はてなキーワード: バックドロップとは
A.障害者にオナニー強要&うんこバックドロップと、ネタの途中でぽつっと出てくる不謹慎ユダヤジョークが同程度に酷いと本気で思っている人はいないから(ラーメンズも同じくらい叩け!と言っているのはレスバトルのノリに頭をやられておかしくなっただけの人だから)
【追記 7月23日 18:10頃】あまりの衝撃に封印していた言葉を解禁してしまったのですが(anond:20210722183137、anond:20210722183851)
『クズ』も伝えたいニュアンスは含むので『クズ』に変更しました
普通の日本人は、
ラーメンズは普通の人なら仕事をクビになる(少なくとも外資は契約書にサインするので確実にクビになる)レベルの
けれど日本には表現の自由があり、放った作品に対して責任を生涯負うのであれば、
小山田氏も近々フジロックがあるけどそれは今まで通り理解あるファンたちと楽しんでください
けれど、まさかの、NHK・オリンピック!!!!!!の仕事をするとな
そして平然と、
b:Id:triggerhappysundaymorningラーメンズの不謹慎に関してはお山田で例えるとお山田の行為を不謹慎ジョークのネタに使ったレベルなので怒られるべき話だが「謝れば済む話」.
ただのクズですよね?
クズが不適切だと言うならクズも改めますけど、こう言う人物にどう言った表現が適切だと思います?
b:Id:omega314「私は他人をいじめたことはない」と言い切れる奴とか一番の警戒対象でしかない。
b:Id:omega314「悪いことしてないだけの人たち」は本当に厄介
ブクマカが様々なインフラ・スーパー・コンビニ・外食産業が使えるのもみんな悪いことしてないのが当たり前だからだし
他人をいじめない・悪いことしないのが当たり前だからケガする事なく街を歩けるんです
小山田氏やラーメンズ庇う人はこの当たり前がおさえられなくて本当に恐ろしい
社会性動物は、不平等に敏感だし共感性を持ってるし利他的な集団の方が強いので "いじめは当たり前じゃないよ"
> 個人間の争いでは利己的な個体の方が有利だが、集団になった場合、利他の精神を持つ個体の集団の方が有利
> 個人間の争いでは利己的な個体の方が強いので遺伝子を残し続けるが、蟻🐜と同じく常に利他的な個体が増える速度の方が速い
「利他的行動は戦闘で進化」:コンピューターモデルで分析
日本語記事:『裏切り蟻』が増えるとコロニーは過労死で滅ぶが利他的な蟻の増える速度の方が常に速いので滅ばない
https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-212621.html?a_aid=3598aabf
[Psychology] Anxiolytic Treatment Impairs Helping Behavior in Rats
https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fpsyg.2016.00850/full
[Current Biology] Harm to Others Acts as a Negative Reinforcer in Rats
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(20)30017-8
日本語記事:「誰かを助ける」のに理由はいらない(哺乳類なら):研究結果 (WIRED)
https://wired.jp/2016/07/01/rats-empathy/
日本語記事:ラットも他者を傷つける行為を嫌がることが判明:研究結果(WIRED)
https://wired.jp/2020/04/08/rats-harm-aversion/
日本語記事:イヌのジェラシーを検証(ナショナルジオグラフィック)
▼増田やブクマカでいじめ逆張りしてるバカって自分自身が自称小心者()のクズだっていうことから逃げたい+クズ共感が欲しいだけだよな
▼嘘だろ逆張りクズどもはニュース出て解任になった事にキレてんの?
▼あまりの衝撃に宗教的理由で封印してたガイジを解禁しちゃったけどやっぱ良く無いので
▼東京オリンピックで生まれた「一般国民」「上級国民」は皮肉でも何でなかった。あとベンチャー
▼ヤンジャンでやっている『スタンドUPスタート』ってマンガと現実の『ベンチャー』と『500万』
▼彼・彼女らには自分がポリコレで"配慮される側"の人間である自覚がない
anond:20210722164318 anond:20210722184856 anond:20210722191747 anond:20210723013624 anond:20210723012449
https://news.yahoo.co.jp/articles/c65b0800729024a3bd27e99dfd1db97af3d36e14?page=2
そういう時代だからこそ、小山田がイキるために誇張した、または雑誌側がネタ的に盛って表現したかもしれないんだけどね。
あの記事見て「小山田は障碍者にウンコ食わせてバックドロップしてたんだ!」って真に受ける方がバカだなーと思う。
もちろんイジメはやってはいけない前提だけど、クイック・ジャパンの記事を読む限り、
「犯罪者だ!」と騒ぎ立てるような陰湿なイジメには見えないけどね。
そのイジメられていた沢田くんも小山田が唯一の話し相手だったみたいだし、小山田に会いたいかと聞かれて「ウン」と答えてるし。
あのグループの一員だ。
ヤバい目つきの人だなあとは思っていたが。
それも結構笑いながら。
他人事とは思えなかった。
盛り上がる。私立って、独特の歪み方をする。
小山田さんは、「今考えるとほんとヒドかった。
だったら、ホントに再会したらどうなるだろう。
いじめっ子は本当に謝るのか?
ドキドキしてきた。
対談してもらおう!
最終的にはいじめられてた人の家の中まで入った。
しかし結局この対談は実現せず、小山田さんへの個人インタビューとなった。
以下、この対談の準備から失敗までを報告する。
いじめ対談のことを話す。
――まず、いじめられっ子を探すことにする。
「昔、いじめっ子だったんですよね」
という訳にもいくまい。
とりあえず『月刊ブラシ』を手渡す。
「ミニコミ作ってるんで読んでください」
「あ、ありがとう」
この間、約二秒。
ちなみに僕は普段いつも自分のミニコミを持ち歩いている訳ではなく、
この日持ってたのは本当に偶然だった。
「学年を超えて有名」だったとか。
対談依頼の手紙を書く。
住所を頼りに昔いじめられてた人の家に行く、
この時の気分はうまく説明できない。
よくよく西河原さんと話してみると、
(前出のように)ハードにいじめられてたのは別の人ではないか」
とのこと。
じゃあ、本当にいじめられてたのは誰なんだ?
とのこと。
事前に手紙は送っているが、反応はよくない。
当たり前か。
これに関しては実際に一部ではそうだったんだろう。
そう証言してる奴もいるし、実際にそういう風潮があったことは事実だろう。
別にそれに関しては認めなくもないよ。
でもさ。
これが普通だった当時っていつなんだよ。
小山田が100歳くらいなら戦前はそういうこともあったのねって情状酌量の余地はあるけど、
ズレた擁護してんじゃねーよ。
わたしは原文を読まずに拡散されている過激なテキストだけ見て怒り狂ってます、許せないんです、って正直に言えばいいじゃん。
「記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、」と答えている点、
ロキノンとクイックジャパンの記事中で言ってることが食い違っている点
(ロキノンでは「自分のアイディア」と言っているが、クイックジャパンでは先輩がやっていて「ヤバい」と語ってるし、ウンコ食わせる描写はどこにも出てこない)
を考えると、ロキノンの編集サイドが過激さを演出するためにネタ的に盛っている可能性だって否定できないよね?なんでここを都合よくスルーするんだよ。
もし仮にウンコ食わせた事実があるのなら、いじめを詳細に語っているクイックジャパンでそのエピソードが語られていないはおかしいのだけど?
少なくとも、クイックジャパンを読んだ限りにおいては、小山田が障害者にウンコ食わせてオナニーさせてその上でバックドロップはしていない。
怒り狂う前に、事実なのかを本人たちに徹底的に追求するべきだろ。
は?じゃぁどこに書いてるの?
小山田が障害者にウンコ食わせてオナニーさせてるエピソード、どこ?
誰かの切り取り原文でもいいよ。貼り付けて示して。
ちなみに、ロキノンでの冒頭のこれ
うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ
実際のエピソードなんて書いてないんだから、編集者が過剰演出している可能性あるよね。
そして、クイックジャパンでは全裸にしてグルグル巻いてオナニーしろ!と言ったのは小山田の先輩ね。(発言はしてるが、オナニーさせたのかまではわからない)
しかしどんなタイプの奴でも行かなきゃいけないのが修学旅行だ。
「中三の時、一コ上の先輩でダブっちゃった人が下りてきたんですよ、ウチのクラスに。
で、その人が渋カジの元祖みたいな人で。
バカな先輩なんだけど。でも僕はわりと仲が良かったのね。
で、同じ班になっちゃって、そのまま修学旅行に行くことになっちゃったんですよ。
好きなもんどうしが集まったとかじゃ全然なくて(笑)、たまたまそういう班だったんですけど。
そいで修学旅行とか行ったら同じ班じゃないですか。
密室だしさ……他の班の奴とかも色々来てたりしてさ。
で、ウチの班で布団バ~ッとひいちゃったりするじゃない。
するとさ、プロレス技やったりするじゃないですか。
だけどそいつ軽いからさ、楽勝でできんですよ。ブレンバスターとかさ(笑)。
それがなんか盛り上がっちゃってて。
それは別にいじめてる感じじゃなかったんだけど。ま、いじめてるんだけど(笑)。
いちおう、そいつにお願いする形にして、『バックドロップやらして』なんて言って(笑)、
"ガ~ン!"とかやってたんだけど。
で、そこになんか先輩が現れちゃって。その人はなんか勘違いしちゃってるみたいでさ、
限度知らないタイプって言うかさ。
なんか洗濯紐でグルグル縛りに入っちゃってさ。素っ裸にしてさ。
『オマエ、誰が好きなんだ』とかさ(笑)。
だけど、そこでもまだ行けちゃってるような奴なんかもいたりして。
『ここはヤバイよな』っていうラインとかっていうのが、人それぞれだと思うんだけど、
『オマエ、誰が好きなんだ』とか言って。『別に…』なんか言ってると、
パーン! とかひっぱたいたりとかして。
『おお、怖え~』とか思ったりして(笑)。
『松岡さん(仮名)が好きです』とか言って(笑)。『じゃ、オナニーしろ』とか言って。
『松岡さ~ん』とか言っちゃって。かなりキツかったんだけど、それは」
以上が2人のいじめられっ子の話だ。この話をしてる部屋にいる人は、
荻上チキ・Session | TBSラジオ | 2021/07/19/月 15:30-17:50 https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210719160547
(荻上チキ氏)
この小山田圭吾氏が過去に行っていた、いじめに関する露悪的なまぁ、発信。
1回のインタビューでぽろっと答えたということではなくて、複数回のインタビューで詳細にそのいじめの中身を語って、しかも悪びれる様子がないというような様子というのは、Web上でも20年以上前からたびたび話題とはなっていたわけです。
そうしたようなことがずっと棚上げされたまま、今回オリンピック、パラリンピックで楽曲提供をするという風になった際に、この名前がでてきたことに対して、これは明らかにちょっとミスマッチだろうというような非難がさらに盛り上がり、また今回の報道などによってその出来事、そういった発言を過去にしていたということを初めて知ったという方も多くいると思うんですよね。
90年代の音楽などに触れている人などにとっては、コーネリアス・小山田圭吾氏というのはとてもあの馴染みのあるミュージシャンだと思うんですけれども、でも日本全体でどれだけの認知度かというと、そこはちょっと分からないところがあるので、むしろ今回の件で小山田氏を初めて知った人にしてみれば、オリンピックなどで楽曲提供しようとしていたけれども過去にとんでもない犯罪的な差別を行っていた人物だったっていう情報だけ与えられると、当然ながらそんな人物不適格でしょ、となるのはこれまた当然ということになりますよね。
この件っていうのは、過去にじゃあ行っていたいじめ加害が発覚した場合に、その人の仕事までキャンセルする必要があるのか?というような問題として理解される向きも一部あるんですけど、その問題とこの問題は別だと思うんですよね。
今回のは、過去のいじめ加害というのが何かのきっかけで「発覚」した事案、ではないんです。
そうではなくて、小山田圭吾氏が繰り返し過去のインタビューの中で攻撃的、露悪的な仕方でいじめの手法というものを赤裸々に語っていた、それを読んだ人たちに対して当然不快感を与えるかもしれないけれども、それを一つのエンターテイメントとして味わって欲しい、読んで欲しいという感覚、文脈で内容を提供しているということになるわけですよね。
そうすると、いじめとか差別というものを軽視するような発信というものを、アーティストになってから行っていた問題ということが、ここに関わってくるわけです。
過去のいじめ加害という点でいうと、国立教育政策研究所のデータなどだと、小学校から中学校の間にいじめ加害を行っていない児童というのは1割程度しかいないんですよね。
やはり誰かしら、何かしらのタイミングで、誰かに否定的なあだ名を呼びかけたりとか、誰かを無視したりとか、誰かを叩いたりとか、そうしたようなことを一定期間行うということはしてしまうところがある。
ただそれが持続的にどこまで行うのか、何年間も行い続けるのか、ずっと行うポジションにいるのかということで見ると、どんどん数が絞られていって、継続的な加害者になっていくという人はその中でもまた一部になっていくっていう状況があるわけですね。
ところがこの小山田氏の様々な発言というものは、そのいじめの文脈というものを超えた、性暴力でもあるし、障害者差別でもあるし、いろんな問題を含んでいるわけです。
インタビューの中でも紹介されている加害行為というのは(先程「たまむすび」の中でも少し紹介されたりしていましたけれども)たとえば人前でマスターベーションすることを強要するとか、あるいは女子達が見ている中でわざと服を脱がして人前を歩かせるであるとか、あるいはぐるぐる巻きにしてバックドロップをしたり、あるいはまた大便を食べさせたりとか、そうしたようなことを繰り返していたんだということを言ってるわけです。
他にも様々なダウン症の児童などに対する侮蔑的な発言というものを仲間内で繰り返していたことなど、いろいろなことを自ら発信されてるんですけど、インタビューの中だと(笑)とかそうしたような文言を用いて、非常に露悪的な仕方で発信されていたということになるわけですね。
こういったような事態というものは、このインタビューを読んだ人たちに対しては大変なストレスを与えることには当然なるわけですね。
なぜこれがストレスなのか、ということも改めて振り返っておきたいと思うんですけど、僕がたまに紹介している概念で「公正世界信念」という概念があります。「公正世界仮説」と呼ばれることもあります。
これはどういうことかというと、「この社会というのは、正しいことをすれば報われるんだ」というような考え方、これが公正世界信念ですね。「この世界は公正にできていて、人々が適切に振る舞えば、世界はそれに応えてくれる」という一つの信念というのがあって、多くの人たちはこれを内面化しているんですね。
内面化するからこそ「努力は報われる、だから頑張ろう」というようにモチベーションを維持することができる、動機づけを保つことが出来るわけです。
逆に言えば「正しくないことをすれば懲罰を受けるよ」というような考え方でもあるので、これがまた社会から逸脱をするのではなくて適応しようというモチベーションに繋がるところがあるんですね。
良くも悪くもこういった信念を持っているという人はとても多いんだけれども、ただこういった信念が揺らぐような悪いニュースというのがしばしば飛び交ってくるわけですね。
そうすると「あれ?今起きた事件って公正世界信念を揺るがしてしまうじゃないか」誰かが例えばいじめられていた、誰かが性暴力を受けた、そうしたような、バッドニュースが入ってきた時に、人はとっても不安感を抱くわけです。
その不安感は、要は「もしかしたら自分も努力しても報われないこともあるかもしれないし、気をつけていても被害に遭うかもしれない」っていうこと、ってなるとすごいストレスなんですよね。
その時に取られがちな手段が二つありまして、そのうちの一つというのが「被害者非難」被害者が悪いというんですね。
どういうことかというと「これは公正世界信念が揺らいだのではない、世界は変わらず公正だ、と。だけれどもあの被害者に落ち度があったから、あの被害者は適切に努力してなかったからそうした目に遭ったんだ、つまり過去に正しくない事をしていたからその懲罰として被害にあっただけなんですよ」っていうふうに矮小化をする。
こういったような仕方で、貧困当事者を叩いたり、被災した方を叩いたり、性暴力の被害にあったことを叩いたりということで、むしろ弱者を叩くっていう方向で解消しようとしてしまうのも、公正世界信念のもたらす現象なんですね。
でも、同じく公正世界信念が揺らぎそうになった時に起きがちな方略のもう一つが「加害者に対するバッシング」加害者に対する過剰な懲罰や"悪魔化"ということになるわけです。
要は加害者に対して因果応報というものをもたらしたい、因果応報をもたらすことによって、このモヤモヤした感覚をなんとか治めたい、って感じるものなんですね。
この感覚そのものはとても重要ではあるんだけれども、場合によっては「加害者がまだ謝ってないじゃないか、加害者はきっともっと碌でもない奴だ」っていうことで、悪魔のような存在として描かれるようなことがあって、そうなるとどう対処してもこの信念が回復されないっていうことになってしまうわけです。加害者がどれだけ謝罪をしても、なかなか対処が困難だということにもなりうるわけですね。
一般的にこうした公正世界信念というものは、人々にとても重要な動機づけを与えるし、社会に適応しようという努力を与えるものではあるけども、しばしばそれがコントロール不能な攻撃に向かうような側面というのも当然あるわけです。
ただ、こうしたような「被害者非難」とか「加害者非難」が全部悪いのかというと、そう単純に語れないというところもあるんですね。
「加害者非難」などに通じることによって、一定の抑止効果とかいうのを社会に拡散したいという人もいるでしょう。いろんな動機がそこにあるわけなんです。
今回の件についてはどうなのかというと、明らかにやっぱり小山田氏が発言していたことが明らかになったら、大変多くの人達も不愉快に思うし、また非常にこの世界を不公正だという絶望感を味わうことになる。だから何かしらな仕方で公正さを回復したいと思う。ここまではもう多くの人たちの望むところだと思うんです。
ではその回復の手段がどうすればいいのかというと、今回のようなケースって、回復の手段がほとんど難しいんですね。
例えばすでに被害を受けていた当事者はいて、その人はその後いろんな後遺症とか様々なものを味わって生きてきたかもしれない、それを例えば今更謝罪したからといって回復できるとは限らない、つまり、加害者が被害者に謝罪をすればそれで治まるような案件ではどうも無さそうということも分かっている。
一方で社会に対して、多くのこの不公正があったことについて、あるいは不公正があるということをアーティストとして発信したことについて謝罪すればそれで治まるのかというと、なかなか治まらないでしょう。
少なくともパラスポーツとかオリンピックなどのテーマソングを書くという役割は適任ではないということは言えると思うんですね。
一方で別に小山田圭吾氏に今後ミュージシャンとして二度と活動をするな、みたいなことを言ってるわけではない。
そこはあの今後どういう風にやって行くのか、今後小山田氏の振る舞いとか応答責任を通じて、多くの人たちが「なるほど、まあそう言うんだったら」という風に安全感覚を取り戻せるかどうかにかかっています。
だから今回のペライチで出した謝罪文で多くの人達が納得できるというわけでは当然無いわけなので、今後の様々な発信において、その問題にどう取り組んでいくのか、どう向き合っていくのか、その姿勢を見せ続けることによって、人々の「加害者避難」でも「被害者非難」でもない、ある種の「修復的公正」と言うんですけど、公正感覚が修正されていくというか、取り戻されている感覚というものを、ひとりの発信者としてもたらすことができるかどうか、それが小山田氏に問われてるポイントのひとつになるわけなんですよね。
で、これはとても難しいことではあるんだけれども、アーティストとしていじめ加害の手法などについて露悪的に語って、それが障害者差別などをさらに助長して、なおかつ多くのいじめ被害者に対しても二次加害をインタビューを通じて行った、という点について、同じアーティストとしてどういう風にその後自分で責任を取るのかということはこれからも出てくると思うんです。
だから今回テーマソングを作るか作らないか、これは作らない方がいいと思います。そしてその仕事を降りた方がいいでしょう。
ただその後二度と活動するなという話ではなくて、それに対して活動者としてどういう風に向き合っていくのかということを多くの人たちが見ていきますよ、ということに応答責任というのが出てくるということになるわけですね。
これ、見ている側もやってはいけないのは、「防衛的帰属」という言葉があるんですけど、何かの問題をどこに帰属させるか、どこに責任の所在をおくかっていうのが、その人達の考える倫理観とか道徳観とは別に、その人の考える将来の損得で左右されるところがあるんです。
例えば今回小山田氏を擁護してる人がいるんですね。たとえば「そんな過去の話」とか「その当時はいじめを露悪的に語るのが当然だったんだ」みたいな仕方で擁護する人たちがいる。
それを見ると、結構典型的な「防衛的帰属」だなって思うわけです。
どういうことかというと「彼が悪いことになると、自分も悪いことにさせられてしまう可能性がある。だから『彼が悪くない』っていう風に言うことによって、自分が叩かれるリスクを下げたい」。つまり自分を防衛するために、責任の所在を「彼ではない」「ここではない」「そこではない」というふうに位置づけたがるということなんですね。
そういうふうに、どこに責任を帰属させるのかっていうようなこと自体が、人々にとって損得を左右されるような問題になってるわけです。
だからネット上などでも、実はその、小山田氏のあり方というものを擁護する声というのも、まちまちあって、しばしばあって、そうしたかたちを見ると、たぶんその自分の振る舞いとか、自分のメディアの振る舞いとか、90年代の表現とかいうものまで堀り返されると問題だなっていう風に思われると色々発表がしにくくなるとか、そうしたようなことが場合によっては関わってくる可能性もあるわけですね。
そういうような「防衛的帰属」を繰り返していると、結局、今回どうすればいいのかっていう議論が前に進まないことになるんですよ。
そうして「自分が叩かれたくないから、この人は擁護しとこう」みたいな損得勘定で議論されてしまうと、結局、「被害感情にはどうすればいいの?」とか「こういったものを再発しないためにはどうすればいいの?」っていう議論が出てこないことになるんですね
ちょっと遠回りした言い方になりましたけれども、今回インタビューによって多くの人たちが非常に不公平な世界だっていう感覚を突きつけられた、それに対してなんとか回復したいっていう強烈な動機に突き動かされているという状況がある。
それをやったのは何かの暴露とかではなくてミュージシャン本人のインタビューの中での発言だったから、ミュージシャン本人として今後の発信などでどう応答するのかということは当然問われてくるだろうと。
それが行われてない現段階においては、このオリパラのテーマソングを受けるというのは不適格だことに当然判断されることにはなるだろう、と思うわけですね。
ではその後どうするのか。
これ一朝一夕に本人が反省しましたって言って何とかする話ではないでしょうし、反省云々ということするためには基礎知識とかいろんなことが必要になりますよね。
どう誤っていたのかを言語化できないと、応答はできないということになるので、今回の本人のメッセージ云々でおそらくなかなか納得しがたいようなところがある中で、どうそれに向き合っていくのかということが問われていくのかな、という風には思います。
80年代90年代当時というのは、特にいじめ対策というものは今より脆弱でした。今は随分といじめ対策で、科学的に何が必要なのかということもわかってきました。
今回、多くのメディアがこのいじめ問題を取り扱うのであれば、いじめ対策として今どういった知見がより重要で、よりどういった教育こそが必要なのか、という話も、いろんな現場に広げてきてほしいなと思います。
小山田圭吾の息子・小山田米呂さん、父のいじめ問題によりSNSのコメント欄が大荒れに
https://quick-timez.com/2021/07/19/oyamadamusuko9202/
まず前提として小山田圭吾氏の過去のいじめと、それに関する言及が炎上している。
イジメっ子「小山田圭吾」の謝罪に不可解な点 当時の学校運営に不満だったという証言
https://news.yahoo.co.jp/articles/2610688114c5564b44563778306c88002519ecc3?page=2
>「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコ喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」(「ロッキング・オン・ジャパン」)
特に障がい者に対してのイジメであり、私は弁護するつもりはない。
ここで私が述べたいのは被害者が「障がいという本人には責任がなく、改善不能なことを理由に、理不尽な暴力」に晒されていた点である。
本人にとって改善不能な障がいを理由に、理不尽な暴力を与えたことは正当化されるべきではない。
しかしそれを小山田氏はそれを行い、さらに過去のヤンチャ自慢の感覚で広く公言してしまった。
次に息子氏についてである。
彼にとって「小山田圭吾の息子」というラベルは本人の努力で外せるものではない。
今後は「「あの五輪の小山田圭吾」の息子」というラベルになるかもしれないが。
そして息子米呂氏は現在進行形で「父親の過去の所業という、本人には責任がなく、改善不能なことを理由に、理不尽な暴力」に晒されている。
彼は20歳の大学生で、将来もある存在である。いや存在「だった」。
もうすぐ就職活動のシーズンのはずだが、世間が忘れるには時間が足りないだろう。
まあ米呂氏は米呂氏なりに、親のコネを活かして活躍するという選択肢もあるだろうが、とにかく選択肢は狭まってしまった。
今の小山田圭吾氏は地位も名誉も金銭も持っている人間であり、「既に持っている人間」であるから今更世間の庶民に何を言われようと答えないかもしれない。
叩かれたところでしばらくおとなしくしていればいいと考えているかもしれない。
しかし血縁関係にある息子が理不尽な暴力にさらされればまた別の心の痛みを感じるかもしれない。
ぜひその点から、自分がいじめた障がい者の親御さんの気持ちに立って考えてほしい。
学生時代のことで、52歳の小山田氏にとっては「とっくに終わったこと」だと思っていたかもしれないが、現在20歳の息子米呂氏のことならまた違う感覚で見られるかもしれない。
米呂氏への仕打ちのことも、米呂氏への加害者側がもしかしたら炎上して30年以上経った後に「直接会って謝罪したい」「謝罪して撤回する」と言ってくれるかもしれない。
30年経ったら小山田圭吾氏は87歳。米呂氏は50歳になるわけだが。
小山田圭吾氏は30年以上経ってから謝ってもセーフだと思っていたのだから、自分がそうされてもきっと許してくれるだろう。でないと筋が通らないわけだし。
小山田圭吾の息子・小山田米呂さん、父のいじめ問題によりSNSのコメント欄が大荒れに
https://quick-timez.com/2021/07/19/oyamadamusuko9202/
まず前提として小山田圭吾氏の過去のいじめと、それに関する言及が炎上している。
イジメっ子「小山田圭吾」の謝罪に不可解な点 当時の学校運営に不満だったという証言
https://news.yahoo.co.jp/articles/2610688114c5564b44563778306c88002519ecc3?page=2
>「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコ喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」(「ロッキング・オン・ジャパン」)
特に障がい者に対してのイジメであり、私は弁護するつもりはない。
ここで私が述べたいのは被害者が「障がいという本人には責任がなく、改善不能なことを理由に、理不尽な暴力」に晒されていた点である。
本人にとって改善不能な障がいを理由に、理不尽な暴力を与えたことは正当化されるべきではない。
しかしそれを小山田氏はそれを行い、さらに過去のヤンチャ自慢の感覚で広く公言してしまった。
次に息子氏についてである。
彼にとって「小山田圭吾の息子」というラベルは本人の努力で外せるものではない。
今後は「「あの五輪の小山田圭吾」の息子」というラベルになるかもしれないが。
そして息子米呂氏は現在進行形で「父親の過去の所業という、本人には責任がなく、改善不能なことを理由に、理不尽な暴力」に晒されている。
彼は20歳の大学生で、将来もある存在である。いや存在「だった」。
もうすぐ就職活動のシーズンのはずだが、世間が忘れるには時間が足りないだろう。
まあ米呂氏は米呂氏なりに、親のコネを活かして活躍するという選択肢もあるだろうが、とにかく選択肢は狭まってしまった。
今の小山田圭吾氏は地位も名誉も金銭も持っている人間であり、「既に持っている人間」であるから今更世間の庶民に何を言われようと答えないかもしれない。
叩かれたところでしばらくおとなしくしていればいいと考えているかもしれない。
しかし血縁関係にある息子が理不尽な暴力にさらされればまた別の心の痛みを感じるかもしれない。
ぜひその点から、自分がいじめた障がい者の親御さんの気持ちに立って考えてほしい。
学生時代のことで、52歳の小山田氏にとっては「とっくに終わったこと」だと思っていたかもしれないが、現在20歳の息子米呂氏のことならまた違う感覚で見られるかもしれない。
米呂氏への仕打ちのことも、米呂氏への加害者側がもしかしたら炎上して30年以上経った後に「直接会って謝罪したい」「謝罪して撤回する」と言ってくれるかもしれない。
30年経ったら小山田圭吾氏は87歳。米呂氏は50歳になるわけだが。
小山田圭吾氏は30年以上経ってから謝ってもセーフだと思っていたのだから、自分がそうされてもきっと許してくれるだろう。でないと筋が通らないわけだし。