はてなキーワード: 加虐とは
某炎上案件見てて思ったけど、本人不在のまま寄ってたかって叩くのはポリティカルコレクトネス的には正しい行いなのか?
叩く側は正義だと思って拡散して追い詰めてるけどそれってただの虐めじゃないの?
ポリティカルコレクトネスに詳しくないので分からないんだけど、ポリティカルコレクトネスを外れた人は死ぬまで追い込んで良いっていう教えなのか?
彼のと比較すると、子供と大人、魚肉ソーセージとカルパスだった。
特によく揶揄われたのが、お尻でエッチするときで、お尻で気持ちよくなると、おちんちんの方はちっちゃくなっちゃうんだけど、
それを見た彼が「おちんちんじゃなくて、お尻の方が気持ち良いんだ? こんなにちっちゃくて女々しいちんちんいらないよね? とっちゃおうか?」って虐めてくる。
なんだか、彼の中で大きくないちんちんは男らしくないという価値観があるらしくて、本当にことがあるごとに
「こんなちっちゃいのは男じゃないよ」とか
「ちびっこちんちんなんてもういらないよね?」とか、すごく言われた。
でも、そうする仕草が、彼をまた加虐に押したてるみたいで「ちんこだけじゃなくて、態度も女々しいな」とか言われた。
悔しくて言い返したかったんだけど、何か言い返そうとすると、すぐちんちんを優しく撫でててくれて
「嘘だよ、こんなに大っきくなるもんね。よしよし」としてくれる。
だけども、そうして大きくなったら、今度は自分のと比べて「頑張って大きくしたのに、俺のよりふた回りも小さいよ、やっぱり男じゃないよ、こんなに小さいんだから」とまた揶揄してくる。
っていうのを、ミスタードーナツって年々小さくなるよなあと考えてる時に、思い出した。
ミスド小さいよね?
今回は少年ジャンプ+
本作の見所は、登場人物たちの紡ぐ芸術作品の奇抜さにあることは明白だと思う。
ただ精彩ではあっても精細さに欠ける印象。
だから、分解して評価するとつまらなくなったり、粗ばかりが気になりやすい。
コマ割とか、構図とか。
これは「わざわざ声に出して説明する」っていうギャグだと思うけれども、説明しなくてもいいことを説明するからには、その内容が面白い必要があると思うんだよね。
しかも、ギャグ以外の場面でも説明口調を多用しているから効果が希薄になって、全体的に平坦な印象を与える。
加虐心という偏愛性を持つ主人公の苦悩を、後半で判明する更なる事実によってより露わにしようという試みが興味深い。
テーマがより色濃くなるし、構成上でも絵的に盛り上がる場面を入れられる。
ただ、些かごちゃごちゃしている感じはする。
前半の主人公の苦悩を描きながら、主要人物の様子も丹念に描き、更には後半に明らかになる事実のための伏線をはるという構成はしんどい。
全容が掴めない事はサスペンスとしては面白みもあるけれども、掴み所すらないとどういう気持ちで読めばいいから分からないから困る。
昨日から急にどこかにカテゴライズされないと!という不安に襲われているのでだらだらと調べているんだけど、
性欲はあるけど恋愛感情が(分から)ない人のことは何て言うんだろう?
わたしは人が好きで、
この好きってのはなんていうかな……うまく言えないけど、人のかわいそうなところとか人間臭いところとかを見ると同情したり胸がぎゅっとなって
と、同時に人にひどいことをしたい衝動がずっとだらだらと渦巻いていて、
このひどいことっていうのは自分じゃうまく言えないんだけど
例えば暴力だったり、言葉で傷つけたり、性的なことを一方的にしたり
そのあとに抱きしめてごめんねごめんねって言いながら甘やかしてあげて
それからまたひどいことをしたい
こういう支配欲とか加虐欲、暴力衝動が性欲に絡まって複雑に肥大した感情を性別年齢問わず、もう言ってしまえば「人」というジャンル(人以外も対象ではあるけどややこしくなるから今回はナシで)に抱いている
多分、幼い頃から
わたしはずっとこの性欲のようなものを恋愛感情だと思い込んでいて、
だって芥川龍之介も「恋愛はただ性欲の詩的表現をうけたものである」って書いてるらしいし(前後の分脈を知らずにこの言葉だけを受け取るのはダメかもしれないけど)
でもこれってもしかして恋じゃないな……って少し前に気付いた
気付いたというか、そういう話を唯一するクラスメイトの男子にそう言われて、あっそうかも……と納得した
わたしの性欲は一方的で、必ずしも直接的な性が絡んでるわけでもなくて、なんというか……子どもの癇癪がそのまま大人になってちょっとめんどくさいオプションが付いて残りました、みたいな?
まとめるのが下手過ぎて自分が嫌になってきた……
恋愛はしてみたい……でもセックスしたくないし人前で何かを曝したくない
仮に恋愛感情だとしてもそれを不特定多数に持ってる時点で何もできなくない?
アセクじゃないんだよね……アセクって性欲ないんだよね……?
私は貞操観念に厳しい家に生まれたが、不幸にも好奇心が強く、小学生の頃から親の目を盗んではアダルトサイトに入り浸っていた。婚前交渉するなという母からの教えは、大学に入って早々に破ってしまった。
当時の彼氏は早く処女を脱したい一心で作っただけだったので、そんなに好きではなかった。あと今思い返すと、彼はセックスが下手だった。
でも、彼はとてつもない変態だった。私の変態の蕾を花開かせたのは確実に彼だった。端的に言えば彼はドMだったのだ。私のサービス心は彼の手により加虐心へと変化していった。
そして、私は立派なS女になった。
その彼のことはかなり好きだったし、最初はこの人となら結婚したい!なんてことを考えていた。本当に好きな人とするセックスは夢のような快楽だった。
でもそのうち、セックスしかすることがなくなった。趣味も性格も違い、共通の話題も少なかった。性欲でしか繋がっていない関係だった。
加えて、彼はとてもノーマルだった。その時既に変態性に目覚めていた私は、彼のノーマルっぷりに頭を抱えていた。私の鍛え上げられた加虐心が顔を出し、引かれることもままあった。
自分が結婚に向いていないことを完全に自覚してから、若い女という称号がまだ使えるうちに遊んでおくのが懸命だと考えるようになった。そして、特殊な性癖の人間が集うサイトでセフレを募集した。
そのサイトで私は、小学生から蓄積された性癖を余すことなく羅列した。自分でも引くくらい変態的な文章ができあがった。すると、そんな変態を求める男性から大量の返信が来た。
私は感激した。私以外にもこんなに変態がいるんだ!皆気持ち悪い!人間ってすごい!
セフレは、とても楽だった。すごかった。どんな要望でも口からスラスラ出てしまう。こんなこと言っちゃって引かれるかも、みたいなことを考えなくていい。だって相手も変態だからだ。
変な駆け引きも要らないし、気を使って演技をしなくてもいい。あと、無駄な期待を持ってしまったり、ちょっとしたことにイラついたりしない。
しかし、私は危惧している。セフレはあまりに楽しすぎる。これでは恋人ができない。
変態だって恋がしたいのだ。純愛とかすごい憧れるのだ。シーブリーズが似合う恋とかしたい。福原愛さん夫婦とか超羨ましい。
ただ、私は変態だ。エロいことばっか考えている。この人はどんなセックスするんだろう、と一番に考えてしまう。
それに、最初から人間性に惹かれ、きちんと好きになったとしても、結局は性的な問題が絡んでくるではないか。結局自分の変態性から逃れられない。
変態にはもう、セフレから恋人を探すか、脳みそをシーブリーズで洗い流すしか残されていないのだろうか。
それか、変態であるがゆえの業として、愛している人には自分のことを隠し続け、変態性を解放してくれるパートナーを別に持ち続けたりする器用さが求められるのか。
ああもう、隠れ変態のヒロインが、自分が変態であることを忘れさせてくれるような王子様に出会って幸せになる少女漫画が読みたい。
そういうのない?
しんちゃんって幼児の皮をかぶった強者男性なので、もっそい加虐感がある
ルフィも誰も、彼のことを笑ったりしないし、そういうコンテクストをワンピースという漫画自体がつくらない
それどころかボン・クレーはオカマとして独自の哲学を持っていて、それがかっこよく描写されている
見た目や言葉遣いはオカマバーにいそうなオカマをさらにいじったような感じなんだけど、それは笑いにつながってないし、
なんならどんな見た目、属性であってもあの漫画が描く世界からは排除されないという逆の良さがボン・クレーにはある気がするんだけど
そこまで言うと擁護になるんだろうか
ところで書きながら思い出したんだけど、ドラゴンボールにもオカマキャラがでてくる
レッドリボン軍のブルー将軍なんだけど、これはこれでうまく処理されてる気がする
ブルー将軍に追い詰められた一行は、ブルマが色仕掛けをし、難を逃れようとする
だけどブルー将軍は女に興味がないと言い、またオネエ言葉を使うため
それを見たクリリン(だったとおもう)が「げげ、オカマかよ」みたいなことを言う
まずブルー将軍のほうが立場が強い(暴力的な意味)というのがひとつ
そしてブルー将軍がそういうラベリングに対し明確に怒ってNOを突きつけてるという点
そろそろフィクション無罪という時代でもなく、どういう描かれ方をされているかで
評価が分かれる、そんな気がする
というよりもだね、
猫を殺すような道徳心の無い人物は加虐的な衝動に歯止めが利かない場合がある。そういう犯罪者予備軍を事前に動物虐待などの軽犯罪で知れるならそれは居場所を教えているも同じ。
保釈されようと前科はあるので国外に逃げようとも刑歴を調べ上げられるだろう。大体保釈は容疑者に許される司法的な権利だ。他の犯罪で許されている事を動物への傷害程度で許されない理由はない
実刑判決はまだのようだが、根底に殺人欲求があるならカウンセリングを通じた更正を前提とした処分だって期待できる。単純に動物虐待が好きだとしても増え続ける野良猫一匹や二匹の処分程度なら、保健所が同じ事をしているのだから責められないんだよ。職権があるかないかの些細な違いだけ。おんなじことをしていてもかたや犯罪者。かたや真面目な有職者。
マイノリティ中のマイノリティの性的嗜好を持っている私は、現実では決して成就することのできない(成就すれば私は牢屋にはいることになる)その欲望を、同人誌の中で表現して昇華している。
現実では決して解消できない切ない性欲をもつ、異榻同夢を見る文字どおりの「同人」に向けて表現を届けているわけだ。
戦前から、少年愛者や嗜虐・被虐嗜好者、窃視症、露出症など、メジャーなマイノリティ(?)の嗜好者たちは、同じく同人活動で薄暗いマグマのような欲望を地下で共有し、慰みにしていた。
インターネットでは、10万人にひとりだけにしか胎生しないようなストレンジな欲望でも、同好者を見つけることかできる。
作品の感想をもらえれば無上に嬉しいし、フィクションの中でしか味わえない心臓が溶けるような興奮を同人たちと共有する喜びは、ほかに代え難いものだ。
例の同人作家に警察が「申し入れ」た件には、率直に危機感を覚えたし、苛立ちもしたのだが、考えを巡らせているうちに、私自身の同人活動についても深く省みることになった。
私にとっての現時点での考えを書こうと思う。
さて、私はツイッターを使っているが、私のタイムラインでは、「現実と虚構の区別がついていない人間」をよく見かけるし、これは犯罪だろうと思えるようなツイートも、見かける。それもかなりの頻度で。
おそらく、ロリコンのインナーサークルでは、児童ポルノが想像以上にカジュアルに流通しているだろうし、露出症者たちの間では「いい季節になってきたから全裸散歩してきた!」みたいな投稿が日常的にされているだろう。窃視症者たちのタイムラインには盗撮の動画がひっきりなしに流れているだろう。
私は、簡単に犯罪の壁を越えてしまう人間がたくさんいることを知っている。知っているが見て見ぬふりをしていた。
幸い、「増田さんの同人誌で頭真っ白になるくらい興奮して、ちょっと〇〇してきちゃいました」なんて馬鹿者はいままで一人もいなかったが、完全に読者を信頼できるかと言われると、それは難しい。
模倣犯を生んだとしてもその表現をするのかと問われても、そこまでの覚悟や信念が自分にあるのか、悩んだ。
悩んだ結果、注意書きを厳しく書くというのは、作者が誠実にとりうる責任のひとつではないかと、私は結論した。
と、これからははっきりと書こうと。
飲酒運転が描かれる作品の巻末に、薬物が描かれる作品の巻末に、一言注意書きを添えるのは、ただ単に作者を免責するだけでなく、小さくても啓発的な効果を持ちうるのではないか。
合理的な範囲で作者は社会に責任を果たさなければならないと思った。
乱交を描くときには、性感染症の知識を、痴漢を描くときには、性犯罪がどれほど被害者の尊厳を傷つけるかを、書くべきだろうと、私は思った。
創作表現が与える影響の責を法的には作者が免れることはもちろん大原則ではあるが、
そのことに胡座をかいてしまうのも、あまりに無責任だと私は考えた。
(トラックバックへ。私の嗜好は加虐的なものではない。むしろ分類するとすれば被虐的な嗜好だ。私の読者が事件を起こすとすれば、比較的には軽い性犯罪ということになると思うが、それでも、だからこそ、事件を起こす危険性はあると考えている)
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
質問が長いなあ。
怯んだが、まあ答えよう。
君の主張がそこまで的外れだというつもりはないが、少し誤解している。
「アホの坂田」こと坂田利夫は、プライベートで芸人仲間にアホ呼ばわりされると怒るというエピソードは有名だな。
だが、これは矛盾していない。
芸人などが自分の美醜などのコンプレックスをウリにすることと、他者がそれをいいことに笑いのタネにしようとすることには違いがある。
何も道徳的な、政治的な正しさという観点から、それらを「笑い」にすること自体を非難しているわけではないのさ。
何かが足りなかったり、或いは過剰であったり異常であることは、人間が感じる「面白さ」に密接に関係しているだろう。
その点で「笑える、笑えない」に、「健全かどうか」であったり「政治的正しさ」を無理に結びつける必要性はない。
長所を活かすことを是とするなら、短所を活かすことだって是としてもいいかもしれない。
誰かにとっての短所が、誰かにとっては長所になりうるという側面、まあよくある話だ。
だが、“そういうこと”に過敏な人や、或いはそれらの要素を罵って人格を不当に貶める人がいるのもまた事実だ。
誰かにとっての長所が、誰かにとっての短所になりうるという側面、これもよくある話だな。
そんな人たちの視線を基準に考えるべきか否かなんてことは、私が決めることじゃあないが。
仮に決めるなら、その世界の住人たちだろう。
例えばの話だが、障害者が障害をウリにした芸をやり、それを他の障害者や関係のある身内たちも笑う。
もしそんな世界があるのなら、それはそれで健全だとは思うが、まあ非現実的かな。
小人プロレスとかのように、そういう「正しさ」でもって誰かが割を食う側面はあって、それは必ずしも善悪の二元論で語ることが難しい可能性もあるのだが。
まあ、現環境に即した「健全さ」を目指して最適化していくしかないだろう。
さて、今回学ぶべき教訓はこうだ。
人をひたすら罵倒するゲームを作ってほしい。落ち度を責め続けるのもいいけど、何の落ち度もないのに罵倒し続けるのもいい。容姿をめちゃくちゃに言いたい。罵倒だけじゃなくて、Aボタンで罵倒、Bボタンで足を踏む、Xで押す、とか色々あるともっと楽しい。恥辱、殺人に抵抗がある人でも楽しめるゲームだと思う。
どうぶつの森でさ、おとしあなのタネとか網で住人の頭を叩き続けると怒るシステムとかあるじゃん。初期のソフトでは住人がキョロキョロするだけだったのにいつのまにか怒るようになってた。相手の反応がある方が楽しいもんね。友達とキャッキャ言いながらやってたなぁ。学校では、意地悪する女子とか「キモイ」ってわざと聞こえるように言う男子とか居たじゃん。子供の時から加虐心があるってことだよね。つまり人間の大きなテーマだと思う。ざっくりまとめると、倫理的にいけないことをすることに興奮や快楽を覚える人が少なくないってこと。だから恥辱とか殺人とかのジャンルに需要があるんだよね。身近なところで言うと、火災報知器のボタンを押したくてたまらないとか、葬式で笑いたくなっちゃうのと同じようなものなんじゃないかな。
性的コンテンツを規制すると性犯罪が増えるっていう説が正しいなら、このゲームをプレイする人が増えればいじめとか減るでしょ。二次元で発散できればリアルでやらずに済むんだよ。そんなに長くは生きてないけど、意地悪や悪口でストレス発散する人は体感的にまぁまぁ居る。某掲示板で有名人を叩いてる人たちだって同じ。需要はある。ぜひ作ってほしい。もし既にあるのなら教えてください。お願いします。
例えば二次元でいじめを行って楽しむ「二次元いじめ」なるジャンルがあるとするじゃん。
二次元いじめでは、いかにもいじめられそうな特徴をさらにデフォルメした人物が、実在いじめを模したありとあらゆるいじめに遭っており
二次元いじめユーザーはそれを見て自分の加虐欲求を解消しているとするじゃん。
二次元いじめは昔から人気のジャンルではありつつもユーザー同士の繋がりは一部のコアなユーザーに限られていたわけだけど
インターネットの広がりと共にユーザー同士の交流がうまれ、現在ではネットでも実店舗でもそのジャンル専門店出来上がるほど一大勢力に成長したとするじゃん。
同好の士を得た二次元いじめユーザーはネット掲示板やSNSでも積極的に交流し、やがてカジュアルにその内容をやりとりするようになり、snsを見れば
「気弱な中学生の後ろの席に座り授業中ずっとちぎった消しゴムを頭にぶつける遊びがしたい」だの
その対象が非実在なのか実在なのかは明記されないまま、別にゾーニングされているわけでもない、実在いじめ被害者もいる空間で
さして珍しくもないその発言は、誰に咎められることもなく、むしろ二次元いじめユーザーから沢山のいいね!を貰う状況になっているとするじゃん。
この状況になって、かつていじめ被害者だった人達やいじめ救済団体が「こういった状況を看過するわけにはいかないのではないか」と問題提起したとするじゃん。
「二次元を問題とするのは実はいじめ救済団体はいじめをなくそうと思っていないのでは」
「もう加虐欲求をそそる対象ではなくなったいじめ被害者が二次元に嫉妬しているのでは」
「ということはいじめ被害者は実はいじめられていたいと思っているのでは」
という反論が出てきた。
ってかんじ。
http://anond.hatelabo.jp/20150716232738
元増田はぼくにピース又吉の受賞記事を紹介し、それからぼくの口にペニスをつっこんで、文明の進歩が欲しいならまずは死ぬことだと言った。元増田とぼくは旧知の間柄だ。おまえは元増田と知り合いか、ぼくは始終そう訊かれている。
ぼくの喉の奥に亀頭を食いこませて、元増田は言う。「心配するな、おれたちは死なない」
陰茎に開いた尿道口が舌に触れる。ぬめった感触の大部分は包皮だ。元増田の陰茎の大部分は皮がかむっている。見栄えのするペニスを欲しいなら、包皮を取り除いたあと尿道にカンガルーの骨を挿入して陰茎の下部をナイフで穿てばいい。尿道割礼したペニスは、勃起したときに扁平になる。強そうに見える。
「これは文学の死じゃない」元増田が言う。「おれたちは新しい文学になるんだ。増田文学。名無しのままで永遠に生きる」
ぼくは舌でペニスを頬に避けて言う。元増田、それじゃまるきり京都の大学生だ。
ぼくらが立っているホッテントリカテゴリは十分後には更新される。内容のない時事ネタを一文あたり三倍の濃度で薄めて、村民をidコールする。サブカルネタも適宜加える。次に、ブクマの加虐心をそそる致命的な脇の甘さポイントを一箇所作る。300users超えの記事ができる。
ぼくらの足の下にある百九十一カテゴリのどこかで伊藤プロジェクト悪ふざけコミッティ所属のブクマbotどもが暴れ回り、古い文学を最後の一片まで破壊している。
昔から、愛は憎しみと紙一重と言うだろう。見ろよ、逆もまた真なりだ。
亀頭を口に突っこまれて陰茎を噛んでいると、こうやってタイプするくらいしかできない。
ぼくらに残された時間は十分。
また一記事、クソみたいな与太記事が吹き上がり、漏れだした憎悪が鳩の群れみたいにルサンチマンを反射しながら散っていき、悪ふざけbotたちの手で押し出された注目記事がはてなのトップの下部に現れ、ついには火を吹き、拡散し、炎上する魔法の飛行物体になって群衆に飲み込まれる。
クソ人気増田記事のハウツーは、ドナルド・キーンの文学史を見ても書いてない。
ホッテントリの三製法。その一、等量の紋切り型と悪意を混ぜあわせる。その二、等量のライフハックネタと悪意を混ぜあわせる。その三、等量の下ネタと悪意を混ぜあわせる。
ブクマの集め方なら訊いてくれ。威力抜群のブラック企業の告発法も。
あと八分。
「いまやこのインターネットはおれたちのものだ、全世界がおれたちのものだ」元増田が言う。
「古代人どもが爆釣だ」
この結末を知っていたら、書店員になって本屋大賞受賞作の帯にコメントを寄せているほうがよほど幸せだっただろう。
ぼくらは文学になるのかもしれないし、ならないのかもしれない。やめろ、とぼくは言う。待てよ、とぼくは言う。
「作者の死」を書き残さなかったとしたら、バルトは文学の記憶に残っていただろうか。
三分。
ぼくは舌でペニスを頬に避けて言う。文学になりたいなら、元増田、ぼくが文学にしてやるよ。最初にここにいたのはぼくらなんだ。昔からぼくらしかいなかったし、この先もずっとぼくらしかいない。
ぼくは何もかもトラバしている。
残り一分。