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はてなキーワード: 写真家とは

2020-09-18

anond:20200918191442

最初増田にぶらさがってブクマを稼ぎたいだけだったのに、そんな話にも関わらずしっかりと耳を傾けてくれる姿勢に襟を正す思いでこれを書いています

一応は20年くらいは写真を撮っていますが、自分プロではないので、あくまアマチュアの一意見として受け流してくれるとありがたいです。

増田の話を聞いていると、もしかしたら、まずは追い求めたい被写体を絞り込んでいくことから始めるのがいいのかなと思いました。

カメラというのは車と同じようなもので、利用目的によって様々なサイズや性能に特化したものが用意されています

それをすべて詰め込もうとすればサイズ価格も膨らんでいく一方ですし、目的に沿って取捨選択ができてはじめてもっとシンプル無駄のないシステムが構築できるのだと思います

その上で、すこし精神論じみた話をしてしまうと、写真というものは、撮影者と被写体との関係性が絶対に写り込んでしまものだと考えています

同じ人を撮影するにも、同じ機材を使っても、撮影者と被写体との関係性でその写真は全く別のものになります

親しい人であれば自然な表情が取れるでしょうし、心を許せていない人であればどこかぎこちない写真になります

まずはその観点において、カメラという機材の存在感無視することができません。

ストロボに大きなデフューザーをつけてでかい一眼レフを向けられれば人は緊張するでしょうし、アクセサリーのように自然首にぶら下がったミラーレスが気づかないうちにシャッターを切ることができれば、何を意識するでもない自然な表情が撮れるかもしれません。

例えば結婚式写真を頼まれとき、大きな一眼レフを仰々しく首から下げておくと割と一般ゲストが遠慮して撮影を優先してくれることもあるでしょうし、小さいカメラからこそ撮影することを意識させずにゲスト自然な表情を撮れたりすることもあります

そういう観点から増田にとってカメラという存在がどのように自分の撮りたい写真に影響を及ぼすのかということは考えてみてもいいかもしれません。

増田にとって、一眼レフをぶら下げたほうが自分の撮りたい写真にとって有利なのか、それとも小型のミラーレスのほうが有利なのか、撮りたい被写体ありきで考えてみてはいかがでしょうか。

もちろん、カメラを持つこと自体ストレス重要です。物理的な重量やサイズ感以外にも、自分カメラの溶け込み具合なんかも自分は大切な要素の一つだと思っています

要するに、カメラを持った自分と、カメラを持っている自分認識している被写体とが自分にとってどのような関係性でいることがベストかということを考えてみるのがよいのだと思います

今で言えば生活のどこにでも溶け込んでいるスマートフォンも、カメラとしては優れた機材の一つだと思っています

そしてもう一つ、被写体との物理的な距離感大事な要素の一つです。

全く手に届かない被写体意識もされないままに望遠を使って撮影するのか、それとも身近な存在撮影することを意識されたままに撮影するのか。

好みの画角を決定づける方程式はどちらかというとシンプルで、被写体との距離感と、それに対して写真の中の被写体占有率の2つで求めることができます

遠い被写体を大きく写したければ当然望遠ですし、遠い被写体を広く写したければ広角、近い被写体をアップに撮りたければマクロ、近い被写体にも広い背景を入れたければ広角など、画角と最短撮影距離の2つが判断基準になります

この辺りは意識して絞り込むことは難しいので、自分撮影した写真を見返してみて、どの画角、どれくらいの被写体との距離感写真自分にとっていい写真だったのかを見返してみるのがいいと思います

おそらくこの2点は画質を考えることよりも先に解決すべき問題だと思っています

画質に対するこだわりは、そこまで被写体を絞り込んでからでも遅くないと思います

そうすると、自分撮影したい被写体に対してベストレンズが絞り込めてきます

ズームレンズ一見便利なように思えるのですが、1本でいろいろな写真が取れてしまうので自分の好きな画角に気づかないままで過ごしてしまうこともあります

そこは割り切って単焦点レンズを使ってみてまずは理想写真に対して自分の足で稼いでみるのもよい経験になるのではないでしょうか。

動体に対するピント精度はレンズよりも本体性能に関わってくるので、この辺はメーカーやそれこそ価格帯で異なってきます自分には明確な答えを持っていので実際に使っている人の話を聞いてみてほしいと思います。(どちらかというと静物中心の撮影が多いので)

また、暗所に対する撮影カメラレンズ性能よりも、どちらかというと周辺機器解決する場合のほうが多いです。

水族館なんかだと機材に制限があるので使えないことが多いのが現実ですが、そういう場合そもそも撮影できないものなのだという割り切りも大事です。

それでも撮影したい気持ちがまさるのなら、それに特化した機材選びが必要になってきます

いずれにしても、機材にはメリットデメリットが常にセットになります

その時、自分の都合よりも撮りたい被写体のために機材選びをできれば、そのデメリットはそれほど苦痛にはならないのではないかなと思いました。

自分尊敬してやまない「決定的瞬間」という言葉を作り出したアンリ・カルティエ・ブレッソンも、今で言うミラーレスのようなカメラを常に懐に忍ばせては、数々の芸術的スナップショットを生み出してきました。

彼は構図の天才でありながらも、被写体との関係性とはなにかということを表現した写真家の一人だと思っています

すこし年寄り説教じみた話になってしまいましたが、増田にとって写真いつまでも楽しめる趣味であってほしいと願っています

2020-09-11

anond:20200908065859

あなたが当の写真家本人であることを明確に否定できる証拠がなにもないので、無理です。

私が書いた相手最高裁まで行って身元を探ろうとする人ですよ。現時点ではトラップ可能性のほうが高いと判断してます

2020-09-02

anond:20200902142049

今思うと狂ってた時代だよな

当時超有名アイドルだった未成年ヌード写真集を有名写真家大手出版社が堂々と作って本屋に積んでベストセラー

現代ならあり得ない

しか宮沢りえは元々毒親持ちなのも有名だったし、その後精神を病んだし…

児ポ法が出来た頃も「宮沢りえ写真集違法になるから悪法!」とか言ってたの大勢いた

それと比べたらほんと時代は格段に進歩したよ

流石に今は児童ポルノ禁止に反対する奴は滅多にいないもんな

2020-08-30

「あーキス買っちゃったのか」カメラ入門機は恥ずかしいの? “わだかまりマンガに 写真家がくれた言葉

https://news.yahoo.co.jp/articles/8c07b5929e2c0962c623b8c6c0f05156f9c2448d

こんな人いないだろう今どき

2020-08-19

法律の不備を突いた巧みな方法

画像無断転載」の情報開示請求、慣れたら10分でできる 裁判で約90万円勝ち取った写真家インタビュー

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1810/21/news007.html

ブコメ見たら賞賛の嵐で驚いているんだけど。

これ要は法の不備(法の趣旨の裏側、というか)を突いた巧みな方法だよね。

称賛している人たちはこれが日常になる世の中をどう考えているんだろ。

個人インターネットSNS)で公開している写真画像、あるいは文言ほとんどは「無断転載」の範疇からね。

2020-08-17

anond:20200813193831

なるほど。そういうわけでプロ写真家たちがこぞって一眼レフからスマホに乗り換えたんだな! 今わかったよ!

スポーツ写真現場なんかも一眼レフが消えてみんなスマホ撮影してるもんな!

2020-08-03

anond:20200803121611

つーか女を撮る男写真家ってセクハラしてるのがデフォだと思ってる

素人向けのモデル撮影会なんかもそういう場だし(男と女で料金違うのがあからさま過ぎるよな)

女体の性的消費も、やり続ければ、やがてそれは芸術と呼ばれる

2018年の夏、Instagramにひっそりと開設された謎のアカウント少女礼讃」。毎日投稿される大量の写真には、すべて同じひとりの女性が写っていました。この撮影者名も被写体名も不明アカウントは、写真家・青山裕企さんによるもの。その尋常でない更新スピードと、執拗に「少女」だけを撮影し続ける異様さは、見るものの胸中に名状しがたい感情憶測を生じさせました。

2020-07-22

anond:20200722084009

写真家からわりとしっかりしてるだろ

他人写真窃盗してRTするやつが悪い

そんなアカウントを知っていてフォローするのも見せしめになったのはしょうがない

ツイッタートリミング改変しないようにして対処しておわり

2020-06-28

anond:20200628071027

せやろか?

家を物理的に燃やされても報道写真を辞めなかった&国を攻撃して年金を貰って生活するわけにはいかないと年金受給拒否した

福島菊次郎のヤツとかよかったで?

日本もやるじゃんと思いました

ニッポンの嘘 報道写真福島菊次郎90歳

https://youtu.be/j5ObsAmvVmU


あとはみんなの学校とかかな

2020-06-01

anond:20200601184447

基本はそうなんだけど

二次エロ漫画コマ割りと(体位視点こみの)レイアウトまるごと1ページとか2~3ページを多作品にわたってパクられたっていってる人がいて

みくらべたら確かにそっくりエロマンガのそういうシーンは髪型とか顔とか見えにくいし、お肉のシワとかほぼ同じ)

当然ながらエロい部分は二次エロ師の創作部分だ、原作にない

だが健全(かどうかは表現されていないがR18として売ってるわけではない作品の)キャラをかりて

エロ二次創作やってるのが後ろ暗くて

公的に訴えることもやりにくいのだと困ってらっしゃったよ

ちなみにパクったやつも二次創作

今までの著作権では「目くそ鼻くそを笑う、両方悪人じゃん、」といえばそれまでだったけど

コミケ文化配慮した著作権がつくられていこうとしているのに

これはさすがにあかんやろとおもった

あえて命名するならトレスというか演出アイデアパクリかな

1枚絵トレスもたまに著名写真家文句いってくるのは

それだけ演出の工夫や苦労による個性的表現からだろうな

2020-05-26

社会のあらゆる事が高度になり過ぎて

何についても殆ど素人に毛が生えたような存在ジャーナリストに出る幕が無い。知らせる事が専門のマスコミにも荷が重すぎて、実質機能していない。

出番があるとすれば、ある程度対象を絞った専門ジャーナリストだろうが。実際は医療資格も無いし勉強もしていない写真家崩れが医療ジャーナリストと称してテレビに出ててプロ迷惑を掛け続け、それでも地位を追われないんだから、むしろマスコミプロの足を引っ張る事に熱心だとしか思えない。

2020-05-22

anond:20200522005004

Webデザイナーに憧れてたけど、現実を教えてもらえてありがたい。今やってる仕事が誰でもできそうな事務仕事なので、クリエイティブ系に対する憧れが強い。

写真も好きなので、アマチュアとして撮ってはいるが、SNSに次々アップされる写真レベルの高さを見ていると、プロになるどころか小遣い稼ぎも難しいのではないかと思う。

Webデザイナーに憧れる理由は、写真家や文筆業より知識必要な分、ニーズが高そうに見えるからだ。平凡な写真文章でも今はSNSで発表することができるけど、それをお金に変えるのは難しい。

からといって地道にweb作成のための勉強をする気力もないのだが、とりあえずクリエイティブでかつ手に職系の仕事に見えるから羨ましいのだ。

2020-05-18

anond:20200518105154

人権派写真家セクハラ告発されたときに「リベラルがこいつをたたかないのはダブスタだ!」って非難したのはわかるけど、今回のは単に関心がないだけだろって感じだな。

2020-04-07

anond:20200407064638

鉄オタが愛用する一眼レフというレンズ交換式タイプカメラは、日本ではニコン1社しか製造していない型のカメラで、

ニコン社はこういう会社

 

>>安さんは「一方的な中止は契約の不履行である上、表現の自由を奪う不法行為だ」と主張。

>>一方、ニコン側は「開催すれば関係者危険が及んだり、不買運動が起きたりするリスクがあり、中止は正当だった」などと主張していたが、

>>東京地裁は「一方的な中止決定を正当化できるほど現実的リスクではなかった。ニコン側は契約を守り、表現活動の場を提供する義務があった」とした。

 

慰安婦写真展中止 ニコン賠償命令 東京地裁 韓国人写真家勝訴  2015.12.25 15:08更新

https://www.sankei.com/affairs/news/151225/afr1512250017-n1.html

2020-03-15

フェミニズム界隈を巡る反論

 日本フェミニズムが抱えている問題複数あって、煎じ詰めれば「思想善悪如何はともかく、その行動が全く効果的ではない」という一事に尽きる。

 女性地位向上。大いに結構。その、地位向上のためにある種攻撃的な手段を用いること、これまた結構

 しかし、攻撃的な手段を用いている割には、その効果殆ど出ていないことに問題があるのである

 むしろ結果的にそのような手段が、フェミニズムに対する周囲から評価を下げてさえいるのが問題なのだ


 古来より女性男性による抑圧を受けてきた。この事実を頭から否定することはできない。

 例えば、近代イギリス小説家サマセット・モームは、作品『月と六ペンス』の中でこう書いている。「女性自分を殴る男性を好んでいる。むしろ自分を殴ることのできない男性のことを見下しているのだ」と。

 このような記述は、文脈的に言えば主人公チャールズストリックランドタヒチを訪れた際に語られているものである。ここからは、モームがどのような立場女性一般化しようとしていたのかが読み取られ得る。

 また、自然主義人間本質を虚飾なく描くことを目的とした主義思想作家大家である近代フランスエミール・ゾラが書いた『居酒屋』では、登場人物の男らが、まるで息をするように女性達を殴りつける描写が、散りばめられている。貧民層の現実標榜した彼の作品においてもまた、女性に対する暴力が大いにクローズアップされている。


 このように、国の内外を問わず女性に対する男性から暴力というもの散見される。流石に、このような状況は現代において相対的改善されているものの、未だどこかしらに不満を残す女性がいることに不思議はない。その女性らが、自らの権利を向上するための運動を行ったとして、何の不思議があろうかとも思う。


 問題は、それらの行動が評価を得にくいこと、あるいは、フェミニズム評価を落としていることである。それらの行動の多くが、効果がないどころか逆効果であるという点である

 具体的に、何故そのような問題が発生しているのか?

 以下に論点を纏めていく。


1:フェミニズム議論ソフィスティケートされすぎており、一般女性男性認識に馴染まない


 古代ギリシャ劇作家アリストファネスは、自身の著した喜劇『女の平和』にて、女性らのセックスストライキを描き出している。


 女性達が、「そんなに戦争が好きなら、私達を抱かなくとも大丈夫なんだね?」

 と、戦争反対のため断固セックス拒否する痛快さ。このような鮮やかさは、現代人にさえ快い衝撃をもたらすものである

 女性の最大の魅力は何か? それは性である、とアリストファネスは言う。

 このような言説は当時のギリシャ男性においてのみならず、近代フェミニストらにも見られる。

 女性が短いスカートを履くこと、自身の魅力を以て大いに社会地位を占めること――その権利回復せねばならないということ。それを目的として、20世紀フェミニストらが声を張り上げていたことは言うに及ぶまい。

 その運動社会において大きく効果を上げた。

 イランのごとき保守的国家においては、女性が人前に出る際には目元を除き身体ベールで覆う必要がある。そのような規則女性利益担保しているのか、損なっているのか、議論の難しい点には違いないが、現代においてはそのような保守的傾向の多くが拒否されている。女性らは、身体ベールで覆うことを一般的によしとしない。

 女性が獲得した権利はそこに見られる。つまり、性の発露である

 性はそれまで女性自由にはならなかった。構造主義先駆者とされるレヴィ・ストロースは、「女性男性らの所有物であり、婚姻という形で交換が行われた」という意味の主張を行っている。彼に対する当時のフェミニストらの批判推して知るべしだが、女性婚姻父権立場にある人間によって執り行われることは多く存在していた。そういう意味で、女性にとって婚姻も性も自由とは言い難かった時代存在していたのである

 自身の性を管理行使する権利が、婚姻不自由によって制限されていた時代があったことは、間違いない。この文脈に沿って言うならば、間違いなく女性権利現代において拡張されたのである

 ここまではフェミニズムにおいて一般的な議論範疇である

 とは言え、問題はこの延長線上にある。


 女性自身身体的魅力を大いに利用すること、それはアリストファネス喜劇に見られるように、女性自由を支えている。そこには、フェミニズムと密接に関係する女性権利の実現が確認できる。

 しかし、昨今、この身体的な魅力を大いに活用することは、「性的搾取」に繋がることが指摘されている。


1-2:性の解放性的搾取

 相対的な性の解放が、性的搾取に繋がること、これは表裏一体の問題と言える。


 当然、女性社会進出をする上で、女性自身の性を政治手段として用いることには、危うさが秘められている。

 そのような危うさをして、現代フェミニストらは「性的搾取」の大号令を行う。

 アイドル、性産業広告業芸術

 これらの分野における女性露出性的搾取危険を秘めている、と現代フェミニストらは声を揃える。そこには危険があり、権力の影がある、と。

 ここにおいて、深刻な二律背反が生じているのは明らかである

 女性スキームとして用いる性が、危機的な結果に繋がっている。ここでどうするべきなのか?

 残念ながら、この問題に明快な結論は出ていない。


 政治家の大多数が男性であるこの社会において、支配者と被支配者の対照は、男性女性という対照を想起させる。

 男性狡猾である――多くの女性の思う以上に――男性狡猾である男性暴力行使することができる。端的に言って、男性の筋力は女性に勝り、悪しき意志が備わりさえすれば、女性尊厳根本からなうことを可能とする。恐らく、文明以前の原始時代においては、男性はこれらの暴力を非常に効果的に用いてきた。そこには、ある種暴力弁証法とも呼ぶべき歴史があった。例えば、あるコミュニティコミュニティが衝突する――。一方が敗北すれば、その敗者側のコミュニティに属していた女性は、勝者側に所有されることとなる。多くの場合、そこにおいて女性尊厳考慮されることはない。

 昆虫動物らに見られる、コミュニティコミュニティの争いや、イスラム国による女学校の襲撃を思い出して頂ければ、上記の言説の正しさは容易に担保されると思う。

 男性狡猾であり、暴力性を有史以来、あるいは以前において大いに活用してきた。

 勿論、現代においても男性による暴力が根絶されたわけではない――とはいえ、その状況は改善されている。暴力には法が対応する。無論、適切な対応が成されない場合存在するが、少なくとも有史以前に比べれば状況は好転している。

 その進歩の影には、恐らく全ての心ある女性と心ある男性の尽力があったことだろう(思うに、倫理を生み出すのは常に狂気じみた努力である)。

 人類は持てる限りの理性を用い、公私において倫理を整備してきた。

 我々は持てる限りの能力を用いてきた。そこに、女性の尽力が関わっているのは間違いあるまい。

 女性はその能力を大いに用いてきた。


 さて、端的に言って、性的魅力は女性能力である

 それは、女性が何かを望む際に、その実現を助ける能力になり得る。例えば、意中の人と結ばれる際にその能力は大いに役立つ。

 性的魅力は疑いなく女性能力である女性自身尊厳担保し、増進させるために、その能力は用いられ得る。


 しかし、その能力女性自身らの尊厳の為に活かすことと――それと、男性(や女性)によって、その能力が利用されること――とは二律背反となっている。

 近代において、女性の魅力や能力が、適切に用いられることをフェミニストは願ってきた。しかし、ここに来てその努力は一つの壁にぶち当たることとなる。

 例えば、大きな胸を強調したポスター女性の魅力が強調されてはいるが、不適切方法で強調されているのではないか――そういう議論が起っている。

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である、と人は言う。

 この命題は決して間違っていない。「女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取である」。決して、この命題は間違っていない。

 とは言え、ここが言わばロドスである


1-3:ソフィスティケートされ過ぎた議論

 女性の魅力をみだりに利用することは、女性に対する搾取となり得る。


 勿論それはそうだ。とは言え、そこには議論錯綜するポイントがある。

 まず第一に言えるのは、女性の魅力の発露=性的搾取といった、シンプルかつ誤謬を招く等式が発生し得ることだ。

 女性が何らかの能力を――この場合には性的魅力を――社会において発揮すること。その能力を発揮することにおいて、何らかの報酬を得ようとすること。それ自体は悪ではない。

 自分能力への対価として報酬を貰うことは、多くの場合善悪とは関係ない行為である

 例えば、女性の高く伸びやかな声、時に力強い声。歌手はそれを披露する。

 例えば、ダンサーは時に挑発的に、曲線的なライン身体を躍らせる。挑発的に、攻撃的に。

 絵画において、裸婦は笑う。裸婦は草原に寝そべり、微笑んでいる。

 これらは全て、(努力などによって獲得された)肉体的魅力を発揮する行為に他ならない。当然のことながら、これらの行為をして悪であると断ずることはできない筈だ。とは言え、それらの魅力や能力の発揮が、「搾取」に繋がると人は言うのである。つまり、その行為は翻って女性地位を貶め、最終的には女性全体に対する不利益を導くものだ、と叫ぶのである


 例えば、女性歌手楽曲を作り、歌う。彼女は、男性への恋心を叫ぶ歌謡曲を作り、歌う。その曲を批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

「媚び」はこの場合、不自然女性立場貶める行為であり、最終的な女性不利益を招く行為を指している。端的に、それは搾取対象であると、誰かが指摘する。

 例えば、写真家女性写真を撮る。彼女は、頬杖を付きながら、気だるげに微笑む。その写真批判して、「媚びている」と誰かが叫ぶ。

 その「誰か」は、最終的に女性不利益を招くと指摘する。

 例えば、

 例えば、例えば、例えば――


 女性が魅力を発露すること、それが搾取対象になり得るということ――それは必ずしも同じではない。しかし、そこには矛盾がある。女性尊厳担保し、増進するために、魅力が用いられること。そのような魅力が搾取対象とされてしまうこと。

 女性能力を発揮すれば、それは女性全体の利益を貶め得ると誰かが叫ぶ。

 能力を発揮すれば、誰かがそれを利用し搾取すると、その誰かは叫ぶ。最終的には、女性全体の立場は貶められ不利益帰着すると、その誰かは指摘する。

 これが、フェミニズムソフィスティケートされた結果なのである。それは、端的に矛盾である

 カメラに向かって微笑みかける誰かの存在を、「性的搾取であるとし、それがゆくゆくは女性全体の利益を損なうと指摘する――。

 このような言説には致命的な混乱が含まれていると言って差し支えないだろう。近代フェミニズムによって獲得された、女性自身能力や魅力を自身権限によって行使する自由は、ここにおいて壁にぶち当たっている。


 能力を発揮することは搾取に繋がる。能力を発揮してはいけない。

 このような論理は、一般的な男女を納得させるに足る論理であろうか?

 勿論それは不可能であるフェミニズム矛盾にぶち当たっている。

 そして、その矛盾を解消し得る論理が未だに発見されていない現在――少なくとも、フェミニズム論理一般的な男女を――あるいは当事者であるフェミニスト自身らさえ――説得できる状況にない現在思想としてのフェミニズムは大きな困難に直面していると言わざるを得ない。


2:結論

 結局、フェミニズムが直面している矛盾を、フェミニスト自身らが解決できていない状況において、その混乱を抑えられていないのが現状と言えよう。

 その混乱のさなかでは、到底周囲の人々を納得させ得る行動など、示せるわけがないのである

 昨今のフェミニズム運動空虚さ、反感のみを招く徒労さはそこに根を置いている。これまでに獲得してきたものと、これから獲得しようとするものとの間に生じる矛盾――その矛盾解決することなくして、現代フェミニズムは正しい舵取りを行うことなどできない。

 結論としては以上となる。

2020-03-11

写真展開催の謎

自己顕示欲の塊である写真家コロナウイルス感染拡大にも関わらず写真展を開催しようとしてるから皆さん存分に叩いてあげて。井上浩輝とか。十分に対策しますじゃねえんだよ。写真趣味なんて老人が多数を占めるのに、あんたの知名度向上のためだけに開催とか頭大丈夫

2020-03-09

偉くなったおっさん若い女に手を出すにあたって、女側が立場的に断りづらいのを、男側が「まだまだ俺もイケてるな」と勘違いするパターン

ダイエー社長でも見たし

左翼写真家でも見たな

2020-03-03

「マツコの知らない写真アプリ世界」で気づいた最新のクリエティ

時間は有限である

連休中に「マツコの知らない世界」の「写真アプリ世界」を見たのだが、

その内容が色々とクリエイティブというものについて考えさせられるものだった。

プレゼンテーターとして登場したのは現役女子高校生の二人だ。

二人の喋っている言葉を聞くと、どこの方言かと思うくらい我々の世代言語とまるで違う。

自分が直接会話したところを想像してみてもスムーズ意思疎通ができるとは思えない。

その言葉意味を汲み取って会話を成立させるマツコはやはりタダものではないと感じた。

世間にはJKとお近づきになりたいおっさんたちが一定数いるようだが、

こういったジェネレーションギャップちゃん理解した上で言っているのかと理解に苦しむ。

しろJK世代の娘がいるお父さんたちは夕餉の会話はさぞかし大変だろう。エモすぎ。

閑話休題

私自身はスマートフォンでの写真撮影はよくする方だと思う。

私も妻も外食旅行が好きなのであちこち行っては記念に写真を撮る。

自分容姿に興味がないので顔をいじろうとは思わないが、

光源や色味にはうるさく、彩度明度など各色調パラメータをいじっては唸る。

iPhoneの標準アプリで納得できないときPhotoShopなどを持ち出しては調整する。

もちろん専用のアプリを導入すれば手軽にキレイものが作れるのは知っているつもりだ。

ただアプリでできあがる結果はいひとつ足りないとか、やりすぎになってしまうことが多い。

からもし撮った写真を綺麗にするぞとなった場合は細かいパラメータたちと戦うのだ。

しか番組を見ている途中でふと気がついた。

このワンクリックで作ったまぁまぁのクオリティ写真と、

かいパラメータで何時間もかけて調整した写真とで、

写真美術にさほど興味がない人にはその差がわかるだろうか。

もちろん写真家の作品との比較であれば大きな差がつくのは当たり前だが、

インスタのいいね獲得数トップレベルの人たちの作品はどれもプロ写真家の作品というわけではないが、

そのまぁまぁのクオリティ機能たちをフル活用し、多くの人達評価を得ているからこそ、

の子たちはインスタユーザー代表としてしゃべっているのではないのだろうか。

エンドユーザーからすれば番組プレゼンターとして登場している小娘二人のような、

今インスタをフル活用している世代が使っているアプリの方が圧倒的に強い。

だって無料だし簡単だし、なんといってもスマホ一つで事足りる。

しかも以前Adobeドヤ顔プレゼンしていた背景から余計なものを消す機能も、

今では無料アプリを使って指をなぞるだけで綺麗に消し去ってくれるというから驚きだ。

こうなってしまってはパラメータをいじっているうちに完成像がブレてきて、

あーでもないこーでもないと悩んで調整するよりも、

すぐに結果を確認することができるワンクリックアプリのほうが、

センスをよりストレート作品に反映できるのではないかとすら思えている。

たくさん作品を完成させるほどセンスが育つのは、どのクリエイティブにとっても言えることだ。

特にインスタグラム日常に組み込まれている彼女たちは日々センスが鍛えられているだろうし、

インプットアウトプットのサイクルも驚くほど早いのだろう。

彼女たちも最初キラキラした自分演出することに躍起になっていたのだろうが、

その結果として新しい芸術作品が生まれているということなである

総合的に高いクオリティのものを生み出すには視野の狭いクオリティアップに時間をかけるよりも、

近道できる手段があるのであれば積極的に取り入れるべきであるのだろう。

これはプロクリエイティブにもまったく同じことが言えるのではないだろうか。

効率化を意識し、空いた時間勉強して未来投資するなり、家族と過ごすなりした方がいいと思う。

ずっと作業部屋に籠もって連日残業だの徹夜だのするのはあまり幸せ人生と言えないように思える。

そう。時間は有限なのである

2020-02-17

anond:20200217104908

農家」と「農家で働く人間」の区別がつかないのか

フランス日本JAみたいな組織があるのかは知らないけど

そういうのが作ったんじゃなくて、単に一写真家作品っぽいが

2020-02-16

山岳写真家登山家は違う。

登山家自力で山を登らないといけないが、山岳写真家ヘリで山頂に降りて写真だけとればいい。

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