はてなキーワード: 独善とは
敵味方に分けるという発想こそが差別を生むのだ。カウンターデモが、在特会のデモと同じくらい醜悪に見える理由がわかった。
カウンターデモ側は、政治的主張によって敵味方を分ける考えが、人種によって敵味方を分ける考えより、上等と思っているからだ。
自分たちも「何かの基準によって、人を敵味方に分ける」という、差別の入り口に立っているのに、自分たちが正しいという独善を信仰して、そのことに気づいていない。
彼女に嫌われてから、もう何ヶ月も苦しくて毎晩のように布団の中へ泣き叫んでしまう。
彼女はぼくに対して惜しげなく好意を与えてくれた。一人の人に好かれるということを知った。ぼくも同じように好意を見せたつもりである。そのひとひらひとひらを思い起こしては切なくなる。
舞台は大学の工学系学科。その学科では、彼女とぼくは多分優秀と呼ばれる方に属している。ふとしたきっかけで仲良くなって、ごく当たり前のように惹かれ合った。そして遠ざけられてしまった。
どうしてそんな風になってしまったのか、色々なことを考える。
例えば、少し前まで所属していたサークルのことを思い出す。そのサークルは特に嫌という訳では無かったし、学祭まではそこそこ通って活動していたのだけど、学祭を過ぎるとパタリとやる気が無くなってしまった。結果的に新入生扱いされる期間中タダ飯食らいをしに行っていたことになるのだが、それが本質的な理由というわけではなくて(数万円くらい置きに行っても構わないのだがそれはそれで気味悪かろう)、そのサークルで消費する対象となるものによって成立するコミュニティ、そういうものに浸りきれなかったのだと思う。あるいは自分のコミュ力不足で単に人と馴染めなかったのかもしれない。確かにおごってもらえなくなるのがきっかけにあったのもかもしれない。今となっては良く分からないが、とにかく何かコミットしようとする気は消え失せてしまった。刹那の恋愛感情はそんな風にして失われるのかもしれない。
あるいは、ちょっと学問分野において優秀であることを格下の人に対して暗にアピールし、それによる承認感を糧としている人たち。そういう風に見える人は何となく警戒しているが、ともすると自分がそうなってしまっていて、彼女に悪い印象を与えているのではないだろうか、そんなことを考える。
はたまた、あそこでもっと自分の気持ちを率直に伝えていれば良かったとか、あんな言い方をしたせいで誤解を招いただろうかとか、延々と反省を繰り返す。彼女はやや特殊な面があるが、そのことによって迷いがあったのだろうか、仮に迷いがあったとしてその迷いをもっとはっきりした形で伝えれば良かっただろうか、むしろ彼女のそういった面を都合の良い存在としていたのではないだろうか、そんなことで延々とループする。
それとも単純に、こういう言い方をするのは決して良くないと思いつつ書くが、知的障害者のように妙に馴れ馴れしくてぼくが気持ち悪いだけなのかもしれない、という風に自分を蔑んでみたりもする。多分自分はアスペか何かであるとは思っている。
正しいものもあって、間違っているものもあって、でも全部引っくるめたところで、彼女の思いに届くことは無いのだろう。人に人の思いは分からない。少なくとも、ぼくにとって、人の気持ちはあまりに理解に遠い。彼女だって徐々に入っていたヒビを表すサインを出していたはずで、それに気づけなかったことに後悔し、だけどどうしようも無かったのだと思う。
しかしその自己分析と諦念だけならまだ良い。それだけに留まらず、ぼくは今後も彼女と仲良くすべきだと考える。色々な理由をこじつけて。
純粋に学問的な部分にしたってそうだ。まともな助言をぼくに示してくれるのは彼女くらいだ。あるいは、そうでない部分にしても、ぼくのことを正確に観察した上で的確な言葉を与えてくれる。それは間違いない。もちろん、彼女はぼく以外の誰にだってそうした力添えをすることができて、ぼくが独占する権利などどこにも無い。
こちらから彼女のことを見ると、明らかに本人が望んでいる以上に苦しいことを抱え込んでいるように見えて、少しでも力添えになりたいと思う。人間は協力し合うべきだと、声高に独善を主張したくなる。
ぼくがつまらない人間のように見えるのかもしれないが、そんな十把一絡げな学生と一緒ではなくて、自分はもっと自分自身を、あるいはこの世界を、深く考えているのだと、そんなありふれた自意識によって彼女の傍にいる権利を正当化しようとする。
こうしたこじつけは数あれど、そもそもぼくは基本的に人に関心が薄い。ではなぜ彼女に対して関心を抱くのか。結局のところ、たまたま好きになったからか。性的な欲求なのか。たまたま出会った人を愛するものだということは認めるし、それなりに性欲はある。「主たる要因」をまるで分析せずに、まともそうな理由をでっちあげて彼女と親しくあることが正しいと主張しようとする。
そう、ぼくは非論理的な態度を平気で取る。「それとこれとは違う」なんてことを考えず、自分の感情のために全てを一緒くたに主張する。そんな何もかもが混ぜこぜになった主張を一々論駁しないと気がすまない性質なのに、そんなことはお構いなしだ。いくらでも偽善ぶる。想いが先にあって、言葉なんていくらでもでっち上げられる。「恋人」という関係、近代的な恋愛感情といったものが一つの制度とするならば、自分は骨の髄から制度に侵されきっているのだろう。
別の恋をするべきなのかもしれない。そこでもまた同じように相手の気持ちを大切にできなくて同じようなことになるのもかしれない。あるいは精神科にでも行くべきなのかもしれない。もっと気楽に物事を考えるべきなのかもしれない。
これらは全てある程度正しい主張に感じられる。だけど自分にとってより正しい主張というものは、「せめて彼女と親しい友人として普通に接することができるようになりたい」というその一点であると、自信を持って言おう。
幼少期から「あなたのためを思って」というベタな定型句に押し付けられた独善に辟易してしまって、感謝の気持ちが素直に持てない。
もちろん、ありがたいと思うことはたくさんあるが、
それは相手のためを思ってやってることじゃないだろ、
やりたいからやってるだけだろ、
相手が嬉しがると勝手に思い込んで失敗してるだけだろ、
そういうことだってたくさんある。
そんなときに「感謝の気持ちが足りない」といわれることが多々あるが、
じゃあ世の中の人たちはそういうときに、ありがた迷惑と思わず、普通に感謝してるんだろうか。
素直に感謝できるんだったらその方が良い。
どうやったらそういうことでも感謝できるんだろう。
そろそろ気持ちが落ち着いたことだし、思ったことをここに記そう。
何度も期待させ、そのたびに人の気持ちを裏切り、その時思った言葉を感情まかせに投げつける。
今まで付き合ってきた人も、こんな感じで別れてきたことを想像すると、とても哀れに感じる。
でもね、少なくとも僕は怒っていないよ。もちろん、それによって深く傷ついたし、
今のままだと、君が求めているものはこの先手に入らない。
君の求めるものが、無償の愛、永遠の愛だったりするならば尚更だ。
どんな理想と思える人に出会っても、君以上に魅力的な人は世界には沢山いて、その人は、どこかで君を見限る。
今までは別れは君からだっただけで。
僕は君が付き合ってきた人の中で、誰よりも君のことを深く愛したし、知ろうとした。そして誰よりも大切にしたし優しくあろうとした。
もちろん、こんなところでそんなことを言っても意味がないのは分かっているのだけれども。
そのたびに、人を傷つけることだってある。
でもね、君が傷つけてきた者達は、君のことを本気で愛して、身勝手で独善的な君の性格に耐え、それでも君を支えようと思ってきた人ばかりだ。
そして、別れるたびに全ての連絡する術を遮断することは、とても失礼なことだ。
そうやって、君はこの先も同じことを繰り返していくんだよ。やさしい手を自らの手ではねのけて、そして最後には一人ぼっちの孤独を感じる。
外見に恵まれた君だから、この先も色々な男性が、君に近寄ってくるだろう。
そして君は、その内何人かと恋に落ちるだろうし、付き合っていなくてもセックスなんかもするんだろう。僕がされたことと同じように。
でも、その行為の先に何があるのだろう。大切なものを大切にできない、全て傷つけて終わる君に将来待っていることは、君が傷つく人生だ。
赤子のように愛されたいと願っているくせに、破滅的な君の性格がそれを長続きさせることはないと思う。そしてそれに気づくのが遅ければ遅いほど、君は幸せから遠のいていくんだよ。
この先誰とも付き合うなと言っているわけではないよ。
付き合っても別れるな、なんて言っているわけではない。
ただ、君がこの先心から好きになって好きになってくれた人を、自らの手で放すような愚かなことはやめて欲しい。
差し伸べられた優しい手を、できることならずっと掴み続けていて欲しい。
そして、全ての気持ちには、誠意を持って応えて欲しい。別れる別れないは関係なく。
そうやって、君が他人の痛みに気づけて、優しくなれたのなら、君はきっと、君が求めているものを手にすることができるし、幸せになれる。
http://anond.hatelabo.jp/20130901044112
確かにワタミとかの事例を挙げれば「リーダー=独善的」という傾向があるようにも見えるけど
けしてそれが全てではないと思うんだよねぇ。
ワタミとか、例えば橋下市長さん辺りみたいな人は、利害が対立するようなときは、
その調整って基本的にしないでしょ?
右翼や左翼の団体代表もそうだけど、代表者が思った通りに独善的に無理を通す。
これらの人々って、各々の思想や理想、やり方そのものがレゾンデートルだから
全体としてみれば偏ってるやり方だと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130831224854
うーん、それはどうだろ。
一見もっともらしいけど違うと思う。
だって左翼団体や右翼団体のリーダーは依然として超偏狭で現実味のない主張をしてるよね。
リーダー経験が思考の複雑さやある種の寛容さを産むという主張であれば
結論からいうと
その思想に従わない「反動」を自信満々に罵って攻撃して取り締まるとか、
ブラックのワタミさんなんてまさにすごいリーダーシップなわけでしょ。
実際のリーダーの思考っていうのは
自分の方針と相性悪い奴を排除する。粛清するっていう方向に向かうんだ。
政治ネタでいうなら20年前に当時テレビ朝日の取締役報道局長であった椿貞良って人が
自分の思想信念に基づいて完全に意図的に変更報道をしちゃった。
「庶民に余計な情報を与えるな」「これが正義だ」って感じのことをはっきり言ってた。事件化して供述もとられてる。
というより、リーダーの職責を経ることで独善性や排他性が増したのだと思う。
椿さんがそこまで出世してなければもう少し考え方に余裕や寛容さが残ってたかもしれない。
だって、
リーダーの仕事としては異物や反動を排除するのって正しいからね。
戦国大名でもそうだけど、自領を守れたとか拡大出来た家というのは
それをきちんとできなかった家は必ず衰退したり滅びたりしている。
家臣や親族を斬ったというとすぐ暗愚な殿様だ残虐な殿様だとなるけど
これも現代のイメージでいうことで、本当は斬れない殿様のほうが暗愚。
斬らないのは凡人でも優柔不断でも出来る。
民主主義的フィクションに毒された我々はリーダーの資質と言うものを勘違いしがちだけど
航空機のこと以外に何も考えてない堀越二郎が科学技術を尽くした傑作を作った、そのことをあなたは否定できますか、と感じたという話。
あくまで宮崎駿の映画だけを見ての感想です。ネタバレ全く配慮しません。当たり前だけど映画の話であって、堀越二郎本人について特に思う所があるわけでは有りません。
二郎は実際何も考えていない。まず、単に可愛らしい女の子とちょっと近い距離感になったから菜穂子のことを好きになった。菜穂子でないといけない理由なんて何ら描写されていない。彼の自主的な決断はせいぜい婚約を申し込んだことだろうが、それも結局菜穂子にも推されたおかげか何の反対もなく済んでしまっている。結婚だって同棲がけしからんと言われて決めたことだ。そしてさらに、本庄を零式艦上戦闘機の開発メンバーに入れないこと、これだって自主的な決断ではなく人から言われてのことだ。
極めつけは、寝込んでいる菜穂子の横で煙草を吸うシーン。煙草を吸わないと頭が回らなくて仕事にならない人間が、いいよと言われたからというだけの理由で、肺が悪い最愛の人の隣で煙草を吸って零式艦上戦闘機を設計する。菜穂子と飛行機をどっちを取るか、そういう決断のスキーム自体に無理があることは認めるが、そういった決断が迫られうることに心を巡らせてみるまでも無かった。菜穂子があまりに忍耐強い、かくも素晴らしい日本人女性だったから。
更に、二郎は自らの航空機設計の才能を一度たりとも否定されていない。また、本庄が堀越に抱く劣等感が描かれるといったこともない。なので、二郎がただ一途に航空機が好きで他人からの評価はどうでも良いのか、あるいは知らず知らずのうちに尊大になっていて挫折に弱く周りのエンジニアに対して自らの能力によって優位な立場に立てていないと気が済まないのか、という問題は棚上げにされている。二郎は自分の才覚や自尊心といったことに無自覚でいられている。
そんな二郎の身に起こったのは、腹を空かせた子供にシベリアをあげようとして逃げられる体験だ。自分が隣人を思いやる優しい人間だと思い込んでいるが、実際には他者の気持ちなんてものを考えてみてすらいないというこの構図は、二郎は人々を笑顔にする航空機を作ろうと夢見ていたものの、実際には人殺しの道具となり最後にはパイロットを殺してしまったという悲劇に相通じるものがある。夢で見た村人を笑顔にするための航空機、それは確かに精巧で美しい航空機であろうが、しかしそこに乗る村人とは一体誰であるのか、村人達は何を思っているのか、そんなことに思いを寄せておらず、村人達とは二郎にとって都合の良い抽象的な妄想上の概念だ。カプローニが去ったのは、確かに海外の技術の猿真似を辞めるという成長であるが、それは航空機設計という狭い世界の中でのことだ。
本当に人殺しの道具を作りたくなかったならば、軍用機しか作ってないと初めから分かっていて三菱なんぞに入社しないだろう。仮に入社したとしても、せめて輸送機や偵察機のチームを志望するくらいのことは有っても良いだろう。そうしなかった二郎は、結局のところ彼にとって美しい航空機を作りたかっただけなのだろう。
そこで提起される問題は、この二郎の態度が否定されるべきなのかどうかということだ。例えば原子力発電を取ってみると、原子力発電がもたらすエネルギーで人々を笑顔にすると思い込んで、自分が好きな原子炉の設計を必死に行ったエンジニアがいたとしても何ら不思議に感じない。あるいはヒトラーとナチス党員のトットが国民が自動車でピクニックで出かけることを夢見て公共建築の傑作たるアウトバーンを建造した話も思い起こされる。では、この種の独善は否定されるべきなのかというと、必ずしもそうとは言えないように思われる。隣人を深く理解し幸福にすることを求めるよりも、妄想に取り憑かれる方が、科学技術自体は美しいものであり得るのではないか。そういった問題を、風立ちぬは鋭く提起しているように思われた。
じゃあそこで、風という主題系、生きなければならないという言葉がどう活きてくるのだろうと考えると、やはり命の儚さを謳っているように思えて、やっぱり儚さとか残酷さとかそういう映画なのかなとなって何だこの感想はとなるんだけど、あまり気にしない…。
これがもう、独善過ぎると思うわけですよ。
ただ単純にネット上ではエンジニアの方が声がでかくて活発だってだけではないのですか?
さっきから「営業がエンジニアを攻撃してるからしかたないんだ」って自称エンジニア的な人が営業のネガキャンをやってるように見えるんですが、そういうキャンペーンをやって「上手くいくケースのほうが多けりゃこんなにネット上に人月に対するDisは発生せんだろ(だから変えるべき)」ってのは、なんだかこう……意味不明なわけですよ。自分らでDisしてDisが多いから正義って、それマッチポンプじゃないんですか?
そもそも、人月がいやなら、社内で運動して変えさせれば良いと思うのです。それは業界から「人月で交渉する文化」を排除するよりも、数千倍楽なはず。
それをやらずに(やってるのかもしれないが、少なくとも成功していない)、「ネット上ではDisがありますよーエンジニアはかわいそうですよー」とかいうのは迂遠としかいいようがないと思うわけです。
おれ増田営業職としては、月に2回、開発には差し入れに行きます。今月はケンタッキーにします。
差し入れそのものは重要じゃないです。でも出かけて顔を見て現場の人の今の気持ちを雑談レベルでもいいから聞いておくのがよい受注と健全なプロジェクト運営に寄与すると思っております。
こっちは開発できないっすからね。たぶん開発の人にはこんなもんでご機嫌取りになるもんかとバカにされてるんでしょうが、こっちはこっちで出来ることをやろうとはおもっとるわけですわ。
まず、晩婚・晩産に歯止めはかからない。社会的に環境が整わない上男に覚悟ができないのだから歯止めがかかるわけがない。未婚化は進むかも。
そして欠陥が判っていて政策が通った場合、同時に「政策を通した=国民としてその政策にある程度合意した」と見なされるため、「合意したのだから協力しろ/合意したのに非協力的だ、我がままだ、独善的だ」という批判が成立する。晩婚・晩産を国を挙げて止めようとしているときに流れに逆らう者が叩かれない理由はない。
女は必然的に流れに従うか或いは逆らうかに分類されるが、男はそもそも流れの渦中にすらいない。
>まず、晩婚・晩産に歯止めはかからない。社会的に環境が整わない上男に覚悟ができないのだから歯止めがかかるわけがない。
なんで断言できんだよ。お前は預言者か何か?お前の中では、晩婚・晩産の原因は「社会的に環境が整わない」と「男に覚悟ができない」”しか”ないんだな。ある現象が起こるのはいくつもの原因があって起こると思うんだけど。俺が思うほかの原因は「適齢期の無知」な。俺だって「適齢期の無知」が改善されれば、晩婚・晩産が”すべて”解決されるとは思ってない。原因の”ひとつ”である「適齢期の無知」を解決すれば好転(=歯止めがかかる)するかもと思うから女性手帳を支持しているだけなんだが?
>「合意したのだから協力しろ/合意したのに非協力的だ、我がままだ、独善的だ」という批判が成立する。
>晩婚・晩産を国を挙げて止めようとしているときに流れに逆らう者が叩かれない理由はない。
晩婚・晩産した人は勝手にどうぞ。不利益を被るのは自分だし、高齢出産で苦しんでいる人を叩くような鬼畜な人間はふつうはいない。
かっこつけただけじゃん。説明になってない。
全く同じことがお前の「僕は上から目線だとは思わない」に対して言える。
客観的事実とは「そう思う」人数が多いから客観的事実なのではない。「上から目線」とはある特定の不利益を黙殺する態度のことであり、ある特定の不利益の黙殺はすべて上から目線である。これは誰がどう思うかで変化することではなく、論理的にそうなのである。
>全く同じことがお前の「僕は上から目線だとは思わない」に対して言える。
知ってるよそんなこと・・・。そんなわかりきったことわざわざ書かなくていいから。
>客観的事実とは「そう思う」人数が多いから客観的事実なのではない。
客観的事実とは「”みんな”がそう思うこと」って書いただろ?なぜ”人数が多い”に変えた?おまえわざとやってるだろ。
>「上から目線」とはある特定の不利益を黙殺する態度のことであり、
どこが論理的なんだよ。「私がそう思うからそう」って言ってるだけだろお前は。
何も変わらない。「不適齢期だから子どもを産むな」という従来の学校教育に対立する「適齢期だから子どもを産め」という女性手帳の内容、という対比にすぎない。
気に入らないなら「適齢期に」と読み替えても良い。
「適齢期だから子供を産め」→適齢期になったら有無を言わず子供を産め
「適齢期に子供を産め」→子供を産むとしたら高齢ではなく適齢期に子供を産め
何が変わらないんだ?
年齢は責任が取れないことの理由にはなっても責任が取れることの保証にはならない。
適齢期に責任が取れるようになっていなければ産みたくても産めずおしまいだし、実際責任が取れるようになっているかどうかは誰にもわからない。どうすれば確実に責任が取れるようになれるかさえわからない。
>適齢期に責任が取れるようになっていなければ産みたくても産めずおしまいだし、
>そのルートを提示することができないのならばそれは教育足り得ない。
議論というのは授業において、子どもたちが「適齢期に子どもを産む」という解に辿り着くには「どうすればいいか?」を検討する議論のことだ。
先述した通り女性手帳の内容と現在の性教育内容とは真っ向から矛盾するので、授業で深く掘り下げて取り扱うことはできない。元々の設問が悪すぎる。
>先述した通り女性手帳の内容と現在の性教育内容とは真っ向から矛盾するので、
女性手帳の内容→子供を産むとしたら高齢ではなく適齢期に子供を産むのが望ましい
現在の性教育の内容→子供を養えないのなら子供は産むな、つまり、養えるようになったら産んでよい
合わせると→子供を養えるようになったら、高齢ではなく適齢期に子供を産むのが望ましい
「知りたかったのに教えてもらえなかった」とまで他人に責任転嫁する者がいるんだったら喜んで言ってやる。
お前は代わりに性的マイノリティに向かって「年をとると子どもは産めなくなる。これ特に女性は絶対知ってなきゃいけないこと」と吹聴してこい。
>「知りたかったのに教えてもらえなかった」とまで他人に責任転嫁する者がいるんだったら喜んで言ってやる。
おし、言って来い。テレビのドキュメンタリーで見たからな。「ネットを検索すれば情報を得ることができたのだから、それをしないのは自己責任。たとえお前が高齢出産で苦しもうと、受け身であったお前の自業自得」ちゃんとこう言って来いよ。
お前、負けず嫌いだなあ。悔しいから俺が言ったことの文字を入れ替えて反論してんの?違うというのなら、自分で言葉で反論してみろ。
あと、お前は論破した気になってるけど、してないからな?無駄に堅苦しい言葉を使ってそれっぽく論じているだけで穴だらけ。ところどころお前の思い込みも見られる。
>「手帳まで配って出生率が上がらなかったら女のせい」にされる。
されません。被害妄想です。また書くけど、女性手帳の目的は「少子化を解決する(出生率を上げる)」ではない。「晩婚・晩産に歯止めをかける」だ。間違えるな。これは理由1でも書いた。じゃあ、「晩婚・晩産に歯止め」がかからなかったら、女性のせいか?違います。女性手帳の導入を決めた人の責任になるので、安心してください。
まず、晩婚・晩産に歯止めはかからない。社会的に環境が整わない上男に覚悟ができないのだから歯止めがかかるわけがない。未婚化は進むかも。
そして欠陥が判っていて政策が通った場合、同時に「政策を通した=国民としてその政策にある程度合意した」と見なされるため、「合意したのだから協力しろ/合意したのに非協力的だ、我がままだ、独善的だ」という批判が成立する。晩婚・晩産を国を挙げて止めようとしているときに流れに逆らう者が叩かれない理由はない。
女は必然的に流れに従うか或いは逆らうかに分類されるが、男はそもそも流れの渦中にすらいない。
「適齢期を外れた女性が結婚できなくなる問題」と「男が無知で終わってる問題」を意図的に混同している。
全く同じことがお前の「僕は上から目線だとは思わない」に対して言える。
客観的事実とは「そう思う」人数が多いから客観的事実なのではない。「上から目線」とはある特定の不利益を黙殺する態度のことであり、ある特定の不利益の黙殺はすべて上から目線である。これは誰がどう思うかで変化することではなく、論理的にそうなのである。
それがわからないと、「こいつは頭が悪いな。幼稚だな」と思われるよ?
これはちょっと誤解を招く。出産を強制しようとしているわけではない。僕がしたほうがいいと思うのは、「(産むとしたら高齢ではなく)適齢期に子供を産め」という教育。なぜ、「だから」に変えた?わざとか?意味が違ってくるだろ。
何も変わらない。「不適齢期だから子どもを産むな」という従来の学校教育に対立する「適齢期だから子どもを産め」という女性手帳の内容、という対比にすぎない。
気に入らないなら「適齢期に」と読み替えても良い。
年齢は責任が取れないことの理由にはなっても責任が取れることの保証にはならない。
適齢期に責任が取れるようになっていなければ産みたくても産めずおしまいだし、実際責任が取れるようになっているかどうかは誰にもわからない。どうすれば確実に責任が取れるようになれるかさえわからない。
そのルートを提示することができないのならばそれは教育足り得ない。
「責任が取れるようになったら適齢期に子どもを作れ」は指示であり教育ではない。
>手帳の最大の問題点のひとつは、配付した時点で周知完了としてこの点における議論を封じているところだ
「妊娠・出産の適齢期と高齢出産の知識をいかに普及させるか」という議論でいいんだよな?何度も書くが、僕は女性手帳”だけ”で教育しろなんて書いてない。知識が普及しないのなら継続して議論は必要だと思っている。
議論というのは授業において、子どもたちが「適齢期に子どもを産む」という解に辿り着くには「どうすればいいか?」を検討する議論のことだ。
先述した通り女性手帳の内容と現在の性教育内容とは真っ向から矛盾するので、授業で深く掘り下げて取り扱うことはできない。元々の設問が悪すぎる。
敢えてやるのが筋というものだが「大人は馬鹿、無茶苦茶を押しつけてる」と言われたらぐうの音も出ない。
だから手帳の配付で事足れりとするばかりで、性教育の内容を充実させるという方針は出てこない。
そりゃそうだろ。女性手帳や学校の授業などの教育によって「知らない人間(特に女性)がいないようにしないといけない」というのが僕の主張。
>知りたかったのに教えてもらえなかった?知りたい・知ろうとする発想すらなかった受け身人間だったというだけのことなのに、まるで知識を得ることを妨害されたかのようだぞ。
それを高齢出産で苦しんでいる人の前で言ってきてください。
「知りたかったのに教えてもらえなかった」とまで他人に責任転嫁する者がいるんだったら喜んで言ってやる。
お前は代わりに性的マイノリティに向かって「年をとると子どもは産めなくなる。これ特に女性は絶対知ってなきゃいけないこと」と吹聴してこい。
恥じるならせめて己の論のチョロさを恥じたまえよ。
界隈ではかなり前から Python界の perlcodesample こと @makotokuwata のリスクについて語られていたが、いよいよ具体的な弊害が出て来ているようなので、かいつまんでメモ。
https://twitter.com/makotokuwata/status/315510592171556864
この人、「HaskellDBはORMより素敵!」「ORMと全然違う!」と言ってるけど、ActiveRecordすら知らない可能性でてきた。まあ、なんだ、Javaしか知らずに「静的言語はクソ」と言う人もいる世の中だし、最近のORM知らずにORMより凄いと言う人がいてもおかしくない。
まあその通りだ。しかし、次のツイートを見れば完全に自己矛盾しているのがわかる。
HaskellDBのことを知らずにORMの方がすごいと主張している訳だ。口が悪いだけで、ほんと話にならない。
この人はkwatchでググればわかる通り大昔から perlcodesample 的な振る舞いを続けていた人だ。他人の意見を聞けない視野の狭さとか、独善的な振る舞いなど、共通点は多い。インタネットの黎明期にはこういう知識が中途半端にあって調子に乗ってしまう人は他にも多かったので別段珍しい訳でもないのだが、この人のプロフがほんとの意味でのリスクだ。
https://twitter.com/makotokuwata
Pyを広げるのに熱心なだけの人間
いや、この人別にPythonのメインストリームにいないし、迷惑。本当にPythonを広めたいなら、プロフィールを「Perlを広げるのに熱心なだけの人間」に変えて欲しい。
増田という知り合いがいた。口を開くと出てくるのは妬みと僻みと自慢のみ、独善的な思考の持ち主で知り合いには距離を取られていた。
そんな面倒な人間だと知らず、彼と喋る仲になった。このとき優しい友人に彼とは関わらないほうがいいと忠告を受けたのに喋る仲になったことを後悔している。喋れば喋るほど精神衛生を悪くする存在だった。彼に喋りかけられるのが嫌で学校に行きたく無くなった。毎朝腹が痛くなった。休み時間が苦痛だった。あるとき彼に喋りかけられなければ良いんだと気付いた。それからは接触を避け続ける日々だった。消極的にであれ相手を否定する行為に心は痛むがそれでも喋りかけられるのに比べたら随分マシだった。
それから何年か経ち、話の面白い桝田さんや、きさくで笑顔の素晴らしい増田くんと知り合った。増田コワイ病は軽減された。
最近、はてな匿名ダイアリーをのぞくようになった。よく出てくる単語に「元増田」というのがあった。きっと増田さんが結婚して名字が変わったのだろうと考えた。しかし記事によっては増田とも呼称してあった。一体ドッチナンダ……と震えた。調べてみたら「増田」とはアノニ「マスダ」イアリーユーザーのことだった。元増田さんは引用元の記事、執筆者を指していた。
ああ、なんと。僕は増田になってしまったのか。しかしながら匿名ダイアリーを流し見ていくと納得する、そうかやっぱり増田なんだ。
はてサの「他人を批判攻撃してないと死んじゃう病」「自称中立死ね死ね病」。はてサの攻撃性、粘着性、独善製は異常。 2013/02/17
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/scopedog/20130216/1361004134
「はてサ」タグで130件以上のブクマは異常。
kyo_ju はてブ, ねっと☆うよく, 味わい深い
金太郎飴のような自論を繰り返すだけの”やられ役””数合わせ要員"的存在が多数を占めるはてなウヨク陣営の中で、個別idへの粘着をとおして個性を発揮しておられる人。ヲチスレ常連との兼営説も。 2012/10/05
http://anond.hatelabo.jp/20130209124403を書いた元増田だけど、いくつかのブコメへのレスを元に補足説明してみる。
山月記で言うところの「虎」を捨てきれてないから自分も他人も認められないんじゃないのかな?見たもの全てに対して理想が高いから自分も他人も足りない存在に見える。すごいことなんてそうそうないのにね
自覚している「持って生まれた独善的な性格と非言語コミュニケーションの壊滅的なダメさ」をとっととなおせばいいんでないの?なおらないのは言いよってくる女性と同じってことで。
理想なんてない。
自分はただ、社会性とかコミュ力がせめて十人並になればなーと思っているだけ。
しかしながら社会的成熟には個人差があって、一生成熟しないまま終わる人もいることは歴史が証明している。
「一生ピークは来ないかも」と書いたのは、その事実を重く受け止めているから。
なんとか十人並になるためには・・・とか、そんな自分にマッチする人を探すとかね。
「あー俺ダメな奴だなーでも頑張らなきゃなー」という感じ。
いまどき薄汚いとかみすぼらしいなんて印象を持たせる若い女などめったに見ないがなあ。なおかつ積極的に男に言い寄るなんてのは。
薄汚いとかみすぼらしいなんて印象を持たせる若い女なんてコミケですら、そうそう見かけないんだけど、どこにいるんだろう・・・。自分の美的感覚を疑った方が早そう。
そうなんだよ。そんな女は今時本当に珍しくて、自分もコミケ界隈では見たことがない。
そして実際のケースとしては男女逆パターンの方が圧倒的に多いだろうね。
でも女におけるこうした存在がゼロではない以上、遭遇する確率もゼロではないということを、自分は身を以て教えられたわけで。
今でも夢であって欲しいと思う。
ちなみにこういう人達の中でも酷いのになると、自身が変な女であることを自覚しつつも、世の多数派と折り合いを付ける気がなかったりする。少なくとも付けようとしているようには見えない。
そこが自分との決定的な違いの一つで、とても気に食わない。折り合い付けないつもりなら一生一人で暮らせよって思う。
ある時そのうちの一人がこんなことを言っていた。
「私は小さい頃から、親からも友達からも、色んな人達から変な人扱いされてきた。それで自分が変なのは認めるけど、でもそれが悪いことだとは思っていない」
自分はその発言を、バツが悪そうに下を向いて聞いていたのだが、どうやらその反応には気づかなかったらしい。
いや、変なのはいいよお互い様だから。でもそれで他人に迷惑かけちゃダメだろ!?っていう。
もっと自分とその周りの現実を受け止めなきゃ何も前に進まないと思うけど、生まれてから今までの境遇が境遇だけに無理だろうなあ・・・。
これは余談だが、上の発言主は都内の、山手線から数駅下った辺りで実家暮らししていて、聞けば超金持ちのお嬢様らしい。
もうそれだけでお洒落を含めてメチャクチャ恵まれた環境にいるのだが、あの身なりではとてもそう見えないというか、仮に「悪い男避け」であってもあり得ない格好(スルーされるを通り越して味噌っかすだと思われるだろう)だったり。