はてなキーワード: 聖書とは
他の歌手やバンドだと”世の中”だったり”知り合い”だったりに向けて歌っていることが多くて、”独り言大絶叫”みたいなのも多いんだけどアイドルは毎回高濃度で”観客”に向けて歌いかけてる。
恋愛ソングを歌うときであっても、観客に向けて恋愛をしている時の感情を伝えるかのように歌うし、それが変な刺さり方して勘違いするストーカーも産まれる。
アイドルの定番が”応援ソング””意思表明ソング”なのは、歌詞が向いている相手が”観客のファン(未来のファン含む)”だからなんだな。
アイドルってのは”偶像”という言葉が示すようにある種の”宗教集団”を作り上げることがコンセプトにある。
神父が教会で「神があなた方一人々々にかけた言葉を代弁します」と経典や聖書を読み上げるように、アイドルは聞いてる”信者”たちに向けて歌う。
そういった同じ目的のために集まって盛り上がったりしたい人はアイドルが好きになりやすいんだろうなと思う。
普段はそうじゃないけど、そういったことに憧れがある人ととかも。
でも自分は全然違っていて、あくまでこっちは無関係な立場で居たいんだよな。
アイドルがテーマのアニメなんかだとメンバーが仲良くなる過程とかが描かれるけど、それでもあくまであれって最終的には観客に最高のパフォーマンスを見せるための過程なんだよね。
サッカー漫画でチームメイト同士で交友を深めることはあっても、その最終的な目的地はアイコンタクトの精度を上げて試合の勝率を高めるための過程として用意されているような感じ。
現実のアイドルにおける関係性は、”観客”が好みそうなストーリーを用意してその設定を崩さない中で積み上げていってる感じで、実際に楽屋でどうなってんのかは割りと闇なのよね。
全ては”観客”のためにっていうオール・フォー・ワンのプロ意識は立派だけど、それをやられると作り出される”物語”の中にこっちがドンドン巻き込まれていってしまうことになるのがしんどいなと。
何も音楽っていう表現に対して全く何の感情も動かしたくないって訳じゃなくて、あくまで共感までに済ませたいってのが自分の立ち位置。
浜辺に流れてきたボトルメールを読み解いて書いた人間の気持ちを想像するような状態が理想。
相互性のない一方的なコミュニケーションを受けとめるだけで終わってくれることを望んでいる。
でもアイドルってライブにおけるサイリウムの一体感があって初めて完成するわけだから、本気で追っていこうとしたら集団の一部として巻き込まれることは避けられなくなる。
それを避けてしまうと歌われている”観客”ではなくなってしまうんだよね。
最初から自分以外の何か、バンドの親戚だったりこの世界の不条理だったりに向けて歌われているなら、自分がソレとは無関係になっても最初からそうだったので変わらない。
でも"観客"っていう自分が参加できるかどうかを選べるようなものに対して、自分が参加を拒んでしまうと聴き心地が変わってしまう。
どちらの道を進むかの選択肢がこっちに委ねられている。
一方通行ではなくこっちからボールを返すタイミングが産まれてしまっている。
そのタイミングが来たなと感じると、自分は思わず逃げ出してしまう。
「参加する機会を与えられる」ことに対して、「切り離しておいて欲しい」という価値観が反発を起こしてしまうんだよね。
定食屋で店員に顔を覚えられたくない、服屋で店員に話しかけられたくない、そんな気持ちの延長みたいなもんだね。
つまりは、「会いに行けるとしても、会いに行きたくない」んだよ。
ウサギはもちろん反芻しないが、どうやら始終口をもぐもぐさせているので、古代のユダヤ人には反芻していると思われていたらしい。ちなみにレビ記の規定では「反芻し、蹄が分かれるもの」が食べて良い動物であり、この規定によると、ウサギは「反芻するが、蹄が分かれていない」ので食べてはならない。イスラム教徒が豚を食べないのは有名だが、豚は反芻しないのでユダヤ人も食べてはいけない。
現在もエホバの証人の家庭ではムチでシバいているらしい。普通のクリスチャンはそんなことはしないが、真に受けてムチでシバいている家庭も中にはあるのだろう。他にもお尻ペンペンをしているという例を(直接ではないが)聞いたことがある(未就学児とかでなくて中学生とかでもである)。
野菜しか食べない人をバカにしてはいけないし、その逆もいけないという教え。当時からヴィーガンみたいなのがいて厄介だったことがうかがえる。菜食主義者であるにしろ、肉をガンガン食べる人にしろ、人間同士でさばきあってはいけないという意味である。欧米でモメている事象って既に聖書で書かれていることが多くて、延々車輪の再発明みたいなことをしていることが分かる。
深夜アニメ見てたらよく分かんない歌詞が出てきて調べたら「猫背のまま 虎になりたい」と書いてあった。
エンディングが「ディストーション」なんだしそういう所から気づけたね。
耳と脳がダメだね。
ファズは置いといて「虎になりたい」がよく分からなかったので何か音楽バンドでそういう元ネタがあるのかなと思って調べた。
でも違って本当は「山月記」らしい。
あー知っとるわ―読んだこと無いけど―。
中国人が虎になるんやろ?
カフカの変身みたいな感じで。
でも虎って強いからいいよね。
と思いながら調べてたら「プライドの高さから社会性を喪失していき怪物になって後悔してる人」のメタファーだったらしい。
(承認欲求モンスターことギターヒーローさんじゃん!(その深夜アニメの主人公))
先に知ってないと分からないじゃん。
今回は本当偶然でしかなかったと思う。
「あーあー俺の毎日の苦労にもちゃんと意味があったら良いんだけどな―」
でしかないんだよね根っこは。
その物語を信じる気持ちを増やすための手段として祈りとか募金とかのポーズがあるわけで。
「あーあー俺も超偉い人だったりその子分の凄腕だったら街のごろつきをボコボコにしてオギャオギャギギギギなのになー」
「あーあー俺の街にも善良かつ力量のある裁き人が来てクソどもを皆殺しにしないかな―」
の2つの共感しやすい物語が同時に走ってるから多くの人を惹きつけるんだよね。
ただ多くの物語を同時に走らせるのは弊害があって大衆映画なんかは
「あーあー俺にも心から愛する人が居てその人への愛の力なら世界を全部敵に回してもあらゆる困難を打ち破れたらな―」
を全面に押し出してしまった結果、元々宣伝文句として謳っていたはずの物語を蔑ろにしがちなんだよね。
そうなるとそっちの物語に共感するつもりしかなかったお客さんの何割かが置き去りになってあとから文句を言う。
そういう意味じゃ恋愛映画みたいなワンテーマ映画は優れているんだけど
「あーあー俺も愛する人と近いあった永遠の中で末永く幸せに暮らして最高の人生だったと思いながら永遠の眠りにつけたらなー」
を望んできた客に
「あーあー俺も愛する人との悲しい別れを通して自分の人間としての善良さを頬を伝う涙で実感できたらな―」
をぶつけてしまうと期待外れだったとボロクソに叩かれることがあるから宣伝の仕方は注意なんだよね。
このタイプの映画を求めている人はこういうハズレの引き方に敏感で、ネタバレを最初から見て合う合わないをチェックしてたりする。
だからもう宣伝の段階で全部ネタバレしてしまうのが正解なジャンルってのもあるわけ。
すると今度は
「あーあー意外な展開に踊らされるもそこから機転を利かせて大逆転することで困難をねじ伏せたいな―」
みたいな人からは受けないっていう弱点があるんだよね。
「あーあー愛犬と幸せに暮らしてから、最後は寿命の違いで悲しい別れをして、その後は新しい出会いに感謝したいな―」
というコンセプトが絶対的に一貫してる。
もしもこれに共感が出来ないなら最初から見なければ良いと皆知ってる。
だから「評価が☆4.5だから見ましたけど、犬が死ぬだけのお涙頂戴でした ☆1」みたいな事も起きにくく常に評価が高めになりやすい。
11月の規約改定で以下のものは禁止され非公開化される事になった
これに対してTwitterではシャンクス描けなくなるじゃんと大喜利が行われている
そういう視点もありかという天啓を得たので禁止になりそうな作品を上げていこうかと思う
一覧といいつつ思いついたのこんだけだった。手塚治虫はまだまだ余罪あるよな~
他にもあったら教えて
タイトル通りです。下記のようなマンガで育ち、近年マンガを読んでいない浦島増田太郎に「これも読んどいた方がいいよ」「これはきっと好きなはず」というマンガがありましたら、新旧問わずご教示ください。
藤子不二雄は両御大ともに「大好き」では済まされないくらいの敬意を抱いている。ドラえもんより21エモン派、パーマンより劇画オバQ派の自分だが、もっとも胸を熱くして読んでいたのはこれ。「藤子不二雄ランド」(80年代半ばに小学館が行なった復刊シリーズ)でセル画付きコミックスが本屋に並ぶのを毎月楽しみにしていた。
メディア・ミックスの力をリアルタイムでびしびし感じたマンガ。消しゴム(通称・キン消し)にアニメにFCゲーム。単行本はクラスメイトと奪い合って読んだ。ゆでたまご氏の画力とストーリーテリングにおける成長ぶりを主人公に重ねることができる。『ドラゴンボール』同様、作者の力を越えた「神がかり感」にみなぎっていた。好きな超人はアシュラマンとサンシャイン。新シリーズは未読。
まだ幼かった小学生男子にとって大人の世界(サブカル、ギャンブル、酒/煙草)の入り口であり、ギャグ漫画の類でほとんど笑えなかった自分がほとんど唯一声をあげて笑っていた希有な作品。「国宝級」という言葉はできれば使いたくないのだが、この作品には相応しいように思う。60巻あたりで読むのを止めてしまったが、いつか最初から全部読みたい。
僕が中学生の時に鳴り物入りで連載スタートした本作。ファンタジーとエロスとオカルティズムが三位一体となって、思春期の扉に射しかかっていた自分を暴力的に襲ったハレー彗星の如き作品。単行本10巻代で離脱してしまったので(そのうちKindleで続き読みたい)ここに入れるかどうか迷ったが、インパクトの大きさを考えると外すことはできなかった。
『BASTARD!!』とほぼ同時期に連載が始まったように記憶している。当時の自分が毎週ジャンプを欠かさず読んでいたのは『ドラゴンボール』『魁!男塾』『聖闘士聖矢』ではなくて、『BASTARD!!』と今作のためだった。第3部までは完全無欠な作品だと思っていたが、自分的には4部半ばで失速してしまい、以降未読。
思春期になって別冊マーガレット(別マ)を読むようになったのは、人格形成においてかなり大きかったように思う。が、今でも諸手を挙げて「好き」と言える少女マンガ作家はこの紡木たくとくらもちふさこ、山岸涼子、岡崎京子くらいかもしれない。自分より少し上の世代(BOOWY、尾崎豊世代)の聖書『ホット・ロード』と迷ったが、今作で展開する田舎の閉塞感と諦念を含んだ叙情性の方が自分にはずっとリアルだった。
くらもちふさこ作品の影響は自分で思っているよりもきっと遥かに大きい気がする。どの作品もあまりに素敵で、生々しく、リアルに感じた。今もくらもち作品を読むと、初心な女学生のような気持ちでいっぱいになる。
高校生の頃、コンビニのスピリッツで第1話を立ち読みした時の衝撃を忘れることはできない。「恐怖心」というより、新しい世界への扉が開いた時の「カチッ」という音が聴こえたような気がした。たしか最後まで読んだはずなのに、まるで記憶喪失になってしまったかのようにほとんど全て忘却してしまっているところも、楳図作品「らしい」。
二十代の頃、たしかクイック・ジャパンかな? サブカル誌で知って全巻買いした。悲しくて美しくて愉快な夢幻と、人生において或る時期にしか見得ない美しさにみちていた。昔の詩や文学みたいだなと思った。
かつてのサブカル女友だちが「あんたは絶対読んどきな」と貸してくれた。その後、彼女とは会えなくなって、返すタイミングを失ったまま20年近く経ってしまった。『ピンポン』『鉄コン』も迷うけど、個人的な思い出もあって本作を選びたい。
最近の(?)作家では例外的にほぼ全作フォローしている。楳図かずおや上村一夫、安達哲の影響を見事に咀嚼し、現代風にアップデートしている感じがした。当初はそこまで凄い作品と思っていなかったけど、巻を重ねる毎に自分にとってのっぴきない作品に変貌していった。連載中の『血の轍』『おかえりアリス』ももちろん読んでます。
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以上となります。よろしくお願いします。(本当に最近のマンガはろくすっぽ知らない浦島漫画太郎なので、批判意見や罵詈雑言はなるべくご容赦ください…!)
さっそくオススメをありがとうございます。『キン肉マン 無量大数軍編』、ジョジョ4部続き、『深夜食堂』『かくかくしかじか』『ハチクロ』『犬夜叉』『吸血鬼すぐ死ぬ』『着たい服がある』『スキップとローファー』『ヴィンランドサガ』『アクタージュ』『ハコヅメ』『SPY&FAMILY』『マイ・ブロークン・マリコ』『A子さんの恋人』読んでみます。オススメリストもありがたいです。
『チェンソーマン』は知人に薦められて、DMMセールで一気に買って読みました(すみません、書き忘れてました)。なかなか面白く、第2部も読んでますが、正直、そこまでハマれませんでした。『タコピーの原罪』も読みました。これもなかなか良かった。デスノートとバクマンも全巻読みました。鬼滅、呪術廻戦、東京リベンジャーズは未読です(たぶん好みじゃないだろうと決めつけていました)。ハンターハンターはあまり読める自信がありません…。薦めて頂けると読むモチベーションがぐっと上がるので、引き続きよろしくお願いします!
氏のSF小説は二作目かな。
超情報社会が実現した未来。身の回りの全てから大量なデータが取られる世界でその処理を補佐する装置をほぼ全員が装着し、いやおうなく収集されるプライベートや秘匿情報は多情報に加え他人を見れる・自分を見られない(隠せる)上位と情報が制限されさらに他人を見られない・自分を見られる(主語がないと日本語って難しい)下位という階級制度ができあがっていた。
そんな世界でおおむね一般人の最高階級であるクラス5(大臣級が最高位の6)の主人公はありえないような情報を扱う能力を持つ…いわば"クラス9"の少女と出会う。
知るknowと脳の同音異義語の単純なお遊びがタイトルっすね。
んー感想としては面白かった!でもあっさりだね!なんかちょっとはぐらかされた気もするぞ。
全知の果ての結末があれとリンクするってのはとても興奮した。
主人公は少女にわざと情報を渡さなかったものがあったからそれをもってして全知の欠けとして引き止めるのかと思ったらそれを渡して送り出すのはそっちかぁぁぁぁ!となりました。
中盤でクラス*というキャラがでてきて謎の概念バトルが始まってですね。なんだか描写がとある魔術の禁書目録みたいだなぁと笑った。気が抜けた…のがマイナスといっていいか。一回こっきりだったけど。オマージュだったのかな?息抜きにはなった。
他、好きなシーンは坊さんの知識をちゅうちゅう吸い尽くすシーン。問いに答えているテイがいつの間にか無理やり知識を吐き出されている関係に変わり本人はそれに気付かず疲弊していくっていうのが好き。吸智鬼って感じ。
全知の表現は他に、十分な情報とそれを処理する能力があれば未来を予測したり人格を再現できるってものもある。あと他者に何か決定的な予感を抱かせるなにかもありそう。
未来予知はどちらかと言えば決定論寄りな立場なんじゃないかなぁと思った。それでいて仏教の悟りとか聖書を比喩ったり日本の神話時代の古代史に触れたりちょいちょい宗教的な部分が入る。門を開くシーンはもう奇跡を起こす、啓示をもたらす聖人みたいな書き方じゃなかった?
結局、全知な人間なんて書けないわけですよ。だから全知な人間の思考・言葉は全知でない一般人には理解できないってことにして最後の対談はまあ置いてけぼりにされてちょっとスカされた気分になったよね。それで行き着く先が聖書のアレ。日常的な情報を全て知れる全知の人間が求めるのが宗教的未到達点や古代の秘匿情報というのはわかるんだけども。誰もわかってないから描写も誤魔化せるし。だけどもね。
うーん…そっち行っちゃったかぁ。という残念な気持ちがある。結果的に古代の聖書のアレが比喩として使えそうなことに偶然なった。と言い訳はできるけどこれはフィクションだから作者が聖書のアレを使かおうとして逆算でこうなったわけで現代人よりはるかに情報が少なかった古代の聖書が情報の、人の到達点で起きることを予期されていたってのはSF的にNG感はあったかなぁ。
人の脳が「量子コンピューターの性能10倍以上の差」を覆すのもね。量子コンピューターって…!もっとこう…!すごいものだろ……!!!みたいなイメージがある。あった。
それを人類の秘めたる力で覆されちゃうと科学の信奉者(でもないけど)としてはがっくりくるものが多少はあるよねー。
展開的には燃える、熱い、そうくるのかぁー!となるんだけどね。納得できない自分が10%ほど含有されています。
これガンダムでニュータイプの覚醒が最後に全部かっさらっちゃう感じに似てる。ってZとユニコーンぐらい?Z見てないや。適当書いたかも。
(全知すら知らない人類の未知の分野を書かないで済ますというのもしかたないけどずるいぞ兄ちゃん!ってなるよねー。結局、全知の彼女から読者の自分が受け取った全知者特有の何かってないのかもしれない。だって作者は全知じゃないから…。でもなんかこんなんだったよー!っていうフィクションが見たかった!)
それはそれとしてライトなノベルで重要なのは少女のヒロイン度だよね。
もちろんクラス9である彼女は大人である主人公より圧倒的に情報を持ちまた扱えるわけで。そこで重要なのが少女の少女性だよね!
すごい人間だけどいかにただの少女の部分があるかってのを魅せるのが大事大事!
その点はまあ成功してたんじゃないかな。極端な幼さは見せなかったと記憶しているけれど節々の立ち居振る舞いは可愛かったよね。ドレスを選ぶシーンとか好き。
それとサブヒロイン?出番は極小で居なくても問題ないキャラなんだけど、上司の主人公が嫌いででも能力は認めてて多分身近で一番の主人公の理解者で嫌いだけど好き、固執してるってポジションの女性。ツボです。一言で言える言葉ができてジャンル化しねーかなー!!!!!!
ナウシカのクロトワ、ブリーチの七緒?古典部の伊原?左門くんとてっしー?
…だけどマジで本筋に一切絡まないとはね。ラストの展開は大好き。
結ぶと、この物語は終始、彼女の情報収集能力と処理能力でもって最初から導き出された未来へひたすら突き進むものだった。最後の未知の領域でさえ彼女、彼のそうあってほしい、できるはずだという希望的観測、予測を見事に引き寄せた。ただただ予定調和の物語だったわけである。
それを退屈だと論じる自分もいるけれど、大部分の自分はこれは面白かったと言っている。
未来の世界、謎、ヒロイン性。どれもが十分であった。ならば面白くなかったといえば断じて嘘であろう。
しかし、しかし。それは作者の筆力で飲み込まされたものではなかろうか。「もしこの作品を野崎まど以外が書いていたら」初めて読む作者だったらつまらなかったと言っていた可能性がないわけでもない。が、どうあがいても野崎まどが出した作品であるし、私は野崎まどのファンなのでknowは面白いという結論に変わりはなかったのだ。
あ、最後に。主人公はそんなに好きじゃないかなぁ。童心は好きなんだけれど、適当な女性と一夜限りのメイクラブを楽しんで雲隠れするって属性がなぁ。またそれが14歳の少女に手を出せる理由付けって感じのお話の都合上の属性っぽくて作り物クサい。
目指せと言われてクラス5になったんだから彼も何がしかなしえてたら良かったのにね。彼自体は空っぽで好きになれなかったです。ある意味彼がかわいそう。