はてなキーワード: 帰属意識とは
なぜ、インターネットに悪口を書きにくくなったのか。私はその原因を知っている。匿名がどうとかいう問題ではない。簡単に結論から言えば人気者の巨大化だ。
「推し」という言葉が流行っている。本来「推す」はある地位に推薦するという、限られた意味の言葉であるが、昨今単に「好き」を置き換えたとしか思えないような形で濫用されている。この「推し」という概念は言うまでもなく欺瞞である。悪辣なアイドルグループが双方向性を捏造するために広めた概念だ。コンテンツの消費者を数字ではなく、一人の意思のある人間として扱いますという嘘だ。人のことをなんとも思っていない「人気者」とコンテンツ産業が、人々から承認を奪うために蔓延させた害悪である。
人気者とは、限りある人の認知リソースに食い込む能力に長けた人物のことで、要は好かれる性質を持った人間のことだ。インターネットはこの好かれる性質を使って金を稼ぐ狩り場に成り果てた。なぜ私が、「限りある」と強調するのかというと、人が人に抱く感情は有限の資源だと考えているからである。つまり、「人気者」に向けられる感情の総量が多くなればなるほど、私達が身近な人たちに無関心になっていくということだ。ビジネスという動機付けによって狂ったように加速していく双方向性や身近さ、帰属意識の捏造は、私達のコミュニティを破壊している。私達はコミュニティから得ていたものをコンテンツから摂取するようになり、身近な人と人との繋がりに感じる価値は絶対的に低くなり続けている。身近な他者との繋がりではなく、「推している物事」が自己を規定するようになる。限られた一部の巨大化した人気者に人間の感情は集中して向けられる。つまり自己規定も、その多様性を失いつつある。
アイデンティティが商業的に画一化された社会で、何か物事に対してネガティブなことを発言するのは、その物事に存在を依存した大量の人間を傷つける行為だ。インターネットの人気者に対して有象無象が友達のような態度で褒め称えたり慰めたりする光景を見たことがあるだろう。遠く離れた手の届かない人間に友達だと勘違いさせられた哀れな人間が、友達の成功を喜び、友達の悪口を見聞きして傷つくわけだ。なんて馬鹿らしいことだろう。コミュニティが破壊され、「推し」が自己を規定するようになった人間が増えると、悪口の影響が不必要に大きくなる。これがインターネットに悪口を書きにくくなった大きな理由の一つだ。
私はインフルエンサーの悪口を書くべきだと考えている。誹謗中傷をするやつは画面の向こうに人がいることを忘れた~とか間抜けなことを抜かすやつがいるが、それは人から好かれる性質を楯に欺瞞を広め数字を稼いで人間の生活を破壊しているインフルエンサーにこそ当てはまる指摘だ。巨大化した人気者に人間の、限りある負の感情を集中して、巨悪を打ち倒すべきだ。自分の行為と人々に感情を向けられて得た利益を棚に上げて、受けた被害ばかりをことさら強調する悪党を、許してはいけない。そして悪口によって沢山の人を傷つけることで、「推し」が自己を規定するようになってはいけないという、極々普通の当たり前のことに気付かせるべきだ。そして、嫌いなものがある人間は面白いという、当たり前のことにもう一度立ち返って、私達は、私達の隣人と慎ましく暮らそうではないか。もう一度、愛と尊敬の念を持って、私達の身近な人々と日々の生活を形作ろうではないか。インフルエンサーを駆逐せねばならない、と強く思う。
職場は社交場ではないが、そうはいっても一定のコミュニケーションは大切だ。
女性に限った事ではないと思うが、匙加減にとても気を遣う。
年齢、ポジション、職務経験、家族構成、容姿など様々な情報をやり取りして、
日々の業務が円滑に進むような人間関係を作らなければならない。
新しく入ってきた人に、最初に近づいてくる人
⇒興味本位タイプ コミュ力はあるが飽きやすく、自分が知りたいところまで満足すると去っていく
お喋りが好きなタイプの場合、安易に自分の情報を提供すると拡散されるので注意
⇒自分に利益があるかを確認し、引き出せる利益がなければ去っていく
引き出せる利益があるとわかると、まとわりつく可能性があるので注意
ここでいう利益とは様々で、得意な業務がある、誰かにコネがある知り合いがいる、など
相手にとって利益になる事全般で何がフックかわからないので怖い
得意業務などを認定されると、業務を押し付ける口実になるため特に注意が必要
⇒マウントに勝った場合は気分が良いので、暇になると勝てるマウントを取りにちょくちょく絡みにくる
ランチに誘ったり機嫌を取りながらもグループを作って5番目くらいの仲間にしようとしてくるタイプ
⇒マウントに負けた場合、相手を無視したり酷い噂を流したりして鬱憤を晴らしつつ遠くから見張るタイプ
逆に、他の事で利益を得ないと気が済まないのか、擦り寄ってくるタイプもいるので注意
容姿や立場、年齢など先入観を理由に、ハナから近づいてこないタイプ
群れる か 群れに入りたい か 群れたくない か どれかのポジションを選ばなくてはいけない
最終的にはどうでもいい
変わった価値観の人だな
たいてい「そりゃなるでしょ」って言うと思うけど、確信をもってならないって言ってるのが不思議だ
例えば思春期に出会ったコミュニティに一生帰属意識を持つことだって普通にあるのに、物心つく頃からその文化の中で暮らしてアイデンティティに影響しないと思うのってなんなんだろ
俺は生まれも育ちも東京だけどハイブリッド、海外に行ったりも結構あった。
親が両方外国籍だったりしても子供の頃から日本で生まれ育って、日本の文化や普通のこどもと一緒に育ってたらアイデンティティは日本というか「地元」になるやつがほとんどだとおもう。
5歳からずっと日本育ってるとしたら、インターで育ってて留学とかで日本にあんま居なかったりするやつはしらんけど、公立や普通の私立で生活してきたやつで友達とポケモンやったりDSやSwichで育ってるやつで日本に帰属意識無いやつって居ないと思う。
日本人両親で日本で育って留学したこと無いやつとかは、帰属意識について考えたことなんか1ミリも無いと思うけど、ハイブリットだとけっこうこの問題について小学校くらいから考える機会がかなりあるし、友達と話したりもする。
言っとくけど日本人両親のもとで日本で育ってるお前らも【日本】に対して帰属意識なんかないと思うぞ、大体のやつは「地元」や今所属してる「場所」や「グループ」や「家族」に対して持ってるだけ、俺は東京育ちだけど東北や大阪、九州に出張や住んでたときに感じる「ここは俺のホームではないな」って感覚と、海外留学してたときの「ここは俺のホームではないな」って感覚に対した違いはなかった。
北海道の獣害の話や、沖縄の基地や米兵による問題、僻地の人口減の問題を全部自分の事として感じてるやつってほとんど居ないんじゃないかな。
よく欧米は色々なことに寛容っていうやん?
スケボーとかパルクールとかしてもヒューヒュー言うだけ、地下鉄のパフォーマンス見て拍手、日本じゃ絶対ないよな、とかね。
まぁああいうのって実際は観光地でやってて、拍手しているのは外部の人。人種の区別のつかない日本人が「欧米人はこういうパフォーマンスに寛容だね!素晴らしい」って言ってるに過ぎない。
実際はスケボーとかパルクールとか地下鉄のパフォーマンス、現地人はめっちゃ迷惑してるのよ。地元に住んでいる人のああいう人に対する不快感は日本を超える。
例えばスケボーいつもしている人が見えないところに、黒い鉄線つけたり、パルクールの所に透明なヒモかけたり、油塗ったりね。
でも同時に、確かに寛容だなって思うこともあるんだけど、あれって結局「帰属意識の薄さ」が原因だと思うんだよな。
アメリカとかイギリスとか、「故郷」を持ってる人が多いんだよ。アフリカ人だと、もう何世代もアメリカに住んでいても「故郷はガーナだ」って人が居たりね。
だから、今いるのは仮の住まい、仮の場所、本当の場所じゃないって人が多い。
そういう人は少しバットマナーの人が居ても、ゴミ捨てても、なんも思わないんだよな。
そして、そういうのを見てさらに「ここは俺の居る場所じゃないな」って思うわけだよ。
結局は欧米人も帰属意識が強い人はよそ者や人と違う言動には厳しいし、綺麗にする。
摩天楼の隙間をスタスタと通り抜けるような絵面の映画と、気が狂いそうなほど延々と続く住宅街やさびれたダイナーの出てくる映画ではやっぱり空気感が違うような気がする。共同体への帰属意識だとか、人との距離感だとか。それは意図された描かれ方なのかもしれないし、作り手の心象風景がそうさせてるのかもしれない。
でもアメリカの実態なんて何も分からないし、一握りの都市部のリベラルと田舎のゴリゴリのコンサバみたいな対比も情報上のものとしてしか知らない。本当にそこまでの差違があるのかも分からない。
自分の住んでる日本ですらも住んでる近辺くらいしか知らない。別に冷たくもないけど、温もりを感じるかって言ったらそうでもない。人の靴踏んどいて謝らないカスもいるけど、最低限の敬意を持った人だってごまんといる。人間すべからく労働して結婚すべしみたいなものをごく当たり前に内面化していそうにも見えるし、テレビで見聞きする新たしいジョーシキに迎合するポーズを示そうとしたりもする。別にどこもそんなもんじゃね思ってる。旅行に行ったくらいじゃ、人の違いだとか空気感の違いをそう感じる訳でもない。
自分の行動範囲や人付き合い、視野が狭いのかもしれないし、場所が変わっただけで人がそう変わるもんなんだろうかって気持ちもある。
20数年生きてきてようやく分かったんだけど、
ホストとかアイドルとか果ては配信者なんかにも広義に依存している
その人の居場所になる
もちろん人生をマクロな視点で見なくともライフステージごとに居場所は存在する
最低でも1つの集団に対して帰属意識があると、精神面で大きく安定する
愛されずとも最低限存在することが確実に受け入れられているという保証は大きい
不登校児のケアなんかはまず居場所の創出が即決だと思ってるし、
別に学校以外に居場所が見つかるようならそこで過ごさせればなんの問題もない
共通の敵があるグループの結束感に依存しているだけのケースはたくさんありそう
どれだけ強くても人には居場所が必要で、人の自立度合いというか、そういう意味での精神的強度については
この居場所にどれだけ依存する必要があるかという点であるように思う
そもそも恋人関係というものが裸の自分を預けてもらうという考えうる中でも最大級の承認なんだから、そんなのに依存しちゃダメだろ
そして恋人への依存を質ベースの承認と捉えるとSNSは量ベースで最大級の承認を得られる
だからSNSに依存してるやつもめちゃくちゃ弱いし、なんならSNSが手軽なのもあってこの2つは両立しやすい
多分強い人間は居場所への帰属意識があれば十分なんじゃないかな
たまにいる一匹狼的なやつは、自分一人しかいない集合に対して帰属意識を持っているイメージ
だからまあ、俺はSNSとか恋愛に依存してる人間見るとダサいとかああなりたくないと思ってしまうけれども、
ブクマカは何に対しても茶化すか否定から入るけど、こうやって名指しで自身を否定されてどう感じているんだろうか。
俺は暗い持ちになったし、こんなサービスに見切り付けるほうが良いと思ったよ。
コメント機能はいらないって意見もあるだろうけど、そもそも使ってる人が酷いという証でもあるわけで、切ったところで問題ない質の低いサービスってことだろう。
ポケGOや位置ゲーがブームになった当時、ご当地のスポットに群がる有象無象に外部の人が忌避感を覚えたというのは記憶に新しいと思う。
今でもお寺などではポケGO禁止の看板をたまに見かける程度には根付いている。
これだけじゃなくインスタグラマーなどあるサービスの利用者等が無関係な外部の人に影響することは珍しくない。
ポケGOの時はコミュニティの多さ故に「赤信号理論」で強引に乗り切った感がある。
けれど使っている側はサンクコストのためか帰属意識のためか、はてぶを無理に肯定している気がする。
RSSや2chやかとゆー等が情報収集に一役買っていた時期ならば、はてブはそこの一角に食らいつくことができていたと思う。
ただ、現状ではてブでしか得られないものって増田の日記くらいなんだよね。
というか増田専用のSNSになりつつあるし、そうでなければいつもの過激コメントか、ごくごく一部のテクノロジー関連の項目しか役に立たない。
テクノロジー関連だけ必要ならそれ専用に自分で何とかすれば良いし、そうなるとはてブを使う意義ってのが本当になくなっている。
惰性で使うにしてももう潮時なんだろうな。
ゆっくり茶番劇騒動で悪名高い柚葉(と思わしき人物)が、ある共産党と関係性が強いグループの一員になっている事が発覚したり
同様に共産党と繋がりがある界隈のトップクラス重鎮が、”そっち系”の動画を(やや不自然な形で)紹介していたりと
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1719802498717012386
共産党系のメディアが、所謂ゆっくり界隈やvtuber界隈に参入している事が判明している。
以前「統一教会系メディアとvtuberがズブである」というデマ記事が拡散された際、根拠となるソースの元記事が
統一教会系のメディアで「新しいメディアとして紹介された」程度の代物で、これでは騙せないだろうと思っていたら
案の定インタービューされた当事者と元記事執筆者から否定され記事を書いたライターが土下座謝罪する羽目になったが
あの程度の素人が見ても「これはあまりにも根拠が薄いのでは?」という情報を、前Qというオタク系ライターとしては有名人までもが
その評判を投げ捨ててまで躍起になって拡散していた事が疑問だったのだが、今回の一件でその疑問は氷塊した形となる。
※例の統一教会デマ記事は、仮に創価系メディアに掲載される=創価学会員というぐらいに安易な繋げ方であり、聖教新聞のインタビューを受けていたイケハヤらを即創価学会員認定するぐらい雑な陰謀論だった
要するに、「自分達がオタク系メディアに参入し若い層を取り込もう」としているから、対立する団体もやっているのだろう、と安易に認定してしまったのだ。
確かに統一教会系のカルトに限らず、大小様々なカルト団体はサークル等に偽装して我々に接近してくる。
大学時代、「サークル勧誘を装った宗教団体勧誘に気をつけましょう」という注意喚起をされなかった人間の方が少ないだろう。
最近ではボードゲーム(カタン)やTRPGのオフ会を装ったカルト団体(またはマルチ商法)の勧誘が増えている事もあり
その一環で共産党系のカルトがオタク系メディアから若者をカルトに繋げようとしているのだろう。
(当然、統一教会系のカルト団体が偽装している可能性も否定は出来ない)
古くは学生運動、一昔前ではSEALDs、最近ではColaboといった
「前面役には若者(らしき)がいて一見若者中心の集団を装っている、裏からはジジババ臭が漂う怪しい団体」が、共産党系の団体である例は多い。
大半の一般市民は騙されないか、仮に入り口で騙されても中に入ったら怪しさ・危険に気づき逃げ出すとは思うのだが
彼女ら・彼らカルト集団は、一般社会の集団から爪弾きに遭う様な、良く言えば尖っている、悪く言えば劣っている人間をターゲットにしているので
元より拠り所の無い人間はカルトに仲間意識・帰属意識を感じてしまい、取り込まれてしまう。
そして反社会的思想を植え付けられ、社会に多かれ少なかれ不快と迷惑をかける反社会的人間と化してしまう。
強烈な表現規制派である共産党系団体が、よりにもよって親の仇でもあるオタク系メディアを装って若者を取り込もうとしているのは何とも皮肉だが
現実にカルトがおかしなメディアを入り口にして取り込もうとしている危険がある以上、怪しいメディアには近づかない様に注意喚起をしていきたい。
人の上に立って組織を運営する経験が減ったからだと思うんだよな
よく言うじゃん。「昔はいくらでもお山の大将になれた。今は世界のトップがいくらでも目に入るので、村で一番になっても自尊心が育たない。」みたいな。
情報通信の高度化によって、一人のエリートが管理できるキャパシティが増えて、今までその間で中間管理をしていた層がいなくなったんだよな。
組織としては大きくなったけど中間管理職が減り、それを経験する機会もなくなり、ただの下っ端ばかりになった。
今までは地方の支社でお山の大将やってた支社長も、本社の管理部に日常的に管理されて全然お山の大将じゃなくなった。
お山の大将がお山の大将でなくなれば、お山の副将なんてただの平社員と同じようなもんよ。
適切な権力ピラミッドができてた組織が、中間層の数が削がれて上を向いた画鋲のような先の尖った権力ピラミッドになった。権力の集約化だ。
みんな組織の未来なんて考えず、自分の利益ばかりを考えるようになった。
悲しいね。
親が転勤族で日本各地を渡り歩いてきた。大人になってからも何度か引っ越した。
大都会から山奥の過疎地まで住んだことがあるし、関東も関西も知っている。
各地の文化や、住人の気質の違い、気候の違い、いろいろ見てきた。
こういう人生を歩んでいると、ネットでよく見る都会田舎論争とか、おでんの具材論争とか、
そういうのを高みの見物で見守ることができる。
しかし幼少期に各地を渡り歩きすぎたせいで、特定の地域への帰属意識を持つことができず
自分がどこの地方の人間なのかアイデンティティを持てずにいる。
うどんのつゆは濃くても薄くてもどっちでもいいし、赤味噌も白味噌もなんでもいける。