はてなキーワード: 落語家とは
最近のM-1がつまんないのも、審査員批判が起きるのも、全部原因は同じ場所にあって、「あれが芸人の実力が反映されないクソシステムだから」だと思う。「芸人の実力が反映されない」というのが審査員のせいになりがちなんだけど、実際はそうでもなくて、俺はあの暗い声でボソボソ喋る落語家もリアルタイムで見ていてそう悪い評価はしてないと思った。確かにいわれてる通り高得点を大袈裟に付けすぎてたとは思うけど。
原因はごく単純に、順番で会場の空気が大きく変わるのに、それを単純にランダムで決めてることだと思う。作ってきたネタがトリに映えるようなものだったり、一発目のあの空気じゃ絶対にダメなネタだったとしても、一発目を引いてしまったらそれで終わりだ。芸人からしたら納得感はないだろう。結局「運」じゃん。順番くらい芸人本人に選ばせろ。
『かぞくいろ -RAILWAYS わたしたちの出発-』 有村かすみ「死んじゃったの!」子役「あきらちゃんがいなくなればよかったのに!」
『人魚の眠る家』 篠原りょうこ「死んでるなんて誰にも言わせない」 西島「まやかしにすぎなかったんだ」
『七つの会議』 香川てるゆき「()この野郎!」片岡「どういうつもりなんだ!」 この映画、狂言師主役で落語家も歌舞伎役者も出てる…
『マスカレード・ホテル』 生瀬?「聞けやコラ!」笹野「何だと思ってるんだ!」長澤「ホテルマンじゃありませんよね」
『飛んで埼玉』 あり(よく聞き取れず)
『フォルトゥナの瞳』 (脇役)「ザケンナヨ!」 神木「あおいにはわかんないよ!」
『鈴木家の嘘』 加瀬「(聞き取れず)」(一徳をなぐりながら)
『生きてるだけで、愛。』 菅田「えい(うおー)」(ノートパソコンをガラスにぶん投げる直前。音量控えめ)
『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』 大泉洋 俺が人生楽しんじゃいけないのかよ(全体的に叫びとしては弱め)」
『LDK』 なし 音楽邦画ではない (別バージョンの予告がこれからできる可能性はある)
『愛唄 -約束のナクヒト-』 なし
『雪の華』 中条「恋人になってください!」(弱め) やっぱり音楽映画、後ろ3/4~4/5、盛り上がるあたりでサビが代替するので叫びがない
<あらすじ>
<感想>
あ、これは1話じゃなく0話という扱いらしい。内容的に0話を称する理由がピンとこなかったが、1話から違う感じの話になるんだろうか。
敵が人間の姿で登場し悲しい境遇で怪物に憑かれたことを描くなら、人間の姿のまま退治される方が悲壮感があっていい気がするけど、アクションの問題? 『牙狼<GARO>』シリーズの関連作品らしくてそちらはほとんど見たことがないけど、そのへんの事情もあるのだろうか?
<あらすじ>
<感想>
主婦になるための活動ではなく主婦の就職活動で「主婦カツ」っぽいことに違和感を抱きつつ見てたら、就職活動よりもパート先の弱小スーパーvs.大手スーパーみたいな話になりだしたけど、なんだかんだで最終的には正社員になるのだろうか。
夫の独断専行を悪びれない明るさがなかなか怖い。いや仕事を辞めることは必ずしも非難できると思わないが、事前に伝えることは分業を営んできた相手に対するせめてもの礼儀だろう。
<あらすじ>
<感想>
佐々木蔵之介が妻の中山美穂を裏切って職場の本仮屋ユイカになびかずに旅先の黒木瞳に惚れる一方、中山美穂の方は娘の婚約者らしきジャニーズWESTに惹かれるっぽいって、性別と年齢に着目すると新鮮さがある。
仕事で躓いて不倫へ走る佐々木の心理はありがちながら丁寧に描かれてるし、中山の方は思いの外ドロドロの予感だし、悪くないかも。
<あらすじ>
<感想>
岡田将生に落語家の若き日だけでなく高齢の名人である現在もがっつり演じさせるという無茶振りで、もう少し老けメイクを濃くしてもと思いつつ、しかしこれがなかなかどうして堂に入った演技だった。こんなに滑舌良かったんだな。
前科者の竜星涼も達者だし、話の緊張感も保たれてて、アニメ版見たからもういいかなと思っていたが見続けたくなった。
<あらすじ>
<感想>
イッセーと相葉が微妙に似てるけどべつに祖父と孫ではないのか。あといきなり相手任せにする無責任な継がせ方は相応の理由があるのか。
正体不明な神主が都合よく重要な情報を教えてきたりとか、広末涼子親子に何か起きるようなタイミングの「一寸先は闇」張り紙とか、山場となる犬の拒食が簡単な話しかけで解決したりとか、女性陣が主人公を性的に辱める笑いとか、なんかモヤモヤが多い初回だった。尼神インター渚の変身っぷりはいい意味で驚いたが。
<あらすじ>
田辺桃子がともさかりえじゃなく野呂佳代になって未来からやってくるラブコメ。
<感想>
『SUNNY』見てないけどたしかにともさかりえっぽい雰囲気があるかも? いや吹石一恵の方が似てる? あれ中谷美紀になった? やっぱり京野ことみ? なんか場面によっていろんな女優に似て見える不思議な顔だな田辺桃子。野呂佳代にはべつに似てないが。
気楽に見れるコミカルさで、恋敵の女子もなかなか手強そうでいいんだが、タンクトップの上に羽織ってたシャツを躊躇なく女子に貸せるなんてモテる男ってのは凄いな。
<あらすじ>
<感想>
月曜から夜更かししてオールスターに感謝してたら1話を見損ねたので2話で。
『古畑任三郎』的な視聴者への語りかけが入って推理クイズの様相。心理学が万能過ぎるが、それはそういう条件に基づくクイズなんだと飲み込んでしまえば悪くない。
栗山は下手とは言わないが、取調室内での犯人との長い攻防を演技合戦で楽しませるにはケレン味不足か。
<あらすじ>
<感想>
泥棒が自分の正体に気付いてくれた嬉しさから刑事に他の泥棒をチクるっていい話なんだろうか。BL的にはいい話かもしれないが。例えば強盗に対して許せないからチクるとかならまだ……いやそんな美学を振りかざされてもそれはそれでウザいし一課の管轄になって三課のドラマという希少性が無くなっちゃうか。
刑事の方はステレオタイプを誇張したような若者像なのだが、これはこれで清々しく感じる部分もなくはないので、変に成長とかされるより徹底してくれた方がいい気もする。「今の若いのってみんなあんな感じなの?」「いや結構酷い部類ですね」と一般化に釘を刺す台詞には好感(余談だが『けもなれ』の同様のステレオタイプはちょっと気になってる)。
<あらすじ>
寿司屋の息子。
<感想>
職人の世界だか何なのか知らないけど、普通に「教える」ことができないのって、客にも迷惑かけるよなっていう。
主役の須賀健太が見た目も言動も漫画のキャラっぽさがあると思ったらやっぱり漫画が原作だったが、漫画の絵が須賀健太に全然似てなかったのと巻数が95巻も出てたことに驚いてしまった。そりゃ全巻プレゼントも1名様になるよな。
<あらすじ>
<感想>
ギャグとはいえヤンキー文化苦手。ギャグで通し切るわけでもなさそうだし。そして福田監督のギャグも少々苦手。賀来賢人は頑張ってるとは思うが(願わくば演技に「どや面白いやろ」感が出ませんように)。
<あらすじ>
<感想>
これは良かった。話自体の出来に加えて、唐沢寿明の普段の食わせ物演技の面白さとここぞという時に人間味の見せて相手を説き伏せる演技の説得力が見事。単純なハラスメントの構図を避けても単純な逆張りにしないバランス感覚が作り手にあるかはまだわからないが。
<あらすじ>
カワイイ顔を揶揄われてきた編集者の男がカワイイ至上主義の女性誌へ移動。
<感想>
余所から入って侮蔑→受容というお仕事ものの一つのテンプレ感。ジェンダーからの解放というテーマも入りそうだが、千葉雄大ならそりゃさっさとカワイイと和解した方が得だわな。……いや、男性が30以降もカワイイを武器にできるかとか考えだすと難しい話になってしまうか。
<あらすじ>
警視庁の刑事が取り調べ中の相手に自殺されて奥多摩の駐在さんに。
<感想>
連ドラの前に5回やってるらしい単発は未見。過去の事件についていきなり「まだ終わっていなかったことにこの時俺は気付いていなかった」というナレーションで始まったり自殺者の姉が出てきたりするわりに事件についての説明が不足してて壁を感じた。一方で一話完結ものとしてのエピソードは2時間に拡大したわりに凡庸。
<あらすじ>
やる気のあるサッカー部員1人とやる気のないサッカー部員2人。
<感想>
ゆるい。そのゆるさが心地よかったり笑えたりするわけではべつに。
<あらすじ>
しょっぱい現状の女たちが旅に出る時代劇。
<感想>
B級臭さはいいとして、主人公が自分を騙しておばさんと嘲る若い女たちを懲らしめても、主人公たちも年嵩の女の境遇を蔑んでたのでスカっとしない。主人公たちが未熟なところから成長していく話なのかもしれないが、若き日の輝きを取り戻すことを目標にしてるのがさらにつらく……そこも含めて変わっていくのかもしれないが。せめて三人の掛け合いがもっと笑えたりすればいいのだが。
田中麗奈ってべつに嫌いなわけでもないがなぜ主演の仕事が続くのかよくわからない。
1『獣になれない私たち』
3『昭和元禄落語心中』
4『僕らは奇跡でできている』
バブル期には多岐に渡ったそのビジネスは、現在ではその多くが縮小傾向にある。
その原因の一つが、改正の重ねられた暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)と各地の暴対条例だ。
暴対法では、下手をすればトップが「使用者責任」を問われるから、末端であっても、危ない橋は渡れないし、渡らせることはできない。
法規制による締めつけで、多くの暴力団のシノギは、方向転換を迫られた。
いまもなお、一定の利益をあげられるのは、「電話」(オレオレ詐欺)と「薬屋」(覚せい剤密売)くらいだろう。
いまだに騙される老人は十分いるが、警察の「騙されたふり作戦」が功を奏しており、受け子(現金の受け取り役)の減少が深刻だ。
受け子不足から、中高生までも受け子にリクルートする例もある。
もっとも、スーツを着せてもその違和感は拭いがたく、当然、成功率は低下する。
こうした状況の中でも、上層部からの上納金の要求は変わらない。
ある組長は、重い負担に窮し、新しいビジネスに手を出すことにした。
それは
【追記】
それの優勝賞金は、100億円。
そこで、組長が目をつけたのが、はてなブックマーカーだ。
有望なダジャレブクマカを監禁し、強制的に成長させ、トーナメントに参加させようというのだ。
当然、組員はこぞって反対した。
しかし、上納金のプレッシャーに精神を侵された組長は、聞く耳を持とうとしない。
組長は、他のターゲットを探し始めた…。
奨学金は借りるな。
延滞した時の対応がマジクソ。
向こうの落ち度があっても謝らないし、対応もできない。
HPは落語家で説明とか。そんなことしてる暇があったら、円滑な意思疎通できる人間おけ。
ほんま地獄やで。
二度と奨学金機構と関わりたくないのに関わりつづけないといけないの、マジで地獄。
経緯としては
延滞→
連絡→
まとめて払うことに落ち付く→
振込書が届く→
日付が話していた日にちと違う→
もう一度送るという→
送られてこないので連絡→
行き違いがあった、こちらではどうすることもできない。
あー、延滞したおまえが悪いって話はわかってるけどやな。
おまえら、かわいそうな学生のために存在してるというのに、その態度は何やねんって話。
おまえらの落ち度で支払う延滞料は数百円やけど、今延滞してる人間からしたら貴重な数百円なんや、それをおまえらに払うんかと思うとゾッとする。
これがメンタルやられてる奴だったらと思うと、自殺するやろな。
俺は図太く生きてくつもりやからええねんけど。嫁おるし死なれへんしな。
林家の襲名ごたごた騒動の記事のトップブコメに「正蔵は世間の人が思ってるよりは落語上手くなってると思う」というのが上がっていたけど、あくまでも、パブリックイメージよりは、というだけなんじゃないか。
もちろん個人の感想ではあるが、決して面白くはないことはお伝えしておきたい。
三平については落語をちゃんと聞いたことがないから分からないが、笑点を見る限りでは、フラがある分むしろ兄貴よりましなんじゃとすら思ったりする。まぁ、しゃべりが下手な落語は聴いてるのが苦痛、みたいなこともあるから、兄と弟どっちが、というのは分からんしそもそも好みの問題は大きいが。
ごく個人の感想として、正蔵のは、聞かせたい噺では平坦で退屈、ゲラゲラ笑うはずの噺ではマクラも滑ればテンポもいまいち、泣かせたい噺では眠くなる。しゃべりのもそもそとした癖は直らず聞きずらい。当増田とは相性が悪いというのはもちろんあって小さくはないが、いよ!名人!と褒められるもんではないと感じる。
元記事でもふれられていた協会分裂騒動については、落語がちょっと面白いなと思い始めた頃に当増田の落語の指南役から聞いて薄ら知り、そして「うーあ、面倒くさそう…」という感想になり寄席から足が遠のいた。ミーハーな半可通からすれば割とどうでもいいことで、そんなことよりもっと面白い噺を一つでも多く聞かせろ、という感覚であった。若かったし。すまんね半可通で。
そういう中でも、浅草やら小さい小屋やらに足を運んだ結果の感想は、協会の真打は、満足納得な大名人からこれで真打??までバリエーション豊富!というものだった。なので、圓生(性格は相当悪かったらしいね。だから造反されたとかなんとか)の言わんとすることも分からないでもないなーというのは正直言ってある。あれ?つまんねえ、しんきくせえ、といった年だけとった真打落語家とか、割といるんですよ(個人の感想です)。
ミーハーな半可通としては、寄席を通しで見て、わはは、おもしろ!と思えるのと、そうじゃないのと、おもしろくない…(怒)というのの比率は、2:7:1ぐらい。アタリくじが2割というのは、くじなら凄く割が良いが、笑いに来ていて2割しか笑えないというのは、ちょっとこう、困る。ダウンタウン松本が言っていたように「笑いたいのの笑わせてもらえないと、逆に腹が立ってくる」状態になることもある。
最近は落語ブームで、東京の小屋も賑わって、有名・人気落語家の独演会なんかは瞬間ソールドアウトなんてこともあったり、小さな落語会に若い人が沢山、なんて状態ではあるのだが、もし、落語ちょっと興味あるなという初心者の人がいるなら、寄席よりも、確実に面白いとお約束できる(評判の)落語家の独演会のチケットを事前に取って、落語体験をしてほしいと思ったりする、ミーハーな半可通増田なのである。寄席であんまり面白くないのが続いてくると、二度目は当分いいかなってなったりするしね。
ブームのおかげで質の良い落語会も増えているし、落語楽しい熱が再燃している最中であったのだが、内輪の騒動をミーハーな半可通に通好みに説明されても鼻白むだけで、いやーこっちはミーハーな半可通なんで、そこまで忖度するつもりもありませんよ、と、また寄席から足が遠のくなぁと思ったりする。
落語聞きに行くのは、寄席よりも落語会の方が好きだ。寄席は当たり外れが大きい。好みじゃない人が出てくると眠くなるし眠みと戦うのが疲れてしまう。
思えば、子供の頃からまんがも雑誌派じゃなくて単行本派だったし、ミュージックステーションをぼーっと見ながら
お気に入りのアーティストが出るのを待つより、CD1枚聞く方が良いなぁと思っていた。
寄席の木戸銭は若手の栄養、ひいては落語全体へお金が回ることになるので云々ということを、落語家の皆さんは言ったりするのだが、
席主の取り分だってバカにならないはずで、それなら2、30人の小さい落語会なら直接好みの落語家の懐を潤せる割合が高くなりそうだし、
落語会の前座や客演?でも色んな落語家を見ることができるし、元々好みの演者を見に行っているという保険もあるし、
何だかんだでストライクゾーンを外さないことが多いから、寄席でカタログを見る必要がないかなと思ったりしている。
寄席文化が、と言う人もいるのかもしれないが、寄席の客は年寄りだらけだし、マクラが終わりかけるや否や「○○だね」とか言う、
割とうっとおしいのが少なくなかったりするのが、割とウンザリする。
タイガー&ドラゴン」に出てくる尾美としのりのそば屋は、それでも愛嬌があったが、小汚いごく普通の通ぶった中高年老人のドヤなんて誰も見たくない。
同じようにマンガや雑誌の連載も、気になって追いかけていたマンガ1本のためだけに数百円を毎週払って買うのがなんか違和感がある。
読みたいものが2,3本入っていたとしても、「興味がないその他大勢」も結果的に所有してしまった、というすっきりこない気持ちである。
そして、読みたいものが5,6本やそれ以上入っているマンガ雑誌には、まずお目にかかれない。
紙の雑誌だったころは捨てればよかったが、電子書籍の場合はなおさら「興味がないその他大勢のデータがあるなぁ…」と思いながら暮らす羽目になってしまうので