2021-03-09

自殺願望

よく自殺者は自分と云う人間を殺した者なのだから殺人者と変わらないと言われますが、何故、他人の事を傷つける訳でもなく自分の命を終わらす事なのに罪が生まれるのでしょうか?神様は言いました、右頬を打たれたら左頬も差し出しなさいと、でも私達は人間ですから、ましてやこのギスギスとした人間社会で何かを差し出す事が出来る人間は、誰かに利用されてしまい無残な結末になる事が常なのですから、利用されたくないと思うのが普通でしょう。だけど人に対する優しさは忘れたくないから、でも自分自身と云う存在を都合よく扱われたくないから、生きていく事に悩んだ末に死のうとするのに、自死してしまった魂は天には登らずに地の底に沈んでしまうと云うのはとても悲しく感じてしまうのです。生きている限り誰かの事を思いながら生きなければ、いつか一人になってしまった時に誰もが軽蔑してくるのでしょう。「あいつは自分調子が良い時には人の顔色ばかり見て得する事ばっかり考えてきた。それなのにいざ落ちぶれだした途端、人の前で被害者面するふざけた奴だ」と思われてしまうのでしょう。だからこそ、成功も失敗も捨てた先にある自殺に辿り着きたいのに神様は許してくれません。人の否定的言葉に囚われて居るから今も死のうとしないのではありません。ただ怖いのです、死んだ先に有るのが天か地か、或いは無なのか、そこが常用な点であり一番の悩みどころなのです。死ぬ事にしか救いを見出だせない精神状態なら何も気にせずに死ねるのでしょうが、死んだ先の事を考えられる精神状態の今は無駄な事に頭を回してしまます。まぁ今の世の中は、自殺以外にもコロナ感染死と云うものができましたから、こんな悩みを持ち合わせている意味あんまり無いのかもしれませんね。コロナ社会に大きな亀裂を入れるたびに人の死ぬ理由が増えるかもしれないと考えると勉強になります。ただ、人の不幸せを願いたい訳でもないので、自殺がやり方次第では人を傷つけない唯一の死に方だと信じて死ねたらいいなと思います。まぁいつか死ぬもんだと思えるようになれば、こんな日常は大した事ないエピローグしかないの無いでしょうね。

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