はてなキーワード: 政治力とは
外資を渡り歩いて10年以上になるが、日本人男性がマジョリティではない環境では日本人男性ってわりと差別されがちな属性だと感じる
「日本人男性=性差別主義者のおじさん」みたいな偏見があり、(まあ誤解されがちな言動もある)、日本人女性に比べて、ハブられやすいというか。
悪気はないんだろうけどウッカリ外国人女性にどうでもいい雑用を頼んでしまい、あいつは差別してる!て訴えられたり、逆にすぐに無駄なことでペコペコ謝って混乱を巻き起こしたり、悪気はないんだろうけどすぐクビになったり訴訟沙汰になったりする日本人男性をよく見る。
日本企業でチマチマ生きていくんじゃなければ、日本人男性じゃなくてほんとよかったなと思う。
もちろん日本人男性でも普通に馴染んで活躍している人もいるが、フェミニンか、逆に日本人らしさが全然ない人。交渉力の鬼みたいなカリスマタイプとか。
あとまあ自分がいるのは研究職でも技術職でもなく、外交やパーティーや交渉というか政治力で仕事を回していく業界なので純粋に技術者とかだと人間関係がうまくなくても成功するかもしれない。
社会運動の目的は他人の意見、とくに日和見から無関心層の意見を変更することにある
その手段として脅しがあるが
典型的な無差別暴力扇動はむしろそういった層の反発を買いやすいから
代わりに自分自身を対象とするハンストや自殺は有力な手段に見えるわけだ
本当に致命的な結果になるかもしれないという状況を作り出しつつ、しかし暴力の使用自体は最小限にして、もっと広がるかもしれないという危機感を煽るため
しかも長引けば長引くほど茶番性が増すため、脅しから時間を開けずにすぐ具体的な交渉に移るための裁量権や政治力も予め持ってないといけない
まあもちろん飯に困ってないキレイな服着た若者がハンストだかダイエットだか区別がつかないことやってハフポスがフワッと目標しかない作文書くみたいなのは確かにレベル低すぎるけど
ジェンダーギャップ指数、今年も120位と散々な結果でしたね。
何も変わってないから変わってないのは当然ではあるんだけど。
以前からそうだけど、フェミニストがこの報道を見て日本は遅れてる!と吹き上がってる姿勢に対して本当に軽蔑する。
だってジェンダーギャップ指数が低い原因って日本のフェミニストのせいでしょ。
ジェンダーギャップ指数の順位が低い原因に政治・経済の格差が大きいことは何度も報道されてるので知ってる人も多いだろう。
経済については日本企業の体たらくを批判しまくるのは正しいんだけども。
日本のフェミニズムは未だに国会議員を一人も送り込めないほど日本で賛同されてない思想だっていう反省が無いんだよね。
政治家の意識が低いからジェンダーギャップ指数の格差が縮まらないんじゃないだよ。
オタクが一丸となって1議席稼いで自民に山田太郎の席取ったでしょ。それで露骨に自民党の表現規制の動きは弱まったよ。中で山田太郎が活動してるおかげってのもあるだろうけどさ。
フェミニズムって未だに選挙の結果からして政治力がゼロだってハッキリ分かってんだよね。
つまり女性にも支持が広がっていないノイジーマイノリティの一つでしかないって選挙結果が示してる。
外国の動きがどうだとから知らんけどさ、国民が望んでないことやる必要ある?無いよ。
それでもたまには動くよ。#KuTooの件だとか。でもそれはLGBTに対応するのと同じようにマイノリティ意見を拾い上げてあげてるだけなんだ。
民意として存在しない方向に日本全体を変えていくなんて独裁者じゃないんだからやらないよ。
で、その根本原因として日本国民にフェミニズムの意見が強く賛同されてないからであり、選挙に反映されないままとなり、最終的にはジェンダーギャップ指数に反映される。
これが日本のフェミニズムの活動がザコであることが原因でなかったら何なんだ。
表向きは自民党を批判してフェミニズムに賛成してくれるリベラルですら選挙じゃ自分らの思想に近い人を選ぶよ。
だからフェミニズムが頑張って賛同者を増やすってのが政治を変える為の大前提だしジェンダーギャップ指数は失敗の証明なんだけど、ちゃんと考えてるのかなあの人達。
https://anond.hatelabo.jp/20210306213555
この増田あたりから、カズオ・イシグロのインタビューについて、やや的はずれな応酬が続いていると感じる。
彼が語りかけている対象は、単に(ソーシャル)リベラル的政策を支持している人ではない。
その上部構造、とくに文化芸術分野にいて、「自分の表現で社会の政治的信念を変えられる」と信じている人々だ。
とくに日本人のマス層は文化芸術に自分の気に入らない政治的メッセージが入っていると感じると、その事自体にアレルギーを示す。
娯楽の場に政治を持ち込むとは何事かと。
だが、欧米圏では、政治的メッセージがほとんど常に入っていること自体は当然のものと受容している。
とくに米国は、民主共和の苛烈なプロパガンダ合戦を常に全力で行っており、文化芸術もその闘争の場と考えられている。
もちろん、対立陣営のそれだと分かれば全力でこき下ろす。批評で叩き潰そうとする。
そして、その中で文化芸術に関わるものは、政治闘争の指揮官、上等兵である。
誇りを持って自分の信念と政治闘争のために、味方を指揮して、大砲を操りながら、果敢に戦っているのだ。
その基本戦術は、理屈ではなく、素晴らしい表現によって「感情を動かすこと」である。
これによって、味方に結束感をもたらし、理屈で説得できない敵を味方につけるのが、彼らの役割だった。
この力で他者を動かすことの正義を信じている人々が、カズオ・イシグロが語りかけている相手だ。
だが、近年は「文化芸術の場では圧倒的に勝っているのに、選挙で負ける」という事になってきた。
カズオ・イシグロが恐れているのもそれだ。
そこでは、ネットミームの応酬やIT広告技術など、政治闘争のルールが全く違う。
感情の操り方はより単純で、流布されやすく効果的な情報を大量に散布することだ。
副作用としてゴミ情報が世界中の人間の脳みそにばらまかれるようになった。
もちろん、カズオ・イシグロはそれに乗っかれと言ってるわけではない。
彼は表現の力を信じている。だからこそ、責任を感じているのだ。
感情で政治闘争する世界を生み出してしまったのは自分たちではないかと。
しかし、まだその信念を捨てるつもりもない。
今までのやり方ではうまく行かない、もっとうまくやろうぜ、俺たちならできる、と言っている。
文化芸術も、感情至上主義を捨て、理性と科学と対話に重点を置いていくしかないと。
さらに、もっと敵対陣営を取り込める作品も作って、政治力そのものを取り戻すべきだと。
やれるかどうかはともかく、大変に志の高い話なのだ。
だからまず、そもそも文化芸術が政治力を殆ど持っていない日本でこれを大真面目に受け止めるのはちょっと滑稽である。
もともと力のない人間に、力を取り戻せ!と言っても仕方がない。
ただ、前提はともかく、「表現の力を信じている」人々には、その志の高さは参考になる面もあるだろう。
それより、日本の一般(ソーシャル)リベラルに対して正面から投げかけるのはズレすぎだし
ただの一般リベラルが真面目に応答しようとしてもしょうがない。
彼らはそもそも表現の力なんて持ってないし、信じてないだろう。
力も信念もない人間に、それらがある人間の言葉が響かないのは当たり前だし、まして他人が投げつけるのはまったく間違っている。
どちらの側につくにせよ、自らの強さを信じるカズオ・イシグロの言葉を使って、分断を弱者のせいにするような卑怯ことをするのはやめようじゃないか。
直接の原因は知らないので非エンジニア向けの戯言、はいはい嘘松程度に聞き流してくれ。
タイトルは釣りみたいなもんだ。データも客観的な観測もない。本当の理由なんて外部からわかるはずがない。
単に一個人が中の人らに酒を注がれつつグチられた内容の総集編だ。
前提として、社会インフラ系のIT基盤は設計や運用に企業体質が出やすい。
わかりやすいのはSuicaとかで、ハードウェアのFelicaこそソニーの技術だが、Suicaのシステムアーキテクチャは完全に鉄道屋のそれだ。
アプリやWebなんぞは使い勝手がイマイチだが、Suica自体のシステムダウンで首都圏の自動改札が全滅、復旧するまで使えませーん、なんて事態は聞いたことがないだろう。
安全が全てに優先する。
そういう作りにしてあるのだ。
じゃあみずほ銀行はどうなってるかというと、とりあえず止めない、安定運用できたら3社統合の負債を返そうとする、それだけで精一杯だ。
銀行屋のロジックで生きてるから、抜本的な改善はかなり難しい。
MHIR(みずほ情報総研)が大体開発にあたるわけだが、ここでの評価はほぼ銀行の出世と一緒。
入社前の面接の時点で出世コースを見出された賢い社員は、有力な派閥の上司の元で可愛がってもらい、成功すれば出世する小さな案件をあてがってもらう。
あまり大きい案件はリスクが大きい上、成功すると目をつけられる恐れがあるからだ。
そこで卒なくこなした奴が同期より少し上に行く。
年次にあわせて適切なサイズ・リスクの案件をもらい、統括し、出世する。
リスクの高い案件は技術知識だけで政治力のないはねっかえりにでもくれておけばいい。
こんな環境で誰が「抜本的な改善のため落ちにくい安定したシステムアーキテクチャを検討しましょう」なんて言う?
それで何のリターンが得られる?
「とりあえず動いてる」「止まったら運用のせい」「何日でも詰めさせて復旧すればいい」のに?
詰んでるんだよ。組織として。
中の奴らがどう思ってるか知ってるか?
下手な正義感振りかざしても何も変わらないからな。正しい学習性無気力だ。
そこそこ給料がいい分、このご時世では家族がいる奴はなおさらリスク取れないしな。
まあ、3社統合の時点でシステム屋が本体の建前と開発の実際との整合性が取れず、結果として歴史に残る大失敗から始まってるようなところだ。
マトモになるには時間がかかるだろう。
中の人やOBさんよ、「ホントのところ」をバレない程度にちょろっと教えてくれるの待ってるからな。
他社の中の人も「うちもひどい」「ここはまだマシ」とかあるだろ?
結構色々ついたな。
肩の力抜いてそのうち出てくる調査報告書でも読んどけよ。
森さんの発言はまぁ駄目だとして、辞任もまぁ当然だとして。森さんの手腕にまで疑問符を出すのは違うと思うんです。
魑魅魍魎が跋扈する霞が関で 50 年以上政治家を続けているその事実は実力を雄弁に物語るでしょう。
彼に感謝をするとか彼に迎合する必要はないし彼の功績を称える必要はないけれど、彼の実力を否定する理由はないでしょう。
こちらは全然仕事しない気で行っているのに、初対面で「やる気があるやつきたぁ」な扱いである。
まず「スーパーバイタリティやる気まんまんマン(こんな奴そもそもいない)」だと思われ、仕事場の特殊な手続きすらも一切解説されずに炎上現場に投下されまくるのが苦痛。
本読みまくりでしょ、勉強しまくりでしょ、政治とかわかるしなんならもう政治力すらあるでしょ、と認定されるのも苦痛。
増田はゴミクソの上昇志向ないない系だし、話題作は絶対に読まずに哲学書・専門書・純文学・近現代詩・前衛短歌ばかり乱読するタイプの
実務やる気ゼロ系東京大学卒のインテリ糞野郎なのでめちゃくちゃ腹が立つ。
友達や、会社の上司・同僚すらその辺を察しくれないし、仕事で出会う人物が初対面でとにかくやる気あると誤解するのでどうにかしたい。
平成は表向きは「改革」が連呼された時代だったけど、結局「改革」を掲げている政治家たちも森に頼り続けてきた。小泉構造改革や郵政解散選挙は、森がバックアップしていなければ無理だった。内実は窺い知れないが、それだけの人望や政治力があったことは確かだろう。森喜朗的な政治を批判してきたはずの猪瀬直樹が、結局は森に五輪の会長をプレゼントする形になったのも皮肉。平成の政治は森喜朗の掌だったと言っていい。
森の失敗は、裏方に徹していればよかったのに、功名心を捨てられず、人生の総仕上げとして五輪で表舞台に立とうとしてしまったこと。裏で調整役に徹した方が、国民のイメージも少しづつ回復したはずだが、会長として五輪の顔の一人になったことで、「爺さんのわがままな夢に、国民がむりやり付き合わせれている感」がすごく出てしまった。
批判は当然だが糾弾やバッシングはやはり好きじゃない。糾弾する前に自分の周りを見返すことが必要。森会長叩きではなく、会社の会議で年長の役員の女性蔑視発言を、みんな嗜めることができているかとか、自分もその場合に空気に合わせて笑っていないかとか、そういう話で盛り上がるべきだと思う。
例の失言に怒りまくっている人が多いが、正直そこまで悪質ではないと思う。
というのは、自分たちだって「女は会話に共感を求めたがる」「男はまず結論を知りたがる」とか、そういうネタで会話を散々しているはずだからだ。実際、男女あるあるネタは、飲み会でも盛り上がる鉄板ネタ。妻ともしょっちゅうこれで軽い言い合いになっている。「地図の読めない女」「記念日を憶えられない男」などはその典型。その中に森の言うような「女は話が長い」も含まれている。
森との違いは、これを仕事の会議など、公の場に持ち込んだりしてしまうかどうかだけ。要するに森は「TPOの読めない無邪気な爺さん」に過ぎず、そこまでの怒りは感じない。屁理屈で女性差別の問題を矮小化しているアンチフェミのほうが、はるかに悪質だろう。実際、森の発言の最後は、会議に女性をもっと増やし方がいいという結論になっており(もちろんパターナリズム臭はあるが)、「女は話が長い」ことを根拠に会議から排除すべきと言っているわけではない。
この一件から、森のようになんの政治理念も指導力もあるように見えない人間が、30年にもわたって自民党の重鎮であり続け、一定の人望を得ている理由の一端をうかがうことができる。それは、こういうTPOも弁えない裏表のない会話で、周りの人々を安心させているからだろう。いま森の失言に怒り呆れている人も、おそらく森と一緒に飲んだら一瞬で取り込まれてしまうはずである。
(追記)
森は「女は男と比較して無能」とはさすがに言ってない。あくまで「話が長い」と言っているだけ。TPOを弁えてないのは政治家としてNGというのはその通りだけど、自分もTPO読むの超苦手だから憎めないというのと、森のようにそれが政治力や人望の源泉の一つでもあったりする場合は厄介。
あと森が無能無能言う人が多いけど、30年も自民党の重鎮であり続けた人が無能なわけがない。問題にするとしたら、その有能さの質であって、それは日本の政治体質全体の問題だろう。
という表現だと思う。ここに彼の人生そのものが表現されている。
つまり国民をコントロールしているという無意識のアピールである。
聞くと、彼に意見する人はすべて更迭され、イエスマンしか残さないという。
それは官庁における微細な人事にまで至るという。
これは何かというと、
こうした人間が上に立つとどうなるかというと、理念も何もないことが露呈する。
つまり、上意下達の政治ゲームが得意でのし上がっただけであり、
残念ながら全国民がいま、それに気づいている。
自分にまったく関係のない、数十年前の薬害エイズの訴訟で謝罪するなど、
そこには人間としての理念があり、それに基づく正義感が見えた。
それこそノブレス・オブリージュではないだろうか。
少なくとも理念がある。社会主義のもとに国を強くするという強烈な理念である。
圧力や権謀術数が好きそうなのに、緊急時に独裁的にリーダーシップをとらない(とれない)
彼はまもなく辞任するだろうが、逆説的に他国や過去の宰相のリーダーシップが浮きだって見えるという、
稀有な人事であった。また、コロナでの損な役回りでありながら、
次世代への中継ぎとしての役割を果たしたのは評価したいと思う。
追記:あべぴょんが謝罪したのは薬害エイズじゃなくてらい病訴訟の件でした。
無知による人権侵害の件。自ら進んで行ったのだという。ここに彼の人間性が見えたのである。
またいつでも首相に戻ってもいいのよ?