はてなキーワード: 代休とは
年末進行の代休だったので普段行かない平日午後の地元駅前で日用品などを買い物し遅いランチを軽く済まそうとてんやに入った。食い終わってお茶飲んでたら後方の席で老人の客が店員に偉そうにおかわりを要求していた。他人の態度にいちいちムカついでも仕方ないしまあ客と店員だし…と思いかけたがよく考えたらこのジジイの飯代の財源は現役世代から毟り取った年金じゃねーか、つまり若年層は老人のために働かされ金を取られその金でサービスを提供させられているというひどい構造に今この国はなってる。もちろん老人も現役時代には年金を払っていたが、今に比べ少額だ。
http://yunojix.hatenablog.com/entry/2015/10/13/110218
300時間はさすがにいやだが120時間くらいまでならねっていう。辛さは性格とお給金とその後によると思うわたくしなのでございます。
残業代は全部出たので別に困らんかったが、修羅場中は特に使う場所もない。そもそもホテル取ったりタクったりがふえて立替がかさむので実感としてはたいして楽になった気はしない。
もともと残念なのでそれ以上悪くならないというかどこに労力を振り分けるかによる。
仕事に労力を全振りしていたのでむしろ生産性は上がった。が、その他のことが適当すぎて修羅場後は家と家計が修羅場。家計は残業代でバーンと入ってくるのでさして問題にはならないのだが片付けはね…わがままボディとか習慣とかね…
欲望のままに生きることになるのでかなりわがままだしズウズウしくなったと思う。人間性は確実に低下した。
別に特に何もなかった。月経が止まるのはいつものこと過ぎて気にならないし、修羅場中は早起き快便である。アドレナリンが出すぎかもしれない。
最初に80時間超えた時はまだ仕事に慣れてなかったこともあって胃腸炎になったが、その後は100~120時間程度ならさして体調にでなくなった。
むしろ閑散期のうつ状態がひどい。アドレナリン中毒なのかもしれない。
人間性が低下したという意味では自己破壊されてるのかもしれんが
まー超残業しまくるのって躁鬱のジェットコースターのシュミレートみたいなもんなんで、乗り越えられるかどうかは体質によると思う。もともと気分障害があったりするとむしろ好調になったりとか。
あとはちゃんとおちんぎんが出るかどうかも大事なポイント。忙しい時期の後に代休をとれるかどうかとか。上の理解があって終わったあとはねぎらってくれるかどうかとか。そうじゃない会社は速攻やめるべきだし、残業時間数をじまんするのはいくない。
自分は一時期ものすごく残業が多かったがそこでストレス耐性がものすごく高いと思われたのか今は海外の協力会社に出向している。英語できないのに。流石にストレス耐性つよくても語学できなさすぎて最初の2ヶ月は会社行きたくない病になった。そういうストレスには弱いんだよ!
でも今じゃもう慣れちゃって毎日5時間くらいだけはたらいて(三時間位しか働かない日もある)余暇を楽しむ人生だ。おちんぎん少ないのが不満なのと海外出張手当が三ヶ月ごとにしか支給されないのとか祝日の少ない国なうえに有給取れないのがストレスで、100時間超の残業のほうが楽だったなと思っている俺がいる。転職したい。
自分自身がそうだった。
死ななければならないという
強制感と恥ずかしさで悶絶しながら
なんとか時間を過ごしてきた。
そのうち、薬がよく効いたのか、
家の中はうろうろできるようになり、
ほとんど俺のために使ってくれて、
平日の昼間によく2人で公園に行った。
家で暇してるなら作ってよー」
俺が鬱であることをおくびも気にもせず、
俺はお礼も兼ねて、公園に行く日は
サンドイッチを作るようになった。
作るのは決まってバインミー。
当時は1人で人混みに出るのは、厳しくて
買って持ってきてくれた。俺は、中身の具材を
ローストビーフを焼いてみたり、
彼女は本当に満面の笑みで
美味しそうにバインミーを食べていた。
俺の症状は軽くなっていった。
味がもっと濃いんだよ!」
というので、
行けるようになった。
そんなこんなで2か月くらい
バインミー作りに励んでいた所、
出したいと言ってきた。
大勢の人に会うのは
200個のバインミーを作るのを承諾した。
近くのパン屋さんに頼み、
大量にハムを仕込んだ。
パンパンになっていた。
当日。俺のバインミーは飛ぶように無くなった。
みんながこんなに美味しいの食べたことないと
それから3年。
彼女は嫁さんとなり、その時の会場で知り合った人経由で
生活は嫁の稼ぎのほうがずっと多いが、
もし、どこかでバインミーの
キッチンカーを見かけたら、ぜひ食べてもらいたい。
同じ部署のメンバーが数名まとめて辞め、後任の募集、採用、教育をやりながら実務を一人でやる羽目になった。
ほぼ同時に社長が体調不良で休み、経営のすべてを任せるといわれた。
小さい会社ではあるけど、それでも年商十数億、社員も数十名。明らかに自分の手には余る。
本来なら週休二日だけど、ほぼ毎週休日出勤した。手当は出ない。もちろん代休も取れない。
オーバーワークのせいで仕事の効率はどんどん落ち、ミスも増え、頭を下げてばかりの毎日。
自分一人しかいない事務所で(他の社員はほぼ残業なしで帰ってる)、しばらく泣き続けてた。
「××くんのおかげでこの会社は回ってる」
「君がいなくなったらアウトだよ」
「身体だけには気を付けてね」
そんなこと言われても、無理なものは無理なんだ。
そろそろ限界なのかな。
皆に迷惑をかけずに辞めるにはどうしたらいいだろう。
そんなことばかり考えている。
代休で今家にいる。
至福だ。
その時。
インターホンが鳴った。
こんな時間に宅配便かよもう不在票そのまま突っ込んどけと思いながら出てみると新聞の集金屋だという。
はあ平日にご苦労なこってと金を用意しているとふと強烈な違和感が沸き上がってきた。
その集金のおばちゃんは「人が平日に家にいる」という前提で行動しているのだ。
だって平日の昼間は大部分の人間は仕事に行っているじゃないか。
それなのにこのおばんはこちらが家にいる可能性を感じてインターホンを鳴らしてきたのだ。
それでもこんな真っ昼間にいることは比較的珍しいはずだ。
それなのにインターホンを鳴らしてきた。
つまり、世の中には平日の真っ昼間に家でゴロゴロしてる輩が沢山いてそういう連中相手の仕事がこのおばんには染み付いてるってわけだ。
なんだろう、住んでる世界が違いすぎる。
コンビニや飯屋が平日昼間にやってる事をおかしいと言う気はない。
営業マンが昼休みを大きくズレこんでから飯を慌ててかきこんでる姿はもう定番だ。
だけど家にいる奴らがいて、それ相手に商売してる連中がいるってのは頭では理解できても心に完全に入ってこない。
理屈上は分かる。
在宅ワーカーやらニートやら夜勤が世の中にはいるわけで、そのことを理屈では知ってる。
でも心に入ってこねぇ。
ましてそいつら相手に営業周りしてる連中がいるなんて、どこまで考えを進めてもやっぱり最後まで心に染み込まねぇ。
追記:
ブクマでこれを見かけることになるとは思わなかった。
題名は「平日に人が家にいる前提で動いている連中が気持ち悪い」ではなく「平日に人が家にいる前提で動いてる連中(と同じ空間を日頃から共有していた事にふとした拍子がないと意識しづらいの)が気持ち悪い」であるべきだった。
長すぎてこれだとどっちにしろ入らなかった気がするし、人によっては何が変わってるのか全くわからないと思うけど一応。
他にも多分ミスはあるんだろうけどやり始めるとキリがないのでこれだけ直して意識から遠ざける。
読んでくれてありがとう。
吐き出させてほしい。
仕事、結婚の前に人間としての器が小さすぎるからどうかと思う。
Dさんの担当をしているのに、全く学べていない。
前にやりたいと言っていた仕事も動き出す予定だが、今のままでは無理。
付き合いやすいお客様とだけ付き合うのはいいが、売り上げが必要。
他人への態度を改めるべき。
今30才の女です。
こんな風に言われるならどこに転職してもだめなんだよね?
生きてても仕方ないんじゃないか。
だから、一人なんだ。
死にたい。
でも、部屋で死ねば親に迷惑がかかるし、大家にも迷惑がかかる。
自殺したおじが迎えに来てくれないかな。
それだと部屋で死ぬことになるのか。
でも、これだけ否定されて、どうしたらいいの。
これまでの生き方が全てまちがえだったのかな。
ずっと、友達もいたし、みんな大事にできてたと思ってたんだけど。
言われても仕方ないんだと思う。
でも、これじゃだめだと、ずっと変わろうとしてきたのに。
だめだったんだ。
何もかも成果が出ていなかったんだ。
そう、見えてたんだ。見られてた。
新規営業、頑張るんじゃなかった。
ノウハウないのに、受注して、社内の人間は誰も助けてくれなかった。
事務所の床で寝たし、日曜日に泣きながら現場でブルーシート貼ってた。
だめだった。
私のとってきたお客さんが社内の売り上げのトップスリーに入った年だった。
発注も、現場管理もクレームも、請求業務も一人でやってたら、半年、休みなかった。
動悸が出るようになってきて、すごく怖かった。
そんな状態にした会社に優しくなんてできなかった。
ああ。吐き出して、、
辞めるべきなんだ。
疲れた。
お客さん、好きなんだけどな。
やっと、儲かる売り上げにつながってきたんだけど。
死にたい。
頑張るんじゃなかった。
短大を卒業する間際、友人にKis-My-Ft2のコンサートへ連れていってもらった。「地元に来たら行ってみたい気がする」という私の曖昧な興味を拾ってくれた友人は律儀に二公演分チケットを用意してくれた。初めてのジャニーズのコンサートは非現実的な世界で、圧倒的なきらめきを私はからだいっぱいに浴びた。あれから4年と少し、私はまだジャニオタのままでいる。
ジャニオタになった経緯はさておき、私は「自閉スペクトラム障がい」と分類される人間である。耳馴染みのないひとも多いだろう。いわゆる、アスペルガー症候群である。
そう診断されたのは割と最近のことで、自閉スペクトラム(以下、ASD)として、ジャニオタとしての生活を振り返ってみようと思う。概ね自分語り。
【初対面は意外と苦ではない】
Twitterで知り合い現場で会い、お知り合いになる…という人はかなりいるのではないだろうか。私にもそうしてお知り合いになったかたが何人かいる。けれどそれは一対一であるから成立するのであり、これが(私を含み)三人になるだけでコミュ障が発動してしまう。
キスマイのデビューツアーのドーム公演、私と友人夜行バスに乗り込んで東京へと向かった。東京では友人の相方と合流して、その日一日を3人で過ごした。一日一緒にいたら少しくらい仲良くなるものだろうが、私は友人の相方とろくに会話をした覚えがない。今思えば、私は彼女と話が出来ない分友人にばかり話かけていた。ただただ反省するばかりである。のちに彼女とは一対一で現場へ行き、今では彼女の家にお世話になるくらいには関係が発展した。
以前、勤務していた会社では、過出勤の場合は代休制で休みを取ることになっていた。本来土曜日は隔週出勤であったのだが、月に2回以上土曜日出勤をすると代休として好きな日に休むことが出来た。私はその代休を現場の日に充てた。チケットも当選していて、平日に友人と現場に行けることをとても楽しみにしていた。しかし、事務の先輩が一足先にその日に休みを申請してしまったのだ。私は人に話しかけることが非常に苦手で、ちょっとしたことを聞く(話しかける)までに何十分も何時間もかかってしまう。いつ言おうか、とおどおどしている間になにも知らない先輩が先に休みを入れてしまった。事務所内に事務の女性は私と先輩のふたりで、基本的にどちらかが出勤していないといけない。自業自得ではあるのだが、休む気満々であった私はパニックになってしまい、とにかく早くチケットの交換をしなければと昼休みに友人に電話をかけた。頭は大混乱で、更に約束を破ってしまったと自責の念にかられてしまい電話中にわんわん泣いてしまった。予定通りにいかないとパニックに陥ってしまう、ASDの特性だったのではないかと思う。
結果的には私も先輩も休みが取れ、交換もすることなく現場には入ることが出来た。このパニック杞憂に終わったのだが、のちに先輩がもっともらしい理由を付けて代休を取っていることを知り、ますます先輩に話しかけづらくなったというコミュ障話もあるのだが、書いていたらただの悪口になったので省略する。w
【ひとりか、一対一か】
最初の項目でも説明したのたが、わたしは複数人で行動することが非常に苦手である。学校に通っていた時分には臆病さを矜持や驕りで誤魔化していたこともあったが、基本的にひとりでいることが好きだ。現場もコンサートであろうと舞台であろうとひとりで行くことが多い。むしろコンサートでは全く声を出すことなく自担ロックオンなので、これまで同行してくださった方にはいい思いをしてもらえなかったのではないかと思うと申し訳なくて仕方がない。
嬉しいことに、現場の日に食事やお茶をするお知り合いが出来、現場の日以外でもそういったお付き合いが出来ている。ただし前述のとおり複数人の付き合いは苦手なので、共通の知り合いがいたとしても一対一でしか会ったことはない。
ASD含む発達障がいには二次障害と呼ばれる精神疾患が付き物である。私は幸いにも疾患となるほどではないにしろ、多少気分の不安定さなどが気になるときがある。気分が落ち込んでいると振り込みを忘れてしまうし、あとから探す気力も出てこず、結局流してしまったりする。また乗り物が非常に苦手で、最近では長時間電車に乗ることが出来ず当選したにもかかわらずその公演を諦めてしまった。ヲタ活をするにあたって、くやしいこともあるけれど、自分のからだとこころが一番である。
*
さて、ここまで自分のASDとしての特性とジャニオタ生活を振り返ってみたけれど、ASDの大きな特性である「過集中」「すさまじいまでの興味・こだわり」は、私の中にはあまり感じられない。大人の発達障がい自体、過剰診断されているようだし私もそのうちに入ってるのかもしれない。だがこれだけは言わせてくれ。私はジャニオタになってもコミュ障炸裂してます!!!!というのはおいて。それでもこんなコミュ障で自分のきもちが上手に伝えられない私に、きらめきを降り注ぎ続けてくれているアイドルはずっと応援していきたいと思うし、コミュ障でなかなか喋り出すまでに時間がかかる私とお付き合いしてくださってる方々に感謝を。
支離滅裂になってきたぞ。おそまつさまでした。
人生にモテ期は3度来るという話があるが、あんなのは嘘だ。それに、ドラマ・映画の「モテキ」も嘘だ。
満島ひかりと長澤まさみと真木よう子と麻生久美子が自分の周りにいる世界なんて、芸能界だけだろう。
高校まで共学だったし。
しかし、モテない人間にとって、共学だろうが、男だけだろうが関係ない。
今となっては当時の女友達は数えるほどだし、うちの大学は男子率9割という拷問だった。
なんでゼミが全員男なんだよ。
チャンスは3回あった。
1回目は、小学校から好きだった女の子に、強制的に告白させられた中1の夏。
周りは「なんであの子」という反応だったが、同窓会などの反応を見る限り、俺の審美眼に狂いはなかったはずだ。
まだ中1ということもあり、その時はフツーに「興味ないから」と手紙をいただいた。
自分は高校受験に成功したものの、中学の時にろくに勉強せず、肌感覚で高校に受かっていたため
塾へ行かなかった高校時代は勉強が出来ない落ちこぼれに転落し、半不登校となっていた。
1年生の時は、それが原因でちょっとしたいじめにあっていたのだが、担任などの気遣いもあり
2年生は全く別のクラスとなり、友達もできるようになっていた。
ただ、それでもちょっとずつ休んでいたため、決して多くの友だちがいたとは言いがたい。
ましてや女の子など、「友達のいないちょっと暗めの男の子」なんて近寄ることもないだろう。
そんな中で、1人だけ特に仲良くしてくれる女の子がいたわけだ。
その子は1人目とは正反対の、地味子だったが、話が結構合って、映画を見に行くことになった。
しかし、だ。文化祭の代休日に行く予定だったが、台風だったかなんかで文化祭が延期になってしまい
結局、映画を見ることもなく、経緯は忘れたが俺が何とか頑張ってバレンタインデーにチョコレートを
もらうことには成功したが、その後何もなく終わる。
そんな地味子は、最近結婚したようだ。割と頭がいい子だったが、あっという間に燃え上がった
結婚らしく、その事実を知った時は、衝撃というか「あ、うん。そう」という大概冷めたものだった。
3回目…の前に、空白の5年間をお伝えしよう。
高校時代は勉強できなかったので、浪人生となり、大学をストレートに卒業するまで、5年という時間がかかった。
その間に何もなかったわけではない。もちろん、人なりに「良いな」と思ったことはある。
ただ、自分の高校時代の挫折や、入ってしまった世間的には認知されているけど、学力は劣る大学というところから
ましてや大学のゼミは男100%である。いちご100%的な活動もしたかったのに…。
大学という区切りを持たせているだけで、7~8割の奴らは出会いたいだけである(当社調べ)。
変なところで真面目というか、童貞ながらの思考で「出会うためだけに入るのは馬鹿だ」と思った俺は
入らなかった。これもまた、こじらせ童貞の典型だ。
アルバイトは?と思われるかもしれないが、これもまた、男率100%の世界だった。
では、話を「3回目」に戻そう。
3回目は就職後だ。
就職難だ、アベノミクス失敗だと言われる昨今だが、なんとか大手企業に勤めることができた。
そのおかげか、社内には美人が多い。セクハラと言われたらおしまいだが、キャバ嬢やってても
俺は文句は言わない。
そんな中で、1人の同期に出会った。それが3人目だ。
障害があるとすれば、その子は北海道の子で、配属も北海道となってしまった。
同期だから何度か会う機会があり、彼女とはそこそこウマがあっていたため、
2人で飲むこともあった。
秋口に北海道へ行った時、告白したのだ。数回会っただけ、どこかで一緒に遊んだわけでも何でもない子に。
後から考えてみると、バカ以外の何物でもない。あえなく玉砕し、今やFacebookの友達でもなくなった。
モテない人間なりに、なぜモテないのか考えているし、周りにもどうすれば良いのか聞いているのだが、
いっこうに答えが見えてこない。
幸いにして、就職後に女性の友達は一気に増えた。暗澹たる大学時代とはおさらばできた。
毎週のように女性と飲んでいる。だからどうした。俺は彼女がほしい。
ただ、彼女がほしいという割に「将来、そのまま結婚したい」という古風な考えものと
自分のスペックを考えると、そりゃ無理だよなと思わなくもない。
周りからは「モテるでしょ」と言われる。童貞だという話が漏れると「嘘だ」と言われる。
お世辞なのかわからないけれど、お世辞じゃないならなぜここまでこじらせているかさっぱりわからないし
お世辞なら「建前はいいから、なんで俺がモテないか教えてよ」と言いたい。
今、仲の良い女の子がいる。
同い年で、可愛い子だ。仲の良いグループの集まりでしょっちゅう顔を合わせるし、二人で飯や映画も行く。
ただ、仕事が忙しい子で、メッセンジャーがなかなか返ってこない時もある。
返ってこない時は心がかき乱される。女子かよと自分で突っ込もうかという時もある。
過去最高に心を奪われている状況なのだが、童貞なので対処療法が全く見つかっていない。
12月23日はデートだ。今世紀最大の勝負の時が、今迫っている。
誰か俺を助けてください。
※追記
トラックバックをいただいたので。
むしろ、常にけなされている。そんな状況で告白するというのも不思議な話だが。
1回目がチャンスっていうのは、一応アクションを起こしたという意味。
※追記
デートの結果
まさか当日に断られると思わなかった。
しかもその後、連絡が取れなくなった…というわけで放置していたんですが
もうね、女とか信じられない。
日曜に休日出勤したら、上司から「どっかで休んでね」って言われて、それなら水曜!ってことで今日は代休だったのね。
なんで今日かっていうと、お気に入りのピンサロ嬢のマミちゃん(仮)の出勤日だったの。
12時からだから朝からシャワー浴びて陰毛を整えて軽めの香水付けて、しっかり飯食って11時過ぎくらいにお店着いて整理券貰ったわけですわ。
もう、久しぶりでほんとワクワクでさ、最近忙しくて2週間くらい溜め込んでたし、こうなったらベストを尽くそう!ってことで
まずはドラックストアで1000円くらいのドリンク飲んで、近くのレンタルビデオ屋に行ってR指定のコーナーでウロウロしながら気持ちを高めてた。
っつーか平日の午前中なのに、おっさんとか結構いるのな。「お前らが奥さんから貰ってる小遣いじゃピンサロなんていけないだろー!へへーん」なんて思ったら、
爺さんもいて、「あの歳になっても性の欲求からは逃れられないのか」って少しだけ萎えた。
あれやこれやで10分前になって、お店に行って待合室通されたら、既に結構待ってたんだよね。
お互い頑張ろうぜ!って思ったけど、紳士の社交場だからお互い目を合わせずに皆集中してた。
で、番号呼ばれて仕切りの中でマミちゃん(仮)と会ったらさ、「久しぶりだねー」って、相変わらず可愛くてさ、世界一可愛いよ!って褒めまくったね。
マミちゃん(仮)は褒めるとサービスが良いから、ここは大事なポイントなんだわ!
で、さくっと終わらせられちゃったんだけど、帰りにお店の廊下を歩くとき、一番奥だったから仕切りの中が見えちゃったんだよね。
嬢が来る前なのに全裸で胡坐かいて腕組みして厳しい顔してるおっさんとか
待合室でガンたれてた田舎のヤンキーみたいなやつのク○ニの体勢とか
そんなの見たらさ、いやー、マジで日本って終わってんなって思ったわけよ。
平日だぜ?こんなんだから少子高齢化になるわけだわ。人の業ってやつを垣間見た瞬間だった。
もっと俺達ってさ、考えなきゃいけないこといっぱいあるじゃん。
経済もそうだし、医療や環境、教育とかさ。年金もこのままでいいのかよ。
個人として出来ることだっていっぱいあるわけじゃん。
こんなんでいいわけ?こんなんだから中国にGDP抜かれるんだよ。どんだけ抜かれればいいわけ?不甲斐ないわ。
男もダメなのばっかりだけど、それに付込む女もダメだわ。マジでそう思う。
あー、マミちゃん(仮)にク○ニしたせいか喉がめっちゃ痛いし。最悪。病気とかほんと怖いわ。
ったく、クリスマスだからって女子大生もキャピキャピしやがって。どいつもこいつも。たまには俺みたいなお兄さんと話したら見識広まるぞ。
今の仕事を始めてやっと5年経った。
あっという間といえばあっという間だった。だってもう33歳になってしまった。
仕事の内容は嫌いじゃないし、個々の同僚とはそこそこ円満だし、休日出勤の代休も毟り取っているけれど
このままでいいのかなあ、と思うことが多々ある。
5ヶ月/年に渡って続く繁忙期の強制休日出勤とか、有休取れないこととか、くだらん飲みニケーションとか、何より社長の考え方とか
世の大人はそういうめんどくさくて嫌なものに目を瞑って生きているんだろうけれど、自分にはそれがたいそう難しい。
例えば、毎年秋にある社員旅行が憂鬱で憂鬱で、過去3回ほど回避してきたのだけれど
今年は直前に腕の一本でも骨折して回避できねーかな、ともやもや考えているぐらいには、嫌なことばかりだ。
甘えんなよ、と言われることでしょう。
でも、「うはwwww軍隊みてえだwww」と笑いながら社内訓示を決めるおっさんの下であと何年も働くのかと思うとぞっとする。