はてなキーワード: 座右の銘とは
私も一度言ってみたかった!って書こうと思ったら元記事消えてるじゃん。引用とかできなくなってしまったけど書きました。
10年前くらいまでニッチな業界でサポセンを10年務めてました。
大体はトラブル対応なので、お客様からの限られた情報で原因までたどり着くため聞き出す能力が自然と身についた感じです。
一応、傾聴のトレーニングは受けたことがあって、これから書くこと全てのベースになっています。
・傾聴とは
それらを掘り下げるとまたややこしい話になってしまうので、ここでは簡単に「共感」とします。
・聞き上手ってなんだ
私の思う聞き上手というのは、つまり共感上手だと考えています。
えー。なんか思ってたのと違うって人がいたら、ここから先は読んでも意味がないかも知れません。
確かにそうかも!って思えた人は先にお進みください。
なぜ共感上手が聞き上手なのかと言うと、大半の人は、話をするときに伝わっているか不安を抱えているからです。
私の体感では9割の人が話をするときに不安を抱えていると感じられました。
あくまで、不安を抱えているだけであって、不安が表面にあらわれているとは限りません。
断定表現を多用しているからといって、その人が自信に満ち溢れているかと言うと別の話です。
むしろ、不安を隠すためにあえて断定表現を用いる人のほうが多いのではないでしょうか。
いわゆる話し上手の人も、特に訓練でそれを培った人のほとんどが、自分の話が伝わっているかどうか不安を抱えていると言えます。
逆を返せば、伝わっているかどうか不安に感じるからこそ話し上手になる訓練を受けるとも言えます。
つまり、聞き上手の目的の一つは、この、伝わっているかどうかの不安に共感して、払拭してあげることと言えるわけです。
ちなみに残り1割の内訳は、相手に伝える意思がなく一方的に話し続ける人と、本当にただ単純に話をすることが大好きな人でした。
ここでは具体的なスキルを説明します。といっても、スキル自体は本当にシンプルで、誰にでもすぐにできると思います。
1.相槌
相槌です。それ以上でもそれ以下でもありません。
うん。とか、そうだね。とか、確かに。とか、なるほど。とかです。
バリエーションがあるに越したことはありませんが、うん。だけでも十分です。(サポセンのときは「はい」でした。)
まずは相手が話したいことを全て話させることが、共感にとってとても大事なことだからです。
「この人は自分が話したいことを全て受け入れてくれた。」
ただし、相槌をしていればよいというわけではなく、できる限り相手を見て、姿勢を正し、的確なタイミングでの相槌が大事です。
特に興味もない話に仕方なく付き合って適当に相槌だけ打ってたら相手の話がいつまでも終わらなかったなんて経験はある人もいると思います。
それはある意味では、正しい傾聴に近づいていたと言えるわけです。
ただ、これだけではただいたずらに話を長く引き出すだけになってしまいます。
残る2つのスキルを効果的に用いることによって、話の核心に迫ることができます。
2.伝え返し
聞き慣れない言葉かも知れませんが、伝え返しとは、相手の会話のキーワードを、こちらの言葉として相手に伝え返すことです。
例えば「聞いてよ!今日すごいことがあったんだよ!」と言われたとします。
ここで、相手に聞いてほしい内容とは何かを考え、その言葉を伝え返します。
ここでいうと、「すごいこと?」という感じです。
「最近、疲れが取れないんだよね」なら、「疲れが取れないの?」
「ちょっと辛いことがあってさ」なら「辛いこと?」などです。
難しく考える必要はなく、相手の聞いてほしそうな部分をただ繰り返すだけで十分です。
しかし、相手に聞いてほしいこと=話の核心へと近づくヒントだと考えれば、伝え返しを効果的に繰り返すことが核心に迫るための一番の近道であるとも言えます。
ちなみに、普段思わずやってしまいがちなことは、脊髄反射でのお説教です。
「会社辞めたいんだよね」に対し、「会社辞めてどうすんだよ。」
「最近、疲れが取れないんだよね」なら、「お酒のみすぎなんじゃないの」
「ちょっと辛いことがあってさ」なら「誰でも辛いのは一緒だよ」
こんな返され方をしたらそれ以上何かを話したいとは思えませんよね。
話をする側は、その話が受け入れてもらえるかどうか不安です。説教が帰ってきたら、この人には話が通じないとそれ以上話すことを諦めてしまいます。
3.質問
傾聴と聞くと、自分は何かを話してはダメだと考えてしまう人が多くいます。
しかしそんなことはなく、むしろ質問をすることで話がスムーズになることもあります。
例えば「会社を辞めたい」という言葉に対し「何?辞めたいって?何かあったの?」や「トラブル?何か揉め事とか?」といった感じです。
これでは話を聞いてもらえると言うよりは、コンテンツとして消費されてしまいそうな気になってしまいます。
聞き方そのものが大事といえる部分ですが、例えば「会社を辞めたくなるような事件でもあったなら聞かせてもらえる?」など、あくまで目的は共感であり寄り添うことであると伝わる聞き方をしましょう。
それ以外でも、話を理解するために疑問の解決を目的とした質問は一向に構いません。
話の途中で出てきた言葉や出来事そのものが理解できないままに傾聴を進めても意味はありませんので、「それって○○っていう理解でいい?」や「〇〇って言葉が理解できなかったのだけどもう一度説明してもらって良い?」などといった感じで、その時その時にできる限り理解しつつ進めていきましょう。
相手の話を聞く上で、やってはいけない3つのNG行動があります。
癖づいてしまっている人も少なくない内容なので、改めて見直してみましょう。
1.武勇伝
相手の話が始まると、すぐに自分の話に置き換えようとしてしまうことです。
特に、相手よりすごいとマウントを取ろうと、過去の武勇伝を話し始める人が多くいます。
男性に多いイメージかも知れませんが、女性でも割と多くいます。(体感は5分です。)
女性の場合は武勇伝というよりは「私だって」という切り出し方が多いという違いはあります。
いずれにしても、相手の話をすぐに自分の話に置き換えようとすれば、相手はそれ以上聞いてもらうことは無理なのだと諦めてしまうことでしょう。
2.無視、ながら傾聴
よく見られるのは、忙しいという理由で何か作業をしながら話を聞こうとする人です。
たとえそれで話が理解できていたとしても、最初に述べた通り話し手は不安なままです。
その都度リアクションが得られなければ、話を理解してもらえたという共感を得られることはありません。
3.「でも」
これについては本当にただの口癖になっている人がほとんどです。
たしかに、「でも」という言葉は、相手の言葉を遮り会話を自分のターンにするときに便利な言葉です。
しかしだからといっていつでも便利に使っていると、「でも」という言葉が出ただけで、相手は話を理解してもらえていないと感じてしまいます。
「ちょっと辛いことがあって」に対し「まあ、でもね、」と返ってきたらどうでしょうか。
・聞き上手の入り口
これだけでも相手は十分話しやすくなると思いますが、それだけでは聞き上手とは言えません。
大事なことは目的とマインドであり、なぜ聞き上手になりたいのかによって、ここから先に身につけるものが変わってきます。
キャバクラで多くの顧客をつけたり、インタビュアーとして様々な情報を聞き出したり、カウンセラーとして聞くことによって相手の内面の問題を引き出したりとするためには、別途専門的な技術の習得が必要になります。
しかし、ごく身近にいる人間との関係を大切にしたいために聞き上手になりたいという人にとってであれば、私からはこんな言葉を贈ることができます。
これは、傾聴のトレーニングを含む一連のセミナーの中で出てきた言葉ですが、その時から私の中で座右の銘になりました。
要約すると、「あなたが大切に思うその相手は、その人が大切に思うもので成り立っているので、その大切に思うものまでしっかりと大切に思うようにしましょう」ということです。
・「大切に思う」とは
ここで言う「大切に思う」というのは、何も「好きになる」という意味ではありません。
例えばあなたの大切に思う人が自分の嫌いな食べ物が好きだったとします。
傾聴を続ける中で例えばその食べ物が好きですか?と聞かれたとき、どう答えるのがいいでしょうか。
嘘をついて好きですと答えるのがいいのでしょうか。
それとも、そんなものは人間の食べるものではないと、説得を始めるのがよいでしょうか。
もちろん両方とも違います。
答えは、「自分は嫌いだが、それを好きだという相手を受け入れる」ということです。
言葉にするなら「私はたまたま好きではないけど、それを好きだということは素晴らしいことだと思います」といった感じです。(状況に応じてふさわしい言葉は変わります。)
食べ物くらいであればなんとなく理解できるかも知れませんが、例えばあなたの子供が良からぬ噂のある人間と付き合いがあったとしたらどうでしょう。
頭ごなしに「そんな人間との付き合いは辞めなさい!」と怒るべきか、それとも「あなたが言うなら大丈夫」と付き合いを無条件に認めるべきでしょうか。
しかし、ここで大切なことは、「好きと嫌い」や「いいと悪い」「その人との付き合いの大切さ」は、分けて考える必要があるということです。
「私自身はその人のことが好きではない。また、聞こえてくるその人の噂自体もよいとは思わない。ただ、その人との付き合いが大切だと思っていることは認める。そのうえで、今後どうしたらいいかを一緒に考えてみることはできないだろうか。」
もし自分が子供の立場として、こんな言葉を親に言われたらどう感じるでしょうか。
ただ単に、「ダメだ」「やめなさい」「認めない」と言われるより、自分なりにどうすればいいのかを考えられるのではないでしょうか。
私自身が過去、相手を大切に思う気持ちが伝わらなかったもどかしさのほとんどが、この言葉一つで解決しました。
聞き上手とは論旨が少しずれてしまいますが、今でも大切な話をするときには必ず心の片隅においている言葉です。
ただ、私が思う聞き上手な人は、この「相手の大切に思うもの」を見つけるのが上手で、そこから相手の話を広げて掘り下げてとできる人のようにも感じています。
そうしたマインドがあってはじめて、スキルをどのように活用すればよいかの答えが見えてくるのではないでしょうか。
ここまでの例は、わかりやすさを優先するために日常会話に置き換えましたが、なぜトラブル対応に傾聴スキルが必要なのかの説明をしておきたいと思います。
トラブル発生時の人の行動パターンは、大抵次のようなパターンに収まります。
トラブル発生→原因を予測→それに伴った解決手段を要求→責任に応じた補償を請求
ただし、問い合わせに来たときに最初に切り出してくる内容はバラバラで、人によってはトラブルそのものを問い合わせてきたり、原因から話し始めてみたり、解決手段や補償を要求してきたりします。
例えば相手が「新品交換してほしい」と要望を出してきたとします。
もし規定に新品交換がなかったとして、そのままここで「新品交換は規定にないのでできません」といくら説得しても無駄です。
なぜなら、相手は新品交換にふさわしいトラブルが発生していると思い込んでいるからです。
(もちろん、その一言で解決すれば最短ルートなので、一度は口に出しては見ます。)
ここで大切なことは、「相手が考えている、新品交換にふさわしいとする根拠になりえる原因に共感すること」です。
・相手の中では筋が通っている
相手のトラブルに対する思考パターンを図式化すると次のようになります。
これらは頭の中では一直線に並んでいて、その人にとっては筋が通っている内容なのです。
そのため、もしここで違う補償を提案したとしても、それは相手には筋が通らない話になってしまいます。
ここでいう「トラブル発生」の部分は比較的に視覚化されていることが多く、相手と自分とで共感しやすい部分でもあります。
こちらは相手の情報や機器の状況を元に原因にたどり着けたとしても、それが相手のたどり着いた原因と一致しているとは限らないのです。
「別に原因が一致してなくったってトラブルが解決すればそれでいいじゃないか」
でも実はそうじゃないんです。
あるお客様は、トラブルが解決しているにも関わらず執拗に補償を求めてきました。
お客様からヒアリングした結果、すでにお客様側の操作ミスによるものと判断した上で、むしろ本来ならば有償対応で然るべきものを無償で対応したような状況だったにも関わらずです。
その上で、補償できないことの説得を試みましたが、その結果、大事な顧客を失ってしまうほどまでに拗れてしまいました。
その件については今となってはたらればですが、そのことを大きく後悔した私は何が悪かったのかを徹底的に考えました。
そうしてたどり着いたのが「傾聴による原因に対する共感の欠落」でした。
しばらく後に、またも同様の状況に陥りました。
お客様側の操作ミスによるトラブルにも関わらず、執拗にこちら側に補償を求められる状況です。
いくら今回のケースに対して補償が釣り合ってないと説明しても聞き入れてもらえません。
そこで、補償に対する説得を諦めて、お客様側が要求してくる根拠について傾聴を試みました。
頭の良い方のようで難しい法律の言葉や理知的な批判の言葉が並べられる中を、かき分けるようにして原因について傾聴を続けます。
するとわかったことは、トラブルの原因がこちら(会社)側の責任によるもので、自分は補償を受けてふさわしいと考えていたことでした。
しかし、なぜ動かなくなったのかの原因の部分、とくにその責任の部分において大きく食い違っていたのです。
こちら側としては、恩着せがましくならないように黙って無償対応したという譲歩をしていた状況だと思っていたので、そのギャップに驚きました。
しかし、お客様の言い分を丁寧に聞き出してそこに共感した上で「実のところ今回に関してはお客様側の操作によるトラブルのため補償の対象外となります。」と説明したところ、「申し訳ない」という言葉とともに、すんなりと引き下がってくれたのでした。
この瞬間、もともとお客様の中で筋が通っていたはずの話が、傾聴により正しい原因に置き換わったことで、正しく筋が通る話に置き換わったのだと実感することができました。
お客様の要求には、それと対になる原因がある上で筋が通っている。
ならば、そのお客様を説得するには、ただ要求に対して可否を答えるだけでなく、お客様の考える筋が通っているとする話を傾聴して共感した上で、本来の原因を説明し、正しい筋道に軌道修正する必要があるのだということがわかりました。
(身バレを防ぐために色々とぼかして書いているのでわかりづらくて申し訳ないです。本来、そんな操作ミスでトラブルが起こるような製品ではありません。)
それならば最初から原因が違っていることを説明すればよいと思うかも知れません。
しかし、こうした責任問題については、お客様側が疑心暗鬼になっていることも少なくなく、まずは傾聴した上で信用を獲得してからでないと、こちらの言い分を理解してもらえないことのほうが多くありました。
つまり、「相手が原因に対してこう考えている」という部分までの傾聴なくしては、こちらの言い分は押し付けにしかならないのです。
これこそが、私自信が傾聴を行う一番の目的だといっても過言ではありません。
相手に理解してもらうには、まずは相手を理解することが不可欠なのだと言えます。
・思いがけない副産物
もちろん全てにおいてこれだけの時間コストをかけるわけにはいきません。
ある程度はマニュアル通りに対応をして最短ルートをたどりつつ、拗れそうな案件についは、無理やり近道をせず確実に手順を踏むという感じで使い分けていました。
これには思いがけない副産物もありました。
相手の言い分を理解して、こちらの言い分も理解してもらった上で、相手の要求が不当であると思えれば、それは間違いなくクレーマーだと分類ができます。
その時点でお客様からクレーマーへと分類が変わるので、当然その後の対応も解決から処理へと変わります。
残念ながらそうした当り屋的な人は一定数存在して、それ専用の対応なくしては身を守れないのも事実です。
ただ、誤解をもとにクレーマー分類してしまう件数は、傾聴によって激減しました。
その証拠として、私が受け持ったトラブル対応について、解決不能(要するに喧嘩別れ)については実に1/3以下まで減少しました。
・最後に
後半部分も気がつくと大ボリュームになってしまいましたが、まずはいわゆる普段の生活の中で、この人は聞き上手だなと私が感じる人の話を実経験をもとにまとめてみました。
もちろんもっとすごい聞き上手の人も沢山いるし、そのためのスキルも沢山あることでしょう。
「大切に思う人がいるのに気持ちを汲み取ることができない。」
サウナ行ってみりゃいいじゃん。ソープ行けばいいじゃん。筋トレすればいいじゃん。一時的な快楽を断続的につなげてみろよ。
(つーか、殺を伏字にすんじゃねーよ。使うのが怖いんだったら別の表現考えろ!文才あるのにもったいねーぞお前!)
なんで「生きる事そのものが悪であり不幸だと思っていることや「人生を修正するモチベも体力もない」ことに抗うことを止めたんだよ!
ヒトが単純に幸福を目指そうとする社会や、同じ問題過ちを繰り返さないための学習というものを社会が行えていない。
その様をこの先ずっと見せられるのかと恐れてから我が家にテレビを置かなくなった。
私より知性的で賢いであろう大人たちが自分の立場と金のためにこどものような喧嘩を繰り返すのを見続けなければいけないのは地獄だ。
その類を見たくねーんだったらよ、テレビを置かなくなる前にパソコンやスマホを捨てろよ!それができてない時点でお前は自分が持っていると思っている信念を自分で否定してるんだよ。
あと、このはてな匿名に追記をしたってことは、この文章がバズったことに何らかの気持ちが動いてんだろ?
「あ、あれ、、けっこうバズってんじゃーん!ほーら、俺の思った通りだ。世の中なんて、案外こんなもんなんだよ」って思ってんだろ?
それを喜べよ。
それが素晴らしいんだよ。そういうたぐいの幸せを提供する機能がパソコンやテレビにあるんだよ。
あと、一個で全部世界が変わるとか思ってんだろ?「運命の女性に会ったらこの世界がパーっと輝くようになった!」みてーなことを本気で思ってるんじゃねーだろうな?
おまえ、31だから俺と同い年のオタクだろ?琴浦さんが相手の変態男と出会ったシーン覚えてるだろ?獣フレンズより前のアニメだから見てるだろ?
あんな感じで世界が変わるような体験を自分以外の幸せそうに生きている人間はしていると思ってんだろ?
あんなことあるわけがねーから!それぞれ一つ一つクソくだらない幸せをかき集めて何とか生きてるんだよ。
座右の銘を「おもしろきこともなき世を面白く」にしている奴らはな、自分の人生を面白くするために必死にもがいてんだよ。
そういうやつをしょーもないとか思うんじゃねーよ!
勝手にそう思ってろ!お前がパンをマズそうに食ったって食わなくたって飢え死にしている奴は飢え死にしてるんだよ。
飢え死にを防ぐために必死になっているやつがいるんだよ。そいつらの行動にお前の食事なんて関係ないんだよ!
お前の罪悪感は無意味なんだよ。
あー、分かった。お前が自分の行動や将来や世界を憂いて動けなくなっている間に、俺はお前を踏み台にして有名になってやるよ。お前はな、加害者じゃなくて被害者だからな!
どーだ!これで俺が有名になったら、お前は俺の踏み台なんだよ。お前が肯定する神はな「俺のnoteの宣伝材料」としてお前を作ったんだよ。「創った」って字の方がいいのか?どっちでもいいけどよ。
「自分が30円引きのヤマザキパンを旨そうに食ったところ」というお前至上最高の、そしてこれからも越えられることのない”名言”は俺のnoteを宣伝するために"神"がお前に書かせたんだよ。
お前が生まれ変わっても俺の生まれ変わりが作ったnoteの宣伝材料という運命をちゃんと全うしろよ!
死が怖くなくなってきた
は?でも、痛いの嫌だろ?それは”神様”が死を怖く感じてもらうために作ったシステムなんだよ、多分。
一番ムカつくのがこれだわ!おまえ、31だろ?最低でも21歳で彼女いるんじゃねーかよ!ふざけんじゃねーよ!
ここに関しては僻みしかねーわ。ふざけんな!
お前が思っているようなことを俺は22,3くらいの時に思ってたわ。俺はお前より10年早いんだよ。
だが、俺がソープで童貞捨てたのは26だから下手すりゃお前より10年遅いな。
最後までよんだならわかるだろうけど、お前は俺より文才があるんだよ。
何でお前に会って俺にはないんだよ。
なんでそんな奴が達観してこんなところでこんな文章書いてるんだよ
ふざけんなよ。
絵も描けないし音楽もできない。
それなのになんでお前の方が文才があるんだよ。
ふざけんなよ。
僕は逃げる人間だ。この話を綴るためには、まず懺悔しなければならない。僕は逃げる人間だ。卑怯者だ。その上で聞いて欲しい。
皆さんには、座右の銘ってありますか?僕はあんまりそういうの考えてこなかったし、なにぶんフラフラして生きてきたもんだから、座右の銘を考えようとしても、どれもいまいちしっくり来なかった。でもある時、ひとつ自分の中で、これはぴったりだってものが出てきた。「袖振り合うも多生の縁」。本来、どんな出会いも必ず意味があるのだから大切にしなくてはいけない、という意味だ。だが、僕の中ではそれを広げ、仮に不運なことがあっても、それにも必ず意味があるのだから、ポジディブになって、その場でできる限りのパフォーマンスをしよう、という別の意味も持っている。
この言葉は、少しずつ自分の考えを矯正していった。どうしてもネガティブになりがちな人間だから、何か悪いことがあったり、嫌なことがあっても、これにも必ず意味があるんだ、と思わせてくれる。先に進む勇気を与えてくれる。そういう道標だった。
だが、ふとある日気づいた。これって、自分の嫌なことから目を背けるための呪いの言葉なんじゃないか?失敗したことに背を向け、努力不足を正当化する。こんなに恐ろしい免罪符はあるだろうか。だが、それに気づいた僕は、その現実からすらも逃げた。いや、到底直視できなかった。僕の全てが瓦解してしまうような気がして。
今でも、僕はこの言葉を思い返すことがある。何なら、未だにこの言葉に縋っている事すらある。心の中では自分を責められるが、それを行動に移すことが怖すぎるのだ。そしてやがて、自分はどこまで逃げればいいんだろうかという別の恐怖が生まれてきた。この逃避行はどこまで続いているのだろうか。もう戻れない所まで来てしまった。一方通行の闇を走り抜けるしかない。
でも本気でスキルを身に着けようと思えない。しかし見栄は張りたがる。出世が遅れるのは恥ずかしい。
趣味もいくつかあるけど、どれも狭いし浅い。
極めようと思っても、自分よりすごい人を見るともういいやって投げ出してしまう。
本を読まない。映画を見ない。音楽を聴かない。テレビもほとんどみない。たまにネットニュースや動画を見る程度。
めんどうくさいから。時間はあるくせにダラダラとスマホをみている。
座右の銘とか好きな言葉とか、聞かれても答えられない。大人としてダメだと思う。
人生楽しんでる人たちを見て妬む気持ちはないけど、自分が惨めになることはよくある。
理系なのに大学・大学院時代に学んだことはほとんど忘れている。専門は何かと聞かれても胸を張って言えるほどのものが無い。
もっと勉強していれば良かったと思うが、今から勉強する気は起きない。
小中高と勉強はそれなりに出来て、そこそこいい大学・大学院を卒業し、そこそこいい企業に勤めて副収入もあって、愛する妻と娘がいる。
世間一般から見たら幸せな人生を歩んでいることはわかっているのだけど、常に誰かと比べて劣等感を抱く。
総じて、今の自分は劣っていると思う。
でも努力はしない。正確に言うと、何をしていいかわからないし頑張る気が起きない。面倒くさい。
でも他人にそれを指摘されるとプライドが邪魔をして腹を立てる。なんてめんどくさい奴だ。
劣等感と無気力感のせいで、仕事も何もしたくなくなることがある。
でも家族がいるから頑張ろうと思う。家族の優しさが逆に辛くなる時もある。
美人で優しい妻に、明るく素直で頭のいい娘。こんな私を愛してくれる。
もうすぐ30代も折り返し地点。
どんな発言にも「文脈」というものがあるので、たとえ誰かのある特定の言葉であっても、それを切り取って「元と異なるある文脈の中に置く」という作業をした時点で、引用した人の恣意がそこに加わわってくる。友人が言及したのは、いま、その言葉をブログに掲げたあなたの「意図」であって、ケネディのセリフそのものではない。
たとえば「論語読みの論語知らず」という言葉がある。昔から言われる警句の一つだ。意味は、「著名な聖人の言葉を、聖人の言葉というだけでありがたがって、その真意や聖人の精神を知らずに従おうとするのは、その原典の意図から最も遠い行動でさえある」というような意味だ。大変重要な真理をついた警句であるし、自分自身もこれを座右の銘として、日々自らを省みる手立てとしているところだ。
だがさて、いまこの文脈でこの話を書けば、あなたは必ずや「カチン」と来るだろう。そして、それは正しい。私はあなたに「カチン」とこさせようとしてこの言葉に触れたのだし、むしろ「カチン」と来なければあなたには相応の読解力がないということになるのだから。
従って、もし「カチン」と来なかったというのであれば、この私の書き込みはまったく無駄なので無視してくれて構わない。だがもし「カチン」と来たのであれば、それが私の言いたいことだということを理解できるはずだ。つまり、引用において重要なのは、それがどういう文脈に置かれたのか、ということなのだ。
http://www.asahi.com/english/weekly/0111/03.html
Twitterあたり検索すれば、N.Y.クオモ知事やホワイトハウスの対策班のファウチ博士も使っている。
個人的な座右の銘でもあり生来楽観的な自分だが、現状の日本だと cautiously になるには十分すぎるぐらいだが、optimistic には到底なれないな。
正直、政府与党の cautiously が足りずこの二ヶ月ただ、ただ optimistic な事を述べてなかったか?それは外れてるのに誰も責任も取らない現状はどうしても pessimistic にならざるを得ない。
1月も半ばとなりましたが、年末年始どう過ごしましたか。今度の休みはいつもと違っていたのでお知らせします。
私は知ってのとおり田舎を捨てた訳ではありません。帰るのがただなんとなく気怠いというか、理由がないというだけです。田舎独特の結びつきが怖かったのかもしれません。
今回の帰省のついでに散髪に行こうと思い立ったのは見るテレビがないのと読む本が無くなったからです。
行った散髪屋さんは私が小学生まで通っていた散髪屋さんでした。あれから15年も行っていません。もちろん予約なんかしていません。そもそも予約なんか受け付けてくれるのでしょうか。夫婦で営業している散髪屋さんです。
次の方どうぞと通され要望を聞かれ、天気の話、仕事の話と定番の会話が始まります。私が小学生の時通っていた男と分かるのでしょうか。分からなくても問題はありません。散髪出来ればいいのです。5分位経ったでしょうか夫婦は部屋の隅でボソボソと会話を始めました。そして奥さんの方が私に近寄りこう切り出しました。ひょっとしたら賢太君じゃないかと。
さすが客商売、なのか単に私の顔が変わっていないだけなのか。
「ちょうど美花も帰ってきているの。会っていってったら。」
娘さんは私のひとつ年下で、中学まで一緒だった。本が好きなのは同じだったが特別一緒に遊んだりする仲ではなかった。小学校の時一緒に図書委員をしたことはあった。
私の場合、本が好きだから図書委員という訳ではなく、ただ単に何か委員をしなければいけない雰囲気の中で、私の中の消去法で決まったものだ。それが美花さんと話すきっかけとなった。
美花さんは高学年ともなると考え方が独特というか、グループに群れないというか、友達はいるけど自分の考えを常に持っている人だった。なぜそんな話題になったのかわからないが、図書室でふと大相撲の話になったとき美花さんは座布団を投げる大人は嫌いと言った。興奮して場内アナウンスを平気で無視する大人は怖いとも。
私はこの言葉が胸に妙に残った。
美花さんとなんやかんや散髪屋さんの裏で少し話をしてバス停まで歩く事になった。こちらは気恥ずかしいだけだ。近況報告が過ぎていく。美花さんは大きい工場で検査の仕事をしているらしい。美花さんは相変わらず美しかった。
小学校前を通りかかった。美花さんはふと「賢太君の座右の銘は何?」と聞いてきた。考えたことも無い。私が答えに困っていると美花さんが「私はね。自分自身が人生の監督かな、脚本も演出も俳優も全部自分自身。そう思わない?毎年図書委員になったのも自分の意志」「毎年って?」「まだ分からないの?変なの!」
田舎は嫌いではないけど独特の結びつきが怖かった私はバス停への道を逸れ人通りの少ない小道に行く方向を変えた。冷たい風が赤い頬に心地よかった。
よく聞くのはロリコンでマザコンのモテモテ主人公の話っていう要約だったけど、そんな話だったっけ?
イケメン設定も幼年期にあるだけで、成人してからはあんまりイケメン設定って出てこなかったような記憶。
それより、不倫の話としての印象が強い。
他人の女寝とって孕ませてしまって(他人ってか異母兄弟で帝のなんだけど)なんやかんやで左遷(バレたのかどうかは作中で明言されなかった気がするけど、どうだったっけ?)、赴任先でも現地妻作って、事もあろうに都に復帰するときに妾として連れてきたんだけど、出来た妻だからそれを許して大円団、と思いきや、寝取り托卵はするくせに自分の妻には子供が出来なくて、すげー若い第二夫人を娶るもの、過去のイケメンも歳を重ねると小汚いオヤジ、第二夫人はイケメンに寝取られ孕ませられる。
第二夫人は流石に妻の意識で別れたいって言い出して出家すんだけど、「生活費の仕送りはしろ」「子供のと自分の子として育てろ」って異母兄弟で帝の兄貴に釘を刺される。
コイツ知ってるだろ。
レペゼンが炎上して乗っかった人たちも炎上してるのは自業自得だなとしか思わないけれど、落合とかいうあの人が表現の自由というワードを持ち出してきたから馬鹿馬鹿しくて匿名ダイアリーなんか書いてしまっている。
表現の自由を声高に叫ぶ人って自由と野放しをはき違えてないかと思うことが最近多い。犯罪行為みたいにわかりやすいものじゃないからなのかもしれないけど、表現の自由とやったらいけないことは別の話なのでああいう話題で表現の自由とか言い出すのはナンセンス以外の何物でもない。大体品性ってものはないのか、ないんだろうな。
カンディンスキーの著作で「表現には必然性がないといけないし、それがない表現は二流。表現の自由は表現の可能性を制限しないために必要だけど表現は良心に基づいて行われるべき」みたいなことが書いてあって全くその通りだなあと思って以来座右の銘です。カンディンスキーに詳しいわけではないのでうろ覚えだし造形上の問題の話かもしれないけど、あらゆる表現に通じるものだと思う。
法律で表現の内容を縛ることは絶対にやってはいけないが、社会が倫理観に欠ける表現を認めていいのかといったら良くないしそもそもそんな表現はされないほうが良いに決まっている。自由と好き勝手の違いもわからない奴が表現の自由とか言ってんじゃねえよ笑っちゃうから。
あれがなんで地上波でやらないかってくだらなくてつまらないからだ。ネットだから世の中に発信されてしまったけれど、本当なら発信される前に切り捨てられていたはずのものだ。
富の再分配(政府の機能のひとつ)とはそもそもそういうものなのだが…ご存知ないのだろうか…??
まあ、批判ばっかりではいけないと小学校で教わったので対案を示したいと思う。大きく分けると、自分を変えるか社会を変えるかだ。
1.世の中に不満があるなら自分を変えろ
攻殻機動隊の有名なセリフで、この台詞を座右の銘としている方も多いと思う(ちなみにこの後に続く台詞もカッコイイ)。ホリエモンもご自身を変えてみてはどうだろう?
自分を変えることができず、富の再分配がどうしても気にくわないのなら、日本国外に出ていくという選択肢もある。海外に移住していく日本人もいる。富の再分配が存在しない国があるのかないのかは私にはわからないので自分でリサーチが必要だ。
3.議員になろう!
最近は昔に比べれば金持ちの税金は安くなっているのだが、その流れを更に推し進めるという方法もある。選挙に出て国会議員になり国を変えるという方法だ。ホリエモンが出馬すれば投票してくれる人も出てくるかもしれないし、父となり兄となり応援してくれる人もいるかもしれない。行動して世の中を変えよう!
4.議員になれなくても…
議員にならずとも、日本は政治活動の自由が保障されている。自分の主張を明文化し、市民国民に広く粘り強くアピールしてみてはどうだろう?デモというのもアピール手段の一つである。文句を言うだけでなく行動で示そう!