はてなキーワード: DTPとは
弊社はWeb制作を専門にしていないが、食品会社相手にチラシを作り、おまけでWebデザインをやっているDTP専門会社だ。
先月からホームページリニューアルに向けて動き出したが社内に美大出身のデザイナーがいるためデザインは社内で行う。
何が駄目って、画面が狭いんだよ。チラシじゃないんだからさ・・・。
Webデザインだから余白を大事にしてほしいって思うけど、「縦長になりすぎたらコーディングの料金が高くなる」とさ。
最近のデザインって、画面全体に広がってるデザインが多いと思うんだけど、今リニューアル案として上がっているデザインは左右に余白がある。
だから、時間をかけて「こういうデザインが流行っている」「余白を広げたり、文字を大きくしてほしい」とやんわり伝えているが、まったく聞き入れてもらえない。
多くの方は「激務に心が折れたか?」と考えるかも知れない。まさにその通りだ。
天才たちが1件数千万円、数億円みたいな超弩級の案件を挙げつづける横で、細々と1件500万円みたいな案件をコツコツと積み上げノルマをでクリアするという平々凡々な営業だった。
天才たちに囲まれて彼らの足もとへギリギリ届くくらいの成績を挙げるには彼らよりも長い時間をかけて働かなければならず、約15年間走った営業人生の中で2度仕事中に倒れた。
2度目のときは医者から「このままだと死にますよ」と叱られ、妻にも泣かれ、小さな息子が居たため、営業を続けることを諦めた。
営業人生の中で唯一誇れることは、まだまだ小さかったIT業界へお金を回していたことだった。
500万円という小さな金額であっても私は平々凡々な営業だったので最初から挙げられるはずもなく、訪問先へ苦労しているうちに辿り着いたのが当時ASPと呼ばれ・・・いや自称していた小さな小さなIT業界だった。
彼らの組織はだいたい4〜5人ほどしか居らず、多くても20人には届かない程度。奥さんが経理をやっていたり、労働基準法なんてものは無いかのような業態、主力商材はiモードサイトの作成、私に語るのは夢物語のようなインターネットの未来、何なら人手が足りず私すらコーダーとして参戦するような有様だった。
「社長、社会保険は払わないと不味いですよ労基署に見つかったら・・・」「でもお金無いんですよ電気代もタダじゃないしソフト高いし」「私が案件持ってきますんで社会保険だけでも何とか捻出しましょうよ」のような会話をよく繰り広げた。
会社へ戻り天才型の大先輩へ対して本気の土下座を敢行し、30分程度頭を地に付けていると先輩が折れ、お金のある病院やら銀行やら公官庁やらを紹介してくれてホームページ作成案件を得て、直ぐにIT企業へ融通した。
おそらく多くの人が馬鹿だと言うだろうけれど、ここまで一切の売上はない。
私は夢物語を語る彼らが正しいと信じ、同時に彼らしか私のノルマを減らせないので必死になって運命共同体となり働いていた。
それでもある会社は労基署にバレて業務停止命令をくらい、ある会社は堪えきれなく倒産し、ある会社は社長が従業員に給料を支払うため首を吊った。
首尾よく情報サイトやレンタルホームページやレンタル掲示板サービス、軽量化Proxy、検索サービス、広告プロバイダあたりがヒットした企業は生き残った。
流れが変わるのは小泉政権IT革命時代で、そこから私は先見の明がある優秀な営業マンであると社内で評価されるようになったが、これまでの無理が祟ったのか成績がやっと見れるものになってきたなと思ったら前述したとおり倒れてしまい退職した。
転職し、営業時代と比較したら悠々自適と表現しても過言ではないような生活をしている中で1人の若者と出会う機会があった。
その斜陽産業は何かと言えば誰しもが絶望するだろう「製本」だ。
当初は「DTP」と聞いていたので困難ではあるけど未来は絶望とまではいかないと考えた。しかし詳しく聞くと「製本」だった。
跡取りよ、格好付けて「DTP」と答えるなよと言いたい。DTPと製本ではIT業界に例えるならば「CPUの製造」と「H8の製造」くらい印象が違う。
更に詳しく話を聞いていると「この会社はお爺さんの代から始まった会社であり、可能ならば跡を継いで会社を続けたい。しかしもし製本が立ち行かなくなれば人生としてそれは大変厳しいものになるのは間違いない」というものだった。
跡取りの言い分はもっともだと感じた。ここから10年20年何とか会社を継続して、その後に倒産の憂き目に遭えば年齢から来る就職難になってしまう。
現在の跡取りは20代であり、確かに自分の人生のため方向転換するなら絶好のタイミングだと言える。
そして3代とは言え家業を継ぎたいという気持ちもわかる。ある種の親孝行とも言えるし、もし家業が再び上向きの軌道に載せることが出来れば、コレほど満足行く人生は無いだろう。
跡取りの語り口は本物だ。家業を立て直したいという熱意が伝わってくると共に、泣く泣く諦めなければならない可能性が高いという現実も見えている。
私はその姿に若かりし頃に見た小さな小さなIT企業の経営者と従業員たちを重ねてしまった。私はおそらくこの跡取りに協力すると思う。
しかし、私には証券関連以外の知識はIT関連の知識しかないので、製本とWebサービスを絡めたことしか協力できない。
幸いながら私はこれまで世間に知られる前に消えていった数多くのIT企業を見てきたし、今やインターネットユーザならば誰しもが知るIT企業の黎明期に人員不足から開発へ参加し、地べたで一緒に川の字になって寝たこともある。
それらの経験から明確な計算式を私は持っている。つまりこれが最低限達成できなければそのプロダクトは上手く行かないというものである。
それは「1つのWebサービスが日本で達成できる理論上の全ユーザ数は約1000万人」であることを前提に「無料サービスであれば、そのサービスに登録する全ユーザ数の内2%から全コストを賄うという目標を3年以内に達成する」というものだ。
これは「Webサービス開発運営の年間コストが1億円ならば1000万人のユーザから10円ずつ徴収すると良い」というのは馬鹿の考えであるということだ。日本国民全体から1円ずつ貰えば1億2000万円になるじゃん!という考えと同じ。無謀だ。
理由はわからないのだが、Webサービスというものは何故か積極的に参加しつつWebサービスを維持するために課金しても構わないという強力なファンが全ユーザの2%前後に収束する傾向がある。再度言うが理由はわからないのだが長期的に見ると何故かそうなる。
つまり年間コスト1億円であるならば1000万人の2%、20万人で1億円を得なければならない。1人あたり年間500円だ。
ただ、実際はユーザ数1000万人などというのは途方もない数字なので、年間あたりに投資できる資金から最低限必要なユーザ数を逆に割り出すのが良い。
現実的に考え、そこそこ本気でやってるWebサービスを想定して年間コストが2000万円としよう(ちなみにスマートフォンゲームなどはこんなものでは済まない)。
そして次に課金額を決定する。この課金額は課金コンテンツの平均値ではなく中央値を考えたほうが良い。つまりユーザがよく課金するであろうコンテンツの価格を決めるわけだ。
現代のWebサービスの課金コンテンツでは一般的に年間6600円程度掛かることが多いので取り敢えずそうする。
これで課金するであろう2%のユーザ数が想定できる。約3030.30人だ。2%のユーザ数が出たので100%のユーザ数もわかる。約15万1515.15人だ。
ここから更にアプリストアの手数料なども換算しなければならないので、課金額を減らせば獲得しなければならないユーザ数は増えるし、課金額へ手数料を上乗せすると課金して貰える障害が増える。
これを3年以内に最低限達成しなければならない。本音を言うと1年以内に達成するのがベストというかそのつもりでやらないと3年間も走れない。
忘れてはならないのがこれはWebサービスを不安なく維持するための費用なのだ。従業員の給料などは想定されていない。
だからこそスマートフォンゲームはあの手この手でユーザの課金額を高めようとするし、ユーザの課金率を上げようとしている。
SNSなどは全ユーザ数あたりの企業アカウント率を高めようとし、企業アカウントに広告出稿などで課金させることで課金アカウント2%を超えようとしている。
これを先ずは跡取り(とその両親である役員)に飲んで貰わないと話が進まない。おそらくは大抵の人が引いてしまう数字だとは経験上理解している。
もちろんこれから製本や印刷を求めるユーザが魅力的だと感じるWebサービスを考えなくてはならない。
私の頭の中にはひな型程度はあるが、そのひな型が跡取り(と両親)が気に入るとは限らないし上手く行く保障もない。
役員たる両親には現在の製本工場とその従業員を守るという意識があるだろうし、斜陽産業と自覚していても軽々しく冒険は出来ないだろう。
この辺りは私の営業としてのトークスキルが重要ではあるが私は平々凡々だと自覚しているので力不足で終わるかも知れない。
跡取りのやる気を維持しつつ更なる現実を見せ、両親を説得し、要件をクリアできそうな私の知るIT企業へ開発を委託し、ミーティングを繰り返し仕様書を作り、開発を進め、デプロイした後は跡取りと私が運営することになるだろう。
このようなことを考えていると若かりし頃を思い出し懐かしくなってくるが、家庭がありながら馬鹿なことに首を突っ込もうとしている私は妻から愛想を尽かされてしまうかも知れない。
極力、休日を使おうと考えては居るが、休日が足りなくなったら現在の職も辞めなければならないはず。何とも馬鹿馬鹿しい身勝手な男だ。
学生時代にフリーペーパーを作っていて、それなりの規模で配布していて、編集長という立場でイキっていたところ、
大学を留年しすぎていよいよヤバイという段階になってしまい、そのタイミングで知り合いの出版社に拾ってもらいました。
今は雑誌編集の仕事をしていますが、やっている事自体は学生の頃とそんなに変わりません。
企画から執筆、撮影、アポ取り、デザインといった一連の流れです。
が、恐ろしく自分の実力が足りないことに気付かざるを得ないので、社会人スゲー!と思うところをあげていきます。
・企画の発想がスゲー!
今どき、いわゆる広告っぽい発想はどんな学生でも知っていて、「ターゲットのペルソナ」だとか「ネクストアクションの誘導」だとか、自分としては知ってはいるけれども、安っぽくてホントに使えるのかこの理論武装は?と思っていました。正直めっちゃバカにしていました。でも、それが効果を出すかどうかぶっちゃけ分からなくても、効果出るっぽく話してお金引っ張ってこれるし、実際施行してみればビミョーに反響あったりするわけですよね。アンタ自分に嘘ついて話していないっすか!?とか思わんでもないけど、実績出せるのはやっぱりスゴイこと。
僕は文章書くのが好きで、それもあってフリーペーパーを作り始めたわけなんですが、社会人の書くスピードってエライ早いんですよね。僕だったら1000字書くのですら1時間かかるもんですけど、あの人ら2-30分とかでペペっと書いちゃうわけです。いやいや、テキトーに書いているんちゃうん?と思って読んでみると、ずいぶんしっかりしているし、ところどころでシャレっ気のある表現すら差し込んである。いやいやいや、精神と時の部屋にいたんですか?僕も入れてくださいよ。
・撮影の精度がスゲー!
写真撮影も僕、やっていたんですよね。5Dmarkⅱなんて名機を使ってそこら中撮るのが趣味だったし、今も仕事でやらせてもらうわけです。この間、パイセンのカメラマンと一緒に撮影に行くことがあって。取材ラフに基づいてバシャバシャとって、「ここにテキストが入るから、空は広めに撮ってー」なんて話しながら、それっぽく撮っていました。帰ってきて、2人の写真を見比べたんです。さすがパイセン、全部僕の写真よりいいっすね!と思って聞いたんですよ。「今日はどれくらい枚数撮りました?」って。したら「50枚くらいかなー」って。ええーー!!僕は200枚くらい撮ったのですが!!僕の1/4のコストで2倍くらいいい写真撮るの、やめてもらっていいすか!!!
・デザインもやっぱりスゲー!
いわゆるDTPデザイナーさんもいるんですけど、なんだろう、デザイン的な思考における発想がスゴイんですよ。僕が持った記事があって、デザインのラフなんかもこっちで作って、写真素材と一緒に渡したんです。で、ラフ自体は僕にとっての正解だったんですが、順当すぎてなんか面白くないなー、と正直思っていたんです。具体的に言えば、2pで店舗紹介するっていうページで、住所だ電話番号だの情報を一番左下に置いたんです。四角で囲んだりして、ここは情報だよー!見なくてもいいかんねー!というデザインだったんです。ところが、、デザイナーさんからレイアウトが上がってくる時……「ごめんよー、せっかくラフ作ってもらったんだけど、ちょっと変えさせてもらいましたー」と添えられて、店舗情報の位置が変わっていたんです。それが、一番右上に、いい感じのあしらいがあるから何も不自然じゃなく!そう、デザイナー的素晴らしい発想で、おもっきし変換してくれたんです!「ごめん」なんてとんでもない。アンタ、デザインセンスだけじゃなくて性格もいいんか?
隔月の雑誌だからそれなりに忙しいんですけど、常に3−4個くらいの企画を抱えているわけですね。で、僕なんかは一つ一つ丁寧に、悪く言えば(大人から言わせれば)時間かかりすぎなんですよ。全部が確定しないと次に投げられないというか、ファジーな部分を残したままパスできないんです。そんなことをパイセンに相談したらば、また良いこと言うんですよ。「いや、ファジーならファジーで『ここが確定していないです』と伝えればいいだけで、とにかく自分のボールをひたすら投げ続けないと潰れちゃうよ」と。事実、僕は潰れそうになっていたところで…。ウワーン!パイセンまさにそれーー!!まさしくそれー!!まさしー!
4万くらいの、日本製のやつ。
うちにはノートPCとスマホはあるが、テレビがもう長らくない。
アマゾンプライムで動画見るのに、ちょっと大きい画面で見たいな〜と思ってモニターを買うことに。
1万からあるけど、せっかく大きい画面で見るのだし、買って失敗したーとか思うのが嫌で
レビュー読みまくってこれにした。
が。なんだろ、アマゾンプライムのドラマをモニターで見てみるも、キレイ!臨場感たっぷり!とかではない。。
たしかにこのモニターのメインレビュアーはドラマ見る層でもゲーマー層でもなかった。
絵を描いたりDTPやったりしてる人たちだった。
ううむ。
そう言われてみたら、とても正確できれいな感じがするかも。。
猫に小判を若干感じている。
現役の校正者です。出版社の校閲部所属ではありませんので、多くの出版社とお付き合いさせていただいてます。
幻冬舎の見城徹社長のインタビュー(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/05/post-12205_1.php)と、そのブコメを拝読していて、いろいろと解説できることもあるかもしれないな、と思いましたので、一般的な校正フローがどういうものか、ということについて、増田で書いてみようかなと思います。
この段階で、完成原稿扱い(を目指す)というのが一般的です。なお、上記の説明では「完成」の判定を誰が責任を持つのか、デザイナーとDTPオペレーターの職分の厳密さ、あたりがすっぽ抜けているんですが、そこの解説は省略させてください。パターンがいろいろありますし、枝葉の話かと思いますので。
とても高い正確性が求められる書籍(例えば辞書)の場合や、再校での修正量が想定以上に多かった場合は、さらに「修正指示が反映されているか」「もう一回読み直し」とサイクルを予定している/追加していく場合もありますが、だいたい多くの書籍では「初校・再校」の合計2回まででまとめていると思います。
『日本国紀』はあのあり方、ページ数などからみて、三校、四校まで実施しているかもしれません。遠くから眺める限り、いろいろと大物な予感がしますので、ちょっと再校まででは済まない印象がします。単なる勘ですけど。そういう意味では、インタビュー内の「通常の3倍以上」というのは、六校、七校まで実施した、という意味かもしれないな、と思っていたりします8-)
校正作業を行うにあたっては、「リスクを認識した場合、そのリスクをクリアするためのチェックフローを追加する」というスタイルがよく採用されます。実務に沿って言い換えると、まずは「編集者からの依頼としてチェック項目のリストが渡され、それを元に読み進める。そして、実際に校正作業を進めてみて新たに発見されたリスクについては、適宜、リスクに応じたチェックを追加する」という形です。言葉にすると当たり前なように聞こえるかと思います8-)
これを剽窃チェックにあてはめると、「この原稿にはWikipediaコピペが含まれていそうだ」と判断した場合に、「Wikipediaコピペを検知するための確認作業を追加する」ということになります。
Twitterで、小池みきさんが「社内校正のときに「ウィキのコピペをしてないかチェックする」って作業があった」とお話されていました(https://twitter.com/monokirk/status/1133240351123099648)が、これは、続きの「ネットに詳しくないおじいちゃんの郷土史家とかはけっこうやってしまうので」というのが重要なポイントで、リスクが高い状態がすでに認識されていたからこそ、コピペチェックが定型フローに含まれていた、ということだと思います。
なので、「『日本国紀』はWikipediaコピペのチェックもしていないのか?」という問いに関しては、「百田尚樹先生の文章について、なんらかの剽窃リスクが高く見積もられていなかったならば、編集者から提示された最初の校正依頼の項目に『コピペチェック』が含まれていなかったとしても、特別におかしいとまでは言えないと思う」という回答です。
そもそもとして、剽窃は絶対にしてはいけない・出版倫理にもとる、というのが大前提なので、「著述家として実績を積み重ねた方であれば、剽窃や不適切な引用はしていないはず」という認識を基本とするのはわりとベーシックです。例えば飲食店において「お客様は全員きっと食い逃げするに違いない」という強いリスク感を持つのがさほどノーマルではない、みたいなことで、「剽窃があるかもしれない」とは考えますが、「剽窃があるはずだ」と強く疑ってチェックを重ねるのはコストが嵩みすぎる、という判断をします。「存在する可能性が高いものを探すコストをかける」のと、「存在しない可能性が高い(と考えられる)ものを探すコストをかける」のは現実的には違うのです。校正作業にも締め切りや予算がありますから。
ですから、多くの校正作業においては、「この原稿、コピペが入ってるのでは? 剽窃かも?」というリスクをどこかではっきり認識したら、その時点からコピペチェックを追加します。「おそらくあるはずだ」に頭を切り替えるからです。「私の場合は」という但し書きはつきますが、おそらく多くの校正者がそうしているでしょう。
では、「最初は偶発的に発見するしかないの?」という問いに関しては、「はい。ある程度は偶然に頼ります」というアンサーです。ですが、ベーシックにファクトチェックを実施していれば、どのみち辞書・インターネット・専門書等を駆使して大半の単語や記述を見比べながら読むこととなり、「剽窃・不適切な引用が多数存在した場合、そのうちのどれかひとつを発見する」という可能性はそこまで低くないと思います。特にWikipediaからのコピペの発見は多少は期待できます。実際、私自身も何度もそのような経緯でコピペ事例を発見したことがあります。検索さまさまです8-)
一方で、参考文献のリストがそもそも共有されていなかったり、それが不完全だったりすれば、「どこから引っ張ってきたのか」の見当をつけることさえできないので、かなり発見が難しくなります。
校正作業(チェックリストの項目)は追加すれば追加するほど期間と金銭コストがかかるし、無限に時間をかければ当然ペイしなくなってしまいます。なので、特に校正フローの最初においては、クリティカルな点や、質への貢献が高い項目を重点的に校正する、というのが多くの場合の実情です。
作品固有の事情として、『日本国紀』がどういう売り方で、どれくらいの期間、どれくらいの利益を企画していたか、ということは外側からではわからないので、「通史で全部のファクトを細かくチェックしていけば、校正だけで5年はかかります」というコメントから、「じゃあ5年かけろよ」とだけ言って終わらせてしまうのは、理想的ではあるものの、現実的に可能かどうかはわかりません。
2019/05/31追記:「通史で」というところもポイントなんですよね。そもそも『日本国紀』を通史相当とみなすのか否かから検討されなくてはならない。一般文芸書と学術書では求められるレベル感が違いますもの。
金銭や時間が膨大にかかる理想をすべての書籍に一律に求めることはできない実情は既にあるので、「『日本国紀』という作品については、どれくらい理想を突き詰められたのか、突き詰めるべきだったか」という評価・判断と合わせての評価のほうが、現場にとっては建設的であろうと考えます。これは単に「校正現場にとっては」という話であって、思想云々、歴史云々の話は学術・芸術的な観点を含むため、また別枠だと思います。今回の増田でそのあたりを取り扱うつもりはありません。校正作業の話だけをします。
最初にお断りしたとおり、私は『日本国紀』をまだ手にとっていないので、どれぐらいの校正コストが支払われるべき作品だったのかについて、特に言えることがないです。もしもこの増田に反応が多ければ、その時は目を通してみようと思っています。その場合は見積もりのために数日ください;)
現に剽窃や事実誤認や誤記と見られる(らしい)記述が存在したそうですから、「『日本国紀』において校正フロー全体は正しく機能していなかった」は正しいと言えるとして、ではその原因は何か?については妥当な推測ができません。例えば期間や予算がなかった、あるいは校正者の実力自体の不足で、(作品としての理想、読者の皆様からの期待の両面から)求められる成果にそもそも達していなかった可能性はもちろんあります。また、あるいは部分的に達せられていたとしても、編集の方、著者の方にご確認いただく過程で、指摘が却下されている可能性もゼロではありません。
「校正者」という個人、さらにその校正力にだけ、校正フローの機能不全の責が向かうとすれば、必ずしもそうとは限らないですよ、ということぐらいは言わせてください。
……という感想はさておき、インタビュー内の「版を重ねて修正するのはどの本でも当たり前のようにある」は事実です。また、特段の事情がない場合、サイレントで修正するのもよくあります。
ただ、ごく短い期間で版が何度も更新され、さらに刷りを重ねているとなれば、最新の版以外を「古いもの≒正確でないもの」と認識した上で取り扱ってもらえるのが望ましいでしょうし、その必要性の度合は文芸小説等よりは高いと思います。広辞苑や記者ハンドブックなどを使用する際に「第◯版を使った」というのが重要視されるように、『日本国紀』第◯版読んだよ、みたいな感じで。
増田でこんなに長くていいのかって思いながら書きました。すいません。
自分語りするけど増田は絵は好きだけど下手で、同人活動などもしていたが話は面白いけど絵が下手という評価だった。話がいけるならと無謀にも漫画の持ち込みしたら、やはり絵がダメと言われた。この時点で25才。やめておけばよかったのかもしれないが、絵が手っ取り早くうまくなるには…と考え一部では有名な曙橋のイラスト教室(今は閉校)に通ってクロッキー(素描)とかやりまくった。多少はうまくなったが…漫画・アニメの絵が今度は描けなくなってしまった。
クロッキーのおかげで、どちらかというと広告イラストとか無難な絵は描けるようになった。これは自分の描きたかったものだろうか…と思ったりもしたが、その時はまだ描くのは楽しかった。別のイラスト教室というかイラストレーション塾に通うようになって、仕事のストレスにより精神が悪化してパニック障害になった。ここのイラスト塾は先生が結構きつい人でクソミソに言われるんだけど、「君の絵は漫画みたい。他のイラストレーターの絵を真似したほうがいい」と言われたときは、仕事後の疲労困憊状態もあり心がポッキリ折れてしまいそのまま行かなくなって中退してしまった…。
今は広告会社で底辺デザイナー+DTPオペレーターをしている。なにか創作したいなとか、コンペに出したいとか、漫画を描きたいと思うものの、頭が働かないのと疲れてしまいただの夢破れたメンヘラです。メンタルクリニックからもらった薬を飲まないと怖くて外出できないし、会社では必死に社会人として見えるようになんとかして、部屋はグチャグチャでこんまりが見たら激怒しそうな感じ。こんなんでも「描かないと下手になるからなんとかしなきゃ」とか無意識に考える。でも描けない。つらい。惰性で生きてるだけなんで安○死したい。
依頼された仕事が終わって以降、どうにも落ち着きが悪く、未だに引きずってしまっているので文字にでも起こしてなんとかこの気持ちを整理して供養したいと思います。
私はグラフィックの専攻生ではありませんでしたが、デザイン学生時代に授業でイラストレーター・フォトショップの使い方を一通り学び、WEBデザイナー・コーダーとしての実務を1年ほど積んだ経験があります。
実務経験が浅く、あまり難しいことはできませんが、簡単なDTPデータ作成や、簡単なWEBサイトのデザインやコーディングなら行えます。
今はほとんどデザインの仕事はせず、平日週5でOLをやってます。
新規開拓のベンチャー企業で、開業に付随する印刷物デザイン・ウェブサイトデザイン構築全てを任されました。
制作物は以下の通り。
・フライヤー片面A4
・パンフレットA5 8P
・イラスト 2点
・名刺 片面
制作期間は全てを1ヶ月半で。
「お金がないから5万円で!」とお願いをされ、そんなに沢山作るしあんまり時間もないのに5万か…とは思うものの、自分の技術は素人だし、頑張る友人を応援していたので、「本当はもっともらいところだけれど、出世払いでよろしくね!」と引き受けることにした。
もちろん、日中はOLとして働いているので平日昼間の作業はできないことも伝えてあります。
友人なので、お互い思ったことは何でも言い合い、まずはイラストの作成からでしたが、何度も修正しながら作り上げました。
はじめこそ、友人として、彼の新規事業を応援したい気持ちが強く、やる気満々で作業に取り組めていた私ですが、こだわり気質の友人からのOKはなかなか出ない。
友人には完成イメージがあるので、それに近づけてゆく作業でしたが、彼の完成イメージも最初からある訳ではないので、そこへたどり着くまでがほとほと長い。
イラスト2枚の作成に休日丸3日、ウェブサイトのデザインとコーディングには1週間ほどかけた、と思うが実際どの程度時間がかかったかは覚えていない。日中OLの仕事が終わっても、毎日3〜4時間ほど打ち合わせや作業をしていた。
ウェブサイトは今後私が管理するにしても、管理費は出ないので、できるだけ私が管理しなくても良いよう、wordpressを使って、簡単に更新ができるような構築に。
通販もしたいが、アマゾンや楽天での委託では手数料が多く取られ赤字になってしまうと言うので、作成したサイトにウェブショップのシステム導入を提案し、通販できるような仕組みを作成した。
はっきり言ってもうこの辺りで完全にやる気が出ない。もう5万円の作業量はとっくに超えたんじゃなかろうか。
そんな気持ちが日々頭の中を巡るようになっていました。
まず中身の文章データや、グラフや写真の画像データが一向に届かない。どんどん締め切りは迫っていくし、それらのデータがどんなものなのかも知らされていないのでなかなかデザインも進まない。私が知っているのは大雑把に各ページの概要だけ。
本来であれば事前にしっかりと全体イメージを把握し、そういった素材が全て完成した状態でデザインラフをあげ、作成していくのが順序だとは思うのですが、彼はオペレーション意外にも仕事が忙しく、しっかりとしたイメージ共有など、そのような手段は取れませんでした。
写真データを使える画像にするために加工をするところから始め、レイアウトを考え、やっと見せられるデータになるまで3日。
修正を加え、納得してもらえるデータになるまで4〜5日。「今日絶対入稿して」と言われ、データを変換し、入稿用データを送る。
日中、入稿後のデータチェックで変換ミスの連絡があり、帰宅後修正し、再入稿。
同じようにフライヤーも作ったが、フライヤーに関しては「2日で入稿して」と言われた。おおよその情報はもらっていたが、細かな文言などは自分で考えてと言われた。
とにかく急かされ確認用データを送ると、スペルミスがあり、修正。
更に追加でウェブ用の画像も作成し、セミナー告知のためのページを作れとのこと。今日中に必要なのですぐ作ってくれとのことなので、平日帰宅後すぐ作った。
完全に私は疲弊していた。
どれだけやっても、急いで作業をしても、もらえるお金は変わらず5万円。
不満は溜まるばかりだった。
プロのデザイナーをしている友達が忙しそうだね、と声をかけてくれたので相談したところ、 「ありえないよ、最低50万の仕事量だよ!?ちゃんと値段交渉しなよ!1人でこなすの大変だし、いつでも手伝うから言ってね」と言われた。
手伝いを依頼したいのはやまやまだったが、そもそも5万円しかデザイン料に割けないと言われているところで、プロのデザイナーである彼女へお給料を払える余裕は無いと判断。本当にありがたかったが、手伝ってもらうのは諦めました。
それと同時に、プロだったら50万円ももらえる仕事だったのか…と思い、相場を調べ、自分の技術が無いことを加味しても、おおよそ15万円ほどならもらっても良いのではないかと思った。せめてそれぐらいの働きをしている、と私は思っていた。
給与に関しては、聞いていた日に入金が無かったので、友人の会社の事務の方へ直接連絡したところ、翌月の振込になるとの回答だった。
制作代で必要な分があれば別途請求を立てるようにも言われたので、もう少しお金をもらっても良いものなのかな、と少し希望がわいた。
彼の言い分はこうだ。
・給与の不満が多く、やる気が見られない
・やってあげているような傲慢な気持ちで作っているように感じる
・本当に応援してくれているのか疑わしい
・自分達はプロとして仕事をしている 私の犯したミスはプロではあり得ないものばかり
・私が日中仕事をしているので修正依頼しても、結局夜にした入稿できず、一箇所修正に丸日かかることが不満
・社長がフライヤーのデザインに満足していない 期限もないので印刷したものはこのまま使用するが、作り直しをする
・プロに依頼するのであれば、それ相応の額を支払っていたが、私への依頼だったため5万円だった
・依頼したので5万円は払うが、もう5万円払うのも不本意である
・友人関係は今後も続けたいので、お互いにリスペクトの精神を忘れないようにしよう
私はもう反論する気力もなかった。この後私が何を言ったかもう覚えていない。
それほどまでに疲弊していました。
よくわからないままその日は眠り、翌日友人に言われたことを考え始めると、悔しくて悲しくて涙が止まりませんでした。
たしかに私はプロではないし、クオリティが低かったのだろうと思う。
それでも全てのデータを逐一友人にも社長にも送り、確認してもらい、OKが出るまで修正していた。
コピーも自分で考えて入れてと言われたので、私が入力した。誤字脱字が不安だったし、誤入力があってはいけないので確認をお願いしたが、その際に発見された誤字脱字もプロだったらありえないミスだ、とのこと。
そりゃ私みたいな素人がプロクオリティのデザインをできるなら良かったんでしょう。でも私はプロじゃない。自分の技術不足なんてわかってはいるけれど、素人だからという理由で依頼をしておいて、あんまりな言われようだと思った。
全ての作業が終わるまで、2ヶ月ほどかかった。私の日給は1000円にも満たないのだと思うと、また泣けてきた。パンフレットやウェブサイト、名刺はこれからも使い続けるそうだ。彼らは日給1000円にも満たないお給料で私に作らせた商品でこれからお金を稼ぐらしい。
何より「デザインにお金をかけられない」という理由で私以外には頼めないものだと言われて引き受けた仕事だったけれど、本当のところは「プロに依頼するならそれなりのデザイン料は出せるが、私だから5万円以上は出さない」という方針だったことがショックだった。
私の仕事には日給1000円、時給にしてしまえば125円の価値しかないと、最初から思われていたのだ。
時給125円の価値しかない私に「やってあげている」ような態度を取られるのは、さぞ癪にさわることだったろう。
その程度の私が「お給料をあげてほしい」などと言うのは、身の程知らずだったのだろう。
彼は「仕事をさせてあげている」私が、不満を持って仕事をしていることが許さなかったのだろう。
私は彼から事業の話を聞いた時、絶対に成功してほしいと思った。だからこそ、5万円で仕事を請け負ったし、彼の要望には出来る限り応えられるよう対応してきたつもりだった。
大したクオリティは無いが何でも言うことを聞いてくれる、時給125円で仕事をさせてあげている便利なやつだったんだろう。
そんなことにも気付かず、自分の時間を削って仕事をしていた私は本当に馬鹿だ。
傲慢な態度が嫌だと言われたが、最近から最後まで傲慢だったのは彼のほうではないか。
互いにリスペクトし合って友人関係を続けようと言われたが、ずっとリスペクトなんかされていなかった私がどうやって彼をリスペクトすれば良いのかわからない。
彼はとても良い友人だった。
どんな悩みも打ち明けることのできる唯一無二の友人だった。
彼は「言いにくいこと全部言うけど」と前置きしてこれらを私に言ったが、彼には「言いにくくても言うべきこと」と「言ってはいけないこと」の区別がついていないのだろうと思う。
昔の私ならきちんと指摘できたと思うが、もう私は彼と関わりたくない。
彼は私に「友達だから」思ったことを素直に言ったのだろうと思います。彼は私を「時給125円以下の女」扱いしていることに、たぶん気付いていません。
誤解の無いよう書き留めておきますが、彼は悪気のある言い方を一切しませんでした。しっかりと言葉を選んで、本当にただ、私の悪いところを指摘して改善してもらいたかったんだと思います。
ただ素直に私への評価を伝えてくれました。「大した技術もなく時給125円以下の価値しかないくせに傲慢で偉そうで金の話ばかりしてくる女」だと。
私は彼の進めているプロジェクトを高く評価していました。だから安い金額でも、こんなむちゃくちゃな仕事をなんとか頑張ることができました。
私を選んで依頼してくれた彼に、私が彼に対して思うように、私を評価して欲しかっただけでした。それが傲慢だったということなのでしょう。
彼らは今後も夢に向かってひたむきに走り続けるのだろう。
是非がんばってほしい。
今後何か困ったことや酷いことがあったとしても、全て私のせいにして生きていってほしい。そう思うことで彼らが楽に生きられるのなら。
これからもし、「ただ安く済ませたいから」という理由で人をこき使おうと思っている方に知っておいて欲しいのは、「人間は評価された分しか返せない」ということです。
やる気の問題ではありません。根性論なんて糞食らえです。あなたが傲慢にも「使ってやっている」という気持ちで雇った誰かは、あなたに「使ってもらっている」なんて有難がることは一生ありません。
仕事を受けようと思っている人はきちんと自分の価値を見定めてください。自分が満足するだけの評価をもらわない限り、自分の満足する仕事なんて一生できません。ただし、自分への評価を傲慢にしてはいけません。冷静に力量を見極めた上で、価値を探してください。
「評価=お金」ではありません。人間は不思議なもので、きちんと評価を受けていると感じられるのであれば、希望のお給料より少し安かったとしても力を発揮できます。そこにきちんとリスペクトがあれば、です。
私は「尊敬する友人に時給125円以下だと思われていた」という事実を一生抱えながら生きていかなければなりません。冒頭「この気持ちを供養する」と言いましたが、恐らく一生供養なんてできません。
本当につらいです。私には最低賃金の価値はおろか、1時間働いたって自販機で缶ジュースを買うこともできない程度の技量しかない人間なんだと言われたのです。
死にたいと思いました。死んでやろうかとも思いましたが、同情してくれる恋人や友人が僅かばかりいたのでなんとか生き延びてしまいました。
それでも今こうしてこんな長文ブログを書いてしまうぐらいに悔しくて悲しい気持ちは一生忘れません。
かと言ってもう「技術を磨いてすごいデザイナーになっていつか見下してやる!」なんて上昇志向も持てません。
時給125円以下の技量しかない私は、今後デザインなんて一生しません。
彼のような発信力のある人がそんなこと言ったら、批判されるだけで何にもならないじゃん、という愚痴である。
著者が言うのは仕方ないかなとも思うけど、編集者の立場で言うのはナシだ。
まとめサイトとかで吹き上がれば外圧になる?ならないよ、版元の偉いさんの鈍感力舐めんなよ!
直近は男性向けラノベ。数年やって、最近現場を離れた。メディア化、中ヒットくらいまでは経験がある。
いまやっていることまでは黙っておく。
電子売上を逐一見れないというのはウソである。いや、平林氏は見れなかったのが本当ならウソというと語弊があるが。
Amazonはじめ、情報は取ればいくらでも手に入る(買うことも多い)。自分は週ごとくらいには電子売上を見ていた。
ではなぜ売上が見れないなどと平林氏ほどの人が言うかというと、会社によっては買ってなかったり、営業しか見られなかったりするからだろう、という問題の他に、
電子売上が見られても大した働きかけができない、というのがある。
ライトノベルで言えば、紙の書籍の売上数の10~20%くらいが電子書籍で売れている(モノにもよるがだいたいそんなに変わらない。売れたものでも売れなかったものでも似たような数字になる)。
10000部売れている本なら、それプラス1000~2000部の電子売上がある、と考えてだいたいよい。
そしてその2000部があったとしても、続刊判断とか重版判断の材料にはなかなかしにくい。というか、電子の利益は加味した状態で採算をとっている続刊判断なのだ。
この売上比率が50%を超えるくらいの外れ値をだしたら流石に考慮するに値するだろう、営業もバカじゃないので。だがそんな数字にお目にかかったことはない。
あと、紙の書籍は取次に納品すれば現金になるのでそこからイラスト、デザイン、DTP、校正とかの固定費を払うのだが、電子書籍は売り上げるまで版元に金が入らないので、固定費を捻出する別の財源が必要になり、それが中小だとそれがなかなか苦しく、紙である程度刷れない作品を出すのは難しくなる。
※実際いちいち取次と現金のやり取りをしているわけではない。念のため。
この辺、業界的になんとかならんかったんかと現場としては思うが、木っ端編集者としては何もできないので置かれた場所でやりくりするしかない。
紙で委託販売を維持するなら、電子書籍の納品でミニマムギャランティーとるとか?市場が死にそう。
委託販売がもう無理なんだろうな、とは思っている。取次の流通能力もかなり落ちていて、システムが崩れていく最中だというのは感じる。書店も体力ないし、その書店ならでは施策が上がってくることがどんどん減っている。
電子を毛嫌いする編集者とかもまだまだいるけど、全体の流れとしては、現場では電子軽視の雰囲気はなくなってきている。確実に利益になるし、個人的には紙の客を奪っているとも思わない。
ただ、印刷費がないから利益が増えるんでしょ、というほど簡単な話でもない。AppleやGoogleだと3割ぶっこ抜かれるし、Amazonも条件きついし。
電子書店用のプロモーション方法が確立されていないのも難しい。やっぱり欲しいものをピンポイントで検索して買うことが多くて、書店の店頭をざっと見るような買い方とは違ってしまう。でも頑張らねばならぬ。
平林氏は星海社だから、音羽基準の話かもしれない。音羽みたいにクソデカ規模になると、ランキングとかも追いきれないのかもしれないね。普通に仕組みの開発を怠っていただけだと思うけど。
自分は、作った本のアマランくらいは追っていたし、会社でもデータとっていた。だいたい悲しくなるから見たくないけどね、仕事だから。
だから平林氏もそういうこと言うのか……という(勝手な)失望があり、見る人がいるのかわからない無駄に長いこんな文を書いている。
ただ実際問題、初速が出なかった商品がその後売れるようになるかというと、少なくともライトノベルにおいてはほぼありえない。
いまの出版システムが、どんどん新刊をつくって納品して、書店の棚を回転させ続けるというかたちで成り立っているので、1ヶ月も新刊が書店に置いてあることが稀なのだ。
都心の書店を見ていると棚が充実しているのでわからないが、地方の中規模郊外店なんかだと顕著だと思う。
特に回転が早いのがマンガとライトノベルの棚で、もう新刊点数が多すぎる。一般の文芸文庫なんかはもうしばらく残るので、それなりにジワ売れもしたりする。
ラノベで初速が出なかった場合、あとから売れる例外は「このラノ」1位をとるくらいだろう。そういう意味では『錆喰いビスコ』は羨ましい。売上ランキングからはわからない埋もれた面白い作品を取り上げるという、「このラノ」のもともとの趣旨にもあってるしね。俺の編集した作品のほうが面白いと思ってるけど!
あとはマツコ・デラックスが取り上げるとか?そういう外部要因がないと難しい。
アニメ化でもない限り、新刊のタイミングが最も耳目を集めやすく、書店もそうでなければ置いてくれない。
紙で初動出なかったけど、電子書籍はめちゃめちゃ売れてます!というケースも寡聞にして聞いたことがない。少なくともライトノベルでは。
マンガは識者も多いし、映像化もじゃかすかあるから、埋もれた名作があとから売れることもあるかもしれない。ジワ売れもたぶんラノベよりはあるだろう。
初速が出なくても、そういうのを待って考えれば?と言いたくなることもあるかもしれない。ただかなりのレアケース、宝くじみたいなレベルだと思う。
版元に好意的に解釈すると、作家の人生を考えたときに、売れなかった作品を売れるまで待つくらいなら、次の作品で売れることに賭けた方がいいよね、という話だと言えると思う。
特にマンガは兼業でやるのが難しいし、並行連載ができる人も限られた一握りの筆の早い人だけだから、諦めて次にいく、という判断を早めにするべきだということなのではないか。
会社員の編集者は既刊が売れるまで待ったりそればっかり宣伝していても上司に怒られるだけで給料はもらえるが、その間、作家にはお金をあげられないわけで。
版元の本音を言えば、売れない作品にかかずらってないで別のやればいいじゃん、ということになる。これはまあ商売だからある程度仕方ないよな、と自分で納得するしかない。せめて続きが出ないときには、そう読者に言ってあげるのが誠実なんだろうな。
他の作品で売れたときに、過去作の続きを書かせてあげるご褒美システム的なものは電撃文庫などでやっていたけど、過去作の方の続きは結局売れないんだよね。
問題意識はあるのだが、目の前の本を作って飯を喰うので精一杯、業界的に旗振れるような立場があるわけでなし、独創的なアイディアがあるわけでなし……
無力感を覚えるので、業界構造について考えるのはしばらく前にやめてしまった。
一通り書いた結果、結局ユーザーに甘えていることを言い訳しているだけになってしまった気がする。
ただ初速で、というのを変えるのは難しいよなあ……。たとえば新発売のお菓子だって、初動の売上悪かったら生産量落とすと思うし。
統計ではラノベ市場が伸びていると言われることがあるが、数字上の話であり、実感としては縮小している。
点数・金額が増えているのは、いわゆるなろうモノをやるレーベルが増えており、合算しているから。
文庫市場は小さくなっている。特に新作を伸ばすのがめちゃくちゃ難しい。
B6、四六判市場も飽和しており、1作品あたりの売れ部数は少なくなっている。というか、読者の絶対数が少ないのに参入障壁が低いからってわらわらと各社レーベル作りすぎである。
ここ2年で四六判に参入したレーベルでマトモに売っているところはないので、もしなろう作家がいたら、悪いこと言わないから新しいところはやめておけ。
eb、カドカワBOOKS、GA、HJ、MFBあたりを狙いたい。アース・スターとGCとOVLもそこそこ。レジェンド、マッグガーデン、ツギクル、ドラゴンノベルス、サーガフォレスト、BK、プライムノベルス、Kラノベブックス、ガガガブックス、Dノベル、宝島社、ディヴァースノベルには自分が著者だったら渡さない(個人の見解です)。電撃の新文芸もアカンっぽい。というか四六判レーベル多いね……
他社のレーベルは早く潰れればいいと思っていたし、なんなら自分のいたレーベルもラノベ市場のことを考えたらやめるべきであった。会社員だから無理だけど。低クオリティのものが量産され過ぎている。
なろうはクオリティを低く妥協しようと思えばいくらでも妥協できるので……
現場としては何言ってんだだが、音羽一橋飯田橋の偉いさんには届かない。
思えば漫画村からブロッキングの時点で現場は「はぁ……?(呆れ)」みたいな感じである。
長くなったし疲れた。
思いついたらまた書く。
結局何が書きたかったかというと愚痴なのだが、冒頭にも書いた通り、ネガティブな業界問題をお客さんに押し付ける宣伝はしてほしくない。俺は怒っている。
みんなが不快な気持ちになって、よく知らない人には「出版ってこんなに駄目なのね」って思われて、従来のファンは「業界は進歩しないのね」って思われて、そのうち愛想つかされる。
もっとポジティブに、面白い!すごい!神!って言って楽しい気持ちで作品をひろめていこうと思っているし、みんなそうあってほしいです。
>昔は電子0%だった~
一理ある。でも同時に各作品の刷り部数も売れ部数もどんどん下がっているから、そして全体のコストは下がらない(たぶんほぼ人件費なのでそこまで上がってないとは思うけど)から、そこの穴埋めに充てちゃってる現状だと思う。
特に一部大手は編集者のコストが高すぎるとは思っている。給料も高けりゃ経費も使いすぎ。まだ90年代の頭してる。
ほんとうにござるか
ミニマムギャランティとかを仮に導入したとして、マンガ、ラノベ、ビジネス書のベストセラー、エロ以外の電子書籍は死ぬと思う。
マジで売れてないので、電子書店が入れたがらなくなってしまう。
返品同様、売れなかった電子書籍に対しては版元がお金返すとか?
リアル書店の仕組みとして良し悪し両面あるものの、返品できるから気楽に店頭に並べられるというのはあると思う。出版文化の多様性に寄与している。
電子営業やったことないし肌感覚が足りないので、あまりわからないことにこれ以上言及するのはやめておく。
これも一理ある。俺も期待している(誰か、もしくは未来の俺に)。
データに強い人、分析ができる人というのを版元は重視してこなかったから、そういうプレイヤーが業界にいない。
たとえばそこの売上5%の差違を分析する間に、『SLAM DUNK』の復刻版がめちゃめちゃ売れるわけだから、そっちの仕事した方が儲かるし高い評価になっちゃう。
経営層にもうちょい踏み込ませないと、というのは内部的な話なのでもっと頑張りたいところですね。
バズった!初めて増田書いたし普段はてブもホッテントリみるだけだったから、不思議な気分。仕事するふりして更新しちゃう。
みんな出版業界の話好きね。こういう関心持ってもらえるうちが華だから……
レーベルの話とか筆が走ってぶっちゃけて書きすぎたし、違法ダウンロードの話は要らんね。いま編集者の立場で発言するなら触れとこうかと思ってしまったけど。
文庫と四六判は別で考えてるし、人によって版元や編集者の良い悪いの条件は変わるから、話半分程度で。
基本的に、やったことのある範囲の話しか知らないし、大きくズレてはいないと思うけど他社の話はまた違うと思うので、絶対じゃないよ。
読んでくれてありがとう!
下手、読みにくいと思った人は、良かったら具体的にどこが読みにくいか教えてほしい。参考にする。
自分の書いた文章なので、読みにくさをなかなか感じにくいのです。
平林氏は若くてめちゃくちゃすごい有能な編集者で、ベストセラーたくさん出してる。マジですごい人。担当作もだいたい買ってる。
でも電子売上が見れないとかの主語が無駄にでかくて嫌で、初週売上とかでお客さんを脅迫するような言説も嫌で、星海社で社長と直接話ができるような立場にいた人が、手詰まりで必死な作家と同じような宣伝をするのに勝手に悲しくなって、勢いで書いた文章なので、触れざるを得ない。
ここ読みにくいね!
編集者ではなく作家に近い立場になったので、言いたくなる気持ちはわかるけど。
実名でやれって一蹴されたのも、そりゃそうだと思います。向こうは顔出してるんだから。
でも実名でこれ書いたり議論したりして、俺の担当作品が売れるようにはならないからね。
>お前ら内輪の事情なんぞ知らん、的な
その通りだと思う!
だからそういう暗くなること言って宣伝するのやめたいねっていうのが本義。余計なこと書きすぎた。
あと、電子でも紙でも好きな方で買ってください。売れればOK、ちゃんと数字は見てる。
そして読んで、面白かったら「面白かった」ってツイートしたり知り合いに薦めたりしてほしい。
KADOKAWAのブックウォーカー優先も終わって、大手ラノベレーベルはどこも紙と電子同発になったんじゃないかな。そもそも配信してないところを除いて。
業界のことは俺たちプレイヤーが考える問題、本来お客さんに押し付けるものじゃない。
でももし外から新しいことを考えられる人が来てくれるのなら、歓迎したい。そういう意味で、いま感じている実状を書いたので、提言してくれるのはすごく嬉しい。
なんで諦めてるんだ、偉い人はなにやってるんだってトラバにあるけど、結局頭が切り替わらないと無理なんだと思う。
古い体制にしがみつく編集者にはなりなくないから、自社内でチマチマ動くことや、社外でも同世代と意識を共有することは少しずつ。
自社だけ動いても意味がなく、せーのでみんなで変わらないといけないことだと思うので、大手を説得できるようになりたい。材料も能力も足りない。
https://anond.hatelabo.jp/20190117033500
※本文ここから↓
https://anond.hatelabo.jp/20190113133500
元増田へのブコメでも指摘されていたが、ひとくちに「フリーランス」といっても業種、業態、経験、実力、性格などによってその態様は異なる。
そこでひとつのケースとして俺がWeb制作業界でフリーランスとして約13年間やってきた経験と、そこから得られた知見などを書いてみたい。Webデザイナー、Web系プログラマーには参考になるのではないかと思う。
こうして書き出してみると典型的現代っ子だなと思うが、32歳で独立開業して13年目の45歳の紳士である。
現代っ子と書いたが人間の性(さが)なんてそうそう変わるものでもないので昔っからこういう人だってたくさんいたと思うんだよね。さぞ肩身が狭かっただろうと思う。俺としては今の時代に生きられる喜びを日々噛み締める次第である。
さて、ここからは元増田に書かれていた諸々について、俺の場合。
まず「得意分野に集中できる」かどうかについては、概ね集中できている。
元増田に「デザイナーのフリーランスだったとして、デザインをやっている時間は2割くらいだろう」と書かれていたが、実はこの働き方は俺にはピンとこなかった。2割?なんで?って感じ。デザイナーにもDTP、Web、プロダクト、服飾といろいろあってどのデザイナーを指してるのか定かではないのでアレだが、WebやDTPに限れば、こんなデザイナーがいたとしたらそもそも何かが根本的に間違っているのではないか。我々は日々現金の出し入れの発生するタイプのビジネスではなく、案件など多くても月に数件、出ていくお金もたかが知れている。経理も事務作業も大して時間がかかりようがない。法人決算(個人なら確定申告)が大変だという話なら、それはそれだけ取引があるということなので、売上の一部を割いて税理士さんにお任せしたらどうか。あるいは以前noteかなんかで話題になっていた「イラスト1枚1,000円」みたいな仕事を大量受注してるのだろうか。
問い合わせ対応も上記の通り、数件の案件の同時進行程度なら電話やメール対応で作業時間がとれない・・・といった状況にはほぼならない。案件次第でたまにある程度。
営業も要らない。俺は決してスーパークリエイターでもハイパーメディアクリエイターでもないが、きちんとした品質のデザインとHTMLを、きちんと期日通りに作業進捗できれば次の仕事は来る。今のWeb業界ならこれが最大の営業活動だ。ちなみに俺は前述の通りの性格なので、作業も遅延しがちである。ただクライアントが最も恐れるのは最終的な期日を守れないことであり、そこに至るマイルストーンなら担当者の裁量でどうにかなることも多い。なので遅れそうなときは早めに相談するようにはしている(「執筆した増田のブコメ&トラバ対応が火を吹いておりましてデザイン初稿提出遅れます」・・・等)。
余談だが、DTPなどは逆にスーパークリエイターレベルでないと昨今厳しいのではないか。つまりは市場環境次第なので、ここはしっかり世の中の流れを観察する必要はある。たとえば俺が今不安を感じているのは年齢と国籍だ。50歳、60歳のジャパニーズWebデザイナーが食っていける市場が10年後、20年後あるのだろうか。
答えはわからないので、できることはなんでもやらねばならない。すなわち、スキルを磨くことは大前提として、歳取ってもトレンドにキャッチアップすること、歳取っても清潔感ある身なりをキープすること、英語力を磨くこと、今のうちもっと貯金しておくこと(これが一番できてない。子ども3人が独立するまで無理だろう)、海外の仕事を受注すること(これはやるべきなのか?やれるのか?どうすればいいのか?模索中。やってる人いる?)、アフィやWebサービスで地道に小遣い稼ぎすること(本業にいっぱいいっぱいでなかなか手が回らず)、ストックフォトで地道に小遣い稼ぎすること(同左。ちなイラストオンリー)。
自宅作業にありがちなベッドの誘惑や生活音云々というのは性格による。俺は大丈夫だったので運が良かった。
ちなみにすぐベッドやソファにゴロンしてしまう奴。性格だと諦める前にひとつアドバイスだが、まず椅子を変えろ。
世の中には座ったまま何時間でも平気で仕事ができる「高級ワーキングチェア」というものがある。最低10万〜20万出して、バロン、コンテッサ、リープチェア、アーロンチェア、エンボディチェアなど定評のあるワーキングチェアを買う。パソコン作業なら前傾より後傾タイプが適している。上の中ではアーロン以外は後傾タイプだ。高い買い物なので時間かけてショールームなど周って試座するように。
高級ワーキングチェアを使わずに「すぐベッドにゴロンしたくなっちゃうんだよねー」なんてのは当たり前だ。ヨドバシやイケアや楽天で買うなよ。ダイニングチェアも駄目だ。イームズチェア♪なんてもってのほかだぞ。椅子が原因でないならコワーキングスペース使うしかないが、当然その分利益は減る(=生産性は落ちる)な。
会議に呼ばれて生産性が落ちるというのはよくわからん。そりゃまあ落ちるがそれは「会社員と比べて落ちる」のではなくて「会議がない状態と比べて落ちる」だろう。フリーランス云々関係ない。
満員電車に乗る必要がなく、移動コストもかからない、最近はビデオ会議も増えてきた。好きな時間に仕事ができて、好きな時間に筋トレできる。夕飯も家族と一緒に食べられる。子どもと会話できる。そういう生活が気にいってる。もちろん深夜だって休日だって働くことあるが「深夜や休日働くかどうかを選べる。働きたくないなら平日頑張る」そういう選択を自分の裁量でできるのは嬉しい。
自堕落なので生産性は常に低いかもしれない俺だが、会社員時代だって遅刻したり頻繁に休憩とったり隠れてコソコソはてぶや増田執筆したり、とにかくダラダラやってたので、フリーランスになって生産性が落ちたということはたぶんないな。
これは元増田に書いてあるとおりだな。
会社員にとっての上司や会社が、クライアントに変わっただけ。上司に振り回され疲弊するように、クライアントに振り回され疲弊することはある。ただ上司はよほどのことがないと選べないのに比べると、クライアントはある程度選べる。選べなかったとしてもそのクライアントの売上に占める比率が1/10なら、ストレスも1/10だ。ちなみに、比率次第ではこちらから切ってしまうこともできるといえばできるが、俺はやらない。ひとりの担当者と折り合いが悪くても、別の担当の人が見ててくれて密かにかばってくれたりこちらの対応を逆に評価してくれたり、そもそも担当が変わってやりやすくなったり・・・好転することもままあるからだ。この辺は割り切って我慢である。
ただ肝に銘じておきたいのは、受託である限り「誰にも雇われない生き方してる俺カッコイイ!」などという状況にはなりようがない。電通だって「クライアントの犬」に徹することでビジネスをしている。鬼十則!なんつってイキってみてもあれは所詮犬の遠吠えだぞ(まあ電通の場合、犬は犬でも負け犬ではないがな)。自分のビジネスで金を稼いでる奴、世の中にとって有益なプロダクト、サービスを提供している奴は規模の大小問わず尊敬する。
収入といいつつ、元増田では支出への言及がメインだったのでまずはそこから。
この段落は長くなるので結論から書く。Web系フリーランスの場合・・・
つまり売上700万なら、年収500万〜600万の会社員と同じレベルの収入とみなせる感じ。さらに消費税納税義務のあるフリーランス(前々年度の売上が1000万超)なら、支出に消費税納税分をプラスしよう(これが痛い!)。ここではエイヤで消費税50万で計算すると、売上1000万なら、すなわち年収750〜850万くらいの会社員と同等。売上1200万で、年収950〜1050万くらいの会社員と同等だ。これプラス原価(この業界の場合ほぼ外注費かな)がかかる場合は、それも支出に加えてくれ。
仮にフリーランスが法人成りすると(俺がそう)労使折半といいつつ実質的には「俺」の稼ぎから全額出ていくので単純に倍。簡単な計算だ。
法人成りしない場合は国民年金と国民健康保険になるが、後者は収入が同じならやはり単純に倍。これも簡単。
難しいのは法人成りしない場合の年金。国民年金保険料は月額1.6万だっけ?なのでよほど会社員時代の給与が低くない限り払う額自体は安くなるのだが、受給額も低くなる。なので普通は小規模企業共済や国民年金基金やイデコなどに追加投資する。どの程度追加投資するか(しないか)は各自の自由なので一概には言えないが、仮に会社員と同じだけの年金受給を得たいと思うなら、やはり支払う額は倍、イデコとか頑張るなら3倍。さらにさらに会社員には無料でついてくる退職金。フリーランスではそんなものないので単純に老後資金積立として貯金するわけだが、豊かな老後のためにここも頑張ると4倍は覚悟がいる。会社員で社会保険料年額45万の人が独立開業したなら、社保で90万〜135万(会社員と比較するとプラス45万〜90万)、プラスお好みで老後資金貯蓄でン十万てことだ(ちょっと誤解を受ける書き方かもしれない。当然ながら会社員時代の年収が独立後の社保料に影響するわけではない。あくまで会社員を続けた場合と同程度の老後資金を得たいとするならば・・・の話である)。
次に税金。これはフリーランスの場合ある程度コントロールできてしまう。Web系の場合必要経費があまりないので経費を膨らますのにも限界があるが(後述)、法人成りしてる俺(外注費はあまりなく粗利率が90%とか)の肌感覚的には売上700万くらいまでは法人税ゼロでいける(もちろん法人住民税7万、個人としての所得税、住民税はかかる)。なので会社員とほぼ変わらん。そっから先は法人利益の30%くらい引かれる感じだな。会社員の累進課税+住民税10%を足してもこの辺の所得帯(課税所得900万以下)だとだいたい30%になるのではないか。ひとつ言えることは、売上5000兆円でも税金ゼロ円のアマゾンさんにはかなわんということ。ほんといい加減にしてほしい。
あと税金で痛いのは消費税だ。売上1000万超えると次々年度は消費税を納税しなければならない。請求を次年度に立てるなどして1000万未満にできる感じならしたほうがいいよ。
次に経費。ことWebデザイナーに関する限り「独立開業してるからこそ発生する経費」ってあまりない。PCとネット環境は会社員だって自宅用に自腹で買うだろうし、自宅なら家賃も不要、水道光熱費も不要、事務用品費なんてご家庭レベルで十分、むしろこれらすべて会社員なら単純に出費でしかないが、事業者なら経費にできる。スマホも通信費も外食も書籍もアプリも英会話も車も駐車場もはてぶスターもぜんぶ経費だ。
会社員より余計にかかる出費といえば上にあげたワークチェア(しかし一度買えば10年以上使える)、ソフト・フォント・オンラインストレージなどのサブスクリプション(最高でもAdobeやモリサワの月約5000円)、自社サーバ費(月3000円以内)くらい。打ち合わせにしょっちゅう呼び出されて交通費が辛いレベルのクライアントがいるなら、見積もりにこっそり積んでおけば問題ない(しかしそんなクラ今日日ほとんどないのでは?)。もちろんPCもスペックは盛るし外部ディスプレイや周辺機器も多少はかかる、通信費は普通の家庭よりかかる、一日中いるので水道光熱費も余分にかかる、そういった諸々を考慮して、そうだな、会社員よりもプラス年50万も見ておけば十分ではないか(経費が年50万ではなく、会社員と比較して余計にかかる部分として年50万)。
そんなこんなで会社員時代と同等の実入りを得たいならば、社会保険料でプラス45万〜135万、経費でプラス50万、合計100万〜200万くらいの収入増が必要になる。そして売上1000万円超えたら、消費税納税分で何十万が別途出ていく(原価+経費次第)。
一番肝心の話。スーパークリエイターでない人間が独立して売上をあげるにはどうするのがよいかという話を少し。
まあ俺も大して稼いでないのででかいことは言えない。というか反省からの知見という意味合いもある。
ある物が何であるかは設計思想ではなく使われ方の実態をもって決まる。
設計思想通りに使ってもらえないのは設計が徹底していないからだ。
いや、表計算は数ある機能のうちのひとつとして重宝されてはいるが、実体はもっと複雑で、
DTPソフトでもあり、DBでもあり、メモ帳でもあり、電卓でもあり、プログラミング言語でもあるような
「エクセル」というオンリーワンの統合ビジネスソフトになり果てている。
「エクセルは表計算ソフトです!」と主張する人に限ってそれを説明できていない。
取引記録や伝票のようなマスタを保持するのはデータベースの仕事だ。
それに対し適当な加工をかけるのも本来クエリでやるような話である。
つまり、「エクセルは表計算ソフトだからDTPとして使うんじゃねえ!」と叫ぶ人は、
まったく同じ理屈により、エクセルをデータベースとして使うことも否定しなければならない。
文書をワードで、DTPをパブリッシャーでと言うのなら、マスタはアクセスで管理しなさいとなる。
表とはただデータを保持するものではない。データを「表示」するものである。
表はデータを整列し、計算し、出力する全ての機能を備えていなければならない。
当然、DTP的な要素もあればDB的な要素もあってしかるべきだ。
そういった全ての要素が結びつき、さらにその上にVBAが乗っかることによってエクセルは
エクセル以外のどのソフトにも互換できないような唯一無二の使い勝手を生み出しているのだ。
表計算でもDTPでもDBでもスクリプトでもあることによって発生する独特の使い方のコツというのがあり、
それはそれぞれ単体のソフトだけを連携させている時には絶対に役立たないようなセンスだ。
自動車の操縦のように、エクセルというソフトを手に馴染ませる必要がある。
だから、DTP的な使い方しかできていないようなエクセルユーザーに対して指摘する時は