どんな発言にも「文脈」というものがあるので、たとえ誰かのある特定の言葉であっても、それを切り取って「元と異なるある文脈の中に置く」という作業をした時点で、引用した人の恣意がそこに加わわってくる。友人が言及したのは、いま、その言葉をブログに掲げたあなたの「意図」であって、ケネディのセリフそのものではない。
たとえば「論語読みの論語知らず」という言葉がある。昔から言われる警句の一つだ。意味は、「著名な聖人の言葉を、聖人の言葉というだけでありがたがって、その真意や聖人の精神を知らずに従おうとするのは、その原典の意図から最も遠い行動でさえある」というような意味だ。大変重要な真理をついた警句であるし、自分自身もこれを座右の銘として、日々自らを省みる手立てとしているところだ。
だがさて、いまこの文脈でこの話を書けば、あなたは必ずや「カチン」と来るだろう。そして、それは正しい。私はあなたに「カチン」とこさせようとしてこの言葉に触れたのだし、むしろ「カチン」と来なければあなたには相応の読解力がないということになるのだから。
従って、もし「カチン」と来なかったというのであれば、この私の書き込みはまったく無駄なので無視してくれて構わない。だがもし「カチン」と来たのであれば、それが私の言いたいことだということを理解できるはずだ。つまり、引用において重要なのは、それがどういう文脈に置かれたのか、ということなのだ。
国があなたのために 何をしてくれるのかを 問うのではなく、 あなたが国のために 何を成すことができるのかを 問うて欲しい。 有名なこの名言を書いたら友人から「ネトウヨみた...
どんな発言にも「文脈」というものがあるので、たとえ誰かのある特定の言葉であっても、それを切り取って「元と異なるある文脈の中に置く」という作業をした時点で、引用した人の...
伝播により意味が変わるということを、その聖人が意識しないで発言したというのならな
宮城事件か 宮城事件(きゅうじょう[注釈 1]じけん)は、1945年(昭和20年)8月14日の深夜から15日(日本時間)にかけて、宮城(1948年7月1日以前の皇居の呼称)で一部の陸軍省勤務の将校と...
いや、そんな話はしてない 何なんだね君は
自己責任論は危ない道に歩んでしまて躓いたやつに石を投げるためのものとなってしまったからな。 だからとにかく危ない道を避けるのが第一だし、自発的に動くなんてとてもとてもな...
いや、そんな話もしてない 何なんだね君も
ネトウヨは自己責任論大好きだから、ケネディの言うような自分でなんとかしろ!って言うのが自己責任論のネトウヨみたいって話だけど。 所詮ネトウヨの自己責任論なんて、自分が安...
いや、ケネディは自分でなんとかしろなんて言ってないよ 自己責任の話なんか全くしてない はてなもこのレベルかよw
すまん、このレベルで 教育しとく
口を開けばネトウヨガーとか言ってる日本の似非リベ連中にはケネディの言葉は難しすぎるんだろう オバマみたいにクルクルパーでも何となく雰囲気で分かるようなやさしい言葉で話さ...
縁が無かったと思ってアキラメロン
名言は何を言ったかではない 誰が言ったかで決まるんだよね 例えば小梅太夫がオバマのYes we canをやったところで後世に残ると思う?
アメリカ人とかネトウヨだし
まあ類は友を呼ぶっていうしな
実際にネトウヨがケネディのそれを引用して愛国愛国言ってたりするからなあ。 だからその前後まで引用すべしという話まであるくらいだし。
気持ちはわかるけど、仮に JFKの発言なら絶対的にネトウヨとはみなされないべきだ、というのであればその考えは本当に良いのかって気になる 発言者ではなく内容で判断するべき、みた...
周囲に馬鹿しかいないんじゃなくて、増田も同レベルの馬鹿ということだよ 類は友を呼ぶ
引用の仕方がネトウヨっぽかったという話では。 https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/2372/
持ちつ持たれつだわなあ