はてなキーワード: 少子化対策とは
今の世の中、国際的な争いなんかを見ても、コロナ対策とか少子化対策とか国内的な問題ごとを見ても、高い実行力や問題解決能力を見せているのは往々にして強権的な政府を持つ国だ。
民主主義的な縛りで強権を発揮できない国はいつもいつも後手後手に回って国力が衰えていっている。
一方で、じゃあその民主主義で人々が幸福になれているかと言えば、そりゃあ独裁国家で生きるよりは恵まれているんだろうけど、結局、権力者優位には変わりない。
完璧な民主主義なんて絵に描いた餅で、人々は政治的無関心に陥り、制度はハックされ、民主主義というフィールドの中で上手いこと立ち回れる政治家や金持ちばかりが私腹を肥やす。
そうした権力者による腐敗を正すのはいつだって革命のような民衆による抵抗的暴力の行使だったけど、『法の支配』が行き届いた現代先進国ではそうした暴力行為は他ならない民衆自身によって忌避される。
だからルールを悪用し、ルール作りそのものに介入してくるような権力者に根本的な形で対抗する術は、法治主義国家にはない。
民主主義が国を縛るから国家は強い政策を取れないし、法治主義が民衆を縛るから人々は国の腐敗を止められない。
結局、民主主義国家の持続可能性は低く、ズルズルと弱く、そして腐ったモノになることが運命づけられている。
……と、ここまで言っておいてなんだけど、でも俺は民主主義先進国に生まれることができて良かったと思っているよ。
富国強兵なんかのためにたった一度の人生を使い潰されるのなんてごめんで、俺は趣味と自分の周りの狭い繋がりを最優先にして自由に自分の人生を謳歌したい。
デモとかも自分が気に入らないモノが叩かれていたら痛快に思うけど、それで交通が止まって会社に行けなくなったら「邪魔なんだよあいつらよ~」って悪態をついてしまう。
国家の行く末を憂いての崇高な革命運動よりも、自分の日常が滞りなく進行することの方がよっぽど大事だ。
そうやってこの国の未来よりも目先の平和と安寧を優先できる民主主義や法治主義が俺は心の底から大好きだよ。
でも同時に、せめて、それらの制度? 国家体制? が未来に対する不正義を内包していることくらいは自覚するべきなのかなと思う。
民主主義や法治主義をまるで理想的な国家体制の如く喧伝するのではなく、俺達は自分達の明日のためにそれらの制度を使って未来を食い潰していることにちゃんと思いを馳せるべきなんじゃないかな、と。
――ヒトラーは金融緩和を行っていた。金融緩和を行う日銀はナチスと同じだ。
――男女平等は共産主義者が言い始めた。男女平等を掲げる政治家は共産主義者だ。
――戦中日本は優良多子家庭を奨励していた。少子化対策は戦時体制に回帰している徴だ。
これらが全体的に例証として荒唐無稽なのは言うまでもないでしょう。これは特定の主張と同じ主張をしている別のグループを持ってきて「お前は〇〇だ」と対人論証を行うもので、「連座の誤謬」や「関連付けの誤謬」と呼ばれています。その中でも国際的にも有無を言わさず巨悪とされるナチスは何かを批判する際に引き合いに出されることが多く、些末な共通点だけで同一視するような詭弁が蔓延ったため特に「ヒトラーに例える論証」と特別に名前がついているわけです。本来のヒトラーに例える論証とはそういうものでした。なおこれは論証として不成立であることを批判するもので、侮辱か否かとは少しまた別のレイヤーの議論であることを留意しなければなりません。
そしてヒトラーが持ち出されることが多いのを皮肉ったのが「ゴドウィンの法則」です。議論中にこうなったら大抵建設的でないレッテル貼りになりがちですよね。
しかしつくづく思うのですが、ナチス関連の例えを出した時に”機械的”にゴドウィンの法則を持ち出して論難し始めるのはどうなんでしょうか。元来、「誤謬」に名前を付け「法則」という諧謔を作ったのは非論理的な議論を排し建設的な議論を行うための道しるべを示すためではないのでしょうか。相手の失点を指摘することで点数を稼ぐゲームを行うためのルールなのであれば私の不見識ですが、そういうものではないですよね?現代人が好きな”建設的”な議論をしたいのであれば、紋切り型に言うのではなく相手の論証が不十分である根拠を滔々と説く必要があります。そうすると必然的に根拠を示すだけで議論は成立するので特段誤謬や法則の名前を持ち出す必要も無いものです。
そもそものところ、ヒトラーを出した即ち誤謬・詭弁とするのはあまりに乱暴ではないでしょうか。いや菅直人元首相の発言が連座の誤謬に該当しないと言うつもりはありません。連座の誤謬だと言い切れる自信も自分にはありませんが…。例えばナチスが抱えていた論理的誤謬と同じ誤謬を抱えていると指摘しそれが危険な帰結を導出しかねないと論証できれば連座の誤謬とまでは言えないのではないですか。話を変えて最初に挙げた例に移れば、少子化政策として子供が多い家庭を表彰するという話が出たら戦中の優良多子家庭表彰政策を持ち出し問題点を指摘する程度であれば連座の誤謬とは言えないでしょう。もしくは少子化対策に前のめりになるあまり子供が多い家庭を理想モデルにすることの危険性に注意を促す程度に留まれば個人的には問題無いようにも思います。
こうした区別の判断は「ヒトラーに例える論証」とか「ゴドウィンの法則」とか言って即座に議論を終わらせるのではなく丁寧に反証をしようとすれば、相手の主張が誤謬と言えるものかどうかが見えてきてできるものではないでしょうか。ヒトラーと言うだけで機械的にゴドウィンの法則に該当してお仕舞の世界よりは判断基準が主観的で曖昧になりますが議論とはそういうものではないでしょうか。もちろんそんなに労力をかけられないという意見は分かるのですけれども。
正直なところ、ナチスに関連できることを見つけてすぐヒトラーだと言い出す人とナチス関連の話を持ち出したのを見てすぐゴドウィンの法則だと言い出す人の思考回路は同じようなものじゃないですかね。
と匿名の人間が書いても意味がないでしょうから、権威に訴える論証(詭弁)をしましょう。何を隠そうゴドウィンの法則の発明者であるゴドウィンはオルトライトについてナチスと比較するのを奨励しています。
By all means, compare these shitheads to Nazis. Again and again. I'm with you.― Mike Godwin (@sfmnemonic) August 14, 2017
Since it was released into the wilds of the internet in 1991, Godwin’s Law (which I nowadays abbreviate to “GL”) has been frequently reduced to a blurrier notion: that whenever someone compares anything current to Nazis or Hitler it means the discussion is over, or that that person lost the argument. It’s also sometimes used (reflexively, lazily) to suggest that anyone who invokes a comparison to Nazis or Hitler has somehow “broken” the Law, and thus demonstrated their failure to grasp what made the Holocaust uniquely horrific.
[抄訳]
ゴドウィンの法則はしばしば次のようにまとめられている。ある人が現在の何かをナチスやヒトラーと比較したら議論が終わったか負けたことを意味するのだ、と。またはその人が法を『破った』とされ、ホローコーストの比類ない恐ろしさを理解できてないということを示唆するとして(反射的に、怠惰に)使われている。
反射的に(reflexively)怠惰に(lazily)という修辞句を使うゴドウィン氏の心情を慮りつつ…。いわゆるトランプ政権のゼロ・トレランス政策をヒトラーになぞらえて批判した議員がいたことについてこのように記述されます。
The response has been predictable: Debate for some people has been derailed by the trivial objection that, even if it is terrible to separate children from their parents (and sometimes lose track of them, or make it impossible for their parents contact them, or even deprive them of the comfort of human touch), it’s not as awful as what the Nazis did.
[抄訳]
「ナチスの行いを矮小化しているからこの比較は不適切だ」という反論したことはないですか?それがいつもつまらない反論でしかも議論を脱線させるような非建設的な意見かは知りませんが、この時なされたその類の反論はゴドウィンからすればここまで大上段に切り捨てられて当然のもののようです。辛辣ですね。この後、こうした時にゴドウィンの法則の名前が出てくるという話もしています。
But I do want to stress that the question of evil, understood historically, is bigger than party politics. GL is about remembering history well enough to draw parallels — sometimes with Hitler or with Nazis, sure — that are deeply considered. That matter. Sometimes those comparisons are going to be appropriate, and on those occasions GL should function less as a conversation ender and more as a conversation starter.
[抄訳]
ナチスの問題は政党政治より大きなものであることを強調したい。ゴドウィンの法則は深く考察される類似性(ヒトラーやナチスとのを含む)を描くのに十分なくらいよく歴史を記憶することに関するものだ。時にそうした比較は適切であり、その場合、ゴドウィンの法則は会話の終止符ではなく会話の第一歩となるのである。
要するにナチスが現代の政党政治と比べるべくもないヤバい奴なのは前提ではありつつも、ナチスとの比較は適切な時もあるから「ゴドウィンの法則に該当するからアウト」みたいな単純な使い方はするなよってことです。もちろんゴドウィンの法則の発明者だからと言ってゴドウィンの言うことが全てではありませんが。ただ、ヒトラーに例えることで議論が脱線し行き詰まるのを防ぐためのゴドウィンの法則という言葉が議論を脱線させる一因となるのであればミイラ取りがミイラではないですか。
ネット上では新しい概念が日夜発明されています。大抵の場合は既にある概念が再発見されて流行してるだけなんですけどね。そうするととかく流行概念に合致してると言えれば即何かしらの結論を得られるという思考に陥りがちです。しかも政治においては用語や見方という枠の解釈合戦(フレーミング)が起こるものです。しかし政治家や活動家でなければ必ずしもそういった方向に行かなくてもいいでしょう。結論と同じようにもしくはそれ以上に過程こそが議論にとって重要であるという基本に立ち返りませんか。その時、数多の概念は思考を論理的に展開する際の補助輪になってくれるはずです。そう、概念は結論に直行するものではなくあくまで思考の補助線なのだと考えた方が良いのではないでしょうか。概念に振り回されず、連座の誤謬もヒトラーに例える論証もゴドウィンの法則も上手に付き合えば落とし穴に嵌らないようにしてくれるはずですから。
0002 おさかなくわえた名無しさん 2021/05/07 06:26:27
ヒリとは、文字通りガキをヒリだしただけで国や少子化対策に貢献していると思い込み、恥じらいを捨て、ガキをだしに傍若無人で非常識な振る舞いをする頭の悪い自己中心的な子持ち女のこと。
ヘラヘラして聖母に女神気取りのニヤニヤ系ヒリと、無愛想で棒読み注意の仏頂面ヒリの2パターンが多い。
汁とはヒリの男バージョン。
ダニとはヒリ汁に躾をされていない+少子化を理由に甘やかされ、国の宝としてかしずわれることが多い為に
傍若無人で我儘勝手な振る舞いをする何の理性のない畜生以下の糞ガキの事。
赤ダニとは自我が芽生えていないすぐ喚き散らす人間未満の赤ん坊のこと。上記のダニの前段階。
特にヒリ汁に盾や免罪符に使われる多くどこにでも連れまわされることが多い。ダニーカーで突撃や無理難題を要求する際の口実に利用される。
ヒリには周りに愛想よくすることを強いるための道具として利用されることが多い。
ダニーカーはベビーカーの通称。ダニを運ぶために使われるためそう呼ばれる。
ヒリ汁の最強兵器で、突撃や場所の占拠に使われることが多い。特にヒリが使用しており並列走行が多く人の歩行の阻害になっている。
他人に持ち運びさせるなど親切の強要に使うことが多く、手助けしても十中八九礼言わずである。
ダニンプはパコってボテっただけなのに、国の宝を抱えていると思い込み傲岸不遜な振る舞いをする妊婦のこと。
ダニをダシに傍若無人な振る舞いをするヒリの前段階。 通称ニンプリンセス
道路族は文字通り公共の場である車道を占拠し通行の妨害や、騒音を撒き散らしたりするなど傍若無人な振る舞いをするダニヒリ汁の集団のこと
これらのポイントは
「世の中の全ての子持ちに当てはまるわけではない」
と言うこと
『 酷 く 目 に 付 く 様 に な っ た 』
0003 おさかなくわえた名無しさん 2021/05/07 06:26:51
これだけは確実に言える
・年金や税金の仕組みを知らないでこなしは年金貰うなと喚き散らす
・躾と虐待の線引きが出来ないので手を挙げただけで虐待だと喚く、もしくは引っ込みがつかずに一線を超えてしまう
・堪え性が無いので少しの我慢すらできない
・かつて日本国内を恐怖に陥れたテロリスト団体オウム真理教の教祖(麻原彰晃・死刑執行済み)は妻子持ちであることを知らない
・「母は偉大」と言いつつ、2006年に起きた秋田児童連続殺人犯の畠山容疑者のような母親がいることは認めない
・人には徹底的に厳しく自分にはどこまでも甘い
・他人に迷惑をかけることに対しては無頓着だが、自分にとって都合の悪いことや迷惑になることには過敏に反応する
・社会のルールやマナーに順応しようとせず自己中心的な主張をし反社会的な行動をとる
・子供は泣くのが仕事と都合のいいような弁解をし、親の仕事は果たさない
・子供が親を選べないように、親だって子供を選べない!って意味不明な理屈をこねる
・好きでパコってボテっただけなのに、少子化に貢献してると威張り散らす
0004 おさかなくわえた名無しさん 2021/05/07 06:27:14
・他人任せなくせに要求が高い上に多く、気に入らないことがあれば文句を言う
・自分のダニのことを未来の宝!や未来の納税者!と言って憚らない
・そのくせ今の納税者には感謝のかけらもなく迷惑をかけても平気
・個性や多様性の理解を求めるくせに、「子供嫌い」という個性は認めない
・ダニに対する愛情やママアピールは母性本能ではなく、単なる自己満足、自己陶酔であることに気づいていない
・ダニの奇声は親でもきつい!とか言うくせに他人が迷惑がると不寛容!と喚き散らす
・24時間ダニに付き添うなんて無理!というくせに教員には365日24時間休むことを許さないと抜かす
・他人の落ち度は過剰に責め立てるくせに、自分に落ち度がある場合は言い訳にヒリ屈をこね自己擁護し挙句の果てには責任転嫁する。
つまり、今の状況は経済的に余裕がなくても恋愛感情とか家族を持ちたいという気持ちが優先した人達が出産しているのであって、
つまり、未来の経済規模によって子供の数、将来の大人の人口は決定されるべきであり、
これからの日本の経済規模が縮小すると考えるのなら、人口は減少した方が適切であり、寧ろもっと減らすべきだと考える
逆に、将来の日本の経済規模が縮小するにも関わらず、少子化対策だと子供の数を無理矢理増やすと、
というか、今の子供たちも、大人になったら仕事がない、という事態の方が自分はありえると思っている
日本の経済規模が縮小し、仕事も合理化や再編成を繰り返し、他国にお株を奪われ続ければそうなるのは確実であろう
就労できたとしても、今の団塊ジュニアで成功した人達を老人ホームで世話する仕事とかになるだろう
激減しているのではなく、今までの日本の人口が多すぎたのである
子供を沢山産んだらイギリスで起こったように補助金で豪遊する人が出てきて不平不満が出るなら、
子供3人まで補助金を大きくするといった、制度設計は出来るのでは。
(子供の人数が多くなりすぎると貧困に陥る可能性が高くなるなら上限付きで。別に人数が多くなろうが問題が怒らないなら上限なしでいいだろう)
日本全体でやらなくても、数県で試しにトライアルしてみて、その結果を見て判断でもいいはず。
シングルマザーが増えるのでは?という指摘は、増えても貧困にならなければいいのではないか。
子育て要員が足りない、というのであれば、それは別途支援すればよかろう。
イギリスで起こったから日本で起こるかどうかもわからない。環境が違うので。
起こる予想があるのであれば、それに対して対策しておけばよい。
独身者と不公平感があるという指摘もあるだろうが、織り込み済みとして処理しないと少子化が止まらないので、
養子縁組をすると同様のインセンティブが得られるとしていいのではないか。
特殊事例で制度悪用する所がどれくらい出てくるかわからないが、全体的にと特殊であれば、織り込み済みとして処理していいのではないだろうか。
出産費用は全額後から戻ってくる(だから産院はその費用内ぎりぎりの値札を出しておいて無駄に夕食に誕生お祝いワインとかつけてくれる)
家庭で全員働いてたら保育園に入れる
病気になったら医療費無料(病院で黄色いカードを受診券と一緒に出すだけ)
そのあとはどこへなと放流すればいいよ
つかえない人材になっても自分が産んだせいじゃなくて社会がそういう風にそだてたんだから生活保護でもなんでもうけさせりゃいいの
なんか子供の製造責任を女のせいにする男社会では子育てが生きづらそうにみえるんだろうけど
どう子育てするかは自分の尺度で決めていい(他人まかせだって当然良い)
どうせおまえの子なんておまえの思うとおりにはならんよ
おまえだって親のおもうとおりには現状なってないわけだし
少子化対策の一環として実現できそうな気がするが。
中国でゲームが承認されないとか、私塾を禁止といった、日本から考えるとバカだと多くコメントが付く政策が行われている。
数年後、やっぱり中国の政策は正しかったとならないため、あえてメリットを考えてみることにする。
という点に最終的に行き着くので、その点を頭の片隅に置きつつ読んで欲しい。
日本だと軍事産業がまるっとないため、別の産業にリソースが割り当てられるが、中国からすると優秀な人は軍事産業、もしくは近い業界に居て欲しい。
ゲームエンジンだったり、アプリストアだったり、米国ならびに米国企業のルールで変わるし、利益も米国に行く。
無料でゲームエンジンを使えるといったことに飛びつきがちだが、長期的に見ると使う側の人間しかいなくなり、振り回されることになる。
またゲームはサービス終了したら後に残らないという状況になっており、長期的に投資が残るゲームエンジン以外、経済予測性も低くなる。
米国のゲーム市場規模から日本では忘れがちだが、米国でもゲームはナードがするものといった、二級品扱いだったり、他に投資先がないからするものだ。
米国の場合、FPSだったり、シミュレーション技術など、ゲームが軍事に利用できるので表立って批判されないのを忘れているとミスリードするのではないだろうか。
日本のように優秀な人が集まったものの、ガチャ実装だったり、萌だったりと、軍事からかけ離れたものになっている状況への対応と、
軍事に関係する物が生まれるかと放っておいたら一向に生まれることはなかったので、そろそろ締めるか、といった具合だ。
私塾規制についても少子化対策で、『民間にまかせておくと教育コストが高くなりすぎ少子化につながる』というところからくる。
どこの先進国もそうだが、
子育てにお金を配って解決するのも、緩やかな経済発展よりも、子育てにかかるコスト増が早い
色々中国の政策が出てきて、日本から見ると(人権などの観点から)変なように見えるが、基本統治を簡単にしようとしているように見える。