はてなキーワード: 常連メンバーとは
オフ会といっても参加者は数人〜多くても10人程度の小規模なものだが、場所を決めて月イチ程度で定期的に開催されており、不定期の頃も含めるともう2年以上続いている。僕も初期の頃から、毎回ではないものの参加しており、主催者や常連メンバーとも気心がしれている。
先週のオフ会は僕を含めて4人と最近では比較的少人数だった。その中で1名だけ初参加の男性がいた。このオフ会は某SNSを通じて集まっていて、彼もSNSでのオフ会開催の告知を見て飛び入りで参加しますと書き込みをして参加してくれたのだった。
その人のことを仮にAさんとしておこう。年の頃は正確にはわからないが30代前半〜40歳といったところか。見た目は言ってはなんだがおそらく実年齢より老けて見えそうな冴えない感じの男性だった。
このオフ会でも知り合った人同士はよくお互いのアカウントを「お気に入り」「お気に入られ」という、ツイッターでいうところの「フォロー」「フォロワー」の関係になって交流をすることが多い。その時も、初対面同士でお互いに名乗ったあと、他のメンバーが「Aさんのアカウント、お気に入りに登録させていただきますねー」みたいな話になって、僕も「Aさんのアカウントをお気に入りに追加しました」といってその場で登録し彼にもそれを見せた。Aさんも「ありがとうございますー」のような返事をしていたと思う。
Aさんは僕も好きな超有名作家を最近よく読んでいて、ちょうどその日はその作家がノーベル文学賞をとれるかどうかという発表当日で、けっこう話も盛り上がり楽しく過ごした。別れ際も僕とAさんが同じ路線の反対方向だったので改札まで一緒に歩き、またよろしくとなごやかに別れた。
話はこの後だ。
数日経って、ふとSNSにアクセスしたとき、そういえばAさんからお気に入り登録されていないな、と気づいた。もちろん、誰をお気に入りに登録するかしないかは個人の自由だ。こちらからお気に入り(あるいはフォロー)しても相手からは返してもらえない、そんなことはザラにある。僕もそういうのはツイッターでもそのSNSでも慣れっこだし、逆に自分が相手に興味を持てなければお気に入り登録(フォロー)し返さないことはよくある。
しかし、だ。ウェブだけでのつながりならともかく、オフ会で直に会って、しかもその場でこちらから本人の目の前でお気に入り追加しているのに返さない?そこに引っかかりを感じた。オフ会の席で登録しなかったり、帰宅してその夜にしないまま寝てしまうというのはまああるだろう。しかし数日も経っているのにしないというのはもうほとんど相手にはそのつもりがないということじゃなかろうか。
それだけならまあ一度会った人だし、そのままにしておいたかもしれない。しかしAさんのSNSのアカウントページから彼のお気に入りユーザー、お気に入られユーザーを見ることができたのでふと見ると、そのオフ会の日に参加していた僕以外のメンバーはお気に入り登録されていたのだ。
なんだこいつ。僕以外のメンバーというのは会の主催者の男性と、もう一人は女性(しかもけっこう美人)。なめられている、と感じた。そりゃあ俺だって会の主催者は無下にしたくはないし、きれいな女性がいたら鼻の下だって伸びてしまう。しかしあまりに露骨すぎやしないか?イラッときたついでに、ふと彼のお気に入りとお気に入られの数に差異があり、しかも各々のアカウントがあまり一致していないのに気づいた。
まだSNSに登録して間がないようなのでさほどお気に入りの数は多くない。そこでどんなアカウントをお気に入りしているのか見てみた。
清々しいまでにわかりやすかった。基本、プロフィールに女性と書いてあるアカウントしかお気に入りしていない。例外的に先日のオフ会の主催者の男性と、1、2人男性か性別不詳のアカウントがいるだけだ。
あっ・・・(察し)
それがわかった時点で、たとえまたオフ会で顔を合わせる可能性があろうと、この男をお気に入りにしておこうという気が失せた。相手もお気に入りに追加されて、また外されたことに気づいたかもしれない。どうでもいい。むしろ、僕がお気に入りから外したことを次会ったときに向こうから口に出せるくらいの度胸があるなら尊敬する。万にひとつもないだろうけど。
先にも書いたけれど、単にSNS上だけでお気に入りしたのに返してくれない、くらいなら僕も再び外したりはしなかっただろう。直に会ったのに返さないという態度、そして彼のお気に入り傾向から透けてみえる下心丸出しの気持ち悪さ。それが重なった結果だ。
しかし人を見た目で判断してはいけないとよくいうが、まさか見た目通り中身まで気持ち悪いとは、Aさんにはつくづく恐れ入った。
店に入ると、既に常連メンバー(男4女4)らしき人達がテーブル席みたいなところで盛り上がっていた。
常連仲間の友達と当たり前のようにそこに座った。良くも悪くもやたらフレンドリーというか馴れ馴れしい感じで常連達が接してきた。
しばらく飲んで楽しんでいたのだが、25時前ぐらいのいい時間になってきてそろそろ帰りたいなと思い、友達にアイコンタクトして帰る雰囲気を出した。
すると常連達は「朝まででしょ」「次も行くでしょ」「帰らせないよ」という感じで言ってきた。特に女性陣がしつこかった。
「朝まで行くでしょ~(笑)」みたいな冗談っぽい言い方じゃなかったのでとても不快で一気に萎えた。
私が全員常連メンバーだと思っていたら10人中、私を含めて3人は初めて店に来た人らしかった。
その人達も私と同じタイミングで帰ろうとしたようだったが、同じように「朝までが無理なら何時まで飲める?」など言われていた。
そこまでの流れはつまらなくなかったのでまた行っても良い店だと思うが、またそういう流れになったらうっとおしいので行くのを躊躇してしまいそうだ。
その人の都合で強制されるのは大嫌いだ。バー以外で遊びに行ったりという深いつながりは求めていない。ただ数時間だけ一緒に楽しく飲みたいだけなんだけどな。何か良い方法はないものだろうか。
留年した年、親からの仕送りがストップしたため、1年間日雇いのアルバイトをした。
夕方6時から翌朝8時まで、自宅付近にあった運送会社の集配所で、荷物の仕分けをする仕事だった。
残す単位は2つだけだったので、学校に行く必要はほとんどなかった。
アルバイトに来るのは合計7人くらい。顔ぶれは毎日ほとんど同じ。
学生や見知らぬおじさんが来ることもあったが、2日以上勤務する人は本当にまれだった。
たまに続けて出勤する人もいたが、数週間くらいで来なくなり、またもとのメンツに戻る。
勤務時間が長いし、ずっとダンボール箱を移動しつづけるのは本当に辛いし、常連メンバーの雰囲気も独特だった。
学生はひとりもいなかった。
夕方、倉庫に到着すると、片側半分くらいがうず高く積まれたダンボールで埋まっている。
僕たちアルバイトの仕事は、ダンボールに貼り付けられた伝票を見て配送先を確認し、それに応じたトラックの搬出入口までダンボールを運ぶことだった。
たしかアルバイト求人票には「倉庫内軽作業」とあった気がする。
「軽作業」といっても、これはフォークリフトなどの重機を使わない作業ということで、人力でやる分には重くて仕方がない。
とくに古着が詰め込まれたダンボール、それから木枠に収められた小型エンジンは、手首が抜けるほど重かった。
朝方になると、その他の社員も出勤してきて、小さなフォークリフトを器用に運転し、人間の手では運べないような荷物を整理する。
そうこうするうちに運送トラックがやってきて、ドライバーたちが僕たちの仕分けた荷物をトラックに積み込み、各地域に向かって発車していく。
アルバイトが終わったら近くの吉野屋に入り、牛丼を二杯食べ、その足で銭湯に寄って、自宅に帰るなり泥のように眠るという日々を送った。
銭湯で風呂桶にとったお湯を身体にかけると、真っ黒になった水が排水孔に流れていった。
最初はびっくりしたが、どうやらフォークリフトのはき出した粉塵が、全身の体毛に張り付いているようだった。
鼻の穴に指をつっこむと、指先が真っ黒になるので分かった。
常連のアルバイトメンバーは、自分を除いて全員住む家がないようだった。
といってもこれは随分後になってから仲良くしてくれた人から聞いたことで、直接本人に確認したわけではない。
日給が1万円あればアパートを借りれると思うのだが、そういうことを聞ける雰囲気ではなかった。
どこで寝泊まりしているのか聞いてみると、大抵はクルマの中らしかった。
そういう人が話すのは「自分は昔はこうでなかった」とか「自分は昔上場企業に勤めていた」など、言い訳じみたことばかりだった。
たまに来る学生は「キツイ」「ツライ」と思ったことをそのまま口にして、そのまま来なくなった。
常連メンバーが自分のことを話そうとしないのは、美意識というよりは、言っても仕方がないという感情があったからだと思う。
そこに踏みとどまるために、そうせざるを得なかったのだと思う。
それが奇妙に居心地がよかった。
人に対する優しさでは決してないのだが、そう錯覚してしまうようなところがあった。
半年ほど経ってようやく打ちとけたおじさんとだけ、たまに会話した。
それが経営が手詰まりになり、奥さん子供と別れて、今は独り身とのことだった。
一時期は羽振りがよかったらしいが「今はこんなや」と言って笑ってみせる。
そんな物腰が他のメンバーとは明らかに違っていて、それが自分に話しかけてくれた理由なのだろう。
この元社長から「化粧の濃い女の人は、お願いすればやらせてくれる」と教えてもらった。
「本気でお願いすればいける。一度ではだめ。あきらめずにタイミングを見計らってお願いしつづけろ。そしたら三回目くらいでやらせてくれる」らしい。
そうしたら「ここが社会の底辺だ。ここでの仕事を続けることができたのだから、どこに行ってもがんばれるはずだ」と太鼓判を押してもらった。
いい思い出になった。
でも、あれから今まで、この時の経験以上につらいことがなかったかと言えばそうでもない気がする。
会社勤めのほうがつらいことが多い気がする。
今でも、なぜ自分がそのアルバイトを続けることができたのか、はっきりと説明できない。
なんとも言えない居心地のよさがあったのはたしかだが、それだけが理由かと言われるとそうでもない気がする。
そういう仕事をする素養があるのかもしれないがよく分からない。
今から15年くらい前の話。あの頃のことを今でもたまに思い出す。
別にたいした内容の話ではないけれど、あまり人には言わないようにしてきた。
今回はじめて書いてみた。
あの人たちは今どうしているのだろう。