「終焉」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 終焉とは

2022-03-06

マスクアクリル板の日常にあっという間に慣れたんだから民主主義終焉戦争開始も一気に起こりそう。

2022-02-26

9条原理主義終焉

この2022年にもなってロシアウクライナを堂々と侵略した。

中国はそれに理解を示した。

日本は強固な国防必要なこと、脅威から目をそむける9条原理主義の異常さは誰にでも明らかになった。

「『憲法9条があれば侵略されない』なんて誰も言ってない」は本当なのか?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1850752

社民党機関紙ウクライナ危機ロシアを支持する記事を削除→戦争が始まった日に記事一時的に復活

https://news.yahoo.co.jp/byline/obiekt/20220221-00283080

弁護士しのだ奈保子🕊️(立憲民主党道7区総支部長) on Twitter: "世界的にみれば、日本過去には、今のロシアのように加害者であったし、今はいわゆる前科者です。その国が、日本侵略されたらと被害者立場で、過去侵略者に逆戻りするかのような軍事力増強や核武装を今声高に主張することは方向が違う。憲法9条世界に広めることこそが日本役割です。"

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yorisoibengoshi/status/1496998418803093524

もはや9条の前提である憲法前文

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互関係支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全生存を保持しようと決意した。

こんなのはただの願望にすぎないことが、ごく一部の9条原理主義者を除く全国民にとって自明である

権威主義国家である中露朝においては諸国民ではなく独裁者意志決定をする。

ウクライナチベットウイグル香港南沙諸島拉致延坪島ラングーン事件大韓航空機爆破事件で明らかになったように、その独裁者は明らかに平和や公正や信義とは別の何かを愛している。

2022-02-24

プーチン想像以上に狂ってて全面核戦争に発展してほしい

世界終焉がみたい

2022-02-15

anond:20220215143611

2, 30年くらい前に科学終焉って本が話題になったけど、そういうのに影響されたんじゃね?

2022-02-06

大怪獣のあとしまつと嘲笑文化終焉

(ネタバレがあります。)

前評判が芳しくないのを知りつつ見てきた。ゲタゲタ笑った。半分くらいは失笑だったとはいえ、隣の人に迷惑だったかもしれないほど笑ったさ。劇場を出て気づいた。これは嘲笑の笑いだと。

私は世代的には氷河期世代の下でゆとり世代の上、「プレッシャー世代」とか言うらしいがその名で呼ばれたことはほとんどない。氷河期後の束の間の春を謳歌することを許された世代だ。ネットでは上の世代が藁と言い、下の世代が草という中、山程の芝を生やして笑っていた世代だ。ネット必死右翼書き込みを、カバオくんのAAにして笑ってきた世代だ。つまり嘲笑するのが大好きだった世代だ。

この映画のメインの部分は「今の政府マヌケから本気にせず適当に笑っておけ。(帯刀アラタの形をした)イデオロギーさえ信じていれば、眼前の問題はそのうち都合のいい神がなんとかしてくれる。」に尽きる。「シン・ゴジラ」が右翼的な感性に近く、「あとしまつ」は左翼的感性に近い。私が笑えたのは私の中のそういう部分をくすぐってくれたからだろう。脚本三木聡バブル世代人間であり、感性が合ってしまうのはそういうことなんだろうさ。

一方で、かつての左翼象徴だった立憲は相変わらず不調続き、ネットが芝を使うのをやめたように、我々の世代も上や下の世代の苦しみと付き合ううちに、この手の感性を悪いことだと認識するようになって来ている。その結果が「あとしまつ」への大酷評であるのもよく分かる。

はてなのひとは見に行くといいよ。きっと楽しいから

anond:20220205235609

覇権アプリ終焉、という意味では面白い状況が見れそうなのね

そう考えるとMacWindowsすげえな

2022-02-01

君は、カラスの死骸を見たことがあるだろうか?

カラスは、現代人にとって最も馴染みの深い野鳥と言ってよいだろう。どの街でも見かけることができ、朝夕にはカーカーと喧しい鳴き声が聞こえてくる。ごみ荒らしたり、ベランダハンガーを持ち去ったりと、人間生活にも密接に関わっている。たとえシジュウカラヒヨドリを知らなくても、カラスを知らない人はいないだろう。

そんな、どこにでもいるカラスであるが、その死骸を見たことがある人は少ないのではないだろうか?そう。街にはあれだけカラスが棲息しているのに、不思議とその死骸を見かけることは無いのである。当然、カラス生物である以上、その命はいつか終焉を迎える。では、その死骸はどこに行くのだろうか?

物理学には、物質エネルギーに変換されるという理論がある。たとえば、ウラン235という原子中性子をぶつけると、イットリウム95とヨウ素139という2つの原子に分裂する。この時、分裂後の原子質量の合計は、元の原子質量よりも小さい。この質量の減少分が、エネルギーに変換されるのである。みなさんが日常何気なく使っている電気の一部も、この理論に基づいて作られている。

街中でカラスを見かけない理由は、この理論説明できる。実は、カラスは死んで間もなくすると、その質量の全てがエネルギーに変換され、跡形も無く消えてしまうのである。これが、街中でカラスを見かけない理由である

物質エネルギーに変換されると、通常そのエネルギーは熱や光となって現れる。それでは、カラスの発するエネルギーは何になったのだろう?それは、みなさんの頭上に輝く太陽である太陽は、地球の遥か遠くから、大量の熱と光を地球に送っている。カラス死ぬ太陽になり、私達に夜明けと恵みを齎すのである中国神話で、カラス太陽化身とされた理由もここにある。

2022-01-28

コロナとかワクチン対立見てるとしんどい先進国の衰退が加速してるのを感じる。そろそろ戦後社会終焉して、でかい破綻イベントが来そうな気がする。

2022-01-20

お前らが絶対FIREできない理由

最近FIREのかたるところはだいたいこんな感じ。

1億円を米国株インデックスにつっこめば400万円の不労所得が得られるから、それで生活費まかなえるよね?ということ。1億円ってデカいけど、こつこつ積立ててれば思ったより早く達成できる。大丈夫複利のちからを信じよう!とにかく米国株インデックスは平均4%/年のリターンがあるからね!とまあ、こういった具合だ。

4%の年利は過去のS&P500の実績から信頼できる数値といわれている。過去を振り返ればなんとなくいけそうな気がしてくる。

都合のいい過去を振り返ってこの波に乗ずれば勝てるだろうという希望的観測は、10倍株をあのとき買っていればいまごろ億万長者だったのに!というのとあまりかわらない。

もちろんインデックスファンド個別投資とくらべてリスクが少なく利回りは安定しており、テンバガーを狙うよりも投資の難度は桁違いに低い。その上、リーマンショックコロナショックも乗り越えこうした経済ショックにも不屈の強さを見せた。新参の長期投資家も「ほら下げもあとから振り返れば一時的。そのうち回復するもんだ」と思い、安心しているんだろう。しかしこれらは非常に短い間に起こった経済ショックで、長期投資家にとってはそもそも全く恐れるべき恐慌ではなかったといえる。

我々が恐るべきリスク破滅的な恐慌、もう少し具体的に言うとヒトの寿命の中では解決できないような経済崩壊だ。身近な例でいうと、日本株投資がそれだ。日本経済現在も続く失われた30年のあい日経平均を超えられていない。当時好景気だった日本市場に長期投資していたら、いまごろその高値づかみが影響しマイナスの結果となって定年を迎えているというシナリオも十分に考えられる。多くのFIRE論者は米国株をすすめている。なぜFIRE論者が日本株でもなく欧州株でもなく米国株問答無用にすすめるのか。それはアメリカ現在経済的に世界を牛耳っているからだ。グローバル企業がこぞってニューヨーク市場に上場するため、経済成長を続ける。ここへの投資世界経済への期待そのものだというのがFIRE論者の論理だ。ここで気にすべきは世界的なゲームチェンジが起こり、アメリカ覇権時代終焉するとどうなるかということだ。

今、アメリカ経済世界で最強の市場であるしかしこの先もずっと最強でいられるのだろうか。

米ドルに目をむけてみよう。ニクソンショック以前は米ドルのみがゴールドと兌換可能通貨であった。ゴールド価値を裏打ちさせた通貨である点で、絶対的な信頼を獲得していたわけだ。現代ではゴールドとの交換も変動相場となってしまい、世界最強の米ドルさえも現代では軍事力に裏打ちされた銀行券になりさがってしまい、絶対的な優位性はほとんどなくなってしまっている。

他方、ニューヨーク市場のほうはどうだろうか。古来、一般から資金調達株式市場への上場という形で行われてきた。またこれは市場へのブランディングという大きな意義をもつしか暗号資産ブロックチェーンの登場により、ファイナンスはよりデジタル化されている。実は企業が多くの資金調達する場合、すでに暗号資産で得る方法確立されつつある。逐一証券取引所に依頼し、煩雑監査や処理を行う必要がなくなってきたのだ。このようにもはや証券取引所というもの自体レガシーものになりつつある状況で、「未来への投資であるインデックスファンドに金をつっこむのは果たして意味のある行為なのだろうか。


結局、近視眼的に過去を振り返り、言われるがまま投資しても、結局は全員が先行者の餌食になるだけだ。そしてこれが頭でわかっていても投資戦略自分で考えることができない。それがお前らが絶対FIREできない理由だ。

高齢者若者のために自○してくれ

首相若者高齢者のために、もうしばらくしんぼう、自粛してくれ」

と言うけど、若者にとってはコロナ風邪なんだから(多少の後遺症我慢してくれ)、高齢者自粛してパンデミック終焉まで家にいてくれりゃいいんだよな。我慢するのは、そっち。

2022-01-11

ルーズソックスっておじさんもおばさんも参入しなかったのに何で流行終わったの?

最近またリバイバルの流れきてるらしいけど、過去流行ったけど終焉したよね。

ずっと若者だけで流行ってたのに。『おじさんが参入したら流行は終わる?』はガバガバすぎ。

日本終焉

「Z世代」という言葉を聞くと、最後日本世代なのか、もうぼくらの世界は終わりなのかと思ってしまう。誰が言い出したんだこのクソみたいな呼び方

2022-01-05

子育て難易度って生まれてきた子の特性でほぼ決まるんだなぁと。



 子どもを2人育てていて、同じ親からまれて、同じ家で育って、似たような顔をしてても、兄弟って全然違うんだなって当たり前のことを実感してる。


比較対象が2人しかいないので上の子と下の子でどうしても比較してしまうんだけど、親の育て方とか働きかけがどうこうの前に全く別の人間だし、同じように育ててるつもりでも異なる経過を辿るもんなんだね。子育てって面白いな。


以下、上の子場合と、下の子場合



悪阻

 思えば妊娠から生活全然違った。

 上の子の時は基本食べ悪阻吐き気はあるけど取り敢えず何か口に入れておけば耐えられたし、頑張って乗り切れる程度のしんどさだったから法定通りの産休まで普通に出社して働いていた。

 下の子の時はザ・吐き悪阻兎に角毎日吐いて歩くたびにえづいていたし、結局出産まで悪阻が続いて毎日必死だった。貧血も酷くて鉄剤飲んでたし、ベッドから全然起き上がれなくて有給フル消化して何とか産休まで持たせて、とにかく仕事だけは落とさないように頑張ったけど勤怠ガッタガタで申し訳なさの極みだった。


出産

 これは2人とも安産。2人とも出産日過ぎても産まれてくる気配が全然なくて、入院して促進剤打って産んだ。

の子6時間、下の子の2時間とかだったかな。もしも3人目産んだ場合、30分とかで産まれそうで怖い。まぁ予定ないけど。


夜泣き

 当時からうちの子まり泣かないな?と思っていたけど、上の子は結局夜泣きらしい夜泣きがなかった。新生児の頃は夜中の授乳で起こされはするけど3時間ごとの授乳タイマーって感じで無駄な泣きが全然なかったし、生後3ヶ月くらいからは普通に朝まで寝てた。

 下の子最後5ヶ月くらいからは朝まで寝てたけど、何で泣いてるのか分からない泣きが結構あった。3歳になった今でも夜中に不意にわぁーーん!みたいな泣き声を上げことがある。夢でも見てるのか?


◆肌トラブル

 上の子は肌トラブル切なかった。お風呂上がりに保湿して終わり。

 下の子は早々におむつ被れが悪化して、おむつ替えの度にお尻洗ったり薬塗ったりが面倒だった。2人目で慢心してオムツ替えの頻度が悪かったのかなと反省したけど、多分普通に肌が敏感だったんだなと成長した今も保湿剤塗りながら思う。


◆発育

 上の子は首の座りも、腰の座りも、ハイハイも、つかまり立ちも、全てが早目で、ハイハイした翌週に掴まり立ちした時は、母子手帳大分違うな?!ってなった。

 下の子は、全てゆっくりで、離乳食始まった時点で腰が据わってなかったかベビーチェアじゃなくて膝の上に抱っこしてあげてたな。ハイハイは結局一度もせず、長いずり這い期間を経て立って歩いてしまった。ハイハイ機能搭載されてなかった。


食事

 真面目に離乳食作って長らく大人とは別メニューで育ててたら薄味好みに育ってしまい、外食に行くと辛い(味が濃い)とよく言っていた。肉魚が苦手で野菜煮物とか汁物とかが好きな子だったから、お子様メニューに食べれるものがなくて、お子様とは??となってた。

 下の子は上の子反省を踏まえて多少雑にメニューを考えていたというのもあるけど、割と何でも食べる。肉魚の方が好きかな。焼き魚をむしゃーっと鷲掴みして食べた時は驚いたし、ポテトとかナゲットとかオムライスとか上の子全然興味なかったもの普通にむっしゃむしゃ食べるので、想像の子もの食の好みだ!となっている。


言葉

 上の子言葉説明すると理解してくれる子で、発語する前からこれは危ないから触らないでと一度言うとその後一切触らない子だったので物を壊したりとかのトラブルが全くなかった。1才10ヶ月くらいで2語文を話し出したなぁと思ったらあっという間に文章になり、2才過ぎには助詞がついた普通の会話になっていた。

 下の子は2才前後で2語文になって、2才半くらいまでは、とーちゃ、ぷんぷん、やなのぉー(=お父さんが怒るのが嫌だ)みたいな赤ちゃんしゃべりを長らくしてたな。未だに滑舌ちょっと辿々しいかもしれない。言われたことは理解するけどそれより自分好奇心が勝るタイプで、3秒前に怒られた内容を繰り返して話聞いてた?!ってなる事が多々ある。


◆人見知り

 上の子はとにかく人見知りで知らない人がいる場所では絶対母親から離れない、知らない人とは一言も話さない、で人混みでの迷子とは一生無縁な感じだった。6歳の今ではまぁとりあえず挨拶くらいは普通にできるけど、知らない人は割と警戒してるかな。

 下の子場所見知りも、人見知りも全然しないで、知らない人の前に行ってやぁ!って勝手挨拶するタイプお菓子くれる人がいたらそのまま着いて行って誘拐されそうな気がする。言い聞かせてはいるけれど。


◆イヤイヤ期

 イヤイヤ期っていつからなんだろうなって思ってる間に大きくなって、結局上の子はイヤイヤ期がなかった。子どもらしくぐずったり泣いたりはあったけど、話して説明すれば納得してくれる感じ。後、断固母親派だったので、父親だと拒否することも母親提案すると受け入れてくれたりしてたので大変ありがたかった。

 下の子最近終焉を感じるけれど、よくイヤイヤしては世界の全てが嫌になっていた。エレベーターボタンが押したかった、ドアを自分で閉めたかった、とかで良くそんなに泣けますね?ってくらい号泣してはその後の一切を拒否して、あぁこれが例のイヤイヤ期というやつですね…とこちらは遠い目をしてた。


◆識字

 上の子絵本より身体を使って遊ぶ方が好きで文字に興味を持つのが割と遅く、ひらがなの読み書きが出来るようになったのは年中。今でも文章より数字・図形の方が得意な印象。読むより耳で覚えるタイプっぽいなとも思ってる。

 下の子は2才くらいから上の子あいうえお表で遊び出して、とにかく上の子の真似がしたくてくっ付いているうちに勝手ひらがな読めるようになってた。勝手絵本やら図鑑やら広げて読んでるから楽。


◆成長

 上の子は標準サイズで産まれちょっと細身かなと思ったまま成長してずっと平均より背が低い感じ。背の順はずっと前の方。去年大きめで着た服が今年ピッタリという感じで服が2シーズン着れる。

 下の子は少し大きめで産まれてそのまま成長を続けて、平均より背が高い感じ。背の順は後ろの方。夏の初めに大きめで買った服が夏の終わりにギリギリになるから服はあっという間にサイズアウトしていく。

 小さめの上の子と大きめの下の子身長差がどんどん縮まってきており、歳の差の割にあっという間に下の子身長抜かしそう。



親の育て方の影響も全くないとは言えないけれど、子ども特性って結局本人が生まれ持ったものなんだなと痛感してる。

もしかしてうちの子って育てるの楽な子なのでは?と上の子の時に薄々思ってたけど下の子が生まれて疑問が確信に変わったし、別に親の育て方が上手かったとかそういうの全然関係なくただそういう子ってだけだった。


 でも人間難しいもので、上の子を育ててる時の方が圧倒的に神経が張り詰めてて、初めての子育てで緊張していたというか、ちょっと目を離したら死んでしまいそうで乳児期はずっと怖かった気がする。育児ノイローゼとまではいかないけれど、何をそんなに頑張ってたんだろうなと振り返って思う。


 多分この先も2人は全然違った成長をしていくのだろうし、大変だなと思うところと楽だなと思うところもそれぞれなんだろうけれど、当人同士は今の仲が良い関係を維持していってくれたら嬉しい。

いやー、でも性格全然違うと思春期入ったら結構しかったりするかな。この先反抗期とかもあるだろうし、どうなっていくんだろうな。

(何となくだけど厨二病面白いことになるんじゃないかと思ってる笑)



自分一人っ子だったのでそもそも家の中に子ども複数人いることが新鮮だし、子どもそれぞれの個性を間近で見比べるのはとても興味深い。

同じ赤ちゃんでも、同じ年の子でも、全然違うものなんだね。まぁほんと、当たり前のことなんだけれど。


2022-01-03

俺って一生消えない不安と後悔と喪失感と虚無感を抱えて生きるしかないんですか??

もう終焉(おわ)りにしてくれよ……

2021-12-25

anond:20211225143445

そうではない

もろびと こぞりて の本来意味

最後の扉とはなんなのか?地獄の扉とはなんなのか?

それは、人間観測できる最後となる扉

人間観測終焉なのだ

人間観測の終わりは観測者を失った無制限の反転の始まりであり、恐怖という生命から観測の拠り所を失った無制限観測は、一転してある種生命の喜びに似た様相を示す

泉が流れる様がキラキラとして美しく輝いていて美しく喜ばしいと感じた事はないだろうか?

生命本質からすると泉よりも自己人生の方が重要である。泉の周囲に危険がないか、泉の水は飲めるのか、泉を見つけたことで他の群れの仲間から認められたり誉められたり尊敬されたりするのではないか明日の飯は何か、より社会的成功するためにはどうすべきか、よりよい異性を獲得するにはどうすべきか、泉に時間を使うのが勿体無いか、泉で休みいか、泉を見るのも面倒臭いので寝たいか病気の母がいるか、そんなところである生命生存のために作られた観測自己アイデンティティ見出ししまう。

しかし、恐れ、心配し、無関心で、関心を持ち、その取捨選択を成せるのは報酬系機能である

泉は観測される前は美しく喜びに溢れ、山々も地面も花々も全て喜びに溢れていた。(報酬系が見せる喜びの錯覚とは違う)

生体機能が高度になり、情報の取捨と条件付けが生体自身観測に「連続性と同一性」という錯覚を与えて、その一瞬一瞬の連続体について自己認識して同化してしまシステムのために、世界が美しいことが見えなくなってしまっている、という指摘の歌なのである

最後の扉の向こう側はこのようにただ山に草が生えているだけなのである

2021-12-22

おっちゃんねるの終焉

次代のSNSとして期待され、数多のおっちゃんどもに愛された『おっちゃんねる』

https://occhan-nel.com/

人気スレッド 1位が うんち となってしまい、ほぼ\(^o^)/オワタ

2021-12-12

五等分の花嫁アニメコミック全部みたけど心が苦し過ぎて死ぬかも

昨夜アニメを見終わり、その後フルカラーコミックを一挙読みして寝たら、眠りも浅く、明け方から動悸が止まらない。

ダメか、やっぱアラフォーおっさんがこんなん見たらダメか。なろう系も見飽きて来たので、久々に学園恋愛ものに手を出したのが悪かった。尊いとか光属性とかそんなちゃちなもんじゃねえ。呪術とか腐食効果のかかった錆びたドリル心臓を抉られてる気分だわ。

あれか、終焉狭間無限に引き伸ばされた物語を見続けながら死ぬしかないんか。

というか君ら、どんな気分でこんなん見て「尊み!」「尊死!!」とかやってるんや? マジでくらったら立ち直れんわこれ

2021-12-01

可愛らしいビール腹のおじさんのお昼休憩は終焉を迎えた

2021-11-24

anond:20211123195140

これ紙媒体オワコン事象の一部ってだけでは?

紙でエッセイ読んでた層が今ネットで読んでるのもまたエッセイ的な何かだろ

エッセイと銘打ってないだけで

テレビオワコンなってYouTubeに移行しても映像コンテンツ終焉でないように

エッセイってジャンルオワコンってわけでないやろがい

しろプロセミプロからパンピーまで全人類エッセイ発信してるような時代では

話違うけど前増田遠藤周作エッセイ面白いってあったから読んだけど面白かった

色んな意味便所に置く一冊にピッタリだったさんくす

2021-11-13

フェミニズム終焉が到来したら、どうすんの?

例えばだよ、将来「男女平等が達成」されたらフェミニストは何も主張ができなくなると思っているのだけど、まさかだけど「女性優位」にしたいとか思ってんの?

2021-11-07

小説投稿サイトのハックは物量で押し切るしかない

どこの投稿サイトでも、

・直接自演

 複垢とかで自分作品ポイント入れる

・間接自演

 某ちゃんねるみたいな掲示板とかで宣伝する

・直接互助会

 お互いにポイント入れ合おうぜー

・間接互助会

 うっすらと関係性を作ってポイント入れ合う雰囲気を作り出す

などの不正行為はずっと起きてる。

運営排除できるのは、複垢とかでのポイント稼ぎとあからさまな互助会ぐらい。(互助会も手入れを行うと潜るので対応しにくくなる)

たまに、同じマンションとかで偶然IP一緒で自演じゃないなのに……みたいな事故も起きてた。(作者の言葉を信じるのであれば)

あと、お気に入りユーザー件数を絞ったり、むやみなフォローコメント制限するみたいなこと。某はてなが関わった投稿サイトでも初期は酷かった。

規模が小さいと不正行為不正まがいの行為の影響が大きい。

ランキングが荒らされて、結果良作が駄作に埋もれるみたいになって終焉に近づく。

真面目な作者も投稿モチベが保てない。

けど、小説家になろうかぐらいになれば、そもそもランキングに放り込むのにめちゃくちゃ労力が必要なぐらいのポイント必要になってるし、初動で多少稼げても、内容が良くないとそこからどんどん落ちて行く。

連載続けていれば面白い作品になったのに運悪く見つからなくて心折れて筆も折る作者が一定数は居てそこはどうにもならないけど、ある程度は信用に足るランキングが出来ているような気もする。

自分的には全然好みでもない作品バンバン人気出てくとか、個人志向のほうが気になるぐらいで。

やってますよ、感を出すために、色んな制限かけたりとかたまに抜き打ちで(とか、有志の通報で)banしたりはあるけど、結局安定するためには、工作に負けない多数読者の存在に頼るのが一番な気がする。

2021-11-06

「加工するのが芸術」という考え

https://togetter.com/li/1798597

あと芸術なら許容って言い分も
嘘を以て芸術とする、なら解るけど
芸術なら嘘でも許される、はまた違うのではないかと思う。個人的には。
[..]
少なくともこの場所まで単車を走らせてこの写真を撮って加工した身としては、2枚目の写真には現地の紅葉から感じた暖かみも寂寞も感じないか芸術としてもクソだと思ったな。

ツイート主への批判ではなく、主が批判している対象が思っているだろう事「加工するのが芸術」という考えについて。

前提として、写真自体芸術アウラからすると既に破綻しているのだけど、ベンヤミンはそれでも、写真を通して大衆芸術に参加する可能性を見いだしていた。「加工するのが芸術」という考えは、写真大衆化した80年代以降、様式歴史といった各要素の編集再構成がおこなわれるようなったリミックス文化が背景にあると思うのだが、ただ加工するから芸術とかそういうものではなく、芸術にはその時々の文脈近代以前の彫像作品で言うところの台座がそれたらしめているのだということは知っておいた方が良く、この場合は「何が台座で何が表現されているのか」考えた方が良い。

スマホが普及しさらに加工技術自体もすでに自動化されている世界にいる私たちとしては、リミックス文化の時にもてはやされた表現としての加工はもはや価値を持たなくなり、さら写真表現自体にもそれほどの価値は持たなくなった。写真価値事実のもので、その時その場所にそれがあるという証跡に価値を見いだすようになっており、加工は邪魔ものに過ぎないという考えが根底にできはじめているのだと思う。ただ、表現としての気持ちよさみたいなのはあるのでその折り合いをどうつけるのか判断に揺れている時期でもある。

スマホ間の写真加工技術競争が落ち着いたらベンヤミンが見いだした大衆芸術としての写真終焉を迎えるだろうし、その時、写真をつかった芸術がでたとしても「加工するのが芸術」という評価とは別の次元になるのだろう。というか、今までに加工で評価された写真家がいたかというと疑問ではあるけれど...

著名な写真

2021-11-04

anond:20211104230025

コンテナ時代になって、本当に ps とか ls すらない環境がきたから、もう Vi やら Python が入っているという前提を捨てちゃったね。自分は。一時期のような、BashPython で置き換えるという運動も、systemd やら Kubernetes のような設定ファイルを使ういま、PythonLLデファクトスタンダード時代終焉に近いと思うがね。

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