はてなキーワード: 月経とは
そうなんですね。
ネットのレポ見てるとピルの選択肢がありそうな人(想像ですが)もカジュアルに入れてもらってるようですし、医師からもまずピルを試してから等の話ではなく貧血じゃないと過多月経と言えないのが適用外の理由と説明されたのでそう思い込んでました。
女性に生まれつけば毎月の痛みと不快感がある程度あって当然。かなりひどければ選択肢は多いけど、そこそこひどいくらいなら毎日薬を飲むか、頓服で我慢しろっていう理不尽が通じるのかが理解できなくて。
基準に至らなくても痛みや不快感は確かにそこにあり、自分は苦しんでいるのでその気持ちを軽んじられた気がして悲しくなってそんな表現になってしまいました。不快にさせてごめんなさい。
今年に入って、わたしの生活に大きな変化が起きた。タイトルからお察しだけど、リングフィットを始めたことだ。
元々出不精なわたしはオタ活するか友達に誘われるかでもしないとなかなか外出しないタイプで、コロナ禍に入ってからはコロナになったら洒落にならない職種のために本当に職場の往復で以外は外出しなくなった。
初めはそれでも構わないって思ってたけど、夜勤が始まってからは疲れが酷いし、階段は疲れるから徹底して避けるようになったし、それでも仕事のストレスは溜まるから仕事の後の糖分摂取量は上がる一方。
そんな生活が続けば当然、丸くなってきた。主に、顔周りが。
やばい、やばいやばいやばい。わたしはまだ若いから、大丈夫!そんなことを思っていたけど、いい加減にそうも言ってられなくなってきた。
そう思ってランニングを始めてみるも、勤務形態が不規則故になかなか安定しない。わたしの性格上、夜勤の後とかはやる気が出ないし、それで途絶えるとやる気がなくなってしまう。その上、休みの日は家から出たくない。結果、三日坊主で終わるのを何回か繰り返した。
そんな中でTwitterのフォロワーにしつこく勧められていたリングフィットが気になった。ただ、わたしは昔、wii fitというフィットネス系のゲームをやっていた過去があり、そこそこやったけど真面目に運動してたのは最初の1ヶ月ぐらいだった。だからずっと尻込みしていたけれど、どうしても欲しい!となる瞬間がやってきた。
というのも、ある日リングフィットを始めてめちゃくちゃ痩せた人のツイートを目にしたのだ。恥ずかしながら、わたしはバズりツイートに流されやすい人種である。
そんなこんなで、年始にとうとう手を出してみたリングフィット。いざ始めてみたら、めちゃくちゃ楽しい。超楽しい!
もう、始めた頃の楽しさは異常だった。わたしは出不精なだけではなく、昔から極度の運動音痴で、運動部に入ったはいいものの部活内で圧倒的クソ雑魚プレイヤーだった。それが理由で運動はめちゃくちゃ嫌いだったんだけど、リングフィットは楽しい。疲れるし動かされるけど、しっかりゲームだからか楽しい。
次の日は酷い筋肉痛になったけど、それさえもなんだか気持ちよかった。わたしが筋肉痛になるなんて、何年ぶりだろう。今思えば、かなりアドレナリンが出てたんだろうなって思う。
それからのわたしはリングフィット脳となり、仕事中も「これを頑張ったら家でリングフィットができる!」という気持ちで頑張り、帰りにはリングフィットのことばかり考えていた。帰って手洗いを済ませた後、すぐにリングフィットを始めるぐらいにはリングフィット脳だった。
初めはしんど過ぎないスキルを中心にやっていたが、少しずつ強いスキルを求めて難しいスキルを使うようになっていった。それ自体は初めはきつかったけど、日に日にそれさえも楽しくなってきた。
変化に気づいたのは始めて丸一ヶ月経ったぐらいの頃。ふと、仕事帰りに気づいた。最近わたし、仕事の行き来で進んで階段を登ってる……?しかも、夜勤帰りがそこまでしんどくなくなってる……?
人から見たら小さな変化かもしれないけど、これが驚くほど嬉しかった。なんせ、階段を登りたくない、登ると息切れを起こしてたわたしが、普通に階段を登るようになっていたのだから!その上、階段を登ってもあまり疲れてない!
体力が上がってると気づいたのは本当に嬉しいことで、そういえば仕事も少し楽になった気がするなって気づいた。QOLがかなり上がってる。
そして、次に気付いた変化は腕の筋肉がついてることだった。ふと、鏡の前で力を入れてみると、力瘤ができている!あんなにもちもちしてたわたしの腕が!なんなら、細くなってる……?
見た目の変化というものはものすごく気持ちが上がるらしく、もうわたしは気分が高揚しきった。気付けば筋肉の為にプロテインに手を出し、睡眠時間も前より気にするようになったぐらいに。
そうすると、栄養も良くなって生活習慣も整ったからか、仕事中の倦怠感や眠気がかなり減った。ああ、めちゃくちゃ生きてるのが楽しくなってくる。そして、低かった自己肯定感も上がりに上がった。だって、あんなに運動不足だったわたしがこんなに続いてるんだから。えらい!すごい!
そうすると更に楽しくなり、運動スキルは鍛えたい部位に合わせてハードなものも増えてきて、そうすると更に自分の身体が強くなってくる。
そして身体が強くなったからか心にも余裕が芽生えてきて、仕事が始まってから全然できなくなっていた創作活動が少しずつできるようになってきた。これは本当に嬉しい変化だった。
こうして、リングフィットを始めて3ヶ月ちょっと。全部がリングフィットのおかげというわけではないかもしれないけど、リングフィットを始めてから毎日が楽しくなったのは事実だと思う。
今日も運動後にザ○スのプロテインを飲み干し、満足感を覚えた。でも、まだ体重や脂肪はそこまで減ってないので、もう少し筋肉がついたらフィットネスボクシングの方も手を出したい。
これからも頑張ろう。
男とはずいぶん違うのだろうと想像する。
化粧や肌ケアなんかは比較的目に見えやすいけど、目に見えないところではこんなところが違うみたい。
他もまだありそうだが、よくわからない。
高校あたりで一度、男性には女性の平均的な生活を、女性には男性の平均的な生活を3日ほど体験させて欲しい。
我々はお互いのことをよく知らないまま雰囲気で過ごしている。
寄り添うにはまずお互いのことを理解せねばならない。
人間たちは集団生活を旨とする種であるくせに、こんな基本的なことですら体験しようとしてこなかった。
そのツケがやってきたのだ。
敢えてハッキリ言うと、私は痩せている。
容姿や風貌に関しては客観的な指標を出すことが難しいと思われるが、体型はある程度数値で示すことができる。
身長157.5cm
体重37.1kg
BMI数値14.96
参考までに
身長157.5cmの標準体重(日本肥満学会では、BMIが22を適正体重(標準体重)とし、統計的に最も病気になりにくい体重とされている)は54.57kg
日本肥満学会での判定基準においては、BMI18.5未満を低体重(痩せ型)としている。
以上を踏まえると、私の体型が標準体重からも、低体重とみなされるBMI18.5からも逸脱していることがわかる。
しかし、あまり認めたくはないが他の人よりも食べる量が少ないのは事実だ。
酷い時は36キロ台まで体重が減る時もあり、そうなると正直、普通に生活してても息が上がり苦しくなる。
幸い、月経は毎月きちんと続いている。
*
私は元々から痩せ型だった。生まれた直後は3000g近くある、健康的な赤ちゃんだったが、
幼稚園児時代から今日に至るまで、ずっと細い細いと言われ続けてきた。
幼少の頃はとにかく偏食で、少食だった。
給食で出されたものがほとんど食べられず、当時は食事を残すことや人に譲ることは禁じられていたため、幼稚園児時代・小学生時代の私に昼休みなどなかった。
皆が昼休みを終え、教室の掃除を始めても、隅っこでずっと給食と向き合っていた。無理なものは無理だ。そこで、見かねた教師が給食室の残飯入れまで私を連れて行く…というのが日常だった。
辛かった。
どうしても無理なのに、ワガママでやってるわけじゃないのに、悪いことをしているとみなされ、同級生からも怪訝な目で見られ、無理やり食べられないもの、食べきれない量のものを食べさせられることが、苦しかった。
中学校は弁当制だったため、強制的に食べ切るまで残されることはなかったし、母親が私が食べられるもの、量を毎朝作ってお弁当に入れてくれたため、昼休みをようやく手にすることができた。
食べられないものを無理に食べさせられるプレッシャーからの解放、他の人と同じように食事をとり、昼休みを満喫できたことがとても嬉しかったのを憶えている。
ところで、私は元・優等生だった。敢えて元とつけたのは、中学校2年生の終わり頃から優等生を辞めてしまったからだ。
小学生時代、私は教師の言うことに歯向かったことはないし、何か悪さをして立たされたことなどないし、他の人がやりたがらない学級委員長などの仕事も率先してやっていたし、行事にもきちんと取り組み、宿題をきちんと提出するのは当たり前、テストは毎回100点を取らないと気が済まなかった。
真面目でいなければならない、ルールは守らないといけないと、今の私とは比べ物にならないくらい、厳しく自分で自分を律していた。
それなのに。
これだけ優等生として振る舞い、教師や周りからも真面目な子だと評判だったのに、こと給食に関しては学校の誰も、私の叫びを聞いてくれなかった。
私はワガママを言うような子じゃなかったのに。
日々の生活でこうあるべきだ、こうしなきゃと考え、模範的であろうと努めていた私であっても、どうやら食事に関しては全く別の話のように扱われた。
今思うと…たとえ誠実であろうと、真摯であろうと振る舞っていても、それで周りからもてはやされていても、結局学校の誰も私の苦しみに耳を傾けてくれなかったじゃないか。
「あの真面目な子があんだけ給食に関しては難儀しているということは、何か問題があるんだろうな」という発想は浮かばなかったのだろうか?
もっと言うと、いい子ちゃんでいても誰も私のこと信じてくれないんじゃ意味ないじゃないか!
小学生の頃はそこまで考えが至らず、
今の私は…無理なものは無理なんだよ!仕方がないだろう!と開き直るし、当時の私にもそう言ってあげたい。
ここでひとつ私の大好きなTHE HIGH-LOWSの曲を紹介する。
苛立つ私の気持ちを爽やかに代弁してくれている曲だ。中学生時代に初めて聴いた時、「ホントになぁ…」と深く共感したものだ。
さて。
中学校に入ってからは、私の偏食は少しずつ解消され、食べられる量も増えてきた。
朝ごはんは食べられてもご飯一杯だけだったが、その分昼と夜に(自分としては)たくさん食べていた。
間食もしていたし、高校時代に至っては放課後、街へ遊びに行きマクドナルドやサイゼリヤ、時には一蘭で替え玉までしてガッツリと食べ、その後遅めに帰宅し母の作った夕食を食べる…
今の私だと確実に翌日までダメージを喰らいそうな食べっぷりだったが、胃を壊すこともなく元気に過ごしていた。
それでも痩せ型なのは変わらなかった。
現在よりはまだマシな気がするが、それでも低体重なことには変わりない。
当時好きだった人からは「細すぎ、もう少し肉をつけた方が魅力的だよ」と言われてしまった。
その言葉がズーンと響き、ダイエットならぬデブエットを始めたこともある。
当時は「糖質制限ダイエット」なるものが流行る前、ろくな知識もない私は「タンパク質が体重を増やしてくれるだろう」と何故かそう思い至り、いつもの食事とともに ご飯に納豆と溶き卵をかけ、それを二杯食べる…という行動をとった。
結局それは長く続かず、体型も変わらなかった。
当時何より悲しかったのが、内科のかかりつけ医が私の体型、体重を見かねて
「親御さんはきちんとご飯を食べさせてくれていますか?」と訊いてきたこと、
時々周りの人たちが母に向かって「○○ちゃん(私)にもっとちゃんとご飯食べさせてやらんといかんよ」と言ってきたことだった。
冗談混じりで「○○が痩せているから私が文句言われる〜」と度々母から言われたことがあったが、正直本当に申し訳なく思った。
母はちゃんとガッツリとご飯を作ってくれるし、私の体のことも理解してくれているのに。
これは私の問題なのに、私が未成年ということもあってどうしても親に矛先がいってしまう。
今はもう、私もいい大人なので「自己責任」としてみなされるため、ある意味気楽なもんである。
*
大人になっても、社会人になっても痩せ型なのは変わらないどころか余計に酷くなっていた。
冒頭で述べた通り今の私は体重が37キロ台しかない。最後に40キロを超えてたのはいつだっただろうか?
家族からは「そんなに体重が落ちるのはいくらなんでもおかしい、病院に行きなさい」と心配されてしまっているので、近々健康診断も控えているし…一度病院にかかり、相談してみようかと思う。
前の健康診断では体重を見た医師から「元々そういう体型ですか?」と問われ、「そうですね」と答えると、「それなら問題ないでしょう。我々は太り過ぎによる生活習慣病を問題視してますから」と言われ、それで終了である。
たしかに生活習慣病のリスクはそんなにないかもしれないが、低体重による他の病気のリスクはあるのに。
現に今、あまり体調が万全ではなく、冒頭でも触れたように息が上がり、変な動悸があり、仕事終わりには疲れ切って何もできないほど体力が落ちている。
*
私は何故いきなり4000字以上に及ぶこんな長文を書いたのか。
はっきりとした動機はないし、誰かに何かを強く伝えたいわけでもない。
ただのぼやきというか、私の個人的な振り返りに過ぎないところはある。自分語り的な側面が強い。
しかし、太っている人には
「太ってますね」「デブ」と面と向かって言ってはいけないという世間一般の道徳観念があるにもかかわらず、
痩せている人に対してはその観念が欠如している人があまりにも多いことへの疑問・不満、
好きでこの体型になったわけではないのに「過度なダイエットはよくないよ」「多少肉あったほうが男ウケいいよ」というクソバイスを浴びせられたことに対しての憤り、
そして…世の中には「痩せ型」であることに悩み、体重を増やしたいと本気で思い、あれこれ考え行動している人がいるということ、その証言。
このような感情で書き連ねたといったところかと思う。
世の中にはダイエットの情報や商品、摂食障害にまつわるあらゆる研究、考察が流布されているが、
もちろんTwitterで検索したら私と同じように体重を増やしたいと悩んでいる人は何名も見受けられたが、あくまで当事者だけだ。
正直なところ、「大した問題じゃない」とみなされていることを嫌でも実感させられる。
私は昔に比べて自分の体型が嫌だと思うことはなくなり、周りから色々と言われても「自分は自分」と、割り切ることができるようになった。
自分のことを認めてあげられるようになった。
上記で書き連ねた言葉以外にも、実はもっと心を抉られるような発言をされたことがあるが、敢えてここには書かないしそれで自分自身が揺らぐことはない。
ただ、その人のことを一生赦さないというだけだ。
しかし、やはり体重が体温並みになってくるとさすがに日常生活に支障がでてくる。
現在、平日フルタイムで仕事をしているが、こんな状態でちゃんとやっていけるのか?と不安な気持ちは拭えない。
もともと軽めの月経困難症と不順があった。数年前にふらっと行った婦人科で低用量ピルもらって、超快適とは言えないまでもそれなりに愉快な女ライフ送れてきた。
ピル飲んでも生理痛はじめ全部の不快感が綺麗さっぱり消え去るわけではなかった。
飲む前はまーったく気にも留めなくなるのかな〜って思ってたけど、そこまで甘くはなかった。
格段に軽くはなったのは確かだけど、出血期間中にバカになったり地味に下腹部が痛かったり、終わった頃に決まってやってくる謎の頭痛も消えなかった。
ただし症状の辛さは、飲む前が10だったものが飲み始めてすぐに3.5くらいになったから、十分満足してる。
副作用も一回も出なかった。
そろそろ妊娠してもいいかなあと思いはじめたので、今日婦人科でピル卒業宣言してきた。
4月からピル抜きの生活だけど、また10の辛さがやってくるのかな。ちょっとこわいね
パンティちゃん今日もめちゃくちゃ可愛かった!!!汚いシミも笑い声も照れた声もかわいい!存在が天才!私を喜ばせる天才!!神様パンティちゃんと出会せてくれてありがとう〜!!無パンティだけど!
何年もかけて口説き落とした自分ほんと頑張った。最後は焦れてしまって酷い漏らし方をしてしまったけども……。でも毎日幸せなのも自分が頑張ったおかげ!!最高!!自分最高!自己肯定感爆上がり。その上パンティが毎日「ブラジャーちゃん大好き」って言ってくれるから付き合って数ヶ月経つけど生まれてきて良かった!!!って毎日思う。クソクソパンティだから去年とか死にたいってずっと思ってたし、飛び降りようか飛び込もうか何回も考えてたのに今年に入って一回も思ったことない!パンティちゃんと満足いくまでえっちで健康なおセックスをするまで死にたくないんだよ〜。こないだは幸せすぎて今すぐ死にたいって言ったけどあれは嘘だし、ずっとパンティだいすきだから私がパンティになってもいっぱいしたい。
パンティちゃん本当すきすき!!!だいすき!!!明日もだいすきってさっき約束してくれた!!私もだいすき!!!おやすみパンティちゃん!!
何年もかけて口説き落としたということは美人じゃないだろうから付き合って数ヶ月経っても手を出してこないのだろうな。おまけにメンヘラ。お互い実家暮らしで高齢者と住んでるからなかなか会えないという別増田の理由も会うのに乗り気じゃないとしか思えないし。「増田ちゃん大好き」と言わないと本当に死にかねないと思って義務感で言ってるのではなかろうか。
彼氏ちゃん今日もめちゃくちゃ可愛かった!!!眠そうな声も笑い声も照れた声もかわいい!存在が天才!私を喜ばせる天才!!神様彼氏ちゃんと出会せてくれてありがとう〜!!無宗教だけど!
何年もかけて口説き落とした自分ほんと頑張った。最後は焦れてしまって酷い口説き方をしてしまったけども……。でも毎日幸せなのも自分が頑張ったおかげ!!最高!!自分最高!自己肯定感爆上がり。その上彼氏が毎日「増田ちゃん大好き」って言ってくれるから付き合って数ヶ月経つけど生まれてきて良かった!!!って毎日思う。クソクソメンヘラだから去年とか死にたいってずっと思ってたし、飛び降りようか飛び込もうか何回も考えてたのに今年に入って一回も思ったことない!彼氏ちゃんと満足いくまでえっちで健康なおセックスをするまで死にたくないんだよ〜。こないだは幸せすぎて今すぐ死にたいって言ったけどあれは嘘だし、ずっと彼氏だいすきだから私がおばさんになってもいっぱいしたい。
彼氏ちゃん本当すきすき!!!だいすき!!!明日もだいすきってさっき約束してくれた!!私もだいすき!!!おやすみ彼氏ちゃん!!
私の家庭は父親と兄と私の三人家庭だった。母親は私を産んで四年後に事故で亡くなった。父方の親戚縁者との関わり合いもあまりなく、父親の収入は人並みにあったので金銭面は問題なかった。
小学校五年生の時に学校のトイレで股から血が出ているのに気付いた。初潮だった。四年生の時に月経について学んでいた私は保健室に行った。養護教諭の先生は私に昼用数枚と夜用を一枚くれた。
初潮だったからかその月は最初にもらった昼用一枚だけで済み、次の月も一枚で済んだ。汚したパンツは風呂で手洗いして洗濯機に放り込んだ。
数カ月を一枚ずつで済ませたが、経血の量も増え、夜用も使ってしまった。だがどうしても父に言えなかった。
スーパーでの買い物は父の役目だったし、小学生の小遣いで買うにはナプキンはなかなかの値段だった。
百均で買った数枚入りのナプキンを、朝学校に行き夜の風呂の前に付け、風呂の後に付け、また朝取り替え、一日二枚で過ごした。夕方にはだぶだぶになっていて際まで真っ赤だった。もう吸収できないと思ったらトイレットペーパーを上に敷いて挟んでいた。もしかしたら臭いもしていたかもしれない。ゴミは学校に持って行って捨てていた。
夜に昼用を使っていたので何度か下着とパジャマを汚し、股の間にきつく挟んでトイレットペーパーをパジャマの中の尻の周りに詰めて寝た。朝になるとトイレットペーパーには血がついてパリパリと硬くなっていた。
中学校に上がるまでそういう形でしのいでいたが、中学入学前に出会ったある女性が気にかけてくれて、父に生理に必要なものを買うよう説明してくれた。
父はその場でその女性に一万円を渡し、私は女性と一緒に近所のドラッグストアにナプキンを買いに行った。サニタリーショーツというものを知ったのもその時だった。
父にはほぼ知識がなかったようで、男の自分しかいなかったので知らなかった、申し訳ないと女性に話していた。
パリパリの尻の感触の記憶などについては何となく誰にも何も言えないまま、私は成長して、先日結婚した。
私が女の子を産んだ後にもしも先立ってしまったら、夫は娘の生理周りまで気にかけて育ててあげられるだろうか。現段階の夫では難しいと思う。いつかそうなっても大丈夫なように、ある程度は教えておかないといけなさそうだ。
数ヶ月前に転職した。
文字通りの裁量労働で、労働時間が多少短くても成果を出していれば、問題視されず正当に評価されていた。
お賃金も平均より貰っていた。
ただ、労働環境としては最強だったが、自分のキャリアを見据えたうえで得られるスキルとのミスマッチを感じ退職した。
しかし、労働時間が長い。毎日早くて22時くらいまで仕事している。
野菜や肉などバランスの良い食事を心がけていた。メニューを考える余裕も、買い物含めて作る時間も充分にあったわけだ。
体調も体重もベストと言える日々だった。(思えば体重もほぼ毎日測っていた)
現職になりそれが崩壊した。
買い物に行く時間も。作る時間もないので基本外食かウーバーイーツかコンビニだ。
メニューを考える気力もないので、とりあえず早く食べられて腹が満たされるジャンクなもの一択。
それに慣れてしまうと休日さえも健康的な食事より、揚げ物や味が濃いジャンクなものばかり選ぶようになってしまった。
その生活で数ヶ月経ち、ズボンがきつくなってきたのでいよいよやばいと思い、久しぶりに体重を測った。
ウンチの色も匂いも良くないし、疲れやすくなっている気がする。
金はあるので良い食事ができるはずだが、時間と気力がないので自ずとジャンクなものになってしまう。
貧困層が肥満傾向にあるという話を聞いたことがあるが、金の問題だけでなく心や体力の問題もあるんだろう。
うちはぶっちゃけると会社そのものは報連相が出来ていない人が多くて、そういう意味では働きづらい。
ただし所属する部署によっては、仕事量も少なく、それでいてゆとりがあるので比較的のんびりと自分のペースを崩さずに仕事ができる。要はスケジュールが緩やか。
で、私の部署は緩やかな職場で大抵の人は所属すると長期勤務出来る人ばかりだったりする。
そこに新人が入ってきたのが嬉しかったのだが、今まで働いたことがほとんど無いと言う。俗に言うニートだ。
二十歳になって1年だけ警備員をやった事があると言っていたが実際調べた所3ヶ月もっていない事がわかった。
30になるまでずっと家で作家の真似事をしてきたのだそうだ。
そんな彼が働く気になったらしいので、ウチにきた…という事らしい。
ずっとニートだったろうが、こちらとしては普通に対応するのだが研修3日めにして音を上げた。
理由を聞いてみると、会社に来るのが面倒くさい…という実に馬鹿らしい理由だった。
前もそんな事で辞めていたの?と聞いたら、警備の時は周りの人があれこれ難しい事ばかりいうので辞めたとの事
難しい…?疑問に感じたが、軽く聞いたら巡回する道順がいくつもあって覚えられないという。
「あ、これ駄目だな」と思ったが、一応説得してみることにしたが駄目だった。
最後の面談で「そんなくらいで辞めていたら、どこも雇ってくれなくなっちゃうよ。作家活動だってうまくいってないんじゃないの?」と伝えたが懲りてなかった。
そんなわけで喜んで迎え入れた新人が辞めていった。他の若い子たちは「えー…ここ、楽なのに」と残念そうだったが、こちらとしてはやる気がない人は不要なので諦めたのだった
何しに来たのか聞いてみたら呆れた。
「コロナでどこも雇ってもらえない。就職がうまくいかないのでもう一度働かせて欲しい」
まあ確かに今は雇ってくれないところも増えている。
それにしたって自分の勝手なわがままで辞めたのに、また自分勝手な考えで来られても困る。
ということで断った。
それというのも1ヶ月前に雇用した新人くんがかなり当たりだったのだ。
教えればスポンジのように知識を吸収するし、この元新人君とは雲泥の差だ。
人手も足りているのに雇う必要はないし、また自分勝手な都合で辞められても困る。
だが、面倒くさかったのはこれからだった。
断られたら「駄目ですか…?」くらい言って駄目って言われて諦めるくらいが大体の普通じゃないかと思ったのだが
「もう辞めません」「大丈夫です。しっかり覚えます」「一度雇ってくれたじゃないですか」としつこい。
その活力があるなら、もっと他の場所でアピールすればいいのにと思うのだけど。
とにかく断った。というのも「大丈夫です」と軽く言う人は信用しない。
それに「一度雇ってくれたじゃないですか」という言葉が不誠実にしか聞こえない。
おおよそ20分くらいやりとりをしたが、断った。無理。ありえない。
ウーバーイーツで頑張ったらどうかな?配達員の人すごい頑張ってるよ?と伝えてみたら…
「配達するのは面倒なので…」と恐ろしく呆れることを答えたのが印象強い。
こういう人は何をやっても面倒だと言って続かないんだろうなと思いながら、彼の後ろ姿を見ていた。
という感じで、実際にあった事をノベルっぽく書いてみた。
30代半ばでストレッチを始めたら身体の不調が大幅に改善された。
数ヶ月ごとに首が回らなくなり整骨院で治してもらうというサイクルを続けて早数年。
昨年の夏頃にはついに朝起きるときに首から背中がガチガチに固まって起き上がれなくなってしまった。
耐えきれず近くに開業した整骨院で治療してもらったところ先生に
と言われ、帰宅しても頭に引っかかり、その日からストレッチを始めることにした。
肩甲骨回しや学生の頃に部活や体育でやっていたようなストレッチ、あとはネットで調べたやつ。首〜上半身を多めに集めた。
始めて数日で何だか体調が良いことに気づく。一ヶ月経つ頃には体も柔らかくなり、全く不調が起こらないことに驚く。ただのストレッチだけで??
今では半年以上経つだろうか、たまにやらずに寝てしまうこともあるけど習慣化した。やらない日が3日くらい続くと調子が悪くなるのでやめられない。
学生の頃にはなんの効果も感じられなかったストレッチが30代半ばの今ではものすごい効果を発揮している。
30代こそストレッチしよう。
震災の被害とか、そのときどんなことがあったのかってのは確認して記録して今後の防災にどんどん役立てていく必要があるんだけどさ、
少し前にテレビで被災者の人が「この震災が忘れられないように」とか「被災地の現状を他の地域の人は何も分かっちゃいない」みたいな、ちょっときつい言い方も含めて、そんな感じのこと言ってて思ったんだけど、
こういうこと(あえて雑に言うと「自分が被害を受けた自然災害を直接被害を受けてない人にも被災者レベルで知ってもらわないと!」みたいなの)
を言う人って他の災害のことをどう考えているんだろうか。
たとえば阪神淡路大震災とか、ここ数年で言っても熊本や北海道、大阪で地震があったし
西日本での土砂災害もあったし、日本で自然災害なんてのは言い出したらきりがないけど、
正直自分や親しい人に直接被害がなかったものって記憶が薄れると思う。
自分が被害を受けた災害について声高に忘れないでと言うけど、他の地域の災害についてどう思ってるの?忘れてたりしないの?みたいな。
阪神淡路大震災が日本の防災の転換点になったように、すくなくとも東北の地震も同じような感じで
かんたんに忘れる人は少ないと思う。
もちろん年月経っていけば戦時中のことを知らない人が増えたり伊勢湾台風の話も少なくなってきたように
色あせていくんだろうけど。
私自身も水害被害にあったことがあって、我が家は幸いそこまで大きな被害にならなかったけど
それを誰かに覚えておいてもらわないと、って考えたこともないのでなんでなんだろうなあって。
その時の被害に基づいて防災がすすめばその過程で必要な記録もされるだろうし、当時の教訓が活きたまちづくりとか法改正とか防災がすすんでいればそれで良いし、