「あーあー俺の毎日の苦労にもちゃんと意味があったら良いんだけどな―」
でしかないんだよね根っこは。
その物語を信じる気持ちを増やすための手段として祈りとか募金とかのポーズがあるわけで。
「あーあー俺も超偉い人だったりその子分の凄腕だったら街のごろつきをボコボコにしてオギャオギャギギギギなのになー」
「あーあー俺の街にも善良かつ力量のある裁き人が来てクソどもを皆殺しにしないかな―」
の2つの共感しやすい物語が同時に走ってるから多くの人を惹きつけるんだよね。
ただ多くの物語を同時に走らせるのは弊害があって大衆映画なんかは
「あーあー俺にも心から愛する人が居てその人への愛の力なら世界を全部敵に回してもあらゆる困難を打ち破れたらな―」
を全面に押し出してしまった結果、元々宣伝文句として謳っていたはずの物語を蔑ろにしがちなんだよね。
そうなるとそっちの物語に共感するつもりしかなかったお客さんの何割かが置き去りになってあとから文句を言う。
そういう意味じゃ恋愛映画みたいなワンテーマ映画は優れているんだけど
「あーあー俺も愛する人と近いあった永遠の中で末永く幸せに暮らして最高の人生だったと思いながら永遠の眠りにつけたらなー」
を望んできた客に
「あーあー俺も愛する人との悲しい別れを通して自分の人間としての善良さを頬を伝う涙で実感できたらな―」
をぶつけてしまうと期待外れだったとボロクソに叩かれることがあるから宣伝の仕方は注意なんだよね。
このタイプの映画を求めている人はこういうハズレの引き方に敏感で、ネタバレを最初から見て合う合わないをチェックしてたりする。
だからもう宣伝の段階で全部ネタバレしてしまうのが正解なジャンルってのもあるわけ。
すると今度は
「あーあー意外な展開に踊らされるもそこから機転を利かせて大逆転することで困難をねじ伏せたいな―」
みたいな人からは受けないっていう弱点があるんだよね。
「あーあー愛犬と幸せに暮らしてから、最後は寿命の違いで悲しい別れをして、その後は新しい出会いに感謝したいな―」
というコンセプトが絶対的に一貫してる。
もしもこれに共感が出来ないなら最初から見なければ良いと皆知ってる。
だから「評価が☆4.5だから見ましたけど、犬が死ぬだけのお涙頂戴でした ☆1」みたいな事も起きにくく常に評価が高めになりやすい。
キムタクって誰? 韓国人とか?
キムチたくわん
それが、『トッド・ソロンズの子犬物語』というのがありましてね・・・