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はてなキーワード: 色彩検定とは

2024-02-25

anond:20240224094001

その第一色、第二色の話がまさに限定の話なんだが、話の意図理解できんの?しかも同じ日本人の肌の色にそこまで色相差ないのに似合う似合わないとか勝手断じてるのも謎。だから色彩検定レベルトピック入れろと言ってるのに

2024-02-24

anond:20240224035106

横だけど1,2色に固定してくるなら同じやろ。せめて色やデザインの話したいなら最低限色彩検定レベルのtopicは入れろよ

2023-07-13

anond:20230712191914

あるIT人売り会社新卒で入ったとき、同期に女が一人だけいたけど、

あとで話きいたら「こういう会社ならお姫様扱いしてチヤホヤしてもらえそうだったから」って理由入社したクソみてえな女だったこと思い出したわ

それでも仕事できればよかったけど、全然プログラマーの素質なくてゴミみてえなやつだった

人売り会社なのに会社のカネで色彩検定受けたいみたいなとんちんかんなこといったり不倫したりして長持ちせずやめてたわ

2021-12-18

[] そのひゃくごじゅう

サイシキーッス

 

たまに自分世界の色合いが変わる瞬間があります

まぁそれは太陽の加減だったり瞼が閉じ掛けてたり眩しいものを見た後だったり色々あるんですが

結局自分の目で見てその色合いの違いをそれなりに感じてないと細やかな違いはわからなかったりします。

色彩検定みたいなのを見るとちょっと暗いとか明るいとかで判断している自分がいますが、もっと感覚が鋭い人は違った感覚分別するのでしょうね。

たまに青や赤が真逆だったら大変だなぁとは思ったりもしますが、現実で起きるのは赤とか黄色とかが知覚しづらくなるとかで、しかしそれだけでも認識できるものの違いが発生するのです。

それは現場看板でもそうで、黒字赤色文字を書いたら黒一色に見えて認識しづらい人が現れるそうで、そこから事故が発生することもあります

なので色合いには気を付けて、注意書きを作りましょうね。

 

ということで本日は【認識やすい色分けよいか】でいきたいと思います

認識やすい色分けよいか認識やすい色分けヨシ!

 

それでは今日も一日中、ご安全に!

2021-01-04

逃げ恥における森山みくりの進路についての所感

「逃げ恥」心理学を学んだことがある人たちは内容がリアルでいかにも…と思っているという話(togetterより)

心理院生がやりそうなダメっぽい研究」という指摘があったので、少し情報を整理して感想を述べる

1.原作での描写について

原作冒頭において、こんなやりとりがある

黒●徹子(妄想)「あなた 大学では心理学をお勉強なさってたんですって?」

みくり「はい それで」

徹子「それで就職人事部企画 商品開発なんかを志望していたと」

徹子「だけどあなた ウフ ごめんなさい 全滅だったんですって?」

みくり「そうなんです 今思えば もっと業種を広く」

徹子「それで就職浪人するよりも と大学院進学をしたけど 文系大学院は就職さらに大変だったらしいじゃない」

みくり「文系の院全てがそうとは言い切れないとは思いますが 院で臨床心理士資格を取ったのでそれを生かせる仕事ができればと」

徹子「でも 心理カウンセラーとかスクールカウンセラーは中々就職がなかったと」

――海野つなみ逃げるは恥だが役に立つ 第1巻」より




臨床心理士指定された大学修士課程を修了後に「受験資格」が得られる

そして、臨床心理士資格認定試験は毎年10月に開催され合格発表12月となる

修了後の4月無資格なので、資格取得見込みでも受け入れてくれる仕事を探さないとならない

同じ大学院・研究室の先輩や指導教官に紹介して貰ったり、非常勤で週2~3日の仕事自力で見つけて応募することが多い

作者である海野つなみがどこまで知っているか不明だが、みくりは大学院修了後にそうした仕事もつけず、資格取得後も就職先が見つからなかったことになる

ストレート卒業・修了・資格取得をしたとすると、この時点で24である


心理学部・学科卒業人事部企画商品開発を志望すること自体には問題がないが

仕事がない」という理由だけで、より狭き門であるはずの心理職に進む所に見通しの甘さが感じられる

専門職である心理職は、何かの代わりに選んで成れるような進路ではない

(正直、指導教官や周りは大学院進学を止めなかったのか。それと、こんなにふわっとした見通しの甘い人間に、臨床心理士試験面接官はよく合格を出したな)



2.ドラマ描写

ドラマでは1話にて森山みくり(25歳)の経歴が紹介される

2.1インタビューセリフおよび入学式写真

「元は企画商品開発の仕事を探してて でも全滅で」

就職浪人するよりはと思って大学院に進みました」

「甘く見てましたね。まさか文系大学院卒がこんなに就職できないとは」

大学院では心理臨床コース選択卒業後に臨床心理士資格を取得した上で再び就職活動に臨んだ(ナレーター)」

2013年度 青明大学大学院入学式(大学時代写真より)」

2.2履歴書(一部抜粋および組換え)(出典はhttps://twitter.com/i/events/868751617960443908:title=こちから)

【提出先(※推測)】

ニチスイ株式会社(※内容からして食品メーカーだと思われる)

【提出日】

2014年12月15日(※大学院2年(最終学年)の12月に提出したものであると思われる。つまり物語開始より1年前ほどのものになるか)

【生年月日】

1990年9月8日

【住所】

神奈川県横浜市都筑区黒沢5-5-6(※黒沢架空の地名とのこと)

学歴

2006年4月入学2009年3月卒業   県立みなと第一高校

2009年4月入学2013年3月卒業   青明大心理学

2013年4月入学2015年3月卒業見込 青明大学大学院

資格

2009年11月 日本漢字能力検定 2級

2012年6月  実力英語検定2級(※いわゆる英検は、正式名称が「実用英語技能検定であるので誤記可能性がある)

2014年12月 臨床心理資格(取得予定)(※ナレーションでは「臨床心理士」と言っているため、誤記可能性がある)


趣味・特技・サークル部活

趣味カフェ巡りです。特技は整理整頓です。サークルはお散歩サークルに入っていました。


現在行っている卒業研究論文の内容について】

テーマ等:青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について

具体的な内容:上記テーマを「幼少期の両親の養育態度」と「甘え」の観点から分析しています。この研究青年期になっても対人関係コンプレックスを強く持つ者は、幼少期に両親から否定的イメージを受けており、「甘え」という行為が成立していなかった場合に多く見られた。これによって「甘え」の形成は対人関係を育てることが分かったが「甘え」の感覚を得るには両親との幼い時の関係性が重要であることが学びとれた。

あなた長所

真面目なところと思いたったらすぐに行動するところです。

私の長所は真面目な所です。頼まれ仕事はきっちりこなす性格です。短所でもありますが、突拍子もないことを考え、思い切り突っ走ってしまい、びっくりされてしまうことも多いですが、その新しい発想のおかげで上手く運んだこともあったので、長所としてとらえています

学生時代に打ち込んだこと】

心理学研究です。私は人の役に立つことが好きで、人が何を求めているか察知できる人間になりたいと思い、心理学を専攻しました。心理学で学んだことをアルバイトでの接客でも発揮され、お客様が求めていることを先回りして提供することができるようになりました。今後も、会社というチームの一員として自分に何ができるのか、お客様には何を提供できるのか、心理学を生かして察知していきたいです。

【志望理由

私は貴社で、新商品の開発や企画に携わりたいです。貴社はもぐもぐ蕎麦という今までこの世になかった新しい商品で、世界食文化を変えた会社であり、私ももぐもぐ蕎麦のように世界文化インパクトを与えるような商品を開発したいと思っています大学では色彩心理学や希少性の原理などを学び、消費者心理についても研究してきました。大学院まで心理学勉強してきたことを生かして、消費者がついつい買ってしまいたくなるようなアイデア提案したいです。

自己アピール

世界中の、とくに栄養の不足に悩まされている地域の人々に、自分の開発した商品を伝え、健康改善してくことが夢です。栄養不良に悩まされている人は8億人以上いるといわれていて、普及するには手軽さ・価格の安さ・おいしさの3つが必要だと私は考えます。そのまま食べられる、あるいは水やお湯などをかけるだけで簡単に作ることができ、安価ながらもおいしい食材で作られた商品を開発し、世界に広めたいです。

2.3.履歴書から言える事

「青明大舞台」で調べた所によると、ロケ地自体は「日本大学経済学部7号館の前」との情報がみつかった

(逃げるは恥だが役に立つ 逃げ恥 ロケ地情報より)

「青明大学」と同名の大学は勿論ないが、名前の響きからして「青山学院大学」や「明治大学」「明治学院大学」が近いと思われる

いずれも第1種指定大学院である

何となくこういうリア充的な雰囲気学生青学じゃねえのかという偏見がある。というか、青学児童系の心理に強いイメージがある。なんでそんな大学院を選んだんだこいつ。何も考えないで生きてんのか


この場合大学院修了後の2015年12月臨床心理士資格は取得見込みとなる筈である

履歴書には「2014年12月 臨床心理資格(取得予定)」となっているので、資格名もしくは取得時期については現実制度とは違いがある

ナレーション説明とも乖離が起きているので、作成したスタッフ誤記勘違い可能性がある

他の資格について、大学1年生の11月漢検2級を、大学4年の6月英検2級を取得している

2.4.個人的結論

全体的に、こんな薄っぺらいやつ採用試験で落ちて然るべし。もっとちゃんと考えて進路決めなさい

漢検英検くらい高校で取っておけよ。というか、色彩心理研究したというなら、「色彩検定」とか「カラーコーディネーター検定」とか、色彩計の資格を取っておきなさいよ。

商品開発したいなら、日本商品開発士会資格でも取りなさい。合格率も低くないみたいですよ

他国に自社の商品を売り出したいと思うなら、TOEICTOEFLくらい受けておく発想には至らなかったんでしょうかねえ……

履歴書とは関係ないが、人事に行きたいなら産業カウンセラーを取りながら就職活動をしても良かったのでは……

臨床心理コースなので仕方がないが、「青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」と志望部署の関連が薄い。本気で商品企画・開発したい人の選ぶ心理ではないよねえ

大学院在籍中に、一般商社受けるとかどうなってんだこいつ

青年期の対人恐怖心性と自己愛傾向について」は手垢が付いたような薄い研究なんよ。青年期を対象にした研究室でよくある、質問紙を都内大学生に沢山配ってやるような量産型研究なんですよ。土居健郎の「甘えの構造」とかを理論的支柱にして、適当尺度を組み合わせて因子分析とか重回帰分析掛けるとそれっぽいデータが出るんですよ。そこらの大学卒論発表会レベルのものを、大学院でやってはいかんのですよ。指導教官何やってんの。きっとこれじゃ、修論審査会でボコボコにされますよ、本当に(ry)

2020-02-13

34歳が親から15万の仕送り

俺にはひとり姉がいる。

姉は今年34歳になるのだが、無職で、親から仕送りをもらっている。

姉は1年前まで働いていた。

私大文学部一浪入学。在学中、母親から「なんでもいいか資格を取れ」という言葉無視して遊んでいた。

文学部というのは、就活で苦労する。母も文学部出身だったので心配だったのだろう、在学中に「資格を取ったら一時金をやる」と宣言。金で釣ろうとした。その言葉でやっと動いた姉は、なにを考えているのか色彩検定を受けてきた。曰く「これも資格だ」と。母は就活プラスになる資格を取ってこい、というつもりで言ったのだと思うが、親心は何も伝わっていなかった。母は一時金を渡して、それきり資格資格と言わなくなった。

姉の就活は難航した。しかし、最後最後で1社だけ受かった。そこそこお堅い企業事務職。ほっとしたのも束の間、3年で辞めた。お局に虐められたらしい。母は「せっかく入ったお堅い企業なのに…」とガッカリしていたが、なんだかんだサッサと次の職場を見つけて、転々としながらも働いていた。

母はやたらと姉の進路に口出しするが、口出しせずとも姉は自分自分人生を歩める力を持っていた。ガンコで親の言うことは聞かないが、頭は回るし、口が立つし、仕事はできる。

姉は自分の足でしっかり自分人生を歩んでいる。

何も心配することはないのだ。

そんな姉が、1年前、また仕事を辞めた。

その時はいつもと様子が違った。いつになっても、転職活動を始めないのだ。

無職中に結婚をした(!)。人の良さそうな旦那を見つけて、幸せそうにしている。

無職中にウサギを飼い出した。ウサギはすぐ死ぬ弱い生き物らしく、様子がおかしい時は深夜にタクシー飛ばし動物病院に行く必要があるらしい。大変だ。

最近ゲームにハマっているらしく、デスストランディングの豪華版(2万円くらいする)を予約していた。

旅行も行く。ネットで知り合ったオタク友達と、脱出ゲームコラボカフェだと、楽しそうにTwitter写真をあげている。

俺は、姉貴は間違っていると思う。

自分の稼いだ金ではないから。

自分の稼いだ金なら、どう使おうと姉の勝手だ。

しかし姉の遊ぶ金は、60を超えた親父がシニア枠でせっせと働いて稼いだ金なのだ

うちは資産家なんかじゃない。父はただのサラリーマンだ。父は必死に働いていた。平日は残業のない日は無い。土日も電話一本で職場に戻る。腰を壊し、鬱になった。それでも働き続けて、早期退職を促されることもなく、今もシニアでせっせと働いている。

俺は、姉貴は間違っていると思う。

でも、一番間違っているのは、姉貴に仕送りを渡す母なのだ

母は言う。姉の旦那はそこまで高給取りじゃない。姉の収入がないと家賃が払えないだろう、と。

なぁ母さん、それは、姉の人生なんだよ。

お堅い企業を辞めたのも、姉。

転職を繰り返したのも、姉。

はいいが給料はそこそこの旦那を選んだのも、姉。

ペットOK3LDK賃貸物件を選んだのも、姉。

すぐ死ぬウサギを飼い始めたのも、姉。

働かないで、生活が苦しくなるのは、姉が選んだ道なんだよ。

そう電話で言ったが、「かわいそうだから」の一言があったのみで、母の考えを変えることは出来なかった。

今、俺も鬱になって、仕事休職してる。

最近ようやく「そういえばアンタ、休職続きだけどお金大丈夫?」と聞いてきた(姉には辞めた月から仕送りしているのに)。

俺は「貯金があるから、しばらく大丈夫」と答える。

母は言う「そうね、アンタはしっかりしてるから」。

2019-02-14

もうすぐ38歳、人生詰んでる

女、独身一人暮らし

専門卒

経験職種一般事務グラフィックデザイナー広告、総務、営業

転職回数5回

前職(勤続9年)退職後どこにも引っかからず誰でも入れる生保営業

勤続一年未満だけどもう辞めたい、でも今度こそ次が見つかる気がしない

やりたいことも何もない

資格は2級FP技能士色彩検定2級、DTPエキスパート更新してないか無効


こんなの必要としてくれるところがどこかあるのかね

2017-09-09

anond:20170908233350

色彩の勉強してみたら?

配色はセンスもあるけど、理論的に考えればこうすればいいんだ!ってわかってくるよ。

今、色彩検定申し込み受付中だから挑戦してみるのもあり。11月試験

2ヶ月あれば3級くらい楽に受かるし、頑張れば2級もいけるいける。

2016-06-27

俺も女性だったら猫カフェとかスイーツ専門店とか色彩検定試験とかで肩身が狭い思いしないで済むのに

2015-01-22

Webサービスよく作るんだけどデザインセンスがなさすぎるからどうしよう

何回アイディア考えて新しいWebサービスを作ったとしてもデザインセンスが向上する兆しが全く見えない。

色彩検定取ったりUIデザイン入門書読んだりSassだの色々なCSSフレームワークだの勉強してみたけどやっぱり根本的にダサい人間が作るものは付け焼き刃な知識程度じゃ覆しようがないのかまあとにかくダサい

出落ちみたいな奴ならともかく数百時間とかかけて作ったサービスがあんまりにも野暮ったいデザインだと見ていてこっちが悲しくなってしまう。

デザイナーさんって藤原竜也ツール程度のサイトでもスタイリッシュに作れたりするんだろうか。

デザイナー友達作って今度何か作るときダメ出しして貰おう。。。

2009-07-05

webデザイナー面接受けてきた。すごく不安

フリーター生活を終わらせるため、

コツコツと半年かけて独学でHTMLCSS勉強した。

そして、先日、はじめてweb製作会社面接に行った。

用意したものは、

企業webサイトテンプレート3つ

ショッピングサイトテンプレート5つ

フラッシュを混ぜたアニメサイト(私の個人運営サイト

構文は色々なツールやサイトでチェックしたため多分完璧

デザインはとがった物を2つだけにして、後は無難にまとめた。


勉強したことは、

HTML(XHTML含む)、CSSJavascriptフラッシュ(基礎的なことのみ)、

 PHP(基礎的なことのみ)

SEO対策(本屋にある分は全て立ち読みした)

色彩検定

MTとWP(基礎的なことのみ)

フォトショップ、ワード、エクセル

バイト先のパソコンフォトショップとワードとエクセルインストールされていたため、

こっそり勉強させてもらった。

イラストレーションや、Macは触る機会が得られなかったのでちょっと不安


で、不安や期待を抱えて面接を受けに行った。

で、面接は大成功。準備したかいがあったなー・・

と思ってたら、面接官が時間があるなら社内見学しないか?って誘ってくれた。

凄く嬉しい。もう採用決まったようなものだ!と思った。


で、社内見学したんだけど、何か色々ひどい。

フォトショッププラグインが全然少ねぇ・・

webデザイナーディレクターとされる人がHTML参考書見ながら打ってる・・

タイピングおせぇ・・記号打ち間違えんなよ・・

フリーソフトかよ・・ドリバを使うんじゃなかったっけ?・・

職場空気くせぇ・・社員の口くせぇ・・

真面目そうな人と思ったらニコニコ動画みてた・・



最後に面接官が、

○○くん、採用の場合は即戦力として期待してるよ!って。


うんこ

2007-11-26

自己分析のための大学生活伝2.0

 自分への覚え書きも兼ねて。まとまらん文章で失礼します。ちなみになぜ2.0か?増田で訊いているからです。それだけです。

1年生前期・・・高校時代ずーっと非リア充で悶々と過ごしてきたので、その頃から大学に入ったら彼女でも作ってわいわい楽しく過ごすぞー!!って言う強迫観念にも似た意思があった。1年の前期はその意志だけで動いていた。私立文系

 一番はっちゃけていた時期かもしれない。おしゃれになろうと努めたり、大学に入る前から学部主催の交流会に出たり、入学式でちょっと仲良くなった人と写真を撮ったり、テニスサークルに入ったり、ノリでフットサルサークルに入ったり、基礎演習や語学の人たちと一緒に遊びに行ったり、サークル等の新歓花見飲み会に手当たり次第参加したり、とにかく交友関係を築こうという意思は十二分にあり、おかげで俺の顔と名前だけは知ってもらえることに成功した。友達や新たな出会いを求めて、他の基礎演集のクラスの輪に一人で乗り込んでいくことも多かった。携帯メモリが一気に100件増えた。飲み会カラオケオールという夜の遊び方の流れを覚えた。ピークには1週間に6回は飲み会だった。

 はっちゃけていたし、なんせ世渡りを知らない青二才だったので、正直にいえば原チャ飲酒運転チャリパクで捕まったりもした。今では反省している。自分自身でもむちゃくちゃだな、と思いながら生活していた。それ以上に楽しかった。大学デビューはそこそこ成功したんじゃないのかな。逆にちょっとはしゃぎすぎた感が否めない。うん。もう一度言うけれど今では反省している。

1年生夏休み・・・1年の前期でテニスサークル空気が何か違うなと思ってやめた。フットサルサークルも好きな子がいたけど振られたので気まずくてやめた。どっちにしろ、この時点で付き合いの幅を決定してしまうにはまだ早いなと思ったという経緯もあったんだけど。

 バイクに乗りたいと思って教習所通いを始めた。

 経験とお金を稼ぐために飲食店のキッチンバイトを始めた。

 このごろには彼女できるかなと思っていたが無理だったのでサークルで仲良くなった男3人で花火を見に行った。相変わらず飲み会だけは多かったが前期の頃と比べるとまだ少なくなってきた。

1年生後期・・・それまでどっちかというと古着しか着ていなかったんだけどすこしいい服を買い出すようになった。バンドをしている友達に影響されてエレキギターを買った。前期のやり方がだんだん通用しなくなってきた。それまではちゃんと授業に出てたんだけど、後期に入ってから授業の出席率が悪くなった。

 加えて友達が、それぞれ別の友達と仲良くなり始めて俺のコミュニケーションできる人の数が徐々に減っていった。別に仲が悪くなったわけじゃないんだけどちょっと話しかけるの気まずいかな、って言う人が少しずつ増えてきた。俺はどうも狭く深い人間関係を築くのが苦手だなぁ、広く浅い人間関係のほうが向いてるんじゃないかと思ったのもこの頃だったと思う。それまではあまり家にいることは少なかったんだけどこの頃から家にいる日が増えだしてくる。そして俺はそんな状況をあまり心地よく思っていなかった。

 バイト先の女の子を好きになっていっぺん遊びに行ったけど結局無理だった。なんとなくうまくいかなくて閉塞感が漂っていた時期だった。逆に言うと現実的になり始めた時期かもしれない。

 年の終わりごろにバイクを購入した。いきなり次の年の初めにはバイクがきっかけで女の子と仲良くなることがあって、バイク所持の攻撃力の高さを思い知った。

 色彩検定2級をとった。

1年生春休み・・・新しく入ってくる新1年のための新歓スタッフを務めることになり、新歓交流会の企画運営を行った。がんばらなくてはという自負でちょっとした責任者ポジションについたんだけど、他のメンバー女の子ばっかりでしっかりしていたうえに、俺自身がそんなにしっかりしていなかったので空回りばっかりで、うまくマネージメントすることができずに終わってしまった。がんばろうという意思だけは最後まであったのだが、ある意味総すかんを食らった形だったので、俺は陰ながらメンバーにいらいらしたり、半ばふてくされながらやっていたりして、とにかく俺の交友関係(特に女子)に禍根を残す形になってしまったといっても過言ではない。そこで、俺は人の上に立って人を使ってあれこれ言う立場には向いてないのかな、もしそうありたいならもっと責任感や計画性を持たなければいけない、ということを感じた。

2年生前期・・・新歓スタッフとして前期の間新1年の基礎演習のサポートをすることになり、ちょっとしたごたごたの末そこで知り合った新1年の女の子と付き合うことになった。素直でいい子だった。2年の前期と夏休みは半分その子との思い出みたいなものだ。かといって、それで新1年のサポートがぐだぐだになってしまってはまずいと思って、本業もちゃんと全うして、今度は遺憾なく新1年を取りまとめることができた。生活的には1年生後期のようななんとなく広く浅く友達と付き合っている感じだった。

2年生夏休み・・・半分彼女との思い出。今のところ人生で一番楽しい春夏だったと思っている。やはり交友関係は広く浅くの方向であまり誘われるほうでもなくなってきたがそれでも何とかやっていけたのはひとえに彼女がいたからであり、交友関係もまぁこんなもんなんだろうとだんだんたかをくくり始めた。

2年生後期・・・ゼミが始まって新しい人との出会いがあった。でももちろん1年前期のようなわきゃわきゃした空気は俺も周りも持っていなかったので、至って現実的で建設的な交友関係を築いた。

 mixi炎上して、その事が彼女鬱憤を爆発させることにつながって、結局彼女と別れて、なんとなくやけくそな時期を迎えた。授業に出ない日も増えたし、バイク事故ったり、無駄に夜更かしをして1日2日無駄に過ごすことも多くなった。日常が音を立てて崩れるのを感じて少し絶望的だった。そんな体たらくなので周りの人と話す元気も少しずつ失せていって、俺の交友関係はまた少し小さくなった。

 先輩にクラブミュージックを紹介してもらって、クラブミュージックに興味を示し始めた。

 スペイン語検定4級をとった。

2年生春休み・・・このままではいけない、もっと新しい世界をいっぱい見て自分自身を磨かなければ、このままだとどつぼにはまるという思いがあった。それと、まったく文化も言語も違う環境で俺は果たしてどれだけやっていけるのだろうか。それが知りたくて海外に1ヶ月ほど留学した。結果はまずまず良好だった。新しい文化や違う言語を話す人たちと交流して、それにすんなりと入っていける自分を再認識した。一緒に行った他のメンバーが戸惑っているようなことでも俺は積極的に受け入れて、それぞれの事柄は些細なことかもしれないけど人一倍向こうでいろいろなことを体験できたと思っている。自分には新しい環境に溶け込むことができる能力があるんだなとこのときに思った。

 この時期に「ウェブ進化論」を読んで、ネットおもしれーと思って、日常生活の交友関係が相変わらずさっぱりさばさば広く浅い感じだったこともあり、それ以来俺の生活の重心が一気にネットの方向に傾き始めた。これは、ひとつの非常に大きな転換点だった。

3年生前期・・・クラブ通いとネットへの傾倒が始まった時期といえる。はてなダイアリーを始めたのはこの時期で、うれしそうにweb2.0とかなんとかほざいていた。ニコニコ動画もこの時期に始めて、ネット傾倒の流れはさらに加速した。ここにきて、リアルな交友関係は少しだけ重要性が低くなった。広く浅くなんだけど、いよいよそれほど広さもないかな・・・とか思い始めた。それでももちろん、仲がいいやつとは仲がよかったので、別にそれでよかった。それよりも頻繁に通うようになったクラブでのその場その場の酔った勢い的な出会いが面白く感じるようになってきた。昼夜は確実に逆転し、街には主に夜しか出かけることがなくなり、なんだか1年前期とは違う意味でおわってるなと思うこともあるけれど、別に閉塞感も何もなく、それなりに楽しい日々を送った。学習したい欲が高まってきてだんだん本を読む習慣ができてきた。ネットに興味を示しているので、ネット関連(非技術系)の本を読み漁り始めた。

3年生夏休み・・・ネット系の企業インターンシップに行って、そこそこの成果を挙げることに成功した。有意義だった。就活に向けての意識が一気に高まった。車の免許を取った。

3年生後期・・・相変わらず生活スタイルは3年生前期と変わらず。暇なときはネットがあれば時間がつぶれるようになった。学習したい欲はゼミ個人研究が始まったことでさらに高まり、読む本の量も確実に増えてきている。だからといって毎日かつかつで生活しているわけでもなく、本当に自分の興味のままに知識を貪り、ニコニコ動画を見、クラブに通う日々を過ごしている。この前は野外DJイベントを計画した。俺にしてみれば自主的に動けたし、イベント自体もとてもいいものになったのでとても満足なんだけど、これも自分の並々ならぬ興味関心があるからこれだけ動けたのかな?とも思ったりしている。

 大学入学時に思い描いていた青写真とはだいぶかけ離れた自分になってしまっているなぁとおもうがこれも成り行きだし、こういう生活も悪くないって今思えているから結果的にはいいんじゃないのかなって思う。就活を控えて周りの就職活動も加速していて、自分もそろそろ本腰入れて就活に取り組まねばなと少し焦っている。←今ここ

 この俺の歴史を踏まえたうえでの俺の長所短所って何ですかね・・・・・・。もしよろしければ他己分析いただければありがたいです。なんか長所が見えてこないのは気のせいか?

 追記:ハテブコメで言われてそのほうがいいと思ったのでじきに小中高大含めて年表化します。

 追記:http://anond.hatelabo.jp/20071127060449http://anond.hatelabo.jp/20071206001845は俺。

 
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