はてなキーワード: 唐突とは
その1話前を読んでいないだけでしょ
どうせ頭の中では「主人公が同性愛に目覚めるまでの過程が丁寧に描かれあの最終回にたどり着くまでの30話ぐらいに及ぶラストスパート」が展開されているんだろうな。
突然、ヒロインが振られて、はい次最終話ね、はい主人公は女を捨てて男と結婚しました、はいどうですかビックリしたでしょ?
これね。
たとえばこのラスト2話が主人公視点じゃなくて他の誰かの視点で行われていたら「高校時代の友人達の間でなにかが起きていたことを結婚式を通して知る」みたいなストーリーになるけど、そうじゃないからね。
ずっと主人公目線で進んでいるのに、何かが起きました終わりで終わってることね。
たとえば大河ドラマで信長が桶狭間の戦いに勝った直後に「でも信長は殺されて、最後は徳川家康が天下を取りました おわり」となったらおいおいその過程を描けよって気分になるでしょ。
それなんだよ。
前回がその桶狭間の戦いが終わる所まで描かれた直後に突然「でもこのあといろいろあって信長は暗殺されました つづく」となり、その次の回が「オッス!オラ!家康!今は江戸時でぇっつうんだ!よろしくな!」ってなってんだよ。
俺たちがキレ散らかしてんのはその突然時間が飛んでることなんだっつーの。
理解できてねーだろ?
おう、分かったら次から作品の最終回だけを読んで最終回の感想にチャチャ入れんなよ。
せめてラスト10話は見ろ。
別に感想言わなかったり、「俺は最終回しか見てないんだが……」と付け加えて感想を言うならいいよ。
でも全編見てきた人間の感想に対していきなり的はずれな喧嘩の売方してんじゃねーよそういうのなんていうか知ってるか?
アンチだよ
自分がひねくれてるのだろうけど、久々にさっぱり意味の分からん映画だった。
まず浴衣来て話しかけてきた女の子に「ふとっちょブタ」と暴言吐いたのに
マーニーに対してはほいほい仲良くなるのは何で?見た目か?容姿か?
出てきたメガネっ子と仲良くなるのは、同じ都会からやってきた自分よりももさくてランクが下だと判断したからなのか?
マーニーの話を信じ込み、可哀想!と義憤に駆られる様子もあまりにチョロすぎて、
これがホラー映画だったら彼女の話は全て虚言で同情した相手を取り殺すという展開じゃないかと思った。
主人公は自分の事を大嫌いと言いながらも周りからの自分の扱いに不平不満たらたらだ。
「お金を貰ってる」って他人に無償で育ててもらえる価値のある子供だと思ってるのか。
お金目当てって人1人育てるのにそんなはした金で足りるわけないだろ。
どこが大嫌いだよ、自分大好き過ぎるじゃねーか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20200227/k10012304751000.html
そろそろ答え合わせしよう。子供への大きな感染は見られず、休校は先手を打った良い手だった。
まだ感染者数が少ないタイミングでこれだけのことを決断出来た総理の功績は大きい。
何でもかんでも政府のやることを批判するしかできないおかしいやつら。
何が後手なのか説明できるか?反省の弁を聞いてやるから、出てこいや。
id:coldsleepfailed 後手に回るとはこういう事か…
id:inferio 後手後手やなぁ、それやるなら先ず財政確保やろ。
id:howlingpot 他にも色んな"要請"を各所に出してるけど、要請だから責任取らないしお金も出しませんという気配が強い。とりあえずこういう措置を想定して進めた準備が何もないんだから結局は後手後手の弥縫的対応だよね。
id:ardarim 見事なまでに後手後手ですなあ…
id:KKElichika すべてに後手後手で場当たり的な戦力の逐次投入の総決算がこれ。もっと早めに準備してれば、企業への根回しなど、いろいろ段取りができただろうに。「保育園は除く」って小学校低学年は家で放置で大丈夫と思ってる?
id:shufuo 後手後手だったから取り戻そうとするとあまりにも唐突になる。生じる混乱や反発は政治の責任。ただし今回の決断は支持する。学校で蔓延してからでは遅すぎる。追加で休業補償をできるだけ早く決めること。
id:cat_bird_wind_moon 全てにおいて対応が遅い、そして考えが浅く段取りが悪い。一人親世帯、共働き世帯、自営業者への配慮や共感がない。この人が今この国の首相と言う事が“国難”と感じる。
id:Fuggi 必要性は理解するが遅すぎる。橋下さんは1週間前の20日に既に提案済み。橋下さんが総理の方が良かった。安倍さんが政府対応方針を立てたのは25日。 https://lite.blogos.com/article/437479/
id:masmas75 影響度を考えないアホの極み。政治はパフォーマンスではないぞ。いい加減にしろ!
id:lli 例外は必要だが仕事も休もう。封じ込めはもう無理だが拡大が緩やかになる。やるなら中途半端にせず多少過剰なくらいにしないと効果が出ない。どちらにしても遅いけど。
id:hobo_king 子育て世代ばかりに負担が集中するし、決断の周知も保証も不明で遅すぎる。そもそも大人の社会活動の方が子供の学校等よりリスクが大きいと言われていたはずなので介入の優先順位もおかしい。根拠不明。
id:suyntory_junnama 対応遅すぎ!
id:hapoa やることなすこと遅いし思いつきで社会を混乱させることばかりで本気で無能。準備せずにチャーター機で迎えに行くとか感染者を公共交通機関でリリースとか。来年度予算コロナ対策費0円。疎開で祖父母に感染ありそう
幸せって何だろう。
……なんてことをシラフで管まく奴がいたら、それは人の温もりに飢えているドランカーか、時間を持て余したバックパッカーのどちらかだ。
「幸せとは水が沸騰することだよ。外圧によって変化する沸点こそ、幸せの有り様さ」
弟は以前に、そんなことを意気揚々と語っていたが、とどのつまり“人それぞれ”ってのを言い換えているだけだ。
陳腐な結論を捏ねくり回したり、とっぽい言い回しで着飾りたい年頃だったのだろう。
本人は「山登りの疲れでハイになってた」って後に釈明していたが。
いずれにしろ、ナンセンスなことで夢想したり、使い古された話で盛り上がれるのは若者の特権さ。
「無人島に何を持っていくか」だとか、「カレー味のウンコorウンコ味のカレー」だとか、そんな話を大人になってからするもんじゃない。
言うまでもなく、幸せってのが如何に不安定で、捉えどころのないモノなのかは自明の理だ。
例えば俺にとっての幸せは、自分の時間をスムーズに使いこなすこと。
弟は不安や不満のない、退屈しない程度に刺激的な、メリハリのある毎日を過ごすこと。
父は余裕を持ったスケジュールで仕事を終えることで、母は家族と一緒にいられることだと言っていた。
キトゥンは知らない。
まあ、このように身内の間だけでも多様なのだから、幸せをズバリ「こうだ!」って答えるのは無理な話なんだ。
弟のようにガワだけ取り繕っても、単なる言葉遊びにしかならない。
だが今回の話に出てくる“とある人物”は、それを壮大かつ究極的に追い求めた。
最初は順調だったんだ。
その日、家族はそれぞれの事情で外出していて、文字通り猫の子一匹いない状態。
自宅には俺一人で、都合よく予定も埋まっていない。
それはつまり、俺は俺のためだけに時間を使えるってことを意味していた。
「9、10、11……いや、もう20回くらいやったっけ……まあいいや、最初からやり直そう」
周りに誰もいないのを承知の上で、あえて独り言を呟いてみたりもした。
勿論これは客観的な見解ではないが、異論を挟める人間は今この場にいないんだ。
「やあ、マスダ!」
「……」
一切の誇張なく、本当にいきなりである。
しっかり戸締りをしていたし、入ってきた気配すら感じなかったのに、いつの間にか部屋の中にいたんだ。
だがガイドの普段の振る舞いを知っている俺からすれば、これは驚くに値しない。
「……どうやって入ってきた」
あと、人のテリトリーにずかずか入ってきて、一方的に「こっちの事情を汲んでくれ」と主張してくるのも随分だ。
「不躾なのは百も承知さ。それでも優先したい事柄だから、こうやって来たんだ」
自分が未来に生きているって驕りが、所々に見え隠れして鼻につく。
己の価値観や振る舞いが相手とは違うって前提が、まるでないように動いてくる。
「ちゃんと聞いてくれよ。キミが今いる世界、ひいてはボクたちのいる世界が消滅する可能性もあるんだ」
なんとも大仰だが、ガイドの言葉は結果的に真実であることが多い。
それは分かっている。
分かっているのだが、真面目に聞けというのは無理な話だ。
夫も私もアルコール飲んじゃったからこのまま泊まろうということになって、みんなのんびり過ごしてたんだけど、私は仕事が終わってなかったのでPC出して仕事してた。
そしたら少し酒が入った父が半分からかい、半分お説教のような感じで「お前、休みなのになに仕事ばっかりしてるんだ?(夫)さんによく離婚されないで済んでるなあ?」と言ってきた。
それまでも「(夫)さんに家事させて~」とか「ちゃんと主婦の仕事してるのか?」とかは言われてて、ハイハイと聞き流してたんだけど、なんかその時はプチッときてしまった。
「こっちだって好きこのんで休みに仕事してるんじゃないんだよ!でも(夫)みたいに残業し放題で全部終わってから帰ってくるんじゃなくて、コッチはどんなに仕事があっても5時きっかりに終わらせて保育園に迎えに行かなきゃいけないんだよ!そんで家のことやって、子どもたち寝かしつけて、そのあと睡眠時間削って残った仕事してるんだよ、それでも終わんないのをいま必死にやってんの!女は短時間で人より早く仕事終わらせて、家事もやって、子供の世話もして、休みの日は家族をもてなせって言ってんの!?こっちは子供4人育てるために必死に働いてるんだよ!お父さんの時代みたいに、長く勤めてりゃ勝手に給料あがってくような仕組みになってないんだよ今は」
後半泣きながら、そこまでまくし立てて、しまったと思った。最後のやつはさすがに言い過ぎた。
私の大声を聞いてきた母が、お父さん何言ったの、とりあえずもうお開きにしてください、ととりなしてその場は終わった。父がどんな顔してたかは怖くて見れなかった。
父は割と大きな会社で上の方まで行った人で、酔っ払うと大体現役時代の話になる。こんな仕事をした、こんな相手と取引した、みたいな。
夫は割とレガシーな会社で昭和な働き方をしてる人なので、いつもこの話を興味深げに聞いてる。
私はずっとIT系の会社で働いているけど、夫の転勤とか保育園に入れなかったりとかで何度も自分の意志に反して仕事をやめていて、本当に苦労して仕事を続けているので、この手の「強者男性同士の武勇伝を披露しあう」みたいな場が本当に嫌で、その場にいても他のことを考えたりしてやりすごしてた。
父の先の発言も、身内を落とすのがリップサービスみたいに思ってるだけで特に悪気はないんだろう。
それでも、なんかどうしても我慢できなかった。
翌朝起きて、キッチンで私と父だけになったタイミングで唐突に父が「昨日はごめん。本当に悪いこと言ったな」と謝ってきた。
どうやら誰かに入れ知恵された訳でもないらしい。それで、私も「私も言い過ぎた、すみません」と謝った。
なんか、たったこのやり取りだけで、積年の呪いが解けたような気分になってる。
我ながら単純だなと思うし私が働くのにツラい状況は1ミリも変わってないんだけども。
Youtuberの配信を見てたら「100日後に死ぬワニって詐欺だよね。最後死なないってww」とか言ってリスナーから「死んでる」と反論が殺到したら「え?死んでるの?ああ、読者に解釈を任せるってやつね」とか言ってた。
タイトルが「100日後に死ぬワニ」で最終回で花見に遅れてやってこないって、逆に変な「深読み」とかしなかったら死んでる以外に解釈しようがないと思うけど。
これに限らず、漫画や映画の話題でびっくりすくらい違う解釈してる人を見ることがあるね。
俺の死んだ奥さんも映画の感想で「あのシーンはいくらなんでも唐突すぎるよねwww」とか言っていて、映画の冒頭でめっちゃわかりやすい伏線があったから「いや唐突じゃないでしょ」とそれを説明してもまったく理解してもらえなかったとかあったし。
国語の、登場人物の心情を説明させる問題とか、ばかにされてるのをよく見るけど、物語を読んで常識的に解釈する教育って必要なんじゃない?(読解力って教育で伸ばしにくい学力らしいけど)
http://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2020/03/21/072217
Twitterでも観測してるし、特にはてブにランクインして目立ってるから上のリンクの人のことについて"アンサー"するね。先に謝っとくけど、Twitterで観測してるやつらに対する怒りも全部この人に向けてるから、結構ひどいこと書いてるよ。ごめんね。
なんか「猫ブログの猫が死んだ途端関連グッズが出たら引くでしょ」とか言ってるけど、いや違うだろ。ワニは死ぬこと確定してたじゃん。
そりゃ猫ブログ運営が猫を死ぬこと見越してグッズ展開の準備を虎視眈々としてたら引くけど、今回のワニは非現実存在かつ、初っ端「100日後に死ぬ」ことが確定してたわけじゃん。そして死ぬまでがコンテンツだし、死ぬこと含めてのコンテンツじゃん。流石に同一視するのは無理でしょ。
ワニ3日目の「気をつけないと死んじゃうよ!」なんてワニのセリフも、「いや死ぬのはお前なんだけどw」というシュールさも込みの面白さでありコンテンツだったでしょ。そんなに死を商業利用されるのが嫌なら、あそこでふるい落とされろよ。なんで全部見てんだよ。
この人は「作者はワニが死のうがなんだろうが何ら痛みを感じておらず、飯の種、名声へのステップくらいにしか思っていないでしょう」なんてゲスパー言ってるが、俺からしてみれば、人気増田に「アンサー書いた」なんてブログ貼り付けて、「私は物語の力を信じている」なんて持論かましていかに自分が繊細かつ漫画から力を得てきたかを自分語りしてる時点で、「お前のほうこそワニ作者の気持ちを鑑みずに銭ゲバだと勝手に思い込んで、しかもここぞとばかりに人気作品に便乗してブログ貼っ付ける自己承認欲求塊マンやんけ」としか思えない。
この人は「キャラクターの死と金とのどっちを優先するの」の2択に「金」を選んだワニ作者および関係者が嫌かつ、コンテンツそのものも嫌ということなんだけど、「客」という視点が抜けている。あのワニの漫画の100日目は2020年3/21現在、74.1万RT、ファボ204.1万もされている。つまりコンテンツ楽しんでる側の客は204万人がいいねしてんだよ。
この204万人はワニが死ぬことを楽しみにしてきたやつで、ちゃんと死んでよかったと思っていいねしてんだよ。製作者側が死をビジネスにして死者に敬意を払ってないというなら、それに群がってたこいつらはなんなんだよ。同様に死を楽しみ、コンテンツとして楽しんでた同類だろうが。そこに金稼ぎを見出すか、見出していないかの違いこそあれ、死を楽しんでた同類だろうが。きちんとユーザーにも怒れ。まあブログの宣伝のためのファッション怒りだろうからしないんだろうけど。
「作者が、自らがクリエイションしたキャラクターに思い入れ、その死と向き合い、自然と湧き上がってくる弔意とのバランスを取りながら物語を紡いでいるのが伝わってくるのなら私はすごく共感するのだが、(中略)今回のはその俎上にも上っていない、論外である。」
としてるけど、うーんなんだろう。じゃあアブドゥルを殺した荒木は自然と湧き上がってくる弔意があるはずだから、喪に服して連載を止めろみたいな話なんですかね。アブドゥルが死んだとき、「え?マジでアブドゥル死んだの?」と思っただけでページを捲った俺は死者に敬意を払えない人間ってことですかね。まあそれでもいいけど。
この世の大抵の漫画なんて、死をコンテンツとしてるといっても過言じゃないだろ。意外なキャラをどう死なせるかとか、クソキャラをどう惨たらしく死なせるかとか、死ぬ必要はなかったけど話の都合上このキャラは死なせたよねとか、そういう作品ばっかじゃん。ガンツとかまどマギとか学校ぐらし!とか。
そういう漫画は、「死は儚い」とか「親友の死を乗り越えて成長」とか(寒々しい)テーマ乗っけて話を展開させてるんだけど、「死」をコンテンツとしてるのは違いないだろ。そういうのワクワクしてるのが俺らユーザーなんだよ。それともテーマが乗ってりゃ満足なのか?今回のワニも、「死は唐突で理不尽です」みたいなテーマはありそうだけど、それでもこの人は許さなくて、「死を利用して喪に服す間もなく商業展開していくのが気に食わない」って話だろ? 俺には全部「キャラの死を利用して話を描いていく」前述の漫画と同じに見えるけどな。構成が違うだけで。
「ただ今回はメメント・モリ(死を忘れるな)的なものが作品の中核テーマとなっているわけで、『100日後に死ぬワニ』は『コマンドー』とは違い「死」そのものの重たさ、日常と地続きに唐突に・不可避的に訪れる喪失を描こうとした作品であろう。そういった作品が死をテケトーに軽々しく扱っているのはどういうわけだ。これはあまりにも不誠実だと思う」
いや、メメント・モリがテーマなのはそうだけど、「メメント・モリを扱うときはテケトーに軽々しく扱ってはならない」ってルールはどっからきたの。全部お前ルールじゃん。
アブドゥルだってテケトーに死んだだろ。「お前がピンチでも助けない」とか唐突に死亡フラグ立てて、その後すぐに仲間をかばって死ぬとか、テケトーやろ。少なくとも俺にはそう見えたぞ。
100日間丁寧に日常を描いて死んで見せたワニの方が、よっぽど丁寧にメメント・モリしてたけどな。
「コマンドーのキャラは適当に死んでもよし。俺の好きなキャラは軽々しく死んではないから重みが違う」なんて、人の死をランク付けするなんて何様だよ。
だからといってそれがとてつもなく残念だとか、憤懣やるせないなどと思ってはいない。
ただ少し思うことがあるとしたら。
「終わりよければすべてよし」なんて言葉がある。
皮肉なことに、最後の区切りとなるイベントが中止になったこの状況は、さきほどのフレーズを真に受けるのあればあまり好ましくないだろう。
そう、別に落胆しているとか気落ちしているとか、そうではないのだけれど。
そう、ただね、あいまいに流れていってしまっていつのまにか社会人というのが、ちょっと味気ないなと、寒々しさを覚えているという具合なのかもしれない。
学位記を受け取りにいったり、同期とごはん食べに行ったり、後輩とお話ししたり。
そんなことをしているうちに、唐突に寂しさが押し寄せてきて。
ああ、この感情は知っているよ。
例えば、にぎやかな祭りが終わって人がまばらになった時の喪失感。
例えば、遠い親戚の家に夏休みに訪問して、食べたり飲んだイした後、見送られながら帰りの新幹線に乗る時の空虚感。
だって、大学を卒業したらみんなばらばらになって、今度いつ会えるのかもわからないんだよ。
今はSNSがあるからなにかしら繋がり続けることは簡単だけれど、でもリアルで合える頻度は減る。
それになにより、向き合う大賞が、変わってしまう。
今までは同じ大学で、学習とその先の就職という共通する目的があった。
でも、これからはみんな、違う場所で、違うことをやり、目指すべきものも変わるのだろう。
そう思うと、お祭りとか遠い親戚の家を離れるよりも格段に、寂しいと思うのかもしれない。
寂しさだけではない。
「当たり前が尊いこと、幸せなことは、それを失った時に強く実感する」
そう、何の代わり映えもなくレポートを早く終わらせたいと投げやりになっていた時も。
一緒に勉強を教えあったり遊びにいったりした日々も。
当たり前のように流れていったことが、とても幸せで充実していたんだなと、改めて思うんだ。
綺麗なことだけではなくて、いろいろないざこざとか、投げ出したいこととかあった。
えれど確信している。なんだかんだいって、私たちは学生をしていたと、いとおしめるんだって。
みんなはどうなんだろうと、考えてしまう。
もう大学にいくことはないのだと思うと、とてもセンチメンタルな気分になってしまう。
そして、私の友人たちは私と同じようなことを感じているのかと。
別に友人たちとは社会人になろうとも、気兼ねなく遊べばいいし、それができるとは思っている。
ただね、別々な企業という対象に向かって、別々な歩みをすることがまだ想像できない。
だから怖いのかな。
不安なのかもしれない。
私の交流関係が狭く深くだから、だからその関係性に卒業という火種が加わるのを恐れている。いや寂しいだけかな?
友人たちも同じようなことを考えているのかな、そうであってほしいと私の強欲な部分がささやいている。
社会人になろう。
そして語り合おう、今までのようにね。
He who would learn to fly one day must first learn to stand and walk and run and climb and dance; one cannot fly into flying.
さほど心配しなくていい
というか、マルチエンドを開発したエロゲ業界はその後どうなったかというと発展したわけじゃなく小さくなった
STGや格ゲー、RPGのマルチエンドと、ノベルゲームのマルチエンドって実はかなり別物で
なぜならノベルゲームは「異なる展開」を作ろうとすると、その別ルートをまるごと新しく作り直さないといけない
RPGのエンディング分岐なんかは、戦闘デザインやバランス等々が本体だ
全体の労力からしたらシナリオのちょっとした分岐程度はそこまでの作業量じゃない
それが、ノベルゲームで二つルートを作ると単純に作業量が倍になる
いやいや共通する部分はリソース共有すればいいじゃないかと思うかもしれない
けど、同じ文章なんて誰も読みたくない。だからスキップで読み飛ばす
じゃあ、スキップで読み飛ばせないような他のメディアで似たようなことをやったらどうなる?
有名どころだと「涼宮ハルヒの憂鬱」の第二期が、他にもいろいろな事情があったが、見事に沈没した
似たようなことを繰り返してたら、人間は飽きる
では、と飽きないように前と違う要素、異なる展開を入れるとすると、当然ながら労力がかかる
異なる展開、二つめ、三つめぐらいは、元々の作品ポテンシャルが高ければアイデアも湧いてファンもついてくるだろう
四、五、六、と続いていくとネタ重複も気になりだしファンも飽きがくる
そもそも同じ時間を反復するのは時間が先に進んでいくのより考えるのが難しい
新しい要素が極端に入れづらくなる
新たなエピソードを重ねていくのも難しい、新キャラを投入するハードルも上がる
唐突に降ってわいた過去エピソードや、ポッと出の新キャラが話の展開で重要、なんてのを何回も繰り返してたら、
最初のうちは許容してたファンも次第に無言になってく(あるいは信者化して批判を耳にいれなくなる
僕勉の作者の前作はニセコイのリブートだったが、ニセコイの人間関係や記憶は受け継がれていない