はてなキーワード: 市販薬とは
気付けば脱ヤク中してから1年以上経っていたので、あの頃の限界生活を綴ってみようと思う。
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そもそもODとはオーバードースの略であり、薬の過剰摂取のことを指す。
まだ肌寒いときにはじめたそれは、桜が咲き、セミが鳴き、木々が染まり、気付けばまた寒さを感じる季節まで続いていた。
B3の紙切れ1枚でこれまで生きてきた22年間の全てを否定されるものだから、精神的にかなりボロボロだったと思う。
あれは10月頃だっただろうか。
いつものように面接から帰りスーツのままソファに横たわっていると、ふと薬箱が目に入った。
そこには昔メンヘラを拗らせていたとき処方してもらった精神薬が残っていた。
そんなに多くはなかったと思う。
なんとなく、一気に全部飲んだ。
少しでも楽になれると思った。
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ベッドに入らないと眠れないタイプなので、酷い眠気で落ちたというより気絶の方が近いのだろう。
やばいと思ってツイッターを見ると、書き込んだ記憶のないツイートが残っている。
するとなんとなく元気になった気がしたので大学に向かった。
その道中で吐いた。
しかし大学で友人とおしゃべりしてまた元気になったと錯覚した私は当時バイトしていた料理屋に向かう。
その日は平日だったので比較的空いており、料理長の作る料理に舌鼓を打ち、日本酒を飲んでかなりハッピーに過ごしていた。
気付いた時には奥の座敷で寝ながら泣いていた。
営業時間が終わって料理長に家まで送ってもらったような気がするし、別の友達に迎えに来てもらったような気もする。
正直ほとんど覚えていない。
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メンヘラ御用達の市販薬や、海外から取り寄せた精神薬など、色々飲んだと思う。
薬がよく効くような気がしてグレープフルーツジュースと一緒に飲んだ。
飲んでしばらくすると呼吸が浅くなる。
体が痙攣する。
頭がぼーっとするのに眠ることができない。
胸が苦しい。
でも、そんなとき、苦しさや気持ち悪さを感じるとき、「私めっちゃ生きてる!!!!!」と感じていた。
ドエムで良かった〜〜〜〜〜〜!
(ただ一度だけ、よくわからない海外の精神薬を飲んだときは血流がぐわんぐわんいってめちゃくちゃ気持ち悪かったので、あれはオススメしない。)
薬が切れればまた飲んで、その合間にバイトと就活をして、また薬を飲んだ。
飲んでから2日は上手く話せないし頭も回らない。
しかし、そんな生活をしながらも12月中頃には就職先が決まった。
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土日祝休みなんて妄言で実際は盆正月も出勤、賞与は初年度支給無しだし、他にも裏切られまくっている。
特にやりがいを感じるわけではなく、待遇も微妙なのにとにかく忙しい。
上司に理不尽なキレ方をされた日の夜は、また薬を飲みたくなる。
ああ、死にたい。
いや、死にたいわけではないけれど、なんとなくなんで生きているのか分からなくなる。
なんのために働いているんだろうか。
生きるために働くの謎じゃない??
大人の手足口病、思った以上に大変だ。いろんな人が少しずつ記載しているけれども、書くことによって気がまぎれることもあるので、簡単な経緯を書いておく。
https://anond.hatelabo.jp/20170811041818
に記載してみた。
午後から悪寒。夜発熱。ほぼ39℃。とりあえず、インフルか風邪か溶連菌かとフラフラ。
水、スムージーなど手あたり次第口に入れる。
午後から少し解熱。37℃ぐらいまではさがる。夜になって喉が痛い。激痛。
昨日は飲めたスムージーが飲めない…
風邪かインフルかと信じていたので、明朝に医者に行くことを決意。
午前中に耳鼻咽喉科。抗生物質と整腸剤。5分もかからない診療で、うーん…。
夕方ごろ、唇の裏側に多量の口内炎ががががが…。おかしい、絶対おかしい。
水も飲めない、話せない、つらい。
「いるだけでいい」と言われながら、やはりつらいので、勤務先近くの医者に駆け込む。
「手足口病」の診断。「しばらく出勤停止」の診断書をもらってようやく帰宅。
脱水症状が怖いので、OS-1のゼリー飲料をメインに、口の中に投げ込む。
唇の腫れがひどい。。。「たらこ唇」の倍ぐらい。口を閉じられない。
がんばるぞの意欲はまだある。しかし、まだまだこれから、だった。
どうしても塗り薬がほしくて、また、点滴もしてほしくて大手病院へ。
高額ではあったけど、点滴はありがたい。塗り薬もありがたい。
また、コンビニおにぎりを、ほんの少しずつ少しずつ、小鳥にあげるぐらいずつ食べて満足。
折り返しになって、少し楽になった。具体的には、舌先の発疹がなくなり、食べるときの激痛が少し減ってきた。
見た感じ、発疹も減ってきた。精神的にかなり楽。
デザートのメロンは、口内炎にしみる…。結局、細切れにして、口の奥に押し込む感じ。少々残念。
発疹は目に見えて少なくなる。
Day4,5あたりでは、湿疹の中身なのかなんなのかよくわからないものが口の中をドロドロとしていて見るのもつらかった。
唇の腫れはかなりひいて、あー、戦いはそろそろ終わりなんだな?的な安心感。
食べたかった、介護食ではあるけれども、カレーうどん食べる。うまい。
夜は稲荷ずし、煮物なども食べられる。うれしい!ドレッシングはさすがにしみた…
口の中の発疹は、数えられるぐらいに。しみて、あ、あったんだ、ぐらい。
お昼はどうしても行きたくて、近くのカフェのカレーに。問題なし!ちょっと口内炎出来ました、ぐらいにまで回復。
しかし、前半ほとんど食べられていないのに、体重変わらず。。。
口の中はほぼなくなりました!!!なんでも食べられる!!!!というわけで、小市民はモスバーガー行ってきました(笑)
ただ、手足の発疹は、赤黒もしくは茶褐色。見てて気持ち悪い。サンダルで遊びに行けないな…
同上。
夜になって、指の皮がさっそく剥けてきた。
指の皮がぼろぼろ。地味に痛い。
うつるの?と極端に避けやがったNは許さん。
仕事場にたぶんそうだろうっていう人がいる。
空気は読めない。
空気が読めないけど自分が一番だと思っているのでお客様にも上から目線。
あげく言ってしまう。
「僕、こういうのできるんで言ってるんですけどわかってます?」
「僕もちょっとできるんでー」(でも絶対しないし、本当にできるかはなぞ)
お前何様だよ。
お客や取引先を怒らせるなよ。
他社の仕事は軽く見てる
だから「この仕事絶対こんな金額しないっすよ!僕できるんで、わかるんです」
他社の金額体系をお客様にそんな風にいっちまうからもめごとになる。
勘弁してくれよ
この間注意したら目下と思っている相手に言われて感情抑制できなかったんだろうね
「だまれ!」
だってさ。
どんなに正しいことでも空気を読めない場違いな奴から聞きたくないよ。
受け入れないよ
そしたら
「受け入れないあいつらが悪い」
んだよね。
机の上は市販薬の瓶がいくつもたってるし
飲み物注いだらこぼすし
ゴミ箱はあふれるほど入ってるし
が口癖で錦の御旗みたいにいうけど、君の「普通」や「常識」は環境によって変わることを理解できないんだよね
その姿はまるで
帰国子女が「アメリカでは!」「イギリスでは普通に」と言ってる姿に似てるよ。
君は自覚がないよね
酒の席でサーブしてくれた女性をみて「高校行ってないんだろうねこういう子は」なんていう
君がそうだと診断されても認められないだろうね。
周囲は君の差別発言にいつもひやひやしているよ。
親元にいて親は何も言わないのかい?
ほんとうに大変だよ。
口の中噛むとほぼ100%できるんだけど、どうしたらいいの?
ビタミンとってしっかり睡眠とか言っても痛くて寝れないし食べ物食べられない。泣く。鎮痛剤ありがとう。
この前なんて噛んだところ(上の歯と下の歯)の歯型にあわせた細長い口内炎ができた。
それが合体して丸い口内炎になった。丸い口内炎で囲まれた範囲がすべて口内炎になった。クソクソクソ。
いたい。今も口内炎四つある。舌先に2箇所、ほっぺに1箇所。奥歯の内側に1箇所。どうしたらそんな所に出来るんだよ!!
ご飯食べるじゃん?口閉じて咀嚼できない。クチャラーになってる。ほんとごめん。見苦しくてごめん。まじでごめん。
あああああああ。切り取りたい。マジで死ねよ口内炎とか。また今日も鎮痛剤のお世話になります。
□追記
こんなにたくさんコメントをもらったのは初めてでドキドキします。ありがとうございます。自分の口内の状況がたくさんの人に知られて嬉し恥ずかしといった感じです。
すべて読ませていただきました。リステリン紫には賛否あるようですが、使った直後は激痛ですがその後麻痺したように痛みがなくなりました。対してケナログ軟膏は塗った後30分くらいは激痛ですが、その後6時間程度全く痛みがなくなりますので寝る前に使っています。
それからトラフルやチョコラBBはもともとビタミン不足の方でないと効果ないかも知れませんね、薬局できいたところキューピーコーワがいいらしいので今試していますが、予防的な効果の方が高いと思います。
個人的に一番効いたのは、医者で風邪の時に処方されたトランサミン(トラネキサム酸)ですね。粘膜の炎症を抑える効果があるそうで、市販薬なんかよりよほど効くと思います。
口内を噛むことに関しては1度頭を見てもらいたいと思います。前から舌のど真ん中を噛むなどちょっと怪しかったので。
あとは、歯磨きをしっかりしたいと思います、痛いけど頑張ります。レーザーなんてものもあるんですね、初めて知りました。
母も口内炎体質だったので、口内炎はしょっちゅうできるのものだと思っていました。大きな口内炎ができて写真を送ったら、母の全く同じ場所に同規模の口内炎ができていた時は笑いました。遺伝や口内細菌の観点からも研究が進んで欲しいですね。はやく根絶やしにして欲しいです。
緊急避妊薬によって直接的に損をする人はまずいない。後遺症がある訳でもない。市販薬が一つ増えたくらいでは犯罪の増加もまずないし、より深い教育で少子化は止まりこそすれ進む訳もない。教育の時間や練習回数が増えれば普通はなんでも上手になる。ただし緊急避妊薬は恋愛市場の競争を激化させる(恐れがある)。当たり前だが恋愛によって相手を見つけられない人にとっては恋愛の自由化は都合が悪い。規律と結婚してしまった人は刺激に弱い。強い日光を手で避けるようにオタクでもBL本でもテレビのオッサンでも避妊薬でも叩く。日本のフェミはそれで出来ている。フェミニストは女性を抑圧しなければならないと決まっている訳ではないが、抑圧したい人と抑圧から逃れたい人が揃ってフェミニストを名乗っている。言わばゾンビとゾンビから逃げてきた人がどちらも血まみれで呻いていて区別できないような状態にある。
元記事のブコメでも触れられているように、バイアグラは1999年に半年でスピード承認されている。バイアグラにも当然副作用があり死ぬ。それは承認しないことにより防がれるリスクよりも勃起不全により人生の価値が下がることの害の方が大きいということで許容されている。避妊薬も同じで妊娠を一時的に避ける選択肢を用意することにより社会が良くなっていくということが考えられているから風邪薬やバイアグラと同じように存在して使われて社会を良くしている。
避妊薬の異常な用法で人が苦しむとか社会が乱れるということはない。それは先進国が証明している。現状では医師の処方に限られているがそうやって様子見とするには十分に長い時間が経過している。ただ抜け駆けを許したくない非モテにとっては都合が悪い。
以前よし死のうと考えて、何やらある市販薬がそれなりに低用量でイけるという情報を入手した。
その情報によれば体重1kgあたり1錠で召されるでしょうということで、念のためその倍の量を用意し
緊張しつつ少し経つと強烈な吐き気が襲ってくるがここは根性で堪える。
だが更にもう少し経つと今度は泥酔なんて目じゃないくらいに頭があっぱらぱーになるのがわかった。
自制心はあっという間に吹っ飛び即嘔吐。そして人生最悪の悪寒。
夜が明けると頭がおかしいので家にいる家族に全て説明しなければとその時は考えたのでそうした。
顔真っ青で悪寒に震え呂律が回らない状態だったからたぶん違法なクスリをやったと思っただろうね。市販品ですよ!
「いや、割とすぐ吐いたから大丈夫だと思う」「たぶん全部」と6回くらい言った記憶がある。
今思うと病院連れて行けよと思うけど、その後は部屋で暖かくして静かにしていた。
完全にラリってる状態で(椅子に毛布掛けなきゃ!)とか考えながらうつ伏せに寝てたかな。
お昼くらいになると父親が自分を連れ出して車でどこかに向かった。寝かせとけよ。
しかし頭がおかしいので当たり前のように付いていく。そこに疑問はなかった。
...残念ながら人間の闇!みたいな恐ろしい展開はないです。
キレイなダム湖が見渡せる食堂があるような休憩所で他の車も結構いた。平日だったと思うんだけどね。
その日は晴天だった。
その時見た(はず)の湖面の輝きとその辺の雑草の眩しいくらいの緑が人生で一番美しく印象に残っている景色。
頭がおかしかったからかな。本当にこの世のものとは思えない美しさで「死ぬのはやめよう」と思ったものです。
その後はそろそろ行くかと他人の車に乗り込もうとしたり(頭がおかしいので)
昼飯にラーメンを頼むも1口すすってお腹いっぱいになったりして帰りました。
そこから2, 3日の記憶がないんだけどまあどうでもいいだろう。
以前から誰かに言いたいなーと思いつつ話せる内容でないのでここに書きました。
10年以上前の情報も含まれているので、現在とは異なっている可能性もあります。
この記事について、「昔のことだから今は違う、今の体育は楽」という意見があるようです。
最初に記事を書いてから5年ほど経っているので、多少は状況が変わっているかもしれませんが、
大きくは変わっていないと推測できます。
理由は、韮山高校の体育科の教員は20年以上異動しないのが慣例になっているからです。
ほとんどの教員が40歳前後で韮山高校に赴任し、そのまま定年退職まで勤務を続けるというパターンです。
教員達が10年前と変わらない顔ぶれなのに「昔とは違う」と言えるでしょうか?
●服装
・女子は股下10cm丈の黒いショートパンツ(ホットパンツ?)。体育座りをすると下着やナプキンが見えてしまう。
・太っている生徒は露出した腿がこすれて股ずれを起こしてしまい、赤く腫れあがることがあるが、特に配慮されない。クロカンでは身体的にも精神的にも激しい苦痛を伴う(後述)
・ジャージの着用は禁止。そもそも学校指定のジャージはない。冬期に寒冷じんましんが出る生徒がいるが、特に配慮されない。
・準備体操まではジャージを着用していても良い。その際のジャージは部活のジャージでも私物でもなんでもいい。
以下、補講が科せられる授業について記します。
●水泳
・ひたすら泳がされた。
・泳ぎ方は教えてくれなかった。平泳ぎは手足の動かし方が分からなくてできなかった。
・泳ぎ方を教えてほしいと教員に頼むと「他のやつを見て自分で学べ」と言われる。
・授業を欠席・見学すると放課後に補講があり、500m泳がされた。
・補講では足をついていいのはプールの端だけというルールがあった。つまり50mは足をつかずに泳がなくてはならない。
・足をつくと50m無効になった。
・まったく泳げない生徒は10m泳いでは足をつき、プールの端まで戻り、また10m泳いでは足をつき・・・を2時間繰り返し、教員から「もうお前帰っていいよ」といわれるのを待たなければならなかった。
●新体力テスト
・韮山高校は新体力テストが男女とも県1位なのを誇っており、新体力テストで記録を伸ばすためにさまざまな工夫(と不正)を行っていた。
・まず全種目のテストを行い、2ヶ月間授業と補講でトレーニングを重ねて記録を伸ばしていく方式。
・最初のテストで目標値に達しなかった種目があると補講票が渡された。
・補講票はA7くらいの紙片で、種目名と氏名欄、補講日とその日の記録を書く欄があった。
・各種目、少なくとも週1日は補講日が設定されていた。
・シャトルランなど補講対象者が多い種目は週3日などもあった。
・補講は放課後に行われた。反復横跳びなら反復横跳びを行い、記録を補講票に書いて体育課に提出した。
・記録が目標値に達していれば補講票は返却されない。もうその種目の補講に出る必要はないということ。
・記録が目標値に達していないと「再」のハンコが押されて翌日朝にHRで返却された。
・目標値に達するまでは、何回でも補講に出席し続ける必要があった。
・体育の授業での記録を補講票に書いても良いことになっていた。
・体育が苦手な生徒は複数種目で目標値未満なことが多いので、毎日補講に出る必要があった。
・補講が長引いたり、毎日のように補講に出ていると部活動への参加が遅くなってしまった。
・補講は部活動に優先したが、補講のせいで部活動に遅れると顧問から叱責された。
・シャトルランの補講に週3回出ていると疲労が溜まって記録がどんどん悪くなった。
・補講対象者が減ってくると一日で全種目を行うこともあった。疲れるし、部活に出られなくなった。
・結局、補講を終わらせるために生徒は実際の記録より高い記録を補講票に書くようになった。
・そもそもこの補講システム、生徒が自発的に記録を改ざんするのを狙っていたようだ。
・補講システムが功を奏し、韮高は十年以上連続で新体力テスト県内1位を達成している。チーム韮山の成果である。
●クロカン
・授業時間内に走りきれない人は前の授業を途中で抜けて、先に準備してスタートするよう指示があった
・全授業で、絶対に指定された距離を走らなければならない。脱落は罪。
・途中で過呼吸を起こすなどしてリタイアした人や授業時間に間に合わなかった人は教員に車で回収されるが、その際必ず罵倒された
「気持ちが足りない」「気持ちが弱い」「気持ちが表に出ている」など抽象的に罵倒された
・ぜんそくやチアノーゼを起こしている人も罵倒されていたし殴られていた。
・太っていたり脚が太い生徒は股ずれが悪化し出血することがあった。
・股ずれの出血は、はた目には急に生理が始まったようにも見える。恥ずかしさのあまりか、顔を覆って泣きながら走っている生徒がいた。
・見学した人は後日の放課後に授業と同じ距離を走るノルマがあった。
・たとえば1週間風邪を引いて授業を3回休むと5km*3=15kmが課せられる。風邪が治り次第毎日走って少しずつ返済しなくてはならない。
・クロカン本番の順位は指定校推薦と密接な関係があると聞いたことがある。
●「韮高の体育は第二の入試」
・「韮高の体育は第二の入試」という言い回しがあった。主にお互いを励ますときに使ったりした。
・「韮高の体育は高校入試並みに辛く厳しい」の意だが、体育に耐えられなくて不登校になったり、中退したりしてしまう生徒がいるのは仕方がない、という意味もある。その生徒は「第二の入試」に不合格になった、ということ。
●影響
・文化部の女子生徒を中心に、市販薬の乱用が流行した。「ロキソニンを5錠飲んでから走るとお腹が痛くならない」などのテクニックが広まっていた。
・中退率は2%台後半から3%。一応進学校なのに全国平均を大きく上回っている。
●近年の動向
両親ともに勤務医だった。それも代々続くような医師家系ではなく、自力で這い上がってきたタイプの。
保育園時代に「お風呂に入るのを嫌がるから」との理由で通わされたスイミングスクールは、毎回始まる前に女子トイレで嘔吐していた。
9歳のときにいじめにあったが、親は学校側の対応に任せ放置した。学校側はからかいの延長と判断した。ゴミ箱に捨てられた教科書は、元のようには返ってこなかった。
少年は学校1位の成績を維持し続けた。いい成績をとっても、親がほめてくれるようなことはなかった。浮かれるなとは言われた。
市立中学への入学。部活に入らなければスイミングスクールを週3に増やすと言われた少年は、陸上部に入部するが、4カ月で不登校になった。本人にアプローチをかけることは親はしなかった。
その間、世間では引きこもりと定義されたその間に、少年はインターネットで様々な世界と情報を手に入れる。
中卒15歳、高卒認定を6科目取り、理科2科目落とし、秋の受験で残り1科目までにして、
とても生きづらい、つらいと感じて15歳で手首を切った。
市販薬乱用も頻繁に繰り返すようになった。
今まで溜め込んできたものが発露した、涙を流すだけでは耐えられなくなった。
輸入した無水カフェイン錠をざらざらと水で流し込んで、げろげろと吐いて親に病院に連れて行かれた。
「親に対する敵意が妄想的」。精神科医が下した病名は統合失調症だった。処方も統合失調症の急性期に対するそれそのものだった。入院先は閉鎖病棟だった。少年は面会に来る親に退院させてほしいと要求するが、rejectされるばかりだった。医師に言ってもはぐらかすだけだ。それは主治医の判断だから、と言う。4カ月目に無断離院をし、退院の扱いになった。
「薬は毎日必ず飲め」
「勉強しろ、夜9時から朝6時まではルーターの電源を切るからネット禁止」
インターネットは少年にとって、狭い世界から脱却できる、同じ時間を生きる人がいると実感できる唯一のツールだった。
医療は何の役にもたたなかった。
外来診察には診察室に親が入ってくる。そしてうっかり「死にたい」とでも言ったものなら、主治医がちらつかせる「入院」のカード。
少年は親のためだけに、元気な表情であり続けた。心の中がすごくぐちゃぐちゃでも、元気な振りをし続けた。
主治医「××くん、表情いいし大丈夫だね。処方同じで2週間後」
母親はうつ病で、SNRIや睡眠導入薬が処方されていた。当時連絡を取っていた閉鎖病棟時代の友人が自殺するというので、着いて行った。
母親に処方された睡眠導入薬と自分の持っている睡眠導入薬、ざっと数えて100錠、冬山で凍死計画。
でも、目の前の15歳の命が失われることが怖くなって、少年らは山を降りた。
捜索願で警察に保護され、親元に帰される。警察の前では「生きていてよかった」と口にするが、家に帰れば
母は
「病院帰るのッ!? とりあえず薬増やせ!!」
「薬だけは飲んで!!!」
父は
「薬は元の場所に戻しとけよ」
主治医は
「飲み続けないと一生脳が不可逆に萎縮する」
と言った。
言われたとおりに薬を飲んで、死にたいと思ってこっそり腕を切っては、過食嘔吐を繰り返した。
求められる「笑顔」を演じながら。
18になる直前に、病院を変えると少年は言った。両親は納得しなかったが、今の病院にはもう二度と行かないと言ったら、県立精神科病院への転院を認めてくれた。
案の定診察には親がいるので好きなようには話せないが、抗精神病薬は漸減され、ADHD向けの薬一つに処方が絞られた。
「飲み続けないと一生脳が不可逆に萎縮する」
過去に医学部生として、今臨床に携わるものとして、主治医の話を聞いて頷いたあなたがたは今。
「診断名出てよかったね」
「ADHDかー、俺もそうだと思っていたんだよ」
今の主治医はこう言う。
彼は18歳の夏に命を断つ。
もうやり残したことはない。