2020-07-19

逃避行

僕は逃げる人間だ。この話を綴るためには、まず懺悔しなければならない。僕は逃げる人間だ。卑怯者だ。その上で聞いて欲しい。

皆さんには、座右の銘ってありますか?僕はあんまりそういうの考えてこなかったし、なにぶんフラフラして生きてきたもんだから座右の銘を考えようとしても、どれもいまいちしっくり来なかった。でもある時、ひとつ自分の中で、これはぴったりだってものが出てきた。「袖振り合うも多生の縁」。本来、どんな出会いも必ず意味があるのだから大切にしなくてはいけない、という意味だ。だが、僕の中ではそれを広げ、仮に不運なことがあっても、それにも必ず意味があるのだからポジディブになって、その場でできる限りのパフォーマンスをしよう、という別の意味も持っている。

この言葉は、少しずつ自分の考えを矯正していった。どうしてもネガティブになりがちな人間から、何か悪いことがあったり、嫌なことがあっても、これにも必ず意味があるんだ、と思わせてくれる。先に進む勇気を与えてくれる。そういう道標だった。

だが、ふとある日気づいた。これって、自分の嫌なことから目を背けるための呪い言葉なんじゃないか?失敗したことに背を向け、努力不足を正当化する。こんなに恐ろしい免罪符はあるだろうか。だが、それに気づいた僕は、その現実からすらも逃げた。いや、到底直視できなかった。僕の全てが瓦解してしまうような気がして。

今でも、僕はこの言葉を思い返すことがある。何なら、未だにこの言葉に縋っている事すらある。心の中では自分を責められるが、それを行動に移すことが怖すぎるのだ。そしてやがて、自分はどこまで逃げればいいんだろうかという別の恐怖が生まれてきた。この逃避行はどこまで続いているのだろうか。もう戻れない所まで来てしまった。一方通行の闇を走り抜けるしかない。

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