はてなキーワード: 電通とは
高校の時、虐められていた。俺を虐めてたヤツは今、電力会社で働いているらしい。
復讐相手が最大のダメージを食らうタイミングを完璧に計算している。
電通に勤務中なら左遷程度だろうけど、独立した今なら最高、自己破産まで追い込める。
攻撃ターゲットがあくまで個人で、電通の企業体質とか構造的問題とかに一切触れないのも頭いい。
童貞差別発言が非難されたりもしたが、それも謝罪して、今のところ敵なしだ。
元虐められっ子を集めた復讐塾とか開いて欲しい。月3万円出す。
タイトルそのまんま。今日ヨッピーがは伊藤春香氏のことを嫌いって言わないで。最初の告発者なんだから応援してあげてよ。みたいなクソみたいなブログ書いてたけど、あれ読んでやっぱり#MeToo運動の告発者としては伊藤春香氏を担いだのは本当に失敗だったと思う。
伊藤春香氏がめちゃくちゃ嫌われてることを織り込み済みでbuzzfeedもヨッピーも告発を勧めたんだと思ってたけど、少なくともヨッピーにはそんなこと考えてなかったみたいだね。
伊藤春香氏が矢を受けてハリネズミになってるのは自業自得すぎる。セクハラモラハラを受けたのは自業自得じゃない。もちろん岸が悪いし何も対策も処罰もしなかった電通が悪いのは明らか。伊藤春香氏は被害者。でもセクハラ告発した今でも童貞に対するセクハラをやめないような人間は批判されるべき。
セクハラってのは
デリカシー不足などを主な原因とした言葉による「まずい発言」的なもの、も含まれるのは確か。
で、それは非モテが非モテ故にしでかすことも多いだろうし、まあいわゆる「もてないキモオタ童貞」がやらかしそうなことではある。
勿論、そういうコミュニケーション不足による接触的セクハラに及ぶ場合もあるんだろう。
でも、それとは別に、直接的に行動にでるってのもある。今回電通の件でたたかれてるのは、この場合における直接行動主義的なものだと思う。
それこそストレートに当然のようにひどく触ったり、レイプなどの性暴力に及んだり、言い方悪いがそんなん非モテにやる能力ないだろうがと。
そういう「モテるタイプがやるセクハラ」と「非モテがやらかしそうなセクハラ」とは別な部分もあるだろうし、
いくら後者も十分問題であり、解決されるべきことだとしても、それが前者とは別である部分もあるというのもまた事実なのではないかと。
昨日少しだけ電通の話を見た。何日か前からはあちゅうの話も見ている。
相撲の話も、遡ればマックの話もすき家の話もそうなんだけど、是非を判断する材料がブレている気がしてならない。
たとえば電通。電通の起こした問題はパワハラセクハラ、労働過多による過労死をさせてしまったこと。
しかし見る話見る話、問題そのもの以上の叩き方をしているように見えてしまう。
相撲は暴行そのものではなく、相撲界隈や暴行事件に直接関わったわけではない人間を槍玉に挙げて叩いている。
電通のパワハラが表立ったことで、電通が関わる仕事そのものを叩くようになった。
すき家のワンオペでブラックだと騒がれ、ゼンショー系列すべての店の不買運動をするようになった。
そういえばけものフレンズ2期からたつき監督が外されたことにも、アプリをインストールしないなんていう動きが出ていた。
こういう事象を見ていく限り、起きた問題自体を問題視しているわけではなく、起きた問題をきっかけにその企業や団体、個人を叩きたいだけなんだろうなという印象しか持てなくなった。
最近、セクハラを告発する「#metoo」なるハッシュタグがあり、ネット界隈で結構有名な「はあちゅう」という女性が、元電通の岸勇希からひどいセクハラを受けていた事を告発した。
この行動自体は称賛に値することだと思うし、岸という人間はなんらかの刑事罰を食らってほしいぐらいだが、それとは別にはあちゅうという人間があまりにゴミだったのでまとめておく。あと、「ヨッピー」というこちらもネット界隈では有名なライターがいるが、こいつもクズなので記録のために書いておく。
■結論
はあちゅうもヨッピーも「自分はいいけど他人はダメ」という考えがあるから問題がある
■経緯など(はあちゅう編)
↓
「お前だってクソじゃん」「お前も童貞をバカにしてたじゃん。それはセクハラじゃないの?」という反論が来る
↓
はあちゅう反論「童貞という言葉に持つイメージは世代によって違うのでは?」
↓
叩かれる
■経緯など(ヨッピー編)
↓
↓
ヨッピーが「電通が悪い、で済ませていい問題ではない」「他業界でもこんな話はあちこちに転がっている」などと発言
↓
ヨッピー叩かれる
↓
ヨッピー反論「今回のはあちゅうの話を公にしようって言ったのは俺だっつーの」「ITも金融もそんな話のタレコミ来とるわ」
↓
今回の騒動で、岸が「あれ(はあちゅうに対しての数々のセクハラ)は愛のあるイジりだと思っていた」等と弁解しているが、これとまったく同様の事を自分がしている癖に無自覚なところ。
(逆に自覚した上で「私はいいの!」と思っているならある意味大物である。)
セクハラ・パワハラ案件では「自分は軽いスキンシップだと思っていた」「悪気はなかった」「イジって笑いを取ってあげていただけ」等の言い訳が見られることがままある。そしてこれらの言い訳が全くの詭弁であるということは皆も周知のことと思う。
確かに、「童貞」という言葉に対してのイメージは個々人によって異なるのだろう。そして、はあちゅうは「童貞」という言葉にポジティブなイメージを持っているのであろう。
ならば「私は『童貞』というワードにネガティブなイメージを持っていないから他人に投げかけてもセーフ」となるのか?私はならないと思う。
この「自分ルール」を他人に押し付ける構造こそが、各種ハラスメントの根底にあることを理解していない。
「今回の岸の件と、はあちゅうの過去発言については分けて考えるべき」という意見には私も賛同する。
当たり前だ。「罪を犯したことが無い者のみが手斧を投げなさい」と言っていいのはキリストだけだ。まぁキリストはそんな事は言っていないと思うが。
だからこそ、はあちゅうは過去の自身の発言に対して真摯になって頂きたい。謝罪の一つもなく、「セクハラを告発したら叩かれた」等と被害者ぶっている現在の行動は唾棄すべきものである。今回の件ではあちゅうを批判してる人間の大半は、その場の雰囲気ではあちゅうを批判している訳ではない。それなのに批判意見には「見当違い」とNOを突きつけ、賛同意見のみ称揚する。そんな人間を信用する人はいない。
・「いっちょかみ」で色々なところに首を突っ込んでは叩かれるクセに、反省も改善もしないところ
「日本語」と言うか、言葉・言語の出発点は「意思の疎通」であるはずだ。自身の感情・思想・思考を、なるべく齟齬がない状態で対象に届ける事ができるのが肝要であり、ライターともなればそういった事に気を配るのは当然であろう。捻くれた比喩や冗長な表現は小説にでも任せておけばよろしい。
だがヨッピーは度々「ヘンな日本語」を使う。それを一種の「ライターとしての自身の持ち味」だとでも思っているのだろうか、改善するそぶりも見せない。
今回の件では「スケープゴート」という単語が引っ掛かった。以下引用する。
ttps://twitter.com/yoppymodel/status/942268335701368832
電通のコメントなんかは残念極まりないし猛省して今後の対応をすべきだけど、電通とか広告業界関係なしにこういう話ってあちこちにゴロゴロ転がっているので、「これだから電通は~」みたいに電通をスケープゴートにして叩くのは少し違うんじゃないかなーと思った
案の定返信でつっ込まれまくっているが、本人はどこ吹く風である。だいたい、「自身の想定していた意図と異なって伝わってそうだなー」と思ったら説明のひとつもすればいいのに、それもしない。
過去の類例で「ボードゲームを紹介する記事につっ込みが入った際に、謝罪もそこそこに以降のやり取りをシャットアウトした」という前科がヨッピーにはある。これでライター業を名乗っているのだから気楽なものである。
そのくせ、自身が理解できない事柄に対しては容赦なく攻撃する。少し前にバズった「蹴鞠おじさん」の件などが該当するだろうか。
ttp://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014
はあちゅうもヨッピーも、いわゆる「信者」を大量に抱えているので、自身が気に食わない事柄があれば信者をけしかけ、相手が折れるまでボコボコに叩く。そこに正義はない。あるのはただ「俺が理解できない事を言うな」という、スターリンも真っ青の思考である。謝罪など断じてしない。これとは別件だが、「ギガが減る」という文言で長々とバトっていた時も、ヨッピーは自身の過ちは認めず、ひたすら信者達をけしかけていた。
そもそも、なんではあちゅうの告発でヨッピーが「『公にするべきだと思います』って言ったの俺だっつーの」などと言っているのか。上から目線にも程がある。自身の正義を疑っていない、辞書的に正しいほうの「確信犯」めいた狂気がある。
こういった「自身の誤ちを認めない・気が付かない・分かっていない」人間こそが、他者へのハラスメントを生み出している。ヨッピーなどは「いやぁ、俺飲み会で「あなたヤリマンですよね?」って聞いてたわー、俺結構聞いてわー、悪気はないけど」等とtwitterに書き込んでいる始末である。ここまでくると、もはや害悪である。言葉を投げかけれられた人間だけではなく、この書き込みを見た第三者の気分すら害している。
はあちゅうさんが、岸勇希氏から「電通」でセクハラやパワハラを受けた
この件が話題になるにつれ、はあちゅうさんが過去にTweetした
「童貞いじりの件」(彼女Twitterでの言葉を採用し、この言葉を使うが、わざわざ逆撫でする言い方をしなくても良いのにとは思う)
これはどうなっているんだ、これもセクハラではないのか、と批難の声があがっている。
感情に流されない識者は、岸勇希氏からのセクハラやパワハラと、「童貞いじりの件」は別箇に議論されるべきであって、
今回の彼女の告発は、相対化されるものではないとコメントしている。
まったくその通りだと思う。
はあちゅうさんが、「私は電通の考え方に染まったのから『童貞いじりの件』をTwitterに書いた」といえば味方できるのに、というのも、この二つの件を混同している典型に思える。
一番問題なのは、「理想の被害者ではないと声をあげてはならない」と、被害を被っている側、被害者の相談を受ける人が内面化することだろう。
しかし、この二つのことを一緒くたにしてブーメランだとか、語る資格はないと語る人がいる。なぜか。
「童貞いじりの件」という言葉は、女性から男性へのセクハラ、同じセクハラという言葉の定義に抱括されてしまうからだ。
Wikipediaのセクシャルハラスメントのページ(いろいろ見て回ったがWikipediaがわかりやすかった)を参照する。
セクハラは、対価型セクハラと環境型セクハラに分類できるそうだ。
今回のはあちゅうさんが「#metoo」のハッシュタグで告白したものは、対価型セクハラに分類される。
一方、はあちゅうさんの「童貞いじりの件」は、分類するならば、環境型セクハラに分類されるっぽい。
(あくまで私の私見である。きっとこのように綺麗に分類できるものではないし、セクハラにあたるのかもわからない。私は専門家ではないので、専門家に詳しい解説を願いたい)
どうも、この対価型セクハラと環境型セクハラをセクハラという大きな言葉で括っていることが
要はセクハラと言ってもいろいろなモノがあり、そのひとつひとつの拾い上げて検証する必要があるのではないだろうか。
対価型セクハラと環境型セクハラという分類も、大雑把な分類だがこの性質はまったく違う。さらにその中でも発信される場所などに対しての考慮も必要だろう。
対価型セクハラは、権力を持つものが、セクハラもしくはパワハラをその権力を笠に行うので、セクハラ・パワハラ被害を訴えにくい。
対価型セクハラは、声をあげ辛く、議論の俎上にも載せにくい。なぜなら声を上げるだけで不利益を被る蓋然性が高く。匿名で訴えたとしても、信憑性にかけると判断される可能性もある。
一方の環境型セクハラも職場や学校など限定された環境であれば、声をあげるのは難しい。
しかし「童貞いじりの件」は、インターネット上の発信であり、批判の声を発信者に届け、議論の俎上に載せることは容易である。
そもそもはあちゅうさんが、童貞に対して(語りかたが不愉快だから)何も語る資格を持たないというのも、冷静に考えれば妙な話であり、
さらに言えば、はあちゅうさんの今回批難されているTwitterの「童貞いじりの件」は、概念としての童貞を語っており、誰か個人を晒し上げているわけでもない。
そもそもセクハラなのか、これは環境型セクハラに分類しちゃって良いのだろうか(専門家の意見求む)。どうもビミョー臭い。
本人が堂々と公言している童貞、ヤリマンをコミュニケーションネタとしていじることや下ネタとセクハラは違うと思うんですけどねー。明るく楽しく笑えるものが自粛になるのは嫌だなー...。
と、いうはぁちゅうさんのコメントは、童貞をタブー視することこそが問題なんじゃね?と彼女なりの考えがあっての発言にも思える。
彼女の言い回しに対して違和感がないわけではないが、言わんとすることはわかる。
すべての、セクハラという言葉で定義できるものをシステマティックに片付ける社会は嫌だけど、許せないことはある。これは矛盾しない。
私はセクハラやパラハラの専門家ではないので、発言を控えるべきだとも思った。
しかし、かつて酷いパワーハラスメントにあい「言ったとて、どうにもならない」と言い出せず、悔しくて、惨めな思いを味わったこともあり、
今回の#metooの動きで声にならなかった言葉が可視化されて、今後「私だけじゃない、これは怒っていい奴だ」と声をあげやすくなるのは、
とても素晴らしいことだと感じ、考えを述べた。
一連の電通セクハラ事件の報道を見て、ちょっとだけ救われたという話。
良い話でも何でもなく、薄汚い俺の心中を晒すだけなのでそこは期待しないでほしい。
まじめに勉強していて、サークルも真面目な輪読ゼミだったので、女を喰っただの何だのという話にとことん無縁だった。
しかし就職活動では自分と全く世界の違う人たちとの交流も増えてくる。
ヤリサーに限らず、世の男どもは女を喰い散らかして遊びほうけている、という実態を見せつけられたのはその頃だ。
就職してからは電通関係の知人が増えてくるわけで、そういった連中も確かに女で遊びまくっていた。
同年代の知人からは「先輩に、女を用意しろと言われるのが辛い」という愚痴も聞いた。
辛いというのは別に女に対して申し訳ないという意味ではなく、先輩が好む女を見つけてくるのが難しいというニュアンスだった。
きっとあいつは先輩の立場になってからは後輩に同じことを要求しているんだろう。
なんていうゲスどもだ、という感覚と同時に、俺には「なんてうらやましいんだ」という感覚も同時に立ち上がった。
俺はそんな良い思いをしたことがないないのに何でお前らだけ、と。
しかし彼女とは一度もセックスしたことがなかった。彼女の方がセックスに強い嫌悪を抱いていたからだ。
俺と付き合う前に男で嫌な思いをしたかららしいが、深くは聞けなかったし、聞かれたくないようだった。
だから俺はずっと童貞で、社会人になって金ができてからやっとソープで童貞を卒業した。
でも電通の連中は、いや世の中の男どもは、金も払わずにオフィスで堂々と女を喰ってるのか、と思うと悔しかった。
かたや彼女とセックスもできない俺、かたやSODの世界を実現できているあいつら、である。
その彼女と結婚してからもやっぱりセックスはさせてくれなかった。
この子もいずれゲスな男に喰われてしまうのかという辛さと、そもそもこんな薄汚いことを考えている俺が父親であること自体がかわいそうという気持ちが混ざりあって、素直に喜べなかった。
大体からして、素人童貞のままパパになること自体に違和感がある。
妻がもし昔レイプまではされていなかったのだとしたら処女懐胎の可能性だってある。
かたや中世カトリックもびっくりの禁欲生殖、かたやヤっては降ろさせる電通帝国である。
この世にこんな格差があって良いのかという怨嗟が蓄積していった。
そんな折、今回のニュースが飛び込んできた。
はぁちゅうの告発内容は、まぁそういうことはあるだろうな、もっと激しい事例もあるだろうな、と納得だったが、それよりも世の反応に驚いた。
#metooタグが流行っているとはいえ、電通ほどひどいケースはあまり見かけない。
そのことに、ちょっとだけ安堵した。
SODはフィクションだったんだ。
俺の怨嗟は、金のないホームレスがビル・ゲイツをうらやんでいるようなものだったんだ。
真にうらやむべきは、普通にただ毎週のように彼女と・妻とセックスができている程度の男だったんだ。
そう思えた。
娘よ、君はどうか、お父さんお母さんのような歪んだ人間観ではなくて、愛し合える人と存分に性生活を送れるようになってほしい。
はあちゅうが騒ぎを起こしてるが、これは岸という人を電通内で下に落とすために電通自らが仕掛けた芝居とみるべきだ。
パワハラもセクハラも、会社の中で出世コースにいる人がやってたと訴えても揉み消されるだけだが、出世コースから外れた人がやってた場合は懲戒一直線なのが企業や団体の常だ。
はあちゅうはこれまで何度もハラスメントを訴えるチャンスがあっただろうに、今になって訴え始めたのは、岸が電通の中で扱いが変わったからであろう。もしくは岸を蹴落としたい電通内部の人がけしかけたか。
そうでなければただのバカ。
広告業界の片隅にいる増田です。友人・知人がたくさん電通にいるのですが、彼らが普段水を得た魚のようにやっているFacebookで、今回の岸勇希氏セクハラ事件に関する言及がゼロ、他人のシェアへのいいねなどの反応もゼロです。12/17の日曜日に記事は掲載されたわけですけど、恐らくその直後に緘口令が敷かれたんだと思います。残念な会社ですね。
ところで、最近の広告業界というのは「ソーシャルグッド」という言葉が流行っていました。英語だけど分かりやすいですよね。「社会的に良いこと」です。なぜ流行ってたかと言うと「ソーシャルグッド」なものが広告業界の賞をここ数年取りまくっていたということがあります。まさに今回の事件の加害者である岸氏もアクアソーシャルフェスというトヨタの広告で、 グッドデザイン賞などを取っています。これの概要が「ソーシャルグッド」をよく表していると思いますので引用します。
「企業の広告費を変えたら、社会が変わる。広告費の使い方をデザイン。」 AQUA SOCIAL FES!!は、TOYOTAのコンパクトハイブリッドAQUAのキャンペーン。水をきれいにする全国50の様々な活動に参加できるプラットフォームである。本キャンペーンの新規性は、「広告費で社会貢献活動を実現」した点。これまで企業予算からしか行われなかった社会貢献活動を、明確に販促のためとして広告費を利用することで行ったフレームは、広告が社会を変える新しい取り組みである。週末毎に各地で開催をくりかえし、今年はすでに約100回開催。年末までに全134回を開催、来年以降も中長期的に続けていく。
引用してみて思いましたが、素晴らしいですね。ディレクターは残念な人だったわけですが。
この言葉が流行り始めた時、大体2013年くらいですが、正直に言って引いたことを覚えています。電通の根本的な働き方や姿勢が全くソーシャルグッドでないのに、ソーシャルグッドな広告を作り、賞を取って、外にはこれからはソーシャルグッドですよ〜って言っていく。まったく説得力がないと私は感じたのですが、企業的には受けてたようで、順調に広がってきました。そんな様子を見て「隗より始めよ」という言葉を業界の人は知らないんだろうなって思いましたよ、本当に。
「ソーシャルグッド」の理念はとてもいいのですが、制作物の目的に据えるよりも、まず自分が属している企業や自分自身の身近なところから変えていくべきです。それをしなかったので、本当に気味が悪かった。片方では「ソーシャルグッド」を唱えるのに、法令違反、パワハラ、セクハラは相変わらず横行し、社内で自殺者が出る。それがここ数年でした。今回の件で少しでも変わってくれたら、片隅の私にとっても僥倖ですが、どういう成り行きを見せるか、正直不安です。
声を上げることができない被害者を救ってとか都合よすぎで被害があったと声高に加害者を迫害しないと共犯であることと同じ
みんな声あげてこうよとはあちゅう氏もいってる
自分ひとりのちっぽけなプライドをまもりきるためについでに犯罪者も野放しにして自分がもう傷つかないためであれば
野放しにした犯罪者がいくら被害者を量産しようとしらんぷりな被害者はもうすでに犯罪者そのものではないか
はあちゅう氏のよびかけに答えなかった人たちも実名をあげて糾弾していくべきだろう
というかむしろはあちゅう派でない電通関係者は全員変態ハラスメント狂人でいまも女性のすべてを絶望の淵においやる日常をすごしているはず
こんなことがゆるさえれてなるものか
ハラスメントされていないかしていないかについて圧力をかけて聞き出しストレスを与えて正義の鉄槌で私刑を執行することで
その意志を感じたはあちゅう同意派はみなネット上で懐疑的な意見や平等性について疑問を問うものや過去の発言について言及するものに対し
こうやって相手に外圧をかけていくことで成果をなすとの正義を示してくれているのだ
悪は犯罪を犯してでもハラスメントにはハラスメントという武器をもちいて圧殺していかなくてはならない当然の原理の入り口にようやくたどり着いたのだ
なんだか電通が盛り上がってるけど、
社畜の戦闘力を図るスカウターが年収しかないのも問題だと思うんだよ。
「有給消化率が85%を超えている?! どういうこと?」
「なに、、15年以上有給消化率が100%だと?
嘘だろ、そんなはずがない。
この国に退職直前以外で有給消化率が100%に到達するものがあるものか!」
みたいになって
割烹着の人らしき人が、2ちゃんに書き込み。実験が上手く行かないことを質問していたようだった。第三者が掘り起こした。また、当該論文の画像上の比較もウェブで行われた。論文の画像がこの実験の肝だったわけだが。その画像は再利用されていたようだった。某大学にもコピペ文化があったとか、なかったとか。この場合は、リアルに上司の方が自死を選択されてしまい、大変に悲しい結末になった。ナントカ細胞があったのか、なかったのか、はっきり分からない状態になった。紙としての実験ノートも話題になった。
サンミュージック所属の女性芸能人を始めとした数々の不倫報道。SNSの一種LINEを用いた連絡については、文字として証拠が残り、不倫行為の記録として活用されている。また、週刊誌がデジタルで密会の様子を動画で配信するようになった。
電通の東大卒の才女。残念ながら、自死という選択をされた。過去に、過重労働ばかりではなくて、パワハラ・セクハラもあったということだった。SNSの一種Twitter上に、彼女の日記と同等と取り扱われる内容が掲載されていた。こういった裁判において、労災認定には年単位の時間が必要となるようだったが、世論を後押ししたのと、Twitterを日記として裁判所の判断材料とされたのだった。
元自民党の女性衆議院議員。暴言をデジタル機器によって秘書が録音。診断書と共に証拠となった。その音声は、ワイドショーなどで繰り返し流された。パワハラ・暴言だけでは無くて、傷害があったので書類送検。女性政治家から男性秘書への暴言・暴行があったことが記録として残った。
(暴言を録音された関西某私立大学の理事長はいたが、暴言・パワハラだけで終わったようだった。)
元電通の女性社員。作家。Facebook, LINE blog, twitterで、パワハラ・セクハラの告発。前後にニュース系サイトによる取材記事の掲載。元電通の女性社員の声に応えるように、裏付ける話が多く出て来ているようだ。そして、その結果、元上司の男性のAmazonの書評にまで影響を与えている。
例のme tooの話
そういうの一切なしに告発だけするって
気に入らないやつの誹謗中傷に利用されたりする可能性があるんじゃないの?
というか絶対それに利用するやつが出てくるでしょ
なんでこの問題では冤罪の可能性を一切無視してもっとやれ的な雰囲気なの?
個人的にはぶっちゃけ刑罰なんて信用してないから、私刑もっとやれって感じで煽ることが多いんだけど
普段、それに反対してる層が狂喜乱舞して推定加害者を叩きまくってのにちょっと引いてるんですけど
※追記
なんか加害者擁護とか告発を封じ込めようとしてんのかみたいな話になってるけどちゃんと読んでる?
それに冤罪って俺の記憶ではメディアが裏とったとか関係ないよね
メディアが冤罪私刑の扇動してたこともあるし、自白だって取れた上で間違ってたこともある
いつもは関係ない赤の他人が加害者をジャッジすることに反対してるブコメが多数をしめるはてなで