twitterを見ていると思う。
好きな同人作家には「好き」だと伝えるべきだという風潮が、どんどん広がっている。
それはとても良いことだ。
三年間ほどROM専だったが、ジャンルを移動して、また創作をするようになった。
始めに書いたのは、凄く人気という程でもないが、商業で活躍されている作家さんがいるCP。仮にA×Bとする。
好きになった勢いで、一作目を上げた。
熱が冷めなくてもう一作書いた。ブクマがどんどん伸びていく。旬ジャンルはすごいなぁと思ったものだ。
数ヵ月後、今度は違うCPで一作書いた。仮にC×Bとする。
C×Bは、A×Bよりはマイナーだが、そのCPにおいてそれ以上ないほど完成された創作が上がっているCPだった。
C×Bが好きな人ならば誰もが読んでいる創作だ。私自身もその創作を見て、C×Bを好きになった。
好きになった勢いで上げた。すると、その投稿ツイートにいいねやRTがちらほらいただけて、驚いた。
この言葉のお陰で、今も私は創作をしている。感想をいただけるということは、こんなにも嬉しいものか、と思った。
だから、書く予定のなかった続編を書いた。書いていてとても楽しかった。
移動して来る前のジャンルは、好きになってもう七年目になるジャンルだ。
旬とは言えないジャンルの、そこそこマイナーなCPなので、その界隈のほとんど全員が顔見知りといった状態。
三回イベントに参加して本を出したが、どんどん売れなくなっていった。
たった20部が捌けなかった時は落ち込んだ。自分の中では結構自信のある本だった。
最初の内は感想を言い合える方が居たが、その内には私がその方に感想を言っても、私の創作については触れられなくなった。
恥を忍んで「感想いただけたら嬉しいです」と書いたこともあったが、駄目だった。
私は感じた。
私は今も前のジャンルで創作をされる方に感想を送るし、楽しんでいる。
何か勢いのつく出来事があったら創作も出来るかもしれない。だが、今のように書き続けることはないかな、と思う。
C×Bでは、A×Bほどのブクマはないが、本当に沢山感想を貰うことが出来た。
twitterではひとりごとを呟くだけでなく、リプライのやり取りをするようになった。
流行りの質問箱を置いたら、そこでもちらほら感想をいただけるようになった。
数年間、創作なんか何が楽しいのか分からないと思い続けていたが、今は凄く楽しいと思えるようになった。
見てくれている、好きだと思ってくれる人が居る、そう実感出来ることは、こんなにも原動力になる。
ただ、「好き」を伝えることはとても難しい。
毎回毎回「好き」だと送って、鬱陶しがられないだろうか。
感想を送ったらとても喜ばれたからまた感想を送ろうとしても、何度も送ったら義務で送られているという印象を与えないだろうか。
嫌だと思われることは流石にないだろうが、感想を伝えて、お礼を言われる、そのやり取りで気を遣わせてしまわないだろうか。
でも、前は「好き」だと言ったのに今回は「好き」だと言わなかったら、この創作は駄目だったのか、と落ち込ませはしないだろうか。
そんなことをうじうじ考えてしまう。
創作をする私自身がそうなのだから、例えばROM専の方などは私以上にそう思ってしまうかもしれない。
だからこそ、いただけた「好き」は本当に大事にしたいと思うのだ。
例えば、私がC×Bを上げる。すると、それから数時間も経たない内に、フォロワーが「C×Bほしい」と言っている。
私は、さっき私が上げてるのに、あれじゃ駄目だったのかな? と思ってしまう。私は基本的に、こんな風にうじうじしている。
だが、私がC×Bを書きながら「本当にC×B書けない、全然駄目だ、面白くない」と呟いたとする。
もし私に感想をくれた人がそのツイートを見たら、「あんなに好きだって伝えたのに、やっぱり自分からの感想は嬉しくなかったのかな?」と思わせてしまうかもしれない。
そうなってしまったら嫌だなぁと思うから、ネガティブな発言は控えるようにしている。
そういったこまかいところで、いただいた「好き」を大事していく。
少し話は変わるが、自分に向けられる「好き」の言葉は、「嫌い」よりも軽く受け止めてしまいがちだ。
でも、人間は「嫌い」を繰り返すことはほとんどない。「嫌い」なものにはわざわざ触れないからだ。
美味しくない食べ物を食べて、これは「嫌い」だと言う。その食べ物を二度と食べることはないから、「嫌い」と言い続けることはない。
でも、美味しい食べ物に対しては何度でも「好き」だと言いたくなる。繰り返し言うから、「好き」は結構印象に残りやすい。
一度も話したことのないフォロワーさんが頻繁に「好き」だと言っているものを見かけると、その人を思い出す。
普段会話をしない人でも、その人が「好き」だと言っているものが自分のTLに流れて来たら、教えてあげたくなる。
そういう時はとてもほっこりした気持ちになる。誰かの「好き」で、自分も幸せになる。
それが自分に向けられたものじゃないにしても、ほっこりと温かい気持ちになることがある。
「好き」は大事にしたいし、一人でも多くの人に、この思いが伝わればいいなぁと思っている。