はてなキーワード: 占有とは
専用のボトルにつめる形式なんだけど、ボトルの9割くらいにまで入る仕様なんだけど、
98%くらいまでギリギリ入れるために2回ボタン押す、推定90kgの巨漢のおばさんがいた。
つまりどういうことかというと、
毎回2分かけて無駄に水をジャバーッと溢れさせて入れているのだ。
そして後ろには自分ふくめて2名が並んでいるが、まったくおかまいなしに、
水を周辺にビシャビシャにさせて98%入れるために微調整したり、奮闘している。
これには驚いた。
こうした驚きは、学生時代の合宿生活などでよく新鮮な知見として得られたものだった。
あのおばさんは、「お前の見ている世界がすべてではない」
ということを教えてくれたかみ様の使いだったのかもしれない。
追記:
入店後おばさんがしばらく占有してるのがわかったのでスーパーで買い物し、
グローバル化した社会において、それは、いつの間にか意味を失って空洞化した。
都市という箱があるのに、価値を生み出せないジレンマをバブル崩壊後に経験し、その後やがて
箱がなくても価値を生み出せることに気が付かないまま、箱のある日常が価値を生むと信じる時代がつづいた。
箱のなかにいることで感染が広がるコロナになって、狭苦しい箱のなかで3密回避を強いられ、ようやく都市という過密な箱の価値を見直し始めた。
満員電車に乗って、都心の高層ビルに通う価値がわからなくなってきた。
おそらく古今東西、都市というのは、本来、そういう閉塞的なものではなくて
外に開かれ、多様な価値が交錯する場所だっただろう。路地裏があり、道を外れれば新たな発見があった。
巨大だけども、同じ箱のなかで似たような人が似たようなことを考えている。
どこにいっても似たようなものを売っていて、郊外にイオンがある景色が同じだ。
何を売るか。その命題もまたモノからサービスへとテーマが移っていった時代に、あいまいになり
明確にとらえることを怠ってきた。ブランドとして売るべき価値をしっかりとらえるようになってきたのは
ここ10年の話。しかし、それでも「日本すげー」的なナルシシズムへの囚われから脱却できないどころか、ますますはまり込んでいる傾向がある。
かつての日本はプロダクトアウトの発想でモノを売れた。市場価値とグローバルスタンダードは自社が確立し、人々を自社製品をとりこにさせる意気込みがあった。
このマインドが亡霊のように世代に成功体験として引き継がれ、さまよい続けた結果、マーケットイン(あるいはゼロベース)から
スタートする設計思想がはぐくまれない世代が全世代に蔓延した。
明治期には世界とりわけ西洋文明に対する学びの動機付けは強烈なものであったが、それによる成功体験が財産となるにつれ
徐々に失われ、渋沢栄一の時代の渇望はもはや存在しない。世界で何が起ころうと関心がない。先進国でコロナワクチンを占有され、途上国は必要なインフラもリソースもなくあえいでいるというのに、オリンピック開催にまい進しようとしている姿は森元というより、日本社会自体の老害化を象徴している。
かりにもSDGsオリンピックを謳うのであれば、途上国へせめて超低温冷蔵庫の無償プレゼントくらいしてアピールしてやるべきだが、外務省の国際協力の実態としては
インフラ輸出などさまざまな分野においてここにきて、世界各地で中国にオセロの白黒をひっくり返されているのが実情だ。
端的にいって、日本の国際協力はニーズのつかみ方が根本的に間違っている。日本式ありき、であり、自分が思い描いた「日本すげー」「日本式」が売れることがとにかくプライド。
それがいかにも押しつけがましい。しかもそんな態度が煙たいのに本人気が付かない鈍感さがセットで。
それは無自覚なプロダクトアウトであり、状況の変化に鈍感でニーズを何も学ばない老害だ。
都市というのは、そういう老害のウイルスにあふれていて、都市にいればいるほど、人間がダメになる気がするほどだ。
コロナ危機というのは、幸いなことに、過密への忌避、都市への忌避を通じて、都市がこれまで生んできた価値への反省を呼び起こす、とてもいい機会になった。
郊外や地方、あるいは場所を選ばないグローバル社会のバックグラウンドとしての価値、ということだけではなくて、
何を価値創造するか、売るか、ということにも立ち止まって考える機会を与えたと思う。
また、東京という超過密な箱のなかで行われるオリンピックというイベントをめぐって、さまざまな欺瞞と矛盾が浮き彫りになった。
なにより浮き彫りになったのは、都市の箱の価値を無自覚に信じつづける自分たち自身、日本社会全体の老害化だったと個人的には思う。
森喜朗の話題ばかりで他にニュースはないのかと思う位に圧倒的紙面の占有率だけれども何が問題なのか甚だ疑問である
まず女性についての森喜朗の思考が異常だとして彼は捨て置けないのか
エロ漫画やロリ漫画に熱狂する変態中年男性は何も問題なく女性の話は長いと発言することは男性として異常なのか
仮に森喜朗が完全な異常者でその狂った価値観を公共の場で発言するような事があったとして
社会全体がそれを受け入れてしまってそれによる影響で女性が苦しんでいるのか
私にはそれらの重要性も具体的な被害もあるべき方向性もみえないのだが簡潔にまとまらないものだろうか
そして、その上で、なにをどうすべきなのか
女性をリスペクトすべきとすればそれはどう感想をもてばよいのか
なにが問題で、どうすべきなのか
シンプルにそれが無いうえで森喜朗を責めるならばそれはたんに彼の人格を否定しているだけにすぎないのではないかと感じるのだがシンプルになにがどうと説明できるものならば教えてほしい
週に何度かの出勤日を終え帰宅する途中、ふと駅前のとんかつ屋の張り紙が目についた
夜限定?このご時世で8時までしか営業できないことと関係あるのだろうか?でもとんかつ屋がカツカレーにしたって客の滞在時間は変わらないよな。等と思いながらも限定の二文字ととんかつ屋のカレーがどんなものか気になり来店
過去に一度来た事があるが相変わらず古く、ボロくもあるが老舗の空気も漂わせるいい雰囲気、カウンターキッチンとテーブル席が3つほどの小さな店だ。
こんな時期だからか一人客なのに四人掛けのテーブル席に通される。他の客は二名。一人は奥のテーブルで二本目のビールをあけている。たった一人で瓶ビール二本。そこらの飲み会で騒ぐためにビールを飲み、ビールしかアルコールを知らないオッサンどもとは違う、正真正銘にビールが好きなオッサンなんだろう。もう一人はちょうどカツカレーを頼んで待っているところだった。安心しろ。俺もすぐ行く。
慣れた雰囲気でカツカレーを注文し茶飲みながら待つ。こういう時にちゃんと湯呑で茶が出てくるのがいいよな。あとおしぼりに紙で包装された割り箸。経費削減と効率化が進んだチェーン店では出てこないサービス。
カツを揚げる音を聞きながら前座の豚汁とキャベツ、おしんこが運ばれてくる。カツカレーでも千切りキャベツを別で出してくるのはとんかつ屋の矜持か。
そしていよいよカツカレーと対面だがなんと深みのある給食っぽいカレー皿で出てきた。なんか店で喰うカレーって平たい皿のイメージだったから驚いたな。まあ食えば一緒か。
カツは前と変わらず標準的な品質。特段旨いわけじゃないが文句もない。揚げ立ての衣は文句なし。カレーの方は…意外と個性がある。既製品ではないのか?デミグラスソースっぽい香りでもあり、カツのせいか金沢カレーの親戚のようでもある…こんなところでこんな洋食っぽいカレーが出てくるとは!好奇心で頼んでみたが正解だったな。
カツを一枚、カレーを食い、千切りキャベツでリセットしてお茶を一口。そしてまたカツを食い…たまに豚汁。とんかつ定食のサイクルをカツカレーで再現…だがここで一つ問題が浮上する。おしんこだ。本来なら白米-豚汁-おしんこラインが完成したところがカツカレーではカレー自体が白米を自己完結させるので出番がない。カツに対応するサッパリ枠もキャベツが占有している。だいたいカツカレーにも福神漬けが乗ってるのにこのおしんこはどうすればいいんだ……とりあえず適当なところで全部食っちゃうか…
などととんかつ定食の作法で出されたカツカレーを楽しんでいる自分の背後でガラガラと戸を開く音が鳴る。新しい客だ。
「いらっしゃい、ご注文どうぞ」「うーんちょっと迷ってて…」気弱そうな男性の声。お前もカツカレーか?成人男性が夜にカツカレーを食うことにためらいがあるのか?
一人客なのにこんなところで外面を気にしやがって、そんなだからとんかつ屋にも堂々と入れないんだ。
なんだと!?
「できますよ!200円増しですけど」
即答!?
「じゃあそれで」
なんて奴だ…あいつはカツカレーを頼むことに躊躇していたんじゃない、メニューのどこにも存在しない上ロースカツカレーを狙っていたんだ…
気弱そうな声のくせになんて豪胆にして創造的なやつ…俺の負けだ…
しかし差分を払えば別のカツカレーができるなら、同じくメニューにあるミックスフライでもいけるのか?ミックスフライカレー…いやなんかダメそうだ、字響きからして通らなさそうな気がする。第一別に食いたくねえし。
等と思いながらカツカレーをキレイに完食して退店。外では相変わらず居酒屋が断末魔のような値段の飲み放題を宣伝している。
結局コロナウイルスが蔓延して緊急事態宣言が発令された時でも、たった一人でとんかつ屋に来てメニューに無いけどギリギリ常識的な上ロースカツカレーを頼めるような男が時代を作っていくんだろうな。
とすると、最低賃金以上や相応に利益がそこかしこで乗るとするんであれば最長5分、が人件費、
ここにモノのコスト、設備の土地占有費、光熱費、水肥料、運送のコスト、販売コストが入る。
後、なんかで見たけど従業員の給料の3倍は運営コストがかかるっていうから、アルバイト自営業が入り混じったとしても
で売っていて、ぼくは首を斜めにかしげたんだ。
なんでこんな値段で売れるの?って。
スーパーの特売って、いくら安くても利益が出る値段設定らしい、そりゃそうだ。
とすると、あのクソデカ白菜の育成コスト、流通コスト、販売コスト、そしてそれぞれに利益が載って78円ってことだ。
ぼくが経済音痴なのが原因なんだろうけど、78円ってものの重さがわからなくなるよね。
だってさ、あんな大きな白菜を作るために畑を結構占有して、ある程度の期間、水、肥料をやって、刈り取って集荷して、ってここでも1個当たり78円未満で、
さらに、あのクソデカ白菜をトラックかなんかで運ぶんだよね。ゆうパックだと県内配送でも1500円以上取られそうに糞デカクソ重なのに。
で、最近は問屋を通すかどうか知らないけど、問屋を通さなくてもお店で受け取って、陳列して、販売して、そこで78円。
どんなマジックを使うとこうなるの?
(追記)
もらったコメントをまとめると、
⇒何か計算すると白菜一個に数分しかかけないで作って売る、ってことになって
すげーって思ったんだけど、ちょっと効率的すぎるんだよね。。。
それともヒトはすでにその域(ステージ)まで達しているのか。。。
⇒ぼくのつたない記憶だと、社会の教科書にさ、だぶついたのは廃棄するって書いていて
うわっ、もったいなーって思ったんだけど、継続的な経済を考えると仕方なしかと思うんだよね
なんで、おおくできたものはトラクターとかでつぶすんじゃないかなと思ったんだけど
・スーパーが客寄せの目玉として利益度外視で売っているんじゃね?
⇒うん、まぁこれはあると思う。けど、週1とか定期的に100円割れなんだよね。
そこまでスーパーが白菜を安くするのは前世で白菜になんかされたんだろうか。
んー、これらは可能性としてあると思うし、そうっちゃそうなんだろうけど
なんかその手があったかってアハ体験できるようなウルトラCとか無いんだろうか。
コメントをよく読むと、コロナによる外食産業需要低下が全体の需要低減につながって
そうも言ってられなくて慣習(余剰白菜を廃棄)を変える(廃棄ではなくて赤字覚悟の値下げ)までに至ったってことか。
でも待てよ、外食だろうが自炊だろうが消費は同じなはずだ。なのに需要は減る?
うちの幼稚園は高齢出産のひとりっ子がとにかく多い。一方我が家は三十路前に子どもがふたり産まれたのでどちらかというと少数派になる。
日に日に周りのひとりっ子の親に対するドス黒い感情が膨らんでいく。もちろんこれが妬み僻みの類であるのは自分でもわかっているのだけど、実生活でうっかり爆発してえらいことになりたくないのでここで吐き出させて欲しい。
〇取り合いになることを考えず、めんどくさいおもちゃを公園に持ってくるので嫌い
ラジコンカーとか電動のしゃぼん玉マシンとか、貸し借りや取り合いになるとめんどくさいものを公園に持ってくる。我が家はそもそも兄弟間ですでに取り合いになるのが見えてるのであまり買わない(個人の感想です)が、ひとりっ子だと何でもひとりで占有できるからおもちゃのチョイスもなんでもありなんだろうなと思う。
〇親が自分の人生を満足してから子どもを産んだんだろうなと思ってしまうので嫌い
30代後半以降が初産だと「ああ、自分の趣味も仕事もひととおり満足して『さあそろそろ子どもを作ろうか』みたいな感じで産むんだろうな、そりゃ子どもが可愛いわけだわ」と邪推してしまう。妬みでしかない。私ももっと遊んでおきゃよかったし、仕事に専念しておけばよかった。
うちは2人目も2歳差でいるので自宅保育になる期間が5年、ほぼ身動きが取れない。ひとりっ子の家はその子どもが3年で幼稚園に入ってしまえば「あがり」だ。私が下の子を追いかけ回している傍らで世間話に興じているひとりっ子の親が憎い。これは高齢出産じゃなくても憎いけど、高齢出産だと一個うえの「自分の人生を満足してから産んだんだろうな」というのがあるのでなおのこと憎い。独り身の旨味を吸い付くした後に子どものいる幸せをつまみ食いして憎い。
自分で書いてて頭おかしいなと思う。でも高齢出産でひとりっ子の親が嫌いだ。憎い。できればみんな介護が必要になったときに一人しかいない子どもに逃げられてどうにもならなくなって欲しい。
こんなこと書いてると己に返ってくるんだよなあ。じゃあ産まなきゃよかったじゃん。
少なくとも日本語では「ガラスの〇〇」と脆い何かを比喩的に表現するのは一般的だし、上限のことを「天井」と比喩的に表現するのも一般的であり、まともな日本語話者があの文脈で
「ガラスの天井」の意味を誤解することは99.9999%あり得ないし、フェミニズム文脈を知らなければごくごく普通に理解したはず
一方でフェミニズム文脈で占有できるほど創造的な表現ではない(ごくごく一般的な比喩表現の組み合わせで、偶発的な発生を否定できない)ので、
もちろんこの組み合わせがフェミニズム文脈で特定の意味を持つことを政治家が知らないのは教養がなさすぎるという批判はあっても構わないけど、
言葉の簒奪とか言っている連中はいったい何の権限があって「ガラス」「の」「天井」というわずか3語の組み合わせを独占しているんだ?
これだけあらゆる医療従事者があちこちで発信する中で、小林よしのりコロナ論推しには心底がっかりだが、
日本の医療サービスの特性についての認識は、この上もなく正しい。
そういえば石破は加計学園問題でも獣医師会の利益を代弁する存在でもあった。関係ないか。
一方どうしようもなくダメだと思ったのはこの辺り。
かくなる上は、感染者数ばかりに注目することなく、限界ある国家資源や医療資源を、重症者と死亡者を減少させることに重点化して配分すべきなのではないでしょうか。
「どうすれば重症化・重篤化しないか、どうすれば死に至らないかが重要であり、対策も情報発信も、このことを重視すべき」と昨年の感染初期よりテレビなどでも何度か申し上げてきたのですが、なかなかそうはなりません。
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-3bb9f8.html
感染者数のみが増大し、重症者数が横ばいであるならこの手の戯言も許されようが、感染者増に伴って重症者も増えてるんだよ。(https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/)
検査拡大のせいー、とか、何でそこだけそんな愚かやねん。理由なんかどうでもいい。事実、重症者は増えている。
軽症者とは「いつ重症化しするか分からん患者」のことだぜ?まさに日本の医療サービスの優れている点は、こういう軽症者を入院させて経過を観察すらことに他ならないのは、石破も分かっているだろうに。
結局のところ、「重症者と死亡者を減少させる」ために、感染者を減らす以外にどんな方法があるの?という話なのよ。
だからといって、完全に破綻した理由で行動制限不要論をかますのは、さすが緊縮論者石破の面目躍如といった所だ。これ以上の補償だけは死んでもやりたくないんだろう。
ところが、脱衣所で、マスクなしでケータイで話している人がいた。
その人は、私のロッカーの前にいたので、軽く手を挙げて、ちょっとと言ったら避けてくれたが。
年末で、忙しいから知らないが。何も、仕事が終わった時間に脱衣所で電話かよ。
1分ぐらい?いや、私の着替えが終わるぐらいだから、3分以上、かな。
自分もやが、色々とコロナ禍でありながら、突っ込みどころ満載。
オムツ(紙パンツか?)つけないといけないようなおじいちゃんもいるさぁ。
まず、脱衣所でスマホは禁止だ。なぜかというとたいていのケータイにはカメラがついているので、男女ともに撮影は禁止である。
マスクなしで、話すことも今は論外。
換気もしてあって、職員の人はマスクして、消毒液の補充やロッカーなどの清掃もしてくれるが。
これじゃー、何時、経路不明な感染が拡大しても、誰も何も言えないのではなかろうか。
温浴で免疫力アップといって宣伝も一方では、ありかもしれないが。
感染源に近づくことになる可能性はあるので、しばらく、行かないようにしよう。
(あと、脱衣所ではなくて、休憩室の話だけさ。カップルは館内着(浴衣・ガウン?)着て、いちゃいちぁやめんか。人をダメにするソファで、じゃれあいながらTVゲーム占有したり、鬼滅の刃23巻を独占すんなあ。)
産んでない女が責任を負わされる一方
産ませてない男は責められるどころか、少子化解消のためにはどうのこうのと偉そうに講釈を垂れ始める始末
1人の女が2人産まねばならないのは、男に出産機能が備わってないからだ
男は出産できない以上、その資源を子宮を持つ人間に捧げ、1人1匹赤ん坊を作るという責務を果たすべきなのだ
高所得、高階層の人間だとふんぞりかえり「少子化解消には」と社会に物申す口先だけの無産の男を許してはならない
低所得だからブサイクだから仕方ないと高望みで婚期を逃し子作りしなかった無産の男を許してはならない
そもそも少子化は男が女に全財産を献上して産んでくださいと頼めば解消するものだ
資源を占有し、自分1人のためだけに使う独身男性は居ないほうがマシだ
今すぐフィギュアとプレステを売っぱらい、なけなしの貯金と共に、その辺の女子高生に「将来の出産資金にしてください」と渡しに行け
みんなでウイルスをやっつけよう。
・感染すると、二週間苦しんだあと、0.1~4.4%の確率で死にます。
・感染者一人から、平均すると2~3人、最大~20人程度の感染者がでます。
・感染者と同じ空気を吸ったり、唾液の飛沫が口に入ったりすると、感染します。特に酒の席で出やすくなります。
・感染者かどうかは検査でわかりますが、発症前は感染なしとでます。時間をおいて発症者が出てから初めて検査でわかります。
・ねずみ算式に、おおむね2~3週間ごとに一日の感染者数が倍になり、累計は指数関数的に増えます。
・感染者のうち何割かが重症化して、重症化すると、10~20人分の医療資源(病床)を占有します。
・人と人との接触を8割以上(通常時の2割未満に)へらすことで、感染増加がとまり、減り始めます。
・人と人との接触が通常の3割以上ある場合は、新たな感染者がつぎつぎに感染者を置き換え、感染者数は減りません。
・感染対策によって、感染者数の増加を抑えることができ、だいたい平均が0.5~1人減りますが、0.9人以下にはなりません。
・感染増加がとまったかどうかは、だいたい止まって二週間後に検査でわかります。
・感染増加を減らし続け、完全にゼロにしてしまうと、人と人との接触が通常の3割あっても、感染者は増えません。(ゼロは何倍してもゼロになります)
・感染者数がゼロではない場合は、上記のようにまた数週間ごとに倍にふえ、指数関数的に増えつづけます。
・いったん感染して二週間苦しんだ人は、免疫を獲得します。免疫はひと夏の間もちますが、その後はなくなります。
・ワクチンを使うと人工的に免疫を獲得できますが、間を空けて二回使わなければ、効果はありません。
・ワクチンは一年間有効ですが、その後は一定確率で新しいワクチンの開発が必要になります。
・ワクチンを使うには、一人5000円をファイザー社に払って購入し、加えて半額を医療資源に投資する必要があります。