はてなキーワード: 不可能とは
どくむすめ
と読む
いいとこ
わるいとこ
次にだいぶ差があってゲーム性
地球防衛軍が処理落ちはするけどゲーム自体が落ちたりしないのは優秀だったんだなと痛感している
ステージ制で、後半ほど長く広くなるけど、そのせいでバグりまくる
前半でも続行不可能バグ、メッセージ見えないバグとか頻発するけど
これまともにデバッグしてねーわ
せっかくイラストレーターと作曲家ががんばってるのにまじでゲーム部分担当したやつが全部台無しにしてる
稼いだり重要アイテム集め終わってクリア直前に何度もフリーズとかまじでゴミゴミゴミ
いまいちなシューティング部分は絶対絶望少女のいまいちさにそっくり
ただしあっちはバグはなかったけどな
・独自のシステムに対する理解度がプレイヤーの経験値として蓄積される → 成長を実感
・システムへの理解度を高めることで数々の困難を克服 → 成功体験を獲得
・ゲームに慣れていくにつれて自分の思うように振る舞えるように → 世界からの承認感情
・あまりにも理不尽で不合理としか思えない難題を試行回数によって突破 → 圧倒的自己効力感
素敵なデザインのキャラクターに自己投影して気持ちよくなることはハゲの壺オヤジでは不可能だが、この感情はゲームを消して液晶に自分が映った途端にマイナスに振り戻される代物なのでなくてもよし
ツリー追ってないけど
流石に論理の飛躍やばない
分析が可能なら〜ってのは増田の自説?なにか有名な理論でもあるんかね?
そして分析可能なら解決も可能なことが多いから、解決不可能ならば(分析は)誤りつって
やばいぞ
渡辺明王将(名人、棋王)に藤井聡太竜王(王位、叡王、棋聖)が挑む第71期ALSOK杯王将戦七番勝負は、2022年1月9日、静岡県掛川市の掛川城で開幕した。王将含む三冠を保持する渡辺と、竜王含む四冠を保持する藤井。三冠と四冠によるタイトル戦は史上初で、文字通りの頂上決戦である。両者によるタイトル戦はこれが3回目だが、2日制のタイトル戦を戦うのはこれが初めて。より深い次元で互いの読みをぶつけ合う、最高峰の舞台がここに整った。過去2回のタイトル戦では、藤井の前に敗れ去った渡辺。初となる2日制の対局で、藤井相手にどのような将棋を見せるのか。戦前に今回のタイトル戦を「(自らにとっての)正念場」と語った渡辺、過去6戦全勝と抜群の相性を誇る掛川城で、最強の挑戦者を迎えた。
戦型は相掛かり。振り駒で後手番となった渡辺は、比較的穏やかな形を選択し、自然な駒組みを続けた。先手番の藤井がどのような作戦に出てくるか、その動きを静かに待つ。
盤上に突然の嵐が吹いたのは41手目。藤井が指した▲8六歩という一手は、盤上に突如緊張を走らせた。この▲8六歩という一手は、将棋をある程度知っている人からすれば、思わず何事かと凝視してしまうような衝撃の一手である。この8六の地点は、盤上にある一つの「火種」。後手からは、△8六歩▲同歩△8五歩と合わせる継ぎ歩の攻めや、△8六歩▲同歩に△8七歩と垂らす垂れ歩の攻めがある。さらには桂馬を跳ねてくる手もあり、やられる先手としてはどれも相当に嫌らしい攻めである。できれば先手としては触りたくない火種に自ら歩を伸ばしたのだから、解説陣は騒然。立会人で永世名人資格保持者の森内俊之は、「何が起きたのか、すぐには分からないくらい衝撃的な手」と評した。
盤上に嵐を読んだこの手だが、藤井がこの手を昼食休憩の直前にさらりと指したことにも衝撃が起こった。このような大胆な手があったとして、普通は休憩後に一呼吸置いてから指すのが定跡である。大胆な手は後に引き返せないし、休憩前に指してしまえば、休憩中に相手の渡辺に考える時間を与えてしまう。勝負術という面でも、休憩後に指すのが有効と思われるところ、藤井は何事もないかのようにその一手を指した。ただ、この「▲8六歩」という一手は、初見なら相当な衝撃を受ける一手だが、すでに類似形の将棋も現れており、トッププロの間では水面下で着々と研究が進んでいるという見方もある。藤井にとっては、この手は大胆でも何でもなく、すでに嵐は過ぎ去った後なのかもしれない。現代将棋は、ものすごいスピードで変質を遂げている。昔は、2日制の将棋といえば、1日目は互いの了解で通い慣れた手順をなぞるだけ、本格的な解説もほとんどないというような時代もあった。しかし、現代ではそんなことは全く通用しない。2日制の1日目から、研究がぶつかり合い、激しく火花が散るのが現代将棋である。1日目の、まだ昼食休憩も迎える前に時間に放たれた「▲8六歩」の一手は、かつての常識が全く通用しない、むしろかつての常識を全て疑ってかからなければ始まらないという、現代将棋の一端を高らかに宣言しているかのようだった。
藤井に大胆な一手を提示された渡辺は長考に沈む。藤井が自ら突っかけてきた▲8六歩を咎める手順はないのか、それともこれは「罠」か。非常に悩ましい時間だったと思う。長考すること1時間31分、昼食休憩も含めば2時間30分以上も考えた末、渡辺は△1四歩と反対の端の歩を突いた。藤井が突き出した歩には触らず、引き続き戦機を窺う一手だった。
藤井の▲8六歩は、本当に突いて大丈夫な一手なのか。危険はないのか。それは、これから研究が深められる点であり、まだ分からないとしか言えない。ただ、盤上の形勢を示すAIは、▲8六歩が指された後も特に波打つことはなく、「互角」を示し続けていた。盤上に嵐が来たと人間が騒然とする中、その静かな波形はどこか不気味だった。嵐とは、これまでの価値観に囚われた人間だけが見てしまう、幻のようなものに過ぎないのかもしれない。
その後はじりじりとした難解な手順が続いた。互いに間合いを取り合い、ひりひりした駒のポジション取りと鍔迫り合い。何がどうなっているのか。つかみどころのない将棋だった。この将棋には「羅針盤」が見当たらない。羅針盤を取り出したところで、針は決まった方位を示すことはなく、ただ揺れ動くだけである。羅針盤が機能せず、どこにどのように進めばいいのか分からない。そのような中で、二人の対局者は(AIが示すところによれば)均衡を保ちながら進めていく。これが現代将棋の最先端かと、半ば呆然とするような気持ちで盤面を見つめた。
戦機は熟し、堰を切ったように局面は動き出した。ここからの応酬も難解を極めており、私には手の解説をすることなど到底できない。ただ、難解な応酬の中で感じられたこともあった。それは、渡辺明が、今回の王将戦に向けて、自身の将棋観を相当にアップデートしてきたということである。
「玉の守りを固めた後、細い攻めをつなげる」。かつての渡辺が得意にしたスタイルはもはや見る影もない。渡辺は現代将棋に対応するため、バランス型の将棋に棋風をシフトさせたが、今回はそれをさらに進化させてきたということが随所に感じられた。戦いが始まり、渡辺の玉の周りには守り駒がほとんどない。74手目、△4四金と強く盛り上がって、玉の周りの8マスにはついに一つも駒がなくなった。裸の王様。藤井の攻め駒が前に出てきており、傍目には相当に怖い。しかし、これでも均衡は保たれている。堅さより「広さ」「バランス」。ここにも現代将棋の価値観が現れていた。このような将棋において、「囲い」の概念はすでに消失している。戦いは、盤上の空間を広く使って起こさなければいけない。駒の価値、手の価値に定まった指標はなく、局面によってその価値は微妙に揺れ動いている。玉はもはや、周りの駒に囲われ、ただ守られている駒ではない。玉もまた戦っている。盤上を泳ぎ、時には自らが攻め駒にもなる。盤面は液状化され、局面に羅針盤はない。難解熾烈を極める現代将棋だが、37歳の渡辺明はここに来てさらに自身の将棋観をアップデートさせてきた。新時代の棋士、藤井聡太を挑戦者に迎えた番勝負への覚悟は並大抵のものではなかった。そうして、濃密で難解な異次元のねじり合いは演じられた。
将棋は激戦のまま最終盤に突入し、双方1分将棋を迎えた。互いにどうなっていたのか分からないと述べた大激戦。「終盤は悪手の海を泳ぐようなもの」。1分将棋では、到底全てを読み切ることはできない。二転三転の展開で、双方にチャンスがあったように見えたが、最後は藤井が渡辺玉に生じた長手数の詰みを読み切っていた。1分将棋の中を抜け出したのは藤井。大激戦を制し、七番勝負の初戦を白星で飾った。
この将棋が終わった時にまず湧き起こったのは、勝敗についての感情ではなく、「この将棋を永遠に見ていたかった」という思いだった。最後は1分将棋という制約の中で、盤上は1つの結末を迎えた。しかし、この将棋には途中で気の遠くなるような、膨大な数が分岐があり、この結末はその中のたった一つでしかない。もし、持ち時間が無制限で、両者が次の一手を極限まで追求できたとしたら、この将棋はどこまで均衡を保っていたのだろうか、そんなことを思った。実際には、持ち時間が無制限というルールは不可能だし、仮に無制限に考え続けたとしても、膨大な分岐がさらに膨大に広がるだけだろう。81マスと40枚の先にある結論には、まだ誰もたどり着けていない。人間はいったいどこまで行けるのだろうか。番勝負の行く末のはるか遠くにあるそんなことを思うような、壮大な将棋だった。
渡辺明と藤井聡太。人類最高峰の番勝負を生で見届けられる僥倖に感謝しながら、次局以降も、一局でも多くの熱戦が繰り広げられることを期待したい。
そんなもん不可能に決まってんだろ。やれるとしたら生まれた瞬間に遺伝子配列から知能を推定するくらいしかないが、それをやったらやったで裕福な家庭の子供が遺伝的にも優れている割合が高いという結果が出て終わりだろうな。
JCStaffさんいわく、大半はCGで再現されているので、限りなく実写に近いカメラワークは可能なのだけど、
CGで作り上げたうえで、アニメ固有のウソ、例えば、キャラクタの大きさを一時的に変えるとか、
全然わかっていないじゃないか。誰も君の心配なんてしていないのに
君が掴んでいるのは「死んでしまうよ」の部分だけだ
(君がいう)知識を得ようとすることは手段であり目的ではない。君の目的は子供を作るかどうかの選択を自ら決めることにあって、手段として他人が子供をつくることへの心情を完璧に理解したいんでしょ?
手段が永遠に手に入らないなら目的は達成できないよね?なぜなら君は不可能と断言したんだから
けれど知識欲という目的と子供を得るかどうかの選択肢は別に存在する。そうでなければどちらも得られない。
永遠に知識欲を持っていようとかいう子供っぽい夢は嫌いじゃないけど、目的の1つを達成するならそれは手段にはなりえない。子供をもつことの判断は他人の心情を完璧に論理的に理解しないとつかないものなの?
というか完全に理解することと、自分の将来に対する「子供を生むかどうか」の選択をすることになんの関係性があるのか
知的好奇心を満たすことは大いに結構だが、なぜ子供を生む理由に対して完全に理解する必要がある?
別の言い方をしようか。「子供を生むかどうか将来の選択を決めるために、世界中の蔵書をすべて読破しようと思っている」と俺には聞こえる。問題解決のために知識を集めようとする探究心旺盛なようで、単に無意味で無駄で無価値なことをして時間を浪費しているとしか思えない。なぜなら君ののぞみは
それは子供を産む理由に人間の本能だと答えるのと同様にぼやっとしすぎているから、わかりやすい答えを出すと、子供を産むという選択が自分のライフプランに大きく影響すると思っており、その選択によって今しなければいけないことが変わってくるから、他人の意見も参考にしつつ出来るだけ早く自分の答えを見つけたいからだよ
という部分だろ?だったら子供をもつという他人の心情を完全に理解するという探究心を満たすのは後回しだろ。そんなことを理解する前に君は死んでしまう
話を理解していないようだけど
「なぜ気になるのか」が大事なんだよ
例えばお金がほしいという人がいて、なぜお金が欲しいのかと聞いたとしよう。それは貨幣や紙幣を単に集めたかったり残額を増やしたいという欲求なのか、あるいは家やバイクを買いたいという欲求なのか、借金に苦しむ両親を救いたいという願望なのか。
そうしたら「お金がほしいから」と返ってきた。ならそれは単にお金を所有したいだけということになり、なぜ所有したいかが問題になる。
少なくとも君の考えは「知識としてもっておきたい」だけだよね。だとしたらなぜ知識として蓄えたいの?他人の心情を論理的な理由で納得するなんて不可能とわかっているのに。
歳を取ると全てに対して及び腰になる。
もう自分の人生に他人を混ぜる気も、他人の人生を背負う気も起こらないし、それが出来るとも思えない。
……って思うようになったんだけど、これまでに恋人いたことがないからさぁ!
ただの負け惜しみって言われるのが辛いんですよねぇ!!
自分たち夫婦はとある自営業を継ぐべく、現在の経営主夫婦のもとで従業員として働いている。
小さい会社なので社員はこの4人で全員なのだが、経営主の妻からすさまじく嫌われている。
私のステータス(出身地や学歴)と性格、働きっぷり…とにかくすべてが気に入らないらしい。
挨拶や軽い声かけ(これここに置いときますねー、業者さんいらしてます、など)はことごとく無視されるし、最近は存在も無視される(目の前でドアを閉められる、作業しているところへ入ってきて同じ作業を始める、など)。
私が思い通りに動かないのがムカつくらしく、「〇〇するんじゃないんだ」「××しようって考えはなかったわけ?」と後出しで言ってくる。
あとめっちゃ多いのが「△△してほしくてずっとこうしてるんだけど!?」って突然言ってくるパターン。最初に言ってくれればお互いストレスのかかる時間短くて済むのに…
もちろん先方の思いや思惑を汲んでスマートな立ち回りをしたいが、指示ゼロの状態で理想通りに動くのは無理ゲーだ。
そして自分の思い通りになっていないことはすべて私のせいになる。経営主が「それ俺がやったんだ」と言っても、私に向かって「こんなことしてもあwせdrftgyふじこpl」とディスってくる。
経営主夫婦は仲が良くないので、経営主と私が普通に会話してることもイラつきのタネらしい。「アンタのせいで私と父ちゃんの関係は修復不可能になった」って言われたw
基本的に無視され、たまにある返事は棘のある言葉、自営業を継ぐこと自体への反対、出身や学歴を揶揄する言葉、これらを浴びてかなりしんどい。
私が発する言葉はすべて歪んでキャッチされてしまうのでうかつに発言することもできない(ex. 休みをずらしたのは(奥さんに予定があったこととは)関係ないですよ⇒奥さんのことは私には関係ないって言った、アンタ私のことはどうでもいいんだね)。
亡者のような目でずっと私の動向を見てブツブツ文句を言い、手伝おうとしてもすべて断られるので、最近は身動きが取れない。できそうなことを、と思って掃除や片付けをしようとしても「ダメ!」と言われる。
職場へ行ってもやれることが少なく、むき出しの敵意を浴び続けてつらい。休みの日もお昼くらいから「明日から出勤か…」と思って憂鬱。
まだ身体に目立った影響はないけど、趣味の手芸や読書をしていてもあのジトッとした目が離れなくて憂鬱だし、すべてにおいてやる気がでない。特に性欲はゼロになった。
後継ぎになるために必要な試練とも思うし、私がうまくできていないところも多いと思うけど、ここまでされる必要があるのか?
もし敵意をうまく受け流す方法、考え方があれば教えてほしい。
日本で育ってしまった人間が英語の発音をネイティブ並にするのはほぼ不可能なのでそこは諦めた方がいい。発音にアクセントがあってもコミュニケーションは成立するからね。白人の差別主義者とかには内心馬鹿にされるだろうけど、そんなの相手にしても仕方がない。
ニュースサイトで調べました的な。
文章といい、技術知識といい、調査不足といい、洞察のなさといい、本当にひどい。
この枠で若い有能なライターに書かせてあげればどれだけ社会貢献になるか・・・
老人がコネでポジションにとどまると、まさに他人や社会に迷惑をかけてしまうという一例だなあ。
もしかしたら、WindowsはPCからローカルという考え方を排除しようとしているのかもしれない。かつてアプリは必ずローカルにあった。ファイルもローカルにあった。だからネットワークに接続していないPCでもそれなりに便利に使うことができた。
今、インターネットに接続していないPCというのはほぼ考えられない。あれもできないこれもできないという環境の中でいつもの作業をこなすのは不可能に近い。極端な話、ローカルに何もなくてもブラウザがあればなんとかなる。かくしてWindows OSは、ファイルシステムを捨て、ファイルを捨て、アプリを捨てるつもりなんだろう。Windows 11は、その兆しとなるOSだ。
今はまだ、ゲームのリッチな表現や、長大な撮影済み動画素材の編集などで、ローカルパワーが求められてはいるが、それが永遠に続くことはなさそうだ。
それでもローカルパワーは必要だ。大量のデータトラフィックをさばき、それを目の前のユーザーのストレスを最小限にするよう瞬時にレンダリングして表示する。データのストリームの処理はエッジで引き受けないとクラウド側のリソースは破綻する。
https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/config/1379224.html
私は売れたかったのではなくリスナーのみんなと仲良くなりたかっただけなので、「遊ばれるんじゃなく一緒に遊びたかった」って感じ
理想の売れ方をあえて考えるなら、リスナーたちの欲求のはけ口としての価値よりも、Vtuberそれぞれの特色と人と人としての交流を価値にする界隈であったらいいなと思う
リスナーの問題じゃなくてプラットフォームの問題だろ。youtubeで配信なんかやったら配信者と視聴者の構図になるに決まってんじゃん。チャットで出来るコミュニケーションなんてたかが知れてるし単方向でしかコミュニケーション取れないでしょ。
自分がプラットフォーム選定ミスってるのをなんでリスナーのせいにしてるんだ?そういうのがやりたいならVRChatなりに行くべきでしょ。
未読の方向けにストーリーを簡単に説明すると、いじめや虐待などの被害にあっている少女の元に、「ドラえもん」的なひみつ道具を持つ謎の宇宙人「タコピー」がやってきて、少女の境遇を変えようと奮闘する──というもの。
ただしこの作品、ひとつだけ欠点があります。それは作中で描写される「宇宙人」の描写に全くリアリティがないことです。
なんというか、「そこそこ」はリアルなんですよ。ネットニュース等で報じられる宇宙人目撃情報のキーワードはしっかり勉強しているというか。
しかし全体的な整合性が致命的に欠けており、ある程度実情に詳しい人が読めば首を傾げたくなるシーンが3ページに1回くらいの頻度で出てきます。これを「タコピー鬼つええ!」と評していた方がいましたが、秀逸な表現だと思います。なまじっかリアリティを重視した結果、かえって違和感が膨らんでしまっている。
"よねんせい"という種類の"にんげん"しずかちゃんと遭遇し運命が大きく変わってしまった不遇なる宇宙人ことタコピー。本作の主人公であり、最も悲惨な境遇にあるハッピー星人です。
…などなど。タコピーは第四話のラストで"にんげん"をハッピーするわけですが、まぁそうなっても仕方ないよねと思わせるようなラインナップです。
ただ、残念ながら「ありがち」な要素を詰め込んだ結果として、全体の整合性が全く取れなくなっちゃってるんですよね。ハッピー星は(遠い星系にあるハッピー星までひとっ飛びの)ハッピー船の描写もありますから、決して技術水準が低いとは思われません。"にんげん"ごときが捕獲するのは不可能でしょう。作中にはハッピーカメラもあり、危害など加えようものなら即座にハッピーされそうです。
さらにスペースシャトルが大気圏突入するときの底面部分の温度は1000℃程度ですが、機首先端部の最高温度は1600℃以上にはなると言われています。まりなちゃんの平手打ちにすら痛みと恐怖を感じるのにタコピーが生身で大気圏突入するのはかなり不自然な描写と言わざるを得ません。(三枚とは言え)大気圏内まで降りてこないハッピー船に翼がついているのも違和感しかない。
宇宙人描写もかなり不自然で、タコピーは全身足だらけ、目が点にタコ口で丸くてコロコロ…という悲惨なビジュアルなのですが、今どきこんな「わかりやすい」宇宙人描写ってあり得ないんですよね。
宇宙人の怖さ・悲惨さというのは技術から隔絶された未開星が秘密裏に支配され続けることにあるわけで、星系間航行が可能な技術レベルともなればこんな「わかりやすい」形で現れる宇宙人は存在しません。
なんというか、タコピーの苦境のほとんどは「わかりやすい」宇宙人や未来技術やタコ型火星人の記号のパッチワークで作られているんですよね。その結果それぞれの要素が他の要素と相互矛盾を起こし、ほとんどあり得ない境遇が生まれてしまっています。
以下は購読者に向けた余談として、筆者が「この宇宙人描写はすごいな」と圧倒的リアリティを感じたいくつかの作品のお話をさせて頂こうと思います。
作品に対して"良い"という評価は、"好き"よりも社会的な合意があって"良い"以外の評価を不適当とする感じがあって好きじゃない。"良い"は理想的観測者もしくは大部分の評価者による承認によって間主観的に決定できる概念だけれども、現実世界で ある評価者を理想的観測者として決定することは不可能なので(必要条件であり、十分条件ではない的な)、結局大人数による合意によってのみ決定される。そしてそれは最初の一文に戻る。
聞いてもらって気づいたんだけど、「女Vtuberが求められるもの」と言うより「Vtuberが男リスナーから求められるもの」のほうが正確かもしれない
もちろん私の観測範囲のことでしかないから偏りがあることはご理解願いたいけど、女リスナーは人として接してくれるけど、男リスナーは見下したり理想を押し付けていい別種の生き物として私を見ていることが多かった
女Vtuberのほうが男Vtuberより抱える男リスナーが多いことが多いから、傾向として「女Vtuberが求められる」という表現もそんなに間違ってはなかったとは思うけど真意はそういうことでした
私は売れたかったのではなくリスナーのみんなと仲良くなりたかっただけなので、「遊ばれるんじゃなく一緒に遊びたかった」って感じ
理想の売れ方をあえて考えるなら、リスナーたちの欲求のはけ口としての価値よりも、Vtuberそれぞれの特色と人と人としての交流を価値にする界隈であったらいいなと思う
その辺は背景も事情も知らない外国人があーだこーだ言うことじゃないな。
米国人で決めてくれよって感じ。
日本の場合、秀吉の時代に刀狩りが行われ、武士しか武装できなくなった。
普通に考えて、武士が司法および警察機能を果たすから民兵は必要ないという仕組みをその時に作ったのだと思う。
各藩は一揆のリスクを考えて、各所に番屋を配置し、くまなく警察を張り巡らすほうを選んだんだろうな。
江戸時代という長らく武装解除された時代を経て、明治期に銃砲取締規則と廃刀令。
そして、戦後に出された銃刀法で民間人の武装が不可能になった日本。
一方、国土の広さもあってすぐに警察が来ることが期待できず、交番もない。
自力救済が広く認められているし、そういう運用でないとやっていけない米国。
背景が違うのにあーだこーだ議論できんて。