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2024-04-08

川勝の講義について思い出すことな

昔、早稲田政経で川勝が担当する「日本経済史」の講義取ってたわ。

当時の川勝は、オクスフォード博士号取ってきた気鋭の若手教授。“校舎二流、教授三流”などと揶揄されてた我が母校にあっては珍しく、学会でも注目されるスター教授だった。

当時「日本経済史」は2年生から履修できる専門の基礎科目で、わりと受講してた人も多いはずである

橋下徹が“厳しいので生徒の評判は悪かった(笑)”などとテレビネタにしてたらしいが、“厳しい”というのは、当時早稲田の中でも指折りに単位取るのが簡単だった政経学部の中では、という話であって、もちろん出席を取るでもなく、普通に講義聴いて試験受ければ、まあ“良”くらいなら簡単に取れるレベルだったと記憶する。

いや、講義にでなくても著書を読んで「世界が注目する川勝理論」の骨子を理解しておけば、試験も恐るに足らず。

しかも模範解答の“シケプリ”が大量に出回っていた当時の早稲田で、あの講義単位を落とした人がいるなら、それはよほど要領の悪い奴に違いない。

経済学の一分野ではあるけれど、中身は歴史学に近く、面倒な数式とか経済理論を振り回すこともなく、自分のような数学が苦手なド文系政治学科学生にも優しい内容であった。

まあとき毒舌も挟まれるけれど、それも含めて話はうまいし、何を言ってるかすらよくわからんジジイ教授講義に比べりゃ全然まともで、そのインテリ然とした爽やかな風貌(但、当時の早大教授にしては)と相まって、女子学生の人気も高かった。学部女子一割くらいしかいなかったけど。

当時の早稲田政経は超マスプロ教育で、一番の人気講義であったスター教授ニシジュンこと西川潤の「開発経済論」は、講義教室大隈講堂というレベル。それでも抽選で外れて受講できない人が出る始末。

なお人気講義というのは、必ずしも学問的にレベルが高くて充実しているということを意味しない。

そんなに当時の大学生の志が高いわけがない。

単位が取りやすい”も大事な要素で、ニシジュンは有名教授で話もそこそこ面白くて単位も取りやすいという、実に人気講義の要素を兼ね備えたものであった。

世界が注目する川勝理論」というのは、当時川勝が自身経済史観を分かりやす一般向けにまとめてNHKブックスから上梓した著書『日本文明と近代西洋鎖国再考 』の帯に書かれていた文言で、その壮大なタイトルとともによく学内ネタにされていた。

ご本人もネタ化されているのを把握していて、講義では「あれば出版社勝手につけたんで、俺が自分で言ってるわけじゃない」とかよく言ってたが。

でも、そう言われるのも万更ではないご様子ではあった。

ゼミ指導教授としての川勝はよく知らないけれど、ゼミ入るのはわりと難しく、指導もそれなりに厳しかったようだ。

そんな川勝だが、当時、図書館の副館長も務めていて、そこで資料購入をめぐって上層部喧嘩して早大を辞めてしまう。

記憶が若干曖昧だが、たしか川勝の研究に直結する「英国議会資料」の購入をめぐって、予算的に折り合いがつかず、断固として購入を主張してた川勝が怒って辞めた、という話だったと思う。

購入をめぐって揉めてるという話は講義の中でも雑談として話していた記憶はある。「早稲田を知の殿堂にするためには絶対必要なんですよ」とかなんとか力説してた。

なぜかこれは鮮明に覚えているのだが、ある日、講義でなぜか論語の話をしだし

「六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えずって言いますけど、ありゃ孔子の゙ような偉大な人にしてはじめて到達できる境地なんですよ。凡人にはなかなかできることじゃないけど、そこを目指しなさいと。

世の中年取っても耳順わないやつがたくさんいるけど、あれはなんとかならないのか」

などと妙にヒートアップしだし、川勝よほど上の方と揉めてるのかな?と噂になっていた。

程なく川勝は日文研転出し、「日本富国有徳の国を目指せ!」と言い出して小渕内閣のブレーンになったり、静岡大学学長になったりして、気づいたら静岡知事になって、「暴言吐きながらリニア妨害するとんでも知事」になっていた。

実際、著書も講義おもしろかったし、ちょいちょいエリート主義毒舌が顔をのぞかせるけど愛嬌のある人ではあった。当時は。

学者言論人のままでいればまだよかったのだろうが、コンプラSNS正義が世の中を動かす時代にあって、政治家を全うできるキャラではなかったのだろうという、ざっくりとした感慨はある。

川勝の本、実家本棚に多分あると思うので、今度帰ったら読んでみようかな。

2022-10-28

これは恥ずかしい😨

kuzudokuzu それを言うなら、ちゃんと「老子は年齢差別者」って言い続けてね。言わなければ、志学而立不惑知命耳順従心を知らんという無知を示す。自分でかけた呪いだね、覚えてね。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4727276435278956899/comment/kuzudokuzu

2019-03-11

孔子「吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」

葛飾北斎「己六才より物の形状を写の癖ありて、半百の此より数々画図を顕すといえども、七十年前画く所は実に取るに足るものなし、七十三才にしてやや禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり、故に八十六才にしては益々進み 九十才にして猶その奥意を極め、一百歳にして正に神妙ならんか、百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん」

2017-12-09

志学而立不惑知命耳順従心とか嘘だよ


15歳で自分のなりたい道とかわかんないよ。学問の道とかもね、ヤバくて目指そうと思わないよ。

30歳で自分意見なんてないよ。上司に睨まれからね。飼い慣らされるんだよ。

40歳でも迷ってばかりだよ。迷いとかどんどん増えてくよ。

50歳で使命なんてわかんないよ。保身だけだよ。最初に思った夢とかね、周り見てたら無くしてくよ。

60歳でここまで生きてきたんだから偉いんだよ。俺に従えばいいんだよ。最近若いもんは。 

70歳、認知症でね、もうね、よくわかんない。欲望だらけだよ。

孟子だよ(もう死だよ)ってしたかったけど孔子だったよ。

2015-03-26

なんにでも女子をつけたい

三十路女子という言葉はたまに目にしますが、初老女子とか不惑女子ってあまり聞かないと思いました。

ぐぐってもなかったので、30歳以上はポピュラーじゃないんでしょうか。

40歳 初老女子、強仕女子不惑女子

50歳 中老女子天命女子、艾年女子

60歳 耳順女子、杖郷女子、本卦還り女子

61歳 還暦女子

男性男の子のような心を持った人があるように、女性にも女の子のような心を持った人があると思ったもので。

2014-03-28

オタク男性にドMが気持ち悪いくらい多い理由

私自身はヌルオタでありオタク特別嫌悪感を覚えている人種ではないが、また一人称が「私」だからって女だというわけではないのだが(笑)

前々から1つオタク共に問い詰めたいほどの疑問を感じる所があった。異様にMが多いのである日本男児情けないぞと言われてはやウン十年であるが、ちょっとそれとこれとは事情が違う。

一般人におけるドM男児の占める割合など比べものにならぬくらい、オタク男性の中でM属性を持つと判断される言動をとる人間が多いのである

まりにも顕著な社会現象であるためこの主張に異を唱える人も居ないだろう。それくらい多い。これは何故なのか。本当に何故なのか。

ところで、俺自身の性的嗜好性癖という言葉は間違った日本語なので注意されたい)はどちらかというとサディストであり、古き良きSM文化シンパシーを感じる人間でもあり、

努力家をドM扱いしたり安直な攻撃性をドS扱いしたりして茶化すやうな昨今の軽々しいSM文化には金太郎飴のように苦り切った顔をすることの連続である

また、人間誰しも両面性を持つのだという人間観の持ち主でもあるから特定人間がSかMかの判断は簡単には行えないことも弁えているつもりだ。

しかしながら、基本的には男性公衆の場ではSのほうがジェンダーとして自然であって、M男性全否定までしないけど、

まりそんな性的嗜好を前面に出すのはダサいし気持ち悪いからプライベートプレイとしてこっそりやっててくれないかなと思っているような偏った思想の持ち主でもあるので、

このドMオタクの問題をまこともって由々しき問題と捉えているわけだ。

それはそうと、このようにS嗜好をカミングアウトすると、即座に次のような典型的ツッコミが入れられるのが我が国のネット社会では通例となっている。

すなわち、「女性に対する苦手意識、ならびに男性としてのコンプレックスがあって、また現実女性からまともに相手にされなかったり、酷い仕打ちを受けたトラウマ体験があったり

するから、なんとか優位に立ちたくてS妄想を繰り広げているのではないか?また、世の男性どもにSを期待するのも、女性へのいわば報復の一環ではないのか?」。

とまあこのような反応はごく自然である。というのも、トラウマ報復、苦手意識正当化といった心理構造自体は、S男性という枠組みに限定されることなく、社会の至る所で見られ猛威を振るっており、

その暴力装置にびくびくと震えながら、疑心暗鬼に過ごしているのが現代人の諸相だからだ。したがって、安直にそのような認定をする気持ちはよく分かっているつもりだ。

しかしまあ、結局のところ性的嗜好は公に理解されるべきものではないし、理解を求めるものでもないと思うので、拙者は正当化することなくただS嗜好である事実を述べるのみでござる。

とまあ今の話は余談であるが、本論と関係した部分もあって、基本的性的嗜好プライベート性格を持つべものであるが、

その性的嗜好とある程度関わりのあるジェンダーというシロモノは、これは公的な性質を持っておる。ここに矛盾が生じるわけである

まり安易にお前はSだのMだの認定したり、くだらないSM談義でもりあがったりし、挙句の果てには俺はSまたはMなんだぜとばかりに公共の場で言動をとる。

そのようなことがジェンダー文化という名のもとに正当化されている気持ち悪い現代社会だなあ、とニヒルな顔で斜に構えながら厨二的に思うわけである

でだ。オタク空気が読めないと言われてきたが、それは一般人価値観の異なる部分があるため、どうしてもわかり合えない部分があるのだ、という類いの擁護を繰り出すことはできた。

しかしながら、公共の場でドM自慢と言えるほどのアピールをしてしまうことには、ちょっと擁護しかねる。

これと関連してバカ自慢、無知自慢という現象も昨今急速に広がりを見せている。バカや無知のフリをすれば批判されにくく、一定のある種の社交性を獲得することができる。

厳しいアスファルトジャングルにおけるその生存戦略は分からないでもない。しかしそこまでするかという話である

元来女性社会においてはそのような文化があった。周知のとおり、女が女に言う可愛いは建前である。水面下では激戦が繰り広げられているのだが、表面上は謙遜して譲り合う。それが日常だった。

男性社会ではそのような文化は考えにくかった。男性は見栄と強がり文化と言える。面と向かって相手を論難し、俺のほうが強いぜと威張る。結局大人になっても50歳になっても、形を変えるだけでその本質は変わらない。

孔子も60歳を耳順とした。これはどう考えても学問どうこうの話ではなく男性特有一般的性質である

それがどうよ。今では男性でもオタクに限定すればありえないくらい卑屈なのが多い。そう、卑屈なのである

近年誤解が右肩上がり蔓延しているが、本来的にはマゾヒズムと卑屈さはさほど関係がない。卑屈さというのは性格の問題であって、本人がどう足掻こうと常に卑屈なわけである一朝一夕には変わらないし誤魔化せない。

しかマゾヒズムサディズムというのはあくまでプライベートな嗜好であって、外面的な性質社会的性格容姿からそのような嗜好が形成されるケースはあるにせよ、さほど直接的な関係がないのである

偉そうな社長秘書にもブイブイ当たってるからってSであるとか、痩せていてクリクリした目をした男だから気弱そうに見えるだけなのにそれだけでMであるとか、

そういう安直な扱い加減は、もはや本来のサディズムマゾヒズムとは全くの別物だということを理解してほしい。

そこで俺は本来のSMのことはサディズムマゾヒズムと専門的に言い回し現代国際社会蔓延る本来のSMとは似て非なるSMのことは世間と同じようにS、Mと呼んでいる。

この用法に従うと、極度に卑屈だからってマゾヒスト認定するのは抱腹絶倒ナンセンスなことであるが、ドM認定するのは全然オッケーということになる。

これでもう分かったと思う、オタク男性にドMが気持ち悪いくらい多い理由が。これはもう文化大革命と言えるほどの逆らいがたいIT社会ビッグウェーブなのである

ジョン・タイター2000年問題に挙げ、クレイ研究所も事態の深刻さを鑑みてミレニアム問題として提起した。それほど、事態は深刻なのである

2012-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20120708100719

子曰

吾十有五而志於學

三十而立

四十而不惑

五十而知天命

六十而耳順

七十而從心所欲不踰矩

あと10年は惑っていいんじゃない

2010-07-20

いま20代後半の人達へ、人生パースペクティブロスタイムを考えよ

日本人平均寿命は80-90歳である。

いま20代後半の君は、そのちょうど1/3を「消費した」ことになる。

時間は戻らない。

1/3も、もう使ってしまったんだ。

そのことについてどう思うのか?

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生誕              ▼なう            還暦         死亡時刻の期待値     ほぼ100%の人間がここまでに死去     

┝━━━━━━━━━━┿━━━━━━━━━━┿━━━━━━━━━━┿━━━━━━━━━━┥

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こういう図で考えてみると感慨もひとしおではないのか?

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さて、死亡時刻の期待値までの三等分されたライフステージに適切な名前が欲しくないか?

第1ライフステージを「準備期」と名付ける。

育児を受けて成長・発達し、教育社会経験により知識・技術・考え方を身につけ、自立した一人前の大人になるための準備期間だ。

この準備期の最初には学習と模倣が知的活動の主体だが、最後に近づくにつれて思考と決断知的活動の主体となっていく。

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第2ライフステージを「発展期」と名付ける。

準備期で身につけた知識・技術・考え方を用いて、自己実現社会貢献をしていく期間だ。

君たちはもうこのライフステージ差し掛かろうとしている。

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第3ライフステージを「安定期」と名付ける。別名ロスタイム

人生の後片付け。やり残したことをやることで、心を安定させる。

また、趣味に打ち込むことで精神の深い部分での「安定」を図る。

そうすることによって、「現実」を納得でき「死」を納得できる境地に向かうことが望まれる。

いまの君には分からないかもしれないが、身近な人間の死を繰り返し目の当たりにすることで、

死をいやでも意識するのであり、死の納得が大きなテーマになるのである。

そして死の納得は生の納得ひいては現実の納得でもある。

老後の趣味というのはそういう側面が強い。

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参考 孔子のことば

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『子の曰く、吾れ

  十有五にして学に志す。

  三十にして立つ。

  四十にして惑わず。

  五十にして天命を知る。

  六十にして耳順がう。

  七十にして心の欲する所に従って、

  矩を踰えず。』

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  わたしは十五歳で学問に志し、

  三十になって独立した立場を持ち、

  四十になってあれこれと迷わず、

  五十になって天命人間の力を超えた運命)をわきまえ、

  六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、

  七十になると思うままにふるまって、

  それで道をはずれないようになった。

 
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