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はてなキーワード: 井の中の蛙とは

2021-01-20

なんか、何年も同じ会社にいると、井の中の蛙なっちゃうのかなあ

めちゃくちゃハイクオリティ人材採用する!!って言っておきながら、給料あんま出さないから、7か月経っても採用できてない。

お金にしがみつくような人材はいらない。志とうちのノウハウが学べるなら、給料低くてもいいです」って人じゃないと、うちでやってけない。っていうけどさ。

今どき、ノウハウなんてネットいくらでも学べるし、いろんなセミナーとかもあるし、なんならオンラインコミュニティとかでその道のプロに直接アクセスできるわけじゃん。

そしたらさ、うちの、まだまとまりきってないノウハウなんてどれくらいの価値があるのって思っちゃう

うちの言うこと聞いてれば、うちのノウハウ通りにやれば成功するんだ!!っていうけど、過去何度も立ち上がった事業の中で成功したの1つじゃん。

ノウハウの通りやって成功できるってどうしていえるの??って理解不能

人に対して謙虚さとか学ぶ姿勢を求める癖に、自分は学ばないし全然謙虚じゃないし、部下の意見とかこれまでの経験とか活用しないし、お前は何様??何のプロなの??と思う。

2021-01-13

乙女ゲーですら韓国に押されてるという事実

音楽から映画まで韓国産エンタメ存在感持っているが、乙女ゲーというニッチな分野でも韓国産が台頭していることに最近気がついた。

というのも知り合いのオタク気質のある女子大生(ヨーロッパ系)がハマる乙女ゲーたちがまさにそうだったから。(Mystic Messengersなど)

ビジュアル日本イラストレーションスタイルだが出てくるキャラ名前韓国名、ただしテキストは全て英語で作られている。

韓国学生らの受験競争は厳しく高学歴でも職につけない話は有名だが、基礎学力は軒並み高い。直接彼らから聞いた話ではTOEICで850以上だとか国家資格を持った学生なんてのは韓国ではゴロゴロいるがために就活でも差別化に繋がらないそうだ。だからこそ良い人材は集まりやすい。

そして彼らは人口日本の半分ほどしかいないために初めから世界で売ることを想定してる。

以前から感じてたことだが日本オタク市場世界一と盲目し、ガラパゴス市場内だけで競争し合って井の中の蛙感があると思う。

日本好きはたしか世界中に多いが、今の年齢だと既に30歳↑が圧倒的に多く、10代〜20代前半は韓国産エンタメ支持者が多い印象だ。

まぁ特段経済とか詳しく勉強したわけでないので俺の意見ガバガバだと思うが、とにかく日本人口も減り続けてるのにいつまでもガラパゴスで完結してないか、いずれ携帯電話のように今後10年でエンタメ産業すら廃れやしないか心配になる。

2021-01-05

anond:20210105213957

なろうは読者ほとんど作家志望者ばっかりだろ

井の中の蛙が同じ文化に染まって似たり寄ったりゲコゲコ鳴いてるようにしか見えんのだわ

時間は有限だから大半は読む価値がない

2020-12-19

地方小中学生に「君達は負け組だよ」って教えてあげるべき

「全校生徒の皆さん、今日大事な話があります。残念ながら、君達は負け組です。君達の問題というよりは君達の親の問題です。正確に言えば君達の親は負け組ですよ、と言った方がいいかもしれません。しかしそんな家庭で質の低い暮らしをして育った事実は消えません。負け組の子負け組です。あなたがどんなに努力しようと田舎者田舎者なのです。一生田出身というハンデを背負って生きていくことになります。都会の人間は質の高い教育を受けていますからあなたと同じ努力をする時間で何倍も成長しています。数多くの情報に触れたり経験したりできるのでら多様な人間が育ちます自分趣味趣向、レベルにあった暮らし選択できるので、こんな閉鎖的な空間とは大違いです。ここが閉鎖的だということに気づくまでまだ何年もかかるかもしれないですが、それもまた不幸ですね。君達は遊んでいて楽しいでしょうか?しかし残念ながらそれは遊びとは言えないですよ。家に帰ってアニメを見たり、買い物をしたり、土日に出かけたり、その一つ一つの選択肢が限定されていることを知っていますか?都会では息抜き有意義なんですよ。何の競争もない地方で生きているこの時間無駄です。自分は頭が良いと思っているそこの君、井の中の蛙ですよ。あなた程度の人間は都会にはゴロゴロひしめいています。彼らは競争原理のもとで成長し、質の高い教育を受けているので、そのうちあなたの手の届かないステージに行ってしまうでしょう。負け組の家庭に生まれたハンデを克服するべく、頑張ってください。」

親はどうしようも無いけど、何も知らずに育つ子供可哀想現実を突き付けてやれよ。それが教育だろ。

2020-12-05

世界を見てる人はみんな東京に集まるけど、いまだ地方にいる人材って結局なに?(笑)

地方にも優秀な人材いるかもしれないけど所詮ローカルな優秀さだよね

井の中の蛙っていうか

理想論的な話でいうと東京に集まらないと世界を目指せない社会構造が悪いんだけどさ

ただ、今現在現実としては地方在住の優秀な人材ってしょせんは地域で一番ってレベルしかないよね

2020-12-02

FANZAは死んだ

AVなんて誰もがファンタジーと分かって楽しむ大人エンターテイメントなのに、くだらないクレームに折れて伏せ字を多用しまくったせいでキーワード検索が死んだ。

痴●とか催●とか、JKなんか全部●●だ。

キーワード検索が死んだ結果、数多のレーベルから様々な作品吟味するという行為が出来なくなった。

私のようなマニアなら各レーベル名とジャンル女優名を熟知しているからそれぞれの新作をメーカーから逆引きできるが、たまにしかAVを見ないライトユーザーには無理。

作り物から言葉を殺してどうする。

作り物として楽しんでる紳士世界に、お気持ちヤクザ自称平和主義者が足を踏み入れるなど言語道断

お前らは馬鹿みたいにTwitterピーチクパーチク井の中の蛙になってりゃいいんだ。

さっさと出て行け!

anond:20201201184650

世の中には『自動車』とか『バイク』とか便利なものがあるのだが、東京の人は知らないんだよな。

不便な電車を「最高のもの」だと疑いもせず、地下鉄で行ける範囲に閉じこもって生きていく。

スマホがあるのに、「ガラケーは最高に便利!電話メールもあるしネットニュースも見れるし買い物もできる、何も困らない!」「スマホは便利かもしれないがテンキーないし折り畳みもできないし電話しにくい」ってかたくなに新しいものを試そうともしない。

親の世代は外からやってきた人が多いから別の世界を知っているが、二世三世になると東京しか知らないんだよね。中途半端に便利なもんたから外に出ようとしない。結果、井の中の蛙になってしまう、しかもそれに気付かない。

規模が大きいムラ社会島国根性

anond:20201201184650

世の中には『自動車』とか『バイク』とか便利なものがあるのだが、東京の人は知らないんだよな。

不便な電車を「最高のもの」だと疑いもせず、地下鉄で行ける範囲に閉じこもって生きていく。

スマホがあるのに、「ガラケーは最高に便利!電話メールもあるしネットニュースも見れるし買い物もできる、何も困らない!」「スマホは便利かもしれないがテンキーないし折り畳みもできないし電話しにくい」ってかたくなに新しいものを試そうともしない。

親の世代は外からやってきた人が多いから別の世界を知っているが、二世三世になると東京しか知らないんだよね。中途半端に便利なもんたから外に出ようとしない。結果、井の中の蛙になってしまう、しかもそれに気付かない。

規模が大きいムラ社会島国根性

anond:20201201184650

人生経験貧しき若者

こちとら地方政令市井の中の蛙として育ち、京都学生時代を過ごして文化歴史の深みを知り

上京して社会人数年やって東京の途方もない規模と上流階級との埋めがたい落差を知り

田舎の寂れた地方都市にひっこして文化貧困絶望してから、車を手に入れて日本の様々な側面を見て回り

ベストと思える場所に居を構え家庭を築いたんだよ

住めば都というのは自分意思で選んだ場所のことだ

住む場所自分で選べるようになりなさい

2020-11-28

井の中の蛙幸せ

井の中の蛙の方が、幸せだったかも知れないね

他人比較する手段けが飛躍的に発達してしまった。

手が届きそうで届かない、自分と同程度の人間幸福というのが人を一番病ませるのかもしれない。

2020-11-25

綾城さんに憧れた結果字書きやめようと思った

私は5年後くらいに綾城さんみたいにすごい小説書きたーいと考えている腐女子字書きだ。

綾城さんみたいな人は色んなジャンル物語を取り込んでんだなと商業小説に手を出した結果、字書きをしている自分が恥ずかしくなった。

こんな話は書けない、そんな小説にめちゃくちゃ触れた。支部だけの評価一喜一憂して、ひょっとして私には小説を書く才能があるのでは!?と思い込んでいた自分井の中の蛙であることを思い知った。

同人字書き、あんまり商業プロ小説読んでる人見たことない。

自分小説面白いと思い込む前に、商業小説読んだほうがいいよ、ほんとまじで。

2020-11-23

anond:20201123205512

自分ちんちんかっこいいと思ってるのは他のちんちんを知らんだけよ

団鬼六井の中の蛙

自分ちんちんが一番だと勘違いしている

俺のがかっこいいちんちんしてる

2020-11-22

anond:20201122213441

たった300万人が死んだ程度で「壊滅」って、本当に世界を知らない井の中の蛙って感じだ。その日本より、遥かに多くの人間が死んだドイツの生き残りが、世界征服を企むハリウッド映画なんて、腐るほどある。

2020-10-25

anond:20180314001059

そもそも地元進学校学年トップという人で東京進出を果たした人はみんな挫折するんだろうなって思った。

自分いか井の中の蛙としていきってたのかを思い知るという点でね。

2020-10-20

anond:20201020183721

そうなんだよ

アルファードトヨタ車的にはミニバンの中で車格が高い位置づけとされている、ことが発端で、イキった人たちがアルファードカッケー!って言ってアルファードを買っているという因果関係だと思うよ

どうでもいいが、ヤンキーと喋ってて、「(メルセデスセダンのような)VIPカーは渋くてかっこいいよな!でもノーマルじゃ車高高すぎでダサいから車高調必須だけど!」みたいなことを言われて目眩したことがあった

まぁ、ヤンキーも車オタクも同じく井の中の蛙で、車オタクが「BMWの523iとか乗ってる奴、なにがよくて5シリなんか乗ってるわけ?単なる見栄っ張りじゃん」とか言うことを言うと一般人にはこいつダメだって思われてるんだろうけどね。

成長が怖い

成長することが怖いし、変わることが怖い。以前にも同じことで悩んでいたけど数年同じ環境に身を置いていて、今また自分生活が大きく変わろうとしてるからまた怖くなった。

井の中の蛙大海を知らず、って言葉があるけど、大海を知るために今までの環境が全部変わるぐらいなら井の中の蛙でいいやって思う時がある。

自分にとって知らない人だらけの空間はそれだけで大海だし、社会に出るってことが怖くて仕方ない。自分世界が広がるのが怖い、みたいな感じ。

自分に数え切れないほどのコンプレックスがあることも分かってるし、メンタルが弱いことも理解してる。けれどいつまで経っても外食は慣れないし、年相応にちゃんとした人間だって自覚なんかない。今でも精神年齢小学校低学年の気持ちいるから、こう、年相応の対応を求められる場面がめちゃくちゃ苦手だ。畏まった話をしなきゃいけない電話とか、面接とか、接客とか、その他諸々。正しいことじゃないと失礼になる、みたいな場面でめちゃくちゃ自分の行動と他人の目が気になって、どう言えばいいんだとか今の失礼だったかなとか、心配になって仕方ない。だから新しい環境って苦手。

知らない人も苦手。もっと言えば、知らない人だったけど今から何かしらの関係を築いていかなければいけない人たちが苦手。たとえばふらっと寄ったコンビニ店員さんとか、旅先で会った人とか。その先一生関わることのない人ならまだマシに話せる。でも学校クラスメイトバイト先の人、かかりつけになる病院先生、みたいな、その後の関わりの深さはともかく今後しばらく関わる人っていうのがめちゃくちゃ苦手。毎日自分に関わった人から自分記憶が消えて、毎回初対面になる方が変な緊張しなくて済む。

ともかく、成長していく=そうやって関わる人間が増える、だから怖い。何気なく関わっている人間全員に思考があるって冷静に考えたら不気味。そんな生き物がこの世に何千どころか何億といるんだから怖い。そんな社会に踏み出していかないといけないことが怖い。成長って怖い。

2020-10-12

anond:20201012195744

いや、大抵は他人の頑張りを知ってるし(それこそテレビでもネットでも見てれば嫌でも分かる)、井の中の蛙であることも自覚している。

それでもなお自分は賢いと思っていないと自我が保てなくて、下手すりゃ何かするたびに鬱の沼に嵌る地雷原を歩いているようなもんなんだよ。

そうやって卑屈を内包しながら精神的に日々戦い続けることを強いられる。自分は無価値だという認識を受け入れてしまえば自死への圧力に押し負けて、お終いだから

社会経験が乏しいというのは、立派な社会からすると自己責任や気力の問題で、行動すりゃいいだけじゃんと思いがちだが、現実には環境的・構造的な問題で「動けない」状況に陥っていることがほとんどなのだ

ある意味で不運、不幸な人だと言える。そして自分たちを非難してくる人々が己の幸運さに無頓着であることも感じている。それでも社会を責めることなく、ただ自分尊大だとみなすだけで済ませているのだから、それがいか健全精神であるか伺い知れるところだろう。

君はそのような鬱屈のなかで日々を過ごすあらゆる人々の心情について、想像力が足りていると胸を張って言えるかね?

言えるとしたら、それは「自分を賢いと思い込んでいる」のとどう違う?

社会経験が薄い奴って大体自分の事を賢いと思い込んでるよね

ただ周りの人間の頑張りを知らんだけ

井の中の蛙

2020-10-07

天才が見たい 1/2

幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケートファミリーコンピュータ。皆覚えている。

幼稚園の頃には、既に自分他者とは異なる存在であることを認識していた。

幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。

ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園落ち葉拾いをして、その落ち葉ちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデ落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手バイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。

作ったちぎり絵先生に見せた時、「これは・・・バイク・・・・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明必要だな」と何故かひとり勝手確信し、画用紙に黒のクレヨン物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。

「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。

俺のちぎり絵物語幼稚園話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。

発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。

その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。


区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。

両親は平凡だった。見合い結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。

ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。

俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校地元公立のほうが良いように思えた。

幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バス苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間為人を把握して対応方法ほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立ゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。


両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校地元公立小学校入学することになった。

小学校に入っても、特に自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。

この頃になると、自分状態客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。

俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。

言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。

何より、公立小学校毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。

「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間コミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。

ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息けが荒い小学生だったと思う。


─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。

─────日本一大学東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。


そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃であるいかにも小学生摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対京都大学に入ろう」と思った。

そこから俺は色々と京都大学情報収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校先生などに尋ねたりしていたが、小学生調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。

しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないもの・・・模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。

日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。

だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。

看守は

給付型の奨学金制度などもある」

経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」

増田君には質の高い教育を受ける権利がある」

などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。

この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているか私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。


当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。


そうして地元公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試偏差値が出るからである

そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベル高校が無理なら、こりゃ京大東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。

悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く

「成績がいいのに何故」

「塾はお金がかかる」

「家でも勉強はできる」

などなど、様々な言葉で塾に通うことを拒否された。

小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。

また、塾が無理なら定性的定量的評価可能代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。

結局、中学3年の春から、塾に行く事を許してくれた。

半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。

そんな母を尻目に意気揚々進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるか勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。

その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつ教室に雨後のタケノコのようにポコポコ存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。

毎日がただ楽しかった。自分天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃん数字が、成績がついてきてくれた。

幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。


高校公立北野高校というところに入った。維新橋下弁護士とか、日本マクドナルド創業者藤田田ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家岡田あーみんとかが通っていた高校である

本当は東大寺学園に行きたかった。学力模試偏差値は足りていたと思う。赤本自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校絶対公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。

中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金申請手続きを自分自身で済ませた。

北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強必要であると思ったからだ。

俺は詐欺師丸出しの口調で「高校学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費予備校に回してほしい。予備校バイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。

この頃になると、奨学金申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。

自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。

俺が小学生中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。

家計ほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。

高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。

昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。


しかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。

大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。

大学合格したこときっかけに、京都に引っ越す事にした。

ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。

大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。


後編に続く

anond:20201007170042

2020-10-05

地元ゲーセンテトリスの筐体に3文字アルファベットを刻むことに躍起になっていた昔は、ゲームで勝てることがゲームに限らない自分の自信に繋がっていたと思う

でも最近ランキング世界対応になっていて得意分野で自分より上の人間いくらでもいるという事実を知ってしまう、井の中の蛙でいることを許してくれない

世界で一位というのはきっと何の分野でも最上の運と最上努力が掛け合わさって届く奇跡みたいな称号なのにそれをパーにしてしまうなんてほんと瀬戸大也は惜しいことしたもんだよ

anond:20201005143338

武田鉄矢、人という字は支えあってるとか、井の中の蛙の続きを創作したりとか、なにげにいろいろやってるよな。

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