2018-02-10

狭く

落語聞きに行くのは、寄席よりも落語会の方が好きだ。寄席は当たり外れが大きい。好みじゃない人が出てくると眠くなるし眠みと戦うのが疲れてしまう。

思えば、子供の頃からまんがも雑誌派じゃなくて単行本派だったし、ミュージックステーションをぼーっと見ながら

お気に入りアーティストが出るのを待つより、CD1枚聞く方が良いなぁと思っていた。

寄席木戸銭は若手の栄養、ひいては落語全体へお金が回ることになるので云々ということを、落語家の皆さんは言ったりするのだが、

席主の取り分だってバカにならないはずで、それなら2、30人の小さい落語会なら直接好みの落語家の懐を潤せる割合が高くなりそうだし、

落語会の前座客演?でも色んな落語家を見ることができるし、元々好みの演者を見に行っているという保険もあるし、

何だかんだでストライクゾーンを外さないことが多いから、寄席カタログを見る必要がないかなと思ったりしている。

寄席文化が、と言う人もいるのかもしれないが、寄席の客は年寄りだらけだし、マクラが終わりかけるや否や「○○だね」とか言う、

割とうっとおしいのが少なくなかったりするのが、割とウンザリする。

タイガー&ドラゴン」に出てくる尾美としのりのそば屋は、それでも愛嬌があったが、小汚いごく普通の通ぶった中高年老人のドヤなんて誰も見たくない。

それが寄席文化ならその文化要るか?と思ったりする。

同じようにマンガ雑誌の連載も、気になって追いかけていたマンガ1本のためだけに数百円を毎週払って買うのがなんか違和感がある。

読みたいものが2,3本入っていたとしても、「興味がないその他大勢」も結果的に所有してしまった、というすっきりこない気持ちである

そして、読みたいものが5,6本やそれ以上入っているマンガ雑誌には、まずお目にかかれない。

紙の雑誌だったころは捨てればよかったが、電子書籍場合はなおさら「興味がないその他大勢データがあるなぁ…」と思いながら暮らす羽目になってしまうので

なおさら雑誌から遠のいている。

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