はてなキーワード: アジア人とは
ある集まりのSNSに参加していて、参加者には外国人もいるので交流は英語。割とまじめな、落ちついた感じの集まり。その参加者の中の、英語のネイティブではない外国人の一人がしんどい。
アメリカのヒップホップや大衆映画なんかの影響かもしれない、常にghetto的な、"bro"的な言い回しをしようとしていて(説明しにくい。分かりますか?)、
それ自体は全然かまわないんだけど時々彼が使う言葉にドキッとする。彼は、hey bitchesとか、hey niggersとか、絶対その場にそぐわないだけじゃなくて下品で差別的な表現を使うことがある。
今日もSNSの投稿の中で使っていた。皆「えっ」と思ったり、不快な気持ちだったりはしているのかもしれないけど、誰もそれを指摘しない。
私はアメリカで育って、レイシズムとかフェミニズムとかについて何度も考える機会があった。
女性でアジア人というだけで、軽く扱われたり差別されたこともたくさんある。
特にniggerって、歴史的な経緯から、アメリカでは黒人ではない人が公共の場で使ったら大騒ぎになるくらいの深刻な差別用語だ。
でも、ここはアメリカじゃない。文化的な文脈や言葉に対する理解が違うのは分かってる。SNSはClosed groupの設定だから集まりの中で私たちが許容する限り誰にも迷惑はかからないという見方もある。
そもそも、他の人に対して使っていい言葉と悪い言葉をどうこういうのは傲慢なんじゃないか。
こんなことをぐるぐる考えたけれど、やっぱり一言言わなくちゃという結論に達した。
彼の発言を正すというより、自分がここで声をあげることが大切なのだと思った。
「うっとうしいかもしれないけど、その言葉は一般的に差別的だとされていて、私も聞いていていい気持ちがしないから使わないで欲しい」
と書くと、「You got one thing right. (この文の中で1つだけは正しいね)」と返事が返ってきた。
つまり、注意した私がうっとうしいと暗に言っているわけだ。
彼がどう受けとるかは私にはコントロールできないことだ。
普段の彼の様子から、こういった反応は十分予測できた。勇気を出して抗議したことが報われなかったことは悲しかった。
誰もこのやりとりに関わろうとはしなかったことも悲しかった。
黙ってればよかった、とは思わなかった。だって、ここで何か言わなかったらアメリカにいるブラックの友達に顔向けできないし、何より自分が許せないだろう。
私が誰かのために声をあげられないのであれば、いつかまた私が差別を受けた時、誰が私のために声をあげてくれるの?
人種だけじゃない。国籍、セクシュアリティ、ジェンダー、障害、身体的特徴、社会的立場、年齢、趣味。差別の種は世の中にあふれている。
皆、差別される側であり差別する側になりうるんだから全然他人事じゃないでしょ。
だれだって間違いは犯す。
私だってきっと不適切で人の気持ちを傷つけることを言っていると思う。
それを誰かに指摘されたら、きっと恥ずかしいし言い返したくなるかもしれない。
だけど本当は素直に、ごめん、気をつけるね、で済む話じゃないのかな。
いろんな人がいるのだから今回のことは気にしないようにしようとしている。
でも、意外と傷ついている自分がいる。黙ってればこんな思いをしなくて済んだのにな。余計なことをしたのかな。
いや、個人レベルで行動を起こすのが大事なのだから私は自分がすべきと思ったことをしただけだ。
頭の中でずっと考えがループする。
おかしいと思ったことを口にするのはすごく勇気がいる。そして傷つく。
それでも言わなくちゃいけないことはある。もっと鈍感だったら生きやすかったかもしれない。
友達に話したらきっと肯定してくれて慰めてくれてあなたは正しいと言ってくれると思うけど、そこに逃げたくなかった。
自分の正しさを確認して終わり、じゃなくて、自分でもっと考えて消化したい。でも、誰かに聞いて欲しいので増田に書きます。長くなりましたが、読んでくれてありがとう。経験を書いたことで既にちょっと癒されました。
「黄色いアジア人」中国で批判殺到 アップル絵文字、多様性配慮まさかの逆効果 (1/4ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)
公開された6種類の肌の色が並んだ写真を見ると、黄色がアジア系人種をイメージしているのは明らかで、アップルの説明はいかにも苦しい。
アップル、絵文字に人種と肌の色の違いを導入。iOS 8.3 / OS Xベータから - Engadget Japanese
トップ画像の左端、濃い黄色の顔はいわゆる「黄色人種」ではなく、デフォルトの「人種を特定しない」肌色。アップルとGoogleによるUnicode提案では、肌色としてフィッツパトリックスケールを反映した5種類を設定しています。
僕は数年来のにわかボクシングファンだけど、年末ボクシング商戦とTBSの現状について語ろうと思う。
まず、確認しておきたいのが日本ボクシングの歴史において、現在は非常に盛り上がっている時期だといえる。
理由としては、日本の総合格闘技の凋落と日本人ボクサーの世界における相対的なレベルの向上が挙げられる。
00年台の日本格闘技といえば、総合格闘技全盛だった。立ち技系のK-1と寝技ありのPRIDEという2大団体だ。
かつてはこの2大団体が興業としても、選手のレベルも世界でトップクラスだった。そのため、年末の格闘技放送は総合格闘技+泡沫色物プロレスがメインだった。
しかし、ヤクザ問題やUFC等海外団体の台頭など色々あった結果、K-1もPRIDEも消滅した。後発団体ももはやかつてのそれほどの求心力は持ち合わせていなかった。
そして、時期を同じくして日本人ボクサーのレベルは急上昇した。
かつてはファイティング原田や浜田剛史、具志堅用高など日本人ボクサーのレベルは世界の中でもレベルが高かったが、日本人ボクサー冬の時代が訪れていた。
世界的にはボクシングチャンピオンというと、各階級ごとに4つの団体があって、その一つを保有することで世界チャンピオンになれる。
WBA、WBC、WBO、IBFの四団体で、さらに暫定王座やスーパー王者などがあり、世界チャンピオンは階級に一人ではないのだ。
冬の時代のボクサーはこのうち最も弱いチャンピオン(俗に穴王者と呼ばれる)を狙って世界戦をしていた。
それでも勝ち切ることができなかった。勝ったとしても、防衛戦が待っている。そこでも弱い相手を迎えるのだけれど、負けてしまうことが多かった。
日本人チャンピオンの数は冬の時代に比べて格段に多くなり、さらに防衛戦でも勝ち続けているのだ。
それだけにとどまらず、世界戦で強い相手と試合をすることがとても多くなった。
軽量級世界最強と呼ばれるローマン・ゴンサレスとマッチメイクをした八重樫東の世界戦は記憶にあたらしい。
それは、今の世界ボクシングの風潮がビッグマッチ思考といって、世界王者であるということよりも、実力者に勝つことが重視されることもあるだろうし、アジア人のマニー・パッキャオが世界トップクラスのボクサーとして評価を受けていることもあるだろう。
日本人の西岡利晃がメキシコでジョニー・ゴンサレスを、ラスベガスでラファエル・マルケスを破ったこともあるだろう。
なにはともあれ、日本におけるボクシングの注目度は今世紀最高であるといっても過言ではない。
さて、こうしたわけで年末の格闘技には当然ボクシングが放送されるわけだが、テレ東、フジ、TBSの3局がボクシングを放送する。
TBSが育てたチャンピオンとして最も有名なのが亀田兄弟である。
放送権をTBSが囲い込み、対戦相手は徹底的に弱い相手を選ぶ。後はキャラクターと試合前の煽りVTRで視聴率を取る。
試合は日本で行われ、判定に持ち込めば地元判定と謎の疑惑判定で有利に戦う。これぞボクシングの黒い部分だ。
しかし、亀田兄弟はやり過ぎた。日本ボクシング協会の逆鱗に触れ、日本追放された。
手持ちのボクサーが失われたTBSは新たな手駒として井岡一翔を中心とした井岡ジムの囲い込みに出た。
井岡一翔は若手の中でも実力者で、ファンの中でも評価は非常に高かった。かつては。
しかし、井岡一翔もTBSボクサーに成り果ててしまった。マッチメイクは段々とレベルが落ち、弱い相手としか戦わなくなった。
その上、弱いと思った相手が想定外の奮闘をした結果、一方的な内容で負けてしまった。なぜか判定は僅差の判定だったが。
そのTBSが、ボクシングを愚弄しているとまで言われたTBSが、年末にギレルモ・リゴンドーの試合を放送する。
これはかつて東京でマイク・タイソンが世界戦をした以来であると言っても過言ではない。スター性は別だが、傑出度とクオリティという意味では間違いないだろう。
ここでギレルモ・リゴンドーの紹介をすると、アマチュア時代にあらゆる大会で勝ちまくり、キューバから亡命して鳴り物入りでプロデビューした。スター候補としてだ。
その目論見は半分はあたった。リゴンドーはプロのリングでも無類の強さを見せ、かつて日本人ファンの期待を一身に背負った西岡利晃を寄せ付けなかったノニト・ドネアを完封した。
この一試合でリゴンドーの名は軽量級最高峰として轟いた。かに見えたがリゴンドーはスターにはなれなかった。
その試合内容があまりに堅実で、テクニカルで、盛り上がりに欠けたからである。
打たれずに打つというボクシングの本質を体現したリゴンドーの試合はその完成度と裏腹にエキサイトできないものであった。
結果的にリゴンドーはアメリカのスター戦線、ドル箱スター街道から干されてしまった。ショービジネスの悲しい側面である。
あのリゴンドーが地上波で見られるというのは恐ろしいことである。
あろうことかこの放送をスポーツバラエティ番組とバーターにしてしまう所がTBSのTBSたる所以なのだ。
井岡は名も無きロートルとノンタイトルマッチを組み、リゴンドーは名前も出ない。もう一試合にはノーコメント。
せめて井岡だけでももっとエキサイトできるカードを組めば、年末ボクシング商戦で頭一つ抜けられるところだろう。
ボクシングなんて野蛮なものは見ないというはてなユーザーに年末の注目カードを伝えておく。気が向いたら見て欲しい。
日本人最速世界王者に加え、マッチメイクが素晴らしい。強い相手としか戦わないという宣言通り、強い相手と戦い続けている。今回のナルバエスも王座11度防衛の強敵だ。
そして八重樫東。軽量級最高峰との呼び声高いローマン・ゴンサレスと戦い散るも、その勇姿はファンの心を踊らせた。回転の早い連打に注目が集まるが、フットワークを使ったアウトボクシングが光るスピード溢れる選手だ。
ホルヘ・リナレス(これ放送するのか?)は日本人に馴染みが浅いが、幼い頃から日本のジムで練習を積んでいる。ハンドスピードが早く、スタイリッシュなボクシングを展開し国内では敵なし。海外でも有力選手を退け、スター街道を歩むかに思えたが、打たれ弱いのが玉にキズ。イケメン。
そしてリゴンドーだ。天笠選手はここでいい結果を出せば一気に世界に名が広まる晴れ舞台だ。
さて、年末が楽しみですね!
特定の民族や国民を指す用語「在日」、でも本当は「日本に在住する(韓国人含む様々な世界の)外国人」なのだけど
何故か「在日」という表現を目にすると大抵の意味とかニュアンスとしては「在日特権で違法に暮らしている特権階級の韓国人」というものになっている。
「在日特権」というのは多分「特別永住資格など必要要件を満たした諸外国人に特別な日本在住資格を与えられた公式の日本永住資格」という意味合いでなく、
「不当に住み着き、あまつさえ日本人以外で生活保護を受けて通名なども持って暮らす韓国人」という表現が多分正しい、という認識で彼らはやり取りしてるように見える。
「在日」は特定外国人を指す言葉でないにも拘らず、ネット上ではある種のスラングとして流通しているのか、いまだにこの誤りがどこかしこで見かける。
一つの強迫観念に縛られたかのように、日々「在日」という言葉が悪いように用いられている。
日本に住む韓国人が一体自分たちに何をしたのか、例えば犯罪事件を挙げる人達は、日本人ならそういった種の犯罪を行わないと何故断言できるのだろうか。
また、新大久保や鶴橋などのコリアンタウンで排斥デモを見かけるが、彼らは彼らの生活に「在日」による犯罪行為が為されたのか、行われたならそれはいつどこで誰が何の目的で
為されたのか一人一人答えるべきだと思う。
そもそもそういった所に住む韓国人あるいはアジア人が日本に住んでる以上ある一定以上の日本と文化を共有している、という点を無視していないのか。
確かにそのデモが行われるきっかけで、関西や関東の特定地域では在日コリアンの解放運動が小規模ながら行われているが、こちらはもはや日本における風物詩とさして変わりはない。
事実、そのデモにおいてデモを行う人による殺傷事件が発生したという話は、「在日」という表現がネット上で展開されてきた現代において殆ど聞いたことがない。
あるいは筆者が知らないだけでネット上では、報道されなかっただけで真実が存在するのかもしれない。
しかしながら、だから「在日」は優遇されている、に繋ぐのはあまりにお粗末というか強引だと言える。
何故なら、彼らの生活は彼ら自身が望まない所にある、という事実もまた、恐らく真実に違いないためである。
すなわち、人が「在日は優遇されている、在日特権」などというのはよく分からないが、少なくともそれを享受しているのが在日韓国人なのだと断言する所に違和感を覚える。
事実、大阪府で頻繁に逮捕されてる「在日」はその大半が「中国人」である。
こうした事実、ないし側面からはっきりしているのは、在特会やネットで言われる「在日特権」が必ずしも「在日韓国人だけが特権を持っている」わけではない事を証明するのだ。
そのために、日ごろネット上で「在日」という用語を目にすると、そこに書かれている内容問わず誤解が生じてしまっている、と感じてならないのである。
以前、学会出席のため米国のホテルを利用したことがある。初めての海外だった。
・ベッドが大きい。体操や陸上競技で使う巨大マットレスみたい。
・部屋が綺麗(映画に出てくるような小汚いモーテルではない。ちっこいがプールもある)
・ドレッサーに置かれた聖書も綺麗("葬式仏教"に相当する英語はあるのだろうか)
という感じのホテルだった。日本のビジネスホテルをデカく、安くしたイメージ。
受付の呼び鈴を鳴らすと、「人はここまで太れるのか」と反射的に思ってしまうほど太った女が出てきた。
あまりにも無愛想なので掃除のオバちゃんかと思ったが、どうやら"接客兼受付嬢"らしい。
巨大女「ビザ」
とのたまった。
ビ、ビザ? 査証?
日本人はビザ免除のはずだし、ESTAとかいうクソ面倒な手続きもしたし、どうして安宿ごときに査証を見せなきゃならんのだ。
この女、レイシストなのか? 私を怪しいアジア人だと思っているのか?
私が「ビザなんて持ってないし、パスポートは荷物の奥で出すの大変だよ」と文句を言おうとしたら、連れが「クレカのことだよ」と教えてくれた。
イマイチ状況が飲み込めなかったが、言われるがまま私はクレジットカード(VISA)を女に渡した。
レジでカードをスキャンすると、女はひょいとカードを私に返した。
一抹の不安はあったが、上述の通り部屋は綺麗だし、ベッドがデカイことにメリットは何もなかったが、まぁVISAのことはすぐ忘れた。
再び疑問に襲われたのはチェックアウトの時だ。またハート様然とした女がピザ、もといビザを出せという。
謎が溶けたのは帰国してからだ。Google先生がすべての事情を教えてくれた。
取りはぐれがないよう、海外ではチェックイン時にクレカを提示するのが常識だという。そうか、なるほどなるほど、じゃねぇよ。
分からん。
インターナショナルスクールでも無い限り、ほとんどが日本人。
(アニメで書かれることは少ないが、在日朝鮮他アジア人でも日本生まれ日本育ちだろうし、見た目ではわからない)
となると「日本に不慣れ」とか「ステレオタイプなアメリカ人っぽさ」とかが求められる。
ので、極端な描写になるのは仕方が無い気がする。
ちなみに「なんでみんな白人?」に関しては、前述の学校が舞台の萌えアニメでは髪の毛や肌の色が多様すぎて、黒髪褐色のラテン系を表現しにくい&萌え絵では黒人の顔立ちをメインキャラのデザインに落とし込みにくい(舞台がグローバルだとマクロスのパインサラダの人みたいな美人がいたりするけど)
ってのが原因。
ネイティブっぽいかどうかなんてことではなくて、ネイティブに「も」理解される発音を授業でやれって思う。
(できれば日本語ネイティブに無理の少ない方法で。文部科学省の人たちは、外国の例をまるごと輸入する手抜きみたいなことばかりせず、そういう研究にも資源をさいてほしいよ)
カタカナマンセーでも日本語風発音モーマンタイでもどうでもいいが、通じなけりゃ意味がない。「エイジア」を「アジア」と言っては、日本ツウでもなければまず通じないぜ。逆に、日本語読みでもわかる単語は、無理に強制する必要ないと思うよ(ジョン万次郎みたいな発音学習法は、結構面白いかもね。バリエーションそろえるのが大変だろうけど)。
個人的に「デワの守(欧米デワ...)」は大嫌いだな。どこかの国をリスペクトして英語を使っているのでもなくて、アジア人同士など特に、外国人と話をする道具として使っているだけなのに。文化や社会構造が上だの下だの英会話に関係ねえ、知るかって思う。
断っておくが、このエントリーはメイロマさんを誹謗中傷するものではない。
僕はむしろ氏のファンで、Twitterはフォローしてるし、本も全て買ったし、有料メルマガは初回からずっと購読している。
僕はメイロマさんの持っている稀有な経験と豊富な知識に裏付けされた言論に、いつもたくさんの気づきをもらっている。
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僕は社会人経験を経てから、とあるきっかけでアメリカのある場所に自費で留学した。
そこはあらゆる人種の人がいる非常に多様化した街で、日本人もたくさんいた。
僕はある有名大学の短期MBA的なところで、1年くらいビジネスを学んだ。
3ヶ月ごとにクラスが入れ替わるのだが、はじめのクラスは半分くらいが日本人。
他のクラスでも多かれ少なかれ日本人はいて、横のつながりも含めれば40人以上の日本人と出会い、うち30人は社会人経験者だ。
30人の日本人は女性のほうが多く、年齢は20代後半から30代中盤くらいまでの独身がほとんど。
割と良い日本の大学を卒業して、数年間会社に務めた後、辞めてアメリカに留学に来たってパターンが多かった。
これだけ聞くと割とエリートっぽい、意識の高い(笑)人が多そうな気がするかもしれない。
「会社がブラック企業で、給料が全然上がらない。公平に査定されない。不平等」
「社会に閉塞感が漂っている」
「アメリカはこんなに優れてるのに、それに比べて日本は・・・」
適当に聞き流してそのうち数ヶ月すると、日本の悪口をやめ、今度はアメリカの悪口を言うようになった。
「こんなに高い学費を払ってるのに、この学校のサービスは・・・」
僕は気づいた。
彼女らは高い志と目的があってアメリカに留学しに来たのではない。
勉強一筋で日本の大学を出るまではうまく行っていたが、自身の不器用さゆえ会社で活躍できない。
はじめは自分を責めていたのが、いつの間にかそれが社会への憎悪に変わってゆく。
「自分は頑張っている。しかし日本社会が自分を認めてくれない」と。
そして、海外にいけば何かが変わる、と。
しかしアメリカに行っても何も変わらない自分に気づくも、それを認めたくないゆえ今度は標的を変える。
「隣の芝は青く見える」現象が常に起こっている。
理想を求めてアメリカにまで来たけど、根本的なマインドセットがそのままだから、何も変わらない。
日本をdisる時は「日本はダメでアメリカは進んでいる」とはじめから結論が決まっているから、アメリカの良い所と日本の悪いところを比較する。
次にアメリカをdisる時は、同じく「アメリカはダメ」から入るから、自分に都合の良いデータしか見ない。
メイロマさんのtweetは、今まさに留学中の僕にとって刺激に溢れるものだった。
氏の豊富な海外経験と独特な視点はたくさんのファンを虜にしたようだ。
僕はメイロマさんのtweetと本を読んで、僕がアメリカで出会ってきた憎しみの塊のような女性たちに似てるなと、何故か直感的に思った。
Twitterでは、下ネタを除けば終始日本の悪い点ばかりtweetしている。
日本の悪口を言う、なんだか病んでそうな人のリツイートを良くしているのを見かける。
自身の「英国では〜」とイギリスの優れた例と、日本の悪いところを一緒に比較して、だから日本はダメなんだという得意の論理展開は、まさに先の例そのままである。
例えば『日本が世界一「貧しい」国である件について』という本は、終始日本の悪口に徹し、具体的提言はおまけ程度に最終章にまとめれれているだけだ。
あぁ、きっとメイロマさんも日本から脱出してきた人のひとりなんだなぁと。
『日本に殺されず幸せに生きる方法』ではだいぶマシになっていたけれど、それでもまだ日本への憎悪は消えていないように見える。
なんでわざわざ日本の悪口を言ってるtweetを探し当てては、リツイートしてるんだろうと。
僕は氏にフォローされてないけど、試しに日本の英語教育の悪口をtweetしてみたら、見事に拾われてRTされた。
メイロマさんの言ってることは、決して嘘ではないし間違ってもいないと思う。
でも、共感はできないのはなぜだろう。
アジア人て性欲薄いの?
アジア人の人口って中国とインドとインドネシアの3国を合わせただけで28億くらいになるんだが…。
たぶん、性欲が薄いんではなくて、性の表現が抑圧的って事なのでは。
首都圏では別に珍しくもないかもしれないが、関西圏では見かけることは多くない。
ビジネスマンか?もしくはバックパッカーか?と黒人について一人思索にふけっていると
おそらく日本の独自ルールである「電車の中でのケータイ禁止」を知らないのだ。
英語で輸入がどうとか数量がどうとか話し始めたので恐らくこの黒人はビジネスで
わざわざ日本まで来たのであろう。私の謎はここでとけたわけだが一つ気になったことがあった。
いつも携帯で話していると「携帯止めろ」といううるさい車掌は黒人に注意するのだろうか。
車掌はまだかまだかと待っていると、ついに車掌が列車のドアを開けて登場した。
狭い車内でアジア人ばかりの列車にごっつい黒人が一人、しかも大声で話している。
気づかないはずがない。
車掌は歩き始めてしばらくたつと立ち止まって思いっきり黒人に目を合わせた。
しかし、車掌は3秒ほど立ち止まった後、何も無かったかのように立ち去った。
いつもは「携帯を切れ」とうるさいのに黒人に対しては特権を与えたわけである。
私は非常に納得がいかなかった。車掌に一泡吹かせてやりたい気になった。
私は座席を移ることにした。車掌が出ていったドアから一番遠い位置に移った。
ここならば車掌が入って来てからアクションをとるまでに時間的な余裕がある。
待つ事10分、車掌が折り返して戻ってきた。窓に車掌のシルエットがうつった。
ラッキなー事に黒人はまだ大声で話している。
私はすばやく携帯電話を取り出すと、大声で話し始めた。
車掌は今度は黒人を見ることもなく、ツカツカと歩き始め黒人の座席を通り抜けた。
そして私のところまで来て小さな声でこう言った。「電車の中では携帯通話はご遠慮ください。」
私は言い返した。「あそこのごっつい人さっきから大声で話してますよ。」
私「日本語分るかもしれないじゃないですか。どうして注意しないんですか。」
車掌「恐らくわからないでしょう、後ほど英語の分るものに注意させます。
とにかく携帯通話はご遠慮ください。ペースメーカーにも影響がある可能性がありますので。」
私「私ペースメーカー使ってますよ。6年前から入ってますがまったく影響ありません。」
車掌「。。。」