はてなキーワード: 花札とは
switchが曲がった。
2日に一度1時間半~2時間弱くらいしか遊べないのに曲がった。
一緒に友人も購入したのでswitchを並べて試してみた(ちなみに友人は忙しくて箱から開けてそのままだった)
明らかに曲がっているので任天堂にTEL。
曲がっていること、テーブルに置いたらカタカタ鳴ること、友人のswitchは鳴らないこと、伝えられることは全て伝えた。
任天堂の回答は
「今まであったお問合わせで曲がってしまったという申告はありませんし、そのような事象は確認できておりません」
あれだけTwitterやそこらのブログでも同症状で悩んでいる人がいるというのに、まだ確認出来ていないという。
曲がったという申告で預かった事もないのか?と、聞いてみた所…「ありません」と回答してきた。
嘘をつけ。
任天堂に呆れる。
そんなやり取りをしていて、そういえば任天堂は以前も似たようなことをやってダンマリを決め込んだな…と思い出した。
このゲームはテクモチームが作成したソフトだがブランドは任天堂で発売している作品だ。
この時起こった内容は…
ゲーム内でコンプリート出来ないデータが有るためにエクストラで開放されるべき項目が開放されないというバグ。
零が好きな私は、この問題が広まる少し前に気づいたので任天堂に相談をした。
その時はまだ「確認できません」という回答は仕方ないと思った。
ネット上でも任天堂に直接申告した人たちが揃って「任天堂はサポートをしない」と言っていた。
声が大きくなって収拾がつかなくなった頃、任天堂が出した答えは…
「バグはあったけど改善する気はないのでゴメンねー」という適当な答えだった。
その告知をしてからサポートに電話しても「そのような症状は出ていない。確認できないです。不具合じゃありません」という回答だった。
ここまで書いて気がつく。
だとしたら、上がどんだけ糞かって話になる。
switchみたいな不良品を購入してしまった人が気の毒でならない。
俺のswitchは大丈夫ーなんて思ってる人は油断しない方がいい。
皆が持っているswitchは全て同じ工程で作られた同じ素材で出来たものだ。
油断しないほうが良い。
「なぞのばしょ」で10年越しに出会ったアルセウスがもたらしたもの~バグとクリエイティブについて~ - オーズに憧れてアニメ脚本家になるまで。
こういう努力って結局評価されないというか(発売後10年たったタイミングでもなければ)評価されてはいけない。バグが一瞬で広まって「ソーシャルゲームとしてのポケモン」が全く売れなくなったらこまるのは手間暇かけて開発したゲームメーカーで、さらに失敗作のコストを次回作に上乗せされる次世代のユーザー(低年齢層)だからです。
というか、自分が小さい頃は任天堂は将軍マークの花札だの百人一首だのつまらないおもちゃしかつくっていなかったし、今だって64こけた、WIIUこけた、スマホマリオ2500円がこけた、スイッチはどうかということで、自分としては未だに「そんなよわよわしい企業を『みんなで努力』して個人的な感動と引き換えにつぶす気か。『無邪気な少年の心(自称)』とコンピュータ技術をあわせもった世代はマジこええな」という気持ちです。相手は大人だ、潰れない相手だとおもってるから外国という安全圏からも全力で削りにこられて。本当に厄介だろうなあ。
たぶん、「どこからともなく」で動画もブログも削除になるだろうから魚拓しておくという手もあるけど。
あともし自分で「いや、それでも10年後発見されるバグ技には感動という価値がある、この動画だけは消さないでくれ」と思う場合は、今週中なら
になげこめば、一応読んでくれますよ。
ただし、今の法律(著作権法、不正競争防止法)の該当条文までおとしこんで「ここがおかしいからこうなおせ」までいわないと理解されません
咲のマンガ読もうとしたけど、麻雀の知識なさすぎて1巻の序盤(和が咲と再戦はじめる?あたり)で挫折した
もうこうやって何度も1巻すら読みきれずに挫折している
知らなくてもアイシールド21みたいになんとなく雰囲気だけで読めばいいのかなあ・・・
でもスポ根と違って、ああいうテーブルゲームはルールあっての面白さって感じするんだよなあ・・・
雰囲気だけだともったいなく感じる
大学時代にずっと引きこもってて友達と麻雀やって覚えるなんて機会がなかった人間にとっては、
ねこねこ麻雀で覚えようとしたこともあったけど、そもそもねこねこソフトひとつもやったことなかったから、
せっかくの萌えキャラ学習ソフトもモチベ上がんなかったんだよなあ
fateトラブル道中記で一度もやったことない花札は覚えられたから、知ってるキャラが指南してくれるソフトだったらいいと思う
[チョン・ジェハク コラム]平壌(ピョンヤン)を打って、日本列島を切るとすぐに!
2015年07月22日(水)13:23:00 チョン・ジェハク編集委員
今でも鳥肌が立つのは、私たちの民族に対する日本の悪意だ。 理由がない悪の. したがって日本が私たちの民族に対する悪意は先に天だと見る。
日本の根が深い悪意は今でも進行中だ。悪意から出発した日本が私たちの民族に及ぼした害悪がどれくらい多大かは今でも変わりない独島(ドクト)侵奪野心と歴史反省の姿勢で如実にあらわれるというだろう。
そして筆者は日本だけは必ず地球上で絶滅させなければならない唯一の人種であることをもう一度確認している。
特に亡国的だと呼ばれる地域感情が日帝によって作られたことを、私たちは賢く知っていなければならない。そして日帝強制占領期間36年の血まめができた怨恨も怨恨であることであり、日帝が残して行った傷痕中に民族分裂政策があったことを上記してみなければならない。なぜ私たちが日本をそのように呪わなければならないかに対する立派な答になるためだ。
1945年8月15日、彼らは韓半島を離れて、二種類をいって行ったと伝えられる。その一つは必ず10年後に帰ってくるということであったし、また、一つは私たちの民族が永遠に団結と和合をできないだろうというものだった。植民教育の中に毒素を入れて教えたという意だった。
日本は1919年3.1運動に接したらで、韓半島統治に植民教育を強化した。そして皇国臣民(天皇の国に臣下なった民)を育てるために国民学校(国民=皇国臣民の略語)をたてて、私たちの民族の頭の中を洗脳させ始めたし、民族精神を抹殺するために学校で私たちの国語を奪ったし、伝統と文化に対する否定的な意識を教えた。
花札を流行させたのも民族精神抹殺政策の一環だった。花札は勤倹節約の美風良俗を害して、トゥレ村の協同精神を押し倒して私たちは怠惰な国民に成っていった。
しかし5000年歴史を持った自主民族が一日で簡単に洗脳される理由がなかったし、いよいよ植民教育の強圧を突き抜けて光州(クァンジュ)学生運動が起きた。この事件で日帝は植民教育の方向を修正した。それが民族分裂政策だった。
民族分裂政策は湖南(ホナム)に対する排他的意識を育てることで始めた。 歴史的に湖南(ホナム)は日本の自尊心を押し倒した、日本に敗北の数値を抱かれた故障だった。 壬辰倭乱当時李舜臣将軍の部下にはいつも勇敢な湖南(ホナム)人がいたし、幸州(ヘンジュ)山城での大勝にもクォン・ユル将軍をついて行った全羅道(チョルラド)出身の将卒があった。 豊臣秀吉の侍童出身小暑銀行長は幸州(ヘンジュ)山城の敗北を、全羅道(チョルラド)出身将卒の奮闘を理由に上げたりもした。
同学以後起きた義兵大部分が湖南(ホナム)を拠点にして起きたし、生き残った義兵は智異山(チリサン)を根拠地で活動していた。ここに何と20年余りの植民教育を押し倒して光州(クァンジュ)学生運動が展開したのだ。
これに対し日本は湖南(ホナム)排斥を目標に地域感情を生産し始めた。
植民史学者を動員して、その有名な考慮王健のフンこの十兆をまき散らして、湖南(ホナム)を醜くていやしい反逆の故障で認識させ始めた。ここに応じたのがいわゆる両班(ヤンバン)階層の親日派であった。‘全羅道(チョルラド)犬の土鉄’という(のは)湖南(ホナム)国民らをいやしく呼ぶニックネームだった。
日帝によって生成された地域差別は、親日史学者らと貴族階級の末期的現象に心酔した愚かな支配階層によって広く広まったし、そして日帝は韓半島を離れて私たちの民族の大同団結をあざ笑うことになったことだった。
湖南(ホナム)に向かって逆差別的な毒素は軍事独裁で花を咲かせたと見る。軍事独裁当時湖南(ホナム)出身は将軍進級が事実上詰まっていたし、カンでも、財界でも湖南(ホナム)人は排斥にあった。どれくらい深刻だったのかは筆者の体験の中に今でもそのまま生きている。子供の未来のために本籍までパーサー移住する湖南(ホナム)人が如何に多かったのか。
日帝が狙ったそのままであった。さらに全羅道(チョルラド)人ならば婚姻もしなかった。他地域に嫁入りした湖南(ホナム)女たちが受ける侮辱は怒りにつながったし、その怒りは亡国という言葉どおり広がった。
暮らすために他地域に離れた湖南(ホナム)人は全羅道(チョルラド)なまりを使わなかった。情感に充ちたその言い方まで隠さなければならなかったすべての悲しみは湖南(ホナム)人の胸に数多くのあいくちをさしていた。
そしてその頂点に5.18があった。‘慶尚道(キョンサンド)軍人が湖南(ホナム)人をみな殺す’というデマが光州(クァンジュ)市民の胸に火を付けたのだ。筆者もその現場で確認したことだった。したがって光州(クァンジュ)市民はそのようなデマが追い込まれる程湖南(ホナム)差別に対する痛くて大変な数多くの経験があったのだ。
その辛い経験は深い傷で残って今でも有効に展開していると見なければならない。北朝鮮が操縦する韓国内葛藤の実体も湖南(ホナム)地域差別に根元を置いたことだった。おそらく北朝鮮は最後まで地域差別をそそのかすつもりだろう。
日帝が残した植民教育の毒素は、民族分裂のための地域差別だった。今でもこの呪いが生き残って繁盛する理由はその最初が北朝鮮の対南工作にあって、その次がまだ地域差別の実体を悟ることが出来なかった愚昧な国民にあるというだろう。
筆者は北朝鮮との戦いで勝つには、先に韓国内葛藤の根因を除去しなければならないと信じる。そのためにはこの葛藤の出発が地域感情であり,この地域感情は日帝の陰謀だったことを、もう天下に知らせなければなければならないと考える。
もう一度民族を考える。私は全羅道(チョルラド)の人だ。もし国家に危難がくれば、幸州(ヘンジュ)山城とミョンニャンに向かって走って行くだろう。明確にそうするだろう。
私たちは団結しなければならない。私たちが団結すれば、北朝鮮を自由民主体制に移ってくることができる。そして私たちが韓国、北朝鮮国力を統一すれば、日本を克服することができる。
したがって地域感情をはね除けて力を集めて、ついに平壌(ピョンヤン)を打って、列島を切らなければならない。 私たちの民族1世紀の間の怒りを必ず返さなければならないと信じる。
原文 韓国語
留年した年、親からの仕送りがストップしたため、1年間日雇いのアルバイトをした。
夕方6時から翌朝8時まで、自宅付近にあった運送会社の集配所で、荷物の仕分けをする仕事だった。
残す単位は2つだけだったので、学校に行く必要はほとんどなかった。
アルバイトに来るのは合計7人くらい。顔ぶれは毎日ほとんど同じ。
学生や見知らぬおじさんが来ることもあったが、2日以上勤務する人は本当にまれだった。
たまに続けて出勤する人もいたが、数週間くらいで来なくなり、またもとのメンツに戻る。
勤務時間が長いし、ずっとダンボール箱を移動しつづけるのは本当に辛いし、常連メンバーの雰囲気も独特だった。
学生はひとりもいなかった。
夕方、倉庫に到着すると、片側半分くらいがうず高く積まれたダンボールで埋まっている。
僕たちアルバイトの仕事は、ダンボールに貼り付けられた伝票を見て配送先を確認し、それに応じたトラックの搬出入口までダンボールを運ぶことだった。
たしかアルバイト求人票には「倉庫内軽作業」とあった気がする。
「軽作業」といっても、これはフォークリフトなどの重機を使わない作業ということで、人力でやる分には重くて仕方がない。
とくに古着が詰め込まれたダンボール、それから木枠に収められた小型エンジンは、手首が抜けるほど重かった。
朝方になると、その他の社員も出勤してきて、小さなフォークリフトを器用に運転し、人間の手では運べないような荷物を整理する。
そうこうするうちに運送トラックがやってきて、ドライバーたちが僕たちの仕分けた荷物をトラックに積み込み、各地域に向かって発車していく。
アルバイトが終わったら近くの吉野屋に入り、牛丼を二杯食べ、その足で銭湯に寄って、自宅に帰るなり泥のように眠るという日々を送った。
銭湯で風呂桶にとったお湯を身体にかけると、真っ黒になった水が排水孔に流れていった。
最初はびっくりしたが、どうやらフォークリフトのはき出した粉塵が、全身の体毛に張り付いているようだった。
鼻の穴に指をつっこむと、指先が真っ黒になるので分かった。
常連のアルバイトメンバーは、自分を除いて全員住む家がないようだった。
といってもこれは随分後になってから仲良くしてくれた人から聞いたことで、直接本人に確認したわけではない。
日給が1万円あればアパートを借りれると思うのだが、そういうことを聞ける雰囲気ではなかった。
どこで寝泊まりしているのか聞いてみると、大抵はクルマの中らしかった。
そういう人が話すのは「自分は昔はこうでなかった」とか「自分は昔上場企業に勤めていた」など、言い訳じみたことばかりだった。
たまに来る学生は「キツイ」「ツライ」と思ったことをそのまま口にして、そのまま来なくなった。
常連メンバーが自分のことを話そうとしないのは、美意識というよりは、言っても仕方がないという感情があったからだと思う。
そこに踏みとどまるために、そうせざるを得なかったのだと思う。
それが奇妙に居心地がよかった。
人に対する優しさでは決してないのだが、そう錯覚してしまうようなところがあった。
半年ほど経ってようやく打ちとけたおじさんとだけ、たまに会話した。
それが経営が手詰まりになり、奥さん子供と別れて、今は独り身とのことだった。
一時期は羽振りがよかったらしいが「今はこんなや」と言って笑ってみせる。
そんな物腰が他のメンバーとは明らかに違っていて、それが自分に話しかけてくれた理由なのだろう。
この元社長から「化粧の濃い女の人は、お願いすればやらせてくれる」と教えてもらった。
「本気でお願いすればいける。一度ではだめ。あきらめずにタイミングを見計らってお願いしつづけろ。そしたら三回目くらいでやらせてくれる」らしい。
そうしたら「ここが社会の底辺だ。ここでの仕事を続けることができたのだから、どこに行ってもがんばれるはずだ」と太鼓判を押してもらった。
いい思い出になった。
でも、あれから今まで、この時の経験以上につらいことがなかったかと言えばそうでもない気がする。
会社勤めのほうがつらいことが多い気がする。
今でも、なぜ自分がそのアルバイトを続けることができたのか、はっきりと説明できない。
なんとも言えない居心地のよさがあったのはたしかだが、それだけが理由かと言われるとそうでもない気がする。
そういう仕事をする素養があるのかもしれないがよく分からない。
今から15年くらい前の話。あの頃のことを今でもたまに思い出す。
別にたいした内容の話ではないけれど、あまり人には言わないようにしてきた。
今回はじめて書いてみた。
あの人たちは今どうしているのだろう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.tgiw.info/weblog/2012/09/post_768.html
ncc1701 例によって話の順番がおかしい。家族間のコミュが足りないからテレビ・ゲーム漬けになる。テレビとゲームを除けば自動的に家族のコミュニケーションが復活するわけじゃない。 2012/09/11
置き換えなくたって、テレビ・ゲーム漬けでありながら家族間のコミュ取れてるところなんて腐るほどあるでしょ。こいつもこいつで無条件に「ゲームは一人で黙々とするもの」ってしてるもんねえ。いやあ偏見って怖いね~
そうなんだよな。基本的にゲームってのは代理戦争でありマウンティングなんだよな。
kanose ゲーム, 教育 “メディア漬けだから家族の絆が薄れているのではなく、家族の絆が薄れているからメディア漬けになる” 2012/09/11
だーかーらー、それとそれとは関係ないって。というか、ブログ主やブックマーカー含めて「上流ボケ」がすごいね。こいつらのいう「家族の絆」ってなんなんだ?
http://www.tgiw.info/weblog/2012/09/post_768.html
講師の先生は明らかに顔が曇っていて申し訳なかったが、社会の責任、親の子育てへの積極的な関与という言葉を引き出すことができた。特に「子供と花札やトランプでもして」という回答は大いに満足した。
なんで満足すんの?花札もトランプもゲームじゃん。家族ワイワイなゲームは別腹っていうなら、はじめから「一人で黙々と取り組むものだけがTVゲーム」って定義してね。
あと俺から言わせれば、本屋で売ってるようなナンプレ本や詰将棋本もゲームだ。同じ。勉強も同じようなもんだ。しかしなぜかこれらは槍玉に上がらず、TVゲームばかりが批判に晒されるし、それに反対する奴も偏見を隠さずに批判している。本音ではTVゲームをしてほしくないならそう言えば良いのに。
現代は家族の絆が薄れているというのと、メディア漬けの子供が多いというのは間違いない事実であろう。しかしその因果関係は、メディア漬けだから家族の絆が薄れているのではなく、家族の絆が薄れているからメディア漬けになると考えたほうが自然だと思う。
メディアっていうと暗黙のうちにテレビや新聞なんか含めて考えたりするわけだけど、大人もメディア漬けだし、俺はメディア漬けが悪いとは思わないね。主体性云々を問うているのであれば、一方的に情報を押し付けてくるような媒体に対して用いるべきだし、それにしてもテレビは双方向通信やツイッター採用などでインタラクティブ性が担保されつつある。ゲームなんて言わずもがな。
ではなぜ家族の絆が薄れているかといえば、「他者や自己の存在感が希薄になっている」(南直哉)という、テレビ・ゲームよりももっと根源的な問題なのだ。それは例えば働いても働いても昇給しない(どころか最近では就職すら危うい)デフレ社会だったり、個人や個性を尊重する教育だったり、さまざまな要因によるものである。それぞれの事象が良い面と悪い面の両方を抱えており、何か1つをスケープゴートにしても解決しない。
実際には、家族に問題を抱えている子供を学校や地域がサポートしていくことが、「ゲームやめろ!」なんていうよりずっと大切なことである。
と書いているのに、なぜ筆者は大人側への問題に視点を投げかけないのか?「子供」という集合だけでは割り切れない問題だと分かっているのであれば、そこからさらに対象を拡大することはなにも論理的に不整合ではない。
子供は仕事(学び)と遊びを区別しておらず、真剣に遊ぶ中で、好奇心や社会性などの生きる知恵が育まれていく。だから多くの親がテレビ・ゲームより楽しい遊びを提案できないということが問題だというなら諸手を上げて賛成で、こんな反論はしなかっただろう。
まあ、少し残酷な話をすれば、一部のオンラインゲームではイジメそのもののようなことをされているのも事実だ(「おきらくリンチ」で検索するといい)そういったことまで含めて社会性と言うのであれば、私は納得するが。
テレビやゲームより楽しい遊びを提案、というのは簡単であり、難しい。そこは好奇心の問題も絡んでいるし、敷居の高低もある。同じ学校にいくつものカードゲームが別々のグループで流行っていて住み分けしているというのはザラだし、トランプやUNO程度なら抵抗なく子供たちはするよ。休み時間10分でTVゲームするなんてアホだからね。
まあこういうところは隔世の感とかジェネレーションギャップとかおじさんが若い頃は云々とかいろいろあるだろうから突っ込みすぎるのもどうかなとは思うけど、もっと娘さんと会話したほうがいいよ。もっとも、娘さんが育ちが良ければ、娘さんもあなたも育ちの悪いところ、本当に家族の絆が薄れてる家庭はどのようなものか、なんて知る由もないだろうけどね。
以上。