はてなキーワード: イコールとは
もちろん、貫通式オナホールを買うことにする。
2000円以上買わないとAmazonの送料は無料にならないらしい。
ダンボー君の暗黒微笑に負けた私は、ゆえにオナホールを3つ注文した。
注文確定ボタンを押したときは、不倫した男のような一抹の罪悪感を胸に抱いた。
童貞だけどさ。
「あたしは別に恋してないけど。あなたが勝手にフラれてイクのだわ」
以前増田でオナホのことを書いたら、トラバとブコメで「ゴムを使えよ」とアドバイスを頂いた。
だから私はこの日のために、0.3mmのコンドームを購入した。
これもAmazonで買えば良かったのだが、この手の医薬品?はネットでは買えないと思い込んでいた。
「コンドームはどこですか」と店員さんに聞いたときは、ほっぺたからリンゴが噴き出るほど恥ずかしかった。
なんにせよ、この歳になって生まれて初めてコンドームを手に入れた感慨は大きい。
自分にはできない、と思い込んでいては前に進めない。
現に私はいま、コンドームの箱を手にしている。あきらめてはイケない。
オナホールにローションを注ぎこむ。
けれど、それも「慣れ」なのだ。
何事も慣れないうちは、良さが分からない。
それは全長:14.5cmの貫通式オナホだったが、自分のものが貫通することはなかった。
悲しい。
オナホの先からポタポタと零れ落ちるローションが、涙となって床を濡らした。
「あらあら、小さいのね」
ストップウォッチを止めると、30秒だった。
たいして気持ちよくもないのに、イカされてしまうことが屈辱的だった。
それは男性が女性について誤解をしている「潮吹き」とて同じであるはずだが、童貞はこれ以上何も言うまい。
手だと30分くらいは運動をし続けることができるのに、オナホ相手だとどうしてか早漏になってしまう。
愛が足りないのかもしれない。
「コストパフォーマンス……」
私は一言つぶやいて、また虚しくなった。
オナホの秘口がぬるぬるとして、指先で撫でていると指が気持よかった。
この先、どうやって生き残れば良いのだろうか。
自分一人が周りに向かって話しているか、周りみんなが自分に視線を集中させながら話す(さんま御殿みたいな)かのどちらかの構図にしたがるような。
誰が主役でもない皆が対等な空間っていうのは無意識にそうなっている物なんだろうけど、
それがどうしても理解できないっていうなら一歩退いた視点から状況を把握するよう努めたほうがいいかも。
主張する存在というのは場の流れを変えようとする存在でもあることを見落としているんじゃないか。
存在感がある人イコール何か聞き応えのあること喋ってる人と思っているならそれはあまり良くないかも。
結局いい印象が残るのは話していてテンションが合っていた人なので、素直に思ったことをいうのがベターなのかもしれない。
まあ素直にといっても周りのテンションを下げないように、という前提は当然あるけれど。
実際の現状はそのせっかく回ってた生活保護ビジネスは明るみに出て世間様に叩かれるようになったということだ
世間様は基本的に馬鹿なので世の中が上手く回ることよりも正義面できるかどうかにしか興味がない
時には自分の損にしかならない行動にも惜しげもなく投資する(馬鹿だから)
本来ならばその法の隙間をついていかないといけない国民側が自分から潰しに掛かって
それを利用するマスコミと票が欲しい政治家と利用されてることに気付かない馬鹿国民
しかもだいたい馬鹿国民のイコールが生活保護受給者~派遣アルバイトの貧民という
結論としては日本人頭悪いわって話なんだけどどうやっても世間様の大行進が止まる気配がない
一回国潰れて無法地帯になった方が建て直し早いんじゃないか
自分の好きな曲はイコール歌詞が好きな曲だった。共感できるとか、言い得て妙だとか、洒落てるとか。ある時音楽の素養のある友人に「歌詞なんて気にしたことがない、曲がいいかどうかだ」と言われた。曲がいいとか悪いとか考えたことがなかった。ノリの良い曲だ、とか、暗い曲だ、くらいの認識。
しょっちゅう聞いたことのある曲を好きになるものだとは思っていた。親が好きで車でよく流していた曲、アニメの主題歌、ドラマの主題歌。
とにかく曲の良し悪しの判断基準が分からない。なんかいい感じ、くらいの感覚を良し悪しと言うのだろうか。爽快感とか?意外性?あの時友人に説明を求めたら教えてもらえたのかもしれない。惜しいことをした。誰か教えてください。
婚活パーティーで出会って、話し合うし付き合いましょうかって向こうが言ってくれた感じで。
まあ自分大喜びですわ。これでやっと自分もパンピーの世界に近づける!って。
でも何回か会ううちに違和感に気付いたんですわ。
コミュニケーションに支障はないけど、ときめきというか、相手と一緒にいて楽しいとかこれからも一緒にいたいなとか、そういう感情が皆無。
悪い子じゃない。婚活ってこんなんだっけ……?こんな状態で結婚まで持ってけるのか……?
なんだか諸々に自信がなくなってその子とはフェードアウトした。
今はアニメ見ながら缶チューハイ飲んでる。すこぶる気持ちが穏やかだ。
負け惜しみだよ
私には好きな人がいた。それは中学と高校という多感な時期を一緒に過ごした同級生だった。
私と彼女は中高一貫の女子校で出会った。こう書くと百合だと思われるだろうが、あくまで私の性癖はヘテロであり、好きの感情は友情の域を超えないのだが、確かに私は彼女に憧れていたし、好きだった。
初めて彼女に出会ったのは中学一年で、彼女は隣のクラスだった。同じ部活動の子を経て知り合った。彼女はすらりとした身長で、絵と文章が上手な少女だった。文科系の遊びが好きだった私はすぐに友達になりたいと思った。しかし、人見知りで内気な彼女は話しかけてもろくに反応がなく、あまり接する機会もないまま学年が一つ上がった。
中学2年になって、私は彼女と同じクラスになった。驚いた。まさかこんな奇跡が起こるなんて思ってもみなかった。しかも、彼女と仲のよかった子は全員別のクラスで、彼女は一人で昼食を食べていた。
チャンスだと思った。
私も親しい友人が全員別のクラスになってしまったため、一人で昼食を食べていた。私は彼女に声をかけようか悩んだ。中学一年の時一度話しかけた時にすげない反応をされたことが怖くてなかなか声をかけることができなかったのだ。それでも私はある日勇気を振り絞って言った。一緒にお昼を食べませんか、と。震える声で言った。私の不安をよそに、彼女はあっさり承諾してくれた。それから彼女と一緒に昼食を食べるようになり、どんどん彼女と親しくなり、ついには放課後の習い事まで一緒に通うようになった。
彼女は演劇部の花形で先輩後輩問わず大勢からファンレターをたくさんもらっていた。そのころ流行っていた文章投稿サイトでは常にランキングの上位にいた。出会い系に電話してのこのこやってきた男を眺めるといった衝撃的な遊びをやったりもしていた。まさに、私にできないことを平然とやってのけるッ、そこにシビれるあこがれるゥ!といった感じだった。
それに反して私は実に平凡だった。何のとりえもない、誰にも顧みられることのない地味な存在。満たされない承認欲求を持て余した私には彼女はあまりにも私の欲しいものをすべて持っていた。純粋に彼女が羨ましかった。彼女は常に求められていた。輝いていた。本当に平凡だった私はそんな彼女に一番近しい存在になれたようで有頂天になった。
しかし、だんだん私は物足りなくなっていった。私の彼女に対する感情と、彼女の私に対する感情がイコールでないことに気付いてしまったのだ。
というのも彼女は常に孤独感に苛まれており、さびしい、とか、どうせ私は一人なんだ、とかそんなことばかりを言い、私からしてみれば一緒にいる私はなんなんだ!?という思いにならざるを得なかったのだ。私からみれば彼女の周りは常に彼女を気にする人で溢れていたし彼女は確かに私を含め大勢の人から愛されていた。しかし孤独感なんてものはとどのつまり本人の感じ方次第で、客観視にはなんの価値もないということを解するには当時の私はあまりにも幼く、彼女の状況に寄り添ってあげられず彼女に対する感情をどんどんこじらせていってしまった。
とにかくネガティブな発言をし続ける彼女を否定し、私の望む彼女を彼女に押し付けた。押し付け続けた。まるで彼女の管理者であるかのように傍若無人に振舞った。さびしいだと言えば、何を馬鹿なことをあなたの周りにはこんなに人がいるのに甘えるなと言い、孤独だと言えば、あなたより孤独な人なんていくらでもいる被害者ぶるなと言った。ある時などは、彼女がひどく品のない替え歌を歌ったことがあった。私はそんな歌を彼女に歌ってほしくなかった。再三歌うのを止めてくれと彼女に言ったが彼女はやめなかった。私はついに彼女を平手打ちした。彼女の眼鏡が飛んだ。その後どうして関係を修復したのかまったく記憶にない。だが、飛んで行った眼鏡のことは今でも鮮烈に覚えている。
高校に進学し彼女が学校を嫌がり登校日数ぎりぎりになった時も、私は彼女にとにかく頑張れと言い続けた。あなたには才能があるのだからもっと努力すべきだと。気の持ちようだと。疎外感なんてものは気のせいだ、無力感なんて欺瞞だ、あなたは恵まれているのだからと。
私の言葉が届かないのは彼女のなかで私の価値が低いからだと思った。なんとか私の中の彼女の存在くらいに、彼女の中での私の存在感を持たせたかった。彼女に私を認めて欲しかった。私がいるということを認めてほしかった。しかし中身のないハリボテをいくら繕おうとも全くの無駄で、結局私の想いは報われることはなくそのまま高校卒業となり私と彼女は別々の県に進学した。
遠い地に離れ離れになったが彼女と疎遠になるのが嫌で、私はなんとか彼女との接点を持ち続けようとした。そのころはまだSNSなどはなく、当時彼女がやっていたHPサイトの掲示板に時折書き込んだりメールしたりするだけだったが、とにかく頑張った。連絡すれば無視されることはなく返事はあった。一年に一度会うか会わないかだったが何とか連絡がつく状態を保ち続けた。彼女の住んでいるところの近くに住んでいた友人を紹介してより彼女の情報が入ってくる状況を作ったりもした。なりふりなど構っていられなかった。
そうしているうちにSNSが台頭してきた。もともと熱心にHPの更新を行っていた彼女はSNSでは非常に饒舌で、SNSさえあれば彼女の日々の暮らしや考えていることなどが詳細に知ることができた。
しかしSNSでの彼女はあくまでも昔のままで、いつも自分の不幸を嘆いていた。世間に毒を吐いていた。だんだん周りが結婚し、子供ができ始めた。彼女はずっと結婚願望があり、何人も彼氏が変わったが結婚には至らなかった。
そんなある日彼女がフェイスブックで幸せそうな同級生の投稿に嘲笑われている気がして辛いと言った。日々の生活に行き詰まりを感じていた私はそんな彼女に自分を重ね、そんなに自分を追い込まなくてもいいじゃないかと言いたくなった。ずっと彼女に辛辣なことしか言えなかったが、いまこそ辛さを分かち合えるかもしれないと思ったのだ。
確かに彼女たちは幸せそうで、あなたの望む幸せを持っているかもしれない。私はあなたの欲しがる幸せを幸せとは思わないので彼女たちをなんとも思わないけど、私の望む幸せを彼女たちが持っていたら妬ましいと思うだろう。でも、私の望む幸せはあなたにとってはどうでもいいことだから私の妬みなんて的外れだと思うでしょう。それとおなじで、誰もあなたを馬鹿になんてしていないよ、元気を出して、と。
彼女は怒った。
励ましが欲しいんじゃない。こんなものはチラ裏なんだからいちいち構うな。放っておけと。
壊滅的なすれ違い。私の言葉は一切彼女に届かない、この関係はすでに手遅れだ。そう悟った。いや、ずっと気付いていたけど見ない振りをしていた。彼女の感情に寄り添えない自分勝手な私は彼女にとって彼女の大切な人ではないということに。挽回はもう不可能だった。
彼女はSNS上では他の人には会いたいと頻繁に言っているのに、私に会いたいと言ったことはない。連絡するのは常に私から。誕生日にメッセージを送るのは私だけ。
正直疲れたのだと思う。私の努力なしには継続しない関係に。あまりにも些細なつながりにしがみつき、これは友情だと妄信していた。しかし、こんな関係は友情とは言えない。友情ではないことをずっと認めたくなかったが、私はついに諦めた。
私は怒った彼女にごめんと一言だけ言って彼女をフォローすることを止めた。見ているとやっぱりなにか言いたくなってしまうから。彼女も翌日私がフォロー解除したことに気付き私のフォローを解除した。解除後私について一言だけ、もう会うこともないから別にいい、とのエアリプがあった。完全に彼女との18年にも渡る縁が断たれた瞬間だった。
長い、本当に長い片思いだった。震える指先でフォロー解除ボタンを押したとき、ちょっと私が泣いたなんてきっと彼女は思いもしないだろう。
ただ、いま久しぶりにフォロー解除前後のやり取りを見直そうと彼女のアカウントをのぞいたらなんとブロックされていた。
フォロー解除後はしばらくブロックされていなかったし(未練がましくちょっとの間フォロー外から眺めていた)、フォロー解除後も特に彼女に対するエアリプをしたわけでもないので、少なくともどこかのタイミングで私に対して何かを思うタイミングがありそしてアクションを起こしたのだ。どうでもいい存在であればブロックなんてする必要などないのだから、私という存在が彼女に何かしらの瑕疵を与えることができたのかもしれないことを少しだけ喜んでしまった私は、本当に救いようがない。
なんせ、子供は自分が望んだから作ったわけであり、ちゃんと育てて社会に役立つ人間にしないといかん。
結果的に納税しないようなニートクズになるかもしれないが、そうならないように育てないと。
けど、介護に関してはさ、見捨てたって問題ないと思うんだよね。
だって子供と違ってこれから何かを生み出す存在じゃないじゃん。
子育ても終わりリタイアしてる自分の親に対してもそう思うよ。もう単なる老害。生きてても特に価値はない。死なないから生きているだけ。
「親の介護は放棄した」っていうと「育ててもらった恩はないのか」とか言われるけどさ、
そんな恩勝手に着せられても困るんだよね。
世の中たまに「就職せずに祖父母の介護をしてる」とかいうアホが現れるけど、
介護なんて何も生み出さないものに情熱かけてるとか馬鹿だと思う。
あ、別に介護職員のことバカにしてるわけじゃないよ。彼らは雇用されていて、給料をもらって、それを生活資金にしているのだから、自分自身の生活を支える大事な仕事をしている。
翻って自分でやる親の介護って限りなく生産性ないよね。なんの価値もない。
介護職の人にお金を払って全て解決出来るだけの貯蓄ができてないなら、孤独死してくれよって話。
恩知らず、とかじゃなく、単に親が備え不足だっただけじゃん。勝手にしねよ。
はっきりいってさ、恋愛なんて、多分受験勉強より難易度低いんだろう。
だって、あからさまなクソ馬鹿低学歴ドキュンが楽勝でしてるからね。
一方で、高学歴で高収入なおっさんが普通に童貞でいない歴イコール年齢で、マッタク恋愛できない。
ここに対して、「努力」というアプローチはおかしいと思う。努力で報われるなら、高学歴なんか、一瞬でドキュンを抜いちゃうから。
岡田なんとかによれば、ミスタードーナッツみたいな女の子が多い店で店長やるでもいいらしい。
問題は、身長は高くないし、見た目も普通以下、学生時代はマジメに勉強してて学歴やキャリア積むために音楽とかバイトとかやる暇なかったっすってパターン。
この男達は、世の中的には上に行く奴が多いし。努力は人一倍できる。おそらく知能レベルも平均よりかなり高い。
このパターンの人間が成功できるマニュアルが無い。多分、女性的にもまったくなびく要素が無いんだろう。知性に関して、女はメッチャ鈍いんだと思う。差別でもなんでもなく多分そういう風にできているって話ね。
このパターンの男がモテルマニュアルを作れないのが、よくないんじゃないかなあ。
まあ、でも分からないこともない。
この手の男が万が一モテだしたら、前述のドキュンだの音楽だのは干上がってしまう。干上がることがここ数十年以上なかったんだから、多分、無いんだろう。
というか、あれか。女って目立つ男を好きになるわけだから、こういう目立たず金だけ持っていく高学歴みたいなやり方を直感的に理解できないから、モテるのは無理なんかね。
http://anond.hatelabo.jp/20160218153103
ここまで徹底はしなかったけど、都内で娘二人を認可園に入れた。
・最初の娘は12月生まれで、0歳児保育に入れるに忍びなかったので、1歳から入れた。
・近所の園はすべて0歳児保育で定員を使い切って1歳ではもう定員オーバーと言われ、そこで対策開始。
・1歳の定員も開かないわけではない。社宅地域とかだと、転勤で時々定員が空くので、虎視眈々と狙っておく。
・私が住んでいる地域は、夫婦ともフルタイム・正社員が当たり前なので、持ち点はみなイコール、そこからいかに上積みできるかが問われる。
・待機期間が長かったり、兄弟姉妹が在園しているとポイント上積みがあったりする。
・同じ点数でも、保育の助けになる祖父母がいると不利なので、気を付ける。
・最終的にうちの場合は、近隣の区役所4つを回って、区内の保育園の空き状況と、今後の整備計画をヒアリングした。
・整備計画で大規模拡大が見込まれる保育園があったので、住所をその保育園の近くに移し、半年以上前から待機の状態にしていたら、当選。
引越しはきつかったけど、どうせ賃貸暮らしなんだから、出金は引っ越し代だけ。それで入れられたのなら安いもんです。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
そりゃあ、体に悪いし、脳もやられるからだ。
……何が難しいんだ?
それでも手を出すタイプの人間に、麻薬がなぜダメなのかをこと細かく説明することは効果的ではない。
そういうのは、その界隈の者たちで決めることだろう。
なので、私が推測できることは限られている。
その界隈のトップで輝く者が、その業界で眉をひそめられる行為をする(させる余地を与える)。
というのは、よほどその他の層がふがいなさ過ぎるか、その界隈全体が堕落しているかのどちらかじゃないかな。
あくまで個の問題と捉えるなら、私が語るまでもなく話はシンプルだが。
まあ、その話を私はよく知らないのだが、仮にもプロ同士なのだから猫だましはどうせ効かなかったんだろう?
……え、効いたの。
そ、そうか……。
ま、まあルールブックに書いていなければ、イコールそれはしてもいいってことではないしな。
バスケのルールブックとかに「特定の動物は試合に出てはいけない」とかわざわざ書かなければいけなくなる。
……え、書いてあるの?
私は剛力彩芽の大ファンだ。彼女にはいろいろ批判がある。ネット何かを見ているとごり押しだとか不細工だとか範馬バキだとか言われる。
半ば暗澹たる気分になることもあるが、そんな批判は抜きにして、彼女のことを応援している。
そんな私が、彼女を応援しているがゆえに気になっているのが、彼女が日常的にどの程度ランチパックを食べているのか? という問題だ。
山崎製パンが提供するランチパックは長い歴史を有するパンで、初代のピーナッツは1984年に販売されている。
基本の六種類に加え、訳のわからない抽象的で特殊な味を提供することでも認知されている。
ランチパックのCM。剛力彩芽の魅力を56000%くらい最大限に発揮した素晴らしいCMだ。
ランチパックの手軽さ、ポップさと彼女のイメージが最大限にマッチし、火星圏を含めたCMの歴史の中で、個人的には最大の素晴らしいCMと言えよう。
ランチパックと剛力彩芽は、譬えるならば、シュワルツェネガーとコマンドーとの相性だ。
さて私は如上のように考えるから、剛力彩芽が普段どの程度ランチパックに親しんでいるか? という問題は切実だ。
別に食べていなくてもいいのだが、この剛力彩芽とランチパックとの関係性・程度を知ることで、私のランチパックと剛力彩芽との関係性への認識を深めることはまったく相違ない問題である。
そこで私はそれを知るために未来へのタイムワープを繰り返した。
かつてのSFではないが、未来へ行く可能性と過去へ行く可能性がもし五分五分だったなら、私はどんなに良かっただろう。賭ければいいだけのことだったのに。
そうそう。なぜ未来に行くかと言うと、剛力彩芽がランチパックをどの程度食べるか? という問いを解決するためだ。
未来においては、空間の成分や空気の振動をネットやテレビなど電子製品の電子から検出する技術が確立されていよう。
剛力彩芽の自宅や楽屋、近くのコンビニに、電子的に接続されたネット環境やあるいはカメラなどがない、全く無い、と言う可能性は低い。
未来のデバイスをもってすれば、剛力彩芽の挙動を様々なデバイスから検出することが出来るだろう。そこからランチパックと彼女との親和性を追究する、というわけだ。
それを求めて私は未来へと旅して、半ば当然のごとく2070年代の標準的なネット探知デバイス(新聞やカメラの情報を析出できる装置)を手に入れることが出来たわけである。
さてランチパックをめぐる旅は折り返し地点だ。
私は過去に行く方法を求めて、逆説的と思うがさらに時を進めた。
西暦でいうと225845年、私はいよいよ、解りやすく言うと不老不死の境地になり、継続して思索することになった。
やがて西暦でいう145290352年に、ほとんどありとあらゆる思索を繰り返した結果、過去に戻ることは不可能という認知に達した。
これは私に対して悲観的な感情をもたらしたかと言うと、全くそうではない。絡め手を考えていた。
ちょっとした挫折のあと、過去のあらゆるシチュエーションをシミュレイトする装置を23年かけて(取るに足らない年月だ)発明した。
これは円周率の応用だ。円周率は無限につながるので同じ数列が必ず無限回登場する。例えば1087という数字の並び。無限回。
これと同じことを剛力彩芽がランチパックをどの程度? に置き換えるわけだ。
答えはわかった。簡単なことだった。私はついに、過去には戻らずとも過去の完璧な様態を再現することを可能にした。
再現された剛力彩芽とランチパック、と周囲の環境。完璧な再現だ。
いわば過去に戻れたのだ。そこで剛力彩芽は・・・ランチパックを・・・
しかしこの結果ででた強力菖蒲とランチパックの関係は、はたして西暦2010年代の剛力彩芽とランチパックとの関係と全くイコールなのだろうか。
シミュレーションで再現されたシチュエーション。科学的には完璧だ。完璧に剛力彩芽はランチパックをああしていた。なるほどね~、という感じ。
しかしこれは・・・。西暦でいう145290300年代で再現したこれは・・・同じなのか?
シチュエーションを完璧に同じにして完璧に再現した。実験ではこれが望ましい。何度も試した。何度も同じ結果。正しい。正しい。科学的だ。再現性の問題。
しかし実験1と追試は同じなのか? 円周率で初めに現れた1087と次に現れた1087は同じなのか?
私は今でも、この時代にあっても、超企業山崎製パンのランチパックをコンビニで食べる。伝統の味だ。
そして終わらぬ思索を続ける。