はてなキーワード: 見積もりとは
ただしイケメンに限るはクソだと思うけど
過去に賃貸仲介会社に務めていたので契約、退去に関しては人より少しはわかるつもりでいる。
たまーにTwitterを流れてくる契約、退去を関する情報をみて苦笑いしてる。
これ、真に受けてそのまま実行しても上手くいくとは限らんぞと。
仲介手数料の「契約者の支払いは法律上0.5ヶ月だから1ヶ月払わなくていい」という内容について。
これは間違いです。
賃貸契約の仲介手数料上限は税別1ヶ月なので別に違法でもなんでもありません。
仲介手数料は貸主、借主合わせて1ヶ月が上限なので、貸主から仲介手数料は貰ってなければ1ヶ月請求できます。
恐らくですが今貸主から仲介手数料貰ってる業者はかなり少ないのではないでしょうか。
初期費用がもう少し抑えられるなら是非ここにしたい、他の不動産会社だと仲介手数料が半額だったのでもう少しでいいから下げて貰えないかなどと交渉してみたら営業さんが頑張ってくれるかもしれません。駄目な時は駄目ですが。
というか家賃ならともかく初期費用なら見積もり出された時点で金額をもう少し抑えられないか聞けば大抵は色々やってくれます。聞くのはタダですしそのくらいで嫌な顔されることはまともな営業であればありません。
退去についても民法改正だったり引越しシーズンになると良く流れてきます。主に畳の交換や床の凹みは貸主負担だから払う必要はない!ってやつです。
4月に民法改正で原状回復について定められましたが、契約書に退去時の借り主負担範囲について明記されていれば契約書の内容が優先されます。
国交省のガイドラインや民法に従う範囲は契約書に明記されてない内容についてなので、不動産会社は大体契約書にクロスの張り替えや畳については借主負担と明記します。
なので退去時の負担については契約前に話して契約書に明記して貰わないと駄目なんです。
とはいえ厄介な事に原状回復については地域の慣習に寄るところがあるので、民法改正を出しても渋られるため非常に交渉が通りづらいし下手すると契約を断られます。初めて住む土地であれば不動産屋に先に聞いておいた方がいいです。法外な金額を請求されないように目安金額を明記が落とし所かなと
総務が扱っている伝票類を帳票作成システムを利用してすべてペーパーレス化するというプロジェクトに途中からアサインされた。
プロジェクトが発足してから半年、成果が見えずに上の連中がブチ切れているらしい。
入ってみると既に3つの伝票がペーパーレス化されており、「成果がない」という状況でもない。
課長(自称PM)に「進捗度ってどんなもんですか?」と確認したところ「30種類の伝票のうち3種類が終わったから10パーセント」という回答が返ってきた。要件定義や基本設計の部分は除いた進捗かなと思い確認すると「半年かけて3種類の伝票をペーパーレス化した。具体的には2か月で1種類の伝票をペーパーレス化した」という意味らしい。
いや、そうはならんやろ。俺も具体的にはわからんけど、伝票なんか細かい箇所は違ってもある程度のパターンが決まってるはずだから、最初に最大公約数的なひな形を作ってそれを元にレイアウトとかを変更して量産していくもんじゃないんか?
的なことを聞くと「伝票が30種類あるのは聞いたけど具体的な実物は見てない。今は成果を出すのが大事だから一個一個の伝票に集中している」という回答。しかもシステムは見積もりで一番安い(おそらく課長のコネの会社)やつを採用しており、うちの会社で扱っている伝票の形式に沿っていない部分が多々あり、その部分を無理やり仲介するプログラムを組んだりしているらしい。それも伝票毎に。
プロジェクトとしては今の1枚2か月のペースをマンパワーで解決しようという意図での俺のアサインのようだが、俺としては一度白紙に戻して定義設計からやり直したほうが結果的に早く終わるんじゃないかと感じている。そもそも俺にだって
責任部署の部長にそう提案したが「半年もかけてしまっているから今更そんなことは言えない」と返ってきた。まさかコンコルド効果とかいう使ってみたいけど案外使わなそうな日本語とこんな身近で出会ってしまうとは。
一応、郷に入っては郷に従えの精神でポチポチプログラミングしているがあまりに非効率でばかばかしいし、会社に貢献できているという実感が全く湧かない。つらたん。
お金のために働くだけだと、毎日自分に言い聞かせてパソコンに向かう。
クリエイター業で働いて、顧客から依頼されたものを製造するだけの仕事。
モチベーションは常に低空飛行で、2〜3年に1,2度興味ある分野の案件があったりするくらいだ。
思えば、社会は8割は面白くない仕事で回っているのかもしれない。
好きが仕事になるってかなり幸福に見えるかもしれないが好きなものの中にも嫌なコトって必ずあって、仕事にすると実際嫌いがほとんどで。
大人は大変なんだな、と嘆きながら生きている。
私の親は日本での学がなく、満足な読み書きもできず、1人は少ししか日本語を話せない。
したがって、就ける職が絞られる。実際父親は派遣の工員をしていて、母はレーンでの作業員をしている。給料はびっくりするほど低い。
残業は、命を削って得るもので、母は毎日4時間ほど残業をしてやっと23,4万得られるらしい。体は、ボロボロだ。
(これは年老いてきた近年で、景気がマシだった頃は30万前後だったと聞いている。とはいえ、基本給は約5万下がった程度だと聞いている。)
私は幸いなことに奨学金で専門学校へ進学できたが、入学金を自力で用意できず銀行に借りた。
就職活動の時は、親の給料以上必ず稼ぎ、好きなことで生きていくぞと輝いていた。
青かった。どこまでも青二才だった。
ほんとうに私はどこまでも幸運で、勉強ができて資格もあって、それなりのコミュニケーション能力と、底抜けの明るさが持ち味だったので一部上場企業に就職先に選べた。
問題はその後だった。
奨学金の返済で月に2万は搾取される。家賃・光熱費・ペットの養育費...エトセトラエトセトラ。給料は良かったが、高い物価と遊ぶ場合は必ず金をかける必要がある都会で心細かった。
会社は残業代のない年俸制、軍隊研修をなんとか乗り越え、胃痛を抱えながら配属先が決まった。優秀だ優秀だと持ち上げられ、しかし知らないことはたくさんあるので失敗すればそんなことも知らないでやっていたのか、と驚かれる。秒数億円が動くのシステムを保守。1コマンドでサーバを停止させてしまうような仕事だった。先輩6人に囲まれていたが年齢が一番近い人でも8歳ほど違った。
教育らしい教育は、同じ時期に入った中途の人がしてくれた。もちろん中途の人も仕事を絶賛覚え中だった。
能動的に学ばなければいけない、止まることは許されない、間違いも許されない、私は優秀だ、社内の情勢が見えてきたら、政治にも巻き込まれたりして不要な人間関係の悩みも受けた。
親元からかなり離れ都会で精神も削れる所まで削れ、土日は酒浸り、酒がないと眠れなくなっていた。23時前後の帰宅時は24hスーパーに寄って、枝豆やウィンナーと酒を買い、それが夕食だった。就寝前に風呂に入る時間はとらず、睡眠に充てた。
気がつけば、ドアノブに手を触れただけで泣き崩れるようになっていた。その日は会社を休んだ。
翌日、出社した。
会社にいたくなくて、立ち食いそば屋でギリギリまでご飯を食べた。そこに、同期がいた。残業代出ないのつらいよなーとか、またみんなで飲みにでも行きたいなーとか他愛無い会話をした。
入社して半年以上、気がつけば11月。親から電話がきた。LINE通話じゃなく、電話だった。LINEは長いことスルーしていた。
しんどいなら、帰っておいで
はっきりと覚えている。
1ヶ月後、年をまたぐ前には実家に帰っていた。
実家に帰って真っ先にしたことは、禁煙。その後、お酒を控えるようにした。
胃痛は、消えていた。
この業種自体は好きだったし、早く働いて自分の金が欲しかった。
小さな会社だった。ここも教育は行き届いていなかったが、自由はあった。
自分の思う最強のシステムを作ることが許されていたし、管理も自分に全て任されていたので、やりたいことを全てやった。
案件は人数で割れないほどきていたし、毎週レベルでシステム製造の見積もりを作成していた。忙しさは最初の会社の8割くらいという感じだろうか。
私は全て乗り切った。小さな問題は起こしても大きな問題は何一つ起こさなかったどころか、火消役としてあちこちの案件に引っ張りだこだった。
問題はそれを誰も評価してくれないことだった。同僚は自分を評価していたが、それが上に伝わることはなかった。全然なかった。
あるいは、伝わっていたが無視されたのかもしれない。
私の額面給料は21万円だった。リーダをしていた人でさえ32万だった(給料明細を見せ合いっこした)
3人のメンバーを抱えてリーダーをするようになっていたし、新人教育も私だけが力を入れていた。全ての質問に根強く答え、新人の空いた時間にする課題を出したりもした。
会社のPCの注文や備品管理、整理、不便な部分のヒアリングと解決を何度も繰り返した。
ひどい低賃金で結局、3年弱働いてやめた。
こうして、晴れてフリーランスになったのだ。
付き合う会社、仕事は選べるし、自分のペースで自分の責任で、自分のやりたいことができる。評価はお金で返ってくる。
私にはすごくあっていた。
幸にしてコネもいくつかあったし、コネがコネを呼び、仕事には事欠かなかった。15〜20日程度働いて、月35万前後稼いでいた。
未払金80万。私は血の気が引く音が聞こえた。
いろいろを経て借金をせずになんとか過ごしたが、安定を欲して、
また正社員になろうと思った。
完全在宅で働けて、受注系の開発で、評価制度が分かりやすい会社が良かった。
履歴書・職務経歴書を登録していたサイトから、全て叶った会社からオファーをもらった。
残業は月に30時間ある月もあるが、お金が出るからやる気がすごかった。
残業を減らそうと色々なフローに案を出した。新参者がいろいろ言っているなと思われただろうが、ここら辺は上司への根回しやあんの提出の仕方でなんとかなった。
しかもこれが、評価をされた。入社して半年後の査定で給料が上がった。3万も上がった。
開発業務自体は大して興味なかった分野が割り振られたが、会社のフォローが手厚く、やりたくないがやり切れている謎だった。
ストレスはあるが胃痛がするほどではない。正常範囲なのか、自分が慣れてしまったのかはわからない。
やりたくない仕事だけど、金払いがいい。
この仕事なら、続けられる気がした。
何故だろうと不思議だった。
社会人5年目位程度の若造の言うことを真摯に聞いてくれるからだろうか。
困っていることを部門全体で解決してくれようと動いてくれるからだろうか。
金払いがいいからだろうか。
わからないけれど、基本的に社内に敵がいないことも大きかった。
仕事終わりや休みの日の精神はとても安らいでいた。少し愚痴を話しておしまいだった。
面白くないけど、しんどくない。
やりたくないことだけど、その中でやりたいことを見つけられる実施できる。
疲れたり、めんどくさい時だってあるけど、評価とその結果のお金で返ってくる。
私は今幸せなんだなと実感した。
面白くなくたって、自分や自分の周りの人の負荷になっていなければきっとそれでいいんだ。
やりたくない仕事だからこそお金をもらってやっているのかもしれない。
さあ、もうすぐ連休だ。
40歳を迎えて妙に高額の買い物をしたくなった。
もともと貯金が趣味で通帳の増える数字を眺めるのが好きだったので先立つものははそこそこあるんだが、買うものがない。転勤族で家は賃貸だし、車は乗らない。子供はいない。(結構ご同類の増田を見ましたね) そういえば最近再開したお稽古の楽器はどうだろう? 今使っているものは小学生の頃に買ってもらったものだし折角だから中年に似合う渋い感じのちょっと古くてカッコいいものが欲しいなあ。というわけで素人がバイオリンを買うことにした。
子供の頃に習っていたが辞めてしまい中年になって再開したような素人からすると、そもそも楽器を買う場所がわからない。小学生の頃は親と先生に連れられて東京のどこかに行ったような…? とりあえず今習っている先生に聞いてみたところ、自分の馴染みの業者はいるけど紹介するとそこで買わなきゃいけない雰囲気になるから、まずは大きい楽器屋さんで試奏をかさねてみてはどうか、という非常に良心的な回答だった。
店に行く前にまず予算を決める。小学生の時のものが50万だったから、とりあえず倍の100万くらい。まわりの人で車を持ってる人はだいたい350〜500万くらいらしいから、最大でそのくらいか。条件は新品ではないこと、見た目と音が自分好みなこと。低音がよく響くのがいい。大きい店は広くて入りやすくて、営業さんは親しみやすくて話しやすい。予算を伝えるといろいろ持ってきて弾かせてくれる。(下手くそなのでこの試奏がはずかしい) いろいろ見繕って見積もりをもらって一旦帰宅。一店あたり3点くらいずつ候補が出てくる。
また、家の近くを検索してみると小さい楽器商がいくつかあった。事前予約をして、見せてもらう。これが普通の一戸建てだったりマンションの一室だったり、一人ではとても行きにくい感じ。なんとなく大きい店よりは値段は手頃なのかもしれないが、気の弱い人は買わずに出てくるのが難しいかもしれない。個人の楽器商には元演奏家だった人もおり、試奏が下手くそで恥ずかしかった。
こうしていろいろ数を見ていくと、だんだん欲がでて条件も変わっていく。無銘で150万の楽器と、鑑定書がついた300万の楽器があって後者がいずれ150万で売れるとしたらそっちの方がいいんじゃないか? バイオリンは経年で価値が上がっていくし、今後のアジア圏の隆盛を見ても値下がりすることはないような気がする。300万で買って600万で売れる、なんてこともあるかもしれない…。
本来なら楽器は音で選ぶべきなんだろうけど、なにしろ素人なので耳に自信が持てず、情報に頼ってしまう。この辺りからはひたすら調べ物ばかりしていた。鑑定書にもランクがあるらしく信頼できる鑑定家を調べる。鑑定書は英語じゃないものも多く、なんとか翻訳して読む。製作者の名前で検索して、評価や人気等を調べる。やはり海外の方が情報が多くて、情報交換の掲示板などがあり役に立った。また、AmatiとかTarisioでは海外オークション相場や職人情報が調べられて役に立った。ちなみに日本の国内販売価格は海外相場よりかなり高く、なるほど海外に行って買う人が多いわけだなあと思った。日本国内でも予約して複数店舗回るのは大変だったのにこれが英語となると自分にはハードルが高すぎた。そんなこんなでいろんな情報に翻弄されながらも、候補に残ったのが500万台のもの。選んだ理由は下記の通り。
本体に合わせて弓も買って合計で700万くらいだった。分不相応ながら、総じて満足のいく買い物ができた。唯一の心残りはニスの色。好みで行くと黒>赤>黄色なんだが、黒っぽいのは音が好みでなかったので仕方がない。楽器そのものが良いとなんだか自分まで上手くなったような気がして、単なる開放弦の音でもうっとりしてしまう。非常に生活の質が上がった気がする。特にコロナ関連でここのところずっと自宅に篭っているが、ゆったりとした美しい生の弦楽器の音には大変癒されている。バイオリンは軽いので高齢になっても弾けそうだし、長い時間をかけて弾きこんでいきたい。
デスク、会議用テーブル、ソファー、LAN配線、キャビネットetc
そこで、新役員が移動する前に、前任者から動線が悪いといられた
新役員は「じゃ、そのようにしてください」と言うのだった。
ようやく完成したところに新役員が異動してきた。
予算を取って、見積もりを依頼したり休日に業者の立ち合いで出社したりした割に、
そこで、次の新役員の異動の時には
増設した配線をもとに戻して動線の悪いレイアウトに原状回復してみた。
そして、しばらく使ってもらってから、
「部屋で使いにくいところがあればおっしゃってください」
と伺いを立てると、配線が邪魔なので、別のところに増設してほしいとのこと。
そこで、外したLAN配線の一式を取り付けると、
評価が上がるのだ。
以前は85点でクリアできる仕事は85点に仕上げて上司に提出していたが
85点に仕上げるという手順で進めるようになった。
仕事の最終的な仕上がりは変わっていないが、
以前よりずっと人事の評価が高くなったように感じる。
そして、上司の受けもよくなった。
不思議なことだ。
使い勝手とか稼動時間とかお客さんからいろいろ仕様変更の要望が来るけど、基本的に追加のお金をもらわなきゃ対応しない。
送信ボタンの位置をちょっと変えるだけでももちろん仕様変更扱い。
そんなふうに仕事してるから、自分が趣味でやってるソシャゲがしょっちゅう「軽微な改善をしました」のお知らせを載せることにびっくりしてる。しかも全然軽微じゃない。
うちのとこで「軽微な改善」って言ったらさっき例に挙げたみたいなボタンの位置変更。
でもソシャゲは放置プレイ箇所をskipボタンで全部飛ばせるようにするとかを「軽微な改善」っていう。
マジで?うちだったら1人月くらいの見積もりだして仕様変更契約結んでやっと取り掛かるよ?
ソシャゲのああいう仕様変更がどんな流れで行われるのかわからないけど、運営=SEだった場合は片っ端から仕様変更してるわけ?嘘でしょ?マジで尊敬する。
見積もりで「10M円」とかは使うけど…
もう3回もCWEに出たので(雑魚兵)どんなものだったのか忘れないうちにチラシの裏に書いておこう.
◇前知識
CWEでは個人名声ポイントなるポイントを貯めて上位に入賞することで,つおいつおい報酬車輌を購入する権利を得られるのだ!
◆1ヶ月前
CWEの日程がそろそろ公開され,クラン同士も合流し始める.声と名前がまだまだ一致していないので,日々の進撃戦はお互いを知る時間になる.
また指揮官に自己紹介する期間でもある.「そのチーフテンまだ取れてないの?」そうです私の貫通率はうんこです...
たぶん運営も動き出してる.
◆1週間前
車輛希望や所持ポン酢,出席表などの事前アンケートが運営によって行われる.運営が困るのでさっさと回答しよう.
◆1日目
いよいよ開始だ!
ルールの都合上,初日は個人名声ポイントはまずいわりに戦闘は勝たなければならないといううま味の少ない強者の求められる日である.
もし自分がどこか1日は期間中休む必要があって,1軍ピックの自信がないのならこの日をまず休日にする.
◆前半~中盤
うまく領地を安定して確保できたならば,防衛戦闘や勝てる見込みの高い相手との戦闘に入れさせてもらえるようになる.
初めてのときはめっちゃ緊張した.まんべんなくピックが行われるので,戦闘に勝って喜んだり負けて悲しくなったりする.
ポイントはある程度のペースで貯められていくだろう.
逆に領土がまだ得られていないとき,初日のようなゴリゴリに勝ちに行く日が再びやってくる.
◆中盤~後半
だんだん慣れてきて戦闘は盛り上がり,クランに一体感が出てくる.
車輌獲得のボーダーラインの上昇が急激になってきて,自分の今までのポイント取得ではなんとかなるか計算したりする.
ボーダー部が活動を活発にし始め,最終日の車輌獲得ボーダーラインの見積もりが出始める.
◆後半~
ポイントがギリギリ足りない人を車輌獲得圏まで引き上げる作業が行われる.いわゆる引き上げ.
これに入るか心配で胃がキリキリする.
運営は直近1ヶ月の進撃戦参加率や,個人の評価を参考に対象者を決めている(と思う).
最終日は「〇〇来い!」という感じで直接呼ばれ,15分刻みのスケジュールで飯とトイレより戦闘が優先される.喜んで行こう.
◆終了後~
お疲れさまでしたとすこし挨拶があり,日常に戻っていく.報酬がもらえるのは数日後なので,別ゲーをする.
はじめてのCWEの時には,この日に間違えてM60を取得する悪夢をた...
違法MODや複垢による入賞者のBANで,クラメン何人かが補欠入賞する.前回のCWEではボーダーラインが3000ポイントも下がった.
CWE楽しみですね.(おわり)
職場に私と同い年で育児休暇明け時短勤務のママさん社員がいる。
娘さんはまだ2歳で、保育園に預けて時短勤務なので、何があっても定時で帰らねばならないそう。
さらに娘さんが体が弱いらしく、保育園から電話が来ては、熱が出た、はたまた蕁麻疹が出た、と午前中で帰ることも日常茶飯事だ。
定時で帰るのは当たり前で、保育園からの呼び出しがあった時は、どんなにややこしい案件があっても引き継ぎもせずにいなくなることもざら。
どんなにややこしい案件でも、客先でトラブルがあって予断を許さない状況でも、
商談中でこちらから連絡を入れるアポを取りっぱなしの状況でも、彼女は定時で帰るのだ。
置いてきぼりにされた仕様書、見積もり、その他から状況を探り出し、業務が間に合う様に奔走し、
待ちぼうけを食らったお客様に謝り倒し、
引き継ぎがされてないと途方に暮れてる他スタッフに指示を出す。
私が、彼女が娘の為に放り出した業務の歯車を正常に戻そうと疲労困憊し消耗しても、そこに労いはない。
彼女の、熱を出した娘の元に一刻も早く駆けつける姿は称賛されても、
正直言って割に合わない
正直言うと
母親だからって職務放棄状態の時短勤務ははっきり言って迷惑だよーーーー!!
母親だからしょうがないって帰った後に残された仕事はそのまま泡になってお空に登ってキレイになる訳じゃくてそのまま私の残業になってんだよ!なのに目の下真っ黒にして片付けた仕事に「私だったらもっとこうする!」とか言われたくねーわ!テメェでやれや!
子供だってテメェが好きで産んだんだから仕事がキツいだ、子なしとはいいよねーとかいうなや!
掃除の話もメイクの話もご飯の話もテメェが聞いてきたくせに「子供いたらそんな余裕なくなるよー」じゃねえわ!!!
もっかい言うわ、それはテメェが好きで子供産んで無くなった余裕だわ!!!!
コロナの影響で保育園に娘さん預けられずにMAX2ヶ月休んだ後に戻ってきて、会社の経営状況が悪化して社員のリストラ人員削減も視野に入ってる中、