はてなキーワード: 花屋とは
なぜそんなものを?と疑問ばかりだったので、ブコメを読みつつ掘り下げてみた。
彼シャツとして使って欲しい。彼氏の服をオーバーサイズで着る彼女、という描写はフィクションにもありふれている。好きなメイドさんに擬似彼女的に着てほしいという願望から。
2位、アイドルグッズ
自分がもらってうれしい物をあげた。
自分が作ったものを食べて欲しい。女の子はお菓子が好きなはずという発想から。好きな子に手作りのお菓子を渡すというフィクションの影響(女の子から男の子に、が一般的だが)。
4位、仏花
好きな女性に花を贈るということは知っているが、世間常識に欠ける。仏花をしらない。花屋で買うと高い。
5位、前回くれた物と全く同じ物
単純に忘れている。あるいは前回受け取ってもらえたから・喜んでもらえたから今回も同じものを贈る。ゲームの好意ステータス上げ的に。贈る回数・自己アピールに重きを置いていて、贈る品物については発想がない。
子供たちがお花屋さんで、はち植えや苗を一人一種類もらえるとします。
お花屋さんは、言いました。
「ヒマワリは日のよく当たるところに植えてね。バラの花は虫に気をつけてね」
A子ちゃんの家は、最近おとなりにノッポなマンションが建って、お父さんが時々、ご近所のおじさんやおばさんたちとむずかしい顔でお役所に行っています。
お布団も、ほせなくなりました。せんたくもののために大きなかんそう機を買うことになりました。
A子ちゃんは夏野菜の苗をもらおうと思いました。
でも、お花屋さんはA子ちゃんのおうちの問題を知っていたので、「夏野菜は、トマトもナスもキュウリも、日かげよりひなたのほうがいいんだよ」と渡してくれませんでした。
B子ちゃんは、虫がきらいでした。ミニバラのはちをもらいました。
三日で虫がたくさんつきました。B子ちゃんはお花屋さんを悪く言いました。
C子ちゃんのおうちは北向きの狭いアパートです。ヒマワリの苗をベランダで育てるとうそをついてもらいました。
D子ちゃんは、お父さんのお仕事のつごうで来月引っこしです。日当たりがよいかどうか、暑いかさむいかもはっきりとはわからない社宅なので、D子ちゃんはどこでも育つコケのはちをもらいました。
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今は、D子ちゃんみたいな考えのできる子が、驚くほど減っている。
プロ野球選手と結婚するためだけにアナウンサーになりたい美少女。
裁判で戦ってでも勝ち取りたいのはただ、アナウンサーというステータスだけでなくて
美少女が成りたい職業の一つであり、小学生の時、夢が花嫁や花屋さんの中で特別夢のある職業としてずっと憧れて来たはずだ。
美少女が成りたい職業アナウンサーはその門戸が非常に狭く、倍率は5000倍とさえ言われるその頂点に君臨すると
美少女はアナウンサーという夢を叶えて、美少女アナウンサーとして活躍を約束される。
芸能人やスポーツ選手、スタッフにちやほやされて最終的には億万長者の誰かと結婚する権利が与えられる美少女。
美少女は最後にはプロ野球選手と結ばれて自分によく似た女の子を出産して、一戸建ての持家か豪邸に住まう事で
これが美少女に許された特権であり、美少女が美少女たる所以にならなくてはならない義務である。
・ユフィのエピソード追加
・ティファを含む女性陣の設定見直し(花屋などの説明をもっと細かく!)
・ゴールドソーサーのチョコボレースで通信可(定期的な世界大会を行う等)
・坂口博信の復帰
・二周目以降の強くてニューゲームや追加要素導入(例えばタークスサイドBCFF7やソルジャーサイドCCFF7のリメイクエピソードの追加等)
・ボイス化(切り替え有)
・セフィロスの大幅強化
・ヴィンセントとルクレツィア、宝条の絡みを更に追加
・シームレスバトルの導入
とりあえず俺はこのくらいを望む。ポリゴン解消云々はお任せで。上の内容なら1万円位は出してもいい。なお、プレステ4で出す方向で。
幼稚園児の頃に、(当時はお嫁さんになりたいという生き方が主流だった)自分は働いて自分の稼ぎは自分で稼ぐといい、
変な子ねといわれつつも、(当時、まだ主流だった)女としての生き方=一般職で寿退社・専業主婦という息方だけは御免だと思っていた。
専業主婦なんて遅れてる、バリバリ働く女がかっこいいのよ!って時代だよね。
男だったらそんなの当たり前だから敢えて主張しないし意識もしないけど。
つーか増田より10歳以上年上だけど、自分が幼稚園児の頃ですら「お嫁さん」なんて答える女児は少数派で
ケーキ屋さんお花屋さんか先生看護師スチュワーデスって辺りがありがちな答えだったけども。
そもそも幼稚園児が「一般職」なんて言葉を知ってる訳ないし、会社員なんて男児であってもなりたいものにはまず上がらないよね。
もっと特殊かつ幼稚園児にも分かりやすい職業を答えるのが普通。
・大きなホームセンターで相談。業者を紹介してくれるところがある。エクステリア(足場作ったり)があるのなら、これが一番良いかも。
・ガーデニング用の苗やグッズが多い花屋で相談。デパートでガーデニング相談やってるところもある。レイアウト提案と苗やグッズの販売がセットという感じ。エクステリア業者も紹介してくれる。
・造園業はちょっと違うと思う。会社によってはやってるが、もっと大口&メンテナンス(定期的な剪定など)アリが前提のビジネス。
・新築で家を買ったなら、ハウスメーカーに何社かエクステリア会社を紹介してもらうのも手。中古で買った場合も、仲介業者に聞いてみると地元のエクステリア会社を教えてもらえるかも。
http://anond.hatelabo.jp/20141125103742
やりちん紳士です。
バラ一輪は
スーツの胸元につけてあげるというのが
英国流です。
自宅に呼ばれた時でしょう。
それも付き合いの長い男女に限ります。
ディナーを食べたあと、事前にバラの花束を予約しておき、
帰り際にその店に寄って渡します。
もちろんそこで帰すならタクシーつかまえてあげないとダメですよ?
次のパターン
デート前にバラの花束を購入し、会った時、渡した時の彼女の反応が欲しい場合。
そしてレストランへ行ったら、その花束をテーブルにでも飾ってもらいましょう。
良いレストランであれば臨機応変に対応してくれる場合もあります。
その後ホテルへ向かうなら、
夜からのそれはひとまえに出るしごとなので、たとえ数時間ていどの遠出でも周囲はわりといやがったけれど、きこえないふりをして電車にのった。駅のホームで特急をまちながら、そういえばこのまえは真冬にいったのだとすこし思いだす。はく息が白かった。手桶と柄杓をもつかの女のゆびもまっかになっていた。
とちゅうの駅で特急をおり、私鉄のうらぶれた車窓をぼんやりとながめる。
どんよりと、いまにもなにか降りだしそうに紫暮れている。
このまえはあんなにはれていたのに。真冬の夕ぐれのすこしまえ、いまよりさらにうっそうと垂れこめた雲や梢のすき間から、ちりちり差しこむひかりが目にしみるほどだった。
あのときは人をつれていた。死んだ人もずっとかの女にあいたくて、あいにきてくれるのをよろこんでいたのかもしれない。
なるほどきょうはひとりだ。歓迎はされていない。
故人とは、とりたててなかがよかったというわけでもない。こちらが一方的にその才にあこがれていた。ほとんど異能といってもいいほどの才だった。
生きているうちにかわすことのできたことばは片手のゆびで足るほどのものだった。それからなん年かたちいろいろと世のなかもかわったけれど、かれが生前なにかにとり憑かれたように愛したものを、深夜思いつめた声色の電話ひとつで――なさけ深いため息とともに――呼びだすことのできる位置におさまったことを、うしろめたく思っていないといえばうそになる。
おそらくはだから、歓迎はされていない。
がたんと音がして当世風の愛らしいデザインの車体がゆれた。あわてて標識をみるとおりるべき駅だったので席をたつ。小さなかばんに持ってきた花をわすれないように。改札にそなえつけれた小箱にきっぷをおとすと、なんとも古式ゆかしい字体の看板が目についた。
つくのえでら、と、うたうようにかの女はいった。じっさいには、その駅はもっと無骨でものものしいよみ方をするものだったけれど、かの女ははじめてこの駅におりたったとき、なき恋びとにいったのだそうだ。つきのえでら、つくのえでらか。うちとこのお寺さんやったらきっとそうよむわ。
さめたエメラルドグリーンの文字を背にしてぽつぽつと歩きだす。世界遺産になったばかりの霊峰が厭でも視界のなん割かを占める、すさまじい景観のひどくさびれたまちだ。〝かんたんには理解できないほどの大きさ〟と、これもかのオデットの言によるものである。死んだ男はそうやってものごとをやすやすとのみこんだ気にならないかの女の気性をばかばかしいほど愛したものだった。
ばかばかしい。本当にばかばかしい。男の気持ちは痛いほど理解できる。
人けのないみちをぼそぼそと歩きつづける。あのときはところどころ凍ってすべりやすくなっていた鋪道を、くつの底をひきずるようにして歩いていく。
菩提寺は坂のとちゅうにはりついた苔のようにしてあり、すり硝子の戸板をたたいてみるものの返事がない。あの日、たまたまはめていた手袋をいいわけに、ひいていた手をまち針にして、かの女がたちどまった石段の中ほどにひとりたちどまってみる。
もういちど声をかける。あさ起きてからいちども声らしい声を発していなかったから、ろくに音にならなかった。
このまえはどうしたのだったか。やはり応えはなかったのか、さっぱり思いだせない。ただ手をひいていた人の――めずらしく――頑是ないような声色だけをおぼえている。お住さんにご挨拶せなね。ご住職の意味だと、あとで人にきいた。
あきらめて手水のわきにたてかけた手桶を柄杓を手にとる。墓地はとし老いた高架のすぐそばにある。高架にのろわれたような人生だったのだなと今さらのように思う。
とてつもなく足が重い。こんなところまできて嘔きそうなほど後悔している。
ちゃんとあの人がしたように、新宿駅の小さな花屋で花も買ってきた。墓前にふさわしいとも思えない黄色いばらだ。
友情、愛の告白、嫉妬を意味するとかの女は笑った。わたしはあの人のともだちだった。いろんな関係であったけれどもさいしょはほんとうに気のいいともだちだった。それだけでよかったという思いばかりいまもあるけれど、あの人はそうじゃないのだろう。だからこの花がふさわしい。そんなようなことを、かの女のくにのきれいなことばでしとしとと話した。一字一句おぼえていたいのに、その文法はもちぬしに似てあまりに浮世ばなれして、一度きいただけでは言いまわしまで頭蓋のなかにとどめておけないのが、ひどく悲しい。
墓参にきたのだか人を恋いにきたのだか、わからぬままずるずると坂をのぼっている。
本屋、電気屋の次はいよいよ酒屋。。次は薬局、花屋、旅行代理店と順次各個撃破ですな。
生活保護で税金からもらった大切なお金で少しでも安くアマゾンでお酒購入!
アマゾンはもちろん日本から租税回避。それどころかアメリカでも会計上の利益は出さないから税金回避。
莫大な利益で倉庫の自動化ソリューション会社を買収して倉庫の労働者をクビにするぜ!
浮いたコストで空飛ぶ自動配送ロボット開発して配送業者もクビにするぜ!
「民主主義と資本主義は仲の悪い夫婦みたいなもの。」と何かの本で読んだことがある。「相手のことをかみ合わないしムカつくと思うけど、一緒に居ないとやっていけない仲」ということらしい。
でもぺゾスはさ、コンピューターテクノロジーという強力な美女を送り込み、資本主義お父さんを民主主義お母さんの元から不倫の旅に連れ出しつつある。
「いいじゃん。いいじゃん。煩わしいあの嫁さんのことは忘れてさ。どこまでいけるかいってみようよ!すごいよ。たぶん君が今まで見たことない世界があるよ!」
って感じ。
資本主義お父さんと、民主主義お母さんのあいだに生れた、労働者という子供達はこの家庭がもし崩壊したらどういう暮らしが待ってるのだろうか。。
普通の人が、昔ながらの小さな個人商店(お花屋、雑貨屋、ケーキ屋、など)を開いて、のんびり仕事をする事が出来ない。
普通の人がどんどん貧乏になるから、そうした個人店で物を購入する事ができなくて、大量生産格安の大型店でしか物を買えなくなる。
で、大型店の経営陣に巨万の富が一極集中する。この悪循環をどこかで止めないと世界は崩壊すると思う。
言いたいことは分かるが、タイトルに「幸せ」とかいう曖昧な言葉を使うから、本来言いたいこととは関係ない批判がいっぱい飛んできているように思える。こういう議論をするとき「幸せ」とか言うワードを使ってはいけない。
幸せかどうかはともかく、個人商店が成り立たなくなって、amazonとかイオンとかに一極集中、寡占状態が進みつつあるのは事実。そして、これが長期的に世界の崩壊を招く可能性があるというのも、決してありえない予想ではない。
オートメーションとITによって仕事がなくなり、失業者が溢れる社会は、急にはやってこなかったが、確実に進行している。たとえば、普通の会社でネットビジネスをやっても、amazonが扱うような商品を扱っている限り、コスト面でamazonに太刀打ちできない。これは、「ソフトウェアはコピーのコストが低い」というものすごく基本的な事実に由来している。ビジネスの多くがIT化されると、規模が力となり、弱小勢力は淘汰されるようになる。イオンがITを使って経営を物流を効率化している傍ら、中小スーパーはそれよりも何世代か前のシステムで効率の低い経営をせざるをえない。
こうした中、寡占が進み、人々の「労働」が大きな変化を強いられるのは間違いないだろう。新石器革命や、産業革命を誰も止めることができなかったと同じように、この流れはもはや誰も止めることができない。こうした流れが、新しい形態の経済への緩やかな移行を意味するのか、劇的な世界の崩壊を意味するのかは誰にも分からないが。
722 ソーゾー君 [] 2013/12/06(金) 21:44:00 ID:W2BofpYo Be:
直接金を受けとるのはアウトなのw
あの花をヤクザが売るのw500円程度の価値しかない花束を数万で売るのw
ヤクザブランドが付いたお花wブランドが付いてるから価値がドッカーンと羽上がるw
ねw簡単な仕組みでしょ?
霞が関の糞役人の許可とご指導の元ヤクザは今日もせっせとミカジメ料を徴収する。
何で風俗を国有化しないか解った?wそんなことしたら儲からないもんねw
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
本に関してはものすごくわかる。
隣に何の本を並べてあるか>同じ著者のものとはかぎらない。その本屋の独特の分類で並べてあったりする。
amazonなんかはその陳列風景をまねしようとしてシステム的にがんばっているけれど、リアル本屋には追いつけない。並べる人それぞれの個性があるからね、本屋には。
本屋好きな人は、本1冊を買うためっていうより、その本屋の持っているセンスを見たくてその店に行くんだよ。すばらしいセンスのお店だとそのいいセンスを見せてもらったお礼に本を買ったりする。Amazonで買えるのに。重いのにわざわざ。
お茶を飲みに行くのも一緒。
男性からすると、ティーバックで同じような味だろ? ケーキ買って家で食べればいいじゃないか、かもしれない。でもテーブルの高さや大きさとテーブルクロスの関係とか、窓と席の関係とか、照明とか、うまく設計されている喫茶店のセンスは家じゃ見られない。
花屋しかり、洋服屋しかり。デパートの食器売り場とか、ほんとうにもう、チョイスと陳列が実用的かつ美麗になされていると、参考になるだけじゃなく、目の保養になる。そのためにウィンドーショッピングってものが昔からある。
そういうセンスを呼吸するようにおおらかに吸い取って、家に戻りたいんだと思う。
[[勉強なら他所でやれ | Transistar http://transistar.info/?p=486]]
この学生は、モノづくりがしたいが、スキルがない。だから映画を作る会社に入ってスキルアップしたいがどうも入れる気配がないので、うち(リサレコ)で新卒募集してないかとのこと。まぁふざけてるよねw
でもって、入社する若者はそれを前提に大学は遊びまくるわけで。
なんでこんな若者がいるのだろうか?
話は簡単。入社してから教えてもらうことで、十分世の中わたっていけた世代が教育しているからである。
将来の夢を語らせて何故か作文で発表しろという今の教育。どう考えても時代遅れ。
その夢の為に何かさせんかい!
夢が音楽関係でも、今ならフリーソフトで使えるものなんていくらでもある。
そういったもので、なにか一つでも身になることをさせるべきである。
それをさせない。何故か。そんなものやらなくてよかったからだ。
スキルがつかないわけだよそりゃ。
個人的に、今日本の教育で最も必要なのは議論の時間だと思っている。
自分の意見を言い、それに責任を持たせること。これを教え込まなければならない。
会議一つとっても、責任を放棄したひとりごとを言い、それをお偉いさんがまとめるだけ。無駄。
全員が真剣に責任持って意見を言い合い、とっととまとめる。これが最も必要。
自問自答でも今何をすべきか考えることが出来れば、あんなあほな話にはならないはずだ。
まあそんなことを始めたら、今のテレビで責任持たずに適当にくっちゃべってるアホコメンテーターの居場所がなくなっちゃうので全力でつぶされると思いますがね。
アニメ、電脳コイルがBD-BOX発売記念で無料公開をしていると聞いて見てみた。
なかなかはまって、あの世界についていろいろ思いを馳せたりしたので整理してみる。
ネタバレ前提なので嫌な人は帰るか今なら間に合うから本編を見るのがオヌヌメ。
※1-13話が5日の正午まで
14話以降が11日正午まで
以下ネタバレ含む長文
今回本編を見るまで電脳コイルで知ってることといえばメガネの子供たちが出るアニメで、
なにやら近未来っぽい雰囲気というくらい。面白そうという印象はあるにはあったが、
金を払ってまで見ようという程の興味はなかった。無料だし見てみるかってレベル。
メガネをかけた子供たちが現実と仮想の入り混じった世界で日常を派手に暴れまわる。
話が進むにつれ伏線らしきものがいくつも出てくるのが次の話を見る気を起こさせて
くれるものの「早く次が見たい!」という気分には全くなれず。
登場人物は個性的なのだが、こちらがワクワクするような強烈なキャラクターが見当たらない。
ヤサコはもちろん、一匹狼イサコは厨二病持ちにしか見えないし、地元っ子たちは馬鹿ばかり。
不思議な電脳世界の描写は面白いが、けっこう危なそうなのに大人は無関心なのに違和感。
メガネの修理代をお年玉換算したり、ごっこ遊びを仕事と呼んだりするのは子供らしさが出ていて好印象。
何話か見たあとで、どうして気分が乗らないのか考えてみて、
登場人物の行動やその動機が抜けていて、そのくせ失敗にまるで懲りず、真面目にバカを続ける様子が滑稽だからか?
という一応の結論を出した。
怪しげで危険そうな道具を買っては、不毛な争いや、探偵ごっこを繰り返す。
メタバグ、メタタグ、イリーガル。説明でどういうものかは理解できても子供がなぜそれに並々ならぬ情熱を注ぐのか?という動機がいまいちはっきりしない
そのため、どうも彼らのテンションに乗り切れない。
心が動かされた回数は片手で数えられるほど(世知辛ぇ…!)。
物語は夏休みが始まり、合宿の肝試しを舞台にした戦いが繰り広げられた。
イサコがイリーガルを捕獲吸収!ハラケンの過去!謎の数字4423!
だからぁ!得体のしれないものに熱上げ過ぎだぞお前ら!…置いてきぼりな僕を尻目に物語は加速するっっ!!?
イリーガルの魚…( ´_ゝ`)フーン(テクスチャ食って巨大化したら何なの…)
ここまで11話、日を跨いでいるとはいえ5時間以上…僕の頭は悶々とした気分に満ち満ちていた。
そして12話。予想外の形で、その悶々ダムが決壊した!それは放流という秩序めいた開放ではなく、事故的で唐突な決壊だった。
懲りないイリーガル探し…(ダイチ/ウンチには笑えるようになった)。
ダイチ父「ボッサボッサだったぞおおwwがははwww」( ´_ゝ`)
登校日『髭エエエエェェェェ!!!!』( ´_`)ソウイウ ハナシネ
全員感染( ^ー^)デスヨネー
ΩΩΩΩ<よ、余計なもん作ってんじゃねぇええ!!( ^∀^)ワロタwww ← テンポの良さに押されつつある
※ここで初めて経過時間をチェックした…内容濃すぎだろ!
ヤサコ「私はもう宇宙計画よ!」「あとちょっとでロケット-」ダム決壊(゜∀。)ウヒャヒャヒャヒャ
子供のセリフは今までにないくらい重いのに髭で台無しなのが可笑しい。
今まで蓄えた笑いを解放するかのように笑った!と同時に笑いとは別の充実感があった。
締めはまぁ普通だったが、この話のお陰でようやく視聴態度を体が理解した。
間違いなく神回。
12話の髭騒動でようやく初めて満足感が得られた。
リズムよく斜め上に展開するストーリーは間違いなくここまでで随一だ。
しかしそれとは別に子供の成長がわかりやすく描かれていることが、今までの話で蓄えた僕の苛立ちを解放してくれたようだ。
それを見ていてスカッとした側の気持ちとしては
「おぅ、ようやく賢くなってくれたじゃないか!」といった感じ。
頼りなくて何も出来ないと思っていた子供が見せた成長への喜びとでもいうか…。
続く13話を不思議と楽しく見終えた時、再び似たような気分になり、現実の親心ってこういう感じかもしれないなんてことを思った。
子供は大層に「仕事」なんて言いながら、てんで価値のないことに熱を上げている。
それを見て大人は馬鹿らしいと感じて、はじめのうち叱ったのかもしれない。
しかし冷める気配を見せない熱意を目の当たりにして、勝手にすれば?と
黙認という名の降参をし、以後は最小限のおせっかいをのぞき、無関心に転じる。
そんな毎日のなかで子供は自分の世界を必死に駆けまわり、大人が無駄と信じて疑わない仕事のなかで知らず知らず賢くなる。
同時に大人の気づかないレベルで心も豊かになっていく(僕の中での1-11話)。そしてある日突然、大人の目にも分かる形で驚くような成長を見せつけるのだ(12話)!
僕は今まで大人の目線で子供の世界を見せられ続けていたのだ。そりゃ面白くなくて当然だ。
大人はあまりメガネを使っていないか(作中の描写や、フミエが花屋を見てメガネ持ちだわというセリフ)、
電脳空間には無関心のようだ(関わるシーンがない)。
メガネで見える電脳空間でいきいきと走りまわる子供は一見とても危なっかしく見えるのに
先生や親、周りの大人はほとんど感心を払わない違和感は終始ついてまわっていた。
この関係が現実を生きる大人と子供の距離感によく似ていると感じるのは僕だけではなかろう。
そこまで考えると、この作品の「メガネ」やそれを通すことで見える世界は「色眼鏡」という言葉と似た意味の
子供と大人の見える世界の違いを示しているのではないか。という考えに至った。
メガネの役割がわかった所で、そこから見える世界と一般的な子供時代らしいネタを試しにヒモ付けしてみよう。
電脳霧 | 空き地や廃墟は好奇心を刺激する |
メガシ屋 | 言わずもがな |
メタバグ | 子供たちの流行アイテム。大人にはガラクタのようにしかみえない |
メタタグ、電脳ツール | 子供の遊び道具や遊び方 |
サッチー、キュウチャン | 怖い近所の大人 |
イリーガル | 野生の小さな生き物 |
などなど
そんな見方でストーリーを思い返すと、ヤサコが引越し先の遊びの文化を全く知らなかったのを、
最初はネットワークも発達してそうなのに独自の文化が形成できるんか?と思ったことも間違いだったとわかったり、
オバチャンなんて近所にいる面倒見のいい年上のお姉さんまんまじゃないか!とか、
大好きだった空き地が突然工事で入れなくなった時の気持ちとか、
近未来っぽいあれやこれにノスタルジーな要素をいくつも見出すことが出来る。
序盤に不満としてあげた要素もけっこう説明がつくんじゃないかな?
13話見終わってようやく本質に気付いた…遅すぎの部類だろうな。
最初のナニコレツマンネという大馬鹿な勘違いへの戒めで書いた。ホントどんくさくてすんません。
電脳コイル、かなり味わい深い作品でした。子供と大人とじゃ楽しみ方がてんで違う作品だ!
後半はどうなるんだろう?10話までに様々な謎が生まれ11-13話でイリーガルが
取るに足らないバグではないという流れになった。後半でどのようなドラマが
繰り広げられるのか全く想像はつかないが、楽しみ方を理解した上でみることができる残りの話がただ純粋に楽しみだ。
時間をかけて一話ずつじっくり楽しめたらいいな!
だいぶ長くなった。思いつくままなので冗長になるのは仕方ないにしても長い。
見て過ごしてしまった増田さん!いるかなぁ?少しはお役に立てていれば幸いです。
後半を見ても、今回のようなビックリはたぶん起きない気がするので
こんな長文はこれっきりでしょう。おしまーい。
さっき息子の保育園の送りを済ましたんだけど、今日は七夕ということで、保育園の1階ロビーには色とりどりの短冊をぶら下げた笹が飾ってあった。
うちにも事前に短冊が配られていて、笹に飾ってくださいねと保育士さんから言われていたんだけど、昨日の夜まで忘れていて、やっと願い事を書いて持ってきたところだった。
息子の短冊をぶら下げる前に、他の子のを見て見ようかと思い、いろいろ目線を動かして見ると、「看護婦さんになりたい」「お花屋さんになりたい」といった女の子のかわいらしい願い事のほかに、男の子の願望丸出しの短冊がたくさん目に入ってきた。
「ごせいじゃー」
「スパイダーマン」
「キュアマリン けんた」 ・・・これにGOサインを出す親はおおらかでいいな。がんばれけんた君。
やっぱりみんな男の子なんだなあ。
昨夜も、息子の好きなように願い事言わせて一緒に手を添えて書いたんだけど、大喜びで一緒に書く俺と息子を横目に、妻にはなんとなくあきらめの様子が漂っていた。
そんなことを思い出しながら俺は息子と一緒に、息子の願いのこもった短冊を飾った。
「ガンダム」
くやしいけど、僕は男なんだな。
短冊に大書されたいびつなカタカナを見て、俺はそうつぶやいた。