はてなキーワード: 初孫とは
おじいちゃんが亡くなって、もうすぐ2年なので二重の意味で供養する
.
更には、大金かけて入学させてもらった私立大を中退して実家に帰ってくる親不孝でもあった。
5歳下の弟は国立大へ入学後、大学院へ、卒業後は隣の県で、地元の有名企業に新卒採用された。
私はというと、実家から通える職場に何とか腰をすえて、朝から夜遅くまで働く毎日。
.
絵に描いたような出来損ないの姉と優秀な弟だが、おじいちゃんとおばあちゃんからみれば、どちらもかわいい孫だったようで、平等にかわいがってもらっていた。
あと、他にも孫は5人ほどいて、同じ歳の従姉妹たちは20代で赤ちゃん生んで若いママとなり、従兄弟たちは実家の事業継いだり、東京で仕事したり、そんな感じ
親戚の集まりでも、叔父さんたちから、アネちゃんは…とりあえずいい人見つけて、早く赤ちゃん生まなきゃね…😅みたいに言われて、しんどかった。
.
そんな鬱屈した30代を過ごす私のもとに、祖父の訃報が届いた。
深夜、両親は先に実家へ、私は夜が明けてから、会社に忌引の連絡と荷物をとりに行き、車で向かった。
夜のうちに看護師さんたちが、着替えさせてくれたそうで、いつものシャツにニットベストを身に付けたおじいちゃんが布団に横たわっていた。
すごく綺麗な姿をしていた。
おばあちゃん「これもう、目も口も閉じないのかね」
.
伯父伯母たちは「もう死後硬直してるから無理でしょ」と諦め
葬儀屋さんは「半眼半口(はんがんはんぐ)といって仏様と同じ成仏の相で、ありがたいお顔なんですよ」とかなんとか、祖母をなだめてくれている。
.
「じゃあ目と口閉じるね。ピンセット使うから、危ないから頭元から離れて見守っていてね」
.
葬儀屋さんによって、故人の死化粧とか納棺師さんがいるところもあるんだろうけど、おじいちゃんの葬儀を依頼した葬儀屋さんにはいなかったようだ
専門の道具を持ってきた私をみる目が、完全に変わるのを感じた
私の勤め先は、隣町の老舗葬儀社で、何だかんだ8年ほど勤めている
親や親族が取り囲んで見つめる中、15分程でおじいちゃんのまぶたは閉じ、口元は含み綿で自然に閉じることができた
半目半口の考え方も、もちろん知っているが、喪主が閉じてほしいといってるのなら、私ならできるだけ善処する。
とりあえずおばあちゃんが喜んでくれたので、よかった。
どうやら私が葬儀社に勤めていることは、あんまり知られてなかったようだ。
…うちの親は、親戚間では基本弟の自慢で、私の話してないだろうからね。
.
その後も、率先して納棺させてもらったり、式場の御供えの順番を、おばあちゃんの相談受けながら決めたりしてお通夜を迎えた。
直前に伯父さんから、遺族代表挨拶を考えてほしいと言われた時は、さすがに焦ったけど、それっぽい文面作って渡したら、大層感謝してもらえたよ。
そして、本当にそれをそのまま読み上げてて、内心、それでいいんかい、とツッコミを入れてしまった。
.
.
翌日、伯父が今度は、告別式で7人の孫を代表して、誰か弔辞を読めと言い出した。
この時点でだいぶ嫌な予感はしていたが、まあ皆、人前で話したくないわ、文章考えたくないわで、押し付け合いになるに決まっている。
孫代表になったことを母に話すと「初孫でもないし、祖父といっしょに住んでたわけでもない、孫代表はあんたじゃないでしょ」と否定的。
そうは言っても他の孫たちはやりたがらないし、母にとっては、いらん恥かかされたらたまったもんじゃない心境だったんだろう。
.
そんなこんなで、本番。
今まで、仕事でみてきた何百という葬儀の、いろんな感動的な弔辞や孫からの言葉を、いい感じに繋ぎ合わせて読んでいるだけだが、なかなかどうしてサマになっているらしい。
最後に、自分たち孫のことだけでなく、親族一同をあげるようなことを入れれば、完璧。
振り向いたとき、揶揄ではなくまじで式場にいる全員が泣いていた。
葬儀屋さんも泣いていた。
私はまるで、世界一おじいちゃん想いの孫で、傷心の中想いを込めて言葉を送った、そんな空気だった。
.
葬儀後、会う人会う人とにかく褒められまくった。
あんなに素晴らしい弔辞きいたことない、こんなに素敵なお孫さんがいておばあちゃんは鼻が高い。
まあ、素直にうれしいよな。褒められたらさ。
否定的だった母も、周りの評価で手のひらクルっとなり、親から手放しでこんなに褒められたの初めてなんじゃないかレベルで褒められたよ。
なんだか、ありがたい経験だった。
弟からは「こういう時にしか輝けない仕事」と言われたが、この先「こういう時」が増えてくるんだから、大人しく、お葬式は姉に任せなさいね。
.
私には3つ上の姉がいる。
姉がなにか初挑戦するのにずーーーっとバタバタ過度に心配してきて、
妹の私のときは「ま、お姉ちゃんが大丈夫だったから大丈夫でしょ」で基本放置。
(ネグレクトとかではないし、愛してもらったとは思うけど、両親が不器用すぎて差が丸わかりパターン)
ないがしろ…というより、両親がとにかく焦り症で姉の時でパニックになり、
私の時にはもうガスが抜けちゃってる感じ。生きてりゃいいみたいな。
過干渉な両親にずっと注目されてきて姉もうっとおしいだろうなとは思うけど、
姉も過干渉な両親を拒否せず、むしろ依存しているように見える。(だから共依存に近い)
環境のせいもあり、私はかなり早いうちから気持ち的に自立できてたとは思う。
でもね、姉の時と比べて自分の注目度がずーーーっと低いの、結構卑屈になるぜ。
第一志望の大学に受かっても姉の就活で両親が右往左往してて「あ、おめでとう。でもお姉ちゃんはね…」だった。
第一希望の就職先に受かっても姉の結婚するしないだで両親は「あ、おめでとう。でもお姉ちゃんはね…」だった。
結婚するときも姉の第一子出産でフィーバーしてて「あ、おめでとう。お姉ちゃんの子はね…」だった。
姉も悪い人じゃないけど、とにかく主人公気質で、私のことをすごく格下と思っている節がずっとあって心からは好きになれない。
姉が旦那と揉めてうつ気味になり実家に泣きつき、両親はそれどころじゃない。
仕事しながら家のことやって、夫も忙しいし私も色々バタバタしてるからそんなに気にならないけど
ふとしたタイミングで「なんかまた姉にかき消されてるな…」って気が付いて落ち込む。
自分もメンタル不調で心療内科にかかったり抗うつ剤飲んだりしたことがあるけど、
わざわざ両親に泣きついて大騒ぎはしなかったからちょっと冷めた目で見てるところもる。
出産っておめでたいことなのに、私は姉のために心療内科調べたり本買ってあげたりして、
両親もしょっちゅう姉の家に行って甥っ子のシッターしててみーんな頭はそっちでいっぱい。
(ちなみに姉は専業主婦なので、シッターというより家に行って姉のループする長い話を延々聞いて甥っ子と遊んで帰っているよう。姉は実家から車で一時間ぐらいのところに住んでいて、私は新幹線で三時間ぐらいの距離なので、まあ致し方ないところではあるんだけど)
我が家はあんまり私とお腹の子のこと心配してくれない。まあすくすく育ってて無問題の子(エライ!)だから心配ご無用なんだけどさ。
初孫じゃないから仕方ないのかな。でも何もお祝いされなかったら私はいいとしてこのお腹の子が可哀そうでちょっと泣けてくる。
甥っ子(初孫)が生まれたときのフィーバー、絶対もう起きないもん。
甥っ子との待遇の差でうちの子が傷つかないといいな。みてねとかで割と今の時代可視化されるからさ。
夫も義両親もとても喜んでくれてるのでそれだけが救い。でも義両親は遠くに離れて住んでるのでなかなかおいそれと来れないんだよね。
里帰りする予定だけど、たぶん姉もお手伝いするとか言ってやってきて、家で具合悪い具合悪い鬱だ鬱だ騒いで両親はそっちにかかりきりで私と子はまた放置なんだろうな。大丈夫かな。でももう分娩予約したからいまさら予定変えられないしな。
もちろん姉のことも心配なんだけどさー。一度ぐらい家の中で主役になってみたかった。もう無理だね。
結婚してるし実家のことなんていいじゃん!と思うんだけど、小さいころの自分がまだ隅っこで拗ねてる感覚がある。
私は大好きな夫と家族みんなができるだけ居心地のいい家庭を築いていこうと強く思った。
お腹の子にも、もし第二子が生まれたとしても、絶対私みたいな気持ちにはさせないからね。
交際開始から、たばこの本数がどんどん増えていく夫には、ずっと一緒にいたいから禁煙してほしいと伝え続けてきた。
次の職場に移ったらやめる、来年になったらやめる、子供ができたら絶対やめる。
子供を育てるために生活を変えねばいけないよ、禁煙も必須だよ。このタイミングで難しければ今回は諦めよう。3人も楽しいだろうし、夫婦2人でも私は楽しい。
そう伝えて、妊娠に伴う体調の変化を表に出さないよう3週間返事を待った。一度も急かさなかった。
子供を育てよう、出産までに禁煙するよと確かに彼は言った。繰り返し確認し返事は変わらなかった。
夫婦揃って医療従事者で喫煙のリスクは十二分に承知している。いつからやめる?時折繰り返し確認した。禁煙外来はここが近いみたい、保険診療に該当するみたいだよ。最近本数はどう?
その後、やっぱりやめるのは無理だ、と妊娠22週を過ぎた時に告げられた。
崖から突き落とされた気分になり、同時に、里帰りしてSIDSのリスクが下がる2歳ごろまで単独で育てるしかないと思った。
どうにか禁煙して欲しかった。2人で育てると決めたのだから、2人の子供なのだから一緒に成長を見守りたい。
互いの両親にも相談した。男親は1年間子と過ごして初めて親としての自覚が湧くものだというのが九州出身還暦女性たちからの返事であった。育児は母親主体でやるものだ、というおまけのアドバイスもついてきた。あまりそんなに厳密にやっても息切れしてしまうよとも。一所懸命彼もやっているのだから無理強いしちゃいけないよ。
絶望した。
SIDSやその他のリスクを分かっているから避けたい。赤子は自立して煙から逃げることはできない。危険を避けられない。環境を整えねば。子を守ろうとしているだけ。
妊娠辞めたいと思いながら、決して口には出さぬよう三ヶ月続いた悪阻を耐え抜いた。部屋は荒れたが家事は1人でやった。サプリメントは必ず飲み忘れないようにした。なまものを避け、食事の栄養素を確認し過不足ないよう心がけた。歩いて張りを感じれば休み、動き始めた子に話しかけた。宅急便の受け取りでもマスクを徹底し、外出を控え、それでも風邪をひいたが薬を飲まず耐え抜いた。専門領域ではないから、教科書や産婦人科や小児科の専門家の見解で勉強した。
検診は毎回1人、エコー動画や妊娠経過を夫と両家に欠かさず送った。初孫で大喜びしてくれていたから。自分の体調はさらりと、心掛けて子の様子をなるべく詳しく伝えた。
名前も考えたいと家族から申し出があり、皆の大事な子なんだと嬉しく感じ候補をいくつか挙げてもらい検討した。
自分の考えを伝えたが、60を超えた人間の考えはそうそう変わらないということは十分理解している。十年どころではない育児環境等のギャップがあるのだ。自分とは別の人間なのだ。電話を切って号泣した。
里帰りしたら、出生後子は月に一度、2.3日間父親と過ごせるかどうかが精一杯の環境。愛着形成どころではない。子を守って三人で一緒にいたいだけ。
検診に通い、他の家族の例を調べ、そしてもう一度喫煙について調べ、
家族で過ごす場所では完全禁煙、外で喫煙し帰宅した場合子に触るのは入浴してからというのを前提に
ないしは
B.子と私は公共交通機関ないしはタクシーのみ利用。マイカーには乗らない
2択を夫に提示した。
妊娠後期の今までやめたくないと言ってきたのだ
、この提案を聞いてAを速攻選べないのならBしかないだろうと思った。
悩ませて欲しい、考える時間が欲しいと言われたがもうそんな時間はない。ない選択肢を期待させる言葉はいらない。今すぐ答えを出せるはず、と伝え、Bで...と夫が答えたのが一昨日の話。
本当は3人でドライブに行くのが夢だった。ずっと2人で乗ってきた思い出の車、もう私も乗れなくなる。分かったよ、と努めて普通に返事をし入浴した。涙が止まらずシャワーを流しっぱなしにした。子供の命は私が守るしかない、これしかない、泣いてる暇はないんだからしっかりしろと言い聞かせ浴室を出た。
何も言わなかったが私が泣いたことに気付いていたらしく、夫は昨日今日ずっと元気がなかった。
励ましてあげたいが、私は何も言えない。
ちなみにワイが初孫できたのはギリ30代やったで
「孫は良いよぉぉぉぉ!可愛がるだけでなんの責任もないし無茶苦茶可愛いんだから」
と期待値のハードルを上げまくられ、実際めっちゃ楽しみにしてたんだよね。
うーん…
あー…
ぜんっぜん可愛いとか思えねぇ。
まぁ赤ちゃんだからしゃぁねんだろうけどさ、別に面白いこと言う訳でもないし、会話が成立しないことに苛立ちしか感じねぇ。腹減ったり気分悪かったら泣くしかアウトプットがねぇ。何なら笑いもしねぇ。何だこれ。名前呼んだって返事する訳でもないし、付けた意味あんのかこれ。
そしてくせえ。風呂に入れた直後以外は常に汗くせぇかうんこくせぇかの二択。ウエットティッシュとかで拭いてやってもくせえ。そもそもがくせぇ。触りたくもねぇ。ヨダレで常に手とか口元とかくせぇし汚ぇし。
娘の旦那とかが気に食わないとかじゃない。寧ろ好青年で大好きな部類。
娘が産まれた時はここまで嫌じゃなかったんだけどね。何だろう。会話が成立する頃には可愛いと思えるようになってんだろうか。
まぁこの接し方で孫に俺が好かれる訳が無いからその頃にはもう遅いんだろうけども。
なるたけ本心は隠してるけど、嫁や娘は俺の本心を薄々見抜き、どんどん離れていっているのを感じる。
それはそれで何となくいい具合だ。
40代も後半に差し掛かり、性欲その物が薄れて嫁に求められるのが苦痛に感じていたし、何より不衛生極まりない赤子に触れずに済む。
もうこの先誰とも関わらず生きて行けたらどんなに幸せだろうか。
子供の名前は非キラキラだが読み方が複数あるものにした(例えば……幸子/ゆきこ/さちこ、優/ゆう/まさる/すぐる……等のように)
名前を伝えたところ、後日義両親より「その名前では一発で読めないから変えなさい」と電話がかかってきた
まさか口出しされると思わなかったので超絶驚いた
こちらの話に聞く耳を持たず「変えなさい」の一点張りだったため、こちらから一言、絶縁しますとだけ言い放って電話を切った
自分の両親からは「名前はあなたたちで決めるべきだがとにかく絶縁宣言だけは取り消して謝りなさい」と言われたが、私は自身に一切の非がないと信じているので謝罪する気はゼロだし、今後義両親に子供を会わせる気はない
そのことを配偶者に話したら、私に理解を示しつつも落ち込み疲労困憊モードに陥っている
呪術廻戦の虎杖風にいえば、義両親の行為を許すということは、今後義両親にとって口出しすることが当たり前に選択肢に入ってくるのである
子供のことに口出ししてほしくない私としては、ここで絶縁宣言するほか無かったのである
さて育児頑張るぞ!
先日娘が生まれた。
私と妻共に初産で、互いの両親から離れた地方都市で、新生児の娘と3人で暮らしている。
強い違和感を覚えたのは、娘の出生後に私の両親が訪れた際のこと。
ミルク育児を選んだ妻に対して、「母乳でなければ健康な子供が育たない」「愛情が育まれない」などと平気で悪態をつく。私が居ればその場でフォローするなり嗜めるなりのことは簡単なのだが、私が赤子の世話で外している時に限って言ってくるのでタチが悪い。
母親はミルク育児に理解はあり、妻の味方になってくれようとはするが、その場で強く父親を否定できない様子だったそうだ。
その時点では妻もそんなに気にしていない様子だったが、問題は続く。
幸いにも無事に娘が生まれたことは、互いの両親や親戚に祝福され、様々なお祝いもいただいた。妻の両親にとっては初孫ということもあり、日頃の感謝を伝える意味でも「みてね」という写真共有アプリで、互いの両親に日頃の娘の成長を共有している。結論から言うと、これが良くなかった。
動画と写真を共有を開始してまもなく、私の父から「母親に笑顔がないので赤ちゃんが不安になります」「ミルクは太りやすいです」などのクソリプが、連日私や妻の投稿した写真や動画に紐づいたコメントに投稿されるようになってしまった。コメントは妻の両親も見られる仕様になっており、私が「娘は妻のことが大好きなので何も問題ないです」「余計なお世話😎」と応戦するも、まるで意に介さない。さすがの妻も気にせずにはいられない様子で、次第に娘の状況を報告することが少なくなっていった。
私の父親は典型的なSNSをさせてはいけない部類の人間で、ネットリテラシーはおろか、普段のコミュニケーションでも相手の状況や価値観などを想像することもなく、思いついたことをその場で発言してしまう。無論本人には悪気はなかろうが、故にタチが悪い。離れて暮らすには支障は無いが、親戚や、特に奥さんの両親や親族のいる場所に出してしまってはいけない人。
増田諸兄も同様の経験はないだろうか。Twitterで晒しあげられるクソリプ見て、一体どんなやつが投稿しているのやらと笑っていたら自分の親だったという絶望感を味わったという話だ。
以上で話はいったん一区切り。この状況について、今すぐにどうこうする気はないし、対処療法的な策は少し考えれば思いつく。その気になれば父親のアカをBANすることも容易い。いったんはそれで解消する程度のいざこざである。
---
一言で言えば、私は父親との関係をミスっている。振り返れば関係構築の機会が十分に与えられることがなかったのかもしれない。
父は高度経済成長期の只中に生まれ、首都圏の大学卒業後にメーカーの営業一筋40年間。定年まで勤め上げ、高校卒業後に専業主婦となった母親と共に3人の子供を育てた。何せ企業戦士という言葉がポジティブに使われていた世代よろしく、私が小学校に入学して以降は単身赴任で全国を転々とし、思い返せば思春期以降にまともに話をした覚えがない。そして、私が高校を卒業後に家出同然で地方へ移住してしまって以降、その機会は完全に奪われてしまった。
様子がおかしいこと自覚したのは、父の定年後に久々に実家に帰ったときのこと。父は大概リビングで無言でスマホをいじっている。何をしているのかと思えばyoutubeで右翼コンテンツの類をヘビーリピートしているのだった。ちょうど『ネット右翼になった父』というwebメディアの記事がバズった頃。当時の私にとってはそのことがひどく憂鬱で、同世代の友人にそのことを共有したりしてとりあえず笑うことにしたのだが、父とは特にコミュニケーションすることはなかった。
家族を経済的に成立させるという点において、父は立派な人間だった。子供の頃はよく遊んでもらったし、海外旅行や外食はほぼ無かったが、進学費用をはじめ経済的に苦しかった記憶は無いし、不倫やDVなど、いわゆる毒親と呼ばれる要素は皆無だったので、総合すれば素晴らしい父親に恵まれたと今でも思う。一方でコミュニケーションに難があり、また、個人の思想やライフスタイルの多様性が尊重される時代において、価値観をアップデートする機会に恵まれなかった結果として、前述のような問題として表面化してしてしまったと感じている。
勝手にアプデ済ませとけと思う一方で、父にとって最も身近な若者である私と兄妹が、その役目を果たすことができなかったことに責任の一端を感じないでもない。父同様に、これまで私も父との会話をサボってきたのは事実なのだから。
こうした問題を世代間における価値観のギャップと切り捨て、ともすれば縁を切れと脊髄反射で発言する輩がいるが、私はそれをサボりたく無いのだ。現実的には、両親のサポートが必要な場面は今後も生じるだろうし、観念的には、そうした家族の面倒ごとは大袈裟に言えば私のアイデンティティそのものに関わってくる問題だと思う。こういう事象をサボった結果として、自分が将来娘と絶縁する世界線もないとは言えない。無論、努力した結果絶縁されるのは仕方ないとして、それをせずに絶縁するのは違くない?と。
少し極端な物言いになってしまったが、要するにアプデに失敗した老人の暴走という問題として片付けたくはなくて、家族のコミュニケーション不全を見直す良いきっかけにしたいと思っている。昭和の終わり〜平成の初めにかけて生まれた人間にとって、同様の問題を抱えている人は多いと思う。死ぬほどだるいしムカつくけど、一緒に頑張っていきましょう。
最後に妻よ、私と父親のサボりによって被害を被ってしまって本当に申し訳ない。時間はかかるし、今後も問題は起こるかもしれないけど、少なくとも今よりは改善できるよう努力します。
娘よ、私の至らぬところで君の祖父という人間について、希薄な情報しか残すことはできないかもしれないけれど、父ちゃん頑張るので許してくれ。
去年、出産時にコロナ陽性のため無症状であったが強制的に帝王切開をされた。
私としてはお腹に傷が残るから絶対に嫌だったものの「医療従事者に感染させる可能性がある」との理由で強制的に帝王切開を行われた。
帝王切開をしなくても安全に子供が生まれるのになぜ帝王切開をしないといけないのか、医療従事者を守るためになぜ傷を受けないといけないのか、
まったく理解できず、そこで産むしかない以上仕方なく受け入れたものの、今でも体の傷を見る度に悔しさを覚えていた。
また、入院中の母に生まれた子供を会わせたかったが、コロナを理由に家族との面会が禁止となっていたため会わせることができず、母は初孫を見るまもなく昨年末亡くなった。
そんな中で、今週話題になっていた外科学会のノーマスク学会パーティー動画を見てしまい、涙が出た。
あれだけ一般人に負担をしいてきた医師たちが、何百人と集まりノーマスクでスカパラの演奏を楽しみ酒を飲み胴上げをしているのを見て、何も言えなくなった。
この動画や写真は現在取り下げられているけれど、公開したことが問題ではないし、根本的に医者たちは勘違いしているのではないかと思う。
今でもコロナウイルスはいなくなっていない訳だけど、当初から一部で主張されていた「無くなるはずがないからウィズコロナで対応するしかない」という言説を否定して、
「医療従事者」「専門家」の名のもとに3年間の間、一般人にあらゆる負担を課して、行動を制限し、帝王切開を強制し、面会を制限してきた。
それに対する総括もなしに、医師たちはもうコロナは終わったとばかりに、高級ホテルのパーティー会場で高い酒を飲みノーマスクで一流ミュージシャンを呼びどんちゃん騒ぎをしている。
別にノーマスクでどんちゃん騒ぎするな、とは言わない。「コロナはなくならないけど、もう終わりとするしかない」のだろうから。
でもその前に、この3年間コロナを終わらせるためにという名目でQOLを著しく制限された一般人たちがいるのを忘れないでほしい。
医療従事者に移さないためにという名目で強制的にお腹にメスを入れられた妊婦がいることを忘れないでほしい。
「コロナはなくなりませんでした。すみませんでした。これからはみんなノーマスクで行きましょう」とちゃんと総括してほしい。
子供が亡くなった。病気を持って生まれてきて、一生懸命治療をしていたが亡くなってしまった。もうすぐ1歳だったが その一生涯を病院で過ごしたため生きているうちに家に連れて行くことは出来なかったし、それどころか呼吸器をつけていたため抱っこすら出来なかった。それでも急変だったから、心の準備なんて出来ていなかった。
第一子。自分たちの両親にとっては初孫。妊娠中 たくさんの人たちが御札やお守りも買って子が元気に生まれてくるように祈ってくれた。だが生まれた子は難病。闘病中だって 良くなって退院できることをたくさん祈ったけど、亡くなってしまった。
神も仏もいない。人並みに真っ当に生きてきたよ。なのにこの仕打ち。絶対神なんていないだろ。
元々信じている教えも宗教もないしね。
子が亡くなった次の日の、配偶者は居ても立っても居られなくて、仏壇屋に行って資料をもらってきた。確かに私達は親としてしてあげられたことってほとんどなかったし、何かしてあげたいっていうのはあるよね。
自分は子供を想うスペースは必要と思ったけど、別に仏壇って形である必要はないと思ってた。けど配偶者は仏壇がいいって言うから、話し合いの末 仏壇を購入した。
仏壇を買ったりして思ったけど、一般的な死後の考え方があまり受け入れられないなって。
仏壇の1番上 奥には仏様をおいてその下には位牌。位牌には亡くなった人の魂が入る。一段上の仏様が亡くなった人を導いてくれる。
チーンとならすおりんは極楽浄土まで音が届く。
→届くか?
死者は香りを食べる。だからお線香をあげて手を合わせる。ご飯をお供えする。
→香り届くか?
あの世で7日ごとに極楽浄土に行けるかどうかの裁判があり、49日はその最後の裁判。
→現世的すぎない?
おりんをならす行為 お線香をあげる行為で子供に心の中で語りかけたりするから、すべてが無駄だとは思わないけど なんか都合が良すぎないか?とは思ってしまう。
49日に至っては、子は赤ちゃんなのに裁判にかけられるなんて酷すぎないかと思ってちょっと嫌な感じするし。人の子を勝手に裁くな。
小さい頃から仏壇がある家で育った配偶者と、仏壇に馴染みのない自分と、仏壇に関する考え方が違いすぎて、どれにするか どのものを置くか まとまるまで少し言い争う事もあった。
私は 赤ちゃんの子供に厳かすぎる仏壇にしてしまうと、子が遠いものに感じてしまうような気がしていたため 何か子の象徴のような形にしたかった。配偶者はちゃんとした仏壇にして子を弔いたいと言う気持ちがあった。
まあお互い言っている事はわかる。
相互に妥協してちゃんとした仏壇にポップ目(ピンク色の仏具 パンケーキの香喰等)な仏具を置くことでまとまった。仏様は置かず 位牌も置かない。100センチ程の仏壇の上にはぬいぐるみを並べた。
だがおりんは置きお線香もあげられる。子を想い手を合わせる場所にした。お骨は仏壇に置いた。お骨は 夫婦生き残ったほうが先に死んだ方の骨と一緒に子のお骨も処理する とした。
私は今の形である程度納得している。配偶者もそうであってほしい。
亡くなったのが赤ちゃんだったから一般的な感覚とは少し違うのかもしれないけど、死んだら現世の煩わしさとか辛さ痛さからは 「無」だから何もしなくても開放されると思ってる。でも仏壇は親側の気持ちの行き場所 何もしてあげられなかったから誠意 手を合わせたいみたいな部分で意義があって買って良かったと思う。
けど、一つ一つのもの 事に対してはこじつけだしご都合主義過ぎないかとちょっと思っちゃったな。
仏壇に仏様置かないと導いてくれる存在がいなくて良くないって仏壇屋さんには言われてそれってどうなのって思ったし、それって仏様買わないことに対する脅しみたいなもんじゃんって。
納骨は子のためにした方がいいっていう親族もいた。
わかるよ。わかるけどね。
死や死後に対する考え方は人それぞれだと思う。正解なんて誰も知らないし ないのかもしれない。
夫婦という二人の間だけでもそれなりに揉めたのに、親が亡くなり、その子供が何人もいてその配偶者が絡んできてなんて場合、多くの人の考え方があって 墓や仏壇一つ買うのもすごい大変なんだろうなって思った。
小室圭さん、投資家転身か 眞子さんが皇族だった30年で得た1億円以上が軍資金に?
御手元金として皇族費が、成人前は年305万、成人後は年915万支給されていた
御手元金として皇族費が、成人前は年305万、成人後は年915万支給されていた(写真は2018年7月の海外公務時の眞子さん。撮影/横田紋子)
写真300枚
かつて内親王だった眞子さんには、御手元金として皇族費が支出されていた。その額は、成人前は年間305万円、成人後は年間915万円。しかも非課税だ。非常勤ながら、博物館「インターメディアテク」(東京・千代田区)にも約5年間勤務した。
「眞子さんは、皇族だった30年間で、単純計算で少なくとも1億円以上の金銭を得たでしょう。さらに、親族から結婚生活への支援があっても不思議ではありません。例えば、初孫の眞子さんを心配された上皇ご夫妻が、お祝い金としてある程度まとまった金額を渡されたとも報じられました。内廷費からは御手元金として年間最大1800万円を、国会の議決を経ずに支出することができます。
小室さんは、眞子さんの資産を握りしめて投資家になる算段なのでしょう」(宮内庁関係者)
仮に小室さんが「E-2」を取得することができた場合、眞子さんには配偶者ビザが発給される。さらに、「E-2」の場合、配偶者は働くことができる。
METでの眞子さんはボランティアの扱いで、収入は得ていない。しかし夫が「E-2」を取得すれば、正規の学芸員として勤務することも可能になり、眞子さんの就労問題も一挙に解決するのである。とはいえ、道のりは平坦ではない。「E-2」は、自らが投資したビジネスが失敗に終わったと判断されると、その時点で失効する。これまでにさまざまな仕事を経験し、キャリアを変えてきた小室さんに、投資家としての才覚は秘められているのか。
https://www.news-postseven.com/archives/20220527_1757956.html/2
なんとなく触っちゃいけない話のような気がしているんだけど、ずーっと考えていることがあるからちょっと聴いてほしい。
「認知症」って、"その人が1番幸せだった時に戻る"って話を聴いたことがあるんだ。だから、大人になった自分の子の顔が分からないとか、ずいぶん若い頃に戻っちゃったみたいになるとか。その考え自体はなんか素敵だなって思ってたの。ちょっと救われる気がしたの。
うちは何年か前に父が亡くなって、その翌年に子供ができてさ。母も初孫で嬉しくて、年金と貯金で生活しているのに、なんのかんのと服を買ってくれたりプレゼントくれたりしてて。それが生き甲斐で楽しみなんだろうから、他で物入りになったらこっちで出すとかしようと思ってるんだけどね。
それで、話は戻るけど、もし母が認知症になったら、孫がうまれる前の父がいた頃と、孫がうまれたあとの今と、どっちに戻っちゃうんだろうなって考えちゃったんだよね。
今のところその兆候はないんだけど、子供は子供で、こういうご時世であんまり会えないんだけど婆ちゃん大好きなんだって。
今更遅いし、病気なんていつどういう形で出るかなんかわかんないけど、こういう時もっと早く子供もっておけばよかったなぁって思うよ。