロ?それともそもそも彼我のどちらにおいても身体は好意に関係ないのだろうか?
別の疑問もあって、例えばゲイ(と自認する)男性が、身体は男性だが性自認は女性という人を愛するとき、その人はゲイなのだろうか?
この状況自体は当然ヘテロの人間にも起こりうる話なんだけど、そのときにヘテロの人は「(今までヘテロだと思ってたけど)もしかしてゲイなのかもしれない」と考えることはあるんだろうか?
もちろんトランスジェンダーが好きだって人もいるだろうけど、見た目で明らかにわかるわけじゃないし、知り合って話して相手がトランスだとわかった途端に好きになるっていうのも(ありえるかもしれないけど)人を好きになるってそういうことなの??
とっちらかってしまったけど、性自認が自身のアイデンティティ、言っちゃえば自分の気持ちを大事にしているのに対して、性指向が相手の体を対象にして考えているように見えてとても強い違和感があるんだよね。
BLも女性向けも男性向けもエロ書いてる。百合だけは書いたことが無い。
モザイクなしのブツは年の離れた弟のおむつを替えたり風呂に入れてやったりしたときと、fc2やTwitterに上がってる無修正で見た。ナマは見たことが無い。
それでもまあなんとかかんとか書いてるしエロいとも感想貰うけど、どうせだったらどこかで体験してみたい。人を刺さなくても人を殺す小説は書けるけど、刺したことがあったほうが嘘を混ぜるにもリアリティが出る。凍った水たまりの上に雪がうっすら積もっている恐ろしさを知っているほうが、雪道を走るシーンにリアリティが出せる。怖いよなあれ。自転車で橋の上走ってるときにあいつがあると死を覚悟する。
性的快楽を得たいとかそこらへんは皆無でぶっちゃけ興味が無い。イったらどうなるかとかもあんま興味はないが、小説に書く際に経験があるほうが便利なら知りたい。知った上でフィクションを書きたい。BL書くのに女のイき方が利用出来るのかとは思うしBL小説読んでろとも思うが、まあ、知らんよりは知ってた方が良い。
性的指向はよくわからない。今まで誰かに恋をしたことがないし付き合いたいと思ったことも性的接触をしたいと思ったことも無い。やわらかいものが好きなので女子高時代に胸を揉ませて貰ったり自分の胸を揉むのが好きだが女性に性的興奮を覚えるということはない。アセクとかなんかあるらしいがどうでも良いというか、誰か好きになったらわかるだろ、好きにならない間は特にそう言う人でいいだろぐらいに思っている。
で、とりあえず性的接触をしてみたいわけだ。小説にリアリティ持って書きたいので。どこで相手探したらいいんだろうな。マッチングアプリ?
等と思っている間にコロナが始まって、不用意に他人と出会える時代も終わってしまって、マッチングアプリ使うのもまた微妙に怖いご時世。ワクチン打ったとは言え不特定多数と出会ってそうな人と接触すんのもなー。相手探しって難しい。
まず全体的な所感ですが、性的指向(セクシュアル・オリエンテーション)と"ふるまう性"(ジェンダー・エクスプレッション)の議論を混同されているように思います。フィクトセクシュアルという言葉自体が新興的なもので、まだなかなか定義の定まらないものですが、おそらくは性的指向に近い概念を指す言葉ではあるのでしょう。そこには実際のところ多様なあり方が共存しているものだとは思います。ただ、ここで私が述べたかったのは、フィクトセクシュアル(として概ね括れる文化圏)の人々が持つ、"ふるまう性"に関する独特の文化のことです。
「アバターの格好を否定されたら、主体性を持って自分のあり方を選択した中の人が悲しむ」
こんな風に言っているブックマーカーがかなり多く、いた。それはフィクトセクシャル的な分離の考え方ではありえない判断ですよね?
これは全く誤解していると言わざるを得ません。むしろ、「アバターの格好を否定されたら、主体性を持って自分のあり方を選択した中の人が悲しむ」という言説こそがまさに、フィクトセクシュアル的な"ふるまう性"のあり方に即したものであると私は思います。フィクトセクシュアルの性のあり方は、単なる「分離」とは異なると思います。私はしばしば「漂白」という言葉を使います。私が以前に書いたエントリが参考になるかもしれません。→anond:20210925104708)
Vチューバを採用する問題と、職場の水着ポスターの問題は、前者が「私たちの論理」で後者が対人性愛者の論理で捉えられるべき範疇にある。現実の水着ポスターの問題を解決した対人性愛者の論理を空想のキャラクターに当たり前のように適用するのはフェアじゃない。そうして生じた問題はそもそも、野蛮さも危険さもないVチューバとしての自己表現を歓迎するフィクトセクシャルの常識では起こらないのだ。
「私たちの論理」も、対人性愛者の論理も、適用可能範囲自体には特に制限はありません。私が言いたいのは、その論理が「誰のためのものか」ということです。「AかつBが原因」であるとき、「Aを排除すれば、Bだけでは問題は起こらないのだから、Aこそが真の原因である」と強弁するのは、Bにとっては非常に都合の良い論理でしょう。しかし、Aの立場からすれば「Bを排除すれば、Aだけでは問題は起こらないのだから、Bこそが真の原因である」と強弁することも可能なはずです。そこをフェアに議論して欲しいと言っているのです。
ならば、「助かる」はどうなる。
そこはまず、私が既に述べている
とした議論の射程範囲でもありますが、全く擁護できないわけでもありません。くしゃみやせきに関しては基本的に「忌避すべきもの」という慣わしがあり、「うっかりミュートできなかった」場合には配信者側が謝るということもしばしばありました。(今もあると思います。)それに対して、「気にしないで」という意味で「助かる」という言葉をかける人も大勢いると思います。そこは一概に括れないところだと思います。
そのような話ではありません。「問題を起こすのは対人性愛者なのだから、非対人性愛者に迷惑をかけない範囲で、対人性愛者同士で解決する」のが筋ではありませんか?有無を言わさず巻き込まれることになる、本来は無関係である非対人性愛者の声を「些末なもの」として排除することを、「必要悪」として肯定することをやめてほしいのです。
インターネットの治安の悪い界隈では、リベラルやフェミニストを自称する皆様すら、気軽にこんなことを言ってしまう
そうすれば風俗で働く女性の苦しみがお前にも理解できるだろう、というわけだ
しかしそちらについてはここでは触れない、重要なポイントは他にある
そこの理由を、そういう人らはもちろん、下手すりゃ当事者の女性すら理解していないのだ
まず女というのは、とにかくその場でヒエラルキーの高い男に群がるという習性がある
小学校では足の速い児童に、高校大学では体育会系やイケメンに、サークルでは3年の幹部に、就活となればギョーカイの偉そうなおっさんに、婚活では医者や弁護士に、そして新興宗教なら教祖のジジイに
これらは男目線では単なる節操のない行動にしか見えないが、全て一貫した動機から生じている
「その場でヒエラルキーの高い男に群がり、そいつに取り入ることで、自分も同じヒエラルキーに上がった気分になる」というわけだ
単に箱の種類とヒエラルキーの基準が違うだけで、やっていることはみんな一緒である
まず客を選べない
そしていくら高級なそれであっても、金のやりとりをすれば、基本それで終わる
女にとっては、やること自体ではなく「ヒエラルキーの低い男とやらされること」「やったのに自分のヒエラルキーが全然上がらないこと」こそがたまらない苦痛であり、そして搾取に他ならないのだ
そりゃメンタルも病むだろう
戦国時代の小姓とかならともかく、現代社会では「自分の性を使って自分のヒエラルキーを上げる」というのが、女相手であれゲイ相手であれ、そもそも単なる夢物語でしかないからだ
どこぞのアナウンサーやなンだわの人みたいな例がないわけではないが、相当のレアケースである
だからゲイ相手に体を売ったとしても、もちろんそれにはそれなりの肉体的精神的苦痛は伴うだろうが、しかし風俗嬢の本当の苦しみとは全くかけ離れている
見下している相手とやることの悔しさ、そして本来なら当然得られてしかるべきだったヒエラルキーの喪失感
どちらも男にとってはハナから無縁であり、ゆえに想像もしづらいのである
そして当の風俗嬢自身すら、それを感覚としてはわかっていても、論理として消化できていないのかもしれない
ハフポストの記事をいくら読んだって、そんなこと理解できるわけがないのだ
ところで、これらを踏まえると、江戸時代の遊郭の「位が上がれば客を選べる」とか「身請け」とかのシステム、あれはもう悪辣なほどによくできているのではないだろうか
これ言ってたのって公明党じゃ?
リベラル政党の主張は「所得や子供の有無に関係なく一律に給付金を」だったと思うけど
>「学費の手当を~」
大学を含むなら社会人入学でもメリットあるから非モテも支持する理由になる
それも自民も言ってなかったっけ?どっちにしろ非モテのゲイもいるから性的指向で差別されなくなるならメリットあるね
今現在収入があってもいつ何時それがなくなるかもしれない危険性はあるから支持するメリットはあるね
なんで増田は「年収300万~600万の非モテ」が生涯変わらずその状態を維持するんだと思ってるのかね
今は年収があってもいつ何時転落するかもしれないんだから貧困対策を重視してくれる政党を選ぶ意味はあるし
そういう可能性を一切考えないのはなんで?