はてなキーワード: 日本銀行とは
注目すべきはここだぞ
禁じ手の財政ファイナンス公言
安倍前首相は次のような内容を述べていた。
「『国債発行は子供たちの世代にツケを回す』という批判があるが、その批判は正しくはないんです。なぜかというと(略)政府日本銀行は連合軍でやっていますから政府が発行する国債は 日本銀行がほぼ全部買い取ってくれています。皆さん、どうやって日本銀行が、この政府の出す巨大な国債を買うと思います?どこからかお金を借りてくると思っているんです。それは違います。紙とインクでお札を刷るんですよ。20円で1万円札ができるんですから」。
要は「国が借金をしても子孫にツケは回らない。なぜなら、中央銀行が新しい紙幣を刷って借金を賄っているからだ」ということだろう。驚いた。これは、まさに黒田東彦日銀総裁、岩田規久男元日副総裁、麻生太郎大臣たちが詭弁を使ってまでも、必死になって否定している「財政ファイナンス」を、元首相が「日本は財政ファイナンスを行っている。財政法第5条違反をしている」と公言したようなものだからだ。財政ファイナンスとは、「中央銀行が政府の財政赤字を紙幣を刷ることによって穴埋めする」ことを言う。
黒田日銀総裁、岩田元日副総裁、麻生太郎大臣は、日銀の巨額国債買い入れは「あくまでもデフレ脱却目的の金融政策のためであり財政支援のためではない。だから財政ファイナンスではない」と否定されている。もっとも私は国会で、「失火であろうと放火であろうと家が燃えているとの歴然たる事実があればそれは火事。発火の原因とか目的で『火事か否か』が決まるわけではない」と反論していた。それでも彼らはかたくなに財政ファイナンスとは認めなかった。それは、財政ファイナンスと認めれば「財政法第5条」違反になってしまうからだ。それを前首相は「日銀が国の資金繰りを支援している」と財政法第5条違反を認めてしまったのだ。
「財政ファイナンス」とは、中央銀行が通貨を発行して国債を直接引き受けることで、先進国では極端なインフレを起こす恐れがあるとして禁止されている。
日本においても1947年に施行された財政法第5条により、原則禁止されている。「中央銀行がいったん国債の引き受けによって政府への資金供給を始めると、その国の政府の財政節度を失わせ、ひいては中央銀行通貨の増発に歯止めが掛からなくなり、悪性のインフレーションを引き起こす恐れがある。そうなると、その国の通貨や経済運営そのものに対する国内外からの信頼も失われる」(日銀)ためだ。
ただし、実際は「国会の議決」に基づき一部の国債について財政ファイナンスは行われている。
「日銀では、金融調節の結果として保有している国債のうち、償還期限が到来したものについては、財政法第5条ただし書きの規定に基づいて、国会の議決を経た金額の範囲内に限って、国による借り換えに応じている」(日銀)。
https://www.sankeibiz.jp/macro/news/200730/mca2007300500004-n1.htm
アハハ、認知の誤認があるよ。
それは事実だけど、金本位制を廃止してから、今の紙幣には「中央銀行の発行した紙幣」という価値しかないよ。だから、現金の価値は持っているだけで時間が経過すると価値が下がる(日本以外は)「何か」でしかないよ。下手に現金なんて持ってたら、時間の経過で劣化する。例えば、土地なんかの金持ちが西欧社会に多いのに、株式会社を持っている数世代続く金持ちなんて少ないですし、現金を持って数世代の金持ちなんて存在できない「今」にいるのですよ。
なりませんね。すべての価値を集約は不可能です。なぜなら、現代の日本紙幣は「信用創造」を日本国が構築するツールであって、富の化身ではありません。例えば「生活保護を受けている人が、富を生み出すわけじゃないから紙幣を使って買物をすることはいけない」と言うのが差別だけでなく、法律違反となる根拠はあります。それは日本銀行の発行する紙幣が【兌換紙幣】だからです。造幣局の硬貨は「21枚以上は受取拒否」も差別ではなく行えるのは、法律で根拠があるからです。早い話が差別は資本主義の敵であり、被差別階級にとっては資本主義は差別解消のツールとして活用されてきたので、差別主義者はインフレで貧乏になります。哀れなことに。
違うぞ。労働者は労働契約によって経営者(雇用主)から賃金を得るが、金を生み出すわけではないぞ。
そもそも、労働者が金を生み出すなんて、偽札作りでもしない限り不可能なことだぞ。
金を生み出す(発行する)のは日本銀行にしかできないことだ。紙幣に日本銀行券と書いてあるだろ。
信用創造という仕組みで金は増えている。銀行が預金通貨を創造する仕組みで、簡単に言えば銀行が金を持っていないのに金を貸すことだ。詳しくは「信用創造」で検索してくれ。
ちなみに、あんたは労働者が金を生み出すと思っているが、それはたぶんマルクス経済学における剰余価値と勘違いしてるんだろう。「剰余価値」でも検索してみろ。
現金1億円を札束の状態で燃やします。(中略)社会からただただ一億円が消えましたが、これってどういうことなんだろう。よくわからない
その通り。社会全体から一億円が消えただけだ。日本銀行が一億円発行すれば社会全体が一億円分インフレを起こし、誰かが一億円を燃やせば社会全体が一億円分デフレを起こすことになる。
ニュースで休眠預金という言葉を見聞きしたことがあると思うが、何が問題かというと休眠預金が循環しない分デフレになることだ。例えば、一億円分の預金が永久に休眠状態にあったとしたら、社会全体にとっては一億円を燃やして一億円分デフレを起こすことに等しい。
政府は日本経済の緩やかなインフレを目指している。なぜ緩やかなインフレを目指しているのかは、「緩やかなインフレ」で検索しろ。インフレをどうやってコントロールするのかは「インフレターゲット」で検索しろ。
労働者個人にとっては、賃金が変わらないなら労働時間が少ない方がよいだろう。でも、ただ労働時間を短くしただけなら、社会の豊かさを損なうだけになると思う。例えば、医療や福祉の質が低下すれば、国民の平均寿命や健康寿命が短くなるだろう。医療や福祉以外でも、水道・電気・ガス・道路などのインフラの質が低下すれば、国民のライフラインに影響を及ぼすだろう。他の産業でも、物やサービスなどの需要を満たせなくなるだろうし、生存には直接影響しない娯楽業でも、質が下がれば社会の豊かさを損なうことになるだろう。
みずほ銀行は、3つの銀行が悪魔合体して生まれた銀行で、当初から「3つの銀行のシステムを温存したままやりましょう」ということになっていた。
で、なんでこの話になったのかと言うと、結局「どの銀行のアーキテクチャをベースに新アーキテクチャを構築するか」という話し合いが決着を見いだせなかったからだ。
大前健一はこのことを大批判していて「こんな事やってうまく行かないなていうことはシステム屋でなくてもわかる、いわんや大銀行の頭取をや」と結構激しい論調だった。
当然うまく行かなかったが、一度走り出したシステムは通常は直せない。特に今は銀行だけで判断することができず、金融庁に話を通さなくてはならないし、金融庁が一度Goを出した金港堂郷プロジェクトが間違ってましたとかは金融庁は絶対に同意も納得もしない。そんな顔に泥を塗られるようなことを許すわけがない。
なので、「システムの老朽化に伴い、新アーキテクチャでシステムを更改します」としか言いようがなかった。
だが、表面化はしないが今でもこの力学は働いたままだ。統合システムがどうにかできたようだが、人の気持ちは全く統合できていない。
この3つの銀行の怨霊のようなものは今も社風(行風?)にしっかりと溶け込んでいて、それぞれの銀行の縄張り争いは今も続いている。
例えば、こんなかんじだ。
旧第一勧業銀行系派閥「システムプロジェクトを始めるので、協力をお願いしたい」
旧富士銀行派閥と、旧日本銀行派閥「知りません、そっちでやってください」
旧第一勧業銀行系派閥「いやそちらのシステムにあるこの情報とあの情報が必要なんですが」
旧富士銀行派閥と、旧日本銀行派閥「そんなにどうしてもほしいなら上を通してもらえますか?」
部長級の話し合いでどのような内容の話をしているかなんか誰も知らないが、どの派閥も「どうせ無理だろうな・・・」と思いつつ部長に相談して「やっぱり派閥の壁には勝てなかったよ・・・」という茶番を誰も困らないように飾って終わる。
K部長「こういうのが下から上がってたんだけど、こういう議事録でいい?答えキマってるっしょ?」
F部長「あー、それ下から聞いてたわ。派閥の壁とか破ろうとするやつなんて評価下げとけばいいよ」
N部長「それな、とりま議事録できたら判子押すから持ってきて、答えなんか決まってんのにマジ茶番、受けるわー」
こう書くと妻にATM扱いされた夫の話だと思われるかもしれないがそうではない
読んで字のごとく、自分がATMの中の人として働いたときの話である
今から20年ほど前、某金融機関に入社した私は適当な集合研修を受けたのち、とある支店に配属された
今では多くの金融機関はATMの管理・現金装填を警備会社へアウトソーシングしている ただ当時はそういった雑務も全て職員の仕事であった
郊外の支店であれば比較的平和だったのかもしれないが、私の支店は繁華街のど真ん中にあり、周囲は飲み屋やパチンコ屋、場外馬券売り場などに囲まれていた
そうなると客層は当然悪い
紙幣しか入らない投入口に硬貨を投入しATMを壊そうとするおっさん(口座残高が800円だったので200円入れて1000円にして引き出してパチンコに行きたかったらしい)
「UWF銀行に振込したいのに画面に出てこない」と怒鳴るおっさん(どこの格闘技団体だよ)
紙幣にゴムをつけたまま入金しようとするおっさん(面倒でもゴムは自分ではずせ) などなど
そしてそういったATMトラブル以外にもう一つやっかいだった仕事がATMの現金検査である
これは抜き打ちで行われ、朝出社すると上司から「増田君、今日3号機と5号機の検査ね」と通告される
土日にATMの現金が足りなくなっては一大事なので、金曜の夜にはATMに相応の現金を装填する
これを悪用して金曜の夜にATMから1000万円ほど抜き取り土日の競馬で単勝1.1倍の銀行レースにぶち込み1100万円に増やして1000万円は月曜朝に元通りに返却
そういった手口で着服していた職員が過去に居たらしく、抜き打ち検査は週明けを中心に徹底的に行われていた
ATMを利用停止状態にしたうえで、現金精査ボタンを押すと10分程度でATM内の現金残高が表示される
そののち、中のお金を抜き取り全部数えたうえで上司立ち合いのもとでチェックを行う これだけで1台あたり40~50分はかかってしまう
その間もおっさん客たちはあの手この手でATMを破壊しようとするので、私は朝から晩までATMのメンテナンスに追われていた
最初のころはいくらやってもエラーから復旧せず業者を呼んでいたのだが、自費でピンセットやエアースプレー等を購入した成果もあり、いかなるエラーでもすぐに復旧出来る腕前となっていた
週末の現金装填についても、当初は適当にやっていたので現金不足や現金入れ過ぎになっていたが、支店周辺の情報収集を隈なく行い、
「明日は隣のパチンコ屋で北斗のイベントなので装填額普段の2割増し」「日曜は宝塚記念なので現金目一杯いれて帰ろう」などしっかりした予測が立てられるようになっていた
ATM担当となり半年が経過し、本来ならジョブローテーションで私はもう一人の新入社員と職務を入れ替わる予定だったのだが、そいつが休日にフットサルをやっていてアキレス腱を断裂するという
とんでもないことをやらかしたせいでさすがにATM担当は無理という話となり、これまで同様にそいつは融資事務見習い、私は引き続きATM担当を続けることとなった
当初は重労働だったATM担当も慣れてしまえばなんのことはない 鼻くそをほじりながらでもエラー復旧が出来るようになった私は適当に仕事をさぼりはじめた
ATMの裏は個室となっており客からも他の職員からも見えない そのうえ空調も万全なので居心地もよい 私はこっそり持ち込んだ文庫本を読んで暇を潰していた
そんな私にとんでもない天敵が現れた 今では誰も見ることもなく手にすることもない、そう幻の二千円札の登場である
ATMメーカーは二千円札に対して必要最小限の改修で対応した 「二千円札は入金可能だが出金は出来ない」というシステム変更である
通常のATMは千円札と一万円札は循環(他の顧客が預け入れた紙幣を、別の顧客の支払に充てる)させているが、五千円札や二千円札はその他紙幣用のボックスに収納する仕組としている
通常であればその「その他ボックス」に入るのは五千円札か使用に耐えないくらい損傷した紙幣だけ なのでその他ボックスはかなり小さめに作ってある
そこに二千円札が入るようになってしまったのでその他ボックスが満タンになるというエラーが発生するようになってしまった その都度ボックスから現金を抜き取る作業に追われる私
「まあ二千円札も目新しさでみんな使ってるだけで、すぐに流通しなくなるだろう」そう考えていたところ、二千円札の不人気ぶりに業を煮やした日本銀行はとんでもない手を打ってきた
日本銀行の金庫に山のように積まれた二千円札をどうにかして市中に出すため、各金融機関に対して二千円札の使用を義務化してきたのである
金融機関は新札が必要なときには、日本銀行から必要な分だけ都度引き出す
その引き出しの際に「必ず一定の割合二千円札を引き出すこと」という頭のおかしい通知が出され、日本銀行内に山積みされていた二千円札が市中の金融機関の金庫へと運び込まれていった
しかしながら窓口で二千円札を引き出そうとする顧客はほぼいない 仕方ないので職員に対して「給料支給日には二千円札で現金を引き出して持ち帰ること」という社内通達が出されてしまった
職員はとりあえずは二千円札を持ち帰るが当然使い切れるわけもないので、適当な頃合いを見てこっそりATMで入金する
「窓口で二千円札を引き出して持ち帰る」⇒「使い切れないのでこっそりATMで入金する」⇒「二千円札が大量に入金されてATMでエラー発生」というコンボが完成し、私はエラー対応に追われた
入社2年目の四月、私は1つ下の新入社員にATM担当を引き継ぐはずであった
しかし残念なことに、当支店に配属される予定であった新入社員が入社後の集合研修中に退職するという面白イベントが発生し、私は更に続投することとなった
9回を投げ終えてベンチ裏でアイシングしていたところで、「ごめん、明日以降に備えてリリーフ陣を温存しておきたいんで延長も投げて」と告げられた先発投手の気分を味わいながら私は引き続きATMを直し続けた
そしてある日、「自分が入社したのは日立でも富士通でも沖電気でもねえぞ なんで俺は年中ATMをメンテしてるんだ」ということに気付いた私は会社を辞めることにした
金融機関は何気に離職率が高いので2~3年目の職員が辞めることは別に珍しい話ではない
一応形式的に引き留められはしたが、私の退職の意思が固いことが分かるとその後は事務的な手続きが進められ、申出の翌月末には退職することが出来た
出社最終日、業務終了後に挨拶を終えると支店長と職員一同からそれぞれ餞別を頂いた
「1年ちょいで辞めた自分にもわざわざ餞別を渡すのか」と思いながら受け取ったが、帰宅後に封筒を開けると中には二千円札が数枚
その瞬間私の感傷的な思いは一気に吹っ飛び、「ふざけんなよ!このクソ紙幣のせいで会社辞めることになったんだろうが!」とブチ切れてしまった
自室の机の引き出しを開けると、引き出したあとで使い切れなかった二千円札が10枚程度あった
自分の身の回りからすぐにでも二千円札を消し去らなければと考えた私は手許の二千円札を全て財布に入れ、夜の街へと出かけた
数万円程度のまとまったお金を一晩で使い果たせる場所はどこだろう、色々と考えた私は繁華街にあるラブホテルへ入りそしてデリヘルへ電話をかけた
30分ほどして、ドアがノックされ若くて綺麗な女の子が入ってきた
シャワーを浴びベッドで色々と楽しんだのち、女の子の方からOKを出してきたので私たちは二身合体を果たすことが出来た
出すものを出し終わってずるりとちんちんを抜くと何もついていない 「えっ、はずれちゃったの」と慌てる女の子
おおむね良いことだと思うので大筋同意なのだけれどすこしだけ、二つだけ加えさせてほしい。
まず一つ目は信用について。
「信用」とは本人が保持するものではないということ。
これの量が信用であり多ければ多く信用がある。少なければ少ない。
これは本人が持っている信用を一次的に具現化しているものだからそうだと言える。
ならば「信用」の本体はどこにあるのか。銀行の台帳に書いてある名前が「信用」そのもの。
ネットでは顔と名前を出した時点で銀行に口座をつくったようなものになる。
そこから、その口座にいくら入れたか出したかの記録が信用となる。
銀行から出した金が当人の口座に入ってる、信用が口座に振り込まれているということは銀行が帳簿の上では貸付として信用をマイナスというリスクを背負って、口座の当人に現金という信用をプラスにしている。
もちろん、借金が出来る前提はあり借金ができない人もいる。もともと信用がないものには貸し出さない。
これだけで伝わる頭の良い人たちばかりで良ければよいのだけれども、念のためにもう少し信用について話したい。
小切手が現金に変わる信用として出てくるが、これは銀行振り込みを手動で行っているのと同じ。
現金持ち歩いてないけど今すぐ振込をしてあげたいが端末がない、現金持ち合わせもない、銀行にはあるのだが、という時に使うもの。
その紙切れが信用を使って現金にできる、というわけではない。
日本の硬貨には日本国と書いてある。これは政府発行通貨でその資本は日本にあるもの全てがそうだ。担保がある。
これを交換するときにわざわざ土地と船を交換するときに土地を持って行って船を持ってきた客と交換するのかというと無理があるから金に変えている。
小切手みたいなものだ。その商品の換わりに政府がそれの価値を保証している日本のものだ。
日本の価値そのものなので、それを偽造することは日本で起きる事実や日本がそれを事実とみとめるその基準を歪ませることなので重大な罪になる。
その他に日本銀行が発行している券がある。いわゆるお札だ。これは「信用を価値とする」ものだ。
担保がない。可能性について、未来について、予定について価値をつけるものだ。
等価交換から貨幣の話に入ることもしばしば見受けられるとおもう。しかしそれはすぐに理論が破綻する。在るものを交換しても経済は成長しないからだ。
1年かけて工場を建設し、5年かけて生産を伸ばし、そこでイニシャルコストを償却して純利益を伸ばしていく、という事業計画があったとする。
するとまず最初に5年分の出費と収入分の現金が必要になる。そんな金があったら工場なんかつくるより投資したほうが得なのでは。
そもそもそんなに土地や物資や資産を持っている人間がいるわけがない。純粋にそれらを損失させて事業を成す人間などいない。
なので少ない資金から事業を「借金して」始めるわけだが、どこにその「借りてくる金」があるのか。そんなものは存在しない。
なぜなら未来へと時間が経過していくにしたがって誰かが何かの事業で増えていくもののそれであって「現在には存在していない」からなのだ。
ではその「架空の未来に存在するであろう価値」をどうやって現在に持ってきて現金とするのか。それが信用なのだ。
その未来分を持ってきて現金として発行するのが「日本銀行券」なのだ。そのお札そのものが信用であり履行されるべき約束であり生産されるべき未来なのだ。
つまり、信用というまだ実っていない未来を現時点の価値として、銀行の担保で現時点の価値へと「銀行がリスクを背負って」物資と交換する貨幣つまり日本の価値保証と変えているのだ。
その信用を託された人間、借金をした人間というものに現金として具体的に目に見える形で「信用」が移るので、まるで借金をした当人に信用が移っている、あるように見える。
人間に信用が付くわけではない。信用という銀行が前借したリスクを、誰を使って回収するかという選別によって一次的に価値を借り受ける人間には、実質「リスク」はない。
貸倒というものがある。貸した金が帰ってこないということだ。これは何のリスクなのか、少し考えればわかると思う。
言い換えて現金を手にもっているそのお金の重みが信用だと、上記を理解したうえでなら言っても問題ないし言葉としては同じだ。
もし仮に「信用を買った」というのであれば、それはだれかの未来を履行されるべき内容のもとに買い取ったということになる。
誰かに恩を受けたからそれが信用として、といった形で信用をつかうのはいわゆる信心である。個人的に個人的なポリシーのもと可能性を信じるのはそれぞれの勝手だ。
良い人だから裏切るはずはない、などと信じるのは個人の勝手だ。金が絡むと親族でも豹変するなどの事はあるだろう。個人が信心をもとに行動すると結果はそんなものだ。
証書をとり担保をとり連帯保証人を立てる、それくらいは信用について必要なことだという事は個人間取引をするのならわかるだろう。
重ねて、信用とは貸出側の帳簿にあるもので、個人が持っているものではない、買えるものでも譲れるものでも人から得るものでもない。
信用についてはここまで。
次に、マルチにハマって経済回してる気になってる事についてなのだけれども、経済学をやっているのならまず帳簿をつけていないのではないか。
帳簿をつけてほしい。
まず、クラファンで金が入ってきてるってそれは「乞食をしている」だ。
金をくれとしかいってない。そんなものは銀行に事業計画書を持って行って借りたらいいものだ。なんなら信用金庫でもいい。
なぜしないのか。返さないからだろう。返す当てがないから。現金が欲しいだけだから。
「信用」ではないのだ。その金は。
未来に発生するバリューがないことがその時点でわかっているのだ。
発生した利益を還元しますと言えないのだ。生産をしていないのだ。経済活動をしていないのだ。ただ消費して消耗しているのだ。
そして何を売っているのか。それが価値があることなら、損失をしていても価値があるのならNPOになるべきだ。
それならば寄付が受けられる。プペルトラックなんて価値はないと初めから決めつけて事業を開始するのは心苦しいだろうけれども収益があがらないとはじめから予見されているのだからしょうがない。
それでも絵本を見せたい。子供たちに笑顔になってほしい。そう思うのなら寄付を募るべきだ。前後したがクラファンでもいいだろう。
NPOともなれば各業界から支援が受けられる。事務に必要なもの、決済や運営に必要なもの、数多くが無料で得られる。活動がさらに有益であるとされるのならば公益もとれるだろう。
営利活動目的をしている団体、いわゆる一般企業もCSRの観点からそういう協力は惜しまないだろう。
なぜすばらしい活動に自費で挑むのか。
さらに言うなら、良いことを損失覚悟でやることについて商材そのもの本体の提供者が割引をしないわけがないだろう。
定価で商品をサロン生に卸して勝手に売って個人の収益にしてもいいよ、なんて言うわけがないだろう。
仕入れの値段、借入金、事業計画、収益、帳簿はエクセルでも100均のメモ帳でもいい。簡単なものでもいい。覚書として数字だけ書いていてもいい。