はてなキーワード: 肖像画とは
お疲れ様です
自分は大学生になるまで、「印刷物ではない油絵」を見たことがなかった。
自分は北関東の山里の出身だ。最寄りの駅まで車で30分、まともな蔵書のある図書館は近隣の市まで行かなければなく、一番近い美術館がどこにあるのか未だに知らない。そういう場所で生まれ育った。
両親は芸術にまるで興味がない人だった。
水彩画のような塗りしかできない自分に教師は「もっと絵に絵の具を乗せて」と言った。
今思えば、当時は教科書や本に載っている絵が油絵なのか水彩画なのかさえ気にしたことがなかった。
大学には、それなりの家庭水準で育った人が多かった。周りは皆幼い頃から音楽や美術、文学に慣れ親しんだ人ばかりだった。
そこで初めて油絵を見て、「美術の先生が言っていた油絵とはこういうものだったのか」と実感した。
歴史の教科書の絵も、偉人の肖像画も、油絵だったということを大学生にして初めて知った。
もし地元で生涯を終えていたならば、自分は油絵がどんなものかを知ることはなかっただろう。
様々な芸術を見聞きし知った今、それらに出会わない人生が「自分の人生であったかもしれない」と思うと、ときどき空恐ろしい気持ちになる。
学歴にこだわるような年齢ではなくなった今も、自分は大学へ行って良かったと心の底から思える。
肖像権を侵害する行為となるのは、写真撮影、ビデオ撮影等個人の容貌ないし姿態をありのまま記録する行為及びこれらの方法で記録された情報を公表する行為であると解すべきである。絵画は、写真及びビデオ録画のように被写体を機械的に記録するものとは異なり、作者の主観的、技術的作用が介在するものであるから、肖像画のように写真と同程度に対象者の容貌ないし姿態を写実的に正確に描写する場合は格別として、作者の技術により主観的に特徴を捉えて描く似顔絵については、少なくとも本件のように似顔絵自体により特定の人物を指すと容易に判別できるときに当たらないときは、似顔絵によってその人物の容貌ないし姿態の情報を取得させ、公表したとは言い難く、別途名誉権、プライバシー権等他の人格的利益の侵害による不法行為が成立することはあり得るとしても、肖像権侵害には当たらないと解すべきである。
この絵のどこが凄いのかわかるだろうか?
それは・・・
昔の庶民は字が読めなかった。字が読めなければ当然聖書も読めない。
牧師さんたちは字の読めない人のため、教会の壁に聖書の名場面を描き始めた。宗教絵画の始まりである。
親方、師弟制度、そして職人ギルド。絵を描くことで金を稼ぐ専門家集団。彼らは芸術家ではなく職人であった。
彼らの稼ぎのもう一つは肖像画である。昔の金持ちはよく肖像画を描かせた。我々が写真館で証明写真や753の写真を撮るように、彼らは自分や家族の肖像画を描かせたのだ。当時の絵描きは写真屋の代わりであったと言える。
写真屋から出発した西洋美術がよりリアルに、より精密に、表現が発達していくのは歴史の必然であった。
長い時が流れ1866年、「笛を吹く少年」エドゥアール・マネはあえて背景を描くのをやめた。マネは絵をデザイン的に捉え、少年の赤い服を魅き立たせる補色を背景に置いたのだ。
マネは写実主義から印象派へと人々を導いた。「印象派の父」として知られる。
『あえて背景を描かない』
現在では手抜き絵と呼ばれる