「小沢」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 小沢とは

2021-10-31

anond:20211025143055

岩手3区やったじゃん!!ついに小沢帝国の牙城を崩した!!元岩手県民として悲願だった。(何もしてないけど)

2021-10-25

anond:20211025142747

マジで岩手3区藤原君がんばってほしい。

小沢なんにもしてないんだし、岩手3区民は目をさましてほしい。

2021-10-11

anond:20211010141757

山本太郎は、立憲の平野&小沢東京都連の長妻昭(7区)&手塚仁雄(5区)から東京8区統一候補として出ることに対して了承を得ていた

れい新選組高橋アト(7区)&中村みかこ(5区)の出馬を下げることで取引が成立していた

吉田はるみに対しては来年参院選小川敏夫後継者にするという落とし所だった

2021-10-10

山本太郎東京8区立候補問題時系列解説

9月24日

立憲民主党平野博文選挙対策委員長小沢一郎交渉役を依頼

9月25日

枝野平野から小沢に頼むとは聞いてないと言うことが発覚。(枝野平野連携がうまく行っていない様子)

9月26日10月7日
10月8日
午前
午後
10月9日

2021-09-30

anond:20210930044707

前回もマスコミ推していた石破が負けたやん。そんなマスコミの言う通り総裁選が動くなら、河野と言わずもっと前に鳩やら小沢やらが総裁になってるよ、平常運転平常運転

2021-09-16

anond:20210916021416

とは言っても、世襲について言えば、自民はマシだって。たとえば、公明党当主が変わっても(池田大作)が無視できないし、日本共産党も志位ちゃんがずっとやってるし、旧民主だってポッポ小沢がいたし、あんだけ負けてもみずほちゃん当主崩壊寸前じゃん。そう考えたら、田中角栄石原慎太郎、野中、二階、高市、菅、井脇ノブ子中曽根金丸信竹下鈴木善幸自民二世以外も出世してるじゃん。

2021-09-15

anond:20210915131603

これから分裂させるんだよ

河野を煽って石破・進次郎と離党させるんだよ

小沢あたりはマジで何度も仕掛けてるぞ

2021-09-10

anond:20210909195351

別の田舎者として思うのは民主党系の人って地元の集まりあんまり顔出さない印象があるな。

自民社民地元ではまだ生きてるのだ)の系列地方議員学校行事や祭だけでなく地元民のちょっとした小さなまりにもしつこいぐらい出しゃばってきて顔売ろうとするのに。

民主党地方組織が弱いとか、小沢の力が弱まってドブ板選挙ノウハウ継承されてないとか、そういうアレかな?

2021-09-09

anond:20210909233935

とは言うけど、小泉ちゃんも、安倍ちゃんも、小沢っちや先代の田中っちよりは、クリーンだったっしょ。

anond:20210909195351

枝野は間違いなく理解しているし、そもそも小沢あたりはずっとそれを立民の議員に言い続けているんだけどね。そして自分後援会なりをしっかり地盤に築いている議員もいることはいるんだが。

比例選出議員が多いのもあるが、小選挙区議員本質的に「選挙区市民意見権益議会で代弁する代議士である」「国家権益選挙区権益が衝突して、前者を優先させる場合は矢面に立って選挙区を説得する存在」って認識が欠けており、天下国家を語りたがるのが割と問題ちゃんと金帰火来しているんかと問いたい(自民でも世襲議員中心に微妙議員もいるけど。前首相とか)

2021-09-06

anond:20210906154052

辻元や小沢がなんで勝てるかちゃんと立民の議員は学んだ方がいい。

彼ら何だかんだで、親しみの持てる笑顔で笑うのよ。投票するのは人なんやで。インテリぶることに意味は全くない。

anond:20210906180337

小沢が主導した小選挙区制自民大勝の仕組みになっているつまり事実上民主主義破壊だったと言う話ならまあそうかもなと思うけど

別に野党議員たちも公選法にのっとって参政権行使しているだけなのに民主主義を妨げたというのは全く意味不明だよね

日本二大政党制根付かないのはジャップがそれを望まないから。本当に二大政党制がいいんなら鼻をつまんででも立憲に入れるべきだろう。でも実際は総裁選で新しい総裁に期待とか言ってまた自民に入れるだけ

日本民主主義が復活しているって(笑)いや俺に自民総裁選投票権はないんだが。お前の言う民主主義の民って自民の民?ジミン主主義

お前の考える民主主義とやらから逸脱していたり元に戻ったりしていた気になっているだけであって実際はずっとジャップなりの民主主義やってただけだよ

政治国民を映す鏡というだけの話

なんやかんやいって自民党日本民主主義である

自民党は、まがりなりにもこうして選挙を、党内民主主義と党内競争原理を働かせることに成功している。これがかつて一党独裁とは呼ばれたのは、確かに無理もないことではあったが、やはり独裁よりも民主主義に近い制度だったのだろう。

 

自民党から独立して、独裁政権自民党とは別の選択肢を作って、二大政党制を目指す。

それがそもそもの現野党民主党系列理想であったが。

しか鳩山小沢自民を離党したのは、考えてみれば、そもそも党内民主主義に敗北したからであった。民主主義に負けた人が、選挙不正があったとか主張して、別の政権を作った。中東あたりでよく聞く話だ。これは民主主義理想を目指す試みではなくて、むしろ民主主義破壊だったのではないか

 

振り返ってみれば、野党民主党存在した(存在感をまだ強く保っていた)ころっていうのは、今回の選挙のような「○○派が支持したから強い」だの「一般党員票が勝負の分かれ目」だのいった、民主主義めいた話が一切聞かれなかった。

しろ、外敵たる野党に対抗するために、強いリーダーを求め、一致団結して一切の離反を許さないしそもそも離反も考えない空気自民党民主主義を取りまいていたのではないか(内部の空気なんて知らんけど)。

小泉の強さは選挙の強さであった。安倍の強さも選挙の強さであった。安倍政権が長期にわたったのは、ポスト安倍の欠如、つまり安倍でなくなったら野党に負けるかもしれないという不安が原因であった。彼らは強さを大いに誇示して強肩を振るい、それこそ自民独裁を行った。

長期自民独裁下の政権不正に対して、かつてのような、自民党から批判はなかった。「自民独裁」の時代は、政治とカネ問題への批判から自民党が分裂して、新党さきがけが成立したりしたのに。外部に新党根付いていると、批判はむしろ効果を持たなかった。

 

今日、俺は、日本民主主義を妨げていたのは実は野党だったのではないか?という疑いを持っている。

民主党系列政党が、外敵としての存在感を増せば増すほど、自民党民主主義性格を失って独裁偏重してきたのではないか自民独裁批判し、自民の外部で第二自民党運営してきた、元自民議員たちこそが、実は自民独裁原動力であり、主原因だったのでは?

 

今日、外部自民亭たる民主党系列は、様々な事件を経て大いに弱体化し、もはや外敵たりえなくなっている。

いま自民党選挙問題となっているのは、先日の横浜で起きたような、自民党であることが選挙マイナスになりかねない事態のこと、党の権威の弱体化に過ぎない。自民がの敗北、外敵たる旧民主党陣営に負けるかもしれないという、危機感があるのではない。もしそうだったら、とっくに今の選挙も、岸田か河野に一本化している。争っている余裕がある。明らかに偏った性能の駒である高市早苗を試すべきか検討する余裕がある。

民主党陣営が弱体化したから、日本民主主義が復活している。

 

かつて自民から独立した政党が現れたとき二大政党制日本風土に合わない、という見方があった。

民主党政権が成立したとき、そういう批判見方は引っ込んだが。

今俺はあの批判がやはり正しかったのではないかと考えている。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

追記反論

>"多数決してれば民主主義じゃねーぞ"、"自民党しか投票しないなら民主主義から遠のいている"

 

もっとも。俺や貴方大学で使った教科書をそのまま採用するならば、当然あなた方の批判がが正しい。

しかし上述したように俺は二大政党制を疑っている。つまり国民対象選挙投票すれば、それが可能現実的政治的選択肢が2つ存在すれば、民主主義が実現する、という考えに否定的である。なぜならば、自分の考えでは、民主主義の実際の効果のうち重要なことは、第一クーデターに寄らない新陳代謝自由競争だ。民意の反映は、その結果として起きるのが望ましい(民意の反映の強化が目的であるならば、我々はまず議会制民主主義否定する必要がある)。

日本二大政党制を導入しようとしたのは、まず選択肢を2つに絞ることが目的だった。そうすれば有権者に示される選択肢が簡便になり、より多くの有権者実際的選択に関与するだろう、という話であった。しかしこの日本で、二大政党制がそのように機能しなかったのは明らかだ。選択肢シンプルしたことは、党派性の分断を産んだからだ。選択に関与する有権者を増やしたのではなく、選択にあたって看板しか考慮しない有権者を増やしたのではないか

というか、はてなーの多くもそうではないか? 投票時に安倍いでありながら自民党議員投票することを、あるいは安倍支持でありながら立民議員投票するかどうかを、自分選挙区で検討しているだろうか? 本当に?

から民主主義が強いかいかで言えば、自民一党のほうがマシだったのかもしれない、という思考だ。思考だけだ。証拠はない。自民理想だとも思ってない。所詮書きなぐりだ。

自分は、二大政党制を疑っているだけでなくて、そもそも議会制民主主義というものにも強い疑義をもっている。ポピュリズム党派性の分裂、トランプの潮流とリベラルの悪い意味でのエリート化、そういうものを現状の議会制民主主義は産んできた。別に、だから西欧ダメだとか中国を支持しようとかいう話はしないが。

 

とにかく、貴方がたの、こいつは教科書の内容も知らないんだろうみたいな批判は受け取れないということだ。

これは、現在教科書の内容に対する疑義を表明する文章からだ。

とはいえ、いまでも教科書の内容は妥当であるというような内容の応答は、むしろ読みたいところだ。それを模索して増田に書きなぐっているところがある。それを宣言しておきたくて、追記した。

2021-08-29

anond:20210829122806

小選挙区小沢一郎二大政党制を実現するために推し進めた政策で、その小沢自身自民党を出て、今は立憲民主党にいて分裂した民主党の残党をかき集めて、えだのんの後ろで相変わらずフィクサーとして糸を引いてます

当時の民主党小選挙区には乗り気だった訳で、今も反対派でも無いし、今のこの状況はまぁ自業自得ですね。

2021-08-24

anond:20210824115250

逮捕して裁判してないのは、政権権力が止めてるから、って確信はどっからくるのか。

 

もっと単純に、明確な違法行為証拠が無いだけじゃねーのか。

逮捕したところで起訴には至りませんでした、とかなるだろ。 

 

既に、小沢で同じことをもうやってる。

2021-08-05

小山田圭吾いじめ問題月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)の記事の一部書き起こし

クイック・ジャパン』『ロッキンオンジャパン』以外で、小山田いじめ自慢していたとされる『月刊カドカワ9月号』の掲載記事について、

メディアが偏向的な切り取りで掲載して拡散され続けているのがずっと気になっていたんだけど、

案の定これを利用して、拡散元凶となった件のブログが『 小山田圭吾がいじめを語る理由 - 孤立無援のブログ 』という記事外山恒一氏のnote記事反論している。

また変な扇動しかねないので、記事の冒頭から関連する箇所(幼少期から高校時代)までをまるっと書き起こした。

なお、カドカワ記事フリッパーズ・ギター3rdアルバム「ヘッド博士世界塔」の発売直後に刊行されたもので、

アルバム発売を受けて、音楽への姿勢を掘り下げるために幼少期から振り返させた全19頁のインタビュー記事のようだ。

月刊カドカワ9月号(1991年9月1日発行)P348〜P352

きっと、ぼくの生い立ちなんて面白くないですよ。やっぱりこういう話が載るんだったら、波乱万丈の人生を歩みたかったですよ。

幼稚園ときに、巨人土井選手の娘がいてね。土井ヨウコちゃんていう子だったんだけど、餅つき大会があって、土井選手が餅ついててかっこいいって思ったのが最初記憶ですかね(笑)土井ヨウコちゃんの顔は覚えてないんだけど、土井選手の顔は覚えてる。今でもテレビ土井選手の顔を見るたびに、餅ついてたなということを思い出しますね。

すみれ三組だった。それは年長組で、その前は忘れちゃった。ぼくはお絵かきを習ってた。シンちゃんていうちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出すな。

普通の子だった、おとなしくもないけど。すみれ三組の隣のクラスに「ひらけポンキッキ!」に出たヤツがいて、そういうヤツの悪口を陰で言ってた。出たからって威張るんです、そいつら。ぼくらはイジケたグループで、五人ぐらいいた。女の子もいたな。まだ人間できてませんからね。学芸会普通にこなしてたな。インディアンの歌を歌うその他大勢の役をやった。

小学校は遠かったんです。同じ世田谷区だったんだけど、私立だったから。それからぼくは高校まで同じ学校に通うわけなんだけど、もうシンちゃんはいなかったんだけど、二年のときにKという知恵遅れの子が転校してくるんです。ぼくらの学校身体障害者の人が多いんだけど、特別クラスは作らないで普通に入ってくる。Kは高三まで同じクラスだった。ぼくだけじゃなく、みんなにインパクトを与えたと思う。Kとは小学校ときはわりと距離を置いて付き合ってたんだけど、高校に入ってから意外に密接な関係が出てくる。

小学校ときは成績は良かった。運動会リーダーとか、班長とか。それから、物が流行るじゃない、スーパーカー消しゴムとか怪獣消しゴム流行ったしね。そういう物のコレクトに関してはいつでも一位にならないと気が済まない男でね。それで人気を博してたからね。相撲消しゴム流行った。貴ノ花とか高見山とか。ガチャガチャでも、十円入れてガチャガチャカプセルを出すと効率悪いのね。

ちょっと遠いところに駄菓子屋があって、その店では中身がドンと箱に出してあって、自分スーパーカー消しゴムを選べる。友達とその店を発見して、他の友達には言わないで、自分らだけでコレクトして・・・ジャーン!!(笑)

小学校ときって、足の早い人とか人気があるじゃない。そういうタイプじゃなかったから、物で誤魔化したり、人気のあるヤツの足ひっぱったりとか。陰で悪口言ったり、変な噂流したり。こすいヤツだったな(笑)。だからすごく嫌われたりすることもあったな。いちばんショックだったのが、小学校五年くらいのときに文集を作ったんだけど、みんな普通のことを書いてるのに、「小山田くんの嫌なこと」とかいタイトルで作文書かれてね(笑)別に人気者じゃないヤツに書かれたからね、よけいにムッときて。親にその文集はみせられなかった。ぼくがそいついかにして迫害たかっていうようなことが切々と書いてあってね。でも、事実なんです(笑)まさか文集にそんなタイトルで書かれると思っていない。ちゃん印刷されてるもので、先生が見るだけじゃないの。みんなに配られちゃうの。けっこう挫折だった。だからそいつには、小学校人生全部かけて復習した(笑)

運動会リーダーも五年のときかな。仕事はそんなにしなくて、自分の好きなようにやってた。学校に遅くまで残れたり、プリント刷ったりするのがすごく好きで、そういうことができたからやってた。運動が得意だったていうわけじゃなくて。

音楽幼稚園からアニメとかのコレクトがすごかった。幼稚園の頃はコレクトって意識じゃなかったけど。水木一郎って知ってるでしょ。あの人が近所に住んでたの。それで家族でどっかに旅行に行ったら仮面ライダー・ショーをやってて、司会が水木一郎で、うちのお母さんが仲良くなって、家に来たことがあった。そのときイナズマン』のLPサインしてもらった。やっぱり子門より水木だよ、とか言って。ウルトラマンからマイナーのものまでLP集めてた。「鉄人タイガーセブン」とか。よく一緒に歌ってた。その頃から歌手になる資質があったんですね、ねえよ、そんなもん(笑)

テレビっ子。家に帰ったら、ずっと。アニメ再放送とかゴールデンタイムも。でも三年生ぐらいから「ザ・ベストテン」が始まった。大好きだった。チャートを全部メモるの、点数まで。二十位から十一位まで久米さんが早口で言うんだけど「『いい日旅立ち山口百恵、九千何百何十点」とかいうのを、早くて書けないから「いい日、山」とか書いて後で清書する。それで学校で「昨日、何位だったよな」って言ってメモ見せて威張るというのが流行った。あとになって小沢もそれをやってたって話をきいて。他にもいろんなチャート番組きいて、どのチャート信憑性があるとかって。オリコンもずっと読んでる、細かいチャートまで。地方チャートだとフリッパーズ・ギター四国全然ダメなの。だからこれから四国を強化したいなと。

あと、「カリキュラマシーン」が好きだった。鉛筆ジョーとか宍戸錠とか吉田日出子とか藤村俊二とか。変な歌があった。「ねじれてねじれてシャシュショミャミュミョ」とか、そういうねじれる言葉があるでしょう。そういう言葉を覚えさせるためにその曲がある。一緒に歌ってた。それから、「三は嫌いだよ、いつもいつも、二人仲良くなると、ひとり仲間外れ〜」とか言い終わると、二人が真ん中のひとりをギターボコボコにしておしまいっていうような(笑)。強烈なの。コント55号はもう欽ちゃんソロでやってたけど、ぼくはダメだった。ドリフ志村のほうが好きだったけど、それより「カリキュラマシーン」のほうがずっと好きだった。よくギャグを覚えてる。ギャグともとれないようなギャグだったけど。きっと当時は笑ってはいなかったと思う。『天才バカボン』の第二巻もすごかった。

中学になると、人当たりが悪くなって。クラス友達があまりいなくて、すぐにイジケるタイプに変わったんだよね。あまりしゃべらなくなった。休み時間は仲のいい友達クラス出て、他のクラスの仲のいい友達と遊ぶみたいな感じ。中学になると音楽がすごく好きになって、そういう話もできる人としかさなくなった。

Kはね、体がでかくて、小学校ときは突然牛乳ビンで人を殴ったりしてたんだけど、中学になるとそういうことはしなくなった。大人になったみたいで。

同じクラスにひとり仲のいい子がいた。その子のお兄さんがパンク系が好きで、ぼくもその人の影響でそういう音楽が好きになっていった。その子テープ録ってもらったり、貸しレコード屋に行ったり。その頃、ウォークマンブームで、そういうのはいち早く察知して、お金なかったけど小六のときウォークマンⅡを買った。ボディが青くてヘッドホンオレンジ。すごく大事にしてたんだけど中一のとき電車に置き忘れちゃった。ショックだった。で、二台目はアカイやつ。電車の行き帰りで聴いてた。最初に行ったコンサートは、中二のときクイーンかな。

その頃、初めてエルヴィス・コステロインペリアル・ベッドルーム』を借りて、すごく好きで、そのちょっと後に『パンチ・ザ・クロック』ってアルバムが出た。音楽雑誌グラビア見るのも好きで、"イアン・マッカロクのお部屋"とかいって、奥さんと一緒に写ってる写真の中にレコードがダーッと並んでて、いちばん前にアズテックカメラの『ハイランド』が置いてあった。それで貸しレコード屋に行ってアズテックの「思い出のサニービート」の12インチシングルを借りて、その友達と二人で「いいね」って聴いてた。それからそっちの方面音楽にどっぷりいった。

そういうふうにして中学生のとき洋楽を聴いてると、みんな馬鹿自分は頭いいって思いがちでしょう。案の定、そういうふうになっていた。

ギターは中一から。いとこが弾いてて、クイーンとかディープ・パープルを教わった。教則本とか見て普通に弾けるようになったんだけど、アズテックカメラは弾けない、コーが難しくて。いろんなコードを知らないから、コピーして一生懸命した。だから我流で、コード名前なんて知らなくて、指の形で覚えた。

高校になると、すごく仲良かったヤツが違うクラスなっちゃった。そうしたらKが隣の席なの。アイウエオ順で、小山田の次がK(笑)クラスにいるときは、Kとしかさなかった。Kって特技がひとつだけあって、学校の全員の名簿を暗記してるの。バスの中で一緒になったとき、「あいつの住所は?」ってきくと、ペラペラペラって出てくるの。見たこともない下級生や上級生の電話番号とか兄弟もわかってる。で、高校になるとみんな色気づいて下敷きの中にアイドル写真とか入れてくるじゃん。Kも突然入れてきた。何かなと思って見たら、石川さゆりだった。「好きなの」って言ったら、「うん」。それから、Kは鼻炎だから、いつも鼻かんでるんだけど、ポケットティッシュだとすぐなくなっちゃう。だから購買部で箱のティッシュ買ってきて紐つけてあげた。それでKはいつも首から箱をぶら下げてた。難しい漢字にもすごく詳しかった。暗記には異常に強かった。俺はいつもビクビクしてたの。ある日、突然キリッとした顔して真面目なこと言い出したら怖いなって。「本当は俺は・・・」って。だって下敷きに石川さゆりを入れてるのも、ギャグなのか本気なのかわからないじゃない。ギャグだとしたらすごいじゃない。で、ずっと観察してたんだけど、そういうことはなかった。だけど風の噂だと、Kがどこかで森鴎外小説を読みながら歩いていたという話をきいた。

ぼくは浮きまくりっていうか、クラスのみんなが和気あいあいでやってるんだけど、クラスの集合写真にいなかったり。文化祭打ち上げとか、集まるときに呼ばれなかったり。でも別に平気。人に相談とかしないし。高校になると他の学校友達かいたから。

変な高校でさ。普通レベッカとかBOØWYコピーバンドとかが主流としてあるんだけど、先輩が変わってて、メテオーズのコピーバンドとかよくわかんないバンドが多くて、レベッカとかやってると迫害されて潰しにかかられる。学園祭体育館でやるコンサートにはオフコースとかニューミュージック系のコピーしか出られなくて、パンクニューウェイヴ系は音楽室。そこにアズテックとかスミスコピーやって出てた。授業中はウォークマンヘッドホンコードを袖に通して手のひらに隠してきいてたりね。

小沢中学だけ同じ学校だったんだけど、別に仲良くなくて。高一くらいのときたまたま友達の家で一緒になって、ぼくの持ってた編集テープ聴いてからそういう音楽を好きになったみたいで電話かかってきた。それから学校の帰りに待ち合わせて、お茶の水ジャニスって貸しレコード屋に行ったり。そこはイギリスインディーズとかヨーロッパものが置いてあって、泊まって、学校行かないでレコードを全部テープに取って、返しに行って・・・そういう生活してたな。その頃の経験てでかいかもしれないな。エスカレーター式だから大学試験はそんなに難しくないんだけど、遅刻とか欠席が多かったか一年生の時点でダメだとわかってた。だけど小沢学校に行くの。ぼくは小沢の家で寝てたり(笑)

※このあと、音楽の話からフリッパーズ・ギター結成までのエピソードアルバムに対する思いなどが語られるが、問題となっているいじめ関係する箇所は上記だけなので以降は省略。



読んでわかると思うのだけど、ここでも小山田外山恒一氏の読みどおり、過去を振り返るときは一貫して”自分自身自虐的で自嘲的なニュアンス”で語っているんだよね。

そして問題記事から遡ること3年前にもかかわらず沢田君の話が出てくることから、彼に対しての思い入れが深いのもわかるし、

自分自身を嫌なやつと言ながら、”イジメしていたことは認めたくないけど認めざるを得ない葛藤があったのではないか”とする外山氏の下記視点は、なるほどなと腹落ちする。

小山田圭吾問題の最終的解決|外山恒一|noteより

まず第一に、これは小山田氏が、自分いかに情けない人間か、いや、〝情けない〟を通りこして、もはや〝卑劣〟で〝ろくでもない〟と云ってよいぐらいの人間であるか、自虐的に語り続けている過程でこういう話になっているのだ、という点を見逃してはいけません。活字に起こすと単に「(笑)」となってしまますが、少なくとも小山田氏のセリフに付け加えられている「(笑)」は、ニュアンスとしては完全に自嘲的な「(笑)」です。イジメをやっていた当時の気持ちに戻ってしまって、「楽しかったなあ」と笑っているわけではありません。

ーーー(省略)

それにしても驚かされるのは、小山田氏がイジメの始まりエスカレート過程を、事細かによく記憶していることです。さんざん云われるように、イジメた側はそんなことはやがてすっかり忘れてしまって、これほどまでに、「ああ、そういう展開はいかにもありそうなことだ」と情景がまざまざと思い浮かぶような語り方をしうるほど詳細に覚えているというのは、イジメた側としては極めて例外的ことなのではないかと思うのです。このことはむしろ世間で云われているのとは逆に、小山田氏が自身イジメ加害経験真摯に向き合ってきたことを示しているのではないでしょうか? それも極めて稀なレベルで、です。小山田氏の云うとおり、そもそも最初は〝ちょっとフザケていただけ〟、〝ちょっとからかっていただけ〟なのでしょう。それがいつのまにかエスカレートして、ヒドいことになっていく。小山田氏は「決してイジメているつもりはなかった」という線を頑なに守ろうとしていますが、内心ではおそらく当時リアルタイムで、「これはもうイジメと云われても仕方がないレベルなのではないか?」と不安になってもいたように感じられます高校生になってイジメっ子を卒業してからか、あるいはイジメっ子時代の末期からことなのかもしれませんが、「どういう経緯でこんなことになってしまったのか?」ということに強くこだわって、よくよくそれを思い返し、もちろん少なくとも『ロッキンオンジャパン』や『クイック・ジャパン』でそれを語ることになる20代半ばの時期まで、何度となく反芻してみたのでなければ、なかなかここまで詳細に記憶していられるものではないように思うわけです。



また、件のブログの反論としては、”自分判断で「障害者虐待できる俺ってかっこいい」というブランディングを行っていたのである”ということだけど、

フリッパーズ・ギター解散前にそんなリスクの高いブランディングを行う必要はないでしょ、と。

下手したら、「障害者虐待アピールするから小沢に捨てられた」というような負の印象を残しちゃうわけで、ダメージの方が大きいことは想像できるし、いくらなんでも無理筋すぎる。

anond:20210805085451

2009年民主党への政権交代は、民主党が第二自民党だと思われていたから起こった

鳩山元総理の孫)、小沢(元自民党幹事長)、岡田大企業御曹司)と体制側の人間が揃ってた

実態は第二社会党だったんだが

リベラルの人たちは、リベラルが支持されて政権をとったと記憶修正しているようだが、そんな歴史はない

2021-07-25

anond:20210725083656

「昔付き合ってた彼女(嶺川貴子)は性格悪くて岡崎京子から送られてきたFAX勝手に捨ててたりした

その後小山田と付き合って子供産んで離婚した」って内容をそのまま歌詞にして歌っちゃう小沢くんも結構な屑だよね

2021-07-21

小山田くんの記事リアルタイムで読んでいた

小山田くんの記事掲載された時にリアルタイムで読んでいた。

その当時の小山田くんとか小沢くんの発言雰囲気は、時々突拍子もないことを言ってインタビュアーを煙に巻いておいて、「クスクス、僕の言ったこと本気にしている?本当だよ?、クスクス。。。」みたいな感じ。言っていることが本当なのか?嘘なのか?は、正直どうでも良くて、インタビュアーというか大人バカにしているような、していないような、わざと掴みどころ無い話をする、みたいなところがあったと思う。そういうところをカッコいいと感じるファンも多かったと思う。

そんな当時の雰囲気の中で自分がその記事を読んだときに思ったのは、この出来事は本当でも嘘でもなくて、ただただ学生時代にそういった鬱屈とした衝動的な暴力的な色々な思いを抱え込んでいて、それが今の小山田くんの表現の一部になっているのかな、みたいなことだ。フリッパーズ・ギターの頃からインタビュアーバカにするような言動も多々あったので、まあその延長線上なのかとも思った。本当にひどいことをして、それを雑誌インタビューで話す、なんてことはありえないだろ?という前提で読むのかなと思っていた。

今になってその記事を掘り返して、今の基準(?)で叩くのは、気持ちの良いものではない。

その記事はその当時の雰囲気があって成立していると思うのだ。

anond:20210721092342

あの頃はまだ「古今東西ポップ・ミュージックの耳馴染みエエとこの継ぎ接ぎ」手法だった

→だから小沢に『それピチカート・ファイヴ』て揶揄されてたw

2021-07-19

anond:20210719172659

いつも小沢くんからは怒られてたって言ってたよ

2021-07-18

anond:20210718002636

サンプリング文化ことなんて一欠片も知らんけど

素人から見ても、

この小沢サンプリングの仕方こそが

THEサンプリングなんではないの?

いや知らんけどな、

知らんけど雑感としては

ものすごく有名な曲の有名なフレーズ

からまさに引っ張ってくる

というのがこういうサンプリング文化真骨頂なのではないの?

逆にだれも知らないようなものから持ってきてるのなら

それはパクリになるんだろうけれど。

まーそういうところも元増田が知らんだけでいっぱいあるのかもしれんが。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん