はてなキーワード: 雑貨とは
渋谷のマルイ(モディではない)では少しオシャレなオタク女子向けの服、安いコスメ、100均的な雑貨をそろえてオタク女子向けのイベントを揃えて開催している。
渋谷マルイは大通りに面しているがかなり精力的にオタクコンテンツの大型広告をだしたりしていて、109-MEN(こちらもエヴァやゴジラ、アメコミなどサブカル系コラボが多い)→渋谷マルイ→TOWER RECORDSとカルチャー系の大型ビルが並ぶ通りが完成した。
元々通りを挟んで向かいの旧マルイシティ渋谷(現渋谷モディ)と客を食い合っていた旧マルイJAM渋谷(現渋谷マルイ)はこの戦略が功を奏し、順調な売上になっている。
よって渋谷マルイはそこそこサブカル/オタクに優しいビルと認知されていたし、常設のイベントスペースでは何かしらのオタクイベントが開催されているのが普通だ。
ふともも展を渋谷マルイで開催した時に成功した(と仮定する)のは、それを否定してしまうと同じ女性であるオタク女子側にデメリットが生じてしまうからかもしれない。
ところで池袋マルイはオタク女子の聖地池袋にあるにも関わらず駅の反対側、しかもかなり遠方にあるためずっと集客に苦労してきた。
しかも駅ビルとして競合のルミネだけでなく西武/東武という百貨店のくせに高級でない百貨店があるせいでデパートのマルイまで足を伸ばしてくれる客が本当にいない。大型店舗なのに十年くらいずっと成績が悪い。
(新宿のマルイは目の前に伊勢丹があるが客層が違うお陰で儲かっている。なんで新宿マルイをモディって名前にしないのかは不明)
池袋マルイは割と必死で様々なイベントを行っているが、一貫性が薄くうまくいってない。
もしかしたら渋谷や、新宿にもう一件あるオタク女子向けのマルイ(ここはシネコンとくっついていて上映中のアニメーション映画とがっつりコラボする戦略/ロリータなど濃いめのオタク女子向けアパレルも取り扱う)であれば、多少のクレームに屈しなかったのではないかな、と思った。中止決定をお知らせするのは広報だが、イベント実施可否自体の決定権は各店の店長になる。
勿論2016年に渋谷で問題なく開催できたのは、モンスターが見つからなかったせいもあるかと思うが。
とにかく良かれと思って企画したイベントを潰されるのはイベント主催も場所提供側も本当につらいし、写真展覧会には何の落ち度もないとはっきりわかるので更につらい。結果的にクレームに屈してしまったのもつらい。
インテリアを探していると、「男前」というキーワードが目に入るようになった。
何かと思って調べたら、お部屋自慢投稿サイトから流行りだした言葉のようだ。
私が好きなジャンルはミッドセンチュリーやインダストリアル系で、確かに男性的ではあるが、
検索結果によく出てくるのは、それとはかけ離れた細いワイヤー雑貨に男前という売り文句なのだから参ってしまう。
① 男としての容貌や姿。 「 -が上がる」
② 男らしい顔つきや態度。男振りのよいこと。
上記から男前インテリアとは、男性的で格好良く感じるインテリアのことと考えられる。
女に比べ男は、大きく直線的で、硬質である。多くの場合、女より喋らない。
現代では優男がちやほやされたり男のイメージも様々あるが、ひとまず、男性的な特徴が誇張されたものが男前と受け取ってもよさそうだ。
「男前インテリア」と検索すると、続々出てくる貧相なお部屋たち。
ビーカンパニーやニコアンドに毛が生えたような、カントリー系に近いものばかりだ。
ばかでかい英字ステンシルが恥ずかしくてたまらない。おしゃべりな英字は、男前と言えるのか。
木と鉄の素材なら、なんでも男前なのか。
「男前インテリア」は、「細マッチョ」のような、イメージが噛み合わない気持ち悪さを感じる。
キャニスタータイプのやつなんだけど、ネットで7000円ぐらいのやつが、近くの激安スーパーで5000円で売られてたんだよ
今まではクイックルワイパーしか掛けたことないから床が汚くてね
去年まで4年ほど汚部屋住人だったんだけど一念発起して家中大掃除したんだよ
いらないもの、いるかもしれないもの全て捨てて、細々した物、日常雑貨の収納場所を1つ1つきっちり決めてみたら家を綺麗に保てるようになってね
毎日の掃除が楽しくなって、ホウキしか持ってなかったんだけど、マキタの掃除機を買ってきて、しょっちゅうかけてるんだ
床に転がったホコリやチリがなくなったら床のベタベタが気になってね
天気もいいし今から使ってみるんだ
毎日掃除する人の気が知れなかったけど、綺麗な部屋って気持ちがいいんだね
今までの自分は食って寝るだけの獣だったよ、人間らしくなった気がするよ
店とか遠いんだよね
自転車や車で行くにしても、往復で40分は取られる
学校は片道30分が基本だった
その後政令指定都市に行ったんだけど
やっぱり店も学校も遠いんだよね
全部一通り揃ってるけど、揃ってるだけで近いわけではない
その後関東に来たんだけど
ドアtoドアで60分〜80分
地方より遠いやんけ
駅前に店が集中してるから、私生活は基本的に往復30分くらいで何とかなるんだけど
通勤が長くてそれどころじゃないわ、帰ったら店とか閉まってるしさ
雑貨や家具を見ようとすると、結局地方に居たときと変わらないくらいに往復の時間がかかる
電車で隣駅まで行かないとなかったりする
渋谷とか新宿とかにしか店がないと往復1時間覚悟しなきゃいけない
スーパーが近場にないし、コンビニも遠い、地方に居た頃より不便かもしれん
あと店がビル内だったり地下だったりして迷うし、ハズレ店も多い
その点ネットはすごい
Amazon行くのに2秒くらいだ
そりゃリアルは負けるって
往復1時間以上かけて徒労に終わった時のあの切なさがなあ
ニトリで買ったスリムワゴン(4段)に高さ調節用にダンボールを乗せ、その上にノートPC置いてスタンディングデスクしています。
立つのが疲れたらキャリーバッグに腰を降ろして作業継続しております。
とは言えキャリーバッグにいつまでも座ってるとお尻が痛くなってしばらくするとまた立ちます。
その為いつの間にか長時間座り続けてしまうということにはなりません。
ワゴンは普段雑貨入れとして使っていますが、最上段にはお菓子を入れており、つまみながら作業ができます。
立つ時は集中するときですのでお菓子はつまめない方が良いのです。
断捨離を心がけ、不要な物を持たずにあるものだけで生産性を上げるにはどうしたら良いか考えた末、このような形となりました。
セックスしたいです。
たのしそうだね。
かつて付き合ってたグイグイくる女の子の話。参考になるかわからんけど。
・ファミレスなどで対面4人掛け席に案内されても隣に座ってくる。手を繋いだり肩にもたれ掛かってきたり。
・一緒に歩いてるときの距離がやたら近い。腕をぎゅーって抱きしめられる。なお巨乳。
・お店で雑貨とか見てると、後ろから重なるようにピタッと背中にくっついて俺の肩越しに見る。なお巨乳。
・手を繋いで歩いてて、これからどうしよっかーと話していたら、パッと物かげに引き込まれてチューされる。「もっといろいろできるところ行く?」って。すぐに鶯谷へ向かった。
・部屋とか密室に入って座ったら、即俺のズボンをおろして舐めてくる。
運転中は危ないし、外から見えかねないから×だよな。自分も若かった。
その他は、そこそこかわいい子だったので人前でやめろよブスとは思わなかったよ。
だけどごめん、押しが強すぎて引いてしまって別れた…。
思い出せるかぎり小学四年生の頃にはすでに遺書を書いていたし、それ以前からもやんわりと死にたかった。
十歳の時点で死にたいって、なんだか親に問題がありそうだけどでも多分そんなことはぜんぜんない。いい親だった。いい親だったからこそいまなんとか生きていけてるような気さえする。でも家からははやく出たくて、高校は寮付きのところに行ったから15歳から家を出る形になった。いまとなっては、とくに父親にたいして申し訳なく思っている。(もう少し娘が家にいたほうが嬉しかったかなって)
不思議なのは、死にたいんだけど、死にたいはずなのに、自分自身にはぜんぜん不満がないってこと。性別も顔も声も生まれも立場も学歴も職場もいまのままでぜんぜんいい。友達については特に、この人たちと友達でいられてよかったと瞬時に思える人間が四人もいる。(いわゆる親友というかたちで名指ししても全く問題ない関係性のひとが四人)ほかにも、学校のコミュニティとか会社の同期とか、仲良くしてくれる人たちもいて、飲み会とか好きじゃないからあんまり予定は作らないけど、それでも週に一度はだれかと遊びに行くし、恋人と同棲もしている。なんの不満もない。趣味は読書と手芸。ものつくるの楽しい。(さいきんはどっちも興味わかなくなっちゃったけど)
なんだかぬるま湯の低温の希死感というか、死んでもいいのになあ、みたいな気持ち。昔は慟哭的な死にたさを抱えていたころもあったけど、あの頃と比べるとほんとマシになった。今は和らいでるから分かるけど、あのころは本当に本気でいつ死んでもかまわないと思ってた。いつまでこんな悲しいことが続くんだろうって思いながら、そのときそのときで、友達とか恋人とか、周りにいる人のおかげでなんとかうまいことやってきた。でもぜんぜん「死にたい」は消えない。一瞬いなくなったように思っても、気付けば身近にいる。
最近は失踪するといいのかもなあって思ってる。貯金500万あるから、それもって3年ぐらい失踪して、そんで困ったら死ぬのってどうかな。って自分と相談したい。あしたから行きません、ってメールしたらみんな困るかな。いや困るっていうか、心配してくれるだろうし親に連絡してくれるだろうし、同期もおおさわぎしてくれるだろうし友達なんてどれほど深刻に心配してくれるかわからない。家族のことみたいにあわてると思うし、ショックも与えちゃうと思う。弟が絶望するんじゃないかと思うとこわい。両親にはただただ申し訳なくて、なんの落ち度もないふたりがそんなひどく悲しい思いしなきゃいけない理由なんてないし、だからぜったい出来ないと思うけど、でもそういう選択肢を考えるだけで気持ちがほんの少し落ち着く。たとえば、四歳のころから一緒にいる犬のぬいぐるみはぜったいスーツケースの一番うえに詰めて持っていこう、とか、やるはずない悪戯の計画だけ立ててたのしくなるような感じ。
じつはもうすぐ誕生日なんだけど、友達がものすごくがんばって準備してパーティーひらいてくれた。ケーキも作ってくれた。わたしの好みにあわせた雑貨のお店探してくれてここで1万円まで買い物していいぞって言ってくれた。クリスマスパーティーも毎年してるしプレゼントなにがいいか早く決めてねって言ってくれる。父親のことすごく好きで尊敬してる。会社ではさいきん、若いのに周りが後押ししてくれてリーダーにあがった。料理上手な恋人がいる。ツイッターでは趣味の合う人と手軽に知り合えて話せて楽しい。初めて出したオリジナル小説の同人誌が(極小部数だけど)完売したときは嬉しかった。去年よりも成長した部分だってあると思う。自分の人生で変えたいところなんてひとつもない。何歳の頃にも戻る必要はない。そして、こんなに書き連ねてみてもだめ。毎年なぜか誕生日前はとくに死にたい。なんでだろ。
ほんとうにつらつら書いちゃったけど、ひとつだけ人のためになることが言えるかもしれない。「子供に死にたいって言われた」って、ママさんたちの育児相談所みたいなところにそんな書き込みがあって、子供が死にたいって言うなんてほんとうじゃないって、親を信用していればそんなこと言い出すわけないって、回答つけてる人がいた。そこまで批判的じゃなくても、もう少し配慮がたりないんじゃないかとか、善意のアドバイスをしている人もたくさんいた。みんないい人なんだと思う。死にたいって思ったことだってあるんだと思う。でも、わたしのような人間だけがそういうお母さんに言えることがあるとするなら、もしかしたらその子もわたしの同種で、あなたにはなんの落ち度もないのにどうしようもなく「死にたい」のかもしれません。だとしたらごめんなさい。わたしは両親が好きです。感謝しているし、すくなくとも今は外からみたらそれなりにちゃんとやっている人間に見えると思うし、そして二人にはなんの落ち度もなかったと思ってます。これだけはほんとうのことです。
その相談所を見ながら、そうか、子供が生まれちゃったら子供のためにぜったい死ねなくなるんだよなあ、って、ぬるい絶望の種がまた心臓に落ちてくの感じた。
買い物というかウインドウショッピングでも一緒に出掛ける友人いるけど、
お互いが行きたいところは、一緒に回っても楽しそうな処限定で出かける。
出かける先がある場合その周辺のお店をよく知ってる子は
近くでちょっと寄りたいお店あるのだけど?言われると私は面白いと思うたちなので同行します。
たいがいは雑貨屋さんとか、文具屋さん、お菓子屋さんなのですが😊
バイバイしたあとに頼まれモノを買う事もあるけれど、ここなら相手も何か見るものがあるのでは?
つきあいが浅いとか、目的以外の事が苦手な人とは、会う前、バイバイ言ってから買い物や用事をします。
趣味があわない、若しくはウインドウショッピング自体しない人とは
買い物ぐらい一緒の時じゃなくていいのにという反応もあるかと。
そういう人には最初から買い物とかウィンドウショッピング自体のお誘いをしないですね。
趣味がストライクで時間刻みの計画でしか出たくない人もいますし。
本当に相手次第、そしてお互いの気持ち次第でしょうか。その時の気持ちは随時気兼ねなく確認するのが大事。
服とか雑貨とか、同性で一緒にみたり買いまわるのって「楽しい」のです。
父の事をおもいだせば、自分(父)のスーツオーダーであっても採寸だけ参加して、
他のこまごました買い物(父の物でも)一切は母と私、
父はよそで時間つぶしって事はよくあったので
家賃3万円、食費1.5万円、光熱費1万円、通信費0.5万円、その他雑費0.5万円、大型出費のための積み立てで1.5万円、計8万円です。
仕事を失ってしまったので、交通費はかからないです。そんな生活で3か月がたちました。
生活には十分です。本当にすべての贅沢を捨てればもっとコストはかからないでしょう。私にはちょっとの贅沢が入るくらいじゃないと精神的に持たず、8万円くらいが限界でした。積立の1.5万も賃貸の更新料や保険、実家への遠征で消えてしまいます。年に20万円程度の積み立てでは余裕はありません。本当に最低限生きるためのお金といった感じです。
欲しいものが買えません。それどころか、必要な物が買えません。安物が逆にコスパが悪くなるケースも知ってはいますが、それを避けられない辛さがあります。
「あとちょっと稼いだら楽になるのに。」
こんなことを考えることが多くなりました。
無職なところもありますが、惨めな気分にはなりました。働いていたころの生活水準がありますから、そこからはどうしても落ちます。そこが原因になっているとおもいますが。服も生活環境も思い通りにはいきません。自分で違うなと感じながらフラストレーションがたまっていきます。
貧困の罠の状態とそんなに変わらないのではないかと思っています。食べ物を買うにも、生活雑貨を買うにも節約が頭から離れません。かなりのコストが浪費されていると感じます。
お金ほしいです。稼ぎたい。労働意欲はありますが、底辺労働にはかかわりあいたくないという葛藤で悩んでいます。新規で、少し稼げて自分の裁量を持てる商売を何とか開拓できないかといろいろ模索を始めました。
半年経過すれば、生活にも慣れてくるでしょう。そうなれば節約志向がルーチン化して効率化してくると思います。なんといっても定額が入ることが約束されてますから、その水準でノウハウが貯まってくれば楽になるだろうと予想しています。
日本では技術を秘匿しないとものが売れないと思ってる。だから食い物にしろ雑貨にしろ「プロにしか作り方がわからない」ものを「どうでしょうわからないでしょうだから買うしかない」と売りつけようとする。
一方で、世界的に売れてるものは、どうせ工場でしか作れないようなものですら妙に作り方を丁寧に説明して、客にその内部構造までしっかりイメージさせた上で、さあこの素晴らしい工程に金を出そう、とやる。ような、傾向があるように感じられる。たぶん。
というようなことを最近思っていたのだが、ふとこれは西洋の科学と江戸の算学道場との違いそのままだなと思った。
消費者の気質もあるだろうからどっちが正解とも言わないが、少なくとも自分はyoutubeでそういう海外のコマーシャルだったり広報番組だったりを見てる方が物欲というか生活を変えたい気分みたいなものが高まるなあ。日本ではそういう人間向けの広報が少ないのが残念だ。
こんなもんでイメージ合っているだろうか。
<収入>
手取りで
・夫:25万円×12ヶ月=300万円(額面は400万強)
合計:34.5万円×12ヶ月=414万円/年
<支出>
・家賃 :10万円×12ヶ月=120万円(都内近郊の1LDKならこんなもん?和光とかで十分)
・食費 :3.5万円=42万円
・医療費 :0.5万円×12ヶ月=6万円(子供の風邪感染ったりで増える)
・小遣い夫 :3万円×12ヶ月=36万円
・娯楽費 :1.5万円×12ヶ月=18万円(年一で温泉ぐらい行ける)
・急な出費 :3万円×12ヶ月=36万円(結婚式とか、家電買い換えとか)
・貯蓄 :3万円×12ヶ月=36万円(確定拠出年金プラスα)
合計:34.5万円×12ヶ月=414万円/年
※追記:「急な出費」は、使わなければ貯蓄にまわす
豪邸に住んだり美人妻を抱いたりする生活とは縁遠く、それどころか無縁仏になる連中が増えているのに意外と幸福らしいのである。
これは大衆消費社会において誰でも持てるような製品がQOLを上げているからであろう。
やはりiPhoneは革命的だったのであろうし、そして技術がこなれてきて、中華製のAndroidでも十分過ぎる状態になっている。
究極の美は、やはり肉体によって体現される美なのであろうし、その素肌の熱さはセックスという行為で貪らなければ得られないが、
しかし、スマホの中の流麗なグラフィックを花鳥風月のように愉しむこともできる。
この満足が美人を抱くことに匹敵するとは言うまいが、代理満足としてそこそこ潤いにはなっている。
恋愛というゼロサムゲームは永遠の難題としても、有象無象の俗衆が手にできる生活の利便性は上がっており、
古来より問題であった孤独という問題もスマホが解決した。ネットでの関係など蜃気楼のようなものだが、
昔の隣近所のような煩わしさはないし、これなどは代理満足のほうがむしろ望ましい。
現在ではダイソーとかドン・キホーテのような安物の雑貨を売る店が大繁盛している。物を買うのは所有権の拡張であり、買い物でストレスは軽減される。
自分の所有物を増やすのが自分の世界の拡張だが、立派なマイホームを買わずとも、ダイソーの製品で安普請を埋めておけば事足りる。
豪邸や美人妻は手に入らなくても、意外と洒落た安物雑貨を自己所有し、自室に並べることはできるのだ。
ネットに生成されるバーチャルなアイテムは、ダイソーの百円商品と同じ文脈のものである。
われわれはネットにおいてあれこれと所有し、自らの版図を広げることができる。
女さえ断念すれば金持ちと大差がないと言うことさえできる。
もはや大塚家具を並べなくていいと思うし、ダイソーの整理箱で十分である。
巣鴨プリズンで拘置所暮らしをしていた戦犯は、それなりに暮らしやすい質素な生活と読書三昧によって、健康で教養豊かになって戻ってくる人も多かった。